「……ここは?」
最初に声を上げたのはセシリアであった。
見渡す限りの草原。陽光は燦々と降り注ぐ、心地の良い風が吹き抜けていく。
ざぁざぁと風によって草花が合唱をしているなかで、鈴が大声を上げた。
「ちょっ、ぎゃーっ!? 何よこれっ!!」
己が着ている服を掴み上げる。
彼女が身に着けている服はISスーツではなく、青のドレスに白いエプロンだ。
まさしく童話【不思議の国のアリス】に出てくるアリスのようであった。
「なっ!?」
「僕たちの服も変わってるっ!」
鈴の声に全員が気づいたのか、この場にいる全員の服が鈴と同じようなドレスに変わっていた。
驚愕に声を出せずにいると、全員の前にウインドウが開かれた。
そこに映るのは、虚と本音、簪であった。
『皆さん、聞こえますか?』
『簪ちゃん、電脳ダイブは? それに織斑君もいないみたいだけど……?』
いち早く状況を飲み込んでいた楯無が簪に尋ねた。
するとウインドウに一夏の姿も映り込む。
『俺はここにいます』
『私と織斑君は、原因不明だけど電脳ダイブから弾かれた。だから虚と本音と一緒にナビゲートに専念するから……お姉ちゃん、状況は?』
『……見ての通り、絵本の世界みたいに見えるわ』
カタカタというタイピング音が聞こえるとともに、簪が小さくうなずいた。
『わかった。現在この電脳世界はハッキングを受けている状況で、皆がその格好になっているのはその世界で【役割】をこなしてもらう必要がある、みたい』
『役ぅっ!?』
全員を代表して鈴が驚愕の声を上げた。
『ここで演劇でもしろってことなの?』
『うーん……もっと詳しく調べてみないとだけど……でもその世界はすごく不安定だから……』
「えーっと、不思議の国のアリスかぁ」
シャルロットがチラリとラウラに視線を移すと、彼女もそれに気づいたのか首を傾げた。
「なんだ?」
「いや、やっぱりアリスってほら、ウサギさんかなーって」
シャルロットの返答に、フッと笑みを漏らしたラウラが続ける。
「白ウサギはどちらかというと軟弱なイメージだな。だが私は誇り高き黒ウサギ――」
ラウラがそこまで言葉を出した瞬間、全員の視界を白い塊が横切った。
全員が視線で追うと、そこには――
「参ったなぁ。いそがないと……」
紳士服を着込んだ白ウサギが懐中時計を気にしながら二足歩行で通り過ぎていた。
「ほっ、本当にウサギがいたぞっ」
『っ、捕まえてっ! 手がかりになるかもしれないからっ!!』
戸惑いの声を上げた箒に簪がすぐに指示を出す。
全員がその指示に従って、白ウサギへ向かって駆け出す。
だが全力で走ろうにも着慣れないドレス姿であるためか、中々距離が縮まらない。
そうこうしている間に、白ウサギはうっそうとした森の中に入って行ってしまった。
『森に入ってっ!』
ウインドウも全員を追うように空間に開いたまま、6人は葉っぱの天井で覆われた道を抜ける。
そこはぽっかりと空の見える区間であった。
「これは……扉?」
目の前に現れた【5つ】のドアを目にしたセシリアが困惑気味に呟いた。
「入れってこと?」
『多分そうだと思う。けどその先はおそらく通信が届かなくなる中枢エリア付近だから……各自の判断でシステムの中枢に……』
簪の言葉に全員が頷いた、その瞬間だった。
――突如として、【黒い靄】が楯無の背後に現れたのだ
音もなく、気配もなく、突如として出現した黒い靄に全員が気づくまでは数秒がかかる。
そんな中、1秒にも満たないわずかな間に気配を察知した楯無は振り返ろうと反応を見せた。
「っ!?」
だがその反応も無駄な抵抗だった。
靄から【黒い機械の爪】が瞬時に伸びてきて、楯無を掴み上げたのだ。
『お前は
聞き覚えてのある女性の声に反応する暇もなく、楯無は黒の靄の中に引っ張り込まれてしまう。
『っ!? お姉ちゃ……っ!?』
引きずり込まれる最後の瞬間に聞こえたのは妹の困惑の声であった。
満月から降り注ぐ静かな月光が、途切れた意識を覚醒させた。
「……ここはっ」
月明かりが照らす縁側に楯無は横になっていたようだ。
電脳ダイブを実行した時刻はまだ昼だったはずだというのに、月は頭上にある。
そして見覚えのある、いや、正確にはとてもよく知った場所であることにはすぐに気づいた。
「……
そう、彼女の実家。
今自分がいるのはその広大な敷地の中にある離れの一つだと、彼女はすぐに理解したのだった。
「今度はドレスじゃなくて、振袖ね……あまり着たことないんだけど、私」
状況を理解すると、周りが見えてくる。
今の彼女は先ほどまでのドレス姿ではなく、黒地に赤を基調とした扇の柄の振袖を身に纏っていた。
そしてISを展開しようにも、いつも所持している【根付が付いた扇子】は懐から消えている。
「……ともかく、これは罠。おそらくここは電脳空間の別エリアってところかしら」
すぐそばに置かれていた草鞋を履いて、縁側から歩みだす。
小さく鈴虫が鳴いているのが聞こえたためか、季節は現実と変わりないようであった。
(私を引きずり込んだ、あの【爪】と声……間違いなければ、あれは八坂の――)
――じゃりっ。
思案しつつ散策を開始した楯無だったが、すぐに土を踏む音が聞こえた為振り返った。
「
「つる……ぎっ?」
そこに立っていたのは、着流しを着た【草薙剣】であった。
同時刻 IS学園 校舎
しん……と静まったIS学園校舎の廊下。
すでに全校生徒は避難し終わったようであり、人の姿はなかった。
だがまっすぐと続く廊下には
音もたてずに前進し情報にある
それは一人の赤毛の少女であった。
ISスーツ姿の彼女は、破壊された防壁の一部で頭でも撃ったのか仰向けに倒れており意識を失っているようであった。
(どうします?)
突如として、空間にノイズが入ったかのように風景がぶれると6人の人間が現れた。
全員が毛むくじゃら、所謂
加えて直接声として発声しているわけでもないのに、全員が先ほどの確認の意について把握していた。
これは全員の体内にある特殊ナノマシンを経由した通信によるものだった。
これによってわざわざ声に出すこともなく、他人と意思疎通が可能になっているのだ。
(意識があるか確認しろ。なければ無視。意識があれば殺せ)
班長らしき人間が指示を飛ばし、部下2名が少女に歩み寄る。
1人が自動小銃を構え、もう1人が少女の顔に手を伸ばし軽く叩く。
だが少女は顔をしかめることも、痛みに反応することもなかった。
(……どうやら完全に気を失っているみたいです)
(そうか)
部下の返答に頷いた班長は、すぐさま光学迷彩を起動を指示する。
その瞬間だった。
意識を失っていたはずの少女の瞳が開かれたかと思うと、その姿が一瞬で【男性】に変わったのだ。
「――えっ」
思わず肉声でそう発言した部下の顎が拳で打ちぬかれた。
部下の男の視界が歪み意識が飛ぶ瞬間、最後に視界に飛び込んだのはもう1人の仲間の腕を掴んで体勢を崩している【男】の姿であった。
「っ、こいつっ!!」
目の前で起こった突然の変化と仲間への奇襲。
すぐさま自動小銃のトリガーを構えようとしたが、腕を万力のような力で締め上げられ射撃体勢を崩されてしまう。
「がぁっ!?」
そして喉元に強烈な衝撃を受け、戦闘服を着ているにも関わらず一瞬で意識を刈り取られてしまった。
喉元への衝撃に使われたのは【短刀】――の鞘。
十分な速度と技術があれば立派な鈍器に変わるそれをもって、2人を1秒と掛らずに無力化した男。
【草薙剣】は無力化した男の身体を持ち上げてその背後に隠れるようにしたまま、残りの4人に向かって駆け出す。
班長以外の3人はすぐに己の自動小銃を【盾にした男】ごと、剣へと向ける。
「っ、撃つなっ!!」
咄嗟の指示、それは人道に則った部下を預かる者の判断としては正しかった。
だが、この場を制するには過ったものであった。
すでに己の射程距離に入った事を認識した剣は、盾にした男をそのまま班長達に押し付けるように放る。
放られた男性の身長は190センチの大柄であり、仲間に押し付けた際にできた死角に剣はもぐり込んでいた。
そのまま死角からまずは1人の両脚を払う。
「こっ!?」
体勢を崩した1人の戦闘服を掴み上げて、そのまま膂力に任せて床へと叩きつける。
衝撃で頭部を打ち肺から空気が抜けたような声を上げて、叩きつけられた男の意識は消し飛んだ。
「ぉのっ!!」
放られた男を受け止めてその場に倒した部下の残りの2名が、自動小銃のトリガーを引く。
瞬間、構えた腕に何かが突き刺さった感覚と、激痛が両名の脳へと届いた。
「っ!?」
両名の右腕上腕部に深々と、短刀が突き刺さっていた。
それを放ったのは当然、剣だ。
トリガーを引かれたままの自動小銃から弾丸が発射されるが、痛みによって照準はあらぬ方向へと向かい照明が破壊された程度の被害しか生み出さなかった。
そして痛みによって硬直したこの隙を逃すほど、剣は甘くなかった。
先程仲間を組み倒した際の動きと同じく、まるで獣のような速さで跳躍して両名の頭を鷲掴みにした。
そしてそのまま加速と共に床へと叩きつける。
鈍い音と呼気が漏れたような悲鳴にならない声と共に2名の部下の意識が刈り取られる。
最後に残った班長へとゆっくりと、視線を向けた。
「……動きをっ、止めたなっ!?」
一瞬で部隊が自分以外全滅したことに困惑するよりも、剣を排除することを選択できたのは班長がそれだけの力量を持っていたことを示していた。
だが、この場にいるのは【剣】だけではないのが、彼の不運だった。
突如、班長の左側頭部へ衝撃が走る。
「こっ!?」
激痛とぶれる視界で捉えることができたのは、己を殴り飛ばした【鉄棍】の存在。
そしてそれを振るった黒の長髪の男の姿を捕えた瞬間、班長の意識はブラックアウトした。
ドサリと、意識を失った班長の身体が倒れる。
班長を倒した男性――鉄棍を構えた【更識蔵人】へと視線を移す。
「一瞬で5人を無力化。流石だね、剣君」
「いえ」
剣からしてみれば、暗闇でもないのに最後の攻撃の瞬間まで完全に気配を消していた蔵人の技量に舌を巻くのだが、今は目の前の敵の拘束を優先すべきと手を動かす。
(むー、私も頑張ったんだけどなぁー!)
「ヒメ君も囮役を務めてくれて感謝するよ。完全な虚を突けたのは君のお陰だ」
まるでヒメの言葉を読んでいるかのように、蔵人が剣越しにヒメに告げる。
その言葉にえへへ~と照れているヒメを尻目に、無力化した男達の両腕を縛り上げつつ装備を確認する。
「光学迷彩……日本じゃないですね」
「装備と人種から見ると……米軍の特殊部隊といったところだろうね」
「システムのハッキングから短時間しか経っていないのに、特殊部隊の突入ですか……24時間、監視されているわけか」
「ただシステムをハッキングした連中と彼等はおそらく別だろう。彼等がハッキングの主犯ならば我々がオペレーションルームに撤退する間にも行動ができたはずだからね」
剣も蔵人のその言葉に頷く。
その瞬間、剣の背後で倒れたはずの班長の指がピクリと動いた。
――刹那、神速の回転と共に鉄棒が振り下ろされ、肉が潰れる鈍い音が響いた。
「ぐぁ……っ!!」
意識を取り戻した班長の両腕の前腕部は振り下ろされた鉄棍によってひしゃげており、直前まで構えていた小銃が床に落下してカラカラと転がっていく。
鉄棍の一撃を振り下ろしたのは当然蔵人であり、すぐさま剣は班長の上半身を押さえつけて床に抑え込んだ。
「ふむ」
その様子を確認した蔵人は班長の顔の装備を引っぺがし、素顔を露出させる。
年齢はおそらく30代後半。顔に刻まれた傷跡からは歴戦の猛者であることを想像させるだけの凄みがあった。
班長の双眸には己の作戦が失敗したことによる焦りはあったが、絶望した様子は見受けられなかった。
「……成程。おそらく別動隊がいる、違うかね?」
蔵人がまるで心の底を読み切ったかのような言葉を出すと、班長の両目が見開かれた。
その様子に蔵人は小さく笑みを浮かべる。
「図星のようだ」
「いい気になるなよ、ジャップがっ。我々の役目はあくまで陽動に過ぎないことをすぐに身をもって……っ!!」
「――あぁ、君たちは知らないのか」
班長の両腕を砕いた鉄棍を肩に担ぎ、蔵人が班長の言葉を遮る。
「その別動隊とやらが相手をしているのは――
見下すように残酷な笑みを浮かべた蔵人は、そう言って班長の顎を蹴り飛ばして意識を刈り取るのだった。
同時刻 IS学園地下特別区画
『…………』
ISが1機、IS学園地下特別区画の暗い通路を進んでいた。
搭乗者の女性は、米軍特殊部隊【
ISの名は【ファング・クエイク】。ステルス仕様の能力試験型である。
世界的に有名な強襲型とはカラーリング自体が異なっており、派手なタイガーストライプからネイビーブルーへと変えられ、部隊章も刻まれていない。
アンネイムドの存在理由からして、当然の仕様である。
彼女達に名前はない。国籍も、宗教も、民族も、何もない。
故に、アンネイムド、なのだ。
搭乗者の女性にも名前はない。与えらえた役割が隊長であるため、部隊内では隊長と呼ばれているだけだ。
(陽動連中は存外、役に立ったようだな)
隊長が通路を進む。
彼女の目標は、先日の一軒でIS学園に回収された【未登録のISコア】。
手に入れることができれば、ISの数を増やせるだけではない。
完全自立型の無人機、それを量産する事すら可能になるのだ。世界の戦力バランスを塗り替える事すらできる代物であった。
(目標はこの先――か、ん?)
肉眼では全く見えない暗闇の中で、ファング・クエイクのセンサーが先に何かを検知したのだ。
そのまま浮遊を停止する。
瞬間、一陣の風が駆け抜ける。
派手な金属音と、火花が暗闇に咲き、僅かな明かりに照らされた影が背後に飛ぶ。
そして、次の瞬間通路全体の照明が点灯された。
『……ブリュンヒルデか』
隊長を襲った影の正体。
それは漆黒のボディースーツを纏った千冬だ。
一見忍者のようにも見えるが、太腿にはホルダーが装備され左右3対、計6本の日本刀が収められている。
加えて彼女の両手にも2本の刀があった。
(……本気か?)
ファング・クエイクの装甲に刃を立てたのは、おそらくその刀であるのは隊長にもすぐわかった。
だがそれだけだ。
今の彼女はボディースーツと強化仕様のブーツ、刀の装備だけ。
あくまで通常兵器の範囲を出ない代物ばかりだ。
(どういうつもりだ?)
もちろん防弾、防刃性はあるだろうがISの火力を前にすれば、彼女は裸で立っているに等しいのだ。
それが隊長を困惑させた。
(何か、あるな)
隊長が警戒を強めた瞬間だった。
――気配も、足音もなく己の背後に突如として動体反応が現れた。
――そして、己の首に向かって鈍色の刃が振るわれた。
『っ!?』
ギィンっという金属音が響く。
咄嗟に隊長は左マニピュレータを防御に使用し、刃は弾かれた。
そして刃を振るった存在が、彼女の視界に映り込んだ。
白い、千冬とは対極をなす白の装束を身に纏った男性だ。
ボディースーツのような装備をしている千冬とはやはり相反するように、まるで侍の様にも見える出で立ちだ。
黒髪に入った炎のようなメッシュが特徴的な男性の右腕には、隊長に振るわれた日本刀があった。
装束と同じ白鞘を左腰に差した男性は、小さく頷きながら彼女を眺めている。
油断はしていなかった。
常に千冬を視界に入れていたが、隊長は周囲を警戒し続けていた。
だというのに、ファング・クエイクのセンサーが警戒するまで気づくことができなかった。
現れた男、【
(……この男ただモノではないな。加えてブリュンヒルデが並び立つか)
隊長が生身で迫る2人を相手に構えなおすと、2人が駆け出す。
千冬はボディースーツに装備してあるワイヤーを通路の天井に引っ掛けることで高速跳躍し、峰善は生身とは思えないほどの速度でファング・クエイクへと迫っていく。
だがどちらもISのセンサーから逃れられる速度ではない。
まず速い方、上方から迫る千冬の2本の刀をファング・クエイクの左腕で弾く。
弾かれた衝撃か、先程の一撃のせいで砕けやすくなっていたのか、高い金属音と共に刃が砕けて宙を舞う。
しかし千冬はファング・クエイクの左腕を足場にして、跳躍。腕部の射程距離の外へと逃れる。
そして前方から迫っていた峰善の対処に移る。
千冬の攻撃を捌いた勢いそのままで左腕を峰善に振り落とす。
生身で受けてしまえば当然即死の威力であることは想像に難くない。
だが、峰善に振り下ろされた左腕はそのまま床を砕くにとどまった。
命中の直前、そうなることが分かっていたかのようにわずかに身体を捻って攻撃を回避した峰善は、そのまま刃を振り抜く。
再び高い金属音が響く。
そして峰義は攻撃を繰り出した勢いを利用して跳躍して
『……いい加減にしてもらおうか』
隊長が少しだけ苛立ちを混ぜた声色で告げる。
同時に、ザグッと砕けた刀を床にさし、太腿から新たな刀を千冬は取り出す。
峰善も己の得物の刃を見ると少しだけ刃こぼれを起こしていた。
ファング・クエイクの装甲を何度も斬りつけたため、繊細な刃が欠けてしまうのはしかたないだろう。
「ふむ、成程。
峰善は
『……は?』
苛立ちを感じていたはずの隊長だったが、思わず目の前の光景に驚愕の声をこぼしてしまった。
何故ならば、目の前の男は文字通り
千冬の様にワイヤーを使っているわけでもない。目の前の相手はまるでコミックの中の【NINJA】のように垂直に直立して不動の状態であったのだからさもありなん。
(壁に……立っているっ?)
その様子は共闘している千冬も驚きの光景だった。
ワイヤーを使った立体起動を使えば同じようなことも可能だろうが、峰善は装束が先のEOS訓練の際とは違っているだけで装備も刀が1本、特別な装置は右耳に付けている通信用のデバイスのみ。
だというのに垂直に、直立して壁に立っている。
だが、すぐに峰善が壁に立っているカラクリに気づいた。
それは彼の足元に秘密があった。
(壁にある傷を足の指で掴んで立っているのか……っ!?)
通路の壁面に刻まれたわずかな傷。
それは過去の襲撃などの際に見落とされた小さい傷である。
それを峰善は足袋越しに指で掴んで足場としているのだ。
草薙家には【天鳥船】と呼ばれる独特な体系を持つ体術が存在していることは千冬も知っていた。
おそらくはその体術を極めているのだろうというのは、想像に難くない。
それでも常人とは比べ物にならない身体能力をしているのは驚愕だが。
(頼もしいな)
フッと笑みを浮かべた彼女はすぐさま再び臨戦態勢に移る。
それは峰善もまた同じ。
身を屈めた瞬間、弾丸のような速度で跳躍し彼は一瞬でファング・クエイクとの距離を詰めた。
『っ!?』
草薙の体術【天鳥船】。
それは初見であった隊長だが、すぐさま己に迫る刃を視認して防御を行う。
本来ならば、ISにこんな刀の一撃は無意味であった。
だが、峰善と千冬の人間離れした戦闘能力を前に隊長は思わず防御を選択してしまったのだ。
それが仇となる。
ファング・クエイクの右腕で迫る刃を弾いた、瞬間に刃は装甲を走るようにして振り抜かれたのだ。
そのまま身体を回転させて体勢を入れ替えた峰善は、廻し蹴りを隊長に叩き込んでいた。
『っ!!』
人間1人、そしてISの重い装甲の重量を弾き飛ばした峰善の身体能力。
それに舌を巻く間もなく、彼女の首が何かに締め上げられたのだった。
『がっ!?』
「こちらは2人なのでな」
峰善によって弾き飛ばされた隊長にするりと迫り寄った千冬の手にはワイヤーがあった。
それを彼女の首に巻き付けて締め上げているのだ。
「絶対防御に頼るから、判断が遅れるわけだ」
次の瞬間には、ワイヤーが絶対防御のエネルギーシールドによって焼き切れる。
だがすでに千冬は峰善と同じように彼女を蹴り飛ばすことで、距離を取っていた。
「成程。ああいう絡め手ならば通じるわけか」
「一例にすぎませんがね」
しゅらんと太腿のホルダーから
(っ、刀の数が少な――)
彼女の高い観察力ですぐさま異常を検知する。
それを補佐するようにファング・クエイクのセンサーもまた周囲の状況を彼女に克明に伝える。
ファング・クエイクの周囲には、いつのまにか千冬が太腿のホルダーに収めていた日本刀が突き刺さっているのだ。
まるで己を囲むように。
「では」
そこまでして、罠にかかったことを理解した隊長だったが千冬と峰善の行動のほうが速かった。
すぐさま千冬と峰善が弾かれた様に跳躍する。
「【木端微塵】だ」
――彼女の言葉がトリガーとなって、突き刺さったすべての日本刀が大爆発を起こした。
壁も床も天井も、爆発に飲まれて滅茶苦茶に破壊されていく。
峰善と千冬は炎が迫るよりも早く、通路を駆け出していく。
『っこのぉっ、逃がす、かぁっ!!』
苛立ちの咆哮と共に、スラスターを開いて一気に飛翔する。
逃げる2人の背中を薙ぎ払うように右腕を振るうが、両名共背中に目があるかの如く、ひらりと宙返りで躱す。
そのまま隊長の顔面に両者の蹴りが叩き込まれ、その反発力を使って2人が離れて通路を曲がる。
そしてそのまま突き当りの部屋へ、それぞれほぼ同時に飛び込んでいった。
(センサーであの部屋は袋小路っ。このまま仕留めるっ!!)
ドアを破壊して、部屋に入る。
瞬間、照明がついた。
「真耶!!」
『了解ですっ!!』
ステルス・マントを引きはがした千冬。
その中から現れたのは、超大型ガトリングガンを四基装備した真耶の搭乗するラファール・リヴァイヴであった。
『【クアッド・ファランクス】だとぉっ!?』
重量と反動制御故に一歩も動けなくなる代わりに、面攻撃力としては最強のそれを手に入れた【砲台】。
隊長が部屋からの退避を試みようとするが、それは悪あがきに過ぎなかった。
弾丸の雨、いや、嵐。否、台風か。
まるでジャックポットとなったスロットマシンが如く、空薬莢が辺りに散らばる。
それを尻目にいつの間にかカップに入れたコーヒーを3人分用意していた峰善は、1つを千冬に手渡す。
「作戦通りでしたね」
「いえ、ご協力があったからこそです」
カツンとどちらからともなくカップを鳴らして、グイッとあおる。
それから1分後、ボロボロになった隊長は3人に拘束されることとなったのだった。
「さて、これで全部かな?」
IS学園校舎の廊下。
先程の班長達とは別グループの男たちが、蔵人と剣の足元に転がっている。
「そうみたいですね」
(ふー、おっつかれー)
特殊なファイバーロープで最後の1人を拘束し終えた剣が、軽く息をついて立ち上がる。
それを少しだけ意外そうに蔵人は眺めていた。
「どうかしたんですか?」
「ふむ、いや……殺さずに拘束ですませることもできるのだなと、思ったのだよ」
蔵人のからかう様な言葉に剣は苦笑を浮かべる。
「いや、テロリストならともかく正規軍人だろう相手を流石に問答無用で殺しませんよ。そもそも蔵人さんが指示してたじゃないですか」
それもそうだねと肩をすくめた蔵人だったが、同時に彼の左耳に付けた通信デバイスが起動する。
同時に、空間投影ディスプレイが剣の目の前に開いた。
『剣っ、お父様っ!!』
開かれた通信先の相手は簪だった。
彼女の焦ったような態度と普段のギャップから何かよくないことが起こったと2人は即座に理解した。
「何か、起こったのかね?」
『はいっ、剣っ、すぐにアクセスルームまで来てっ!! お姉ちゃん達が何かに攻撃されてこのままじゃ起きることもできない状態なのっ!!』
「なっ」
簪からの報告で思わず困惑の声を剣がもらす。
『これから私と剣と織斑君で、電脳ダイブして皆を救出する必要があるのっ、だからすぐに来てっ!!』
「剣君、ここは任せてくれ」
カンっと鉄棍を右腕で持った蔵人が、左耳の通信デバイスから届いた同じ内容の音声通信を聞いた後に剣に告げた。
「いいんですかっ」
「あぁ、彼等は私に任せてくれていい。簪がここまで慌てた連絡をするのだ。行ってくれ……娘たちを頼むよ」
「……分かりました。ありがとうございます。簪っ、すぐに向かう」
『お願いっ!』
蔵人が頷いたことを確認した剣はすぐさま、地下にある特別作戦室へと駆け出して行った。
それから数分して、オペレーションルームへと剣がたどり着く。
中には、誰もいないかと思ったが一夏がいた。
「剣っ、来たか」
一夏に頷いて答えると、一夏が先導するように駆け出していく。
「アクセスルームへ案内するから、こっちだっ」
「助かる」
先導する一夏の後を追い、剣も駆け出していく。
そしてすぐにアクセスルームへとたどり着いた。
ウィンと自動扉が開き、アクセスルームに入室した剣が真っ先に視線を移したのは、ベッドウェアだ。
部屋に複数台あるベッドウェアの上に横たわる箒達、その中の1人。
「――たっちゃん?」
まるで眠っているかのような彼女の様子。
だが意識が抜け落ちてしまった彼女は、こちらから呼びかけてもピクリともせず動かず起き上がることはない。
それはまるで精巧な人形の様。
いや、正確には違う。それは彼の逃避であった。
本当は今の彼女の様子が何に似ているのか、最もよくわかっているのは剣である。
今の彼女の姿は、まるで。
「――たっちゃん」
まるで
――ナンダ、これは。
ドクンっ、と心臓が脈打つ。
頭の中は目の前の光景を否定したい感情で一瞬で埋め尽くされてしまった。
先程通信で聞いた救出できる可能性があるという言葉すら、一瞬でかき消されてしまうほどの激情だった。
(まずいっ、剣っ、だめ、こういう時は落ち着かないとっ、またこの前みたいにブチぎれちゃあ……っ!!)
ヒメが咄嗟に剣に呼びかけるが、すでに彼の耳にはヒメの言葉など届いていない。
このままでは先日の二の前になってしまうかもしれない、ヒメがさらに言葉を紡ごうとした瞬間。
「――揺れるな」
肩に置かれた手によってヒメの危惧した展開にはならなかった。
彼の肩に手を置いた人物、それはすでにファング・クエイクを千冬と共に退け、アクセスルームへと戻ってきていた己の父である峰善であった。
先程のEOS実習の際の彼の姿からは想像できないほどに、その視線は冷たいものだったが、冷酷なものではなかった。
「……とう、さん」
「彼女はまだ死んだわけではない。簪君がお前を呼んだのは助ける事ができるから、そうだろう?」
「はっ、はいっ、峰善様の言う通り、大丈夫。通信で伝えた通り電脳ダイブでお姉ちゃん達を助けにいけるからっ」
「……あぁ」
頭に上った血が、一気に元に戻っていく。
こちらを心配そうに眺めていた簪に、大丈夫だと手を上げて答える。
「剣っ、簪さん、準備できたみたいだっ」
すでに準備を終えていた一夏が、2人に声をかける。
その声に頷いて答えた2人は、空いているベッドウェアに向かう。
その際に改めて意識を失っている楯無へと視線を向ける
「……」
「剣っ、横になってください。電脳ダイブに必要なISの設定変更も忘れずに」
虚からの言葉に頷いた剣は、ベッドウェアに身体を預ける。
そして剣達3人はISの設定をソフトウェア優先処理モードへと変更する。
「中は仮想現実世界になっています。最初は草原に転送されると思いますが、そのあとは森の中へ向かってください」
虚の言葉に3人が軽く手を上げて答えた。
「それでは……電脳ダイブ、開始」
虚と本音が本日2度目のシステム接続を行う。
瞬間、3人の意識は落ちていくような不思議な感覚に包まれていった。
次回予告
「第24話
「ダメッ、言わないでっ、お願いっ、それだけはっ!!」