その迷宮にハクスラ民は何を求めるか   作:乗っ取られ

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46話 二人の昔話

 月明り無き暗闇を、魔石灯の明かりが微かに開き弱々しく地面を照らす。しとしとと降り注ぐ雨は強さを増してきており、やがてザーザーと音を立てて降り注ぐことになるだろう。

 あるのはただ、互いの考えを示す2つの命。周囲に人の気配は影もなく、その者が口にする言葉すらも、雨音によって消えてゆく。存在すらも、辺りの暗闇に飲み込まれるかのようにひどく弱い。

 

 

 嗚呼、これは夢なのだと直ぐに分かる。昼間に懐かしい過去、ファミリア結成当時における彼女自身の姿を思い出したことが、この夢を見た原因だろうか。

 夢だと判断する理由としては難しくない。己の少し先に居る二人、ヒューマンとエルフ。幼い頃のアイズ・ヴァレンシュタインの対面に、かつての自分自身、リヴェリア・リヨス・アールヴが居るのだから、夢と分かって当然だ。

 

 もう6-7年ほどは見ることも無かったと記憶する、しかし決して忘れない目の前の光景。己の腰ほどの背丈しかない黄金の少女に対して屈んで向かい合い、互いに言葉と言う名の刃物で傷つけ合った、かつての夜。

 

 その二人からは見えていないだろう未来の己は、この光景が迎える結末を知っている。今、目の前の自分が置かれている心境はハッキリと覚えている。

 ふと横を見れば、今のアイズも光景を見つめている。同じ夢を見ているのだろうかと考え、向き合う二人の姿に対して顔を戻した。

 

 

「貴女は、わたしのお母さんじゃない!」

 

 

 守りたい、大切にしたい少女を前にして、そのような一言を口にされ。言葉を向けられたエルフから全ての音が遠ざかり、時間が止まる。

 心には傷が生まれると共に救いを求める幼い手は見えず、互いの事実しか映らない。そして彼女もまた、相手を突き放す一言を口にしてしまう。

 

 

「……ああ。私は、お前の母親ではない」

「っ……!」

 

 

 あの時に少女が見せた、開いた瞳。暗闇の中でも分かる金色(こんじき)の姿から輝きが消えた光景は、決して忘れることは無いだろう。

 

 在りし日の母親に、父親に。二人の口から教えて貰った“英雄”を求める少女は緑髪のエルフの手を振り払い、ダンジョンへと駆けだし消えてゆく。雨に打たれ残った者は一人ただ何もできず、呆然とその場に立ち尽くし残される。

 かつて生まれてしまった、互いの間に出来た蟠り。こののちに仲間に活を入れられ、少女を愛すると誓い伝えた彼女は、一人でないことに気づき涙を流す少女を、柔らかな両手で包み込む。

 

 傷が生まれてしまってから8年の月日が流れ、白雪が積もるように重ねてきた、少女との時間。それが深雪(みゆき)になれたかどうかは、今の彼女も分からない。

 

 月日が流れたからこそ、また不安になってくる。己だけではなく、フィンやガレスが向けている、彼女を心配する気持ちが伝わっていないのだろうかと考えたことは数知れず。だからと言って、相手に直接聞けるような内容ではない。

 頻度こそ減ったものの、未だ無茶をすることが多々ある、危なっかしいその姿。がむしゃらに強さを求める傾向は変わっておらず、最近でこそ一人の少年と出会って極端なダンジョン篭りをすることも無くなったが、無茶をしようとする根底は変わっていないだろう。

 

――――今までの対応が、間違っていたのだろうか。

 

 夢の光景を前にして思い返し芽生えた、不安の感情が付きまとう。案じる想いが伝わっていないのかと、ズキリと心が痛む感覚に襲われる。

 

――――あの者ならば、どのように接しただろうか。

 

 続いてふと、そんな考えが浮かび上がる。かつての会計処理において、思わず己が頼ってしまった珍しい存在。

 

 駆け出しであった一人の少年を育て上げた、その存在。レベル6の己ですら目を見張る技術や覚悟の強さを持つ少年は、あの青年がいなければ誕生することは無かっただろう。

 相手の年齢も、性別も、環境も違うために比較できないことは分かっているつもりだ。それでも同じ“育てる”という過程を経ているだけに、どうしても並べて比べてしまう。

 

――――あの者ならば、どのような答えを……

 

 

「……朝、か」

 

 

 どのような夜を迎えようとも、太陽は毎朝必ず人類を歓迎する。そのような考えが浮かんだタイミングで、彼女は目を覚まして起き上がった。

 

 本日の天気は、恐らく晴れの類。今日もまた、アイズとベル・クラネルの鍛錬が行われる。あの青年も来るだろう。

 太陽は昇り切っていないものの地を照らす明るさは十分あり、視界については問題ない。今日も今日とて黄昏の館からコッソリと抜け出す二つの姿は、太陽にすらも見つかっていなかった。

 

====

 

 

「……随分と、加減が上手くなった」

 

 

 もはや日常となった早朝、北区にある防壁の上。人ひとり分の隙間を空けて同じ壁に寄りかかる二人が行う、いつも通りの他愛もない会話が一段落した時、玲瓏な声が昇る朝日に溶けるようにポツリと零れた。サラリと吹き抜けた風が、その名残すらもかき消してゆく。

 内容は、アイズ・ヴァレンシュタインの器用さを褒めるものである。確かにタカヒロの目線においても、当初と比べればマトモな“戦い”になっていることは明らかだ。

 

 少なくとも少年側が、身体を張って放物線を描くようなことは無い。一撃を貰う時こそあれどシッカリと減衰ができており、青年と鍛錬していた頃よりも実践的な成長が伺えた。

 良くも悪くも理想形な攻撃を放つ師と違って気まぐれなところがあるアイズの攻撃は緩急が凄まじく、結果として、ベル・クラネルにとって理想的な組手となっている。最近はタカヒロとの鍛錬が減っている少年だが、青年が先のような判断をしていることが理由の1つだ。

 

 

 とはいえ、先ほどのような言葉が漏れるとなれば、何かしら思うところがあるということだ。己のファミリアの少女に惚気ているのかと、青年はいつもの調子の言葉を返すべく口を開く。

 

 

「なんだ突然、弟子自慢なら負けんぞ」

「……そうではない」

 

 

 おふざけ半分で煽ったつもりが、微かに、声に暗さが見えている。なにかワケありかと二言を避け、タカヒロは相手の言葉を待つこととした。

 

 

「……やはり君の所の少年は、筋がしっかりしているな。駆け出しとなれば、教育も大変だっただろう」

「確かに楽ではないが、世話が焼けると表現するには程遠い」

 

 

 教育の大変さということでタカヒロも返事をしているが、ベルに対する戦闘面での教育については世話が焼けるというには程遠い。とはいっても、口には出せないが尋常ではない成長速度故に、逆に楽なものではないことも間違いない事実だ。

 しかしながら、教育が大変であることは対象がベルではなくても同じこと。教える側とは、基本として、教わる側よりも根気が要る立ち位置なのである。

 

 とはいえ、過剰な苦労が該当しない点は紛れもない事実である。先に漏れた一文が相手方のことかと考え、タカヒロは会話のボールを返球した。

 

 

「君は今もアイズ君の面倒を見ているようだが、そちらこそどうなのだ?」

「……そうだな。アイズは逆に、昔は何かと世話が焼ける子でな……」

「ほう……彼女の幼い頃か。何歳から戦っている?」

「……7歳だ」

「……。……なるほど。それは随分と、手を焼きそうな年齢だ」

 

 

 突然ながらも始まった昔話に、タカヒロは親身に聞く様相を見せて相槌をうっている。

 だがしかし、流石に7歳からダンジョンに潜っているという点については適切な言葉が浮かばない。予想外にも程がある幼さであり、恐らく教育過程において、そうなったであろうことを口にしていた。

 

 「そうだな」と言葉を残し、その後、リヴェリアは簡単な昔話を語り始めている。アイズがロキ・ファミリアへと加入した頃と、かつてリヴェリアがアイズの面倒を見てきたという内容だ。

 

 

 自分の命も顧みず、食事もロクに取らず、モンスターを殺し続けるその姿。かつてタカヒロとベルが黄昏の館を訪れた際、アイズに掛けられていた周囲の言葉の真相がコレである。

 付きまとう危うさ故に、人形姫などと揶揄されたぐらいであることが語られている。強くなるためにとダンジョンに潜り、幾たびの無茶を繰り返してきたのが、アイズが持つ実績だ。

 

 己が掛ける心配の声も届かず、反発を見せる子供の姿。その行動に傷つき、浴びせられる言葉に悩んだことも数知れず。それでもアイズが心配だからこそ、リヴェリアは厳しい姿勢を崩さずに接してきた。

 それは、ファミリアが大きくなってからも同様である。たとえ、自分が嫌われようとも。その厳しさで、一人でも家族が助かるならと。そうなって欲しいがために、己が正しさを貫き続けた。

 

 ついつい勢いあまってそこまでを口にしてしまったリヴェリアは、最後に「忘れてくれ」と言葉を濁す。顔と共に伏せられた長い睫毛からは影が落ちており、何度か交わした会話の時に見せる、凛とした姿は酷く遠い。

 

 

 ――――だからこそ、彼女は。教導に対して真摯に取り組む姿勢を見せる、タカヒロという存在が嬉しかった。

 決して口には出せそうもないが、そう感じた内容も事実である。今までで一番真面目な態度を取っていたレフィーヤでさえいくらかの弱音を吐いていたのだが、青年はそのようなことも一切を見せていないために猶更である。

 

 普段は己を煽るようなことも口にする青年だが、教導の際は、絶対に素振りすらも見せない程だ。故に猶更の事、真剣に取り組んでいるということがよく分かる。

 一方で難易度を上げていくらか茶化したかった彼女であるものの、結局はその隙を見せなかった青年だが、それよりも嬉しさが上回ったために気にならない。故に、指導のやり甲斐を一際強く感じていたことも事実である。

 

 決して、自分の言うことを聞いてくれるから嬉しいのではない。時おり見せる彼の質問と回答内容に、“そうなる危険から遠ざけるため”という彼女の心からの願いが含まれており、伝わっているからこそ嬉しいのだ。

 そのことを思い出すたびに、彼がロキ・ファミリアだったらなと思ってしまう事もある程。彼を見てくれれば、他の団員も少しは知識の大切さを分かってくれるのではないかと、淡い期待を抱いてしまう。

 

 

 これらは口に出されていないものの、タカヒロからすれば、先程までの一文に対する回答は気を付けなければならない内容だ。最後に残した「忘れてくれ」という言葉は、彼女の性格ならば本当に悩んでいたことを伺わせる一言に変わりない。

 かつて己も「そうではない」と似たようなセリフを返したことがあるだけに、よくわかる。今現在においてこの場における傍観者的な立ち位置に居ることもあり、とある人物の仕草に気づいた彼は、当たり障りのない内容から口に出した。

 

 

「……自分程度が君の覚悟を語るなど差し出がましいが、そこまでの覚悟を向けているなら、相手は君の気持ちにも気づいているんじゃないか?」

「しかし……アイズは未だ、私たちの言葉など聞こえぬように、無茶な行動を繰り返す」

 

 

 俯き加減の姿勢から出てきた言葉は、やはり彼女らしくなく語尾が弱い。ポロリと零した初めて見せる弱音に似た言葉は、鳴り響く白刃の雨に掻き消されて散っていく。

 慰めるようにサッと吹き抜けるそよ風が、シルクの如き緑髪を優しく撫でる。やや首を向けてその姿を横目見る青年もまた、彼女の心境を案じていた。

 

 やはり、まるでかつての己が悩みを口にした時と似た様相だと、タカヒロは思う。鮮明に覚えている当時の情景はすぐさま脳裏に浮かび、さも先程の事のように思い起こされた。

 いつか、彼女が自分に答えの1つを授けてくれたように。この場においては背中を押してやろうと、青年は、先ほどから気付いていた事象を口にする。

 

 

「……そうか。ともかく、しみったれた似合わん表情は捨てておけ、気高く凛とした姿はどこへ行った」

「えっ……?」

 

 

 青年の据わった声で瞳が見開き、顔が上がる。まず初めにフードに隠れた青年の横顔へと向くも、右手でフードの位置を直している姿が目に入った。

 

 

「面を上げろ、こちらではなく前を向け。君が最も気に掛ける少女が、君を案ずる視線を飛ばしているぞ」

 

 

 上げられた顔から向けられる視線は、続いて瞬時に、目の前で戦う少女の横顔へ。すると一瞬だけだが、確かに視線が交差した。

 直後アイズは、勢いよく正面、ベルの方向へと向き直る。あからさまな顔の動きにベルも内心でクエスチョンマークが浮かんでおり、それでも相手の手は緩まないために全力で対応を続けている。何があったかは気になるが、師が居る方を見ている余裕はない。

 

 

 リヴェリアが花のモンスターに穿たれそうになった時の状況を、タカヒロはよく覚えている。当初は第三者の立場だったことも、理由としては大きいだろう。その視点という前提を付け加え、当該戦闘において感じ取ったことを口に出す。

 

 3本の触手が各々を穿とうという時、アイズは目を見開いて迫っていた。たとえ折れた剣でも諦めず、己が身を使ってでも触手を止めんと気迫に満ちた姿勢を見せていた。

 アイズからすれば、あの場においてモンスターを相手にせず引くことはあり得ない。己が引けば次は誰に狙いが定まるかなど、言われなくても分かることだ。

 

 彼女が真っ先に駆けだしたのは、後衛故に近接戦闘では不利なリヴェリアを筆頭とした3名を守るためである。タカヒロが剣を投げたのは、その鬼気迫る心意気に応えたこともあるのが実情だ。

 己に対してリヴェリアが向けてくれる案ずる心など、痛いほどに伝わっている。しかし同時に、彼の言葉通り、アイズは誰よりもリヴェリアの身を案じている。故に彼女もまた、リヴェリアが口にする説教は素直に受け入れ聞く耳を傾けるのだ。

 

 いつ、どこで、誰が相手でもリヴェリアを。そして恐らくはリヴェリアだけではなく、ロキ・ファミリアの家族を守るため。

 当時においては、モンスターの狙いが青年へと変わってしまったものの。己を育ててくれた彼女を守るために、少女は迫る脅威に立ち向かっていたのである。

 

 

 これらが、リヴェリアが話した過去を含めて、タカヒロが感じ取った当時の状況だ。その事を伝えると、彼女は目を見開いてタカヒロを見つめている。

 また一方でタカヒロは、当時リヴェリアが見せていた説教が“鎧無しで立ち向かったアイズを心配していた故”のことだとも気づいており、そうなのだろうと確かめるように口にする。結果としては正解なのだが、だからこそ、当時においては「叱りを受けるべきものなのか」と疑問を投げ、「他人を案ずる前に自分の傷を治せ」という言葉を残していたのだ。

 

 それらは決して、青年による妄想ではない。少なくとも、リヴェリアが抱いていた気持ちについては完全に合致していると言って良いだろう。となればアイズ側がどうであるかは、先の行動も含めて容易に分かる内容だ。

 そのような言葉を口にする青年とて、かつては装備の為に色々と無茶をしていたためにアイズが抱く気持ちは汲み取れる。強さと呼ばれるモノを得るためには、基本として危険に対して挑まねば得られないのが実情だ。

 

 

「心から望むモノ(君の安全)を得るためには強く在らねばならず、そうなるために無茶をしてしまって居るのだろう。彼女は過去に、大切な何かを失っていないか?」

「……ああ。アイズの、両親は……」

「だったら猶更だ。二度目を起こすまいと圧し掛かる重圧は、背負った者にしか分からない。ならば自分程度では、彼女の行いを否定できない」

 

 

 無茶をするアイズを肯定するような、最後の一言。ここにきてリヴェリアは、突然と突き放された。

 目と鼻の先で鳴っているはずの白刃の音は、遥か彼方。風のざわめきなどとうになく、昇りつつある日の光すらも薄暗い。

 

 予想外だった。いつも少年に対して的確なアドバイスをしていた青年だ。てっきり己に対しても同じことをしてくれるのかとばかり思っていた彼女の心は、想定外の事態にたじろいでしまう。

 もはやどのようにしていいのか分からない孤独感に、胸の内が張り裂けそうだ。かつてのアイズもこのような気持ちだったのかと思うと、己が発した一言の重みが痛い程に分かる。あの時は、それでもお前の母だと否定するべきだったかと考えが浮かぶものの――――

 

 

「――――私は、どうすればいい」

 

 

 かつての夜、全ての音が遠ざかった時。絶対に決断を他人に委ねることのない彼女が、ファミリアを立ち上げた最も古き仲間である二人に決断を委ねた時。

 その時と同じ弱々しい言葉が、繊細な口から零れ落ちる。縋るような視線は答えを求め、横に立つ者、フードに隠された顔へと向けられた。

 

 

「……どうも何も、今まで通りで良いのではないか?」

「……なんだと?」

 

 

 向けられた回答が理解できない。何故、そのような答えが出てくるのかが分からない。ほんのつい先ほど、アイズの無茶をやめさせたいと思うエルフの考えを否定したではないかと困惑する。

 だというのに、今まで通りで良いとの回答。想定外の連続であり、考えが追い付かない。翡翠の瞳は変わらず弱々しく、それでも道を求めて相手を捉え続けている。

 

 

「面倒見の良い君のことだ。説教だのなんだの表向きは厳しいが……ちゃんと、しっかりと支えてやって居るのだろう。だからこそ、今のアイズ君がそこに居る」

 

 

 己が腐りかけていた時や、思い悩んでいた星座の一件において、色々と手を差し伸べてくれたこと。表向きこそ厳しいことの多い彼女ではあるものの、基本としては相手を心配しており、力になれればという想いが込められていることなど痛いほどに感じ取れていた。

 差し伸ばされる彼女の手は、少し握るだけで活力が湧く程に大きな優しさがあり、不思議と活力が湧き上がるのだ。その想いが向けられる相手がアイズ・ヴァレンシュタインならば猶更に強い事だろうと、青年には容易に感じ取れてしまう。

 

 力なく彷徨っていた瞳に、青年の一文で色が灯る。昇る朝日に輝く翡翠の瞳に映る相手が、今までとは違って見えるのは気のせいではないはずだ。

 

 

「そもそもこの手の話に絶対的な答えは無く、君の場合は当時の相手が7歳児だ。どれほどの苦労があったかは想像を絶するが……」

 

 

 かつてケアンの地において戦っていたのは、タカヒロ一人だけではない。世界各地において、いくつかの戦闘集団が世界の危機に立ち向かっていた。

 その仲間を守る事は行ってきたことのある青年だが、深く交わることは一度もなかった。己の知らぬところで死したかつての仲間など数知れず、だからと言ってそれはケアンの地において“普通のこと”であり、特別な感情が生まれたことなど一度もない。

 

 目的や程度は違えど、アイズのような子供や若者など数多くいた。メンヒルの化身と謳われた己に焦がれ、そうあらんと、己も誰かを守るために強く成りたいと無茶をする。されど各々が、守りたい者のために強くならんと足掻いているのだ、それを止めることなど誰にもできない。

 月日が経つ中で、道半ばに息絶える者も数知れず。それでもチャンピオン級に立ち向かうまでに成長した者も片手で数える程度には存命しており、再会を果たした際には互いの無事を喜び合い、そして誇り合ったものだ。

 

 

 決して楽だけではなく、どちらかと言えば互いに悩み、苦悩を抱えてきただろうリヴェリアの8年間。その内容は、弱さを見せる彼女の言動を見れば容易に感じ取れるものがある。

 そして彼女が愛した少女は、こうして立派に生きている。平和な環境に慣れてしまった者から見れば、当然のように明日を迎え、命が芽生え育ち、次の命へと繋ぐことなど当たり前のことかもしれない。

 

 しかしながら、日々において死と隣り合わせであるオラリオの環境においては話は別。青年の知るケアンの地と同じく、最も誇るべきことの一つだろう。

 

 

「今までの行いを気にしているようだが、現に彼女は、こうして五体満足で生きている。誇るべきことだ。ならば君が向けてきた想いや教導は、間違ってはいなかったんじゃないか?」

 

 

 だから、今後も似たようなことを続ければいい。リヴェリアの行ってきたことが正解かどうか、結局のところは本当の答えなんて無いために示すことはできないが、それが、タカヒロという男が示した回答だ。

 咎めるリヴェリアと、それでも無茶をして強くなろうと藻掻くアイズの関係は今後も続くことだろう。そんな関係となっている二人は結果として、絶妙なバランスとして成り立っていたのだ。

 

 無茶をすることで成長したアイズに助けられた者は、ロキ・ファミリアだけで見ても数多い。ここにきてリヴェリアは、その事実を思い返す。

 もしもアイズが、リヴェリアの言う事だけを行うようになっていたならば。それこそかつて揶揄された“人形姫”となり、どこかで誰かが、最悪は二人共に命を落としていたことだろう。

 

 

 突き放されたと勘違いしてから耳にした透き通る言葉の数々は、病気に効く薬のようだった。繊細な呂律まで聞き取るかのような長い耳から全身へと染み渡り、長年に渡って掛かっていた心のモヤが薄くなる。

 心のどこかにあった引っ掛かりは氷のようで、青年の言葉と言う名の炎によって溶けてゆく。流石に全てが溶解する程ではないものの、整った顔が見せる閉じられた瞳の表情は優しく緩んでおり、掛けられた言葉を思い返していた。

 

 

「……なるほど。とても、とても有難い言葉だ」

「そうか、何よりだ」

 

 

 やや俯く姿勢は、当初と変わらず。しかし声には力と張りが戻ってきており、耳にした青年は、ようやく本調子に戻ったかと内心で安堵する。

 

 

「……タカヒロ」

「なんだ、まだ何か――――」

 

 

 いつもとは少し違う、物言いたげな視線。それを感じた青年は、彼女へと顔を向けると――――

 

 

「ありがとう」

 

 

 春の陽だまりを象徴するかのような笑顔が、一人の男のために作られた。

 

 

「……お、おう」

 

 

 未だかつて誰も、かつての従者ですら見たことが無いその笑顔は、いつか、そこの捻くれ者が素直に礼を述べた時の逆バージョン。なお顔が見えているのと表情がある分、攻撃能力は此方の方が遥かに強い。

 右手でフードの位置を直しまくっている不審者はさておき、今の彼女の心はとても軽い。正面に向き直っても、先ほどの言葉がやはり脳裏に流れ、閉じられた瞳の表情は優しさを出し続けている。

 

 

 そんな彼女を横目に見ながら追撃の手を緩めないアイズは、第二の親と言って良い彼女から不安げな顔が取り除かれて安堵し、同時に不思議に思う。問題のワンシーンこそ見逃しているものの、ロキ・ファミリアにおいても表情を崩すのは稀であるリヴェリアが、このような安らかな表情を見せるのは非常に珍しいことなのだ。

 釣られて緩やかになる自分の口元に気づき、ハッとする。演習と言えど戦いの場にあるというのに、こうも穏やかな心境になれることもまた、その表情と同じぐらいに珍しい。少なくとも、今までのダンジョンにおいてはあり得なかったことだ。

 

 かつて己を愛してくれると言ってくれた人が見せる不安気な顔につられ、自然と気持ちが落ち込んでいた。心配であるものの己が示せるものなど剣しかなく、此度において出来ることなど、心配の顔を向けることだけ。

 だからと言って、そんな気持ちは恥ずかしくて、流石のリヴェリアが相手でも口に出せそうにもない。先ほどは、突然と顔を向けられて焦ったが――――

 

――――大丈夫。たぶん、隠せてるはず!

 

 心の中で可愛らしくドヤ顔とガッツポーズを作る、天然少女の知るところなく。かつて生まれてしまった傷跡は、とても小さくなっていた。

 

 

「何か、いいことがありましたか?」

 

 

 軽い打ち合いを行いながら、ベルは優しい表情を見せている。その笑みを目にしてキョトンとした表情を浮かべたアイズは、己も薄笑みを浮かべていたことに気が付いた。

 悲し気な表情を浮かべていたリヴェリアが立ち直ったことがハッキリと分かり、今の彼女の気持ちもまた、リヴェリアに似て非常に軽い。故に、気になる少年の質問に対する回答は1つであった。

 

 

「うん!」

 

 

 少年に向ける言葉と表情は、年相応の少女そのもの。パッと咲いた、少女が見せる花の笑顔がベルの目に留まり――――

 

 

――――続いて目にしたのが、己に向けられる過去一番に強い横薙ぎであるのは間違っているだろうか?

 

 

 未来予知レベルだった直感によって咄嗟に威力は減衰させた少年なれど、今回ばかりは元の威力が高すぎる。相手の花のような笑顔が見えた瞬間に視界は流れる地面に向いており、次の瞬間には、薄い雲の交じる青空がくっきりと映っていた。

 空中に弧を描く少年の身体はマニューバを行う戦闘機であり、さしずめアイズの放った一撃はカタパルト。射出の勢いは止まらずに、自分はどこまで飛ぶのかと呑気な思考が横切り、意識が消える。

 

 一部の者では“ご褒美”に成り得る行為でも、加減を違えれば死亡理由にしかなり得ない故に間違っている部類だろう。彼女は今までで一番の身体の軽さと心の浮つき具合で、明らかに加減を間違えていた。いくら機嫌が良くても己は第一級のレベル6、相手はレベル2の第三級冒険者であることは変わらない。

 流石の今回はタカヒロもベルに向かって駆け出しており、即座にポーションを使用するなどして応急処置を行っている。ポーションはポーションでもオラリオ産ではなくケアンの地で手に入る超即効性のある治癒薬だ。全回復するというわけではないポーションだが、瞬間的な回復力だけならば一本50万ヴァリスはするエリクサーを凌ぐほどのものである。

 

 

「……アイズ」

 

 

 ピシャリと静かに響く、玲瓏を保ちながらも圧倒的と言っていい一言。あのように吹き飛ばしてしまった己の悲しさと少年への謝罪、向けられる怖さに涙目になりつつそちらへと振り向けないアイズの下へ、ズシンズシンと音を立てるように死の宣告が忍び寄る。

 ロキ・ファミリア副団長ハイエルフ、リヴェリア・リヨス・アールヴ。タカヒロの言葉に対して真面目に心打たれていた直後の惨状に、久方ぶりの“げきおこ”であった。

 




ベル君、ここにきて気絶。(原作通り…?)
4人とも、結局いつも通りですね。

Q.主人公が装備のためにやっていた無茶って?
A.セレスチャルである破壊神(キャラガドラ)を、わざと降臨させて倒したり、
 敵対していないセレスチャル(モグドロゲン)を、わざと煽って戦いに発展させて倒したり、その他諸々。

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