いつもの時間。私は家を出る。
身を切る寒さを纏って、戦いへと向かう。
私は、魔物を討つものだから……
けれど、その隣にいる彼は、なんなのだろう。

今日はきっと、最後の戦いの夜────



※ 舞シナリオのクライマックスを、舞視点から描いてみたもの。
※ 若干の独自解釈を含みますが、セリフ・展開等、ほぼ原作ママです。一種の習作。

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Over The Nightmare ~ そして、夜が明けるように

 

 

 

二人の場所。

  二人だけの場所。

 

雨の日も、

  雪の日も、

    秋も、冬も。

      春が過ぎて、また夏が来ても。

 

  あのときのままで、

    この場所で。

      いつまでも、変わらない季節を────

 

 

 

 

 

 夢を、見ていた。

 どんな夢だったろう。

 

 思い出せない。

 いつものことだ。

 

 

 ……いや……違う。

 何か……いつもとは、違う。

 

 遠い昔の思い出。

 懐かしい顔。

 大切な人。

 

 それが、なにかと重なって。

 夢が頭をかすめ過ぎた。

 

 なんだろう。

 

 わからない。

 

 

 

 ベッドの上に起き上がり、軽く制服を叩く。

 枕元の時計を見る。

 六時半。

 いつもどおりだ。

 ほどいていた髪を後ろでまとめなおす。

 

 

 

 

 

 玄関のドアを開けると、冷たい風が頬を刺した。

 

 寒い。

 

 今日は、いつにも増して寒い気がする。

 みしり、と靴の下で鳴る雪さえ、私の耳に突き刺さる。

 

 ……寒い。

 今日が最後だからだろうか。

 今日ですべてが終わるからだろうか。

 その、結末を。私の肌に刻むような風。

 

 ……そう。今日、全てが終わるから。

 終わらせるから。

 

 ……。

 

 そう。終わらせる。私のこの手で。

 ……私は、魔物を討つ者だから。

 そして……。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「悪い。もっと早くこようと思ってたんだけどな」

 

 いつもの場所。いつもの時間。

 いつもの顔。いつもの声。

 

 祐一。

 

 いつのまにか、彼がいるのが当たり前になった。

 

 なぜだろう。

 どうして私は、彼がいることを許しているのだろう。

 

『……囮になるから』

 

 自分で言った言葉を思い出す。

 そうだったろうか。

 祐一がいて、そんなに有利だったろうか。

 

『……嫌いじゃないから』

 

 そうも言った。

 それが理由だろうか。祐一がここにいるのを許していることの。

 たぶん、そうなのだろう。

 

「残るは何体だっけ」

 

「三体」

 

「三体……多いな」

 

 ……そうかもしれない。

 

「一晩で終わる数か……?」

 

「終わらせる」

 

 もう、終わらせなければ。

 魔物のせいで、誰も傷つかないように。

 私には、その使命があるから。

 

 いつから?

 

 

 …………。

 

 つきん、とどこかが痛んだ。

 

 

 

 

 

 気配が届いた。

 忌まわしい何かが満ちてくる。

 この世ならぬにおい。心に届く足音。

 

 もうすぐ、始まる。

 そして、もうすぐ、終わる。

 

 そして。

 

 そして……私は。

 すべてが終わったとき。私は、どこに在るのだろう。

 

 

 心を、影がよぎった。

 不安。得体の知れない、闇。

 飲み込まれそうで。だから、私は。

 

「終わったら牛丼」

 

 そう言って。

 そう約束して。

 そう、未来を刻んで。

 

 闇の奥へと、走り出した。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 ざむっ!!

 

 

 鈍い感触。

 空間が裂け、そして。

 気配が、霧散する。

 

 激痛。

 

 いつもの、衝撃。

 それが魔物の断末魔なのか。あるいは呪いなのだろうか。

 

 左足が、重い。

 まるで、内側から腐っていくような。おぞましい感覚。

 

 最初は、左腕。

 つぎに、右足。

 魔物を討つごとに、私の身体は奴等に食いちぎられていった。

 

 そして、左足。

 残り、二体。

 

「やったのか……?」

 

 奴を追いこんできていた祐一が、声をかけてきた。

 私は無言で肯く。声を出すのもきつい。

 

「どうした? どこか痛めたのか?」

 

 心配ない。そう言おうとして。

 

 ざわり。

 後ろ髪が逆立つ。

 

「上……!」

 

 破裂音がした。

 

 蛍光灯を割りながら、奴が降ってくる。

 祐一に、向かって。

 

「!」

 

 どくん、と、頭の中が煮えるほどに、鼓動が響く。

 

 血にまみれたぬいぐるみ。

 動かない体。

 佐祐理の姿が、祐一とだぶった。

 

「うぉっ!?」

 

 祐一は、すんでのところで転がって避けた。

 

「……ぁあっ!」

 

 私は、とっさに垂直に剣を振りおろす。

 

 

 ざしっ!

 

 

 やや間合いが遠かったが、浅くとらえた。

 そしてまた。

 

 右の二の腕に、鈍い痛みが生まれた。

 

「……」

 

 声なき悲鳴を上げて、奴は廊下の奥へと走り去った。

 ……もしかしたら、私自身の悲鳴だったかもしれない。

 

 ……あと、二体……。

 

 

「祐一」

 

 私は、祐一を見つめた。

 

 終わらせる。

 終わらせなければ。

 

「私を助けて」

 

 結末が。

 すべての、終わりが。近づいている。

 

 奴らに。……そして、私にも。

 それが、私には見えてきたから。

 その最後の瞬間を、今は悟ったから。

 

 そして。

 祐一がここにいたから……。

 

 だから。

 

「あと、一体」

 

 私は、そう言った。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 凍りついた空のむこう、満月が見える。

 雪に覆われた校舎の中庭。景色は、驚くほどに明るい。

 

 向かい風なのか、追い風なのか。よくわからない風の中。

 私は、祐一を待っていた。

 

 

 ガシャァァン……

 

 

 ガラスの割れる音。人と、そうでないものの雪音。

 

 ……来た。

 

 祐一。そして、それを追うもの。

 

 祐一の姿が見えた。剣を手にしていない。

 投げ放ったのだろう、それは、「奴」の体に突き立っている。

 奴は、それを障る気配もなく祐一を追い詰める。

 

 ……あの程度では、奴には通じない。

 もっと、深い一撃が要る。

 

 まだ、遠い。

 

 

 ゴスッ……

 

『ぐはっ!』

 

 

 打撃音。祐一のうめき。

 「奴」が、祐一の背中を突き飛ばした。

 

 何かに心臓を串刺しにされた気がした。

 痛みではない。なにかよくわからない、けれど鋭いものが、心を駆け抜ける。

 思わず、声が出そうになる。握った刀の柄に、爪が食い込む。

 

 祐一は浅く宙を飛んで倒れた。

 奴は、雪の上に落ちた祐一を狙い。

 ……動きが、止まる。

 

 風が吹いた。

 

 もしかしたら気のせいかもしれない。でも、何かが私の背中を押した。

 計算。いや、もっとなにかごちゃごちゃした、それでいて純粋な。

 それに乗るように、私は蹴った。

 

 地上4階、校舎の壁の上。フェンスを越えた、屋上の縁を。

 

 

 

 1.5秒のスローモーション。

 風を切り、無機物のように落下する。

 

 もしはずしたらどうなるだろうか。

 

 足から落ちれば、死にはしないだろう。

 ……闘うことも、できないだろうけど。

 最後の力で、奴をひきつけ……祐一を、逃がすことはできるだろう。

 

 祐一が、逃げてくれれば、だけれど。

 

 たぶん、逃げないのだろうな。

 それが悲しくて。少し、嬉しくて。

 

 でも、そんなことを考えながら、なぜか私は確信していた。

 

 この夜。この場所。この瞬間。

 二人で作ったこの一撃は、絶対にはずさないと。

 

 

 そして……

 

 時間と空間が、一点に詰まる。

 

 

 

「…………!!!!!!」

 

 ガシュゥイィィィィィィィィィインッ……!

 

 

 一閃。

 

 そして、衝撃。

 感覚とも感情ともつかない衝撃が、奴を……そして私を貫いて。

 ……「奴」の気配は霧散し。私は、白雪の上に降り立った。

 

 

 

 眼が合った。

 

 祐一。

 

 雪の上に座り込んだ祐一。その前に立つ私。

 

 瞳と瞳の間の空間が、透き通るようにゆがんでいく。

 自分と、たった一人だけの存在する世界。

 

 この瞬間、時がとまれば。

 そんな馬鹿な想いがよぎるほどに。

 

 

「よぅ……舞」

 

「よぅ……祐一」

 

 なんとなく。祐一の口調をまねてみる。

 

「……ちゃんと来てくれた」

 

「来るさ」

 

「うん……」

 

 そうだ。祐一は、いつでも来てくれた……。

 

 と。

 祐一が傾いた。雪に覆われた地面ごと。

 

「舞っ……!」

 

 傾いた祐一が叫ぶ。どさ、と音がした。

 

 ……違う。傾いたのは私だ。

 雪に顔の半分を突っ込んで、ようやく気づいた。

 

 身体に、力が入らない。

 

「おい、舞!」

 

 立ち上がり、駆け寄った祐一が、私を抱き起こす。

 

 ああ。

 祐一。

 祐一……。

 

 

「祐一……」

 

「ああ、なんだっ……」

 

「…………牛丼」

 

 ごすっ。

 

 かなり、いい音がした。

 祐一が、私の額に頭突きをかました音だ。

 

「……痛い、祐一」

 

「ばかっ、そんな状況かっ! 思わずトドメを刺してしまうところだったじゃないかっ」

 

「……お腹空いたから」

 

「そりゃ腹も減るだろうけどさ……」

 

 お腹は空かない。もう、自分自身のものではないような、この身体は。

 でも。

 

「……祐一、買ってきて」

 

 その言葉を、私は投げた。

 

 ……祐一に頼むことは。

 あと、それだけだった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 教室の片隅。

 壁に背をもたれ、座り込んだ私に、自分の上着を羽織らせて。

 

「すぐ戻るからな。大人しく待ってろよ」

 

 そう言って。

 祐一は、教室を出ていった。

 

 祐一……。

 ありがとう。祐一。

 そして……。

 

 

 

 祐一の気配が、校舎から消えて。

 

 私は、剣を杖代わりに、立ち上がった。

 

 祐一の体温が染み込んだ上着を、手近の椅子の背にかける。

 そして、祐一が出ていった教室の扉を、私も引き開ける。

 

 決着を、つけるために。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 気配を感じる。

 遠い。けれど、確かに。

 

 最後の一体。この校舎の中に、奴はいる。

 こちらを、うかがっている。

 

 ……追いかけるだけの余力はない。

 迎えうつ……場所は?

 

 奴の目指す場所は、なぜかわかっていた。

 

 

 

 からり、と教室の扉が開く。

 軽く。それでいて、怖いほどに夜の闇に音が響いた。

 

 ここだ。

 奴は、ここに来る。

 

 教室の奥。窓から月光がかすかに差し込むだけの、冷たい闇。

 その闇がわだかまる中、壁に背をもたせかけて息を吐く。

 

 

 全身が痛い。

 頭のてっぺんから足の先まで……いや。痛いのかどうかすらわからなくなってきた。

 

 握った剣の柄は、刃となって手に食い込み。あるいは骨の髄まで貫いているようで。

 どちらかといえば、まるでこの剣自体が私の骨のような。

 そんな想像さえ、おぞましさを感じないほどに。

 

 見ることは棄てた。もう、ろくに見えはしないのだし。

 音も、要らない。風も読まない。

 

 心すら凍りそうな闇の中。

 目を閉じ、そのなにか別の感覚だけを研ぎ澄まして。

 私は、奴を待った。

 

 

 

 

 

 奴は、なかなか近づいてこなかった。

 戸惑っているような。なにかを探しているような。

 

 ……早く。

 祐一が、戻ってきてしまう。

 

 戦いの終わり。全ての決着。

 ……私の、運命。

 

 私は、魔物を討つ者だから……

 その役目が終われば、存在の必要もない。……そういうことなのだろう。

 

 考えるのはやめた。ただ。

 

 ……祐一。

 祐一を、ここにいさせるわけにはいかなかった。

 祐一がそれを知ったら、きっと私を止めるだろう。

 

 知らなかったなら……きっと私を守って傷ついてしまうから。

 あまつさえ、もし祐一が、奴にとどめを刺してしまったなら。

 その結果を。自分の剣が導いたものを、ずっと悔やんでしまうだろうから。

 

 ……祐一は、優しい人だから。

 

 だから、嘘をついた。

 私の命の終わりが避けられないものなら。

 相打ち。そして、全ての終わり。

 祐一が見るものは、それだけでいい……。

 

 

 

 気配が、動いた。

 来る。

 

 この世ならぬ気配。それでいて、どこか慣れ親しんだ匂い。

 もう私自身、奴らと同じようなものなのかもしれない。

 この世に存在してはならない化け物……。

 

 なんだろう。

 その言葉が。なにも感じない。……感じない?

 

 

『化け物』

 

 

 誰かが、そう言った。

 誰に?

 

 気配が、止まる。扉の向こう。すぐそこの廊下に。

 そして、扉が開き。

 

 奴が、そこにいた。

 

 

 

 身体は勝手に動いた。

 

 痛みで出来た腕を振りあげ、痛みで出来た剣を握る。

 既に力の入っていない足の鍵をはずし、身体ごと前へ倒す。

 相手は、手負い一体。

 体重を頼りに。倒れこむように。

 

 これで終わる。すべて消える。

 この一振りで、すべてが。

 闇を、影が裂き、そして。

 

 

 どさ。

 

 

 胸がぶつかったのは、冷たい床ではなかった。

 

 身体がなにかにひっかかった。大きくて、温かい。

 それが、私と奴の間を遮った。いや。私を、抱きとめた。

 

 髪が触れ合う。匂いが届く。

 

 これは。

 

「舞っ!」

 

 祐一……!

 

 祐一が、ここにいる。

 遅かった。祐一が、戻ってきてしまった。

 

 そして、知っている。祐一は、知っている。

 

 駄目だ。でも、駄目なのだ。

 ……私は、決着をつけなくてはいけない。

 私は、魔物を討つ者だから。

 

「……祐一、邪魔」

 

 私は、奴を。

 奴を……。

 

 ……なぜ?

 

 どうして。

 奴は、動かない。

 祐一の後ろ。奴は、そこにいる。けれど。

 

 奴は、動かない。

 

 奴……?

 

 何?

 これは、何?

 

 違う。これは。いや、奴なのに。

 知らない? 違う。知っている。私はこれを知っている。

 これは何? これは何? これは何?

 

「舞……」

 

 祐一の声が、耳元で響いた。

 

「魔物なんてどこにもいない。最初からどこにもいなかったんだ」

 

 いない? いる。ここに。でも。でも、これは。

 

「おまえが生み出していたんだ。おまえの力なんだよ」

 

 声が、突き抜けた。

 耳から、脳天まで。

 頭ごと、雷に吹き飛ばされたような。

 全てが収束し、そして。

 

 全てが、砕け散った。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 金色の海。

 山の陰に揺れた夕日の落ちる、麦畑。

 

 そこで、あたしは遊んでいた。

 ずっと、ひとりで遊んでいた。

 

 

 あたしには、不思議な力があった。

 大切なひとを、助けるために。神様が、それをくれた。

 

 病院の廊下。閉ざされた扉。悲しさで埋まる、小さなソファ。

 

 おかあさん。

 大切な人が、いなくなってしまう。ずっと遠くに行ってしまう。

 

 怖くて。辛くて。悲しくて。

 あたしは、ただ泣くことしかできなかった。

 泣きながら、祈ることしかできなかった。

 おかあさんが、あたしの前から消えてしまわないことを……。

 

 ただ、強く、願った。

 

 

 

 そして。

 その日から、あたしは不思議な力が使えるようになった。

 

 手を触れずに、ほしいものを取れた。

 心から望んだことは、本当になった。

 けれど。

 

 

「化け物」

 

 

 ……そう言ったのは、だれだっただろう。

 たくさんのひとが、あたしにそう言った。

 脅えたような目で、石を投げた。

 

 

 あたしとおかあさんは、それまで住んでいた町を離れた。

 たくさん、汽車を乗り継いだ。長い時間、バスに揺られた。

 

 ずっと田舎の町。

 でも、そこでもあまり変わらなかった。

 一緒に遊んでいた子たちも、しばらくするとあたしから離れた。

 気持ち悪い。そう言って。

 

「ごめんね」

 

 おかあさんはそう言った。

 おかあさんが謝ることはないのに。

 

 これは、あたしの力だから。

 おかあさんを、助けるための力。

 神様からもらった、大切な力。

 

 だから、悲しくはなかったけど。

 ひとりで遊ぶのは、寂しかった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 あたしは、どきどきしていた。

 

 その夏は、いつもと違った。

 その日は、朝から鼓動が鳴り止まなかった。

 

 なにかがくる。

 とても大切ななにかが、あたしに会いにくる。

 そんな、予感。ちがう。それは、確信。

 「力」がそれを伝えた。

 そのひとの訪れを。

 

 

 金色の海。

 山の陰に揺れる夕日の落ちる、麦畑。

 

 そこで、あたしたちは出会った。

 

「……ねえ、遊ぼうよ」

 

 あたしが、そう言って。

 その子は、うなずいた。

 そうして、あたしたちは友達になった。

 

「あたしには、不思議な力があるの」

 

「力」を見せたとき、彼は、すごいや、と目を輝かせていた。

 ほかの人たちのように、逃げたりしなかった。

 あたしたちは、友達だった。

 本当の友達だった。

 大切な、友達だった。

 

 

 

 

 

「さよなら」

 

 夕焼けの麦畑。

 近くの、学校の校舎を背にして。

 彼は、そう言って去っていった。

 

 夏の終わり。

 唐突に告げられた別れ。

 彼の家族は、避暑に来ていただけの、遠い町のひとたち。

 

 あたしは、なにも言えなくて。悲しむこともできなくて。

 ……さよならを言うことすら、できなくて。

 日が沈むまで、そこに立ち尽くしていた。

 

 

 

 あたしは、ひとり闇の中に取り残されていた。

 

 無くしたくない、大切なひと。

 初めてできた、本当の友達。

 

 そのひとさえ、あたしから去っていく。

 

 嫌われるのは、慣れていた。

 でも、失うことは、いやだった。

 そのひとと、二度と会えなくなるのはいやだった。

 

 だから。

 

 

 

「ねぇ、助けてほしいのっ」

 

 次の日の朝。

 あたしは、彼に電話をかけていた。

 

 番号は、知らない。

 受話器をとれば、彼の泊まっている部屋につながった。

 

「どうしたのさ」

 

「……魔物がくるのっ」

 

 とっさに思い付いた、幼い嘘。

 

「魔物?」

 

「いつもの遊び場所にっ……。だから守らなくちゃっ……ふたりで守ろうよっ」

 

「あたしたちの遊び場所で、もう遊べなくなるよっ」

 

 他愛もない嘘。

 そんなもの、いるはずがないのに。

 でも、もしいたら。

 そのひとが、一緒に戦ってくれたら。

 

「待ってるから……ひとりで戦ってるからっ……」

 

 ずっと、一緒にいてくれたら。

 

 

 

 

 

 彼は、現われなかった。

 

 何日も、あたしは待っていた。

 

 風が吹いても。雨が降っても。

 もう、あのひとは遠い町に帰ってしまったのだと。

 本当はわかっていても。あたしは、ずっと待っていた。

 

 初めてできた、友達。

 なくしたくない、大切なひと。

 あたしには、このひとしかいないと。そう信じたのに。

 そのひとすら、あたしから去っていってしまった。

 

 あたしから、逃げていってしまった。

 

 ……あたしが、普通の子じゃないから?

 

 こんな力があるから?

 

 こんな……

 

 

   コンナ、魔物ノヨウナチカラガ。

 

 

 そして。

 なにかが壊れた。

 

 

 

 

 

 私は、魔物を討つ者になった。

 

 大切な場所に、魔物が来るのだ。

 私は、そこを守らなくてはいけないから。

 

 ここは、大切な場所だから。

 私と、もう一人の、大切な場所。

 

 麦畑が刈り取られても。

 そばの学校が増築され、コンクリートの校舎になっても。

 私は、ここを守りつづけた。

 そのひとが、帰ってくる日のために。

 

 ただ、そのひとのために。

 

 そのひとは。

 その、男の子の名前は。

 

 祐一。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 真っ暗だった。

 

 夜の闇だからだろうか。ただ単に、私の目が潰れてしまっているだけだろうか。

 ……それとも、まだ思い出の中にいるのだろうか。

 

 忘れていた記憶。

 戦いの日々に、沈んだ真実。

 自分自身で忘れた、本当のはじまり。

 

 一瞬だったのか。数分なのか。

 10年前の、夏の思い出。

 

 私を抱きしめる祐一の温もりだけが。

 私を、現実の教室に引き戻していた。

 

 

「終わりだ、舞」

 

 ……終わり?

 

「終わったんだよ、おまえの戦いは」

 

 祐一が、繰り返した。

 

「……」

 

 全てが、止まっていた。

 音も。風も。光も。闇さえも。

 私の心すら、乱れたまま凍り付いて。

 ただ、祐一の鼓動だけが、胸に届いていた。

 

「今日からはあの頃の舞に戻るんだよ」

 

 ポケットから、祐一がなにかを取り出す。

 その形に、見覚えがあった。

 

 ウサギさんの耳がついた、ピンクのカチューシャ。

 

『おいで』

 

 その男の子の声が、耳元に蘇った。

 

 とっくに忘れていた、あの日の出来事。

 だけど、何より嬉しかった記憶。

 彼が、私の頭につけてくれたもの。

 

『……ウサギさん』

 

 記憶のなかのものとは違う。でも、確かにそれと同じ。

 それを、祐一は私の頭につけた。

 あの日と、同じように。

 

「……ほら、よく似合う」

 

「………」

 

「ウサギさんだぞ。舞の大好きなウサギさん」

 

「………」

 

「笑えよ、舞。すべては終わったんだから」

 

 笑えなかった。

 私は、笑えなかった。

 ……笑い顔を、私はどこかに無くしてしまった。

 あの日、それは砕け散ってしまった。

 

 どうすればいいのかわからなかった。

 

 すべてが終わったあとなんか、考えたことがなかった。

 私は、魔物を討つ者。

 すべてが終わってしまったというなら。

 私は、何をすればいいのだろう。

 私は、何て言えばいいのだろう。

 ……私は、何処に在ればいいのだろう。

 

「戻ればいいんだ、あの頃の舞に」

 

 戻る?

 

「もう剣なんて捨てるんだ。夜の校舎に訪れることもしない」

 

 ……。

 

「剣は捨てられない……私はずっとこれに頼って生きてきたから」

 

 それは、私がすがりたかったもの。

 魔物と戦う力。

 自分の運命を断ち切る力。

 

「……剣を捨てた私は本当に弱いから」

 

 人にあらざる「力」を、断ち切る刃。

 ……それが、自分自身の命だったとしても。

 だれかに疎まれない力が欲しかった。

 受け入れてもらえる力が欲しかった。

 

「いいんだよ、それで」

 

 でも、祐一は。

 祐一は、あっさりとそう言った。

 

「泣きたくなったら泣けばいい。そうしたら俺が慰めてやる」

 

 私の弱さ。

 なんの力もない、こんなちっぽけな人間。

 誰にも必要とされない人間。

 

 私が、ここにいてもいいと。

 祐一は、そう言った。

 

「道ばたで泣いてしまうかもしれない……」

 

 小さな風にすら、耐えることができない。

 

「ご飯食べてたら、不意に泣き出してしまうかもしれない」

 

 ただ泣くことしかできない、小さな子供のような。

 

「それでも慰めてくれるの……」

 

 そんな私が。祐一のそばにいていいというの。

 

「ああ。道ばただったら、泣き止むまで隣に立って待ってやる。

 ご飯中だったら、俺も食べるのをやめて舞と話をしてやる」

 

 いつでも、私といてくれるというの。

 

「舞は、ずっと俺のそばにいさせる」

 

 ずっと、祐一のそばに。

 大好きなひとと、一緒に。

 

「……」

 

「そうだ、舞。卒業したらさ、広めの部屋を借りてさ、

 舞と佐祐理さんと俺の三人で暮らしてみないか?」

 

 ……佐祐理も、一緒に。

 

「今度は佐祐理さんだけじゃなく、俺たちも飯作ってさ、当番制で。

 そうやって家族みたいにさ、飽きるまで暮らしてみないか?

 舞のこともずっと見守ってやれるし、絶対楽しいと思うぜ」

 

 ずっと、一緒に?

 三人で、一緒に。

 大好きな、大切な人たちと、私が。

 ずっと一緒に……。

 

「……祐一」

 

「ん?」

 

「……ありがとう」

 

 祐一は、優しい。

 私の身にあまるほどに。

 それが、嬉しくて。

 だから。

 

「祐一のことは好きだから……いつまでもずっと好きだから……」

 

 佐祐理も。私は、私が大好きな人のために。

 

「春の日も……夏の日も……秋の日も、冬の日も……」

 

 どんなときも、ずっと。

 

「ずっと私の思い出が……」

 

 その、思い出だけが……。

 

「佐祐理や……祐一と共にありますように」

 

「舞……?」

 

 そして。

 

 私は、剣を手にして。

 結局、最後まで私と共にあった、その冷たいモノで。

 自分自身の身体を、貫いた。

 

 

 

 叫び声が聞こえた。

 祐一の声。ひどく遠くから。

 

 世界が、閉じてゆく。

 何処かへ、堕ちてゆく。

 闇の奥へ……

 

 

 私は、情けない人間だ。

 

 嘘をつくことでしか、想いを伝えられなかった。

 傷つけることでしか、何かを為しえなかった。

 打ち砕くことでしか、居場所を見出せなかった。

 そして、佐祐理を、祐一を傷つけたあの恐ろしい力さえ、私の願望だったのだ。

 

 なんて情けない人間なのだろう。なんて忌まわしい存在なのだろう。

 

 そしてそれは、多分これからも。

 

 祐一と佐祐理は、優しい。

 こんな私とでも、一緒にいようとしてくれる。

 私は、そんな二人が大好きで。

 

 だけど。

 

 きっと私は傷つける。

 そばにいてくれる、祐一や佐祐理を傷つける。

 大好きなのに。かけがえのない、大切な人なのに。

 その人たちを、傷つけ続けるだろう。

 

 そんな私が、祐一や佐祐理のそばにいる資格はないのだ。

 

 祐一と佐祐理に会えなくなるのは、悲しいけれど。

 でも、私が思い出だけの存在になれば。

 祐一も。佐祐理も。

 これでもう、誰も私のために傷つかなくてすむのだから。

 

 ……だから。

 これでよかったのだ。

 

 

 

 

 

「よくないよ」

 

 …………誰。

 

 祐一じゃない。

 幼い、女の子……。

 

「舞は、本当にそれでいいの?」

 

 ……。

 

 ……仕方がないから。

 私は、いないほうがいい存在だから。

 

「祐一、泣いてるよ」

 

 祐一。

 

 ……祐一が、泣いている。

 冷たい教室の床で。動かない、私の身体をかかえて。

 

「佐祐理も、泣くよ。二人とも、舞が居なくなって悲しむよ」

 

 ……。

 

「そして、舞だって。二人といっしょに居たいんだよ」

 

 ……でも。

 

 私がいると、二人を傷つけるから。

 

 繰り返される痛みより、一時の悲しみのほうが。

 ……現実の苦しみより、思い出の日々のほうが。

 

「……変わればいいんだよ」

 

 ……変わる?

 

「祐一と、佐祐理と、三人でいられるように。誰かを傷つけたりしないように」

 

 ……変われない。

 

「変われるよ」

 

 ……変われない。

 

 私は、10年間ここで立ち止まっていたのに。

 そのあいだ、何も変われなかった人間なのに……。

 

 今更、きっと変われない。

 

「変わるって信じれば、きっと変われるよ」

 

 ……信じる?

 

「そう。まいは、そのための力を神様にもらったんだから」

 

 ……力。

 

「まいが神様からもらった力はね。お母さんの病気を治す力じゃないんだよ」

 

 ……え?

 

「もちろん、手を触れずにものを動かしたり、魔物を生み出したりする力でもなくて」

 

「それは、奇跡を起こす力だよ」

 

 ……奇跡。

 

「そして、本当はきっと誰もが持っている力……」

 

 ……。

 

「舞は、一度はそれを否定してしまったけど……。

 でも、きっとどこかであたしとつながっていたから、今まで立っていられたんだよ」

 

 ……思い出した。

 

 金色の草原に立つ、一人の少女。

 

 まい。

 

 あのころの、私。私と共にあった力そのもの。

 私が切り捨てようとしてしまったもの……。

 

「でも、もう帰らなきゃね」

 

 帰る……。

 

「今なら帰れると思うから。そして、今しかないと思うから……」

 

 そうだ。私は、ずっと待っていたんだ。

 

 すべての力を否定しても。すべての未来を捨て去っても。

 

 ……心のどこかで、ずっと。

 その時を、その人を、待っていた。

 

「舞は、ここから歩き出さなきゃいけないから」

 

 ……祐一と。佐祐理と、いっしょに。

 

「いっしょにね」

 

 ……歩いて、いきたい。

 

「歩いていけるよ。そして、変われる。あたしは、そのためにいるから」

 

 ……うん。

 

「さあ、舞。あたしの名前を呼んで」

 

 名前?

 

「あたしという、最後の力のかけらを。

 祐一が運んでくれたものを、舞が取り戻すものの名を」

 

 ……うん。おかえり……。

 

「その名を……」

 

 その名は……

 

 

 

 

 

 世界が、開いた。

 

 力の、最後の輝き。そして、きっと始まりの。

 その輝きが、闇を満たしていく。

 

 光があって。

 私がいて。

 そして、だれかがいた。

 

『よぅ』

 

 その呼びかけの声が、私の髪を揺らしてゆく。

 

 もう、どこにも行かない?

 

 行かないさ。

 俺は、ここにいる。

 

 私も。もう、立ち止まらない。

 ずっと、ついていく。

 

 俺たちは、ここに戻ってくる。

 私たちは、ここから始める。

 

 雨の日も、雪の日も。

 秋も、冬も。春が過ぎて、また夏が来ても。

 

 いっしょにいたい。ただ、その想いだけで。

 俺と、あたしと、私は、ずっとここに在ることができるから────

 

 

 

 

 

 

 

 目の前で、だれかが泣いていた。

 

「……舞……」

 

 私の身体を抱きかかえて。

 顔をくしゃくしゃにして。鼻をすすりあげて。でも、確かな笑顔で。

 私の名前を、呼んでいた。

 

「……祐一」

 

 その人の名を呼ぶ。

 ずっと、待っていた人の名前を。

 

「舞……。舞……」

 

 祐一が、私をゆっくりと、けれど力いっぱい抱きしめた。

 首筋と頬に、祐一の涙が伝わる。

 

 熱かった。

 

「……祐一、痛い」

 

 でも、その痛みは不快ではなくて。

 痺れるように、触れた腕が愛おしくて。

 

 ……全身を縛っていた痛みは、消えていた。

 外れていたネジがはめ直されたように。

 

「舞……おかえり……」

 

「……うん」

 

 私は、祐一にずっといてほしいから。

 

「……ただいま……」

 

 無意識に、祐一の背中に腕を回していた。

 

 早朝の校舎の空気は冷え切っていて。

 けれど、私と祐一の間の空気は、熱を持っているようだった。

 

 温かさに、涙が出た。

 ずっと忘れていたものが、私の頬を伝って。

 祐一の肩に、しみこんでいく。

 

 

 

 あまりに小さな光だとしても。

 先も見えない暗闇だとしても。

 この輝きがあれば、きっと私はここに居られる。

 いつか、笑顔も思い出せる。

 

 長い間、立ち止まっていたけど。

 遠い過去に、見失っていたけど。

 今は、その力を思い出したから。

 私は、ずっとこの人といっしょに、歩いていけるのだろう。

 

 ────「希望」という名の、小さな輝きを抱いて。

 

 

 


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