人波に飲まれる、人波を割くように歩く、などの表現があるが、此度の場合は少し違う。どちらかと言えば、人波が勝手に分かれるのだ。
オラリオ、バベルの塔から各方面へと伸びる大通り。やや雲が出てきた空模様ながらも、暑い日差しを遮ってくれる丁度良い防御壁だ。時間帯としては11時ごろであり、昼食を取ることができる店もポツポツと営業を始めている。
大通りの端を歩いているとはいえ、多数の視線を受けながら二人は進む。特にエルフの者が向けてくるモノは顕著であり、とある女性の珍しい姿を見れて嬉しさ反面、横に居る男を見てもどかしさ反面、嫉妬などが発生して複雑な感情となっていた。
「……覚悟はしていたが、視線が痛いな」
「まったく……同胞が、すまないな」
思わずごちるタカヒロに、流石のリヴェリアも状況に呆れて溜息をつくしかなかった。痛い程に強い視線は、ずっと途切れることなく続いている。
そんな視線を向けているのはもちろんエルフと呼ばれる種族であり、青年にとっては、まさに四面楚歌な状況と言っていいだろう。針の
もちろん目線で済ます者だけではなく、実際にリヴェリアに対して何かしらをしでかそうという不埒者も、いくらか交じっている。この手を働くのはエルフではなく昨夜の酔いが抜けていない他種族なのだが、そこは横を歩く男の出番というわけだ。
半歩だけリヴェリアの前に重なって、表情1つ変えずに直立不動にて立ち塞がる様相を見せる。
そんな青年の頼もしい姿を見ることができて、リヴェリアは非常にご満悦。実際のところ片腕を抱き寄せたい衝動に駆られているが、場所が場所であるために、彼女の中で理性と本能が戦闘中。
意識する必要が無くても、自然と瞳が相手の顔を追ってしまう。思う必要が無くても胸の内には常に相手の姿があり、容易に脳裏に浮かばせることが出来る程だ。同時に上昇する心拍数で、心は更に昂ってしまう。
横を歩く青年はどうなのかと思いチラリと盗み見るも、身体の芯はまったくもってブレておらず平然と歩みを続けている。そう言えば滅多に感情を表す者ではなかったなと思い出し、一方で彼らしいと思い目を閉じて口元を緩めるリヴェリアは、一層軽くなったような気がする足取りで、青年と共に歩みを進めている。
ちなみに横を歩く青年は、単純に、先ほどから彼女との時間を露骨に邪魔されて少々“おこ”な心境。一緒に過ごせる時間を思う存分堪能することができないために、子供のようにヘソを曲げているのだ。
するとやがて、見知った姿も飛び込んでくる。歩く二人に顔を向けて固まっているその姿に、最初に気づいたのはリヴェリアだった。
「おや?奇遇だな、あれは君の弟子ではないか」
「ん?ああ、そのようだ。横に居る鍛冶師は知っているか?ヘファイストス・ファミリアの新米だ」
「ほう、神ヘファイストスの所の者か」
少年二人が虜になっているのは、エルフらしく控えめに溢れる、しかし隠しきれない大人の色気。しかも所在は、神ですら羨む程の美貌を持つリヴェリアだ。
ベルとヴェルフという、各々想う相手は居れど純白な子供には敷居が高く眩しすぎるというものである。二人して目線を隠すこともせずに、周りの者と同じくすっかり見惚れてしまっていた。
もっとも、そんな目線が気にくわないのは隣に居る青年である。ともあれ出会っておいて無視というのも問題であるために、タカヒロとリヴェリアは二人のところへと歩みを勧めた。
「ベル君とヴェルフ君、穴が開くほどに見つめて何を考えている。間男は間に合っているぞ」
「え……も、もう間男が居るんですか……」
「いや、ベル、今のは“必要ない”という意味だろ。すみませんタカヒロさん、思わず。ハッ。ま、まさかベル、お前!」
「……?はっ!?へっ!?いやいやいや何言いだすのヴェルフさん!?」
「ほぉ?良い度胸だ弟子よ、覚悟はしているだろうな」
「話聞いてくださいよししょおおおおお!?」
両手を腰に当てて顔を近づけ、師は弟子の覚悟を問う。もちろんYesの返答が放たれた瞬間に中々の修羅場となるのだが、あいにくと少年は今のところアイズ・ヴァレンシュタイン一筋であるために論争には成り得ない。
身振り手振りで己の潔白を証明しようとする少年だが、この時の青年も中々に食い下がる対応を見せている。本人からすればベルの反応で遊んでいるだけなのだが、もちろん少年は全力であり必死である。
そんな二人を見守る彼女の表情は、「似合わない」と言っては失礼だろう。そう口にしてしまう程に誰も見たことが無い、ひどく柔らかいものだった。
二人が見せる態度から、本当に仲睦まじい親子のようだとの感想が心に芽生える。それどころか、こんな言い争いを見て気付かず頬が緩んでしまっていることを自覚した。
防戦一方のベルから視線をずらしたことで彼女の顔を見てしまった赤髪の鍛冶師が、ギョっとした表情ののちに顔を赤らめたのはリヴェリアも気づいているが口には出さない。些細なそちらに気を回すよりも、とにかく彼の姿を見ていたいというのが彼女の心境だ。
――――やはり、こんな心境は初めてだな。
王族に生まれ、価値観の違いから親友と共にエルフの国を出て。オラリオに流れ着いてロキ・ファミリアに入りレベル6にまで達したが、一人の男に興味を持つことなど、文字通り生まれて初めての状況だ。
同じファミリアの同期であるドワーフに言えば「何百年の間違いだろう」と即座にツッコミが入って“大乱闘ロキ・ファミリアーズ”になる内容の感想だが、今の彼女はそんなツッコミがあったとしても応じている余裕はない。青年が見せる独特の言い回しや一挙手一投足を耳と目に捉えたいと、心から思ってしまっている。
視線が釘付けになる、とは文字通りの言い回しだなと、彼女は目を閉じて口元を緩めた。そんな自分に嫌悪感を抱くどころか、心地良いのだから仕方ない。どこぞのお菓子メーカーが掲げた“止められない止まらない”の言い回しを知れば、大手を振って同意しているはずだ。
嗚呼、これが“恋”なのだなと、自身の心に生まれた新たな感情を歓迎する。身も心も軽くなり、いつもの景色が違って見えるこのような心境は、知らず過ごしたならば損をした感想しか生まれないというものだ。
とはいえ、そんな望んだ時間は長くは続かない。睨み合いを終えた青年は、ベルに向かって言葉を発した。
「こんなところで油を売ってる暇があるのか?これからダンジョン探索だろう。遅くなるとヘスティアも口うるさくなる、暗くなる前に済ませてきな」
「は、はい!これからダンジョン探索です、頑張ります!」
そんな彼の声で、少年は兵士のように機敏な挨拶と動作を見える。彼を全面的に信頼して尊敬しているからこそ、無意識に出てしまう行動だ。その後は軽く礼を行い、ヴェルフと共にバベルの塔へと走っていく。
「ふふっ。面倒見が良いのだな、意外だった」
「ようやく気づいたか、見る目が無いねぇ」
「なんだと?」
いつものやりとりは少し変わって、互いに柔らかな微笑みで。到底ながら素直になれそうもない彼との応対を終えた彼女は、走り去る小さな背中を並んで見送る。駆け出す姿にかつてのアイズが重なるリヴェリアだが、少年には明確な戦う理由があるように見られたために不安は感じない。
なぜ、少年ほどの若い年齢でそんな答えが持てているのか。それはもちろん、己の横に居る彼が見つけてあげたからだろう。その
「さて、私達も行くとしよう」
「そうだな、案内を頼む」
「ああ、任せてもらおう」
=====
「はい、いらっしゃいま……り、リヴェリア様。ようこそでございます」
来客用の扉に取り付けられた鈴の音を聞いてフランクな口調と共に振り返った男エルフの店主だが、彼女の姿を見て口調も態度も最敬礼に変わっている。客人である上に王族と来れば、自然と彼にかかるプレッシャーも一入だ。
「久しぶりだな。突然で済まないが、個室は空いているだろうか?」
「もちろんでございます。なにせ、本日お一人目のお客様でございます故」
「それは良い。二人だ、案内を頼む」
「承知致しました、こちらでございます」
男のヒューマンが彼女と一緒に居るというこの状況だというのに、店主は普通のように対応する。思わず「ほぅ」と内心で言葉が漏れたタカヒロは、リヴェリアが口にしていた“気が利く奴”の意味を感じ取っていた。
店員含めて全ての者がエルフだが、タカヒロに対しても薄いながら愛想を作って接しており、とてもではないが他人との接触を嫌うエルフのセオリーには当てはまらない。そう言えばリヴェリアも自分と握手を交わしていたなと当時の状況を思い出しながら、彼はリヴェリアに続いて、店員が引いた椅子に腰かけた。
水とお手拭きの類が出され、同時にメニューが並べられる。文字が自分の方を向いて居ることにムッと顔をしかめかけたリヴェリアだが、流石にそこまでは無理があるかと考え直して目を閉じた。
「こちら、本日のメニューでございます」
「少し時間がかかるかもしれん、決まったら呼ばせて貰おう」
「承知致しました、ごゆるりと」
頭を下げ、店員は個室の外へ出ていく。軽く会釈をしたタカヒロは、ほんの少しだけ身を乗り出してメニュー全体を流し見て――――
「……わからん」
なんたらパッチョだの、なんたらピアットなど、これほんとに料理の名前なんですかと言いたくなってしまうメニューと格闘していた。簡易的な料理ならば作れる彼だが、この手の専門用語満載のメニュー表は手に余るようである。
もっとも全くの無知ということもないためにカルパッチョの類は把握できるし、他の料理も現物を見れば「ああこれか」と納得することもあるだろう。とはいえ、素材のイメージがつくならばまだしも全く聞いたことのない名前ばかりであり、唯一パスタ系が分かる程度だが、この場においては相応しくないだろうと既に候補から除外している。
一方、唸りに唸る彼を見てご満悦なのはリヴェリアだ。とは言っても不慣れな彼を貶しているわけではなく、今までに見たことのない表情を目にして単に惚気ているだけである。
彼女も彼女で、ここの料理の全てを把握しているわけではない。それでも大半は知っているかイメージが掴めており、珍しく青年よりも優位に立っている状況が乙女加減を加速させているのは、誰にも分からない秘密の感情だ。
「ではコース料理にしよう。安心しろ、変なものは出ない」
「いや、出てきたら困る」
「ふふっ、違いないな」
薄笑みと共にそう口にして、メニューを閉じたのはリヴェリアだ。目線の先を追うタカヒロはランチ用のコース内容を見るも、予約なしに頼めるのかと不安になる。
店主がやってきた結果としてはどうやら注文可能なようで、気になったタカヒロが質問を投げると「ランチについてはそこまで本格的なコース料理でもない」と店主は苦笑いを浮かべている。3皿とデザート、紅茶程度の内容が、その事実を物語っていると言っていいだろう。
ようやく状況が落ち着いて、タカヒロは室内を見渡した。狭くもなければ、かと言って余裕がある程広くもない部屋に鎮座する、ダークウッドな4人掛け用のテーブル。
それが収まる部屋は、独特な香りと小洒落た置物や絵画が古き良き味わいを出している。言い換えれば、落ち着いた品格があるとも表現することができるだろう。
「なんだ、落ち着かないか?」
青年を見て薄笑みを浮かべる彼女は、どこか楽し気に声を掛ける。燥いでいたわけではないが、青年は拳を口に当てて軽く咳払いをして非礼を詫びた。
「失礼、そうではない。部屋の飾りつけに目をやっていたのもあるんだが、どこか自然の森の中の香りが届いていてね。なんだろうかと見回してしまった」
「なるほど。確かにこの店はその手のお香の様な物を微かに焚いているが、君も分かるのか?」
「逆に慣れていないから気づいた、というやつかな。エルフの店だからこそ、の香りということか」
彼女曰く、どうやらエルフの里にある“妖精の森”と呼ばれる場所の香りに近いらしい。もっとも、とある森の奥にある秘匿された場所であり、高貴なエルフでしか場所を知らない特別な所という説明が付けたされた。
精霊がエルフと触れ合う、数少ない神秘的な場所であるとも口にしている。会話をするのか?などと質問を投げるタカヒロだが、リヴェリアは苦笑しつつ、自我の無い小精霊が飛び交う光景に唄を刻む程度だと答えている。
――――そういえば、この世界にもドライアドは居るのだろうか。
そう思い出した彼は、祈祷画面を久しぶりに呼び出して当該の星座を確認する。5つの祈祷ポイントを使用して取得する星座であり、昔からお世話になっているその星座と祝福を数秒眺め画面を閉じた。
コース料理の一皿目が運ばれてきたのは、そのタイミングである。もっとも比較的普通のサラダであり、タカヒロも問題なく食すことができていた。二皿目もスープの類で問題は無く、小言を交わしながら舌鼓を打っている。
問題は最後の三皿目であり、皮付きの鮭のような魚のソテー。かなりの厚みがある皮がついており、彼がチラリとリヴェリアの皿を盗み見るも、どうやら皮は食さないようだ。
そして、恐ろしいほど綺麗に皮と身が分離されていっている。教養の高さから発揮されるナイフとフォーク捌きは目を見張るものがあり、何をどうやったらそこまで綺麗にできるのかと青年に焦りが生まれていた。
ナイフとフォークに慣れていない身の彼からすれば、焼き魚相手ということもあり、どう頑張ってもぎこちない手つきになってしまう。サーキュレーターを組み上げる程に高い器用さも戦闘における小手先の技術も、どうやら獲物がナイフとフォークで料理が相手では不発のようである。
「ふふっ。どうした、ぎこちないな。見ていろタカヒロ、こうするのだ」
一連の流れに、真剣な表情で魚と格闘していたタカヒロも目を丸くしかけた程だ。身体の芯がまったくブレずに器用に肩から先だけを動かし皮と身を分離させていくその手捌きは目を見張るものがあるが、思わず、それよりも表情に見惚れてしまう。
紙の上では“高貴で気高い”と皮肉られる程に書かれている、エルフという類の種族。その中でも一際であるハイエルフが、よもやテーブルマナー1つでドヤ顔を見せてくるなど思いもしないことであった。
普段の高貴さがやや残る仕草も含めて可愛らしく、不意打ちとはこのことだろう。青年は内心で咳払いすると、見よう見まねで手を動かす。どうやら要所要所のポイントは掴んでいたようで、先ほどよりは綺麗に分離に成功していた。
その結果を見て、リヴェリアはすっかりご満悦。青年は大きめの一切れをモグモグと頬張りつつ、慣れぬ故から来る不器用さを見せてしまったことに対し、少しスネた表情を見せている。
その後は軽いフルーツに続き、紅茶とチョコレートケーキのようなものが出されている。子供や女性ならば喜んで飛びつきそうな匂いを放っているが、タカヒロのフォークが進む速度は遅かった。
「なんだ、甘いものは苦手か?」
「苦手と言うこともないが、好んで食べることは無いかな。そういう君は、普段に我慢している分まで食べたいと言う顔をしているぞ?」
「ぐっ……ふんっ。ここで食べるなら誰にも露呈はせん、よいではないかっ」
ツーンという擬音が鳴るかのように照れ隠しでそっぽを向くリヴェリアを見て、タカヒロは苦笑する。ムスーッとした珍しい表情を見せつつデザートを口にする彼女の姿を肴に、随分と甘いなと感じるチョコレートケーキを口に運ぶのであった。
ベル君に間男って言葉を教えたの誰よ。
P.S.
オラトリア漫画16巻を買いました。おのれカラー絵ページのラウル……!
小説13巻まだかなー