女子高生が廃墟で出会ったのは、謎の幻獣。
滅びゆく世界の終わり際に、少女の命が煌めきを放つ。


現代ファンタジー。

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獲麟

 

 廃墟とか入っちゃダメ、とは百万回も言い聞かされてきたけれど、あの打ちっぱなしコンクリートの、冷え冷えとした孤独感には抗えない。南京錠はぴかぴかでも、ドアの金具のほうが腐り落ちてちゃ意味ないし。サボりの女子高生にだって簡単に侵入できるというわけだ。

 私は砂と落ち葉の入り込んだ床にカバンを投げ、ついでに我が身もぽーんと放り捨て、カバンを枕に寝転がった。スカートのポケットでスマホが振動してるのが聞こえる。バイブのリズムからしてLINEだから、私はいつものようにした。というのはつまり、聞こえなかったことにしたのだ。

 ここには()()()()()

 目を閉じれば、遠くの国道から微かな走行音が聞こえてくる。アスファルトの上を高速でタイヤが滑っていく音。そんなに急いでどこいくの。仕事? レジャー? でなければ、ずっと前から殺したかった奴を、せっかくだからぶん殴りに行く? なんだっていい。何もかも虚しいことだ。

 世界はもうすぐ沈没するんだから。

 ……らしいよ。テレビは大騒ぎしてるし、Twitterなんか地獄絵図だ。よく分かんないけど。現存在による可能性の了解の崩壊……とか。数学的可能性の実在まで含めた完全な消失……とか。難しいこと、よく分かんない。あるいはいずれ分かるようになることだったのか。

 どのみちもう、学ぶ時間はない。卒業式を待たずして、全部終わる。

 だから廃墟とか入っちゃダメ、なんて、くだらないと思うのだ。いいじゃないの。誰だって自分や他人が定めたルールの中で生きてるけど、こんな状況なんだから。せめて、他所から押し付けられたルールくらいは、少しばかり破ってみたって……

 ま、世間がパニックになる前から、ちょくちょく破ってたんだけどさ。これは内緒な。

 ともあれ、私はお気に入りの場所にこもり、お気に入りの孤独と寂寥を思う存分愉しんだ。どうせ死ぬならここがいい。家族とかもういいや。今際の際まで母の感傷に付き合わされるのは嫌だ。静かに、ぼんやり、眠りに落ちるときみたいに……ってのが理想的。

 なのに私は、余計なものの気配を嗅ぎ取ってしまった。何か物音がした。奥の部屋だ。風でも入った? ひょっとしたら変なオッサンでもいるのかも。どうせ最後ではあるけど、妙なことされながら死ぬのは嫌だなあ。

 私はそこらに転がっていた謎の金属棒(たぶん組み立て式スチールラックの部品)を握り、恐る恐る隣の部屋を覗き込んだ。

 そこに、そいつは、丸まっていた。

 私の目も丸くなった。

 なんだこいつ。なんていう生き物? 鹿……か何かに見えるけど、身体は極彩色のウロコに覆われていて、顔は若干爬虫類っぽい。私の知るどんな生物とも違うけど、敢えてイメージの似ているものを探すなら、ドラゴン。翼のない、四足歩行のドラゴンってところか。

 いやいや。ドラゴンて。ポケモンちゃうねんぞ。

 関西芸人のコント動画由来の怪しげな関西弁で自己ツッコミを入れながら、私はそうっと“ドラゴン”に近寄っていった。と、突然“ドラゴン”の目がバチリと音を立てて開いた。黄金色の瞳が私を刺すように睨む。ここで私は自分が武器をぶら下げっぱなしであることに気付き、なるべくゆっくりした動きで、棒を足元に寝かせた。

「ほら。怖くない」

 どっかで聞いたようなセリフだなあ。

「あー……指、噛んでみる? やっぱダメ。痛そう」

 私はナウシカにはなれそうもない。

 “ドラゴン”が目を細めた。私はキョトンとして、彼のそばにしゃがみ込んだ。不思議な気分だ。相手はどう見ても動物なのに、言葉が通じたような気がしたのだ。つい先ほどまで強張っていた“ドラゴン”の背中の筋肉が、ゆるりと弛緩した。

 なんだか、笑っているみたい。

「あのさ……怪我してる?」

 “ドラゴン”が私の目を見る。

「違うか。でも、弱ってる……

 何か食べ物持ってこようか? 草食? 肉食?」

 煌めきを。

 私は言葉を失った。

 今、はっきりと()()()()。耳ではなく心に。言葉ではなく意図で。ゾッとするほどの正確さで、私は彼の思いを()った。

「煌……めき……」

 星の、天にあり陽に包み隠されながら、なお視るべからざる光を放つが如く。

「やめろよな、そういうの」

 私は眉間に思いっきりシワを寄せた。

「古文漢文の中間、両方20点だぞ!」

 

 

 私は学校に飛んで帰った。目的は図書室だ。図書室! あそこも静かで、昼寝に最適。だが今の目当ては快適な睡眠生活じゃない。動物図鑑だ。

 廃墟で出会った“ドラゴン”のことが、なぜか無性に気になって、私はほとんど生まれて初めて、読書らしい読書をした。といっても写真ばっかりの本だけど。鹿の仲間……ヤギの仲間……馬……ひょっとしてトカゲ……? 思い当たる動物のページを片っ端から確認したが、どこにもあの生き物は乗っていない。ところが、半分冗談のつもりでドラゴンが載ってる本にも手を出してみて、そこで正解に行き当たった。

 鹿の身体に牛のしっぽ。顔は竜で、体中にはカラフルなウロコ。あらピッタリ。

 “麒麟”だって。首、長くないけど? そのキリンとは別物だって、すぐ下のコラムに書いてあった。

 で、麒麟って何食べるの?

 載ってるわけない。これはファンタジー生物の図鑑だ。実在しない生き物なのだ。とはいえ、と私は考え直す。『こんなもの実在しない』、それもまた誰かの定めたルール。せめて他人に押し付けられたルールくらい破ってみるんじゃなかったか? この私は?

 図書委員にやり方を教えてもらって、私は3冊の本を借り出した。図書委員は裏表紙にベッタリ貼られたバーコードをきちんと読み取り、なんかパソコンいじって、手続きをしてくれた。私は首を傾げ、ぜんぜん悪意からではなく、純粋な興味から尋ねた。

「ねえ。あほらしい、とか思わない? 世界が終わるのに手続きとか」

 図書委員は、少しはにかんで答えてくれた。

「でも、残りの時間のどこかで、その本を読みたくなる人がいるかもしれないから」

 ふうん。

 なるほど。

 うん。

 私は再び廃墟に飛んで帰り、麒麟のそばにあぐらをかいて、借りてきた本を広げた。麒麟は私がいない間ぴくりとも動かなかったようで、私の足音を聞くなり、さっきと同じ位置、同じ姿勢から、わずかに顎を持ち上げ、視線をくれた。

「ここに麒麟のことが書いてあるんだ」

 ぽん、と開いたページを叩いてみせる。

「とりあえず、何食べるのか調べてみるからね」

 と、鼻息を吹きましたけれども。

 いやあ、載ってないね。全然ない。それから3日、毎日廃墟に通い、麒麟のそばで本と格闘したけれども、分かったことと言えば、麒麟は伝説だってことくらい。1000年に一度現れる、とか。スーパーサイヤ人じゃあるまいに。

 あと、孔子という人が、麒麟のことを本に書いてるらしい。孔子……孔子って誰。困ったときはスマホで検索。はあはあ。中国人ね。

 こうなったらヤケだ。私は麒麟に、「もうちょっと待ってね。調べるから」と断りを入れ(なんか麒麟に苦笑された気がする)、再び図書室に飛び込んだ。前の本を返却し、今度は孔子の本を探す。あるある、何冊もある。というかこの人だけで本棚が1列埋まるくらいある。やっば。有名人じゃん。

 それで私は読んだ。何冊も何冊も読んだ。はじめは孔子。ピンと来ない。次になんか韓国人のやつ? いや、韓非って韓国人じゃないってこと? まあ、どっちにしろよく分からん。その次に手に取ったのが、たまたま近くの棚にあった薄い本だった。

 めちゃくちゃ面白かった。笑えた。

 なんだこれ? と解説をよく見てみたら、中国の笑い話の本だって。全然関係ないのを読んじゃったな。

 でも面白かったのは事実だ。

 私は生まれて初めて、本を読んで面白いと思った。なんだか妙な気分だ。変に高揚してる。頭がおかしくなったのかも。とりあえず、本棚からなんの脈絡もなく3冊引っこ抜いて借り出し、廃墟に籠もって読んだ。読み終わったらまた図書室へ。面白い本にいくつか出会った。ぜんぜんつまらない本はその数倍もあった。でも、どんな本を読んでいるときも、麒麟は私のそばに寝そべり、興味深げに一緒にページを見つめていた。

 不思議なことに、何も食べた様子もないのに、麒麟は飢えるどころか、少しずつ元気を取り戻しているようだった。最近では立ち上がって私を出迎えてくれるまでになった。私が読んだ本が麒麟のエネルギーになってるのか? まさかね。

 よく分からないが、悪くはない。新しい友達ができた気分。邪魔の入らない静寂の廃墟に、物言わぬ友達とふたりきり。そして手の中には、知識が満載された紙の手触り。

 私は手当たり次第に本を読み漁り、読み漁るうちに、世界の危機のことをすっかり忘れてしまっていた。もう何日もツイートしてない。テレビなんかぜんぜん見る気がしない。学校もついに永遠の休校に入ってしまった。卒業式を早めに行う案もあったらしいが、それをキッチリ実行に移そうとする人は、もう誰も残っていなかった。街の住人の大半は、どこか標高の高いところに避難していった。津波が来るとかなんとか噂になってるらしい。おかげで街はひっそりと静まり返り、世界すべてが廃墟のようだ。

 それでも図書室に行けば、図書委員に会えた。

「もう電気が来ないんだ」

 図書委員が、レポート用紙にボールペンで貸出記録を付けながらぼやく。暖房も付かないから、室内だけどコート着用だ。

「はい。返却は3月4日までです」

 

 

 私も図書委員も、その日が来ることがないことを知っている。返却期限はもはや守られることなく、これらの本は永久に貸出中のままになるだろう。あるいは、と私は思う。何もかもが消えるのなら。人間が定めたカレンダーというものも、そこに書かれた(すう)という体系自体も、世界とともに失われるなら。そのとき、貸出期間という誓約は、いったいどこへ行くのだろう。

 

 

 私は廃墟の、麒麟のもとへ戻った。

 麒麟は私を待っていてくれ、私の姿を見るなりそばに寄ってきてくれた。私は彼の鱗を撫でた。今では麒麟はそれほどまでに私に気を許してくれていた。今日はここに泊まり込みで読もう。家にはもう帰らない。どうせ家族はみんな避難してしまったし。

 最期はここがいいと、願っていた通りの迎え方ができるなら、こんなにいいことがあるだろうか。

「ねえ」

 新しい本の表紙を開きながら、私は麒麟に語りかける。

「図書室には山ほど本があってさ。結局、ほんの少ししか読めなかったけど。もっとでかい図書館には、もっとたくさん本があるんだよね? 外国にまで行けばもっともっと……」

 私は顔を持ち上げる。砂汚れでくすんだ窓の向こうに、微かに見える星の煌めき。ちっぽけで。無数にあって。どれひとつとして名前も知らない、でも確かにそこにある星々。

「一生かかっても読み切れないな」

 たまらなくなって、私は目を閉じた。そのまま後ろに寝転がる。麒麟が私の隣に寝そべり、肩の上に優しく、顎を乗せてくれた。

「世界って、広いんだなあーー」

 

 

THE END.



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