???「ゆくぞ神々、胃薬の在庫は十分か?」
今日のオラリオは、珍しく雨模様が続いている。朝からしとしとと降り続く雨脚のために屋外へ出歩く人もまた少なく、通り・店ともに晴れている時程の活気は無い。
もっとも、ここ地下となれば話は別だ。雨だろうが晴れだろうが基本として、室温・湿度共にほぼ一定のものが保たれている。
大きな松明の灯りだけが光となる、ギルドの地下室に広がる石造りの広大な一室。はじまりは、そんな場所で祈祷を続けるウラノス宛に寄こされた、一通の手紙だった。
「私宛の、表紙だな……」
「これを知っているとなれば、対象はかなり限定される。さて、誰でどんな中身なのやら」
ウラノスの下へと手紙が届くなど、1年に1度あるかないか。その時の手順は決まっており、此度はフェルズがギルド長から受け取って持ち運んだ格好となる。
もっともフェルズとて中身を見る訳にはいかないので、封だけ切ってウラノスに渡している。何が書かれているのかと、ゆっくりとした動作で手紙を開いたウラノスの瞳に、とんでもない一文が飛び込んできた。
――――あと一回だけ、許してください。 タカヒロ。
つまり、一度前にやったことがある内容。それは他ならぬ、ダンジョン内部における“アセンション”の使用に他ならない。
たった一文しか記されていない書類で、ウラノスは全てを察した。あのオラリオで最も危ない
「フェルズ……フェルズ!奴を、奴を止めろおおお……」
「なに?え、戦士タカヒロを?止めると言っても、どこに居るのだ」
「70、いや、恐らくは少なくとも、80階層以降だ……!」
「80階層!?行けるわけがないだろう!!」
ゼウス・ファミリアの限界到達点、それすらも軽く飛び越えた更に先の階層。そんなところに到達できるファミリアは、このオラリオにおいては存在しない。
そう、今までにおける前提はファミリアで向かったならばの話。唯一の例外として、ソロという条件かつ欠伸をしながら突撃できる“ぶっ壊れ”ならば、永く紡がれてきた常識も容易く覆ってしまう。
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いつも、その青年に対しては頼ってばかりの日々だった。だからこそ少年は、例えスキルといえど、自身が持っているモノを頼ってくれて嬉しかった。
借り過ぎた恩を、少しは返せる。そう思ったが故の即答であり、己に出来る事ならば何でもこなそうと、ベル・クラネルは威勢の良い返事を行った。
その結果――――
「うわああああああ!?」
『
即席の合唱コンクール、時たまデュエット。鉢会うモンスターと少年の相性は良いらしく、奇麗なオブラートとビブラートとなって洞窟にハーモニーを奏でている。
現在はダンジョン92階層。そんな環境に連れ込まれてしまった少年の叫びと出会ったモンスターの悲鳴が、ドップラー効果を残しながらも響いていた。
進むモノはアトラクション、お客様は青年に抱えられている一人の少年。かつて一度訪れたことのあるルートをひた進む故に、初回に見せた人間アピールの迷子っぷりも皆無である。
流れる景色、疾走するタカヒロと出会ってすぐに消し飛ぶ敵さんの残骸もまた後ろへと流れていく。すぐ後ろからは2体の半透明で大きな幽霊さんも同行中であり、どうにも生きているとは思えないが、たまに目が合うのが少年にとっては厄介だ。
削れるSAN値、その隙間を埋めるように蝕む深層の更に奥故に発せられる死の気配。鍛えたはずの己の
唯一言えるとすれば、“幸運”のアビリティを持っている事こそが“不幸”だろう。この矛盾、解決できる人物はいるのだろうか。いや居まい。
少年が此処に居る理由は話せば短く、呆れる時間の方が圧倒的に長くなることだろう。単に、ドロップアイテムの出現率を上げるために同行しているというだけの酷すぎる理由だ。あくまでも同行である、拉致ではない。
目標階層は数値で表すと不明ながらも、前回において黒いドラゴンと対峙した場所だ。ルートは覚えており最悪の場合はマップ画面があるために、今回は迷うことは無いだろう。
しかし同行者のベルからすれば、訪れている理由が全くの不明である。ドロップアイテムが目当てかと想像するも、あれだけの装備を揃えておきながら、いったい何に使うかが分からない。
恐怖を振り払うついでに声を上げて聞いてみると、やはりドロップアイテムが目当てとの回答だ。だからと言ってこんな所にまで実質ソロで潜るなど、正気の沙汰ではないという認識である。50から60階層については特に疑問視していないあたり、だいぶ毒されているのはご愛嬌だろう。
続けざまに何に使うのかと尋ねると、新たな、しかし必須となる装備に使うとの回答。それがあれば更に強くなれるのだと口にしながら妄想しているのか、フードの下の口元はニッコニコだ。
「ベル君……自分は、もっと
「それ以上強くなって何するんですか――――!?」
抱えられながら叫ぶ少年、しかし内容はご尤もである。青年も青年で、よもや“
もっとも、今となっては“彼女”を守るためという理由も同等のレベルに強くある。こちらもまた口には出せないために、結果としてはやはり無言が続いていた。
とはいえ、ダンジョンとは強くなるために潜るもの。つまるところ青年の目的とも一致しており、何ら問題もなければ道理に従っているのだと、後に
そして地上で汗水垂らすウラノスの心の叫びもむなしく、事態は進む。実のところ最下層から数歩だけ手前の階層、前回黒竜を葬った場所において、無慈悲にもアセンションが発動された。
「へっ!?こ、こここ黒竜!?」
地震が収まった直後に天井が破られ現れる存在は、15年前の惨状を纏めた資料で目にした存在、名を黒竜。かつて神々が地上へと降りる前にダンジョンから地上へと進出した存在であり、数多の英霊が散った大きな原因の1つである。
見学者ベル・クラネルは気絶寸前で何とか持ちこたえているものの、足は完全に竦んでしまっているのは仕方がない事だろう。強靭なメンタルを持っているとはいえ、状況が状況だ。
しかし、そんな相手の黒竜が纏う気配は、タカヒロが知る前回のものとは明らかに違っている。属性こそビーストと変わらないようだが、タカヒロには違いが明確に分かっていた。
恐らくはエリート環境と変わらないだろうが、まさかのスーパーボスだったために
ガントレットにより40%の性能が上乗せされている星座の恩恵は、もちろんのこと全て有効化。報復ダメージも同様であり、“正義の熱情”を筆頭に、火力用のスキルは最大攻撃力の値を発揮している。
かつてと違い、相手の攻撃力を試す必要はとうに無い。ガーディアンの片方をベルの護衛につけ、タカヒロはデパートの玩具コーナーに辿り着いた子供の如く駆け出した。
ドーピング系のアイテムこそ使用していないが、此度において加減の類は一切ない。相手の咆哮に負けず轟くウォークライが開戦の合図となり、突進スキル“ブリッツ”で“防御能力”を低下させると同時にガーディアンが殴りかかり、間髪入れず僅かな隙間に対して“堕ちし王の意志”が繰り出された。
体内時計からある程度は推測できるが、どれほど時間が経っただろうかと錯覚してしまう。とても恐ろしく、怖く、精神を蝕む深層奥地の感触に抵抗しつつ、最終的に少年は呆れてしまった。
どう見ても、黒竜だった。何回考えても、黒竜としか思えない。いや、もしかしたら思い違いで、アレはただのトカゲの類だったのかもしれない。きっと己の見間違いだと納得し、今までの事実を思い返した。
――――1分すらも、経ってない!?
ズボっと音を立てながら人間の背丈ほどのある魔石が引き抜かれ、力なく横たわっていた黒竜は灰となって消えてゆく。相も変わらず掠り傷1つ負っていない己の師を見るためには目と口を開かねばならない程に驚愕さは消えないが、黒竜を相手して己が生きていることも事実である。
とはいえ、問題はここから先だ。タカヒロが口にしたことが本当ならば、何かしらのドロップアイテムがあると言うことになる。
黒竜の巨体が、灰となって消えた跡地。何やら人間の胴体サイズの鱗らしきものが1枚残っており、ガーディアンの光に照らされ怪しい光を示している。
「っ――――!」
一方で、ニヤリとフードの下の口元が歪んでいる。ベルとしては、あのような機嫌がいいタカヒロの表情を見るのは初めてだ。目的のドロップ品を手に入れて、すっかりご機嫌な様相である。
流石は幸運持ち、一発で目的の品がドロップされている。片やアンリミテッドにアセンションされる未来もなくなったので、ダンジョンにとってもまた幸運だったことだろう。
ドロップアイテムをインベントリに格納して戻ってくるタカヒロに、ベルはワシャワシャと強めに髪を撫でられる。心地良いものの、正直なところ何もしていないベルからすれば、喜んでいいのかどうか分からない複雑な感情であった。
やがて死体も完全に灰となり、辺りに静けさが戻ってくる。そろそろ戻るかとタカヒロが口を開いたタイミングで、ふと何かを思いついたベルが明るい口調で言葉を発した。
「師匠……」
「ん?」
「折角ここまで来たのですから、このあたりのドロップアイテムをお土産に持って帰りましょう!」
優しい優しい純粋な少年、ベル・クラネル。今居るここが何階層なのかも分かっておらず、その一言が一つの
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『■■■■――――!!』
全長3メートル程あるラプターのような恐竜型のモンスターが、集団で押し寄せる。さっそくガーディアンの片方が駆け出して、そのうちの3割ほどを薙ぎ払った。
もっとも、即死と言うことは無い。ダメージが狙いなのではなく、あくまでもガーディアンを中心にして発動する“デバフ”が目的だ。
スキル名、サモン ガーディアン・オブ エンピリオン。それに付随するパッシブスキル、“セレスチャル プレゼンツ”。
これは物理耐性・火炎耐性・出血耐性をそれぞれ36%も低下させるモノであり、それぞれの属性における単純計算で、最終ダメージが1.36倍にもなる代物だ。故に、使用時と未使用時においては雲泥のダメージ量となる。
「ファイアボルト!!」
『■■■■――――!!』
「ハアッ!!」
物理と火炎耐性という己が使う二つの属性の耐性が下がった相手、それも一匹だけが逸れたところに、ベル・クラネルが果敢にも襲い掛かる。相手の一撃はかつての穢れた精霊と同等程度ながらも、それぐらいならば受け流してきた実績が存在する。
加えて、当時と違って今はレベル4。更には武器防具の類もランクアップしており、此度においては物理的な戦闘であるために非常に有利。
もっともその横では“ダメージを受けることで”全部を消し飛ばした“ぶっ壊れ”、及び二体のガーディアンが岩に腰かけ戦いを見守っているのだが手を出す気配はない。定期的に死角から襲い掛かってくるモンスターもタカヒロを攻撃した途端に爆発四散の結果となっているのだから、こちらも非常に効率的だ。
一方のベルからすれば、体力が少なく背格好が小さいゴライアスと戦っているかのような感覚だ。ゴライアスは18階層とは言え階層主クラスがポンポン出てくるのかと、より深い領域の恐ろしさを身にしみて感じている。その群れを消し飛ばした輩の事は、本能が捨て去っているので問題は無いだろう。
結果としては随分と時間がかかったものの、ヘスティア・ナイフの一撃をカウンターストライクも使って相手の胸部、魔石に叩き込み勝利に終わる。とはいえ余裕は全くなく息は盛大に上がっており、もし仮に次の戦闘となれば容易く殺されている程だ。
ガーディアンの片方が赴いて護衛する中、ベルはポーションを呷って回復に努めている。その横ではタカヒロがドロップアイテムを確認し、ベルに手渡した。
曰く、自分の力で倒したのだからこれはベルの物。己の刃と何度も何度も打ち合った相手の爪は、ベルが目にしても一流のドロップアイテムであることは分かる程。
なお、いつのまにか真横に死亡寸前のモンスターの残骸が山となり築かれていたためにソレ以上の考えはシャットダウン。ガーディアンの片方が2メートルほどある大きなメイスの先端を使って器用に魔石をほじくり返している光景は、シュールすぎるために現実として受け入れられない様相だ。
予定時間まではまだ余裕があった為に、タカヒロはベルと共に討伐を続行。
前回においてアセンションを使用した際は、50階層にバロールの黒い奴がポップした。ならば同じことが起こっているかもしれないと、50階層を中継地点としてから帰宅することが決定されている。
実はこの考察、当たっている。前回と同じ神の気配を感じたダンジョンは、念のために、同じモンスターながらも50階層へと刺客を放っていたのだった。
とはいえ二人が50階層にリフトで訪れるも、至って平和そのものだ。もしもあの時のバロールが沸いていたならば、すぐに分かることだろう。
何かしらのモンスターと出会ったらならば、視界に入らないようにして逃げてくるようベルと約束を交わす。すると途端、少年は据わった雄の表情へと一変するのだ。
タカヒロは前回戦った場所へ。モンスターを発見次第撤退の指示を受けたベルは、違う方向へと歩いていく。やはり何もいないことを確認したタカヒロはしょぼくれた表情を数秒だけ見せると、ベルが向かった方向へと顔を向けた。
相変わらずの自然豊かな50階層は、見える範囲においては前回訪れた時と同じである。事態が動いたのは、ここへやってきて5分程経ったその時であった。
「師匠ー、師匠ー!!」
「お、下ろせ!貴様、下ろせと言っている!!」
「ダメです!怪我してるんですから大人しくしていてください!」
遠くから聞こえてくる少年の声。紛れもないベルの声だが、何やら女性らしき声も混じっている。
誰かいたのだろうかと呑気に考えるタカヒロだが、誰だか全く思いつかない。とはいえ、どこか“ダンジョンで”聞いたことのある声だなと考えていると、レベル4の敏捷さを発揮しながら走るベルの姿を捉えることとなり――――
「赤い髪の女性が、あそこの木の根元で倒れてました!ポーションありましたよね、手当てしてあげてください!!」
「ええい分からんか少年!要らぬと言って、あっ……」
「むっ……」
赤い綺麗なショートヘア、スラッとしながらもしっかりとした凹凸あるスタイルは嫉妬する女性も多いだろう。そんな胸元と健康的な太腿を強調する服装は、それだけで鼻の下を伸ばす男も多いはずだ。
すっかり記憶の彼方になっていたが、タカヒロも24階層で目にした人物であることを思い返す。もっとも相手からすれば驚愕であったために忘れることもなく、現にこうして覚えている。
もうお分かりだろう、24階層で戦った赤髪の怪人、名を“レヴィス”。ベル・クラネルにお姫様抱っこされての登場という、まさかの格好での再会であった。
師「理想の装備のお預けが我慢できなかった」
弟「人が怪我しているところを見過ごすなど我慢できなかった」
ベル君が、とんでもない者を拾ってくるの巻。
それ間違っても墜とすなよ?(振り)
■黒い竜のような何か(1回目・2回目)
→エリート環境のネメシスとスーパーボスですが、レベル100ではないという裏設定です。
装備直ドロップだとレベル96以下では問題が起こりますが、ドロップするのは素材なので問題ございません。