ダンジョン、59階層。全身全霊で倒したはずの敵、その二体目が現れたことで、ロキ・ファミリアのパーティーは戦意を完全に削がれてしまっていた。
直前にアイズとリヴェリアの二人が吹き飛ばされた光景も、戦意を消失することに拍車をかけていたことだろう。一戦終えた後とはいえレベル6の二人が容易に戦闘不能となってしまう程の攻撃力は、光景だけで心が折れてしまっても仕方がない。
辛うじて意識が残るアイズもまた、どうすることもできずに地に伏せる。向けている視線の遥か先で、己を育ててくれた姿が倒れている。相変わらず自分自身よりも己の身を案じてダメージの大半を請け負った姿に、彼女の愛を確かに感じた。
しかし、向けられる愛情に浸っている暇はない。互いの死という現実は、すぐそこにまで迫っている。何らかの行動を起こさなければ、その結末から逃れることはできはしない。
助けたい、死んでほしくない。そう思うも、無情にもマインドと体力は底を尽きている。そして死神が目の前に立ち塞がり、死にたくないと思うのは己とて同じこと。
思い返せばダンジョンとモンスターの言葉しか出てこない己の人生だったが、最後の少しだけは、楽しいと思うことができる充実した時間だった。願わくば、少年との楽しい時間が、死後も夢見ることができたらいいなと天に祈り――――
「(コレですかああ)ぁぁぁあああ!?」
ロキらしい神の悪戯か、最後の最後に耳にしたかった声が背中越しに近づいてくる。首をまわす気力も残っていないために姿は確認できないが、幻聴であるために意味がないだろうと音を聞くことに集中した。
よもや当該の少年が、ぶん投げられて滑空しながら接近中とは思うまい。随分とリアルな驚き声だと思うアイズの眼前5メートルほどの距離に、ややバランスを崩しながらもベル・クラネルは着地することとなった。
「へっ?」
辛うじて意識が残っていた彼女は着地する背中を目にして、何故、あの少年が居るのかが理解できない。ここは深層の中でも奥地となる59階層であり、レベル2が来ることのできる場所とは程遠い。
そこから発せられた、未だかつてロキやリヴェリアは疎か誰も聞いたことのない程の、少女アイズの声として発せられた疑問符。無我夢中で必死なベルには届いていない点を、本人が知れば悔やむだろう。
前に立つ己と同じぐらいの細い背中が、偶然にも同じ髪の色をしていたこともあり、かつての父の姿に重なった。ならばあの時の結末が、自然と彼に重なってしまう。
立ち上がって横に並ぼうとするも、無情にも足腰に力が入らない。微かに鳴る力強い鐘の音を耳にしながら思わず目を細めて、アイズは己の運命を少年に預ける覚悟を決めた。
「チャージ……完了!!」
カランカランと、覚悟の強さと情景を示す鐘が鳴る。己も目の前の冒険者達のようになりたいと、その中においても彼女のために戦うと誓い集約された力が、心に響く旋律となって二人の耳に届いているのだ。
正直なところ、恐怖の心境が己の中に充満している。なにせロキ・ファミリアの精鋭部隊が壊滅状態となった敵だ、相手が持ち得る強さは疑問に思うまでも無い事だ。
しかし奇遇か。毎度にわたって連れてこられた格好ながらも、50階層以降の空気はこれで“三度目”。故に深層の気配なんぞに後れを取ることはなく、持ち得る実力を発揮できる自信はある。
出だしこそ驚愕と怯えがあったものの、直後にそれは覚悟へと変わる。明らかに格上の相手であり、一度でも下手をすれば命を取られる状況であることは嫌という程に理解できる。
ぶん投げられる直前、師に言われたことを思い出す。事前のチャージを命じられて実施してみれば、少年も、まさか投げられるとは微塵にも思ってはいなかったのは仕方がない事だろう。
直前にかけられた言葉は“倒してこい”ではなく、“かっさらってこい”。そして1分間のチャージ終盤に投げられたことで、今の己には“
つまり己の戦いは敵を倒すことではなく、アイズ・ヴァレンシュタインを救い出すこと。そもそもにおいてあの敵は格上も度が過ぎており、己が倒せないのは明白だ。相手が余裕をかましているのがムカつくが、今は喧嘩を売る時ではないと抑え込む。
着地地点からするに、彼女を穿つ触手による攻撃を防ぐことが、己がなすべきことと言えるだろう。少年は瞬時にその答えを察して、最も効率の良い防御行動を選択した。
絶体絶命にある想い人を救うという、少年の冒険が。ただの英雄ではなく、彼女にとっての英雄になるという少年の夢物語の一幕が、ここに始まる。
相手は絶対に勝てない精霊の分身、しかし只引き下がる選択肢はあり得ない。二人の心に響くように静かに、しかし力強く鳴る鐘の音と共に、少年の冒険が幕を開けた。
倒れる少女を庇うように、一匹の雄が立ちはだかる。集中線が疑似的に見える程の速度で真正面から迫る5本の触手、そこに存在するであろう“弱い部分”を逃さぬよう、瞬時の間ながらも広く見る。
迫る触手は1本が先行しており、残りの4本は、ほとんど同じタイミング。まず一本目にかかる力の入り具合を広くて見て、見つけた。傷や致命傷を叩き込めると思える場所、そして受け流すには最適と思われる2つのポイント。
持ち得る刃物が二つあるように、行うべき行動も2つある。それは今までの鍛錬において、もっとも練習した戦法だ。
いつかのシルバーバック戦で、ミノタウロスとの戦いで披露した己の十八番。まず左手に逆手で構える“ミノ短”を左に流して相手の一撃目をいなし――――
(っ、一発でヒビが!?)
“
そして自身は相手の力に逆らわず、左回転の力を維持したままで2本目以降の触手を横目見る。すぐさま両方に対して致命傷を叩き込めるポイントを判断し、渾身の一撃を放つ決意をした。
「ハアッ!!」
それが分かれば、あとはチャージを解放するだけである。少年は雄叫びをあげ、たっぷり一分の時間をかけた一撃を。尊敬する鍛冶師が作り上げたヘスティア・ナイフによる一撃を、明らかに格上であるモンスターを相手にぶっぱなした。
刃の入る角度、タイミング共に問題なし。恐らくは理想形、効果あり。
ヒット直前にグリップを強くすることで、瞬間的な力を乗せて威力を強める。
今までの鍛錬は、この一撃のためにあったと言っても過言ではない。
力で劣ることなど、言われるまでもなく分かっている。4本すべてに理想的な攻撃を放てないことなど、火を見るよりも明らかだ。
だからと言って、諦めることなど在り得ない。信頼する鍛冶師が作り上げた最高の逸品が持ち得る威力と耐久性を信じてマインドを注ぎ込み、腕のしなり、腰の回転も加え、少しでも強い一撃として放つのだ。
ベル・クラネルは使える小手先の技術は全てを注ぎ込み、彼女に攻撃を向けさせないための一撃を、相手の最も効果的な場所に叩き込んだ。
レベル5や6を弾き飛ばす程の触手4本が、宙に舞う。目論み通り、切断できた上に弾き飛ばした。これで僅か十秒程度ながらも、撤退を開始するまでの時間が確保できたことは揺るぎ無い。
しかしまるで重い金属をぶん殴ったような衝撃を受け、少年の顔が苦痛に歪む。目論見は成功したが腕は痺れ、手に持つナイフの感覚すらも希薄と言っていいだろう。
それでもやるべきことは残っており、余韻に浸る暇は無い。衝撃は肺にも伝わり、チャージによって減った体力も合わさって呼吸するのも至難の業だが、己の身体に鞭を打つ。
繰り広げられる光景に、守られる少女は驚愕の表情を浮かべている。てっきり彼女も知る彼の師が来るのかとばかり思っていたが、己を守ってくれるこの少年はレベル2であるにも関わらず、恐れを抱きつつも、あの圧倒的な脅威に対して立ち向かったのだ。
無謀なのか、何かしらの確信があったのか、それは彼女にも分からない。それでも、たとえ理由が前者だとしても、自分のために戦ってくれているという事実は変わらない。そんな夢見た者が繰り広げる光景を目にして、死地だというのに薄笑みが零れた。
――――なんとかできましたけど、本当に首の皮一枚でしたよ師匠……!
そんな光景を作り出した少年としては実のところ、半ばヤケクソと確信が2対8と言ったところ。過去最高に危ない橋だったために、思わずそんな言葉を内心で呟いてしまう。自分自身としては「できないんじゃないか」と思っていただけに、己の師が見せる戦力把握との精度の差を、再度認識した格好だ。
それでも感心したり、相手に屈している余裕は無い。与えたダメージは極微かなれど、確保した時間としては十分だ。驚きで微かに開いていた口に問答無用でポーションを突っ込み、即座にナイフをしまって、彼女の腰と肩を抱きあげる。
レベル2とは言えベルの腕力でもってすれば、軽装の装備込みの少女一人を抱える程度は造作もない。アイズをお姫様抱っこで持ち上げたならば、持ち前の俊足を生かして戦線離脱を開始することとなる。
黄金の瞳は見開かれており、必死で走る少年の横顔を捉え続けている。そんな瞳に映る彼の表情は、思っていたものと少し違っていた。
「ひぃーっ!?」
尾びれをつけても、到底ながらカッコ良さとは程遠い。後ろから放たれる触手による打撃を軽快かつ確かなフットワークで回避しながらも、必死さと焦りを隠せる余裕もないようだ。とはいえ、レベル2ならば仕方のない事だろう。
とにかく一撃を貰わないよう、ましてや腕の中に居る己に当てないようにして走っていることはアイズにも読み取れている。彼も死の瀬戸際に居るというのにそんな心遣いがたまらなく嬉しく、マインドダウン間近からくる疲れもあって、彼女の瞳が重くなった。
しかし当然、眠ることは色々な意味で許されない。レベル2である細身をもって自分を助けてくれる少年の姿を目に焼き付けろと本能が叫び、マインドを得るために生まれる睡眠欲を投げ捨てている。
見入ってしまうのは当然だった。何度も夢に見た、今は亡き両親が口にした、その存在。まるで今の彼の姿は、彼女のために戦いの場に居る英雄のような――――
「っ――――!」
意図せずして、少女の目が見開かれる。死が目前に迫っている危機だというのに、思わず胸の鼓動がテンポを上げる。ゾクリとした感覚が背中を駆け抜け、今の一瞬が脳裏に焼き付いて離れない。
少年が垣間見せた表情に先ほどの怯えも嘆きも一切なく、そこにあったのは試練へと立ち向かうために落ち着き払い、瞳に力を入れて据わった表情をした雄の顔。地中から伸ばしたのだろうか、逃走経路である前方に出現した新たな触手の動きから最善策を判断するために、全身全霊をかけて何ができるかとベル・クラネルは相手の動きに集中し、瞬間的に自問する。
しかしスキルによるチャージという武器もなければ満足にナイフを振るえる余裕も無い現状、無情にも自力で行える類の答えは何も無い。追う背中という目標はあれど、たったレベル2である自分にできることの範囲は、嫌という程に分かっている。
ならばと、立ち向かう選択を放棄した。腕の中に、守りたい女性を抱えて居る現状だ。砂丘で1つの砂粒を見つけるかのように出来ないことに対して挑むならば、リスクの方が大きすぎることは明白であり、今の少年ならば容易に判断することができる。
「師匠お願いします!!」
故に、自分自身の見栄や羞恥など関係ない。討つべき敵に挑むという冒険を放棄し、情けなく叫ぶことも躊躇しない。
救いを乞う相手が別の男だろうが、縋るべき者に助けを乞う。その相手が絶対に崩れぬ防壁であり、駆け付けてくれると断言できる程に信じられるならば猶更だ。
間髪入れずに万物を吹き飛ばす突撃を見せて、立ち塞がる触手を弾き飛ばすは心中の正義を掲げるウォーロード。その左腕には緑髪のハイエルフが抱きかかえられており、眠り姫の如き様相を見せている。
見せる姿は、相変わらず圧倒的と表現して過言の無い攻撃力。一方で眠り姫は、彼が見せる狡猾さと立ち回りによって、万が一にも一撃を受けないようにしっかりと守られているのだから隙が無い。
「見事、無事に救い出したな。そして不服かもしれんが恥じることは無いぞ、よく吠えた」
「へへっ。でも、こんな結末じゃカッコ悪いですよね」
「そんなことは無いさ、アレを相手にしては本当の覚悟が無ければ足が竦む。先に行け、後ろを防いで追いつこう」
「はい、お願いします!」
交わされるのは、弟子の行いを咎めることのない師の会話。もしここでベルが突撃でもしようものなら、彼の横やりが入った後に地上で雷が落ちていたことだろう。
言葉通りに少年は振り返ることなく走り続け、故に狙いを青年に変えた触手はその全てが右手の“全く普通の盾”によって防がれる。正確には“目にも留まらぬ速さの殴打攻撃”、敵のバランスを崩すために重心を低くして放たれる強力な一振りによる複数目標への同時攻撃“ゾルハンのテクニック”によって相打ちの結果になっている。今回はしっかりとした理由があって星座の恩恵と報復ダメージを無効化しているために発動しないが、確実に損傷を与えており時間を稼ぐには十分だ。
「……タカ、ヒロ……?」
眠り姫の瞼が、静かに開く。たった10日間ながらも離れた二人は、初めて出会った時と同じ階層でこそないものの、再びダンジョンの深層“未到達領域”と呼ばれる地点で出会うこととなったのだ。
望んだ者が最も居て欲しい時に駆け付ける、ありきたりな話、できすぎた物語。御伽話に書かれるような、王道中の王道だ。
しかし、現実である。ロキ・ファミリアの誰一人として予測していなかった零細ファミリアの乱入という更なるイレギュラーにより、59階層での決戦は、再び大きな転換点を迎えることとなった。
■パッシブスキル:ゾルハンのテクニック(レベル5)
・有名な戦闘術師範の名を取って命名されたこの攻撃は、敵のバランスを崩すために重心を低くして強力な一振りを行う。
*すべての通常の武器攻撃で発動し得る。近接武器で用いた場合、複数の近くの標的に攻撃が当たる。
20% 技が使われる率
120度 の攻撃角度
3 最大標的数
+134% 武器ダメージ
+118 体内損傷/2s
25% 敵の攻撃減速を 5.6秒
P.S.
今後の展開を考えるとコミカルは無理でした、ごめんなさい