先に言いますが、紫様は不在です。
世話になった人達にお礼する機会として与えられた三週間が過ぎ、いよいよ初出勤となった新。
彼は今、折神家の前で立ち往生していた。
「……何か、バカバカしいぐらいに広いなぁ」
その敷地の広さに既に圧倒されている。新が紫に連れてこられた家というのが、言うなれば折神家所有の家の一つに過ぎないと知ったのは最近だ。後で知って驚くことが多い少年、それが折神新である。
「帰りてぇ……」
彼の頭によぎる、数々の思い出。今まで時を過ごしてきた学友達の顔が思い浮かぶ。転校すると告げた時、友達の女子やいつの間にかできてた舎弟達がギャン泣きして非常に申し訳ない気持ちになった。
そんな平穏な日々に別れを告げ、ここまでやって来たが、もとより目立つことを全力で避けたい少年。“折神家”の“親衛隊”というネームバリューのとんでもない所に、“男性初”の“刀使”として“働く”のだ。
こんな責任と注目を集める要素が豊富な中に突っ込みたくなかった。何ならお近付きにすらなりたくない。
が、紫の押しに負けたのは自分だ。というか折神家の関係者である時点で割り切るしかない。
意を決して門をくぐった。
数分で迷った。
「……ココドコー?」
流石に広い。鎌府女学院が敷地内にあるだけあり、広大だ。中には入ったが、警備の刀使に捕まりかけた。
「新しくここで働くことになったんですが」
の一言で一応何とかなったが、その時に道を聞いておけばよかったと後悔する。
余談だが、本来ならここで親衛隊の誰かが迎えることになっていたのだが、昨日遠方で荒魂が発生し、親衛隊が全員出払ってしまい、まだ帰って来ていないのだ。
新が早く来すぎたというのもあるが。
あれ? 紫様警護はどうしたんすか? と思ったあなた。
その心配はない。鎌府女学院の学長が、自らの刀使を警護に派遣している。
それより、先程から職員と思しき人達からの視線が痛い。が、躊躇っていては進展しない。
よって、
「……あの、紫様に挨拶に来たんですけれど」
とりあえず助けを求めた。
「すっかり日をまたいでしまったね」
「あの程度なら他に任せても良かったでしょうにね」
「私は動けて楽しかったな~。弱くてつまんなかったけど」
親衛隊の四人が帰ってきた。昨晩東北地方に荒魂が現れたので、緊急で出撃した彼女たち。ついでに少しだが休みを貰い、今こうして帰ってきたわけである。
「そういえば! 今日だよね、夜見おねーさん! 新しい子が来るのって!」
「はい、そう聞いています」
「昨日準備はしておいたけど、途中で切り上げてしまったからね、帰ったら改めて歓迎会の準備だ」
「ええ……どのような方なのでしょうね」
「聞いた話には、私と同じ歳なのだとか」
「へぇー」
「結芽、最初から手合わせ、なんてことはないようにしてくれ。確か東海地方から来るという話だ。疲れてるだろうから、少なくとも今日はやめておけ」
「えー、紫様が遊び相手で連れてくるって行ってたのに~」
「いつの間にそんな話を?」
親衛隊四人揃って仲良く歩いているが、一人暗い表情をしている。
「夜見、どうしたんだ? そんなに暗い顔をして」
「……いえ、少し考え事を」
夜見だ。一人だけ沈鬱な表情で少し俯いている。真希や寿々花が心配して声をかける。
「あまり無理はなさらないように」
「もちろんです」
「もしかして夜見おねーさん、初恋の人のこと考えてた?」
その中で結芽はニヤつきながら言った。夜見の表情は変わらない。
「初恋……ああ、あの初めて会った時に聞いてきた?」
「うんそう。その人のことになると夜見おねーさんすごく嬉しそうなんだよ!」
「……そうでしょうか」
「そうだよ!! だって夜見おねーさんその人の話してるといつも無表情なのに見てわかるぐらいに笑顔なんだよ!!」
これには二人も驚いた。結芽の言う通り、夜見は全く表情が変わらない。ポーカーをやったら十中八九圧勝できるほどに無表情なのだ。いや、感情はある。だが、その機微が一切顔に出ないのだ。
「……」
「まあ、なんにせよ、だ。今日来る子が何か知っていたらいいね」
「はい」
「夜見さんの大切な人ですもの、私達も応援しますわ」
「ありがとうございます」
暗い表情が消え、前を向く夜見。この時、夜見の耳が赤くなっていることに気づいたのは、寿々花ただ一人だった。しつこく絡む結芽は真希に怒られた。
「紫様の押しに負けたか……お前さん苦労人だな」
「よく言われますね。どうも俺は厄介事が舞い込む星のもとに生まれたらしいんで」
一方、新は研究員と話していた。
ここに来て初めて声をかけたのがこの研究員、主に刀使の装備を開発する部署の主任、森元さんである。
声をかけた瞬間、新と森元さんは瞬時にお互いを同類だと認識した。二十歳離れた友達ができた。
そして新は今、自分がここにやってきた経緯を話したところである。
「しかし、男が御刀もなく荒魂を祓えるのか……にわかには信じ難いな」
「俺は寧ろそれが普通じゃないことに驚きました。ってか刀使の存在を知りもしなかったし」
「ほーう、じゃあ自分でそれがなんでかってのはわかってんのか?」
「目星はついてるが、確証がない。この本におおよそ書いてあるんだろうとは思うんですが、所々破れてて読めんのです」
「見せてくれるか?」
新は頷いて本を手渡す。森元さんはパラパラとめくって読むが、
「……随分と古い本だな。全く読めん」
「でしょうね」
ちっともわかりやしない。本自体がボロボロな上、字が汚いのだ。新自身も未だ読めていない箇所が多い。
「まあ、コツがいることは確かですな」
「……ふーむ。まあ、機会があれば見せてくれや。一般人が荒魂に対応出来るヒントがあるかもしれんしな」
「ウッス……それじゃ俺もそろそろ行きますね」
「おう、頑張れ……俺も助手にどやされる前に戻ろうかね」
と、二人が立ち上がったとき、新が何かに反応したように一点を見つめていた。彼に数秒前の軽さはおろか、感情も感じられない。
「どうしたんだ?」
「……荒魂が出た」
「何だと!?」
数拍遅れて、刀使が新の向く方角に行くのが見えた。
「まさか、本当に……」
「俺も行きます、また会いましょう」
そう言い、新は居合の構えをとる。するとどこからか、シイィィィ……という音が聞こえてきた。
それが止んだかと思えば、
新が先程までいた場所に、クレーターのようなものができ、新の姿はなかった。
「……何、なんだ……これ……」
クレーターを見て呟く森元さんの声は、澄んだ青空に消えていった。
森元さんは森元さんであり、それ以上でもそれ以下でもありません。