わたしはかつて、Vtuberだった。   作:雁ヶ峰

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さぁ



現実のその先へ。

「やぁ、今回はお世話になったね」

 

 そう言って、遥香さんは軽く手を上げた。

 椅子に座って。スタジオの端っこだ。ドッキリに神経でも使っていたのか、それとも違うスタジオだから一応緊張があったのか。

 

「まぁ後者だよ。大手のスタジオはすごいね、やっぱり。どうも気後れしてしまう」

「単純に連絡手回し下準備で寝てなかっただけじゃないんですか?」

「そういう事をするヤツに見えるかい?」

「わたしは遥香さんの事すごく苦手ですけど、手回しが良いのは尊敬してますよ」

「それじゃ、そういう事にしておいてくれていいよ。尊敬されるなら素直に受け取ろう」

 

 遥香さんは。でも、ちっとも嬉しくなさそうに、言う。

 この人は、とにかく心配性だ。余計な気を回しまくるし、余計なお世話を焼きまくる。無駄になるのは別に問題ないけれど、足りなかった場合を酷く恐れる。かなり年の離れた妹……梨寿ちゃんの事を最優先に考えていて、しかしそれを表に出すことは滅多にない。

 

「お前さんが入って、一年。お前さんが抜けて、一年。どちらの……苦労の比重が高いと思う?」

「さぁ。わたしが抜けた後じゃないですか?」

「正解だ。随分と、苦労をした。正直な話をするとね、皆凪可憐は──わたしの計画を全部抜けて、トラブルばっかりを引き起こすヤツで、苦手だったんだ。折角組み立てた段取りも、徹夜して練った企画も、思ったようにはいかない。面白い事を引き起こすヤツっていうんならブラックボックス枠として採用できるけどね、皆凪可憐は違った。無論面白い事も引き起こせるけど、ほとんどが失敗だ。放送がグダグダしたり、時には中止にする必要があったり。本当に、手を焼いたよ」

「もうしわけなすび」

「心にも思っていない謝罪をありがとう。でも、ヘンな話……すべてが上手く行かない時の方が、気が楽だった。だって、すべてを用意して、すべてを動かして、それで"面白くなかった"と言われた日には……あぁ、とてもつらいからね」

「わたしのせいに出来た、という事ですか」

「平たく言えば」

 

 確かに、わたし以外の子は、台本通りに動ける子だ。いやわたしだって台本くらいは読み込むけれど、出来ないものは出来ない。主に配信ソフトの操作とか、VR機器の調整とか、絵心とか、運ゲーとか。

 遥香さんが何か企画を組む度、想定外の事態……あるいは、想定しうる最悪の事態を引き抜いて、しかも解決能力がないと来たものだから、相当迷惑をかけていたに違いない。わたしに任せる方が悪い、とも思っている。反省の色がない。

 

「だから、助かっては……いたんだろう。ストレスの種であると同時に、他者からの、いや、視聴者からの視線に対する壁になってくれていた。加えて、裏でその性格だろ? 私は視聴者を大事にするクチだからね、これでも。お前さんのように一切合切を切り捨てるようなヤツにはならないようにしよう、と……反面教師のようにさせてもらっていたよ」

「それは光栄でございますね」

「ああ──本当に。どうして、お前さんみたいなのがMINA学園projectに来たのか。不思議でならなかったよ。神様を呪ったね。そして、奇跡の巡り合わせに感謝した。でも、そうだね。嬉しい事に……お前さんが抜けてから、リーダーや雪が私を気遣うようになったんだ。ああ、心苦しくてたまらないよ」

 

 矛盾している。ように見えるのだろう。

 事実を見れば嬉しいけれど、自身は心苦しい。神様を呪うような出来事だったけれど、巡り合わせには感謝しかない。客観と主観の入り混じる性格は、物事への正確な評価と感情を完全に分けてしまう。

 MINA学園projectに関する事。方針について、わたしはほとんど口を出さなかった。付き従うだけ。SNSで陳情を垂れる事は少しだけあったけれど、特に遥香さんとは衝突しなかった。わたしが言ったのは、他者に映る心情の切っ掛けの話くらい。

 

「どっちも年下なんだよ。声には出さないけど、年少組も私を心配している。それくらい伝わってくる。梨寿なんか、事あるごとに大丈夫か、って目を向けてくるんだ。本当に……辛い。他者に心配をかけるのが、ストレスで仕方がない。もっと伸び伸びとしていて欲しいのに、どうして私なんかを見るんだ」

「無理をしているからじゃないですか。すべてを思い通りに、とか言ってますけど、そんな才能ないですよ。無理をしているのなら。努力で覆せるものじゃない。遥香さんは、そこ止まりなんです」

「知ってるさ。それくらいの自己分析は出来る」

「でも独り立ちしてほしいわけではない」

「……あぁ、難儀な性格だよ。自分のことながら」

 

 苦く笑う。自身の両腕がそんなにたくさんのものを抱えられるように出来ていないと知っているのに、誰かに助けてもらう事が苦痛で仕方がない。一人で生きていくには十二分。五人を活かすには、あまりに足りなかった。

 あるいはわたしのように、初めから(かいな)を必要としない者であれば。必要に見えないものであれば、それが全員の集団であれば、話は違ったのかもしれない。

 

「世話を焼きたがりなんだ。嫌な思いをしてほしくない。危ない目に遭ってほしくない。守りたい。折角、ようやく、私達を夢の世界へ連れて行ってくれる大切な仲間に出会えたんだ。それを大事に思うのは当然だろ。どれだけ苦手でも、お前さんの卒業は嫌だった。本気で嫌だったんだぞ」

「でも、遥香さんには大分前から相談してたじゃないですか」

「だからだよ。卒業の半年前に聞かされて、本当に本当に本当に嫌だった。嫌だったさ。大切な仲間の離別を嬉しがる程人間をやめていない。……でも、お前さんにはお前さんの道があるし、それが就職だというのなら……止める権利が一切無い。この先、メンバーの誰かが学業や就職で引退をする事になっても、止められない。怖くてたまらないよ。お前さんという前例がある以上、誰が言い出すかわからない」

 

 遥香さんは、初めから社会人だった。最年長。だが、他の子は皆学生。不安になるのもわかる。 

 わたしの世界観を言うなら、あらゆる物事には終わりがあって然るべきだし、終わりがある方が好きだ。いつまでも惰性で続けるより、はっきりきっぱり終わってしまった方が美しいと思う。

 HANABiさんに言わせれば、角度の違いだろう。わたしはVtuberというものをコンテンツとしてしか見ていないけれど、遥香さんはもっと……人生のようなものと同義と捉えている。だから、終わりが。死が怖い。

 

「なぁ、HIBANa。いや、カリンと呼ぼうか。私はお前さんがDMをくれた時、本当に嬉しかった。知ってるか? 募集に対して一番にDMをくれたのはお前さんなんだよ。私の認識では、私と梨寿を除けばお前さんが最古参だった。カリン。私はお前さんに、勝手な……信頼みたいなものを抱いていたんだ」

「……それを言うなら、スイレンさん。わたしも、貴女に信頼がありましたよ。この人なら……わたしが何をしても、何をやってしまっても、必ずいい方向に持って行ってくれる、って。この人なら安心して任せられるし──任せていけると、思ってました」

 

 懐かしい名前で呼び合う。キャラクターの名前が決まっていないときの、コミュニティサイトにおけるハンドルネーム。あのサイトのアカウントはもう消した。アカウントを消す前に投稿の類も全て消したから、この名前の繋がりを知っているのはもうわたし達しかいない。

 そして、ある種。

 互いにVtuberになっていない時の……ずっと探り合っていた時期の感情が残る名前だ。だから、というか、それでも。

 その時から、わたしは。この人を信頼していた。

 

「買い被りでしたかね」

「挑発に乗るようなヤツに見えるかい?」

「わたしは遥香さんの事すごく苦手ですけど、最後までやり通そうとする所は尊敬してますよ」

「……その流れにされたら、素直に受け取るしかないじゃないか。だが、どうするね。このまま続けて──私が折れてしまったら」

「折れちゃっていいんじゃないですか? その時は千幸ちゃんも雪ちゃんも、アミちゃんも梨寿ちゃんも、遥香さんを見捨てると思いますから」

「心にも思っていない戯言をありがとう。もしそうなったら、お前さんは何をしてくれるね? 私にはそこそこの恩義があるだろう」

「"お疲れ様でーす"ってメッセージを送ります」

「素晴らしい恩返しだ。涙が出るね」

 

 目元を拭う動作をする遥香さん。芝居がかっていて、嘘くさくて。

 まぁ、本心なのだろうけれど。

 

「泣き言を声に出したのは、一年ぶりだよ」

「わたしにしか言わないんですか。それはどうも光栄な事で」

「だってお前さんは私を心配しないだろう?」

 

 信頼、ねぇ。

 なんとも複雑な。

 

「部外者のお前さんにこんな話をするんだ。信頼の証として受け取ってくれ」

「いらな」

「じゃあお前さんの胸骨の穴に捻じ込むよ」

「妙に細かい設定を知っている……」

「おいおい、コラボ相手の事を私が調べないとでも?」

「可憐の身長は?」

「152cm」

「梨寿ちゃんの握力は?」

「左7㎏、右9㎏」

「参賀さんが月に飲み会で使える最高料金は?」

「7万」

「あげすぎじゃない?」

「奥方曰くスーツのクリーニング代を含むのだとさ」

 

 それにしたって一ヶ月七万はぶるじょわじー。

 

「じゃあ、わたしの嫌いなものは?」

「……知らないな。お前さん、苦手なものはたくさんあると言っていたけれど、嫌いなものは……人かい?」

「最近嫌いになった人がいましたけど、話してみたら好きになりましたね」

「ふむ。MINA学園projectを古いだの、過去の、だのと言われる事」

「あぁ、それは嫌いですね。聞きたいのは嫌いなものですけど」

「相手が素直に称賛を受け取らない事」

「嫌いな事ですね。ものじゃないです」

「ドッキリ」

「事。もの」

「得意じゃない事」

「こも」

 

 わかっているのかわかっていないのか、わざわざ事ばかりを挙げてくる。まぁドッキリについては"もの"であったかもしれないけれど、そういう事を言いたいのではない。

 

「うーん、だってお前さん、自分大好きだろ?」

「大好き」

「MINA学園projectのメンバーでもないし、視聴者でもない」

「そうですね」

「食べ物の好みもない」

「はい」

「あるとすれば……概念的なものか。いや、概念的なものは事か?」

 

 一拍。

 

「わからんな」

「時間切れです」

「実はありません、とかいうオチはやめてくれよ?」

「実はありません」

 

 やめない。

 

「随分と時間を無駄にした」

「可憐を思い出せましたか?」

「ああ。そうか。そういうことか。お前さん、今私の嫌がる事を……私を心配して、私に気を遣ったな?」

「だって遥香さん、つらそうだったから」

「本当に最悪だなお前さんは。こんなののどこに惚れ込んだんだあの子は」

「あの子isどの子」

「馬に蹴られたくはないさ」

 

 だから、言う。

 

「頼らなければ仲間じゃないとか、背中を預けてこそのメンバーだとか、そういう面倒くさい事は言いません。遥香さんはそのまま気を配って気を絞って気を引き締めて、ボッキリ折れちゃうといいです。貴女の事なんて誰も心配しませんし、誰も構ってはくれません。みんな貴女を見捨ててどっかへ行きます。なんならわたしの所へくるかもしれない」

「お前さんがカウンセラーだったら即刻クビだな」

「わたしはカウンセラーじゃないので」

 

 背負うのは結構だ。勝手にしてほしい。折れるのは結構だ。勝手にしてほしい。弱音を吐くのも、愚痴を言うのも、勝手にすればいい。

 変革は必ずしも良い事を起こすわけではないし、進まなくちゃいけないなんて決まりも無い。そのままで、そのまま。人は言葉では変われず、気付きがなければ変わることは無い。なれば、わたしとの再会は遥香さんにとっての出会いではなく、ただの清算に過ぎない。

 再三言おう。わたしは遥香さんが苦手だ。言葉を先回りする所も、用意周到なところも──内心、そうやってウダウダグダグダ悩みぬいている所も。本当に苦手。

 

「だから、言います。わたしが抱くこの苦手という感情は、同族嫌悪であると。わたしは用意周到ではないし、うだうだぐだぐだ悩まないけれど、わたし達は似た者同士であると」

 

 だったら。

 

「遥香さんは幸せになれますよ。だってわたし、今幸せですから」

 

 その幸せとやらが、何を指しているのかまでは知らない。人には人の幸せがあろう。忙しくすることこそが幸せな人もいるし、何もない休日にパンケーキのひとかけらを食べるのが幸せな人もいる。

 だから大丈夫だと、突き放す。

 

「悩んでいる旧知の相手に向かって、悩んだままでいろ、だって? ほとほと、残酷な奴だな。礼は言っておくよ。地獄で待っていてくれ」

「ヤです。わたしは天国行きなので」

「引きずり降ろしてやる」

 

 会話は何も解決しない。勝手に何か気付きを得る人はいるだろうけれど、そもそもわたしの入る余地がない人には何の得にもならない。

 ただ、吐いた弱音の分。少しだけ、入り込む隙間はあったのかもしれないけれど。

 

 それが幸いであれば。

 

「カリン。可憐。HIBANa。名前も知らないお前さん。初めて言うし、一回しか言わないぞ」

「はい。さようなら」

「ああ、さよならだ。これから何度会う事があっても、ここで決別だ。せいぜい楽しく過ごしてくれ」

「色々お世話になりました。本当に、ありがとうございました。お元気で」

 

 あとはもう、どっちもそっぽ向いて。

 

 これで──お別れのお話は、終わり。

 それは再会の名と、理解のラベルと、和気藹々のレッテルで色鮮やかに装飾を施した、彼女たちとの離別の物語。

 この話に続きは無く。この先は描かれず。期待された和解は訪れず。

 

 それを肯定できる自分を、嬉しく思う。

 

 

 ●

 

 

「背水の陣というのはね、火事場の馬鹿力、みたいな意味ではないの。囮として最高の役割、という意味なのよ」

「いきなり何の話ですか」

「馬鹿に付ける薬はないって事よ」

「いきなり何の話ですか」

 

 DIVA Li VIVAの休憩スペース……ではなく、HANABiさんのマンション。

 そこに、いた。

 

 不機嫌な顔を隠そうともしないHANABiさんと、不機嫌な顔を隠そうともしない999Pさんが。

 これは来るタイミングを間違えましたね。

 

「それで、何故999Pさんがここに?」

「妹の家に来る姉がそんなにおかしい?」

「姉妹いないんで」

「そ。無知は罪よ」

 

 理不尽が過ぎる。

 

「HANABiさん。弁明は」

「べ、弁明ってなんですか。私は別に悪事を働いたわけではないのですが……」

「どうせ姉妹SNSでなんか言ったんじゃ?」

「いつになく鋭い!?」

「ちなみに発端は私よ。発破かけたのに言い渋るから、こうして焚き付けに来たワケ」

「?」

 

 どちらもが不機嫌そうに──しかし、999Pさんは少しだけニヤついていて、HANABiさんは少しだけ俯いていて。力関係はそのまんまらしい。

 

「アンタ、NYMUと仲良いわよね。本名も教えてくれて、友達から始めるって言ってくれたー、ってはしゃいでたわ」

「口かっるいなぁあの子本当に」

「ええ、すぐに喋ると思ったから問い詰めたのよ。10分くらいくすぐったらすぐに吐いてくれたわ」

「サイテーだった。疑ってごめん金髪ちゃん」

 

 999Pさんは友達いるのだろうか。こんな性格で。

 ……いるんだろうなぁ。良い人だし。……良い人?

 

「それで、その日の夜に送ったメッセージ。見た? NYMUからのメッセージ」

「ああ、なんか削除されてたやつ? 見てないよ」

「ほぅら、言ったでしょう。コイツ基本返信遅いから、通知来てもすぐには見ないって」

「……得意げにならないで。普通にウザい」

 

 うわぁ。タメ語のHANABiさん、新鮮。

 

「まだ入り込める余地はあるわ。とっとと決心なさい。ウザいのはアンタよ。いつまでもうじうじと悩んで。気持ち悪いったらありゃしない。毎夜毎夜、くっだらない相談される身にもなりなさい」

「余計なお世話って知らない? 本当に、黙っててよね……」

「私は馬の脚を後ろから跳ね上げるのが好きなのよ。犬が食わないなら私が食べるわ」

「……」

 

 999Pさんが喋るたびに、HANABiさんが不機嫌になっていく。これ、わたし帰った方がいいのかな?

 

「何帰ろうとしてんのよ。どう見たってアンタありきの話でしょ。バカなの?」

「えぇー……」

「アンタが言わないなら私が言ってあげてもいいわ。可哀相な妹を助けるありがたい姉の言葉でね」

「言ったら、本気で怒る」

「勝手にすれば? アンタが怒ったところで何ができるのよ。それとも殴り合いでもする? いいわよ、かかってきなさい。みっともない所を存分に見せて、失望されるといいわ」

 

 あの。

 帰ってもよろしいでしょうか。

 

「大人しくしてないと、縛り付けるわよ。色々な縛り方が出来るわ。ファッションデザイナーを舐めない方が身のためよ」

「縛り方に種類があるんですか」

「この脳内花畑の話に耳を傾けないでください、杏さん。……言います。言います。言うから、本当に黙ってて、お姉ちゃん」

 

 お姉ちゃん呼びなんだ。

 ……いいなぁ、お姉ちゃん。欲しい。

 

「……あのですね、杏さん。その……NYMUちゃ……NYMUさんから、告白を受けた、というのは……本当なんですか」

「告白? いや、受けてないけど」

「友達から始めてください、と。言われませんでしたか」

「それは言われた。わたしの中の友達のラインって凄まじく手前だからさ。久しぶりに本名を知っている友達が出来たのは、素直に嬉しいよ。その話?」

「……その話であり、その話ではありません。いいですか、杏さん。NYMUさんは、貴女が好きなんだそうです」

「知ってる。言われたし。わたしも好き」

「意味が分かっていない……という事は、ないですよね。杏さん。わかってて……無視を決め込んでいる」

 

 ……。

 まぁ。

 

 そうだ。別に、ずっと。わかっていた。人の敵意を好む人間が、人の好意に疎いなど。人間観察が好きなヤツが、身内の感情の機微に気付かないなど。

 あり得ない。

 

 だから、NYMUちゃんがわたしに向けていたそれが、LIKEを通り越してLOVEであることくらい。

 知っていた。知っていて無視をした。彼女がまだ高校生だという、倫理観的な問題。彼女のその気持ちが本当に恋愛感情なのか、彼女自身にもわかっていないだろうという、保険的な問題。性別はどうでもいい。好きになった人がどちらであったか、というだけで、どちらの性別だから好きになる、という事はない。

 わたしの世界は酷くシンプルだ。勝ちか負けか。自分か相手か。そこに種類などない。

 

 いくつかの問題を経て、それでも尚、というのなら。

 全然。普通に。なんでもなく。

 

「受け入れるつもりはあったよ。付き合うという事に、結婚という事にそこまでの重要性を覚えていないけれど、それを相手が求めるのなら──わたしが彼女に好意を持っている限りは、それを叶えることも吝かじゃない。インターネットの向こうの誰かさんの言葉なんてどうでもいいし、周囲の目線なんて気にならない。わたしはそのつもりはあったよ。言ってこないから、無視してるけどね」

 

 NYMUちゃんはしかし、ギリギリのところで(とど)まった。

 友達から始めてください、という言葉選びをしたし、恐らく告白が入っていたのだろうメッセージをわたしが見ない内に消した。

 それはつまり、未だ──なんらかのしがらみが、彼女の中にあるという事だ。

 急かす気はない。わたしから何かをするほど、わたしは恋愛に対しての熱量を持っていない。

 

「催促はしないよ。求めもしない。わたしは歌にしか愛を注いでいない。それを奪いたいと言うのなら、相応の犠牲は必要だよ。プライドだの、羞恥だの、恋愛観だの。何が注がれるのかは知らないけどね」

 

 HANABiさんがわたしに抱く感情なんて、とっくのとうに知っている。

 相棒という間柄を越えたソレがあることなんて。彼女の曲を歌ってみれば、すぐにわかる。

 

 それでも。

 申し訳ないけれど、わたしは、そういう誰かを愛する、という感情に……それほどのリソースを割いていない。申し訳ないけれど。なんなら──心から、どうでもいい。

 それが、わたしの夢を阻害するというのなら。

 それが、わたしの目的地への道筋を阻むと言うのなら。

 

 容赦なく切り捨てるだろう。

 

「……知っています。杏さんは、こういう事に興味がない事くらい。私だって元々はそっちでした。杏さんに執着するまでは、こんな感情……唾棄に値すると思っていました。でも、自分では制御が利かないんですよ。止められないんです」

 

 さながら幽鬼のように。

 自らの目を手で覆い隠して、言う。

 

「好きなんですよ。杏さん。私は貴女が好きなんです。愛している。愛してしまっている」

「でも、しがらみがあるんだね」

「……悔しいです。本当に、心から悔しい。だって、もし、この愛が。この恋が。この好きが──届いてしまったら」

 

 HANABiさんは手を震わせて、言う。抑えきれない怒りをなんとか制御するように。耐え難い恐れをなんとか鎮めるように。言う。

 

「私は、私の、私の創作に──支障が出る」

 

 ああ。

 

「私は杏さんのように、人格の切り貼りなんて出来ないから。恋愛する自分と創作をする自分を分けられる気がしない。出来ると思えない! 私は、今の私なら、創作だけにすべてを割ける私なら、最高のものが創れる! 創り得る! 自信ではなく確信が、ある。あります。私は、この私なら、杏さんを……HIBANaを最高に磨き上げることが出来るんです」

 

 それは、紛れもない──欲だ。欲。強欲。

 創作者ならば必ずいつかは目の当たりにする、完成の二文字。自身の思う最高。今までの苦労が報われる終端。目に見えた頂。手の届く財宝。

 これを前にして。完璧に見えている道筋を見て。

 

 別の欲に、足を掬われる、などと。

 

「……杏さんに感情が入ってしまえば、HIBANaという作品に対する熱情が薄まるでしょう。作品に余計な……愛恋という感情が乗ってしまう。一曲であれば、わからないかもしれない。けれど、何曲も何曲も出していくうちに、誰かが気付き始める。これは誰かに向けたラブソングで、世界を魅了するためのものではないという事に。それは。それは──ああ」

 

 考え得る限り、最大の屈辱です。

 そう、言う。目を覆っていた手を取ったHANABiさんの目は──怒りに燃えていた。

 悲しみではない。怒りだ。怒っていた。

 

「考えられない。私は、もう表現者になってしまった。完成を諦める、という事が……出来ません。それを知っていて、私はあのスカウトを受けた。杏さんを誘いました。全部知っていた。無理だって。私が、この想いを遂げられないって、こと、くらい──」

 

 その時、ずっと黙っていた999Pさんが口を開く。出るのは、言葉──ではなく、溜息。

 はぁ~~、と。深く深く、深く深いため息を一つ。

 

「バカね」

「……」

「こんな生き物が私の妹だなんて、反吐が出る。いつものマルチタスクはどうしたのよ。感情は一つしか持てないとか、型落ちにも程がある。いっそ死んだ方がマシね」

「……」

「アンタも、悪かったわね。私はもう少しまっすぐな……ちゃんとした告白が聞けると思って、アンタを帰さなかった。忘れて忘れて。アンタに言っても仕方のないことをわざわざ演技ったらしく話して、何になるのよ。ゴミよゴミ。時間を取らせたわ。帰っていいわよ」

 

 ……いいなぁ、と思う。

 姉妹仲は悪いと言っていた。どこがだろう、と。なんて仲の良い姉妹だろう、と。思う。

 

 すぐさま慰めにかかるなんて。微笑ましい。

 

「……」

「ほら。コイツ、私みたいに優しくないわ。割と最低の部類ね。酷い女。悪いことは言わないから距離を取った方がいい、と言ったわよね。あの時。ロクなヤツじゃない、って。これでわかったでしょ」

「……本当に、何も……言わないんですね。杏さん」

 

 言わない。

 名前も呼ばない。声もかけない。

 それを酷いと思うのは勝手だし、悲しいと思うのも勝手だ。好きにしてほしい。

 

 わたしはそれを咎めるほどの熱量を持たない。

 

「好いていても、いいですか」

「いいよ」

「一緒にいても、いいですか」

「いいよ」

 

 質問には答えよう。

 勿論大歓迎だ。わたしはHANABiさんの創作物が大好きだから。勿論、HANABiさん本人も好き。

 

「愛を告げなくとも、いいですか」

「いいよ」

「貴女に尽くさなくても、いいですか」

「いいよ」

 

 欲した覚えもないけれど、それをしたかったのだろう。

 だから、わたしが許す。彼女自身が許せないというのなら、わたしが許してあげよう。それくらいはしてあげる。それくらいの仲ではあると思っている。

 

 

「──私が、貴女を諦めても、いいですか」

「ダメ」

 

 

 許さない。わたしという作品を諦める事を、決して許さない。

 わたしをこちらの世界に引き戻した責任を。どこまでも取ってもらう。だから、それだけは許さない。わたしに夢を見せた責任を。わたしに──出会いと離別を与えた責任を。

 貴女には、最後の最後まで取ってもらう。わたしは絶対に許さない。

 

「悪い女に捕まったわね、ほんと。NYMUといいアンタといい、世話が焼けるわ」

 

 それは心から。思う。それは手元から。伸びる。それは言葉から。漏れ出る。

 それは刃先から。鈍く。それは瞳から。微かに。それは悲鳴から。僅かに。

 それは翼から抜け落ちて──それは目線から、感じ取れるもの。

 

「それは、なんでしょうか」

「考えるまでも……ありません。それは、光です。心が決まるまでは。手元を掴むまでは。言葉が見つかるまでは。刃先が霞行くまでは。瞳から零すまでは。悲鳴であると、認めるまでは。翼が綻ぶまでは。目線で贖うまでは」

 

 花火と火花。どちらもが刹那に散り、しかし余りにも美しく咲き誇る光の花。

 夜空を明るく照らすのであれば、神羅万象あらゆるものにおいて、もっとも親しまれ、感動を残す現実逃避。

 すべてが仮想(バーチャル)。すべてが虚構。

 なれど、すべてが共に、貫き通せるのならば。

 

「杏さん。貴女が私を許してくれるまで、私はこの激情に苦しみます。共にいてくれますか」

「いいよ。でも、NYMUちゃんが先を越したら諦めてね」

「いえ、奪い取ります。NYMUさんには悪いですけど、私は往生際の悪い女なので」

 

 わぁ、モテモテだぁ。

 

「先へ行きましょう。私達の目指したあの場所に。NYMUさんはまだまだ先にいますし、MINA学の皆さんもすぐに追いついてきますよ」

「999Pさんも一緒に行く?」

「バカね、私の事は無視すればいいのよ。それでも掬ってくれるというのなら、全力で巣食わせてもらうわ」

「お姉ちゃんはいらない」

「それこそバカね。妹と姉の縁は切り離せないわ」

「じゃあ、そういう事で」

 

 まぁ。

 というところで、わたしの綴る、彼女と彼女たちとの出会いの物語は、終幕を終える。

 何も成し得ていないのは当たり前だ。彼女はまだデビューしたばかりで、未来は不確定。追いついてしまった物語の先など書けるはずもない。

 

 わたしはもう、役目を終えて。

 HIBANaがその後を継ぐ。

 わたしはここに筆を置く。

 

 どうか、彼女の行く末に幸あらんことを。

 雁ヶ峰杏を主人公としたこの物語に、ささやかなる祝福を。

 




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