※ぐだ男×キルケーのSSです。
アイアイエーの春風のオデュキル描写に狂ったので投稿。
イベントシナリオが最後まで配信されるより前に書いたものです。
イベントシナリオの結末で浄化されたら消すかも知れません。
「——ねぇ、キルケー」
「ん? なんだいマスター?」
「……いや、なんでもない」
呼びかけて、止める。彼女は不思議そうに首を傾げて、再び後ろを向いた。
鍋の火加減を調節しながら、彼女は手際良くなにかを混ぜてゆく。中では、彼女の得意料理であるキュケオーンが作られているのだろう。
カルデアの自室に、キッチンを新設したのはいつだっただろう。
そこに立つのは決まって一人。
自分と比べて、ずいぶん小柄なシルエット。それを言えば怒りだすから言わないけれど、忙しなく動く小さな後ろ姿が可愛らしい。
キルケー。神話時代のギリシャに名高い、鷹の魔女。カルデアの召喚に応じてくれた、藤丸立香のサーヴァントで——多分、きっと、恋人。
ふう、と。ため息が漏れた。
一点の曇りない自信を持って、彼女を恋人だ、と言えなくなった。
彼女のことを愛していないとか、そんなことはありえないけれど——彼女が自分を
我ながら女々しい限りで、けれど、どうにも。
『——キルケー? ……このカルデアには、彼女もいるのか?』
思い返す、昨日の会話。
二週間前に召喚された、新しいサーヴァントは、そう言って首を傾げた。
カルデアに召喚されて二週間とは言え、一度もキルケーと顔を合わさないのはおかしな話だ。
よしんば会っていないとして、その存在すら知らないのはありえない。
彼女は曜日にもよるが食堂にも立つし、交友関係が極端に狭いわけでもない。
意図的に、避けている。避けさせている。
本人にそんなことをする意味はないのだから、つまり。
キルケーこそが、彼を——オデュッセウスを避けているのだろう。
「(聞けないよな……。——『オデュッセウスのことを、どう思ってるの?』なんて)」
キルケー。アイアイエー島の魔女。
彼女の最も有名な逸話は「オデュッセイア」に由来し——そこで彼女は、オデュッセウスに恋をした。
それは結局、破局に終わったのだけれど、それはオデュッセウスが故郷を目指すために彼女の元を去る、という形でだ。
彼女は、オデュッセウスのことを未だに引きずっている。
その別れは、彼女に深い傷を与えたのだ。
藤丸はそれを知っている。本人からも聞いて、けれど——知らない。
振り切った、と。
過去のことだ、と。
そう嘯く彼女が、本当のところ、彼にどんな感情を持っているのか。
それをずっと、聞けないままでいる。
もし、恐れている答えが返ってきたとき、どうすればいいか分からないから。
藤丸立香は、今日も彼女の後ろ姿を追っている。
***
「いいんですか、叔母様」
キルケーは聞こえなかったようにティーカップを手に取った。
カップの中の紅茶は少し冷めていたが、香りは褪せていない。
遠くインドから来るそれは、自分たちが生きた時代にはなかった物だけれど、なかなかどうして悪くないものだ。
「……叔母様!」
「なんだよメディア、しつこいな」
聞かなかったことにして話を流そうとしたものの、メディアは食い下がった。若い方の彼女はどうにも押しが強くて、苦手だ。
キルケーはため息をついて、眉をハの字に曲げる。
「叔母様、いつまで逃げ続けるつもりですか」
「逃げる? 誰からだよ」
「……何から、とはおっしゃらないんですね」
墓穴だった。
キルケーは再び、深々とため息をついた。
「一度、会われた方が良いのではないですか?」
「……会う理由もないさ」
「あるでしょう」
「ない」
「なら、『会いたくない理由』があるんですか?」
「…………」
それに「NO」とは、言えなかった。
「嘘偽りなくいうけれど、あいつには——オデュッセウスには、未練なんてないんだよ」
キルケーは、自らの体にナイフを突き立てるかのように、苦しげに言った。
「もうずっと昔に終わったことで——そもそも、あれは恋ですらなかった」
「恋にすら『しなかった』んじゃないんですか?」
「さあ、どっちでもいいじゃないか。終わったことだ」
「終わってないから、苦しんでいるんでしょう?」
これだ。
これだから、キルケーはメディアが苦手なのだ。
無謀に、無作法に、無遠慮に。自分が「こうだ」と思ったことを疑わず、直進してくる。他人の事情なんてお構いなしだ。
「じゃあなんだ。いまさら蒸し返してやり直せってのかい? 冗談はよせよ。死ぬほど迷惑だ、その「要らぬ親切」は」
「いまさら恋をしなおせ、なんていうはずがないでしょう。ただ、決着をつけるべきだ、と言ってるんです」
「決着?」
「あなたは——失恋をするべきなんですよ」
がしゃん!
テーブルが揺れて、カップとソーサーが跳ねた。
キルケーは拳をテーブルに叩きつけて立ち上がっていた。
それがどのような感情のもとになされたことか、自分でさえわからなかった。
「もう、それが答えのようなものですよ。いつまでも置いておくから、いつまでも見ないままにしておくから、いつまでも先に進めない」
「…………」
キルケーは何も言えなかった。なにかを言おうとして口を開いて、けれど濁流に飲まれる小鼠のように混乱した頭は、言葉を紡いでくれなかった。
「マスターと、うまくいっていますか」
返答に窮する。
目眩がして、ぐっと歯をかみしめた。
「叔母様、選ばなければいけないんです」
「私は……」
「自分にさえ嘘をついたままでは、ずっと一人ですよ」
目を閉じても、耳を塞いでも逃れられない。
それは誰より、自分自身がわかっていることだった。
***
「よう、鋼鉄スーツの伊達男」
カルデアの食堂。
多くのサーヴァントで賑わうそこの一角。
先客と向かい合うように、一人の男が席についた。
緑の髪と筋肉質な体。力強い印象を受けるその男こそ、トロイア戦争に名高いアカイア最大の英雄、アキレウスだ。
そして彼が声をかけた相手こそは——
「おお、アキレウス。お前も昼食か」
赤が混じる白い髪に、厳しい顔つき。見た目から受ける印象ほど堅物でもない彼は、トロイア戦争を終わらせた軍師にして、「
「ああ、トレーニング後でな。ついでにちょっと、お前に聞きたいこともあった」
「聞きたいこと?」
「まあ、お使いみたいなもんでな」
後世の後付けデタラメ話じゃあるが、夫婦だったなんて言われることもあるんだ。頼みごとの一つや二つは聞くべきだろ。
なんてつぶやかれた言葉は、オデュッセウスには理解できなかった。
「まあ、大体のことは答えるが、なんだ?」
「周りくどいのはめんどうだから直入に聞くが……キルケーって魔女のことを覚えてるか」
「ああ、アイアイエー島の? そりゃな」
「あいつのこと、どう思ってる?」
「ん? ……そうだな。世話になった、と思っているが」
「それだけか?」
アキレウスは拍子抜けしたように言う。
聞いた話からすると、ずいぶん淡白に思えた。
「……なんかもうちょっとこう、ないのかよ」
「そうだな。別れ際は、少しばかり心残りだ」
「心残り?」
オデュッセウスはうなづいた。
「出会いこそは最悪だったが、それでも一年あの島で過ごした。色々とあったが、ずいぶん世話になって、それを忘れたことはない。そして彼女は、島を出ようと——故郷へ帰ろうとする俺を、最後まで案じて引き留めようとしていた。それは口論に変わり、最後には無理やりになって、結局は振り切って島を出たが——きっと、傷つけただろうな」
「……なるほどね」
アキレウスは大体を察した。
きっと、情がないわけではなかったのだろう。
ただ彼の中には、譲れぬものがあったのだ。
***
マスターへ。
少し出かけてきます。
***
「話があるんだ」
そう言って、キルケーは男を呼び止めた。
その後ろ姿はあの時からなにも変わらない。
「わかった、聞こう」
歯切れの良い返事だ。
その迷いのなさが、迷いだらけの自分を嘲笑うようにさえ思えて、憎たらしくなる。
「場所を変えよう。ついてきて欲しい」
ダヴィンチには、話を通してあった。
彼女は人の思いを汲んでくれる。良いやつだ。少し察しが良すぎるところは嫌いだったが、口をつぐんでいる良識はある。そういう気遣いができる部分は、今の姿になっても変わらない。むしろ今の方が上手いのかも知れない。
シミュレーターではあるけれど、そこはかつてのあの場所そのものだ。
彼女の記憶から作り上げたのだから、当たり前ではあるのだけど。
「ここは——アイアイエー島か」
覚えているらしい。
なんだかんだ、一年も一緒に過ごしたんだ。忘れているはずもないか。
時刻は夕暮れ。血のように赤い空と、沈みかけた太陽。海はオレンジに輝き、寄せては返す波の音が穏やかに響いている。
「——初めて出会った時から、きみのことを、鉄のような男だと思っていたよ」
キルケーは後ろを向いたまま話し出した。
背後の彼が、どんな顔をしているかはわからない。
けれどそうでもなくては、話すことさえできなさそうだった。
「硬くて、重くて。叩いても曲がらず、熱しようとも歪まない。鉄の心を持った男だと」
だから。
「手に入れたくなった。それは簡単だと思った。私は魔女だから、きみみたいな男であろうと、豚にならない男だろうと、手に収められると思ったんだ」
けれど。
「きみは変わらなかった。きみを満たしてやろうといろんなことをした。故郷なんて忘れるべきだと言ってやった。お前が帰ってももう居場所はないと言ってやった。全部……間違いだったわけだけどね」
自嘲するように笑った。
彼を満たそうとする行為は、彼を満たすことはなく。
彼の故郷には彼を信じて待つ人がいて。
戻った彼はあるべき形に、幸福に収まった。
「私は——」
私は。
ずっと。
「きみが好きだった」
振り向いて、夕焼けが彼を照らしていた。
仏頂面。不機嫌そうに見えるけれど、怒ってるわけじゃなく、それが普通だ。そんな表情の機微さえ分かるほどに、かつて彼を知ろうとしたのだ。
焦がれて、求めて、手に入らないと分かって。
掴む袖さえ振り払って、この島を抜け出した彼が。
どこまでも憎くて、好きだった。
「そうか」
彼は、少し目を閉じて、答えた。
「その思いには、答えられない」
開かれた目が、キルケーを見ていた。
揺るぎない瞳に、かつても今も、変わりはない。
「妻がいるんだ」
「愛しているのかい」
「ああ、愛している」
「私のことは?」
「愛せない」
キッパリと。呆れるほどストレートな拒絶。
でも、思っていたよりもずいぶんと、それが清々しかった。
「ひどいやつだ、きみは。少しくらい優しく言えよ」
「本音には、本音で返すべきだろう」
「はは、全く、きみってやつは。なんて残酷な男なんだ」
涙は出なかった。
もっとずっと、傷つくと思っていたのに、不思議と納得があった。
「もっと、辛いと思っていた」
失恋は。
何千年も引き摺ったそれが、白日の元に晒されるのは。
「なんというか、すっきりしたよ」
そう、すっきりした。
長い間積み重なり続けていた感情の負債が、消えてなくなった。
「不思議だね」
そう言って笑うキルケーをこそ、彼は不思議そうに見つめた。
「驚いた、気付いていないのか?」
「なにをだい?」
「それは——いや、無粋か」
キルケーの頭に疑問符が浮かぶも、オデュッセウスはただ笑うだけだ。
「俺は戻る」
「なんだよ。置いてくのか?」
「すぐに迎えが来るさ」
言うや否や、オデュッセウスは消えた。シミュレーターから離脱したのだ。
なんとも無愛想な男だ。キルケーは呆れて、海岸を歩いた。
「はー、全く……。迎えって言っても、誰が——」
なんて、一人のつもりで振り返って——停止。
「キルケー……」
「ま、マスター?」
泣きそうな顔をした、己のマスターがそこにいた。
「どうしたんだよ、そんな顔で」
「その……置き手紙があったから」
確かに、部屋に書き置きをした。
少し出かけてきます、とだけの、簡素極まるそれで、シミュレーターにいることさえわからないはずなのに。
「どうして……」
「キルケーが」
一歩、近づいた。
「キルケーが、いなくなってしまうかもしれないと思った」
あんぐりと、キルケーは口を開けた。
怯えと、嫉妬と、愛情と、恋情と。入り混じった表情は、なんともいじらしく。
見ているうちに、じわりと胸の奥があたたかくなって——
「あははははっ!」
大声で笑った。
「き、キルケー!?」
「きみは、きみは私が消えてしまうと思ったのかい? オデュッセウスに付いて行って? それが不安で迎えにきてくれたのかい?」
「いや、だって……!」
「うふふ。そうかそうか! いやいや、ごめんよ。不安にさせてしまったね。悪かった。あはっ、あははははっ!」
そっと、頬を雫が伝った。夕陽を受けて、輝く雫が。
失恋したって流さなかったそれが、どうしていまさらあふれだしたか。
「そうか、そうだったんだ」
ずっと引きずり続けて、ずっと心の奥にしまっていたから、わからなかったけれど。
心の奥にモヤモヤとあり続けていたそれは、未練なんかではなかった。
古い記憶が、新しい恋を邪魔する痛みだったのだ。
「ねえ、マスター」
キルケーは、マスターにそっと抱きついた。
「私、失恋したんだ」
胸に顔を埋めて。その暖かさを、その恋しさを確かめた。
「ひどい男に、お前なんか嫌いだと言われて、私は大層傷ついた。だから——」
胸の内から見つめる
「慰めてくれるかい?」
***
「昔ね、私はずっと一人だったんだ」
遠くに細波の音が聞こえる。
寝転んで、共に星空を見上げていた。
「寂しくて、苦しくて、そこへ、一人の男が現れた」
鉄のような男が。
「私は彼が羨ましかった。彼は強かった。筋力が、とかじゃないよ? 心が、あり方が。私はこんなにも弱くて、いまにも折れそうだって言うのに。あの男はずっと、揺るぎもしなかった」
多分、それは。
「憧れだったんだ……きっと。寂しくてたまらなかった私は、一人でいるのに、かけらも寂しそうじゃないあいつに憧れたんだ」
そうなりたくて、求めて、拒絶された。
「当たり前だよね。あいつが何か特別で、強くいられたわけじゃない。あいつはただ、一人じゃなかっただけなんだ」
どんなに離れていても。
どんなに遠くにいても。
「前提から間違えていたのさ、私は」
あいつを手に入れれば、寂しくなくなると思った。でも、それは間違いに間違いを重ねた破綻した回答だ。
「私に必要だったのは——」
隣を見る。
黒い髪。青い瞳。
目が合って、自然と笑みが溢れる。
そっと起き上がって、彼の上に覆いかぶさる。
「きっと、言葉なんていらないと、そう言うべきなんだろうね。でも、私は強欲だから——きみの口から聞かせて欲しい」
溶け合うほどに近く、星の煌めきが瞳に写る。
愛する人は、そっと口を開いた。
「愛してる」
それが、たまらなく嬉しくて。
そっと、口づけを。
「ああ、私も——愛してるよ、マスター」