「いいだろ? ちょっとくらい恵んでくれよ」
「俺たち困ってるんだよね~」
「え……えっと……」
眼鏡をかけた中学生が、いかにも不良という言動の高校生に絡まれている。
塾の帰りに、ふらりとコンビニに入ったのが間違いだった。小腹がすいたためにお菓子を買って出たところ、目をつけられてこんな暗い路地裏に連れ込まれてしまった。
心臓がばくばく言っている。財布を差し出せば大人しく去ってくれるだろうか。
ポケットに手を入れた瞬間……誰かが不良の後ろに立っているのが見えた。
それは一見、ゆらめく影のようにも思えた。
濃い灰色の迷彩服、鼻から下はフェイスガードのようなものを着けていて、フードを被っているため顔は見えない。
不良たちも眼鏡男子の視線に気が付いたようで、振り向く。
「なんだこいつ」
「おいおい迷子か?」
灰色の男は黙ったまま、素早く腕だけを動かした。
鈍い音がして、直後、マスクの男の前に立っていた不良ががくりと膝を落とす。
「なんの冗談……」
へらへらと笑っていたもう一人が、仲間が頭から倒れるのを見て表情を変える。
そこで、ようやく不良はマスクの男の目を見た。ゴーグルで覆われた奥の、鋭く射抜いてくる目を。
「逃げろ」
フードの男が声を出した。
あっけにとられた不良の手が緩んでいる。眼鏡の中学生はなんとか足を動かして、その場を離れることに成功した。
「お前まさか……」
不良が言葉を続ける前に、男はぱっと近づいてみぞおちに一発拳をめり込ませた。
声にならない悲鳴を上げて、不良が後ずさる。しかしここで退いてしまえば不良の名折れ。腹を抑えたまま、不良は拳を振った。
それが間違いだった。
大振りの腕はマスクの男に軽くかわされ、そのまま足を払われる。受け身をとれず、地面に背中をしたたかに打ち付けられ、不良の肺から空気が出された。
苦しさにあえぐ彼の首を男は掴んだ。
「助けて……」
空気がないのと恐怖で、蚊の鳴くような声でしか喋れない彼を無視して、フードの男は拳を振り上げた。
一発、顔に叩き込む。不良の鼻が折れ、血が流れる。
一発、今度は前歯が折れた。この暗闇の中では、どこにいってしまったのかわからない。
一発、すでに気絶寸前の意識を無理やり起こすように痛めつける。
一発、一発、一発……
△
学校にいる間は憂鬱である、というのが椚ヶ丘中学三年E組が持っている共通の思いだ。
どれだけ爽やかな朝でも、重くのしかかる憂鬱さには勝てない。
他とは違って落ちこぼれである俺たちには、本校のやつらに公然といじめられる時間がスタートするのだから、当たり前だ。
「
「おはよう、
校舎への長い道のりを歩いている途中、丸眼鏡をかけた細身の男子に挨拶される。
竹林
見た目はザ・オタクって感じだけど、意外にも胆力は優れている。いや、オタクはそういうのが多いのかもしれない。
「これ、知ってるかい?」
歩きながら、彼が新聞紙を広げる。そこに小さく、『フードの男が高校生を暴行』と書いてあった。
「これが何だ?」
「昨日、そのフードの男に助けられたんだ」
竹林は眼鏡をくいっと上げた。それを見せるためにわざわざ新聞を持ってきたのか?
その詳細は誰よりも俺がよく知っている。だが俺はとぼけた。
「助けられた?」
「絡まれてね。けどその男が逃がしてくれた」
「夜は危ないから外に出るなって言っただろ」
「しょうがないじゃないか。塾に行かなきゃいけないし」
「ならせめて、もっと安全なところを歩くべきだな」
俺が夜の街に潜んで殴るのを繰り返してからまだ数か月程度だが、『フードの男』、『マスクの男』などと呼ばれてしまうくらいになってしまった。
だがまだ世間的には有名とは言えず、警察はまだ本腰を入れていない。新聞でのこの扱われ方がそれを表していた。文面だけ。しかも数行の小さな見出し。
もっと大きな事件が日本には転がっているのだ。通り魔的な一人の男を熱心に追うほど、どこの誰も暇じゃない。
そのことは俺にとって幸いだった。注目されていないということは、そのぶんバレにくい。
とはいえ、気を付けないとな。やることを控えたりはしないが、捕まらないように注意すべきだろう。
学校への道とは思えない山道を登りきると、ようやくぼろい建物が見えてくる。綺麗に整えられた本校舎と違って古臭い木造の校舎……というか、教室が一つと教員室、あといくつかの部屋があるだけの小屋だ。
成績最下位組に与えられた唯一の場所。
ふう、と一息ついて中に入り、きしみ音をさせながら廊下を渡る。教室に入り、クラスを一瞬だけ見渡す。もうほとんどが揃っていて、談笑しながら朝のチャイムを待っていた。
六列あるうちの、窓際から二番目。その一番後ろの席に腰掛ける。
「よう、國枝。なんかスーツを着た大人がうろついてたぜ。事件でもあったのかね」
一息つく間もなく、前の席の男子が話しかけてくる。
俺は挨拶を返してから、鞄の中身を出していく。
「さあな。とにかく大きな面倒がなければなんでもいいさ。そうだろ、
「間違いない。俺らエンドのE組に何かあるってなったら、だいたい虐められることになるからな」
成績低下や素行不良者が送られる場所で、そのヒエラルキーは最下位。
問題があればなにかと疑いをかけられ、かばう人間はいない。しかもそれをよしとしている環境を作ったのが理事長。救いは求められない。
何もなく平穏に過ごせる日は貴重だ。だからこそ無事に一日が終わることを祈る。
そんな俺たちの考えは、朝のHRですぐに打ち破かれた。
「初めまして。私が月を
俺を含めて、クラスの全員が唖然とした。
いかにも『できる男』顔のスーツマンとともに入ってきたその生物は、開口一番そう言った。
『生物』と言ったのは、それがお世辞にも人間とは思えなかったからである。
頭に浮かんだ言葉は『タコ』だった。
頭は丸く、何本もある触手。色は黄色いが……しかしイメージとして、その軟体ぶりはタコ以外の何にも例えられない。
だというのに、そいつは人間のように立ち、人間の言葉を喋っている……人間のように服を着て。
そんなのがいきなり来て、クラスは凍りついた。
「あんなん信じられるかよ……なあ、國枝」
「ま、まあ現実に目の前にいるわけだから、信じざるを得ないわけにはいかないこともないわけで……」
もごもご言いつつも、俺は目を疑う。目は良いほうだと自負していたが、どうにもこの光景は現実離れしていた。
俺は落ち着きを取り戻すためにもそいつをよく観察した。
丸い頭の正面に、点のような目と半円の口。笑っていると即座にわかった。
その口から発せられたのは、月を破壊した犯人であること。
それはおよそ一週間前のこと。
突如として、月の半分以上がなくなった。
ニュースで連日大騒ぎになっていたが、犯人も方法も目的もわかっていない。それを、こいつが……
半ば納得できるのは、その特異な見た目のせいだろうか。ともかく下手に突っ込むと危なそうだ。
こいつがE組の担当教師に?
「君たちにはこいつを殺してもらいたい。賞金は百億」
前半の言葉は、後半の衝撃にかき消された。
百億。大金という言葉などでは片づけられない金額だ。
つまり、こいつが月を爆破したかどうかはともかく、次に言った地球を破壊するくらいの能力はあると考えていいだろう。でなければそんな金を出す意味がない。
聞けば、この超生物がE組の担当教師になることを望んだらしい。
政府はこれを承諾せざるを得なかった。
こいつがもつ能力を鑑みれば、逃げられるより、条件を呑んでここに置いたほうが監視・管理・殺害しやすい。そして殺す役目を俺たちE組に託したというわけだ。
政府、超生物、暗殺。
漫画でしか聞いたことのない、俺たちに縁のない言葉だったはずだ。だが現実では、それが一気に降りかかってくる。
俺の心配をよそに、E組は盛り上がっていた。
「百億! そんなにあったら何でもし放題だぜ!」
菅谷が振り返る。
俺は答えず、下唇を噛んだ。
政府すら手も足も立たなかったほどの生物だ。簡単に殺れるとは思わない。
それに……百億を狙うのが、俺たちだけとはどうも思えない。
進学校の生徒とはいえ、中学の、しかも落ちこぼれ組だ。そんな俺たちに地球の命運を丸投げするわけはないだろう。
嫌な予感だけが俺の胸の中で育っていた。