過去編。
比企谷八幡は恐怖する。
誰かが言った。友達はいなくてもいいが、人との関わりまで断てば人は生きていけないと。
一人で生きることは出来ないと。
果たして本当にそうだろうか、と常に俺は考えていた。
俺は、学校では常に一人ぼっち。友達はおろか、普段話す相手だっていない。何故なら、俺自身がそれを望んでいるから。必要性を感じないから。
俺のクラス……特に女子を見てればよく分かる。誰かをハブいて、また仲良くなって、またハブく。たかが一時の感情に流され、すぐに壊れてしまう、そんな薄っぺらい関係を保ちたいなんて愚の骨頂だと。そう思う。
上辺だけの付き合いなんていらない。俺が求めるのは、真に寄り添える存在だ。
良い所も悪い所も、全て理解し合える。そんな人がいればいい。まあ、そんなことありえないから一人ぼっちになった訳だが、それはご愛嬌。
だが一人ぼっちっていうのは良い事だ。何者にも邪魔されないから逆に色々なことができる。勉強も捗るし、本だって静かに読むことが出来る。
今日もまた、小学生が読むようなものでは無い本を読み終えた。
ふと時計を見ると、既に帰りの会から一時間が経過していた。これ以上帰るのが遅くなると小町に泣かれてしまう。
本をしまい、帰る準備をする。その時、人の気配がしたので振り向く。
俺の席の左斜め後方。そこに座っていたのは、一人の女の子。
ここからでも見える、まるで全てを諦めたかのような、生気の宿っていないその目。その視線の先にある彼女の机を見た時、俺は絶句した。
『クズ』『死ね』『消えればいいのに』
反対向きでも簡単に読めてしまうほど大きな文字で書かれた言葉の数々。それは明らかに、彼女を歓迎しているものではない。
やはり俺には理解できない。同じ人間に対して、俺ですら酷いと思えるほどのことをできる奴らの神経が。そんな奴らの仲をどうやって保てるのかどうか。
人は共通の敵を作り出すことで一致団結することがあるという。その敵というのが恐らく…いや、間違いなくこの女の子。
排除するための努力をするだけで、それが自身の向上につながることは決してない。そんな無駄なことに時間を割けるなんて、よほど頭の中がハッピーセットなんだろう。
薄汚れた上履き、傷がついたランドセル。それらを注意深く見て、罵詈雑言だけに留まっていないのは容易に分かる。
だが、彼女は救いを求めていない。いや、求められる相手がいない。だからこそ諦めている。俺が彼女というわけでもないのに、なぜかそう思えてしまって。確信を得てしまって。
「消さないのか?」
気づいた時には、話しかけていた。人と関わろうとしない俺が、自ら関わろうとしたのだ。
その子は驚いたように顔を上げる。
小学三年生らしからぬ端正な顔立ち、絹のようにきめ細やかな濡れ羽色の髪。不覚にも、ドキッとしてしまった。
「ええ。証拠としてとっておくの。事実さえあれば、きっと先生は動くから」
「……どうかな」
それはすなわち、証拠がないうちに相談したということ。それで動いてはくれなかったのだろう。
曖昧な返事をした俺を、女の子は睨んでくる。
「どういうこと?」
「先生なんて生き物は、自己保身を第一に考えてやがる。その様子を見るに、色んな女子からやられてるんだろ?そこで無闇に解決しようとすれば、学級崩壊の可能性だってある」
俺の説明を、女の子は黙って聞いている。
「一対多数なら多数に分がある。それはいじめでも同じだ。……人っ子一人救えない奴に、教師になる資格なんてない。それにあの担任、キモいし」
女子を見る目が明らかに危ない目をしている。一ヶ月足らずで、ロリコン疑惑が上がるほどに。
それを聞いた女の子は、一瞬笑いながらも、すぐに陰りのある暗い表情に戻ってしまう。
「……誰からも排除され、誰にも助けを求められない。私は、どうしたらいいのかしらね」
「そんなもん、決まってる」
カシャリ。
女の子は、それがデジカメのシャッター音だと気づくのに、若干のタイムラグがあった。
数秒した後、彼女は何をしているの?と目で問うてくる。
「迷惑じゃないなら、俺に任せてくれよ。俺は一人が好きだけど、だからといっていじめられてる子を無視するほど薄情な奴じゃないと自負してる」
「私と関わったら、あなたまで……」
「俺は元々一人だ。気にしない」
「……ありがとう。あなたはあの低脳どもと違うのね」
低脳ども?いじめてる奴らのことか?
と、ここまできて思い出す。そうだ、この子はよく男子に告白されていた。ことある事に「好きです、付き合ってください」なんてバカげた告白を受けていたな。
俺にはそれが酷く滑稽なことだと思えた。好きだと言ったのは、大方顔だ。
可愛いから。ただそれだけの理由で告白され、断る。その男子を好きだった女子に、信じられないといったふうに思われ、いじめへ発展する。そんなところか。
薄ら寒い。バカげている。そんなもの、俺が一番嫌っている上辺だけの付き合い。一時の感情に流され、相手のことをよく知ろうとせずに彼女ができたと喜び、舞い上がる。
そこまで考えて、俺はふつふつと怒りが湧き上がってきた。たったそれだけの理由で、一人の女の子が酷いいじめに遭っている。
別に彼女と深い関係がある訳では無い。なんなら、話したのは今日が初めてだ。でも、どうにかしてあげたい。なぜかそう思えた。
「俺は比企谷八幡。君は?」
「……雪ノ下雪乃」
そういって雪ノ下は微笑んでくる。正直グッときた。
「そっか。雪ノ下、一緒に帰ろうぜ」
「うん、分かった」
今までは俺を理解してくれる存在が欲しかった。だが、俺が理解することも。理解し合うことも大切なのだと、たった数分の会話で知った。
……俺は、雪ノ下雪乃のことを知りたくなった。
********
「お父さん、お母さん」
その日、珍しく夕方に帰宅していた両親に放課後の出来事、そしていじめの現状を説明した。
俺が家族以外にどうにかしてあげようと思ったことは一度もない。ぼっちだから当たり前だが。
説明を受けた両親は、気難しい顔をする。
「先生に相談するのは?」
「一度相談したらしい。でも、まともに取り合ってくれなかったとか」
やはり自分の身が一番可愛い。だからこそ、必要以上に児童に干渉しない。たとえ、それで一人の女の子が傷ついていても。そう考える度、イライラしてくる。
「……どうするか。こういったことは今までなかったからな……」
「教育委員会とかは?よく知らないけど、そういうことも対処してくれるんじゃない?」
教育委員会。
名前だけは知ってるが、結局どういったところなのかはよく分かっていない。ましてや、いじめに関して対処してくれるのかなんてもちろん分からない。
「一応聞いてみるか」
早速電話をかけるお父さん。わざわざ俺なんかのためにここまでしてくれるのはありがたい。
さて、どうするか。写真は加工技術なんてものがあり、はっきり言って正確性に欠ける。それだけで動いてくれるとは思わない。
ならばあれを持っていくか。ぶっちゃけ校則違反だし、バレたらまずいのだが、そもそもデジカメを持ってきてる時点でもう気にしないことに決めている。
雪ノ下にはこれ以上苦しんでほしくないし、その為なら俺が……。
自己犠牲。
その言葉がふとよぎる。それはつまり、いじめの対象を俺に向けるということ。
荒療治だが、雪ノ下へのいじめは無くなるかもしれない。だが、根本的解決には至らない。そもそも二人してやられたら元も子もない。
まずい、他人と関わらなかったからこういった場合の正しいやり方が分からない。誰か教えて!
********
雪ノ下と一緒にいると、一人の時とは違った安心感を得られる。それがなんなのかはよく分からない。
あれからしばらく経った。
その間に思ったことは、やはり女子っていうのはバカばっかということだ。
俺が雪ノ下と一緒にいる所を見ると、その後一丸となって俺を罵詈雑言の嵐に巻き込んでくる。
『うわ、あいつと一緒にいるなんてありえない!』
『菌どうし惹かれ合うんじゃない?』
『比企谷菌ってこと?』
『何それ受ける!』
キャハハハと気持ち悪い笑いをしながらただただ内容のない罵倒を繰り返す。
……こいつらには学習能力ってもんがないのか?何度繰り返せば無駄だということに気がつくのか。
俺も頻繁に上履きを隠されるようになったし、皆で俺を指さしてクスクス笑ったりしてくる。
別に元々ぼっちだから何とも思わないが、だとしてもやはり居心地は悪くなるもんだ。
……それに、俺がただ黙って聞いてるだけだと思うか?ここに校則違反のボイスレコーダーというものがあってだな、これで全部録音済み。あとは提出のみ。やったね!
お父さんによると、どうやら教育委員会はいじめに関する相談は受けつけてくれるらしい。俺が撮った写真、そしてボイスレコーダー。ここまで明確な証拠があれば、雪ノ下を助けることが出来るはずだ。
********
俺が雪乃のことを下の名前で呼び出したのはいつからだろう。何年も経った今、それを思い出すことはできない。
でも、あの時のいじめが。あの女子共の賎しい視線が。俺をトラウマの海へ突き落とす。今なお思い出す度に震えが止まらない。
あの後、正式にいじめの件が受理され、学年集会を開くこととなった。児童はおろか、担任すら内容を聞かされていない集会だったようだ。
俺が約百人の前に立った時、全員が静かになったのを覚えている。
ところどころについた切り傷、火を使ったいじめによって若干チリチリになった髪の毛。そして、誰の目から見ても明らかな打撲痕。
それらを見て、全員が息を飲んだ。
俺は雪乃とは違い、男子だ。女子からの菌だのなんだのといったいじめだけでなく、今まで空気のような存在だった俺が雪乃といるのを気に食わない男子までもがいじめに加わった。精神的に追い込む女子とは違い、肉体的な暴力で。
雪乃はもう自分に関わらなくていいと言った。それで俺が傷つくのは見てられないと。涙ながらに訴えかけてきた。
でも違う。俺が望んでいるから。雪乃と一緒にいたいから。これまで一人だった俺に、大切な存在と言っていい人と関われたから。
大切な人のためにどうにかしたいと思うのは、当然のことだ。だからこそ耐え忍び、この日を待った。
ボイスレコーダーを再生し、クソ野郎共の悪行をすべて陽の光に晒す。
そこからは俺の独壇場。集会場所である体育館は阿鼻叫喚の嵐。
さすがの担任たちもまずいと思ったのか、止めに入ろうとする。しかし、その場に来ていたお偉いさんに一喝され、やむなしに俺の話を黙って聞く。
レコーダーの声の主や、俺が名指しした人物。そいつらは全員体育館の外へ連れ出されていく。それはかえって、この話の真実味を帯びさせる。
「ーーーこれが僕のクラスの日常です。担任はいじめを黙認し、相手の立場になって考える、そんな当たり前のことができない低脳どもの集まりです。正直言って怒りを堪えられません。これが正しいと思ってるのなら……一度痛い目に遭ってください。人の気持ちを知ってください」
俺の正論に楯突く奴は誰もおらず。
その後、俺は精神的ショックと肉体的疲労により倒れ、入院することになった。
毎日俺の部屋へ訪れ、謝ってくる雪乃。
「ごめんなさい八幡、私のせいでっ……!」
「雪乃のせいじゃない。雪乃は何も悪くない。気に病まないでくれ」
「でも……!」
「俺がやりたくてやったこと。全責任は俺にある」
結局は自己犠牲なのかもしれない。
それでも、大切な人を守れたのだ。だから、不思議と気は晴れている。
「……私のためでも、こんなことをするのはもうやめて。八幡が傷つくのは嫌だからっ!」
「……ごめん」
傷ついてほしくないから自分が傷つくのは間違っている。雪乃はそう言った。
その言葉は俺の心に深く刺さる。
結局雪乃を傷つけることになってしまったのか。なら、もっと他の考え方を学ばないといけない。もっと深く彼女のことを知らないとならない。
俺のその資格はあるのだろうか。……いや、資格云々じゃない。もう少し自分の気持ちに正直にならないとな。
雪乃の両親も訪れ、ひどく感謝された。いい友達を持ったと雪乃のお父さんは涙ぐんでいたな。親子愛ってすげー。
その後、『いじめを黙認する素晴らしい学校』というレッテルを貼られ、新聞に載るほど俺の小学校が有名になったことを知るのは、退院後のことだ。
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心の傷というのは、一生残る。その痛みを忘れることはない。それは俺だけでない。きっと雪乃も同様に。
それ故に恐れるのだ。これ以上傷つくのを。傷つけてしまうのを。
俺は雪ノ下雪乃と関わるのが、怖いんだ。だからだろうか、俺は……自分の気持ちを分かっているのに、理解しているのに、涙が止まらない。
文が下手ですみません。ざっくり言えば、
「告白だったりは八幡のトラウマから、また雪乃を傷つけてしまうのではという恐れからできない。自分が雪乃に劣っている、故に周りの壁を意識してしまうこともあり、さらにそれに拍車をかける」という感じです。
分かりにくくて本当にすみません。