おおおおおおおおおんんん──────.............
風の狭間から、獣の遠吠えが流れ込む。
「狼...《貪る群狼》とかいう権能か」
とうとう降り出した雨は燈也の肌へ触れる前に蒸発し、空に刻まれる炎の轍は雨が地上に落ちることを阻んだ。
地上から見上げる空は、まさに天変地異のそれである。もうすぐ日付も変わろうというのに、空には日輪が如き輝きと、季節外れにも程がある大嵐が鬩ぎ合っているのだ。
ある者は神に祈り、ある者はネットでの情報共有に精を出し、またある者はその神秘をただただ見つめた。
恐怖と畏敬をその一身に受けながら、凡俗の思想など想像もしていない魔王達は、互いに威圧で牽制する。
燈也の瞳が巨躯の狼を捉えた。
全長は凡そ三十メートルといったところか。相手との距離はもう数キロもない。灰色の毛を逆立たせ、狼王は太陽を迎え撃たんと立ち上がる。
「ははっ、いいゼぇ! そのまま轢き焼きにしてやるよッ!!」
日輪の戦車をさらに加速させ、燈也は狼王へと全力で応える。
一方、馬車に乗り込んでいるリリアナはと言えば──案外快適な車内から外の風景を眺めていた。
「(.....私、本当に必要ないんじゃないだろうか)」
せめて人間が相手であればと。ヴォバンに自分以外の騎士でもいれば活躍の場もあったろうにと。外の超常現象に目をやりながらふと思う。
防音防振など生温い。外部で鳴り響く轟音はカットされ、例え戦車が一回転しようとも車内は僅かにしか揺れない。加えて暑すぎず寒すぎない絶妙な気温調整。ふかふかのソファにオプションで飲食物まで揃うという快適っぷり。
縦横無尽に空を翔ける戦車のくせに揺れなどはほとんど感じらず、そればかりか車内は高級ホテルばりの設備とは、一体全体どういう原理なのか。リリアナの権能への謎がまた数段深まった瞬間だった。
「.....ココア、おいしいな」
彼女の呟きが虚しく溶ける。
「GRAAAAAaAAaaaaaAAAAa!!!!!!!」
狼の群れが戦車に群がる。
一匹一匹が馬並の体躯を誇り、大騎士程度であれば互角に殺り合えるほどのスペックを持っている。
小さな国であれば落とせそうなほどの軍勢が、日輪の前には塵も同然だった。
「オラァ!!!」
巧みに手網を操る燈也は、狼の群れを戦車の炎で焼き尽くす。
灰すら残さぬ日輪の炎が嵐で弱まる気配はない。むしろ、風に煽られてその規模を徐々に徐々に拡大させていっていた。
戦車と狼王が接敵する。
この一撃で決まることはないだろうが、無傷では終わらない。そう思っていた燈也だったが──その考えは覆される。
「なっ──!?」
戦車がヴォバンによって横殴りにされる。そこまではいい。予想の範疇だ。
しかし、そこからがいけない。
戦車に触れるということは太陽の炎に焼かれるということなのだが、どういう訳か、戦車に触れたはずのヴォバンの腕は無傷だった。火傷どころか煤すら付いた様子もない。
「(超回復の権能でも持ってんのか!?)」
蘇生紛いの回復力を有する権能の効果であれば、それはまだ説明が付く。
確認のためにも、そして何より隙を与えぬためにも、攻撃の手を緩める訳にはいかない。
再度、燈也は手網を振るう。
『無駄だッ!』
カッ! とヴォバンの一喝により、戦車の炎が掻き消えた。
炎が無くなってしまえば、それはただの空飛ぶ戦車だ。それはそれで十分有用性のある物だが、戦闘には向かない。炎のヴェールを失った戦車はヴォバンの獣の凶爪に襲われるが、そう易々と粉砕されるほどやわな戦車ではないらしい。引き裂かれることはなく、しかし耐えきることもなく。戦車は強く薙ぎ払われた。
「──っ、チッ!」
どうにか墜落は間逃れた燈也だったが、さすがにこれには焦りが覗く。
「獣のくせに炎が怖かねぇのか、よ!!」
手綱を振るい、燈也は戦車を走らせた。
魔力を帯びた権能の炎は効かない。それは分かった。が、まだ確認していないことが一つある。
再び炎を灯した戦車は、ヴォバンの周囲を縦横無尽に駆け巡る。
こと速度において、燈也の戦車はヴォバンを上回っていた。しつこく飛び回る蠅の如く、付かず離れずを保つ。
『ちょこまかと...!』
苛立ちを募らせるヴォバンに、燈也は一瞬だけ隙を見せた。ヴォバンから見て東、風上にあたる位置での出来事だ。
あとになって、これが失敗だったとヴォバンは思う。冷静な彼であれば、燈也が意図して見せた隙だと理解し、隙なんて無くとも圧倒的な物量と破壊で押し切る強者たる姿を君臨させたことだろう。
普段通りであれば乗らない状況であるにも関わらず、ヴォバンの体躯を砕いた先制の一撃と、積もり積もった苛立ちが甘い餌を逃させはしなかった。
ヴォバンの爪が戦車を捉え、炎が掻き消える。
引き裂かれこそしないものの、相手は全長三十メートルを越す怪獣だ。戦車は力負けし、深夜の工場へと叩き付けられる。
さらに追い討ちをかけるヴォバン。瓦礫に埋もれた戦車を引きずり出すために、一歩前へ出た。
それこそが燈也の狙いである。
「走れ!!」
バシンッ、と馬の体を打つ手綱の音が響いた。
応えるように馬は猛り、戦車に再び炎が灯る。
そして、それがトリガーだった。
全力を出した戦車はジェット機もかくやという速度で大空へと飛翔した。...否、空へと
『しぶと────』
後の言葉は、突如として現れた爆発音に阻まれる。
暗闇を斬り裂く照破が昇り、鉄をも薙ぎ倒す爆風がヴォバンの身を襲う。
ヴォバンの姿も、その声も。爆煙の中に消え去った。まともに喰らえば、凡そ生物の生き残れる衝撃ではない。まるで大型の火山が噴火したのかと間違うほど、そのエネルギーは莫大だった。
燈也は、この工業地帯を知っていた。
来たことはないが、対ヴォバンの戦場になるやもしれぬと地図の上で確認していたのだ。
そして燈也がわざと薙ぎ飛ばされ、破壊した施設あったのは、大量の水素だ。その他にも色々なガスが、この工業地帯には存在している。
「
どこかで読んだことのある一文を、燈也は脳内から引っ張り出した。
太陽の権能が効かないのならば、権能が生み出す副次的な災害をぶつければいいじゃない。
魔術ばかりが頼みの綱ではない。使えるものは全て使い、格好はどうあれ勝利だけを渇望する。
燈也の目論見は見事成功した。
水素爆発は確かにヴォバンへダメージを与えたはずだ。
しかし、どうにも燈也は落ち着かない。これで終わりではないと、燈也の勘が告げている。
それを後押しするかのように、車内のリリアナが顔を出して叫んだ。
「まだです!!」
その言葉の数瞬後。
燈也を不可視の弾丸が襲う。
「っ、はッ...!」
肺から空気が強制的にはじき出される。
腹部へ被弾した不可視の弾は、燈也を貫くことはない。打撃としてのダメージを燈也に負わせた。
突然殴られたかのような衝撃に見舞われた燈也は咳き込み、痛む腹部を片手で押さえる。
「ゲホッ...あ゙あ゙〜、畜生」
「佐久本燈也!」
焦った表情でリリアナが燈也の元へ寄った。
咳に血が混じっていることから、内臓がやられたらしい。普通の人間であれば致命傷だが、燈也はカンピオーネだ。その程度の傷なら自己回復で数分のうちに完治する。
「──なるほど、中々やる。敵を倒す為にはあらゆる物を利用する。貴様も王の末席に名を連ねる者ということか」
未だ立ち昇る爆煙の中に、ゆらりと動く影が見えた。
晴れた煙の先にいたのは狼ではない。人の形を成しているヴォバンだ。品の良い老紳士の姿を取るヴォバンは、裾に付着した埃を払う仕草をし、そのエメラルドの瞳を燈也へぶつける。
「ちっ、ゴキブリかよ、あの爺さん...!」
何だか服も黒光りしてるしな、と悪態を吐く燈也。
その表情には、もはや隠しきれない焦りが冷や汗という形で現れていた。どんな権能を使ったのか分からない。回復なのか、防御なのか。
自身の視界すら阻む大爆発を起こしたのは失敗だったかと反省する。そのせいで、ヴォバンの権能を直接見る機会が一つ失われた。
と、そこで。燈也は未来を視る。
先程と同じ不可視の弾丸が、一、二...三発。それぞれ別の方向から襲い来る未来。
それは燈也だけでなく、戦車の車内から出てきたリリアナをも捉える凶弾だ。カンピオーネである燈也は兎も角、生身の人間であるリリアナでは無事では済まない。
不要と判断した戦車を還した。戦車はそこにあるだけで燈也の魔力を喰らう。ヴォバン相手に効果がない以上、出しているのは無駄でしかない。
リリアナを抱えて地上に降りる。それを追尾するかのように飛来した不可視の弾丸は、全て殴って霧散させた。
いくら不可視であるとは言え、風の流れなどからその位置を特定することは可能だった。しかし、ヴォバンという油断ならない大敵と相対している時に、そんなことへ意識を割いている暇はない。出来れば正体を見破り、対処法を確立させたいところだ。
「...リリアナ。今の見えない攻撃、あれなんだか分かるか」
ゆっくりとリリアナを降ろしながら、燈也は周囲への警戒を怠らずにリリアナへ問い掛ける。
複数の狼を召喚し、さらにアンデッドである騎士達も召喚するヴォバンは、その口角を獰猛に吊り上げていた。
そんなヴォバンの騎士として勤めていたリリアナだが、かといってヴォバンのことをよく知っているわけではない。
故に考える。カンピオーネからみたら弱者でしかないリリアナに出来ることは、燈也に唯一勝る知識の貯蓄を使い、考えることだけだ。
生物を塩に変える魔眼、狼を召喚し自身も巨大な狼へと変身する異能、自らの手で殺した者の魂を捕縛し隷属させる力。ヴォバンが頻繁に使う権能のうち、そのどれもが不可視の攻撃とは結びつかない。
で、あるならば。考えられるものは一つだけ。今も空を覆っている、大陸の神の権能だ。
「...恐らくアレは、《疾風怒濤》。風神の力による、空気弾ではないかと思われます。恐らくではありますが、その権能で先の爆発をやり過ごしたのではないでしょうか」
「空気弾...。ってこたぁ、対処法もクソもあったもんじゃないな。風の障壁も厄介だ。あの爆発に耐えられる強度ってんなら、下手すりゃ俺の拳も防ぐぞ」
血の混じった唾を吐いて舌打ちし、燈也は苛立たしげにヴォバンを睨む。ヴォバンは、羽を毟った昆虫を眺める子供の様な、狂喜に溺れた表情で燈也を睨み返す。
リリアナの推測は八割が正解だ。
不可視の弾丸については、リリアナの言う通り。風で作り出した空気の攻撃なのだから、不可視なのは当たり前だ。
そして後者も、だいたいは合っている。少し違うのが、ヴォバンが使った権能は二つあるということ。風での防御は爆発の全てを防ぎ切ることは叶わず、ヴォバンの左上半身は吹き飛び、その他にも多数の傷を負った。それでいて尚彼が健在なのは、イナンナより簒奪した権能の副次効果、竜蛇の《不死性》による超回復があったからだ。
度重なる呪力の大量消費を経て、ヴォバンはここ数十年のうち最も疲労している状態だった。
しかし、そんな様子はおくびにも出さない。余裕を見せる立ち振る舞いは覇者の風格を見せつけ、それは燈也の精神をじわじわと追い詰める。
「話し合いは終わりかね? では行くぞ、小僧。我が狼と死せる従僕。圧倒的数の暴力に、さて、貴様はどう立ち向かう?」
まるで指揮者であるかのように、ヴォバンはその両手を振った。
それに応え、大量の狼と実体を持った亡霊が蠢きだす。その数、総勢で百は優に越えているだろうか。一匹一匹、一人一人がリリアナと互角以上の力を誇る。
加えて、嵐がさらに強くなってきた。日輪の戦車がない今、激しい横殴りの雨が燈也達の肌を打つ。
それぞれを相手にしている余裕はない。
まだ戦いが始まってから一時間と経っていないのだ。ここで体力を無駄にはできない。
ならば、場を整えるしかないだろう。
「...捕まれリリアナ、走るぞ!」
「え?」
了承を得るより前に、燈也はリリアナを肩に担いで駆け出した。
「ここで逃げるか...ふん、随分と興の冷めることをしてくれる」
燈也が向かうのは、ヴォバンとは反対側。敵に背を晒すその姿は、ヴォバンにとって戦いから逃げる弱者に見えた。
故に落胆する。久方ぶりの《敵》に闘志を燃やしていただけに、怒りすら湧いてきた。
「奴を捕らえよ。我が前に引きずり出せ」
指示を出す。
四足で地を駆ける狼が、逃げる燈也を追いかけた。速度で劣る騎士もその後を追う。
いくらカンピオーネであっても、普通なら狼の速度には敵わない。二足歩行と四足歩行なのだから当たり前だ。
神速でも使えれば話は違ったのだろうが、燈也は神速を使えない。狼との距離は徐々の詰まっていく。
「チッ。リリアナ、なんか中距離用の魔術とか使えねぇか! こう、魔弾みたいな!」
「つ、使えますが! 侯爵の狼にはほぼ無意味かと!」
「それでもいい! やってくれ!」
わけも分からずに担がれていたリリアナは、効かないと分かりきった魔術を行使する。
騎士として、リリアナは剣を使った近距離戦闘を得意としていた。故に飛び道具として用いる魔術はあまり得意ではない。弓という手段もあるにはあるが、燈也に抱えられている今の体勢からでは威力も制度も子供並に落ちてしまうだろう。
案の定、リリアナが放った申し訳程度の魔術は数秒の足止めにしかならない。
しかし、燈也にとってはそれだけで十分だった。
数秒あれば狼に追いつかれる前に目的地へと辿り着くことが出来る。
「あれは...海!?」
魔術を行使しつつも、リリアナは気付いた。
海だ。深い闇の中でよくは見えないが、嵐に荒れ狂う海がそこにある。港のような場所だ。
燈也の足は、まっすぐそちらへ向かっていた。
「ま、まさか...!?」
「そのまさかだ! 鼻つまんどけ、水が入るぞ!」
顔を青くするリリアナを抱えながら、燈也は嵐の海に飛び出した。
波の高さは優に二メートルを越えているし、そうでなくても夜の海は危険だ。
正気ではない、とリリアナは覚悟し、目を強く瞑る。まだまだ冷たい海の水が、リリアナの肌を刺した。
海中に潜った燈也とリリアナは、荒波に飲み込まれる。
ろくに一定の位置にも留まれない昏い海に尋常ではない恐怖を抱くリリアナだったが、それもすぐに終わる。
ピタリ、と。荒れ狂っていたはずの海水が静止した。
そして、再びうねりだす。意志を持ったかのように、自然ではまずありえない海流がそこに生まれた。
海流に乗せられ、燈也とリリアナの体が海面に出る。酸素を欲したリリアナの肺が、一気に大量の空気を吸い込んだ。
「ゲホッ、ゲホ...」
少し水を飲んでしまったのか、リリアナが咳き込む。舌に付いた塩分を払う為に、唾液と一緒に外へ吐き出した。
「海水飲んだか。大丈夫か?」
リリアナを抱く燈也が、少し心配そうに問いかける。
「ぇ...あ、ああ。はい、大丈夫です」
「ん、ならいい。濡れて寒いだろうけど、もう少し我慢してくれ。すぐにあの畜生共を片付ける」
そう言った燈也は今、海面に立っていた。
そして告げる。原初の海、混沌の女神から簒奪した権能を行使する、その聖句を。
「《母なる海の潮騒は、絶えず蔓延る生命の産声。満たし、溢れ、騒乱せよ。これなるは原初の狂騒、遥か渾沌の秩序なり》」
──瞬間、海が胎動した。
ポコリ、ポコリ。巨大な泡のようなものか、海底から上がっている。
燈也を中心に浮き出る泡は、ゆっくりと水面を揺らした。波紋は徐々に拡がり、そして蠢く。
ヌルりと、それらは這い出てきた。
形は辛うじて人型と言えるものではあるものの、明らかにヒトではない。ヴォバンの狼とほぼ同等の体格であり、色は最初こそ海と同じであるものの、形を成していくにつれて毒々しい紫の色が塗られていっている。
波紋する海より、そんな何かが次々と這い出てくる。否、それは這い出てきたというよりも、
「...産まれ、て...?」
あまりの光景に、リリアナの声が震える。
召喚とも違う。たった今、新たにその生命は産まれ落ちたのだ。
海を覆い尽くす勢いで、その生命は大量に誕生する。その数は、既にヴォバンの召喚した狼の倍はあるだろうか。
「征け、ラハム!」
燈也が叫ぶ。
それに応えるように、その人型の何か──ラハム達は、一斉に陸地へと駆け出した。
『Grrrrrr.....ROARRRRRRR!!!!!!!』
『GrAaaAaAAaaaAAAa!!!!!!!!!』
ラハムと狼が激突する。
数で勝るラハムが、その数で圧殺するのだろう。パンクしかけた頭でぼんやりとそう思ったリリアナの考えは、少しだけ外れる。
「たかが獣畜生が、俺の《仔》に勝てると思うなよ」
ラハムと呼ばれた生物は、単純に強かった。
ヴォバンの狼三匹がかりで、漸くラハム一体と互角にやりあえる。狼の三倍の強さを持っていながら、その数は狼の二倍だ。現状、狼達に勝つ術はない。
しばらくして死せる従僕の騎士や魔女達も追いつくが、未だ増殖しているラハムの前に次々と駆逐されていった。
圧倒的。その言葉が相応しい光景だ。
「なるほど。使い魔の召喚...いや、それは創っているのか?」
声が響く。知性を含んだ声だ。
燈也の睨む先にヴォバンの姿があった。余裕にも、悠々と歩いての登場だ。ふむ、と顎に手をやって考えている姿は理知的に写るし、何より彼は博識だ。本を読んで仕入れた知識ではなく、自らの経験によって得た膨大な知識。人々はヴォバンを『知的ぶった野蛮人』などと評することが多いが、それでも三百年という時間がヴォバンに与えた知識は計り知れない。
「どこぞの創世神でも殺したか。それにしては、わざわざ
かつてヴォバンが殺めたメソポタミアの豊穣神。金星、愛、戦い、そして美を司ったウルクの地母神イナンナ。別名をイシュタル。
彼女と同じ神話に似た神がいたなと、ヴォバンは至った。イナンナの神格が告げているのか、それともヴォバンの勘か。それは分からないが、ヴォバンの推測は当たっていた。
しかし、相手の神格を看破したところであまり意味はない。護堂の使う『黄金の剣』があれば話は別だが、対カンピオーネ戦において、神格の看破とは勝利とイコールにはならないのだ。
それが分かっていてヴォバンが推察するのは、ただの趣味である。もしくは余裕の現れだ。
そして、推察が終われば次は虐殺である。
「命を持って産まれ落ちたこと、後悔するがいい。嵐の獣よ」
ギラリと翡翠色の瞳が輝く。
するとどうだ。力と数の両方で場を制圧していたラハム達が、一瞬のうちに塩へと成り果てていってしまったではないか。
「ッ! バロールから奪ったとかいう、塩化の権能か...!」
忌々しげに舌打ちする燈也。
一応警戒はしていたが、まさかそのレンジが二百を越えてくるとは思っていなかったのだ。
まだまだラハムは生み出し続けることはできる。新たに産まれたラハムがヴォバンを襲う為に陸へと上がるが、その瞬間に悉くが塩となってしまう。
「ッソが! 無制限かよ...!」
絶えずラハムを生み出しつつも、そのどれもが陸に上がることすら叶わずに塩となる。これでは数を生み出してもキリがない。
ならばやり方を変えよう。燈也は魔力の流れを調整し、産まれるラハムに変化を加える。その分生産性という点は大幅に落ちてしまうが、燈也は目を瞑る。
燈也がひと手間加えたラハムは、先程よりも少しだけ小さくなっていた。全長凡そ百六十センチ。燈也の鎖骨あたりの背丈だ。
そしてその新生ラハム達は、陸へと足を踏み入れた。
「ほう、我が魔眼が効かぬか。...小賢しい、呪力を纏わせているな?」
魔眼は呪力を練るで防ぐことができる。リリアナがそう言っていたことを、燈也は思い出していた。
生み出すラハムの内包する魔力を今までの数倍にまで跳ね上がらせ、塩化の魔眼への対策を取ったのだ。これで、ラハムはヴォバンの元まで辿り着ける。
「ふむ。ならばこれはどうか」
ヴォバンが右腕を天に翳した。それに呼応し、暗雲に変化が訪れる。
広範囲に拡がっていた暗雲が収束し、極大の雷が地上に降り注いだ。
雷をまともに浴びたラハムは当然、周りで余波を浴びたラハムまでもが丸焼きにされる。
「天候操作か。雷まで操れんのかよ!」
嵐を呼ぶとは聞いていたが、まさか雷までをも意のままに呼べるとは聞いていない。
ヴォバンが長い年月を生きてきたのは伊達ではない。多彩という面では護堂が上かもしれないが、その権能の数の多さは目を見張るものがある。
雷が燈也へと降り注いだ。
鉄すら溶かし粉砕する落雷は、しかし燈也に届くことはない。
燈也とリリアナを覆うように厚い海水の膜が、雷を海へと受け流したのだ。上手く誘電し、自分やリリアナが感電しないように注意する。
「やっぱり直接殴るしかないか」
ラハムを生み出すことは止めず、しかし今度は燈也自身も前へ出る。
リリアナは海の上に立てないので抱いたまま、燈也は軽く津波を起こしてヴォバンへの道を造った。
「やはり、貴様のその権能は海に接していないと使えない制約があるな?」
言って、ヴォバンは再び巨大な狼の姿になった。
津波よりも背の高いヴォバンは、流されないように足に力を込める。数メートルほど後ろへ流されたが、その程度だ。獣の筋力は人間の比ではない。
しかし、津波によってヴォバンは狼や騎士の召喚を封じられた。召喚したところで津波に流されるか、もしくはラハムに駆逐されるだけだ。
燈也は津波を受けても無事だった高台にリリアナを降ろす。
何か言いたげなリリアナだったが、口を挟むことは阻まれた。今の燈也の目には、ヴォバンしか写っていない。
リリアナを置いた燈也はヴォバンに迫る。津波の上を駆け、ラハムを伴いヴォバンに肉薄した。
『喝ッ!!』
ヴォバンの威圧で、何体かのラハムが吹き飛ばされた。しかしそれだけ。怯む者などいない。
「その鼻っ面へし折ってやらァ!!!」
気合いと共に、燈也は拳を振るった。
風の障壁が作られるが、易々と砕いてヴォバンの顔面を捉える。
『ぐぅ...! 舐めるな、小僧ォ!!!』
後ろへ傾いたヴォバンだったが、意地で体勢を立て直して凶爪を薙ぐ。
燈也に当たる前に、燈也と凶爪の間に海水の壁が割って入った。爪は海水を抉り取るが、燈也には届かない。
攻撃を防がれたヴォバンに、ラハムからの攻撃が入る。
殴り、蹴り、噛み付いてヴォバンを襲う嵐の獣は、ヴォバンが体を震わせることで払い落とされた。
その間に、燈也がもう一発拳を撃ち込む。その拳は胸を強打し、今度こそヴォバンを後退させるに至った。
追い討ちを掛けようとした燈也だったが、言いようのない危機感に襲われて慌てて飛び退いた。
すると、今の今まで燈也のいた場所に、横に流れる雷が通過する。
「クソが、自然の法則を守れっての!」
『それを捻じ曲げるのが王である』
響くヴォバンの声と共に、またもや横凪の雷が燈也を襲った。
横に流れる雷撃。その正体は、ヴォバンの権能の合わせ技だ。狼となったヴォバンは、その口から雷を吐くことが可能となる。だから横から横へと雷が流れるのだ。
そんな不意に襲ってくる雷速に反応できるはずもなく、燈也にその雷が直撃する。
「ぐ、ぁ...!!」
雷を受けてなお意識を保っているのはさすがカンピオーネと言えるが、決してダメージを負っていないわけではない。全身に火傷を負い、内臓も少し焼けてしまったようだ。放っておけばそのうち治るのかもしれないが、そんな暇をヴォバンが与えるはずもない。
『愉しい戦いであったぞ、小僧。ああ、実にな。感謝しよう、よくぞ我が渇きを潤してくれた。死して我が従僕となり、己が牙を剥いた相手が私であったことを呪い続けよ』
ヴォバンの爪が、手負いで動けない燈也の胸を貫く。
噴き出し舞う鮮血が、闇夜に咲く一輪の華の如く咲き乱れた。
...あれ? リリアナちゃんの活躍は?
《生命なる混沌の海》
メソポタミア神話における原初の海の女神ティアマトより簒奪した第1の権能。
海水を意のままに操り、そして海水から魔獣を生み出す能力。魔獣は魔力の続く限り生み出せるが、単体ではカンピオーネやまつろわぬ神相手では足留めになるかどうかといった程度の戦闘力。群れを成せばもう少しやれる。
人間相手であれば十分すぎる脅威であり、エリカやリリアナなど、大騎士クラスをもってしても苦戦するレベル。人間以上神獣未満の全く新しい生物。
また、“仔ども”の創造も可能。
権能の発動条件は『自身の体の一部が海に接していること』。
《母なる海の潮騒は、絶えず蔓延る生命の産声。満たし、溢れ、騒乱せよ。これなるは原初の狂騒、遥か渾沌の秩序なり》