「心にもない言葉は、言うのも聞くのも嫌いだな。そんな言葉は相手と自分を傷つけるだけだよ」
突然目の前に現れた男の子は、いきなりそんな事を口にした。
彼は昼間己と戦った次代の【草薙剣】となる存在。
目の前から一瞬で距離を詰める体術に、美しさすら感じたほどの刀捌き。
昼間の手合わせではなす術もなく、組み伏せられてしまった相手だった。
――あなたに負けたからもっともっと自分を追い込む必要があるというのに。
――あなたに、何がわかるのっ。
己が心を押し殺しながら最愛の妹へ心ない言葉を放つしかない現状を。
己の決意と覚悟を、いきなり現れて否定する相手への怒りの感情が溢れる。
「あなたに何がわかるのっ!!」
思わず大声を出してしまった。
涙を流す妹への配慮すら一瞬忘れてしまった己の浅慮さが浮き彫りになってしまったが、今は怒りが勝っている。
「だって君が無理している事が、僕にはわかるからさ」
彼の言葉に思わず、息をのんでしまった。
「昼間の手合わせで見せてくれた君の槍は、とても綺麗なものだった。そんな槍を使う人が実の妹に向けてあんな言葉を進んで出す訳がない。なら無理して言っているってことになるけど……違う?」
黒髪に赤のメッシュがまるで揺れる炎の様にも見える彼は、静かに笑みを浮かべる。
「僕達は次代の【草薙剣】と【更識楯無】だ。だからいがみ合う必要は、ないんじゃないかな?」
「でっ、でも……私は、更識楯無として……楯無を継ぐ人間なのだから……もっと強くあらないと……っ」
「君は強いよ。自分をそこまで追い詰める事なんて、そうそうできることじゃない。だから君は強いんだ」
まっすぐ己の目を見つめる少年の瞳。
「僕達は護国の剣と楯をそれぞれいずれ引き継ぐ。そんな時、君に助けてほしいんだ。もちろん、僕だって君を助ける」
同じ年頃だと父親から聞いていたが、そのまっすぐな瞳を持つ彼から目を離せなかった。
――そういえば、名前をまだ聞いていなかった。
「……あなた、名前。名前は?」
彼は、あ、そうだったとばかりに頭をかいた後、口を開いた。
「僕は、■■■。君は?」
「わ、たしは……
――その時初めて、私は彼の名前を知ったのだった。
『ワールド・パージ、完了』
――誰かの声が聞こえた気がした。
「……っ」
意識が遠のいたのは一瞬だった。
身体の感覚が戻るとの同時に瞳を開く。
「……草原なんてどこにもないぞ」
剣が辺りを見回しながらつぶやく。
頭上の満月から降り注ぐ優しい月光が照らす、日本庭園に彼は立っていた。
広さにして数百坪は超えるだろう、大きな池の周囲に植えられた黄緑色の木々。
中にはもみじも混ざっており、所々の色の違いが違った鮮やかさを魅せてくれている。
池につきだすように備え付けられた月見台も存在しており、一瞬非日常の世界にいるのではないかと錯覚できる作りは見事なものだ。
木々が静かに風に揺られて鳴らす音楽に、鈴虫も合唱している。
剣にはこの景色に見覚えがあった。
「……ここは更識の家の、離れじゃないか」
そう、幼い頃から何度も訪れた事のある離れにある庭園だ。
幼い頃の自分たちはここを遊び場にもしていたな、とふと思い出したが背後に気配を感じた。
「っ!!」
振り返った直後に飛びかかる赤い人影。
突き出された貫手の一撃を命中直前に手首を掴み上げて、止める。
そして万力の様に締め付けながら、引っ張ると襲い掛かってきた赤い人影は――
「あだぁっ!?」
――っと情けない声を上げて、剣に抑え込まれてしまった。
「あだだだだだだっ!!! 痛いっ、いたーいっ!!! ぼーりょくはんたーいっ!!」
自分を襲った人間から、見知った声が聞こえてくる。
その声は普段は頭の中、正確には意識の中にある自分自身の声である。
「……ヒメっ?」
ようやく夜目が効いてきたのか、襲ってきた人物の詳細が把握できた。
腰まである長い赤い髪に、自分よりも30センチ以上下回る身長と肉付きのいいボディラインに何故か着ているIS学園の女生徒用制服。
まさに意識の中でいつも相手をしている
「えっ、あっ、剣ぃっ!?」
ヒメもほぼ同時に剣に気づいて驚きの声を上げた。
すぐにヒメを押えていた手を離すと、彼女は手を摩りながら立ち上がる。
「なんでヒメがここにいる?」
「えー、なんというかですね……」
「それは私が説明できると思うよ、剣」
剣の質問に首を傾げながらしどろもどろになったヒメだったが、彼女の背後からもう1人の少女が現れた。
その少女は剣と同じく電脳ダイブに臨んだ、簪であった。
「簪か。よかった、無事だったか」
「うん」
「うぉーいっ、私は組み伏せられたんだけどっ!!」
「それで、なんでヒメもいるんだ?」
ぷんすこと両腕を上げて怒るヒメを尻目に、簪に問いかける。
「ヒメは剣の人格、つまりは精神的な存在だから……電脳ダイブに適性があっても不思議じゃない。だから剣がアクセスしたと同時に、ヒメも引っ張られてアクセスできたんだと、思う」
「……成程な」
彼女の言葉に剣は納得する。
真相はともかくとして、次に剣の頭に浮かんできたのはこの場にいない男の事だった。
「一夏は?」
彼の質問が来ることが分かっていたのか、簪はすぐに首を横に振った。
「私とヒメはアクセスしてきた場所が近かったからすぐに見つかったんだけど……織斑君は剣と合流しているかと思ってた」
「いや、見ていないな。そもそも草原に出るって話じゃなかったか?」
「うん。どういうことなのかまずはナビゲートしている虚に聞いてみたほうがいいと思う」
「わかった。虚、聞こえるか?」
簪の声に頷いた後、剣が虚空へ声を放つ。
その直後、目の前の空間にウインドウが出現した。
そこに映るのは虚と少し後ろに父親である峰善の姿だった。
『はい、クリアに聞こえます』
「草原って話だったと思うんだが?」
『草原にアクセスできたのはどうやら織斑君だけのようで、剣と簪様はどうやらその庭園エリアにアクセスしてしまったようです』
虚の言葉に剣達は驚いた。
『織斑君のナビゲートは本音が担当していますので、私は二人を……』
「あ、うーちゃん、私もいるよー」
虚の言葉に割って入るヒメに、ウインドウ越しのナビゲート組が目を見開いた。
『ヒメっ?!』
「はぁい、ひーちゃんです!」
なぜかノリノリにそう返したヒメに剣は少しため息をこぼした。
『……成程、ヒメは剣の別人格だから、こういう事も……いや、むしろ電脳ダイブの適正は我々の中で一番高いまで……』
『ふふ、虚君。熱心なのはいいがまだ事は終わっていないよ?』
『っ、そうですね、失礼しました』
一瞬技術屋の顔になった虚に、背後から微笑みつつ峰善が言った。
その言葉で襟元をただしたのか、ナビゲート作業へと移る。
『剣、簪様、ヒメの3人はそのエリアの中枢に向かってください。おそらくはそこに誰かがいると思います』
「誰かって?」
ヒメの言葉に、虚が続ける。
『わかりません。ですがそのエリアは誰かの心の中、心象風景がモチーフになっていると思われます』
聞きなれない単語に剣が首を少しかしげるが、虚が説明のため続けていく。
『心の中の望んだ光景や焼き付いた景色……思い出のようなものと思ってください。すでに織斑君が凰さんの救出を成功させていますが、彼女が囚われていたのは彼女の望んだ光景の中の様でした』
「早いな、もう凰を助けたのか」
『剣や簪様たちのアクセスには少し時間がかかりましたが織斑君はすぐにでしたので。そちらの体感時間は一瞬でしょうが、こちらでは10分程かかっています』
虚が続ける。
『本題に戻りますが……そのエリア、離れのエリアに囚われているのは、おそらくは……』
そこで言葉を切った虚。
彼女の言葉から誰がこのエリアにいるのか、剣達は大体の想像がついた。
「……分かった。すぐに探しに行く」
彼の返答に、虚も頷く。
そして気づいたように手元を動かしつつ続ける。
『凰さんの救出の際にはニセの織斑君のような存在が確認されています。おそらくはセキュリティのような存在でしょう』
「ニセの織斑君?」
簪が虚に尋ねる。
『はい、かなり精巧な偽者でした。そのエリアにも同様の存在がいるかもしれませんので、今から自衛のためのデータを送信します』
カタカタとキーボード音が聞こえると同時に、剣と簪とヒメの全身を光の粒子が覆う。
光の粒子はすぐに収まり中から現れた剣の服装はIS学園の制服から、峰善が身に纏っている侍の様な白い装束へと変わっており、左腰には赤鞘の日本刀を差していた。
『【草薙剣】としての戦闘装束だね』
『はい。峰善様がすぐ近くにいらっしゃったのでデータのインストールの参考にさせていただきました』
少しだけ照れたようにうなずいた虚に、峰善が微笑む。
「道着姿ってひっさしぶりー」
「うん。薙刀の稽古以来だから結構久しぶり」
ヒメと簪は二人とも紺色の道着姿で現れ、その手にはそれぞれ日本刀と薙刀が握られていた。
『準備はできましたね、それでは中枢へとナビゲートさせていただきます』
全員がコクリと頷いた瞬間。
一瞬だけウィンドウにノイズが奔ったかと思った刹那、一気にノイズが拡大を始めていく。
『っ、強制的な……干渉……っ、聞こえ……っ、つる……かんざ……っ!!』
ノイズで乱されるウィンドウ越しに、虚の声が途切れ途切れに聞こえてくる。
だが、すぐにウィンドウは砂嵐に飲まれて挙句の果てに消えてしまった。
「何が起こったっ」
「……虚の声で、強制的な干渉って聞こえた。多分、最初の電脳ダイブのときに私と織斑君が弾かれたのも同じだと思う」
「それって誰かが、電脳ダイブを操作してるってこと?」
ヒメの言葉に簪が頷く。
その直後、剣達の背後から砂利が擦れる音が聞こえた。
ばっと剣とヒメが振り返ると、女性が立っていた。
白く輝く銀色の髪に、紅と白の巫女服を身に着けた美しい女性。
剣とヒメにはその女性に見覚えがあった。
「お前は……」
「都牟刈ちゃん!?」
ヒメの緊張感のない言葉に思わずガクっとズッコケそうになったのは剣だった。
その様子に、都牟刈と呼ばれた女性は苦笑いしていたがコホンと咳払いしてから口を開いた。
「お久しぶりです。剣様、ヒメ様。そして簪様……でよろしいですか?」
「はっ、はい」
突然の見知らぬ女性からの言葉に思わずビクリと少しだけ驚く簪。
だが、すぐに思考が巡ったのか少しだけ興奮した様子で都牟刈と呼ばれた女性に向かって話しかける。
「もっ、もしかして……ISのコア人格……なのっ?」
「はい、私は剣様とヒメ様のIS、都牟刈のコアになります」
静かにほほ笑みつつ頷いた彼女に、簪は言葉にならないほどの衝撃を受けていた。
「すごいっ、理論は聞いていたけどっ、本当に人間みたい……っ!」
「ありがとうございます。そういっていただけると嬉しいです」
「もしかして、私の【打鉄・弐式】も……っ?」
あたりをキョロキョロと探すように視線を動かす簪だったが、苦笑した都牟刈が続ける。
「申し訳ありません、簪様。弐式さんについては、まだ……それよりもまずは優先させていただきたいことがあります」
その言葉にはっとなった簪が少し恥ずかしそうに視線を伏せるが、ヒメがポンポンと背中を優しく撫でるのを見て剣が尋ねる。
「お前が出てきてくれた理由は?」
「このエリアに囚われている方が剣様にとって
彼女の発現で、虚から聞いていた言葉が確信に変わった。
グッと無意識に握りしめてしまった手を払う。
都牟刈の言葉に簪も緩んでいた意識をグッと引き締めたのか顔を強張らせた。
「加えて、電脳ダイブへの強制干渉によって剣様達への悪影響が懸念された為です。私が傍にいれば影響を防ぐことができますし、ナビゲートもできます」
「……分かった。ナビゲートを頼む」
コクリと頷いた都牟刈が日本庭園の向こう側、闇夜ではっきりとは見えない離れの建物を指さす。
「あちらに反応があります。ついてきてください」
彼女の言葉に、全員がコクリと頷いた。
離れの建物は日本庭園を挟んで反対側に建てられている。
庭園には歩いて離れに向かうための通路が設けられており、剣達は先導する都牟刈の後を追い建物へと近づいていく。
鈴虫の鳴き声が辺りから響き合唱にも聞こえる中、都牟刈の歩みが止まった。
「……気を付けてください、何かがいます」
都牟刈の言葉と同時に、剣が左腰に差していた日本刀を静かに抜く。
ヒメも腰に差している刀に手を当てて、いつでも抜刀できるように姿勢を変えていた。
簪も、薙刀をスッと構える。
鈴虫の鳴き声が静かに響く中、剣は一瞬だけ頭上から刺すような寒気を感じた。
引き抜いていた日本刀を感じた寒気の元に振り上げると、頭上から迫っていた白刃とぶつかり合って火花が一瞬だけ周囲を照らす。
【
それが剣を急襲したモノの正体だった。
重力に引かれて地面へと迫る相手へ蹴りを繰り出す。
相手もそれは分かっていたのか蹴りは防がれてしまったが、衝撃まで殺し切ることはできずに反動で弾き飛ばされた。
だが、すぐに受け身を取って起き上がる。
(成程、こいつが)
顔は能面に覆われ、髪の毛も能面と一つとなっている笠によって完全に隠れている。
身に着けている装束は剣のものと似ているが色は黒一色となっており、差している刀も黒鞘の日本刀であった。
虚が言っていたセキュリティに値する存在なのだろうと、剣は内心で頷いていた。
「――」
何かを呟いているのかくぐもった言葉の様なものが聞こえたが、詳細は分からなかった。
都牟刈やヒメたちの前に立って、刀を構える。
背後でヒメが残りの2人を庇う様に動いてくれたことを気配で感じ取って、相対する敵に意識を集中する。
相対する能面の者も、同じように刀を構える。
剣と襲撃者、その構えは全く同じ八相の構え。
刹那、両者は全く同時のタイミングで跳躍していた。
剣と能面の者との距離は約5m。
【天鳥船】を使える剣にとってはその距離はあってないようなものだが、それは相手も同じであるようだった。
刀が十分な殺傷力を持つ有効射程、その距離に入り込んだ共に刃を上段から振り下ろす。
甲高い金属音が、周囲の鈴虫の鳴き声を掻き消し再度火花が散る。
両者の膂力は互角。
ギチギチとぶつかり合う刃が火花を次々に発生させていく。
それほどに両者の力量は拮抗しているのだ。
鍔迫り合いを維持したのは一瞬。
両者とも刀を離して、次の一撃を繰り出す。
剣は上段からの唐竹割りで、能面の者はそれを弾くための左切り上げ。
再びぶつかり合った刃が甲高い金属音を響かせた。
瞬間、能面の者が予想だにしない行動をとる。
鍔迫り合いに再び移行していた刃から押し返す力が消えたのだ。
(っ、なっ!?)
能面の者は刀を手から放して、脱力し倒れ込むように体勢を移していたのだ。
突如として鍔迫り合いが解除された為、力を入れ続けていた剣の体勢は崩れてしまう。
能面の者が使用していた刀が宙を舞い、地面に落下するよりも早く彼は貫手を剣に繰り出していた。
体勢を崩された剣だったが、彼のリカバリーもまた早かった。
左脚から力を抜いて地面に倒れ込む。
崩された体勢をあえてさらに崩すことで顔を狙っていた貫手の一撃をやり過ごす。
鋭い爪によって右頬を抉られてしまうが、直撃するよりは遥かに安い被害であった。
倒れ込む際に能面の者へ左拳を突き出すが、能面の者も身体を逸らすことでやり過ごす。
だがその拳を完全に回避することはできなかった。
剣の繰り出した左拳は相手の能面に掠り、下顎部を砕くことに成功していたからだ。
時間にして数秒程度の攻防。
両者ともに倒れ込む結果になり、距離が開いたためすぐに両者とも起き上がる。
パキキ、と枯れた木材が割れる音が響く。
先程砕いた能面の下顎部分から罅が全体に奔っていく。
能面の者は咄嗟に割れた箇所を手で覆い、そのまま後方へと下がっていく。
「っ、逃がすかっ!!」
剣もそのまま駆け出して、残ったヒメ達も後方から追いかけてゆく。
時間にして数十秒程度の追走であり、いつの間にか日本庭園を抜けて離れ前に移動していた。
そこで能面の者は立ち止まり、振り返る。
全力疾走で追いついた剣が、再び刀を構える。
それに数秒遅れてヒメが、それからさらに10秒程度遅れて簪と都牟刈が追い付いてきた。
「……役者は、揃ったな」
振り返った能面の者から響く声は、まるでエコーがかかったようだった。
砕けた翁の
その色は黄金色。
不気味に輝いて見えるその色は、剣達に不思議と寒気を与えるには充分であった。
「……逃がすと思ったか?」
感じた寒気を振り払うように、剣が告げる。
ククッと笑う様に肩を振るわせた能面の男。
「逃げているとでも思ったか?」
そう言って身に着けていた、笠をはぎとる。
そしてそのまま砕けつつある能面を外して放り投げ、カツンという音と共に落下した能面は完全に砕けた。
「……えっ?」
思わず簪の口から言葉が漏れた。
何故ならば目の前に現れた男は、よく知っている人物であったから。
黒に炎の様なメッシュが混じった髪の毛。
黒真珠のような漆黒の瞳に鍛えられた体躯。
構える日本刀が月光を反射して煌めく様が、目の前には
そう、能面をはぎとった男の顔は、目の前にいる【草薙剣】と同じであったのだ。
「剣が、2人っ?」
ヒメが目の前の光景に驚愕しながら、2人を見比べる。
今まで行動を共にしていた白い装束を身に着けた剣と、能面をはぎとって現れた黒い装束の剣。
確かに顔は全く同じ。彼女は剣の別人格であるため見間違えるはずがない。
黒い装束の剣はエコーがかかっているかのように響いており、判断しづらいが声も同じだ。
「違うよ、ヒメ」
黒い装束の方の剣が、彼女へと告げる。
「俺は草薙剣ではない。そんなつまらない
彼の口角が邪悪なほどに歪む。
普段そんな表情をする剣は見たことがなかった。
「……ならばあなたは何者なのですか?」
都牟刈が自身の主人と同じ顔をした相手に告げる。
「俺が誰かは……目の前のそいつが一番わかっているだろうね、都牟刈」
「……なんだと?」
黒装束の草薙剣は返答するかのように、パチンと指を鳴らす。
瞬間、周囲に存在していた灯篭に次々と火が灯っていく。
まるで通路の様に灯篭が灯り、その先には一人の少女が倒れていた。
いや、正確には身体中を植物の蔓の様なもので巻き付けられて縛られている、というのが正しいか。
「っ、たっちゃん!?」
その光景が視界に飛び込んできた瞬間、心中では予想していた人物だったはずだったというのに、剣の意識は明確に目の前の黒装束の草薙剣から逸れた。
ほんの一瞬、だがそれで充分なだけの隙を生む。
それを認識した瞬間、黒装束の剣の指が動いた。
「うわぁっ!?」
「きゃあっ!?」
背後からヒメと簪の悲鳴が聞こえた。
振り返ると彼女達の足元から植物の蔓が現れて、全身に絡みついていた。
一瞬で成長した蔓によって全身を縛られ、体勢を崩して2人とも倒れ込んでいる。
「ヒメ様っ、簪様っ!」
すぐそばにいた都牟刈が駆け寄ろうとするが、周囲に突如として【黒い靄】が現れた。
その瞬間、ガクンと都牟刈の両脚から力が抜けそのまま倒れ込んでしまった。
「ぐ……これは……っ!?」
必死に立ち上がろうとするが、両腕が棒になってしまったかのように動かない。
その様子を見た黒装束の剣は安心するように息を吐いた。
「簪、ヒメ、都牟刈、俺は君達に危害を加えるつもりは全くないんだ……用があるのはそいつだけだ。だから安心してくれ」
「……お前は一体何なんだ」
その言葉に、黒装束の剣はニィっと口角を邪悪なほどに歪める。
決して剣本人がしない表情に、倒れ込んだ全員が息をのんだ。
「俺はお前の影。いや俺こそが真なるお前だ」
エコーが掛る声を静かに、しかし力強くあげ続ける。
「俺は【
草薙刃――と名乗った彼の言葉に、剣は目を見開く。
「刃……っ、いったい彼は何を……?」
ぐぐっと手で身体を支えながらもなお立ち上がろうとしていた都牟刈は、刃の言葉に疑問の声を上げる。
それに答えたのは、身体を植物の蔓に縛られながらも抵抗を続けていたヒメであった。
「刃って言うのは、剣の……私達の【本名】なの。草薙剣って言うのは、草薙家として、護国の剣としての称号なんだ」
身体を縛り上げられているといっても彼女達の動きを阻害することを最優先しているのか、痛みや苦しさはほとんどない。
それはヒメの隣の簪も同じであるようで、抵抗しながらも口を開く。
「刃って名前はお姉ちゃんと同じで、本当に親族や親しい間柄じゃなきゃ知らない、知らせてはいけない名前で……剣は8年くらい前からずっとその名前を名乗ってた」
「まぁ、その頃にはもう基礎はできてたからね、私達……ぬぅっ、やっぱ動けないっ」
ギチギチと蔓の繊維が伸びる音が聞こえるが、完全な切断には至らずにすぐに再生していく。
「……俺の贋作風情が、なぜその名を知っている」
「はっ、白々しい」
鼻で笑う刃が続ける。
「俺は楯無が……いや刀奈が、刀奈の心が生み出した存在だ。俺は彼女にとって理想的な草薙刃なんだよ」
そういって刃は後方に跳躍し、離れの縁側で縛られている楯無の元に着地する。
そして優しく彼女の頬をすっと撫でた。
「っ、貴様……っ!」
その所作に腸が煮えくり返るような怒りが心中に溢れる剣は、思わず構えていた刀の柄を壊れるほどに握りしめていた。
「……っ、んん?」
刃が頬を撫でてから数秒で、楯無の意識が覚醒する。
辺りを照らす灯篭の明かりで、少し眩しそうに瞳を開いた彼女の視界には刃の姿が映っていた。
「おはよう、刀奈」
先ほどの様な邪悪な笑みは鳴りを潜め、顔に浮かぶのはさわやかな笑み。
「……ここは? あれ、私……いつの間に?」
「たっちゃん!」
意識を取り戻した彼女に向かって、剣が叫ぶ。
傍から見れば瞳の色以外は全く同じな二つの顔の剣と刃、植物の蔓に縛られて倒れている簪とヒメ、同じく動けずにいる都牟刈に視線を移した後、はっと表情を変えた。
「っ、これは一体どういう……っ!?」
困惑の言葉が出そうになった楯無だったが、すっと刃が手で彼女の言葉を遮った。
「大丈夫、君が何も心配することはないんだ」
「あなたは何を言って……っ!?」
「ここは君と俺が作り出した空間、邪魔者は排除するだけってことだ」
そう彼女に告げた刃は、少しだけ名残惜しそうに彼女から離れて腰に差していた黒鞘の日本刀を抜く。
瞬間、心中の怒りを刃に乗せた剣が跳躍して斬りかかる。
優に10mはあったその距離を一瞬で詰めることができたが、振られた刀は高い金属音を発して止まってしまった。
二つの日本刀が交差して、ギチギチと刃がぶつかり合って火花が散っていた。
「だから草薙剣なんて刀奈には必要ないこと、身をもって教えてやるよ」
「っ、ちがっ……!」
楯無の叫びを掻き消した鍔迫り合いは一瞬。即座に刃を離した二人は身体を捻りつつ右脚を相手の顔面に向けて繰り出していた。
互いの右脚蹴りがぶつかり合った衝撃と重い音が響き、数m程距離を取る。
剣は内心舌打ちしつつ、再びお互いの射程距離内へと身体を進める。
刀を右手に持ち替え、袈裟切り気味に振り下ろす。
同時に左腰に差していた【白鞘】を抜いて逆手で持って逆袈裟で振り上げる。
相手の身体を中心に交差するような同時攻撃。その速度は常人では見切ることもできないだろう。
だが、
両手を用いた攻撃は自然防御を捨てていると同義でもある。
己の得物である日本刀を手から離した刃は、迫る交差攻撃に敢えて突っ込む。
そして振り下ろされる右腕、振り上げられる左腕の攻撃をそれぞれ逆の腕で止めて見せた。
それぞれの攻撃が両腕を用いた攻撃ならば止めることはできなかっただろう。
しかし片腕での攻撃ならば、身体能力も全く互角ならば止めることができる。
加えて刃は敢えて交差攻撃に突っ込むことで、攻撃が加速しきる前に止めることができたのだ。
そして攻撃を止めることができたということは、懐に飛び込むことができたということであった。
刃の両貫手が剣の左右の脇腹にめり込み、鈍い音が響く。
激痛によって身体が硬直してしまうが、剣も交差攻撃を止められてからのリカバリーに動いていた。
己の身体を後方に倒すことで、顔や首を狙う致命傷を避けていたのだ。
そして倒れ込むと同時に左脚で蹴りを繰り出してた。
「ッ」
小さく刃の呼吸が乱れる。
貫手を繰り出した直後に体勢崩した剣の次の手を予測していたが、攻撃を止めることもできずに身体が硬直してしまっていたのだ。
右上腕部に、剣の繰り出した左蹴りが直撃してその衝撃で少し弾き飛ばされた。
もっとも体勢が崩れている状態での攻撃であったため、大した威力の攻撃ではなかった。
「ごほっ」
背中から倒れ込んだ剣は脇腹の痛みに小さく咳をしたが、すぐに立ち上がる。
刃も蹴りの衝撃から立ち直り、交差攻撃の際に離した刀を拾い上げて構えていた。
(……っ、厄介だな……自分自身が相手というのは本当みたいだ)
鈍い痛みを伝えてくる脇腹を庇いながら両手で刀を構えなおす。
同じく刀を構える刃。そしてその向こう側にいる大切な人の姿が見える。
彼女の顔には困惑が溢れている。いつも向けてくれていた笑顔は微塵も存在していない。
それが剣には許せなかった。
「……気になるか?」
刃は剣の視線の先が己の背後であることに気づいたのか、ニィと邪悪に口を歪めた。
「そもそもだ。何故こんな空間ができているのか、俺のような存在がいるのか、気になってはいないのか?」
「……何を言っている」
「先ほども言っただろう、俺は刀奈が、彼女が心の底で想った理想的な草薙剣ってことさ」
両手を広げて己の存在を強調するかのようにして続ける。
「この空間は、刀奈の心の中に焼き付いた風景。かつてお前と最初に出会った日の夜の光景だ」
「っ、やめてっ!!」
刃の言葉に目を見開いて驚いた楯無が叫ぶ。
焦燥と、恐怖が彼女の心の中を満たしていた。
その2つの感情は命の危機に晒されているからではなく、己の秘めた想いからくるものだった。
「あの日から、刀奈は護国の剣と並び立つ【更識楯無】になるために歩み続け、そしてそれは叶った」
それを知ってか刃は振り返ってほほ笑む。
ぞっとするほどさわやかな笑みで。
「だが、それでもその【想い】は届いていない」
「……何を言って……」
刃の言葉に疑問の声を上げる剣。
視線は刃とその背後の楯無を交互に移している。
その様子に失望したかのように刃はため息をついた。
「わからないかなぁっ!? ここまで刀奈が何を想ってお前の隣に立っていたのかがっ!!」
「やめてっ、やめてったらっ!!」
声を高らかにする刃に、楯無は立ち上がろうとするが植物の蔓は完全に身体に絡みついて動きを許さない。
無理に立ち上がろうとしたためか、どさりと前かがみに倒れ込んでしまった。
「ダメッ、言わないでっ、お願いっ、それだけはっ!!」
痛みからではない、涙が目尻からこぼれる。
「ここまで言ってもわかりもしないこいつには告げても変わらないさ。君には俺がいればいい」
「やめてっ、お願いだからっ、その……言葉だけはっ、やめて……っ!!」
彼女の涙ぐんだ叫びは、刃には届かない。
彼女へと向けていた視線を、彼は目の前の男へと向ける。
「刀奈は……
「――っ」
刃の言葉の後、楯無の息をのんだ音が聞こえた。
目を見開いた彼女はすぐに顔を伏せるが、静かな鳴き声が聞こえてくる。
ずっと秘め続けていた想いを、まさか想いを寄せる人間と全くの同一人物によって白日の下にさらされるとは考えもしなかっただろう。
先程までの狼狽ぶりも本来は己の口から伝えたかった気持ちの裏返しだ。
「――っ」
息をのんだのは、楯無だけではなく。
剣もまたその言葉に目を見開いていた。
「どうせ、気づきもしなかったんだろう?」
刃は本当に呆れたように、剣へ冷たい視線を向ける。
「草薙と更識の関係? それだけで彼女があれだけ献身的にサポートすると思うか? 何度も何度も何度も何度も何度も何度も……彼女はお前に気づいてほしくて行動していた」
ゆっくりと、剣に向かって歩を進める刃。
右手には月光を反射する日本刀を構えたまま。
「だが、お前は気づかなかった」
その言葉と共に、剣の目の前で歩みを止める。
「俺はそんなことはない。俺は彼女を愛している。彼女が求めるのならばなんだってする……彼女が望んだ草薙刃だ。俺だけがいればいい」
「――あ」
白日の下に晒された楯無の想いに茫然自失となっていた剣は、ようやく目の前にいる刃に気づく。
「
――凶刃が振り下ろされ、赤い雫が宙に舞った。
次回予告
「第25話