※ 独自の時間経過、独自のカップリングを含みます。特に北×香がダメな人、原作キャラの死が嫌いな人は読まないでください。
※ 昔同人誌用に書いたものを手直ししたものです。
「……というわけで、乾杯!」
『かんぱーい!』
香里の音頭で、色とりどりに掲げたグラスが一斉に鳴った。
先ほどまでもさして静まり返っていたとは言えない宴席が、一気に騒がしさを増す。
「普通の挨拶だったな」
カクテルか何かの入ったグラスを持って、席に戻ってきた香里に、俺はそう声をかけてやった。
「普通じゃない挨拶があったら見てみたいわね」
笑いながら、テーブルを挟んで俺の斜め向かい、北川の隣に腰を下ろす。同時に軽くグラスをあおった。
「あ、乾杯終わったんだ……」
甚だしく気の抜ける声が、すぐ隣で聞こえた。やれやれだ。
香里が、怒ったような笑ったような、複雑な表情を浮かべて顔を上げる。
「あのねー名雪。私の挨拶、聞いてた?」
「……聞いてなかったよ」
「変わってないわね、あなたって……」
どこか懐かしげな笑いを浮かべる香里の横で、北川はと言えば、ばしばし膝を叩いて大笑いしていた。まあ気持ちは分かる。
「そんなことないよー。すっごい変わったよ」
「そうかぁ?」
からかうように言ってみる。……あの頃のように。
「多分、みんなが見てるより、ずっとずっと変わったと思うよ。だって……」
そこで、名雪は一度言葉を切った。
「……もう、十年も経つんだから……」
「……そうだな」
卒業十年目のクラス会。
名雪の言葉に、それを改めて思い起こし、俺はゆっくりと隣席の顔々を見渡した。
記憶に残る、けれど確かに変わった、たくさんの面影。
日々の忙しさに忘れていた、過ぎ去った長い時間が、そこにあった。
自然と俺は、懐かしいあのころのことを思い出し……けれど、それらは懐かしすぎて、おぼろげにしか思い出せなかった。
「相沢もずいぶん変わったぜ」
早くも顔を紅くした北川が、つまみの干物を噛りながらにやにやしていた。
「そうか?」
「ああ。昔の軟派な面影が嘘みたいだ。さすがに一家の主って感じだな」
「そういうお前はさっぱり変わってないんじゃないのか? なぁ香里」
「確かにね、ぜんぜん変わらないわ、この人」
「永遠の若人と呼んでくれ!」
「呼ばん呼ばん」
北川と香里は、つい一昨年の春、結婚式を挙げていた。名雪を除いた全員が寝耳に水だったが、本人達および名雪のいわく、高校卒業の直前からつきあっていたというから驚く。今のところ、唯一の同級生同士のカップルだ。
「祐一は結婚式来なかったよね。香里、きれいだったよー」
「ちょうど学会が重なっててなぁ」
結婚式当日、香里の隠れファン五、六人と一発づつ殴りあったらしい。まったく惜しいものを見逃したものだ。
「まあ、あの時の俺の勇姿はさておくとして……相沢、まずは飲め」
「飲んでるぞ」
「アルコールをだ」
「ばれたか?」
俺のぐい飲みに入っているのは、ただの水だった。苦笑しながら飲み干すと、名雪が徳利から冷酒を注いでくれる。
その名雪の前のグラスに入っているのは、ただの苺サイダー。酒なんぞ入れたら一瞬で沈没するに決まっているから、誰も注いだりはしない。
「あ、そうそう」
互いの近況など語り合っていたさなか、唐突に名雪が、ぽん、と胸の前で手を叩いた。
「お土産があるんだよ」
「土産? どこか旅行してきたのか?」
何杯目かわからない水割りを一息で空にして、北川が興味深げに身を乗り出してきた。顔には出るが、実はザルらしい。
その隣の香里はといえば、顔にも出ない真性のザルだが。ずいぶんのんびりと飲んでいる俺のほうが先にできあがりそうだ。
「んー……お土産、とは違ったかな。ちょっと食べてほしいものがあるんだよ」
言いながら、ごそごそと大き目のバッグの中をかきまわして、
「これ、だよ」
どん。
テーブルの上に置かれたのは、
「……げふっ」
「……うっ」
香里の顔が一瞬で青白くなる。俺の顔もそうなっているに違いなかった。
見間違えるはずもない。オレンジ色の、アレだった。
「なんだこれ?」
この四人の中では唯一、「洗礼」を受けていない北川が、言うが早いか蓋を空けて中を覗き込んだ。
「……ジャム、かな?」
「あ、あ、あのね、潤」
「名雪……これ、どうしたんだ」
答えを聞くのが恐い質問を発してみる俺。
「私が作ったんだよ」
マジか……?
「お母さんの部屋ね、ずっとそのままにしておいたけど……去年の冬、片づけてたら、レシピが出てきたんだよ」
……いや、だからって、「それ」を作るか……?
「不思議な味だな」
「って北川っ! 何食ってんだっ!」
「ちょっと潤っ!」
いきなり大声を上げた俺達に周囲の目が一斉に集まる。が、そんなことはどうでもいい。
「だ、大丈夫なの……?」
「何が?」
怯えたように顔をのぞきこむ香里と対照的に、北川はきょとんとした顔だった。
「あれ」を食べた者に特有の、あの表情はかけらも見えない。
……ひょっとして、見た目は同じだが別のジャムなのか。きっとそうだ。そうに違いない。
「祐一と香里も、食べてみて」
そう言いながら、自分自身もつまみのビスケットにそれを乗せて、口に入れる名雪。
「あー、それいいな。俺にもビスケットくれ」
なにやら、おかわりまでしている北川。
「……」
「……」
一秒ほど顔を見合わせて。
俺と香里は、その辺にあったスプーンを手に取り、それを少しだけすくいとる。
そして、一瞬躊躇してから、同時に口に入れた。
「……」
「……これは」
あのジャムだった。
間違いない。
「どうかな?」
名雪が、笑って俺達を見つめている。
「……悪くないわ」
香里がつぶやく。俺も同意見だった。
相変わらずの、正体不明の味。
色といい、舌触りといい、あのジャムと同じ物であるのは確かだったが。
なぜだろう。このジャムを、美味しいと感じるなんて。
「きっと、嗜好が変わったんだよ」
こっちの心を見透かしたように、名雪が言った。
……三人全員が?
「大人になったからだよ」
そう言って笑う名雪の顔が、さっきとは違って見えた。
「大人に、ねぇ……」
そうかもしれなかった。
それからは、四人でひたすらに高校時代を語り合った。
俺がこの町に来た日。いくつかの出逢い、そして別れ。
いつしか口にすることを避けていた、栞や、秋子さんのことを。
さっきまでぼやけていた、あのころの出来事が、なぜか鮮明に思い出せた。
◆
香里のひとまずの締めが終わり、十年目の宴は比較的平穏に幕を閉じた。竹刀を振りまわして暴れたバカが一人いたが。
「おーし、二次会組、れっつごー」
騒ぎたりない連中が、飲み屋街のほうへぞろぞろと動いていく。
帰り組の俺達四人は、彼らに背を向け、住宅街のほうへ歩き出した。
「……あっという間よねぇ」
誰に言うともない香里の言葉は、宴のことなのか、十年間のことなのか、判然としなかった。
「あー、夜風が効くぜー」
真っ赤にゆであがっている北川が深呼吸をした。もうすっかり夏だが、適度に乾いた空気はむしろ涼しさを感じさせる。
「これで軽く覚まして、寝入りにもう一杯……」
「馬鹿言ってるんじゃないの。明日が死ねるわよ」
今は内地に住んでいる二人は、明日の朝飛行機で帰るらしい。今晩は名雪の家に泊まっていくとのことだった。
「みんな歓迎するよ~」
嬉しそうに名雪が言う。みんな、というのは、名雪が飼っている猫たちのことだ。あれからアレルギーを治した名雪は、五匹の小さな家族と共に、あの大きな家に今も住んでいる。
「今、何匹いるんですって?」
「九匹」
もとい、倍増していた。またどこかで拾ってきたらしい。そのうち、猫屋敷とかなんとか言われるようになるんじゃなかろうか。
「んじゃ、この辺で」
駅へと向かう道の入り口で、俺は立ち止まり、名雪たちに向き直った。
「おう。元気でな」
「あんまり奥さん待たせちゃだめよ」
手を振る北川と香里に、俺も軽く手を上げて応えた。
と、名雪と目が合う。
「ねえ祐一」
「ん?」
なんとなく、照れた。
「思い出は、大事だよ」
「ん、え?
ああ……そう、だな」
それが言葉どおりの意味なのか、あるいは違ったのか。俺にはよくわからなかった。
「それじゃ、またね」
「……ああ。またな」
また、か。
長い間、使わなかった、使えなかった言葉。
再開の約束。それが今、自然に口から出てきた。
名雪と顔を見合わせて、二人で小さく笑う。名雪も同じ思いだったらしい。
そうして、俺達は互いに背を向けた。
……。
数歩、足を踏み出して。
「おーい、名雪」
俺は、一度だけ後ろを振り返った。
「なに?」
名雪たち三人も、足を止め、振り返る。
「あのジャムの材料って、なんだ?」
「……企業秘密、だよ」
予想通りの答えだった。
アスファルトを鳴らしてタクシーが一台、ゆっくりと駅に向かって歩く俺を追い抜いていく。
人もまばらな駅前通り。商店街のにぎやかな気配が、この十年で育ったビルの向こうから、かすかに伝わってくる。
十年。長い時間だ。
人の面影は、残るけれど。
この町で過ごした一年あまりの時間。
卒業し、住む町を変えてからのたくさんの出来事。
みんな、思い出の彼方に過ぎ去っていた。
……「思い出」?
心の中でつぶやいたその言葉に、違和感があった。
思い出。
この町の、思い出……。
いつしか雪が降っていた。
真っ白な雪。
音も無く、積もる。
地面を白く覆い隠し。視界を白く覆い隠し。
白い、雪のベールの向こう。
雪を頭に乗せて、少女が立っていた。
「遅刻、ですよ」
ストールをなびかせて、踊るように振り返り。
「遅刻、か?」
「そうですよ。大遅刻です」
にっこりと、笑う。
「そうだな……」
確かに、遅すぎたかもしれない。
「何かを探していたんですか?」
「そうかな……見つけようとしていたわけじゃない」
何かを望んでいたわけじゃない。
「逃げていたんですね?」
「……ああ」
たくさんのことから、俺は逃げていた。
「逃げて、逃げて……いつのまにか十年だ」
考えないようにするほどに、時間の経つのは速かった。
「逃げることと戦うことは紙一重だって、知ってました?」
「……そうなのか?」
「裏表、と言ってもいい」
ちゃきり、と剣が鳴った。
「何が正しい選択だったかなんて、誰にもわからない」
揺れるポニーテールと共に、切っ先が上がり、冷たい刃が俺の胸に押し当てられる。
「私は、祐一を殺しておくべきだったのかもしれない。自分と一緒に」
「ああ……だけど、俺は逃げてしまった」
自嘲に震えた背中に、何かがそっと触れる。
「私も。祐一さんを傷つけてでも、何かをするべきだったのかもしれません」
柔らかい手のぬくもりが、背後から、言葉と共に伝わってくる。
「たとえ祐一さんが……いえ、三人ともが死ぬとしても。無理矢理にでも引き止めるべきだったのかもしれませんね」
「そうだな。それこそ、俺一人が死ねば一番よかったのかもしれない」
空を仰ぐ。
果てしなく高い空から、限りなく舞い落ちる、白い粒たち。
凍りそうな睫に解けて、視界が歪む。
「その答えを、探していたの?」
視線を降ろすと、赤いカチューシャが見えた。
その後ろで悲しげに揺れる、作り物の翼。
「あるはずのない答えを、か?」
あるかもしれないものを探しつづけること。
あるはずのないものを探しつづけること。
どれほどの違いがあるというのだろう。
「違いは、あるよ」
その違いは、俺にはわからない。
「それを思い出に出来るかどうか、だよ」
「思い出に……?」
ぽふん。
小さな身体が、俺の胸に飛び込んできた。
「過去は、思い出にしてあげないと、足枷にしかならないから」
背中に、腕が回る。
強く、俺を抱きしめる。
「後悔は、光を見失わせるだけだから……」
「……光?」
「希望、という名の光ですよ」
背後から、声がした。
「たぶん、人にとって最も大切なものの一つです」
「……名雪には、見えていたんですね」
「ええ。だからあの子は立ち上がれました」
大切な人を失って。支えてくれる人もいなくて。
それでも、名雪は立ち上がった。立って、足を前に進めた。
「そして祐一さん。あなたも」
「俺は……」
俺はそれを見失ってしまった。
過去に、心を封じ込めてしまった。
「祐一さん。奇跡は、起こるべくして起こるんですよ」
見なくてもわかる。優しく微笑んで、手を頬に当てて。
「でもそれは、希望の輝きに照らされて、初めて奇跡になるんです」
「……その光は、どこにあるんですか」
「それは、あなたのすぐそばに。そして、大切なことはたった一つですよ」
肩に、そっと手が添えられる。
「あなたは、今、幸せですか?」
とん。
靴が、アスファルトの歩道を響かせた。
人もまばらな駅前通り。商店街のにぎやかな気配が、ビルの向こうからかすかに伝わってくる。
雪なんて、どこにもなかった。
あたりまえだ。今は初夏だ。
仰いだ空は雲一つなく、しかし星は町の灯かりに押されて、ぼんやりと縮こまっていた。
「……夢?」
普通に考えれば、そうだ。
だけど、そうではないような気もした。
どれくらいの間、そこで佇んでいただろう。
俺は小さく息を吐くと、再び駅に向かって歩き出した。
ちょうど、快速に間に合った。
◆
「帰ったぞー、っと」
玄関に座って靴紐を解いていると、かちゃりと居間の扉が開いて美汐が出てきた。
「お帰りなさい」
「ただいま。とりあえずお茶漬け」
「少し静かにしてください。真琴がさっき寝付いたばかりです」
「わかった。わかったからお茶漬け」
「……はい」
ふう、とため息交じりに微笑んで、居間へと戻っていく。俺も後について、扉をくぐった。
「どうでした?」
「ああ……楽しかったな。懐かしい顔ぶれに会ってきたよ」
行く前にはどうも気が進まず、半ば美汐に突っつかれて出席したというのに。
「会えなかった誰かに、会えましたか?」
「……そうだな」
茶漬けを掻き込んでいた箸を止めて、美汐の顔を見る。
会いたかった、じゃなくてか。
「どうしました?」
「なんか、全部わかってるみたいな顔をしている」
「私は、あなたのことは全部わかっています」
柔らかく、笑う。
「そうか」
そうだな。
大切なものは、本当はすぐそばにある。
と、ソファーの上で丸くなっていたぴろが、うなぁ、と鳴いた。同時に、背後で襖の動く音。
「……ぱぁぱー」
「ありゃ……起こしたか」
お気に入りのタヌキのぬいぐるみを引きずって、真琴が目をこすっていた。
「おかえり、なさぁい」
「ああ、ただいま」
「おやすみ、なさぁい」
「ああ、おやすみ」
ぺたぺたと子供部屋に戻って行く。襖も閉めずに布団に潜り込むと、ぴくりともしなくなった。
「あなたが帰るのを待ってたんですよ」
美汐が静かに立って襖を閉める。二人で顔を見合わせると、自然に笑いが浮かんだ。
「……人はみんな、誰かを待って生きています」
静かな口調。優しい微笑を浮かべて。
「だから、人はみんな、誰かの道標なんですよ」
「そうだな」
前にも一度、同じことを言われた気がする。
今なら、その意味を理解できた。
『はい、きたが……じゃない、水瀬です』
「ん、香里か。名雪は?」
シャワーを浴びて一息ついた俺は、名雪の家に電話をかけていた。
『あら、どうしたのこんな時間に。名雪なら寝たわよ。私達ももう寝るけど』
「いや、ちょっと……な」
言葉を濁す。自分でも何を言うつもりなのかはわかっていなかった。
しばらくの沈黙のあと、香里が口を開いた。
『……懐かしい誰かにでも会ったの?』
「…………わかる、か?」
『ええ。同じく、ね』
何とはなしに、そんな気はしていたのだ。あるいは確信だったかもしれない。
「やっぱりアレか?」
『やっぱりアレね』
「なんなんだろうなぁ、アレは」
『さあ……』
またしばらく沈黙。その後、同時に小さく笑った。
「おやすみ。またいつか」
『ええ、おやすみなさい』
ちん、と受話器を置く。
「さて……寝るか」
居間の電気を消して、ふと、カーテンの隙間から夜空を見上げた。
半年もすれば、またこの空を雪が覆い隠す。
その時は、また思い出と巡り合えるだろう。
忘れていた、今という時間の中で。