伝記と呼ばれる類の書物に書き残されるような一大事が、まるで庭の雑草を一つ抜くかのような手軽さで片づけられた今日この頃。本調子を取り戻して元気
どうしてこうなった、と、ヘスティアは苦悩する。具体的な中身までは分からずとも、あの第二眷属が何らかのメリットを得たことは表情から伺える。
どうしてこうなった、と、ヘスティアは苦笑する。天界の頃から男を完全に排除していたような盟友が、少なくとも彼に対して先のような行いを行える成長を遂げたこと。
二つ目については、本来ならば喜んだり茶化したりと、何かしらの喜びに繋がる出来事だったはず。しかし一つ目のウェイトがあまりにも大きすぎて、そんな余裕が生まれる気配はどこにもなかった。
「へ、ヘスティア、大丈夫?」
「だ、大丈夫だぜ……たぶん……」
盟友アルテミスに悪気がある?そんなワケがない。だからこそヘスティアは何も口にすることができず、ただ己の左みぞおちに手を添える事しか行えない。
彼女が行える、せめてもの抗議活動だった。誰のお陰様とは口にできないが、こうなってしまったのだぞとアピール中。なお、当の実行犯がソレに気付くかとなれば、彼女の背丈が伸びる希望に等しいだろう。
悲しいかな、予想に反することなくリアクションが飛んでこないので、諦めるしかない。ヘスティアは溜息と共に、痛みを堪えて背筋を正した。
嗚呼、大きな問題が一つ片付いたというのに、全く気が休まらないのは何故だろう。解決する事ができずに抱え込むしかないその問題は、時が経つにつれて数も重さも大きくなっている。
ヘスティアは、落ち込んでいても始まらないと言わんばかりに、大きく後れを取りながらも状況を整理する。何が起こったか定かではないが、世界にとっての“悪”は去った。
ついでに彼女自身にとっての“問題”も解決してくれないかと星に願うも、八方塞がりと察する他に感情は芽生えない。子供たちは困った時に神に願うが、神が困った時には縋る者など居ないのだ。
「あっ、そういえば……」
そこまできて、先程アスフィより報告を受けたオラリオの問題を思い出す。ヘスティア・ファミリアが拠点を置き、子供たちも暮らすからこそ、此方もまた新たに生じた問題だ。
1000年前よりオラリオに蔓延る存在、闇派閥との最終決戦。時が経てば闇派閥の2号3号と新たな勢力が出現するかもしれないが、現時点における互いの最強戦力のぶつかり合い。
今ここに居る2枚のジョーカーも、勿論ながら参戦を求められている。平和と呼ばれるものを手に入れる為には、きっと必要な戦力だ。オラリオに集った味方戦力の中に、まさか大精霊と
更に言えば、オラリオへ戻るとしても時間を要する事に変わりは無い。とはいえ戻らない選択肢は無いので、ヘスティアは自身の両頬を手のひらで叩いて活を入れた。
突然と見知った声を掛けられたのは、そんなタイミングである。
「ヘスティア、目を
「へっ?」
振り返って発言者タカヒロの顔を見るも、特に何かが行われる空気もない。容易い動作でもあったために、ヘスティアは正面に向き直り、言われたままに目を閉じた。
なお、ヘスティアの正面に居てタカヒロの意図を汲み取っていたベル・クラネル。腕で丸印を作ると、ヘスティアの正面すぐの空間に、紫色に発光する
「っ!?」
ほぼ同じタイミングで背中を押されたヘスティアは、何かと思い目を開く。しかしそこにあったのは、皮肉にも、彼女が見慣れた風景だ。
五感と呼ばれるもので示すとなれば、空気もまた嗅ぎ慣れている事だろう。あまり騒がしくなく、しかし衰えない遠くの活気もまた、暫く離れていた為に懐かしく感じる要因の一つだ。
現在地点、オラリオ西区の路地裏の一角。転送直後にリフトは片づけられており、ヘスティアは、何が起こったのか分からない。
「……ちょっと待ってくれ。なんで僕とベル君は、オラリオに居るんだい」
「サーナンデデショウネー」
ベル・クラネル は “すっとぼける”を つかった 。なお当然だが、ヘスティアは神のため、今の回答が嘘であることはバレている。
とはいえ、ベル・クラネルが口にした嘘など些細なものだ。数週間の距離をカットしてしまう事実は、ヘスティアの中で嫌な予感を大量に生産中。予定外にアルテミスが見せたジャブののちに、ボディーブローを食らうとは想定にしていない。
今までのパターンからすると、この能力をダンジョン相手に使う事も可能ではないかと推察した神ヘスティア。流石に50階層限定である事までは知らないが、いずれにせよ、オラリオの常識を根底から破壊する事に変わりは無い。
いや、俗にいう“ワープ”の類となれば、オラリオどころか全世界の常識だ。“ぶっ壊れ”が更に壊れたところで誤差程度かもしれないが、“己の眷属が、そんな能力を持っている”事については揺るぎのない事実。頭に【悲報】のタグでも付属しそうな一つの真実は、驚愕を通り越して悩みしか生まれない。更に言えば小さい悩みではなく、今までの際だに匹敵する大きなモノなので
そんなヘスティアに、更なる追撃が襲い掛かる。
腹部と頭部に生じた痛みを引きずりながら、己のホームである“
そんな気持ちと共に玄関扉を開けた先に、彼女も少し見慣れた翡翠の姿があっても驚くことはないだろう。第二眷属の相方であり、オラリオにおいては最も有名な人物の一人となる。
だがしかし、誰かによって“強火”となっていた館の状況。翡翠の姿が、二つあったならば、話は別だ。
「神ヘスティアか、邪魔をしているぞ」
「???」
「そう奇々怪々とするでない、炉の女神よ。戦士タカヒロの名の下に、助力に訪れただけの事じゃ」
「??????」
あいえー、なんでー、ダイセイレイなんでー。
彼女の脳裏を支配する、そんなフレーズ。大豆サイズに小さくなった瞳と共に、語彙や思考回路も同様のサイズに圧縮されてしまったらしい。
下界と呼ばれるこの世界に来て1年程度と知識は薄いヘスティアだが、全くの無知ではない。大精霊と呼ばれる存在がどれ程までに希少で、身勝手で、神に近い存在かは知っている。
では何故、そんな存在が自称一般人の名の下に動いているのでしょうか。暫く自宅を留守にしていたら、紛うことなき大精霊が野良猫の如き気軽さで居座っていましたなど口にしたところで、信じる神は居ないだろう。
なお大精霊の後ろには、リヴェリアを筆頭にエルフ達が姿勢一つ乱すことなく控えている始末。かつてのリヴェリア相手に起こっていた出来事であり、エルフ以外の者からすれば、あまり珍しくもないだろう。
「言っておきますけど、僕じゃないですよ、神様」
「……」
違う、そうじゃない。誰が連れてきたかは問題ではないのだが、今までの行いを自覚している為に、ベルも濡れ衣を着せられたくはないのだろう。リリルカに始まりレヴィスなど、確かに白兎が原因となる事例も幾らかある為に、その考えも仕方ない。
しかし。ベルもまた、そんな事を考えている余裕も、なくなってしまった。
「……ベル?」
「っ!?」
突如として現れた姿を目にして、ドクンと、身体を巡る血流が跳躍する。幼少期だったからこそ微かにしか残っていない姿かたち、山奥の小さな村での出来事が、ベル・クラネルの脳裏に思い起こされる。
可憐で、どこか華奢だった、その姿。そんな姿からは想像もできない程にアグレッシブで、
事あるごとに詠唱魔法にてぶっ飛ばされる祖父の姿と共に、忘れる事は無い、忘れる筈が無い。目の前にいる女性は、あの時、自分の小さな手を取ってくれた姿と一致する。
ならば、相手の名を間違えるはずもない。そこから導き出した、ベル・クラネルが口に出すべき言葉は――――
「あ、アルフィア叔b――――お、お義母さん!!」
もはやノルマと呼ぶべきか、運命というべきか。少年の高ぶった心と共に言い放つ筈だった言葉は、イントネーションを察した相手からの殺気にて間一髪のところで押し留められている。
危うく、感動の再会が、勘当の再開となるところだった。見開いた紅の瞳と共に流れ出る冷や汗が肝を冷やし、このままアルフィアの発する殺気が消えぬとなれば、鎮火するよう祈祷でも始める事だろう。ベル・クラネルが繰り出す“ふしぎなおどり”が、どこまでの効能を有しているかは定かではない。
「――――大きくなったな、ベル」
「っ――――はい」
それらはさておくとして、本来ならば叶うことなく終わるはずだった、二人の再会。何故生きているのか、何故ここに居て病の気配が見られないかは、口に出させることはない。
前者については、かつてリヴェリアやリューとの問答が。後者については、どうせ己の師が絡んでいるのだろうと察知している。こちらの直感も、ヘスティアと同様に鍛えられているようだ。
己の背丈を超えるのも時間の問題だと実感したアルフィアは、ベルの頭に優しく手を乗せる。今この時、柔らかな手で頭を強く撫でられる感覚は、ベル・クラネルにとって何よりの宝物。身をゆだねる姿を「小動物」と表現した上で賛否を募ったならば、賛成多数となる事だろう。
頼りになる大きい手も大好きだが、この暖かさは別物だ。どちらが上か下かという話ではなく、甲乙は付けられない。
しばし誰も入り込むことはできない、親子の触れ合い。詳しい事情を知らぬ者でも分かる程に強い親愛の気持ちは、一日二日で生まれるものとは程遠い。
直接的な血の繋がりこそ無いとはいえ、それは無粋な域に留まる話だ。家族の言葉に匹敵する強い絆は、二人の間に存在している。
言葉は無けれど、一通り撫で終わった後。アルフィアは、気掛かりな事があるらしい。
「ベル。つかぬ事を聞くが、この地区に教会の建物は無かったか?」
7年前と比べ、町並みは幾らか変わっていた。アルフィアは、この地に教会があった事を覚えており、気になるらしい。
ベル・クラネルが、ヘスティアと共に過ごし始めた教会のことだった。崩落の危険もあった為に解体されてしまった事を、包み隠さず伝える事となる。
「はい、ここにありました。大きく崩れていまして、修繕するか議論になったのですが、いつ崩れるかも分からなかった事と、ファミリアの人数も増えたので、建て直しを行いました」
「……そうか」
思い含んだ言葉の末尾は、静寂へと消えてゆく。かつて何があったかは、今となってはアルフィアのみが知るところだ。
ならば彼女が抱く次の目標は、紡がれた“
何せ、7年前においては最も闇派閥と近かった一人である。才知に優れた彼女は、指揮官としても適任だろう。戦ってヨシ、裏方に回ってヨシと、書面上は随分とハイスペックな人材だ。
「ところでベル。れ、レベル5になったと聞いたのだが……」
「はい、ようやくです!」
ようやく、つまり、やっとこさ。僅か1年という時間は告げられていないが、少なくともヘスティア・ファミリアの全員が知っている。
たった1年でレベル5という実態が如何ほどかとなれば、語るまでもないだろう。恐ろしいと表現するか、頭おかしいと呆れるかは聞き手次第だ。
「……そうか」
アルフィアは、このような反応を返している。話を聞いていた者は一斉に、“スルーしやがった”と、頭の中で念仏を唱えていた。
傍観者の中で唯一動けたのは、その手の“ぶっ壊れ”具合については耐性が出来てしまったリヴェリア・リヨス・アールヴのみ。彼女もまた聞きたいことがあり、ベルへと問いを投げる事となる。
「お前が戻ったとなれば、タカヒロは無事ということか」
「はい、掠り傷一つなかったですよ」
喜ぶべきか、悩むべきか。相反するとはまでいかずとも異なる二つの感情が渦巻くリヴェリアは、どうにも反応が難しい。
更には続いて、何故会いに来ないのだと嫉妬の感情が顔を覗かせており、何をしているのかと悶々とした気持ちを抑える事も難しい。戦利品ならぬ褒美の品の“槍”を鑑賞しながら帰路を満喫している点を知ったならば、更なる盛大な溜息を見せるだろう。どうやら彼女とて、相方の行いが誰に迷惑をかけているわけでもなし、不治の病の一種と認識しているらしい。
ヘスティアについて?残念ながら神々とは、世間一般において、心配の対象に含まれない。