数日前 某繁華街
「……」
平日の昼間でも開いている雑貨店やドラッグショップを目当てに足を運んだ人々の間を、血の様に赤い髪の少女が通り抜けていく。
赤い髪を右目を覆うように伸ばしたその少女は、IS学園に侵入した少女【八坂焔】、服装はIS学園の制服ではなく私服。
男性用の学生服のようにも見える黒のパンクロックワンピースに同色のロングスカート、ブーツ。
スカートには背旗のような一対のリングが付いており、たまにぶつかり合うのか小さな金属音が響いている。
「……暇だな。ライブも丁度休みか、タイミングの悪い」
近所のライブハウスの開催予定を見ていた携帯をしまった八坂が呟く。
IS学園での【仕事】を終えた八坂だったが、【自由奔放な雇い主】からしばらくの間待機という指示が下りている。
そのため、暇を持て余した彼女は繁華街をぶらついていたのだ。
あまりの暇さに欠伸が出た瞬間、彼女の耳に声が響いた。
「あ、ふうせんー!」
年端もいかぬ幼い幼女の声。
眠そうにその声の元に視線を動かすと、黄色い風船がゆっくりと空に上っていくのが見えた。
どこかの携帯会社が道端で配っているようなちゃちな風船だが、幼い子供には十分楽しい玩具なのだろう。
幼女は自身の手を離れてしまった風船を見て、涙を零して泣き始めた。
「……チッ」
舌打ちと共に地面を蹴り上げる。
跳躍した先は、そこから5mは離れたラーメンチェーン店が入っているビル横のパイプ。
パイプを蹴り上げさらに加速して跳躍し、約10m程の高さまで上っていた風船の紐を掴む。
当然、跳躍の後には落下があるが、八坂は着地と同時に全身の脱力、そのまま回転を行うことで衝撃を逃がしてすぐに立ち上がる。
高所からの落下に加え、衝撃分散のために回転を行ったのに、器用にも風船を割らないように着地していた。
「ほら、次は離すんじゃないぞ?」
「……」
スカートに付いた汚れを払いながら、ぽかんとしている少女に歩み寄って告げる。
幼女は小さく頷いた後、紐をしっかりと握り込んだ後一気にはしゃぐ様に声を上げた。
「お姉ちゃんっ、かっこいいっ!!」
「そうか。ほら、もう行った方がいい」
「うんっ!」
ぽんぽんと軽く頭を撫でてやると少女は、手を振りながら歩き出す。
彼女が見えなくなるまで八坂も立ち止まっていたが、幼女が見えなくなるとため息を零して走り出す。
(何をやっているんだ、
ただの気まぐれだった。
あんな子供など無視すればよかったのだが、気が付いたら動いていた。
まさか10m程の高さに昇ってしまった風船に追いついて回収できるとは思ってもないだろう。
人通りもある昼間の繁華街で行ってしまったため通行人達は八坂の行動に驚愕し、中には携帯で彼女を撮影しようとカメラを向けている人間もちらほら見られた。
IS学園で仕事をした後であるため、自身の注目度はすでにゼロではない。
草薙家や、更識家は日ノ本の暗部、すでに自身の情報は共有されているはず。
先程の行動はSNSでも共有されても不思議ではなく、必ず向こう側の目にも入る。
(……まぁ、不都合だけじゃないか)
軽率な行動だったが思考を切り替える。
必ず向こう側の目にも入るという事は、逆に言えば【草薙剣】の注意を自分に向けられる、という事だ。
それは八坂にとっては悪い事ではない。
瞬間、ドクンッ、と己の心臓が疼くのを感じる。
血流に乗って全身に瞬く間に広がっていくのは、己が生まれ持った【
――ヤツの顔を爪で裂きたい。
――心の臓を貫き鼓動が止まるのを感じたい。
――骨という骨を磨り潰したい。
――ヤツの血を全身に浴びたい。
――ヤツの全てを否定したい。
「まだだ、まだ抑えろ……クククッ」
右の掌に鋭利な爪が深々と突き刺さる痛みで、己の【衝動】を押さえ込む。
衝動を解放するタイミングはきっと来る。
だから今は疼く身体を押さえ、八坂は人込みの中に消えていくのだった。
時間は戻り。
草薙家と更識家にまつわる因縁について、剣と楯無が説明を受けてから、2時間後。
ショッピングモール【クスクシエ】内 年間水着ショップ【ハカランダ】
「成程、今年の夏はこんな水着が流行なのね……剣、はい、これ」
返事を待たずに水色を基調としたアロハ柄のトランクスタイプの水着を私服の剣に押し当てて持たせると、彼女はまるでデッサンを取る様に手を組む。
服の上からは分かりづらいが、草薙家当主であり幼い頃から日々壮絶なトレーニングを欠かさない剣の身体は、楯無からみても非常に逞しいものだ。
ボディービルダーのような魅せる筋肉とは違い、腹筋などははっきりと割れているが筋肉の隆起自体はさほどでもない。
しかし天鳥船を筆頭にした草薙の体術と剣術を扱うために効率的に鍛え上げた代物であった。
元々十分整った顔つきであるため、トランクスタイプの水着も十分に似合うだろうと判断できる。
後はパーカーなどを着れば10代後半の男子学生としては合格点であろう。
しかし、どういうわけかかなり疲れたような表情で目も虚ろだ。
彼からトランクスタイプの水着を受け取ってハンガーにかけ直すと、楯無が不思議に首を傾げた。
「どうしたのよ、剣。次はこのラッシュガードタイプとか、アナタに似合いそうだと思うんだけど?」
「……いや、滅茶苦茶張り切ってくれてるのは嬉しいんだけどさ、さっきからもう何十着と試してるから、疲れた」
「疲れたってアナタねぇ……臨海学校で着るのはアナタなのよ? ヒメちゃん用の水着は彼女が選んだんだから、次はアナタの番よ」
ため息を零してそういう楯無に辟易しながら剣は彼女を手で制する。
「なら、今持ってるラッシュガードでいいよ。たっちゃんが似合うって言ってくれるなら、そうなんだろ」
「……めんどくさがってるわよね?」
「ないです」
剣はそう言って彼女の手からラッシュガードタイプの水着を抜き取ると、そのまま会計に向かう。
その姿を見て楯無は再びため息を零す。
幼い頃から、めんどくさがるとああやって返事が適当になる。
最もそれを見せるのは親しい人間に限るのも分かっているため、悪い気はしないのだが。
「お客様、彼氏さんの方は会計をお済になられたようですね」
会計を済ませた彼が店外に出て行くのを確認した楯無だったが、エスニック風の民族衣装を身につけた店員に呼び止められて振り返る。
「っ、別に、彼氏ではないですが……えぇ、会計は済ませたようですね」
「そのようですねぇ。お客様、もしよろしければ今夏の新作水着のほう、いかがでしょうか。お連れの彼に注目いただけるかもしれませんよ?」
こんな店員のセールス文句などいつもの彼女なら適当にあしらって店外に出たはずだった。
しかし、今の彼女は、所謂【浮かれた】状態であった。
「……どんな水着がありますか?」
少しだけ考えた彼女は、更識家の当主でもあるがやはり十代の女の子でもあるのだった。
「遅いな」
ハカランダ店外の休憩スペース、そのベンチに腰掛けながら剣が呟く。
(だねぇ、もう30分くらい経ったよね)
「そうだな」
ヒメの少し暇そうな声色の言葉に相槌を打ってから携帯で時刻を確認すると、己が水着を購入してからすでに35分経っている。
ハカランダの壁はガラス張りであるため、彼女の特徴的な水色の髪の毛がたまに店外からも見えており水着を選んでいるのは分かる。
だが、流石に30分以上もこうしているのは暇であった。
暇つぶしでショッピングモール内にあるゲームセンターにでも足を運ぼうかと考えていた剣であったが、そんな時であった。
手に持っていた携帯のバイブレーションが鳴った。
「ん?」
どうやら着信が着ているらしく、画面には【更識簪】と表示されている。
(簪から?)
(かんちゃん? どうしたんだろ……ってもうこんな時間じゃん、多分タッグマッチ終わったんだよ!)
ヒメの言葉に頭からすっぽりと抜け落ちていた学年別タッグトーナメントの事を思いだす。
現在の時刻はすでに夕刻を過ぎるといってもいい頃合。
おそらくヒメの言葉どおりだろうなと、着信ボタンをスライドさせて剣が口を開いた。
「もしもし」
『あっ、剣?』
『つるぎーん!!』
耳に聞こえてくるのは楯無と同じく幼馴染である簪とその侍女である本音の声。
『お姉ちゃんの携帯にかけたんだけど、電源切ってるみたいで繋がらなくて……今どこにいるの?』
「実家から近くのショッピングモール【クスクシエ】だけど。私用のほうは電源切ってるんだな、たっちゃん」
『え、なんでそんなところにいるの……?』
「今日実家でやることを全て済ませたんだけどさ、たっちゃんに連れられて水着を買うためにここに来ている所存です」
何故か最後だけ言葉遣いを変えた彼に、電話越しからクスっと笑う簪の声が聞こえた。
『臨海学校の水着、選んでるんだ』
「あぁ。まぁ、ヒメや俺はもう選んだけど……何故かたっちゃんが自分の分選んでるみたいなんだ。2年生は臨海学校ないよな?」
剣の言葉に電話越しから、あーっと言う事情を把握したような簪の声が聞こえてくる。
『そうだね、2年生に臨海学校はないから……夏に皆でどこかに行くとか、計画してるんじゃないかな?』
「夏かぁ……【仕事】があるから難しいと思うけどな。一夏を巻き込んでなら、行けなくはないだろうけど」
『……そういうことじゃないんだけど』
『にぶちーん』
「どういうことだ?」
『っ、ううん、なんでもない、ほらっ、本音もっ!』
『うっ、うん。なんでもないよー!』
ぼそりと呟いた彼女達の言葉を聞き返すが、なんでもないとの事なのでそうかと納得する。
どういうわけか、2人はほっとしているようだったが。
「そういえばタッグトーナメントの結果はどうだったんだ?」
『うん。えっとね……優勝、できたよ』
『かんちゃんとセッシーが優勝だよーっ!』
少し照れたような声色で彼女の声が聞こえるが、自然と剣は笑みを浮かべていた。
それは彼女の横にいる侍女も同じであろう。
「よかったな、おめでとう」
(かんちゃん、おめでとうー!)
「ヒメも、おめでとうってさ」
『うん。2人ともありがとうっ。私だけじゃなくて……セシリアもいてくれたからだけど、嬉しい……っ』
「学園に戻るのは週末かな、そのときにセシリアにもおめでとうって言っておくよ」
『うんっ……あっ、虚? どうかしたの?』
そう彼女が言った後、少しだけ会話が途切れる。
(虚? どうかしたのか?)
(急ぎだったら、仕事用にかけてくるだろうし、なんだろねー?)
現在、剣が通話に使っている携帯電話は彼の私用のものだ。
胸ポケットの中にもう一つ携帯がしまわれており、これが【草薙剣】として仕事用の携帯電話であり、楯無も同様のものを所持している。
肌身離さず持っているため、緊急事態ならば虚は仕事用に連絡を入れてくるはずだがそれもない。
ということは急ぎの案件ではない、と剣とヒメは判断した。
『もしもし、剣ですか?』
「虚、どうかしたのか?」
『いえ、丁度簪お嬢様と本音とあなたの会話が聞こえてきたので……それで、今、アナタはお嬢様と2人で外出中ですか?』
「あぁ。まぁ、もうちょっとしたら今日は実家に帰ると思うけど……」
『っ、ダメですっ、いいですかっ、こちらからっ、いえ、私の方からかけ直しますので、2人ともそこにいてくださいっ! 草薙家近くのクスクシエですよねっ!?』
「あっ、あぁ、分かった」
急に捲くし立てる虚の圧に剣は思わずそう平返事を返すことしかできなかった。
いつも淑やかに楯無をサポートしている彼女からは到底想像できない剣幕だった。
『それでは私は【準備】の方をっ、すぐに御館様や前元さん達に……っ! あっ、簪お嬢様、失礼しました。お電話お返ししますっ!』
ノイズ交じりに彼女の声が遠くなっていき、電話越しに簪の声が聞こえてくる。
『もしもし、剣? 虚なんだけど、目が本気だったよ』
「結構付き合い長いけど、あんな虚の声聞くのはそうそうないよな。それでなんか父さんたちの名前が聞こえたんだけど、何かしてるのか?」
彼の疑問の言葉に、簪は電話越しでも苦笑しているのが分かるように声をもらしてから続ける。
『多分もう少ししたら分かると思うから、私からはノーコメントで』
『ちなみに私もノーコメントだよ、つるぎーんっ!』
「本音もかよ」
『目が本気と書いてマジだったからねー』
本音の言葉に、剣は苦笑いを浮かべるしかなかった。
妹である彼女がそういうのだから、そうなのだろう。
「とりあえず、一旦切るよ」
『うん。剣、頑張ってね』
『つるぎん、がんばれー!』
「……何を頑張るかよく分からないんだけど、善処はしてみるよ」
首を傾げながらそう告げた剣は、通話を終えて携帯を懐にしまう。
(はぁ、これでもだめかー、こやつはぁ)
己の頭の中に響く、心底呆れた様な声色のヒメの声。
(何がだめなんだ?)
(うぇー、これだもん。いっておくけど剣も一夏の事、馬鹿にできないよ?)
(……本当にどういうことか分からないんだけど)
(はぁ、だーみだこりゃ)
そう言ったヒメが意識の奥に引っ込んでいくのと、己の背後に気配を感じたのはほぼ同時であった。
「剣、おまたせ」
剣が振り返ると、そこには買い物を数個引っさげた楯無がたっていた。
「ん、たっちゃんこそ、あっ、荷物持つよ」
彼女が持っていた買い物袋を受け取る剣だったが、楯無に先程の事を伝えようか迷っていた。
そんな彼の様子をみて不思議に思った彼女は、軽く首を傾げながらたずねる。
「どうかしたの?」
「いや、簪から電話があったんだ」
その言葉で楯無は目を見開いて驚いた後、すぐに己の私用携帯を引っ張りだして確認する。
小さな声で、電源切れてる、とつぶやいた彼女はがっくりと肩を落とす。
「簪とセシリアのタッグが、トーナメント優勝したって」
「っ、さすがね。後で私もお祝いしなきゃ」
すぐにしゃきっと復活した彼女の様子に剣は苦笑するしかなかった。
「さて剣、買うものは買ったし今日はもう帰りましょうか?」
「あー、それなんだけどさ……」
剣が先程の虚とのやり取りを伝えようとしたのと同時であった。
彼の懐の私用携帯のバイブレーションが鳴る。
画面には【布仏虚】と表示されていた。
「ん、虚からだ」
「あら、虚ちゃんから?」
「あぁ。実はさっき簪との通話中に彼女からここで待っててくれって言われててさ」
「何で?」
「分からない。だから聞いてみるよ」
そういって剣が通話ボタンを押して電話に出る。
「もしもし」
『もしもし、剣ですか? 剣ですね?』
「あぁ」
彼の返事に電話越しに安堵の息をついた音が聞こえた。
「たっちゃんの買い物も終わって帰ろうかなって思ってるんだけど、待ってなきゃだめなんだよな?」
『はい。後10分程度でそちらに迎えが行きます。アナタもよく知っている人ですから、待っていてください』
「分かった。たっちゃんにも伝えるから少し待ってくれ」
マイク部分を軽く押さえてから剣は楯無に視線を向ける。
「虚から、迎えが行くから待っていてほしいだって」
「迎え? まぁ、虚ちゃんが言うならいいけども」
不思議そうな表情を浮かべる楯無に、肩をすくめて同じ気持ちだよと伝える剣。
マイク部分を押さえていた指を離して彼が口を開く。
「たっちゃんも了解してくれたよ」
『ありがとうございます、剣。西の方の出口に迎えの車がくる予定なので、そこで待っていてください』
「分かった」
『それでは、失礼します』
そういって通話が切れた。
「西側の出口に迎えをよこしてくれるって」
「そう、それじゃ行きましょうか」
彼女の言葉にうなづいた剣は、彼女とともに指示された場所と足を運ぶ。
ハカランダから指示された西側出口はそう遠くもないため、数分程度で到着する事ができた。
日没も近いため辺りは薄暗くなっているが、ショッピングモール自体の明かりで十分明るかった。
「ねぇ、剣」
「ん?」
携帯で時刻を確認し、そろそろかと考えていた剣は彼女の言葉で視線を向ける。
「アナタの誕生日って今日だっけ?」
「いや、8月18日だけど……たっちゃんも違うよな?」
「えぇ。わざわざ虚ちゃんが言うんだから、何かあったかしらって思ったのよ」
「俺も考えてたけど、何も浮かばないんだ」
剣の返答に同意して頷く楯無だったが、視界の端に黒い影が映ったのでそちらに視線が動く。
剣も彼女につられて視線を動かすと、目の前に黒塗りの高級車が2台停車する。
その内の1台の運転席から、無精髭を残した男性が降りてくる。
身につけているのは黒のスーツであるが、ジャケットもボタンを全開で外している。
降りてきた男性には剣も楯無も見覚えがあった。
「「前本さんっ!?」」
「よう、剣に楯無ちゃん」
そう車から降りてきた男性は、IS学園入学前に【仕事】を共にこなした【更識実務部隊】の前本であったのだ。
彼はタバコを吸っていたのだが、剣と楯無に歩み寄ると同時に火を消して携帯用灰皿に入れて懐にしまう。
「久しぶりだな、剣」
「お久しぶりです、前本さん」
「楯無様……っと、仕事中じゃないんだった。楯無ちゃんも久しぶり」
「えぇ。というか前本さん、本日は非番だったのでは?」
楯無が2台目の車の運転席に座る女性に目を配る。
己の記憶では、彼女も非番であったはずだ。
楯無の言葉で、前本は苦笑しながら口を開いた。
「あぁ、確かに俺は今日非番だった。けど虚ちゃんから滅茶苦茶面白そうな話を聞いたもんで、寝てるわけにもいかなくてな。後輩のアイツにも話したらノリノリでな?」
2台目の運転席に座る女性も、前本が何を言っているのか分かっているのか笑みを浮かべていた。
前本はこほん、と咳払いした後、剣の肩に手を置く。
「さて、剣。さっさと乗ってくれ」
「え、あっ、ちょっ?」
「いいからいいから」
ぐいぐいと背中を押される剣は、半ば強制的に後部座席に押し込められていく。
「あ、楯無ちゃんは後ろの車な?」
「はぁ……?」
その光景に流されるまま、楯無も2台目の後部座席へ入っていく。
剣と楯無が車に乗った事を確認した前元は、運転席へと入り停めていたエンジンを動かす。
「前本さん、一体これはどういうことですか?」
ほぼ強制的に車に乗せられた剣は、発進と共に運転している前本に尋ねる。
「ん、だからさっきも言っただろ。虚ちゃんから話、聞いてないのか?」
「はい」
剣の返答にガクッとわざとらしく肩を落とすが、運転に支障はない。
「まぁ、虚ちゃんもかなり急いでたみたいだしな。俺から説明するわ」
赤信号で停止した前本は、すぐに懐からデバイスを取り出して表示する。
そのデバイスには、とあるホテルの映像が映し出されていた。
「ここの予約をとったからお前ら2人で飯食ってこい、部屋も取ってあるってさ」
「……はぁ?」
デバイスを受け取った剣は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
映し出されているホテルにはミシュランガイドにも載っている店舗がホテル内レストランとして出店している。
当然ホテル自体も以前【仕事】に使ったホテルと同ランクの高級なものであった。
「……何でまた?」
「一種の慰安だとよ。ここ最近バタバタしてたからな」
「……まぁ、それはそうですが」
思い返せば無人機の襲撃から始まり、ラウラの暴走、そして八尺瓊勾玉の末裔である【八坂焔】の出現。
立て続けにIS学園では混乱が起こっており、己と楯無はそれに関わっていもいた。
「だから虚ちゃんが気を利かせてくれたんだよ。それに楯無ちゃんは、【八坂】とか言う女に襲われて死にかけたとか言う話じゃねーか」
信号が青になって、車は先に進んでいく。
「お前にも楯無ちゃんも、今後とも色々とあるだろうがまずは英気を養うのが一番だってこった」
(……だったら伝えてくれえてもよかっただろうに、虚も)
心中でそう思った剣には自然と笑みがこぼれていた。
それをバックミラーで確認した前本は続ける。
「しっかし、そのホテルとレストランの予約を電話一本で取れるってのも流石だよなぁ、草薙家」
「……え?」
「お前の父親、18代目……じゃなかった、峰善さん。わざわざ電話までしてくれたらしいぜ。満席だったらしいけど、一発でポンッ」
「父さんも一枚噛んでるんですか」
「直接見たわけじゃないが、なんでもウッキウキだったらしいぜ?」
ククッと笑う彼に、剣は苦笑するしかない。
今になって先程の電話中に聞こえた意味が分かったのだ、さもありなん。
「あ、当然ドレスコードあるからな? 着替えは後ろに積んであるから、着くまでには着替えてくれや。窓は外から見えないようになってっから気にせずにな」
「分かりました」
「せいぜい、エスコートしてやれや」
横の座席には確かに彼の言ったとおり、一式準備されている。
光沢のあるドレッシーなシャドーストライプのスーツ。
ネクタイの色はシルバーで、しっかりとグレンチェックの織り柄が入っている。
チーフもホワイトチーフが用意されていた。
(おー、バリバリに気合入れてるねぇ、うーちゃん)
彼女が用意してくれた厚意に感謝しつつ、車内で着替えを進めていく。
そして車で移動する事30分。
すっかり辺りは暗くなりおり、周囲の夜の闇を街灯が照らす時刻。
そんな中でも煌びやかに夜の闇を照らすホテルの前に、2台の車が停車した。
後部座席から降りた剣は用意されていたスーツ一式を見に纏っており、普段とは違い髪型をオールバックにしている。
赤いメッシュが入った部分が集まっているためか、より一層炎のようにも見えた。
そして2台目の後部座席から、楯無も降りてくる。
彼女も場所に相応しい赤いロングドレス。袖なしタイプのものを身につけている。
基本的にあまり化粧はしない彼女だが、色味のナチュラルなリップをしているのが一目で分かった。
元々の素材からして美少女といえるのが、今の彼女は美女と断言できるだけの魅力を醸し出している。
当人は少し恥ずかしがっているのか、頬が幾分か紅潮しているようだが。
「たっちゃん、似合ってるよ」
そういって剣は、楯無に右手を差し出す。
少し笑みを浮かべているのは状況を楽しんでいるからだろう。
「……恥ずかしいからさっさと行くわよ」
恥ずかしそうにそう告げた彼女は、彼の右手を取って共に進んでいくのだった。
さてそれから数時間ほどレストランでのコース料理に舌鼓を打った2人だったが、楽しい時間はすぐに過ぎていくもの。
夜も更け食事を終えたその足で、ホテルの一室に移動していた。
部屋の内装は、流石にIS学園の寮部屋よりも上等でありベッドはダブルサイズ。
窓から見える夜景もとても美しいものだった。
だが少し離れたソファに座っている楯無からしてみれば、そんな事を気にする余裕など何もなかった。
(えっ、ちょっと、やだっ、まだ心の準備できてないわよぉっ!?)
外面は平静を装っているが心臓は激しいリズムで脈打ち、手のひらには汗が浮かんでいる。
ホテルの部屋を取ってあるといわれていたので、当然別室とばかり思っていた。
だが、実際は一室しか取っていなかった、男女で一室のみである。
IS学園でも共有の部屋ではあるが、雰囲気が違いすぎる。
彼女も年頃の少女である。つまりは【そういう事】には興味もあったりするが、まさかの不意打ちに動揺しているのだ。
相方の剣は夜景を見た後上着を脱いで、ベッドに座り込んで目を瞑っていた。
特に緊張した様子を見せないのは己と同じく、外面は装っているのか素なのか判断ができない。
(……何でコイツは余裕そうなのよ)
自分は内心余裕を保っていられない状況なのに、剣は平静としているのが少しだけカチンと来る。
だがふぅ、と深呼吸した後ソファから立ち上がる。
彼女の行動に剣は視線を動かした。
「気にしないで」
楯無の言葉に、ん、と手を上げて答えた剣を一瞥した後彼女は洗面台へと向かう。
蛇口をひねった後、正面の鏡に映る自分の姿に目が留まる。
いつもはしないようなメイクをして、ドレスを着ている自分。
己で見ても綺麗になっているのではないかと思う。
彼も、似合っているとは言ってくれた。
――だが、【綺麗】だ、とは言ってくれていない。
(……別に……私と剣はそういう関係じゃないし……)
互いに更識家と草薙家の当主同士。
許嫁の話なども来ているが、すべて断っている。
なぜなら、それは――
(……はぁ、とりあえず、戻りましょうか)
すでに先程の緊張は消えている。
その分、形容しがたい感情が心の中をうずまいているがそれを無理やり押さえつける。
結局使う事がなかった水を止め、剣のいるベッドルームへと戻る。
「おかえり」
目を瞑っていた剣は、彼女の接近する気配で顔を上げる。
彼の横にちょこんと座り込んだ彼女が、口を開く。
「えぇ。それでどうしましょうか、ベッド1つしかないけど?」
「ん、俺がソファで寝るよ。たっちゃんはベッドで寝てくれ」
当たり前のように剣はそう言う。
彼女もこれは予想していた。
同衾など幼い頃に数度したくらいしか記憶にないし、そういう関係でもないのだ。
「……ごめんなさいね」
「いいよ、気にしないで」
そういって剣はベッドから立ち上がる。
時刻を見ると、すでに学生寮の消灯時間を回っていた。
パチンと部屋の電気が落とされ、視界は暗闇が支配する夜の空間へと変わる。
「それじゃ、おやすみ」
「……おやすみなさい」
横になった剣の声に、彼女はそう返す事しかできなかった。
次回予告
「第9話 海、青春、嵐の前」
「ひゃっほーい、海だー!」
(失礼します、山田先生)