その迷宮にハクスラ民は何を求めるか   作:乗っ取られ

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45話 少年少女

 普段、タカヒロの鍛錬を受けている北区の城壁。パーティー行動がない日の朝は、ベルはそこでアイズからの特訓を受けている。

 初回から中々にスパルタであるものの、師相手の時と全く違った動きになるので新鮮だ、とは少年本人の弁だ。見学していた少年の師も、自分とは全く違う相手であるために勉強してくるようにと、かつて言葉を残している。

 

 まだ夜が明けきらない中、細身の少年が路地を走る。やがて顔を覗かせるであろう朝日によって道は微かに照らされているものの、この鍛錬自体は極秘であるために、人目を避けて移動するのだ。

 もちろん完全に問題が無いというわけではなく、実のところはニアミスのような状況も生まれている。これは後日語られるのだが、4日目あたりの日の出前の時間帯に、ベルとレフィーヤが街中でバッタリと出くわしていたらしい。

 

 アイズの名前が出た瞬間に何故だか追いかけられる羽目になったらしいが、なんとか撒いて隠し通せている。何故だか山吹色の彼女は自分に対してアタリが強いよう感じる少年だが、原因は未だ不明の現象だ。

 後衛とは言えレベル3が相手だったことと、この秘密の場所は露呈させたくなかったために、撒くのもいくらか苦労したようである。

 

 

「あ……そっか、今日は師匠が居ないんだった」

 

 

 いつもの場所に到着し、日課となっていた鍛錬前の素振りを始めて、ようやくそのことを思い出す。慣れと言うのは怖いものだと頭の後ろに手をやる少年だが、それでも日課は続けるべきだと再開した。

 集中しだすと時間が流れるのは早いもので、馴染みのある気配が1つ、近づいてくる。相も変わらず見惚れてしまうその姿が目に入り、ベルは素振りを終えて声を出した。

 

 

「アイズさん、おはようございます」

「ん……おはよう、ベル」

 

 

 この鍛錬についてはロキ・ファミリアの幹部であるリヴェリアには露呈してしまっているのだが、秘密にしてくれている彼女も今日は不在のようだ。アイズ曰く、何かチケットのような物を持っていて、それに関する用事があるらしい。

 何のチケットだろうかと気になるベルだが、ともかく今は、アイズ・ヴァレンシュタインという師による鍛錬の場。関係のない事はすぐさま捨て去り、始まった鍛錬、相手の一撃に集中する。

 

 

「ハアッ!」

「踏み込み、甘いよ!」

 

 

 故に、結果として二人きり。だからと言って何かが起こるわけでもないのだが、不思議と一層の事集中力が増している気がするのは気のせいかと、少年は目の前の連撃を捌くことに集中するのであった。

 威力、速度共に、以前よりも確実に上回っている。しかしながら己の身体能力も向上していることと、アイズ・ヴァレンシュタインが見せる“型”に慣れてきたために、防ぐことは、そこまで苦労することではない。

 

 

「……ベルは、本当に凄いね」

 

 

 斬撃の雨が途切れると共に、突然と発せられたこの一言に、少年はキョトンとした表情を返す。いつもと同じく薄い表情のために感情まではわからないが、出された言葉は間違いない。

 彼からすれば、そんな言葉を掛けられる理由が分からない。しかしながら、少女からすれば真逆の事だ。

 

 大きく手加減しているとはいえ、彼女が放った高速の4連撃。並のレベル2ならば到底防げないであろうそれを、少年は理想と言える最小の動きで防いだのだ。今の少年がレベル2だと口にしても、信じることのできる者は極僅かだろう。

 当時レベル1であった2日目にも行われた攻撃なのだが、その頃と比べても格段の進化が見て取れる。だからこそ彼女は成長速度の早さに興味を持ち、ひいてはベル・クラネルという少年に対して非常に強い興味を持っているのである。

 

 

「……少し、休憩しようか」

「あ、は、はい!」

 

 

 「ふぁ」と可愛らしく欠伸をしたように見えたが、それは脳裏に焼き付ける程度にして、ともかく師の言うことは絶対である。ベルもナイフを仕舞うとアイズと共に座って壁に寄りかかり、熱くなった肺の空気を押し出した。

 チラリと隣を見るも、そこには薄い表情のままであるが繊細な容姿をした憧れの人物。自分と違って汗1つかいておらず、歴然とした実力差を知ると共に、汗臭くないだろうかと自分の事が気になった。男の子とは、好きな女の子の前では格好をつけたい生き物である。

 

 

 そして、別の不安もある。何と言っても彼女はレベル6の第一級冒険者、そのなかでもほぼ最前列に居るような強者である。片や少年の身はレベル2の駆け出しであり、互いの差は歴然だ。

 そんな格下の自分の鍛錬に付き合って貰えるのは色んな意味で嬉しい少年だが、相手が飽きないのかと不安なのだ。現に手加減されている状態で、自分は今の今まで一撃も見舞うことができていない。

 

 意を決してその内容を聞いてみるも、返ってきたのは「嫌じゃ、ないよ」という彼女らしい口調の返答だった。裏を返せば「好き、だよ」になりかねないその単語は、休憩時間だというのに少年のメンタルに大ダメージを与えている。尤も本当に嫌っているならば、この鍛錬など疾うの昔に終わっているだろう。

 癖なのか、特定の人物を相手にした際に己の感情を伝える時には瞳を見つめて口にするので与ダメージは猶更だ。「アイズさんは天然だ、アイズさんは天然だ」と内心で念仏を唱えるかのように繰り返すベル・クラネルながらも、あまり減衰効果は無いらしい。

 

 

「ベルが、見せてくれるのは……レベル1の時から、そうだったけど……どれも、レベル2とは思えない技術だよ。剣の基礎は、両親から、習ったの?」

 

 

 とはいえ、そこから話が発展した。相手の口数が少ないことは知っているだけに、途切れさせないように文面に気を付けながら、少年は続けて言葉を発する。

 

 

「いえ……両親は、物心つく前に、死んじゃってまして。基礎も含めて、教えてくれたのはタカヒロさんです。アイズさんの剣や魔法は、誰から習ったんですか?」

「剣は……基礎だけは、お父さんの真似。でも結局、リヴェリアやフィン、ガレスが色々と教えてくれて、それに染まっちゃったかな」

 

 

 断片単位で口に出される、少女の両親の話。幼い頃に物語を聞かせてくれたこと、自分の英雄に出会えると良いねと言葉を残したこと。

 核心に迫ることは全くなけれど、優しい為人が容易に想像できる人物だ。父が隠れてやっていた剣の鍛錬を見せてくれと、母と共にお願いし、照れながらも鍛錬を披露する光景など、微笑ましい以外の感想が浮かばない程のものがある。

 

 しかし、己の両親の過去の話だというのに、思い出に浸っている様子は無い。むしろ知らず知らずのうちなのか表情は険しさを垣間見せており、つられて少年の表情にも力が入る。

 

 少女が思い浮かべるのは、幼い頃に何度も物語を語り聞かせてくれて、己が夢見た言葉を残した、他ならない存在。忘れかけてはいたものの、いつかの出会いで少年が思い出させてくれた、大切な記憶だ。

 彼女の両親が残した言葉、「自分だけの英雄」。アイズの父曰く、己は既に母のための英雄だと、アイズに言葉を残している。

 

 そんな言葉を聞かされた少年は、当時のアイズと同じ感情を抱いている。尤も対象は自分の師であり、自分を引っ張ってくれているという理由で少年が勝手に決めつけているだけの話でもあるのだが、それでもベル・クラネルにとっては間違いない英雄だ。

 

 

 しかし、両親の言葉を口にする彼女の横顔が見せる表情は、やはり薄い。ベルが知る青年も普段は仏頂面のことが多いが感情を見せることも時々ある一方、彼女に関しては常に表情が一定だ。

 それでも、僅かに変化はある。青年に学んだ“相手を広く見る技術”がこんなところで生かせるのかと苦笑しつつ感謝したが、今の彼女の横顔はどこか寂しく、まるで救いを求めて彷徨う子供のようだ。

 

 

 何故ならば、憧れたから。仲睦まじい夫婦という言い回しなんてわからない彼女だが、その言葉と同じ感情を抱く、二人の姿が羨ましかった。

 だからこそ、父が掛けてくれる言葉が好きだった、その人物が魅せる剣に焦がれていた。母が読み聞かせてくれる物語が好きだった、その物語に焦がれていた。

 

 そんな二人が残した言葉。自分だけの英雄に、出会えると信じていた。7歳で剣を取り、戦い続けるうちに、そんな存在が現れるのだと信じていた。

 そうして月日は過ぎ去り、早10年程。だけれども、己の前に残された現実は――――

 

 

 いつのまにか伏せてしまっていた己の瞳に、真っ直ぐ向けられる深紅の目があることに気が付いた。核心にまでは至っていないものの、ロキ・ファミリアの4人を除いて知らないことである己の過去を、ここまでさらけ出したことも初めてだ。

 何故だろうと、彼女自身も不思議に思う。この少年と出会い、スキルとして発現するほど強いモンスターに対する恨みの炎が和らいだことも、未だに謎のまま。

 

 そんな考えから気を逸らすように、ふわりと優しい風が頬を撫でる。壁の頂上、かつ高所ということもあり、地上では無風でも、時折このような風が吹き抜けるのだ。

 二人して、風が抜けていった空を見る。夏の訪れを感じさせそうな雲に青空が見え隠れする光景は、偶然ながらも、二人を纏う空気に似ているだろう。

 

 

「気持ちいい風でしたね……あ、そうだ。確かアイズさんは、風の魔法も使えるんでしたよね」

「うん。エアリエルって、言うんだ。お母さんと同じ、風の魔法。威力とかは……たぶん、とっても弱いけど」

「あれ、ご存知ないんですか?」

「何度か、見たことは、あるんだけど……まだ、小さかったころだし……もう、ほとんど覚えてない」

 

 

 その言葉を耳にして、少年の目が少しだけ細まった。

 

 覚えていない。その言葉が胸に刺さる。親の顔を知らないという自身の心に圧し掛かっている内容だけに、そうなりかけている彼女を見て、なってほしくないという気持ちが強くなる。

 

 悲し気な顔の中に、僅かながらも懐かしさが覗いている。彼女にとっての両親とは、やはり、己の心を支えてくれる大切な存在だということは伝わった。

 それでも、そんな存在を失ってしまえば、アイズ・ヴァレンシュタインという剣は、遠くない内に折れてしまうだろうと少年は思う。己と言う存在から師を奪われたならばと考えられるベル・クラネルがその答えに行き着くのは、あまり難しい事ではなかった。

 

 暗い話でごめんねと言葉を掛けるも、いつものような和やかな空気には戻らない。そんな空気にしてしまった彼女は、何とかして少年の機嫌を取ろうかと、互いに共通した内容を口にした。

 

 

「ベルと私は、少し、似てるね……」

「似てる……?」

 

 

 しかし、ここにきて“アイズ語”である。課せられた試練。ベル・クラネルは、この一文から、相手の言いたいことを察しなければならないのだ。

 似ている。置き換えるならば“ほぼ同じ”と表現される文言であり、煮るという調理法ではないだろうと判断。ならば一体何が似ているのだろうかと、少年は考えを巡らせる。

 

 性別、違う。ファミリア、違う。レベル、雲泥。出身、知らないけどたぶん違う。あ、でも年齢と身長は似てるかも。後衛ではなく前衛なところも同じかも。

 そんな呑気な考えが浮かんだ少年ながらも、先ほどまでの話を思い返した。恐らく彼女が似ていると口にした内容は、互いが置かれている立ち位置ではないだろうかと、詳細な考えを巡らせる。

 

 互いに両親を亡くし、オラリオという場所で、血の繋がっていない親のような存在の下にいること。彼女がリヴェリアのことをどう思っているかはわからないが、少なくとも嫌っている様子は伺えない。

 己はオラリオで冒険者となり、タカヒロという存在に焦がれて、漠然とした目標ながらも英雄になることに憧れた。一方の彼女は、英雄的な存在を求めていることは、先ほどまでの会話と表情で明らかだ。

 

 

 

――――ならば、なれるだろうか。

 

 そう、少年の心がざわめきだした。

 

 元々、漠然とした目標だった。強くなりたいと思っても、何のためにかと聞かれると、英雄になるために。

 では何のために英雄になれるかとなれば、答えは無い。結局、漠然とした“強くなりたい”と言う振り出しに戻ってしまう。

 

 それでも1つの、ぼやけた先にある欠片が確かに見える。まるで瞳をさすような眩しい光、本に書いたような夢物語。

 それでもなれるだろうかと、小さな望みが芽生えだす。そう在ることができたらいいなと、心が静かに騒めきだした。

 

 

 ちっぽけな、貰ってばかりなこの身だけれど、なれるだろうか。

 

 

 ベル・クラネルが一目惚れした、彼女だけの、英雄に。

 


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