翌日──バサラは此処を去ると言った。
今後のことを話し合おうと思った矢先のことである。
『やっぱ行くなあ! もうずっとここに居ろ!』
一方で納得できない様子だったのは相棒だった。
一度は話し合い、今後も定期的に会うことで納得したかのように見えたが……エレベーター前で見送ろうとしたその時、相棒は強くバサラを抱きしめては引き留めようとした。
それを受け、バサラもまた相棒を抱擁し深くため息をつく。
「アタシだってずっとここに居たい……でもね、やらなきゃいけないことがあるの。すごく大切な仕事があるの……それが終わらないと、何も始まらないの……」
別れを惜しんでいたのはバサラとて同じであった。本心では彼女もまたここに残りたいのだ。
「でもさ本当に……本当に『もうすぐ』会えるよ。少し形は違っちゃうかもしれないけど、本当にすぐ会えるから。だから安心して、ソワカ」
そんな慰めに相棒が大きく洟をすすると、小さなチャイムと共に背後のエレベータードアが開いた。
同時に、
『こんにちは。何階をご利用ですか?』
解放される箱の中に『エレベーターガール』を見つけ俺は鼻を鳴らした。なんとも珍しい光景だ。
彼女とは時折りエレベーター利用時に遭遇する。
見たところフレンズのようではあるが、それがどの種類の動物であるか、あるいは固有名詞があるのかは知れない。
『エレベーターガール』の呼び名の通り、利用者の希望する階にエレベーターを操作してくれるのだが最初期はなんともミスが多かった。
それでも最近はその知識と精度を上げ、利用者の希望する場所へほぼ間違うことなく運んでくれる。
『お乗りになられますか?』
依然として相棒と抱き合っているバサラを見てはそう声掛けしてくれるエレベーターガールに、彼女ももう少し待って欲しいと答える。
やがては相棒とも離れ、ようやく箱の中に乗り込もうとしたその時であった。
「…………」
バサラは俺達に背を向けたまま暫し立ち止まった。
小さくうつむき何か考えているようではあったが、やがて何か決心したのか小さく頷いては再び振り返る。
「ケビン、聞いて」
そして俺に対しイタズラっぽい視線を結ぶと、
「えっとぉ……『あなた達に子供が生まれてさ、その子が8つになってちょっとしたイタズラで居間の絨毯を燃やしちゃうことがあっても、あまり叱らないで』──じゃあね!」
「ッ? あ、おい──……!」
どこか芝居がかった様子でそんなことを俺に告げると、最後に大輪の笑顔を見せバサラはエレベーターに飛び込んだ。
「いってきまーすッ!」
そしてついにドアは閉じ──俺達は本当の別れを果たしたのであった。
『……………』
バサラが去ってもなお、俺達はしばしそこを立ち去れずにいた。
相棒は時折りエレベーターを呼び出しては、すでにエレベーターガールすら居なくなった空の箱を何度も確認してはため息を重ねた。
一日にも満たなかった間の出来事であったはずなのに、俺達の胸に去来した喪失感はそれは大きいものとなった。
しかしその一方で俺は別れ際のバサラの台詞を思い出していた。
あの台詞は、とある映画のネタバレとなるものであった。
そしてその映画の内容を改めて心に思い出した時──俺はバサラの正体をようやくに悟るのであった。
そしてそれを知ることは同時に、大きな希望もまた俺の中に生み出す。
「……なあ、ソワカ」
俺はふと相棒を呼ぶ。
『んー……?』
それに対し依然としてエレベーターに向き合ったままの相棒は、僅かに尻尾の先を揺らしては気の抜けた返事を返す。
そんな相棒の背に向かい、
「結婚……しないか?」
俺は、そう告げた。
その言葉に今度は相棒の耳先がピクリと跳ね上がる。
「フレンズと人間だ、色々と問題はあるのかもしれない。だけど……だけど俺達、思ってる以上に幸せになれるような気がするんだ」
『…………』
「もちろんそうなれるように俺も精いっぱいの努力をするよ。だから……だからこれからも、ずっと一緒にいて欲しい」
語り掛ける相棒の背中は完全に止まっていた。尻尾はおろか耳に至るまで何の反応もない。
しかし次の瞬間、突如として尻尾の先の毛並みが総毛立った。
まるで春草の綿毛のよう膨らんだかと思うと、それは尻尾を駆け上がり尻へ移り、やがては背を駆け抜けては最後に頭から突き抜けて髪型を爆発させた。
やがて舞い上がっていた髪が再びうなじを覆い、元に戻ったかと思われた次の瞬間──やおら振り返るや、相棒は俺の腹に顔を埋めるように抱きついた。
そして、
『ふおぉぉぉおおおおおおぉぉぉ────ッ!』
依然として鼻先を埋めたまま、相棒は声の限りに咆えた。
呼吸が止まるまで咆えると再び息を吸い込みそしてまた、
『ふおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおぉぉ──────ッッ‼』
相棒は力の限りに咆えるのであった。
最初その奇行の意味を俺は理解できなかった。
しかし暫ししてそれが、強い『喜び』を表現するものであることを察し……俺は相棒がこのプロポーズを受けてくれたことを知った。
相棒に応えるよう抱き返してやると、さらにその咆哮と抱きしめてくる圧は力強さを増す。
それは俺の知らない相棒であった。
これからも俺は色々な相棒の面を知っていくことになるだろう。そしてそれは彼女もまた然りだ。
互いの中に喜びや失望を見つけながら歳を重ねていくことは、けっして楽ではないだろうが楽しそうに思えた。
願わくば、死が二人を分かつまで共にいられるようにと見えない何かに俺は祈る。
この上なく幸せな瞬間を今、俺は相棒と共にしていた。
【 終 】
エレベーターに乗り込み、完全にドアが閉じて視界が閉ざされるや……バサラは両手で顔を覆い嗚咽を漏らした。
ふたりに泣く姿だけは見せまいと、この瞬間まで必死に堪えてきたのだ。
『あ、あのぉ……』
そんな姿を見かねて、エレベーターガールがおずおずと声を掛ける。
『昨日もご利用してくださった方ですよね? もしかして私、間違った階に停めちゃいましたか?』
そんなエレベーターガールからの声にバサラは一息洟をすすると、大きく息をついて気持ちを切り替える。
「──ううん、そんなこと無いよ。合ってた。……ただ、ちょっと『時間』が違ってたみたい」
そう答えては苦笑い気にもう一度鼻を鳴らした。
「でも、ありがとう。本当に……本当に、素敵な時間を過ごさせてもらっちゃった」
続けてそう笑っては礼を述べるバサラに、エレベーターガールにも安堵の笑顔が咲く。
やがて静かな重力を二人の肩にかけてエレベーターは止まる。
ドアが開き、箱の中から見通す先は──午前中だというのに暗く淀んだ空気をそこに満たしていた。
しかしながらそんな不穏な中においても、まるで玄関に飛び降りる感覚で身軽に降り立つバサラ。
そんなバサラの背に向かい、
『あの……帰りもまた、お迎えに上がりましょうか?』
エレベーターガールはそう声掛けをする。
それを受け、足を止めたバサラは依然として背を向けたまま小さく小首をかしげて考えてみせる。
しかし、
「あー……うん、大丈夫。帰りはいいや」
振り返ると、バサラは再度微笑む。
「たぶんもう、エレベーター使うことも無いだろうし。きっとここが……アタシの終着点だろうから」
『分かりました。それじゃお気をつけて』
「ありがとう。あなたも元気でね」
別れの挨拶を果たし、スライドしたドアが閉じてエレベーターからの照明が完全に消え失せると──場にはバサラと静寂だけが残された。
バサラもまた小さく鼻を鳴らせて気持ちを切り替えると、身を翻し降り立った階の回廊を進んでいく。
胸元までの高さの立ち上がり壁と、そこから望める鈍色の淀んだ空の風景──察するにここは居住階の通路と思われた。
その中を突き進みながら、バサラはふと取り出したスマホに電源を灯す。
手早くアルバムのアプリを立ち上げると指先を繰(く)り、求める画像を表示させようとする。
人差し指をタクトのように降り続けること数回、やがては望みの一枚を表示させて手を止めた。
そこにあったものは昨晩ケビンとソワカとで撮った三人の写真であった。
向かってケビンが左、ソワカが右に位置しており、その中央にバサラを挟み込むような構図となっている。
「ふふ……♪」
昨晩、食後に撮ろうとバサラが提案したものであった。
左右の二人が身を寄せ合い、中央のバサラを抱き込むその構図はまるで家族写真のような趣きすらある。
しばしそれを眺めた後、バサラはもう一度画面をスライドさせる。
続いて表示された画像も似たような構図であった。
同じくに男女3人による画像であるが、左に禿頭の中年男性が一人、右にはオオカワウソのフレンズが一人、そしてその中央には年端も行かない少女が映っている。
それら二枚の写真をバサラは幾度となく往復させては見比べた。
「ふふ……ふふふふ。本当、変わらないなあ」
呟き、しばしその動きを続けていたバサラではあったが、やがてはスマホの電源を切ると、それをカーゴパンツの尻ポケットへとねじ込む。
同時に歩みを止め、俯き加減であった視線を上げる。
右手側に居住用のドアが等間隔に並べられた廻廊のその一角──とあるドアの前に、それは居た。
前屈みに背を丸めた小柄の人影……近づくほどに鮮明となるその姿は、頭にガスマスクを装着し、そして単独したエレベーターのコントロールパネルとを背負いこんだ『異形』の姿であった。
「ごめんね……今日まで待たせちゃって」
まるで遅刻を詫びるかのよう緩やかに語り掛けるバサラではあるがしかし、同時に肩に背負っていた大バールもまた抜き取っていた。
そんな前方のバサラを確認し微動だにしない異形にもまた変化が生じる。左手に携えていた杖とも槍ともつかぬ先細りの鉄塊に、焼けるような光が灯る。
夜光虫が飛び交うかの如き淡い光の粉をまき散らすそれがどれだけ恐ろしい武器かをバサラは知っている。そしてそれが残酷なものであればあるほどに、目の前の異形と対峙するバサラの眼には止めどもない涙があふれてくるのだった。
「今、終わりにしてあげるからね」
一際強く瞼を閉じて涙を払うとバサラは今、地を蹴り異形へと駆け出す。
ここにひとつの物語が終焉した。
【 完 】