問題児? 失礼な、俺は常識人だ。   作:怜哉

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世界を海で満たすのです!

 

 

 

 

 

 

 

 草木も眠る丑三つ時。

 そもそも眠る草木すら存在しない荒野にて、藤丸立香はとある城塞を見つめていた。

 

 この荒野において異様を極める、月夜に照らされた白亜の城。今から、藤丸たちが攻め込む敵地だ。

 

「.......ふぅ」

 

 一つ、息を吐く。

 ここから先は、一体いくつの命が落ちるのか分からない。今までも死地は経験してきたが、今回の侵攻はその中でも一番の大規模戦争だ。

 

「そう、これは戦争なんだ...」

「先輩、大丈夫ですか...?」

 

 不安げな様子で、彼の盾であるマシュ・キリエライトが声をかける。

 大丈夫だよ、と返答しつつ、藤丸は再度城を見た。

 

「全然大丈夫って感じじゃないよ、マスターさん」

 

 不安の消えない藤丸の顔を見て、一人の少女が声をかけた。

 薄いピンク色の、布面積の少ない服。サラサラな銀の髪が荒野を駆ける風に揺られ、背中には羽のような四枚の羽衣がたなびき、さらにその手には星型のステッキが。

 少女の名は、イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。小学五年生の、現役魔法少女である。

 

「あぁ...まぁ、うん。ちょっとね。緊張はしてるかな」

『まぁ仕方ないってもんですよねー。なんといっても、今から始まるのは戦争ですから』

「ちょ、ルビー!」

 

 ステッキがしゃべった。

 

「と、とにかく! 頑張りましょうね、マスターさん!」

 

 グッ、とガッツポーズを取ってみせるイリヤ。

 なんとも可愛らしい小学生幼女だが、先日西の村に放たれた獅子王の宝具、聖槍による裁きの光を相殺した張本人でもある。

 令呪のバックアップがあったとはいえ、かの聖槍とやりあえるのだからその実力は本物だ。

 まぁ、限界を超えた宝具使用の反動で丸二日寝込んだのだが、それはそれ。世界最強の小学五年生ということで一つ。

 

 

 

 カルデアは今から、獅子王の領地に夜襲をかける。

 ギフトを受けた太陽の騎士が相手では昼も夜もあまり関係ないが、その太陽の騎士は初代ハサン・サッバーハが相手取ってくれるという。ならば、少しでも相手の隙をつけるよう、夜襲という奇襲作戦を取ることにした。

 

 そして、奇襲とは何も、夜襲だけではない。

 

 

「それにしても、キングハサンはまだかな...」

 

 いつでも攻め込める体制を整えているカルデア陣営が未だじっとしているのは、初代ハサン・サッバーハが来るのを待っていたからだ。

 彼がいなければ、門番であるガウェインを突破することができない。いや、不可能ではないのだろうが、限りなく困難だろう。

 しかし、早くしなければ、自分たちの存在が敵にバレてしまうかもしれない。そんな焦りが藤丸の中に生まれる。

 

 その時だった。

 

『──神託は下った。黒衣の羽は聖都を覆い、我が剣は汝の力となる』

 

「! キングハサン...!」

 

 どこからともなく下る声。

 姿は見えず、しかしその存在だけは溢れんばかりに感じ取れる。

 思わず声を上げた藤丸は、グッと拳を握った。

 

 ──時は来た。

 

「いくよ、みんな。円卓を...獅子王を、倒す!」

 

 

 * * * * *

 

 

 聖都内を警報が駆け巡ってからすぐ。

 そもそも睡眠を必要としないサーヴァントである獅子王の騎士は、即座に自らの配置についていた。

 

「状況は!」

 

 門前に着いたガウェインが声を張る。

 慌てふためく騎士の一人が、ガウェインの声で多少冷静さを取り戻し、敬礼して答えた。

 

「ガウェイン卿! それが、その、う、海が!」

「海? 海がどうしたというのです」

 

 いまいち容量を得ない騎士の報告に、ガウェインは問い返した。

 海などと言われても、ここはブリテン島ではない。周囲に海などあるわけもなく、騎士の報告は世迷いごとにしか聞こえなかった。

 

 そんなガウェインの認識は、数秒後には簡単に覆る。

 

 

 

 

 報告だけでは埒が明かないと、ガウェインは物見に登った。

 荒野を一望できる高台からは、本来なら死に絶えた大地が見渡せるはずだった。

 しかし、

 

「な、!? これは...!?」

 

 見開かれたガウェインの瞳に映るのは、ひび割れた荒野などではなく────太陽に照らされて真っ青に輝く、南国の大海原が広がっていた。

 

 これにはさすがのガウェインも動揺を隠せない。

 見渡し、目を擦り、また見渡す。状況は何も変わらない。夢でも見ているのかと錯覚するほどの超現実がそこにはあった。

 大海原に果ては見えず、惑星の形を表すように緩やかな弧を描いた水平線が揺らめいている。

 水位は非常に高く、城壁の僅か一メートル下。聖都の城壁がただの石造りであれば、水圧にやられて、聖都は今頃海に沈んでいただろう。

 

「これほどまでの水をそう簡単に準備できるはずが...まさか、我々全員を幻術に...? 宮廷魔術師殿クラスであればそれもまた可能だろうが...」

 

 生前では、腐るほど海を見てきた。

 だがそれは、決して良い思い出ではない。円卓の騎士にとって海とは、蛮族が攻めてくる(みち)でしかないのだ。

 それに現在、聖都には海戦の軍備はない。そもそも近隣に海の存在しない特異点。海戦に備えるなど、無駄極まる行為だ。

 

 幻術であれ本物であれ、獅子王陣営にとってこれは完全に奇を衒われた侵攻だ。門はガウェインが守るとしても、この水位では城壁を越えることなど容易い。ガウェイン一人では限界がある。

 

「...南にモードレッドの遊撃部隊を向かわせます。私の部隊は北へ向かいなさい。ああ、そこの貴方はアグラヴェインへの伝達を頼みたい。現状を、ありのまま報告してください。彼なら最善の指示を出すでしょう」

「はっ! し、しかしそれでは、門の守りがガウェイン卿だけに...」

(ここ)は私一人で十分です。早く行きなさい」

「は、はっ!」

 

 慌ただしく、騎士たちが群れを成して移動する。

 混乱の中にあるとはいえ、さすがは騎士。訓練された動きで、彼らは彼らの役目を果たす為に動き出した。

 

 正門の上で一人となったガウェインは、一つ息を吐く。

 ガウェインが睨む先の水平線には、未だ豆粒ほどの大きさにしか認識できない異教徒達の姿が見えた。

 ガラティーンの柄に手をかけ、敵を迎え撃つ準備をするガウェイン。

 そんなガウェインの横から、突如として声がかかる。

 

「ふぅん。これ、本物の海なんだな。どうなってんだ?」

 

 右手の指先でチョンチョンと海面を叩く少年──燈也は、ガウェインに一切気取られることなく、まるで最初からいたかのようにその場に現れた。

 

「...なかなか心臓に悪い登場の仕方ですね、燈也」

 

 表情や声音にはその焦りを一切出さずに、ガウェインは横目で燈也を見る。

 しゃがんでいた燈也が立ち上がり、ガウェインに答えることなく、先程までガウェインが見ていた方角を見据えた。

 ガウェインにはほとんど見えなかったが、燈也がその気になれば視力程度いくらでも底上げできる。

 

 そこには、とある海軍隊がいた。

 大型の船が六隻と、中小型の船が数十隻。大型の船には、それぞれ隊長格と思わしき人物が船首付近の甲板に立っている。

 さらに空には、翼の生えた獅子のような生物──スフィンクスが十数体飛んでいる。

 戦力だけで言えば一国をも相手にできるであろうものだが、相手が獅子王の円卓となれば少し話は違ってくる。良くて五分、といったところか。

 

「ん...? おい、ランスのやつ裏切ってんぞ」

「.....そう、ですか」

「なんだ、あんまし驚かねぇんだな」

「彼は、そういう男ですから」

「ふぅん」

 

 言いつつ、燈也は観察を辞めない。

 カルデア、という存在の話は聞いていた。人理を取り戻す為に奮闘する最後の希望。生きとし生けるものの救世主となり得る存在。獅子王とは違い、魔術王に戦いを挑む者。

 獅子王から得た断片的な情報ではあるが、それが燈也の知るカルデアの姿だ。

 

 もし燈也がこの特異点に来た時、モードレッドに会っていなければ。

 もし燈也が獅子王と袂を分かち、聖都を出て行っていたならば。

 そんな“もし”が一つでもあれば、燈也はカルデアの味方をしていただろう。しかしそんなもの、今となっては関係のないこと。今の燈也は、カルデアの味方ではない。

 

「勝てるのか?」

「勝ちます。それが、獅子王の騎士としての使命ですから」

 

 海軍隊は、今この瞬間も進軍してきている。

 何かしら魔力的なバックアップを受けているのか、その進軍速度は普通の船の何倍もある。その時速は100キロに迫っているだろう。

 すでに、ガウェインの目にもその姿はしっかりと捉えられており──それは同時に、ガラティーンの届く範囲(レンジ)であるということを意味していた。

 

「聖剣を使用する。下がっていなさい、燈也」

 

 擬似太陽の収められた柄を強く握り、鞘からその刀身を抜いた。

 白の刀身が揺らぎ、内包する灼熱が溢れ出る。ガウェインの前では、海が少しずつ蒸発していっていた。それほどまでのエネルギーが込められた剣を、ガウェインは腰付近で低く構える。

 

「叛逆者よ、我が聖剣の炎に焼かれよ」

 

 

「──出撃は(あた)わず」

「ッ、!?」

 

 その声にいち早く反応したのは、ガウェインではなく、燈也だった。

 弛緩させていた全身の筋肉に指令を飛ばし、いつでも動けるようにして臨戦態勢を取る。

 

 油断はしていなかった。

 構えこそとっていなかったものの、周囲への気は回していたはずだった。それこそ、虫一匹にだって反応できるほどに。

 

 それにも関わらず、突如現れた声は、燈也の目の前から聞こえてきた。

 

「太陽の騎士、ガウェイン。晩鐘は、汝の名を指し示した」

 

 声はする。確かにそこに存在する。

 しかし、誰もいない(・ ・ ・ ・ ・)。燈也にも、そしてガウェインにも、声の主の姿を捉えることができない。

 

「幽谷の淵より、生者を連れに参上した。粛正を驕る騎士よ、さて──首を出せ」

「ッ──!!」

 

 謎の圧力がガウェインを襲う。

 襲う悪寒を振り払うかのように、ガウェインは必死で剣を薙いだ。

 

 ガキィン! という金属音。剣と剣がせめぎ合う甲高い音が響く。

 

「なん...!」

 

 威力に負け、ガウェインの体が後ろに飛ばされた。

 ありえないことだ、とガウェインは内心叫び散らす。日中において、自分はほぼ無敵だ。燈也というイレギュラーも存在するが、この理はそう簡単に覆されるものではなかったはずである。

 それがどうだ。姿形すら見えぬ何者かに、自分は押し負けた。ありえない、ありえてはいけない。天に日輪が輝く限り、自分は不敗でなければなぬというのに。

 

「ガウェイン、右だ!」

「っ!」

 

 耽っていた思考に、燈也の刺すような声が届く。

 慌てて右に剣を振ると、再度火花が散り、そして飛ばされた。

 

「く、っ!」

 

 即座に構え直してみるも、敵の姿は見えない。

 そういった宝具なのかと考えてみるも、答えなど出なかった。ただ神経を研ぎ澄まし、風の変化で敵の位置を知ろうと試みる。

 

「おい、ガウェイン。カルデアのやつら、北の方から聖都に侵入したぞ」

「なに!? 叛逆者め...!」

 

 悔しそうに顔を歪めるガウェインを見て、燈也は動いた。

 無造作に、右手を上げて、下ろす。それは流れるように自然で、見るものにはなんの違和感も感じさせない、そんな動きだった。

 

 甲高い金属音が鳴り響く。

 

「ちっ」

「無意味。汝の技は我に通じず。そしてまた、我が剣は汝に向けられず」

「あ? 意味分かんねぇよ。俺とは戦わねぇってことか?」

「是。我が剣は天命を誤つ者にのみ向けられる。汝は天命そのもの。故に、汝の名を、晩鐘は指し示さず」

 

 舌打ちする燈也と、声のみを認識させる敵。

 何が起こったのか分からないガウェインは、ただ困惑した。

 そして問う。お前は何者だ、と。問わずにはいられなかった。

 

「我が名は無名。故に、名乗るべきものは一つ」

 

 空間が蠢いた。

 まるで空間そのものが萎縮しているかのように、何も無かったはずのその場所が、揺らぎ、ざわめく。

 

「山の翁、ハサン・サッバーハ。ハサンの中のハサンなり」

 

 死を告げる髑髏の仮面を携えた剣士が、そこにいた。

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 カルデア陣営は、ノリにノっていた。

 

「ホップ・ステップ・グレイトオーシャン! エンジョイえぇーんどぉ〜? エキサイティーングッ!」

「ついに最後まで言い切ったでごさるよあの聖女ww」

 

 イルカの軍勢が、無数の砲撃が、正確な矢が、数々の暗殺術が、空間を切り裂く剣筋が、よく分からない仏的拳法が、斬撃に特化した魔力砲が、城壁を守護する騎士たちを屠っていく。

 遊撃騎士モードレッドは逆方向、トリスタンとアグラヴェインの姿は見えず、ガウェインはキングハサンが抑えていた。今、カルデアを止められる者などいない。

 

「兵たちを倒したらどんどん防壁の内側にハシゴを降ろすんだ! 聖都の中に海はないぞ!」

 

 よく分からないままに何千という数の兵を束ねる総大将へとなってしまった人類最後のマスター、藤丸。

 及ばずながらも、持ち前の広い視野で指示を飛ばす。元一般人でありながら、今の彼には戦場が見えていた。

 

「防壁、六割突破! ハシゴも降ろし、聖都内への侵入に成功しました!」

 

 山の民である一人の兵士から、そんな報告が上がる。

 それを聞き、藤丸は一つ頷いた。

 

「ハシゴは死守! スフィンクスを防衛と運搬の二部隊に分ける! ハシゴで降りきれない人はスフィンクスの背に乗れ!」

「はっ!」

「ジャンヌと黒ひげは待機、海軍隊の指揮は任せた! ランスロットの隊は自由に動いてくれて構わない! それ以外の部隊は全員聖都へ入るんだ!」

 

 言って、藤丸自身も、マシュやほかのサーヴァントたちと共にスフィンクスの背に乗って聖都内部へ侵入する。

 藤丸と同じスフィンクスに、マシュ、ベディヴィエール、静謐のハサン。

 そのほかのスフィンクスに、アーラシュ、呪腕・百貌のハサン。イリヤは自力で飛翔している。

 

 俵藤太と玄奘三蔵は、歩兵と共にハシゴを伝い聖都に侵入していた。獅子王との決戦には少しでもサーヴァントの力が欲しいところだが、歩兵にも将は必要だ。

 大軍を率いた全面戦争の将という面で言えば、武将である俵藤太のほかに適任はいない。三蔵はついで。自称・藤太の師匠のため、彼に同行している。

 

 空を駆ける藤丸達は、歩兵とは比べ物にならない速度で聖都の玉座を目指す。

 このまま一気に獅子王の元へ飛んでいけないか? そんな思考が藤丸の中に生まれるが、そう簡単には進まない。

 

「───絶叫を奏でよ、『痛哭の幻奏(フェイルノート)』」

「っ! マスター!!」

 

 咄嗟にマシュが盾を構え、その盾を無色無形の刃が叩く。

 藤丸の首を狙ったそれらはマシュの盾に防がれるも、足場(スフィンクス)を狙った斬撃は防ぎきれず。絶命したスフィンクスは、力を失い落下する。

 アーラシュたちの乗っていたスフィンクスもやられたらしく、藤丸たちと同じように宙に投げ出されていた。

 

「立香様の着地は私が任されます」

 

 率先して藤丸を抱き抱えた静謐のハサンは、今は亡きスフィンクスの体などを利用して落下速度を緩め、軽やかに着地する。

 

「っ、ありがとう静謐! みんな、無事!?」

 

 常人からは考えられない切り替えの早さで、藤丸は次の思考を走らせていた。

 相手はトリスタン。獅子王の円卓において最も残虐で、ある種ガウェインよりも手強い男。

 大英雄アーラシュとも打ち合える腕を持つ彼を相手にどう立ち回るか。否、いかに手早く勝負を着けるか。落下した味方の配置、敵の位置、その他の戦況。その全てを考慮して、打つべき最善策を模索する。

 

 敵に援軍が来る前に討たなければ、敗ける。

 少なくない焦燥が藤丸を襲う中、動いたのはハサン達だった。

 

「ここは我らにお任せを。やつは──あの憎き赤毛の騎士だけは、我らが狩る」

 

 呪腕のハサンが、その髑髏の奥に明確な憎悪の澱みを浮かばせる。彼ら山の民にとって、トリスタンは獅子王以上の怨敵だ。彼らは初めから、トリスタンの首を狙っていた。

 

「ハサン殿たちだけでは厳しいだろう。俺も残るぜ。奴には借りもあるしな」

「否、それには及ばぬよ、アーラシュ殿」

 

 ゆっくりと右腕の封を取りつつ、呪腕はアーラシュの申し出を断った。

 

「アーラシュ殿は藤丸殿の護衛を頼みます。獅子王めの首へ、その一矢を」

「.....あい分かった。無茶はするなよ」

「ふはっ、それは無理な相談ですな。決死の覚悟でなければやつは殺せぬ。だが...無駄死にはせぬぞ」

 

 解き放たれた禍々しい呪腕・シャイターンの右腕が、その姿を太陽の下に現す。

 殺意と怒気。負の感情に満ち溢れたハサンを前にして、トリスタンは眉一つ動かさなかった。

 

「私は悲しい。貴方達だけでは私に敵わない。せめて、そこの大英雄たる弓兵を」

 

 トリスタンが言い終える前に、彼の側頭部を複数の小刀が襲う。

 そんな奇襲も幸を成さず、トリスタンの弦斬によりその全てを斬り落とされた。

 

『黙れ、外道が』

 

 怒りに満ちた声が響く。

 それは一つや二つではない。数十もの声が重複し、大気を静かに震わせる。

 

『疾く行け、馬鹿ども。貴様らの目指すところは、こんな雑魚の首ではないだろう』

 

 多くの声が聞こえるが、その姿は影すら見当たらない。

 気配を消し、暗殺者らしく、正々堂々死角を突くつもりなのだろう。

 藤丸は拳を握った。強く、強く。己の力不足を悔い、怒り、それでもなお前を向く。

 

「.......任せた!」

 

 駆け出す藤丸には、強い意志があった。

 何があろうと人理を取り戻すんだという、強い意志が。

 だから、彼は駆ける。ここでハサンたちを置いていくことで、ハサンたちに待っている未来を明確に想像しながら、彼は駆ける。

 悔恨がある、憤怒がある。だが彼は止まらない。止まれない。

 彼の肩に伸し掛る『人理』というモノは、それほどまでに大きいモノだ。

 

 断腸の決断をした藤丸の背に、トリスタンの冷えきった声が注がれる。

 

「悲しい。私は悲しい。簡単にここを抜けられるとでも? この私が、そう易々と貴方たちを見逃すとでも? その楽観的で頓馬的な考えを持っていることが、悲しい」

「させぬ!」

 

 妖弦を弾こうとするトリスタンに、魔物の腕が飛来する。

 さすがのトリスタンといえども、アレをまともに受ければ無事では済まない。仕方なく回避し、追撃に対処していると、すでに藤丸たちの背中は見えなくなっていた。

 

「クク、悠長に語っていた手前、藤丸殿らを逃がした気分はどうだ? トリスタン。さて、頓馬であったのはどちらかな?」

「...貴方たちを殺し、すぐに追えば良いことです。英霊であればまだしも、かのマスターは生身の人間。私が追いつけぬ道理はない」

「それは叶わぬ。貴様は藤丸殿たちを追えぬよ。なぜなら貴様は、他ならぬ我らの手によって、今日この場でその首を落とすのだから!」

 

 妄想心音、再来。

 呪腕を名乗るハサンが習得した奥義は、邪道の技だ。自らの力量を大きく超えた、神秘より掠め取った盗品。本物と反響し合う擬似心臓を造りだし、刈り取る。

 獅子王の恩恵を受けているトリスタンにとって、これは魔力で対処可能なものなのかもしれない。しかし、それは絶対ではないし、トリスタン自身、己の魔力で対処しきれるかどうかの判断はできていなかった。万が一、ということもある。

 加えて、トリスタンの感覚は呪腕の右腕に警鐘を鳴らしていた。呪腕の右腕に纏わりついた『死の概念』、それに似た何か。言いようのない脅威を、トリスタンは呪腕の右腕に感じていたのだ。

 

『あまり呪腕ばかりに構うなよ。私たちを忘れてくれるな?』

 

 短刀が、弓が、剛腕が。

 様々な攻撃が、四方からトリスタンを狙う。

 

 しかし、獅子王の騎士であるトリスタンは、その程度では慌てない。

 妖弦を鳴らし、音の刃でその全てをたたっ斬る。

 保有スキル『専科百般』の効果で、影達が振るう武器も武術も、全てがBランク以上にまで引き伸ばされていた。にも関わらず、トリスタンは眉ひとつ動かさず、それらを迎撃する。いや、彼に“迎撃している”という自覚があるのかすら怪しい。羽虫を払うことと、さして変わらないのかもしれない。

 だが、それで十分。ハサンたちの狙いは、そこにはない。

 トリスタンは逸話において、その身を幾度となく毒に侵されている。故に、彼には“毒”という明確な弱点があるはず。

 疑いもせず、その逸話に活路を見出したハサンたちは、愚直に時間を稼いだ。

 誰にも気付かれずに気配を消し姿を眩ませた静謐のハサンが、その身から毒を振り撒き、風に乗せてトリスタンの身を蝕む。

 

 今はまだ効果が出ていないようだが、いずれ。

 そんなハサンたちの希望が潰えるのに、さして時間はかからなかった。

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 黒髭ことエドワード・ティーチは、違和感を感じていた。

 

「.......なんだァ?」

 

 今は周りに誰もいないからか、普段よりも随分と引き締まった物言いだった。

 そんな彼が睨むように見つめるのは、海だ。

 海賊として一世代の頂点に登り詰めた黒髭は、そこらの海軍や漁師なんかよりも海について詳しいという自負がある。そんな彼をもってして、今の海の様子は違和感を感じさせる。

 

「(...これが宝具による海洋だからか? いや、さっきまではこんな感覚はなかった。突然現れた、この嫌な感じは一体.....)」

 

 低級霊である船員を使い、砲弾を白亜の城壁に叩き込みつつ、黒髭は思考に耽る。

 そして気付いた。違和感の正体は、海流であると。

 当たり前だが、ジャンヌによって呼び出されたこの海に海流はない。この海は単なる塩水の巨大水溜まりでしかないからだ。動物や船の動きで多少は揺れ動くとも、海流と呼べるものは発生しない。

 にも関わらず、今この海には、その海流が僅かながらに発生していたのだ。

 

「(水着ジャンヌ殿より上位の海洋支配。ジャンヌ殿の宝具が、その半分ほどの効力を丸々奪われたのだとしたら?)」

 

 黒髭に焦りが生まれる。

 海は彼のフィールドだが、それはあくまで海上での話。海そのものをどうにかされてしまっては、黒髭一人の力ではどうしようもない。

 黒髭の行動は早かった。

 

「ジャンヌ殿ー! 水着の性女殿ー!」

「今、何か字がおかしくなかったです?」

「気のせいでござるよぉ」

 

 デュフフ、と笑い、黒髭はおどける。

 これが彼の偽の姿──とも言いきれない、伝説の海賊が内包するキモオタの人格である。もはや二重人格レベル、とはアン・ボニーの談。キモいから死ねばいいのに、というのも彼女の談であり、相方であるメアリー・リードの談だ。

 

「そんなことより性女殿」

「やっぱりおかしいですよね? おかしいですよね? やっておしまいなさい、リース」

「キュァア!!」

「あっ、やめて飛んでこないで!! ちょっとマジでお前バーサーカーなんじゃねぇの!!?? マスターには変なビーム飛ばすしよォ!」

「残念ですが、貴方を弟にするつもりは毛頭ありません。生前からやり直してしてください」

 

 藤丸(ストッパー)がいない現状でふざけ続ける二人だったが、やがて黒髭が少し真面目な空気を纏うと、ジャンヌも大人しくリースたちを引かせた。

 それに一先ず安心した黒髭は、ジャンヌに質問する。

 

「ジャンヌ殿が喚び出したこの海。もしかしたらどこぞの誰かに利用され...いや、下手すりゃ海そのものを奪われる、可能性ってのはあるんでござろうか」

「? それは一体」

 

 どういう意味ですか?

 そう言い切る前に、異変は目に見えて生じ始めた。

 

「これは...波?」

 

 ジャンヌや黒髭の乗る船が、一度大きく、縦に揺れた。

 クジラでも召喚したのかとジャンヌを見る黒髭だったが、当の聖女は心当たりがないと首を振る。

 次いで、先程よりも大きな揺れが来た。とても大きな波が、まるで意志を持ったかのようにうねりを上げる。

 

「こいつぁ一体...」

 

 不気味なものを感じた黒髭が呟く。

 それとほぼ同時、ジャンヌの感知に何かが引っかかる。

 

「っ! 気を付けて、何か...きます!!」

 

 ジャンヌの警告からほとんど間を置かず、海面が弾けた。

 大きな水柱が上がり、弾けた海水が霧のように辺りを包む。

 

「チィ!」

「皆さん! 無事ですか!」

 

 黒髭の舌打ちと、ジャンヌのよく通る声が霧の中に響く。

 叫び声がする部隊は大丈夫だ。被害もあるだろうが、全滅はしていない。問題は声が途切れた部隊だ──と、そこでジャンヌは目を見開く。黒髭も同様だ。

 彼らの目先。霧の中に浮かぶのは、一つの影だった。

 普通の影ではない。未だかつて見た事がないような、巨大なシルエット。アン女王の復讐号(クイーンアンズリベンジ)の五倍、いやそれ以上はあるかという巨躯だ。そんな、規格を無視した影が、そこにいた。

 

 しかし、彼らが真に驚いたのは、その影の巨大さ故ではない。

 それも十分に驚愕に値するものだったが、それを上回る出来事が起こったのだ。

 

 

 響く晩鐘と、舞う告死の羽。生をもぎ取る無謬の信仰。

 恐怖の塊であるが故に神々しささえ感じさせる“ソレ”は、巨躯の怪物を一撃の元に絶命させた。

 

 

『──生あらば、そこに死あり。死をもって汝らの救いとせん』

 

 圧倒的な『死』。肌を刺すような重圧。

 それらを感じさせる髑髏の仮面が、霧の中にはっきりと写し出されていた。

 

 

 

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