その迷宮にハクスラ民は何を求めるか   作:乗っ取られ

84 / 255
83話 上辺と素直さ

「師匠、応急処置程度ですがポーションの配布が終わりました」

 

 

 討伐が終わり、対精霊の戦闘においては何が起こったのか分からず、ハック&スラッシュの光景も「意味が分からない」と考えているうちに終了した師の戦闘。それでもベル・クラネルは必死にポーションを配りつつ警戒を見せており、己の仕事をこなしていた。

 それもまた無事に終わり、あとはロキ・ファミリアが帰還するだけである。もっともそこかしこに負傷者が居るために、いくら護衛付きとはいえ、ここから50階層まで戻ることは非常に危険が伴うことになるだろう。

 

 

「わかった。50階層へのリフトを開く、怪我人を連れて先に戻ってくれ。自分は、60階層に追っ手が居ないかを確認してくる」

「わかりました!」

 

 

 集団の元へと戻ってきたタカヒロに、ベルは状況を報告する。穢れた精霊の攻撃を受けた上に芋虫やジャガーノートの群れを相手、更にはリヴェリアの大魔法の直撃を受けているはずの青年は、相変わらず外傷の1つも見られない。

 彼が盾越しに左手をかざすと、高さ4メートル程の楕円形状で明るい紫色のポータルが突如として出現。ベルからすれば何度か目にしたことのあるものだが、ロキ・ファミリアの者からすれば、文字通りの異界の代物だ。

 

 

「リフト……?」

 

 

 名前と効果程度の説明に対して思わず呟くフィンだが、ようはワープポータルのようなモノである、瞬間的な移動装置。タカヒロが認めた者だけが使用できるという制限があり、彼とベルが50階層へと来た際にも使用したものだ。

 移動装置と言っても、某ドアのように、どこかしこへとワープできるような便利な代物ではない。行先は彼の脳内マップにある指定ポイント、もしくはそこへと向かうために開いたリフトの地点だけが移動可能ポイントとなる。

 

 とはいっても、なんのことだか分からないロキ・ファミリア御一行。そこでベルが簡単に説明を行ってアイズを連れて先陣を切ってリフトへと入り、気配ごと消え去る光景を披露する。

 怪我人を抱えた者も不安ながら次々とリフトへと入っていき、徐々に人気が消えてゆく。口が達者なベートもおっかなびっくりの様子を見せており、ティオナのタックルを背中に受けてリフトへと放り込まれていた。

 

 

 

 最後に、リフトのオーナーと怪我人リヴェリアが場に残った。リフトの前に立った彼女だが、60階層へと続く入り口へ振り返り、悲しげな顔を向けている。

 焼け焦げた平野を踏み進む青年の背中は地の熱が発する陽炎によりおぼろげで、既に握れる程の大きさまで遠ざかっており、手を伸ばそうにも遥か先には届かない。まるで二人の距離感を表しているかのようで、心がズキリと痛む感覚に襲われた。

 

 

 ぽっかりと開きかけている心の穴に、冷たい隙間風が流れ込むのは気のせいではないだろう。

 嫌だと思う。そうあって欲しくない。そんな結末は望んでいない。

 

 では、先ほどから何を望んでいないのか。それは他ならぬ、彼が60階層という危険地帯へと赴いてしまう事。

 ……否。それもまた、いくつかある上辺の1つ。間違いでは無いものの、心の底にあるものではない。

 

 自然と、少し前に伸ばし損ねた己の手を見つめていた。彼が立ち向かう時に湧き出た心が、あの時に抱いた感情は、何だったのだろうかと思い返す。

 行ってほしくない。ソレは言い方を変えただけだ。己を守って欲しい、これも似たようなモノだろう。

 

 

 瞬間的なトラウマのように彼女を蝕む、様々な恐怖。攻略部隊の全滅を目前にし、己もまた死を覚悟した。無慈悲にも優越をつけるならば最も守りたかったアイズが、ここで死んでしまう事を覚悟した。

 そして何より。一人のヒューマンが、己の最も近い場所から遠ざかってしまうことが怖かった。

 

 

 「――――共に、居てくれ」

 

 

 その男の手によって、蝕む恐怖から己を守って欲しい。だからこそ生まれ出た、嘘偽りのない心からの本音である。

 

 かつての己が思い起こされる。守りたい黄金の少女を相手に全ての音が遠ざかった際に、雨に打たれてどうしたのか。喧嘩ばかりしていたドワーフに胸倉を掴まれ、強い声で何と言われたか。

 あの時とは状況も心境も違うとはいえ、本当に望むならば。心の底から大切だと思うならば、考えすぎて口が回らぬと言うならば。

 

――――抱きしめてでも、引き寄せてやれ!!

 

 答えは分かった、やりたいことも分かった。今行わなければ、まだ口に出来ていない謝罪と同じく、更なる後悔を重ねることとなる。

 古き仲間に、勇気は貰った。あとは己の覚悟を示すだけ。彼女は振り向くと、60階層へ繋がる階段へと駆け出し――――

 

 

「っ!」

 

 

 弱った体力によって足がもつれて上手く動かず、荒れ地となった大地の段差につまづいた。気持ちとは裏腹に、乗り越えた死線によって得たダメージは本人が意識する以上に、その華奢な身体を蝕んでいたらしい。

 瞬きよりも早く近づく地面を前に、己は何をやっているんだと不甲斐なさを抱いて眉が下がる。少しでも身体へのダメージを和らげるために、反射的に右腕を地面に伸ばし――――

 

 

 視界にあった地面が、勢いよく横方向に流れていく。続いて下を向いていたはずの視線は階層の天井へと移っており、何が起こったかを把握する前に、己が望んだ者の顔が間近に飛び込むこととなる。

 伸ばした右手首を力強く掴まれて反対側に引っ張られ、ぐるんと上下の向きが逆になって、左手で腰を抱きかかえられ。ダンスにおいて男が女を支えるかのような、密着した態勢が作られていた。

 

 

 

 こちらに駆け出す気配を感じて顔を向ければ、足がもつれて転倒する寸前だった。それが、青年がスキルを使って地を駆けた純粋な理由である。

 たとえ嫌われていたとしても、彼女を大切に思う気持ちは変わらない。此度に掲げていた心中の正義は未だ健在であり、故に、選択すべき行動は1つ以外に在り得なかった。

 

 

 一方で。そんな助けた相手の行動は、タカヒロにとって予想外のものだったと言えるだろう。

 

 

「……リヴェリア?」

 

 

 疑問符が浮かぶのは当然である。四肢に力を入れて立ち上がったかと思えば、青年の左肩にあるショルダーにしがみ付いて嗚咽を見せている。自分を嫌っているはずの者が、力なく体重を預けているのだから無理もない。

 両手でショルダーを掴む姿は弱々しいと表現して足りない程であり、今にも泣き出してしまいそうな子供の様相が垣間見える。表情こそ見えないものの、光景を目にすれば容易に分かる程の様相を隠そうともしていない。

 

 

「……馬鹿者。私の教導で、何を学んだ。お前にも、伝わっていた、はずだろう……私は、あれほど、危険を冒すなと……」

 

 

 そんな彼女は、震える唇に活を入れ。先ほどは抱く心を行動で示せたものの、いざ本番となれば、どうにかして口にできた言葉が、これだった。

 本当に言いたいことは別にある。真に伝えなければならない事があるというのに、この手の上辺しか口にできない自分が嫌になる。せっかく身体を張って助けてくれたと言うのに、こんな言葉しか示せないならば――――

 

 

「……戦う理由を忘れるな。」

 

 

 返された据わった声にハッとして、隠された翡翠の瞳を持つ目が大きく開く。その一言が、彼女の震えを撃ち抜いた。

 

 青年とて、教育対象者を心配する彼女の想いは知っていた。絶対に失いたくがない故に、誰に対しても厳しい姿勢で接していることも分かっていた。

 

 そのなかに。いつのまにか、自分自身も含まれていたことも感じていた。故に此度の参戦も、後々は叱りを貰うものだと覚悟してのモノである。

 

 それでも、彼女に学んだ内容において最も大切なこと。戦う理由を忘れず、たとえ古いモノでも手にすることが大切だという内容は、この世界に来て腐りかけていた自分を呼び起こしてくれた言葉だ。

 故に何を学んだかと聞かれれば、返答は至極容易い。タカヒロが口に出すことは只1つ。リヴェリア・リヨス・アールヴに学んだ最も大切なことを、据わった声で口にしている。

 

 

「答えを貰った時の情景は、今でも鮮明に思い出せる。此度においては君を守ることが戦う理由だ。ならば向かうのが自分一人だろうが、相手が権能を示す神だろうが、そこが冥府の果てだろうとも立ち向かうさ」

 

 

 かつて己の生き甲斐であった、装備の為にそうしたように。同じように命を張れる存在の為ならば、その男にとっては、幾度の地獄を駆け抜けセレスチャルを相手にすることなど造作もない。

 いかに相手が強大であろうとも、それを乗り越える為に装備と技術を鍛えてきた。戦う理由の為ならば決意を示すことに戸惑いはなく、いかなる困難が相手だろうとも全てを突破し、その男はリヴェリア・リヨス・アールヴの元へと辿り着くことだろう。

 

 

 ショルダーを掴む彼女の痛んだ胸の感覚は一転し、キュッと締め付けられるような感覚が現れる。喉元を切なくつきあげるような感情は、口元を噤まなければ、強い声と涙となって溢れ出てしまいそうだった。

 

 己が教導で掲げていた大切なことの1つが、あっけらかんと目の前で破棄される。だというのに込み上げるのは怒りではなく、傷も治ってしまうかのような嬉しさであるために、彼女も心の整理が追いつかない。

 この青年は危険を承知した上で、場所がどこで相手が何者だろうとも自分のために駆け付けてくれると口にしているのだから、焦がれるなと言う方に無理がある。謝らなければならないと思う反面、心の奥底では彼女が欲している言葉の類を向けられ、心はひどくくすぐられる。

 

 

 これ程の覚悟を抱き、上辺だけでなく示してくれる相手に己はどうだ。夕日よりも赤くなってしまうような言葉を貰って勝手に暴走してしまい、あまつさえ恥ずかしさが勝って逃げ去り、相手に嫌な気持ちを与えてしまっていることは、己が最も知っている。

 呆れられると思いながらも当時の事実を弱い声で伝えると、青年の口が僅かに開いた。しかし直後、穏やかな口元へと変わると、本心としては最も彼女が望んでいた回答を口にする。

 

 

「気にすることは無いさ、何も思っていないよ」

 

 

 その手の駆け引きに疎い彼女ですら、相手を想って口にしているのだと言うことは容易に分かってしまうシチュエーション。相手を傷付けまいと口に出されたのだと捉えると切り傷に風が当たるような悲しみが生まれ、ショルダーに隠されたリヴェリアの瞳が細くなる。

 

 此度において、1から10まで悪いのは自分だと分かっている。他の者に聞いても、同じ答えが返るだろう。

 だというのに向けられる言葉の数々は、そんな自分に目を背けて甘えたくなるほどに優しい言葉。そこに飛び込んでしまって良いのかと考え揺れる程に切なさが生まれ、言葉も四肢も止まってしまう。

 

 言いたいことは、たくさんある。

 伝えたいことも、たくさんある。

 

 けれども、優しい言葉を受けてハッキリした。己が抱く好意を示す以上に、謝りたいことがたくさんある。

 

 あの時、恥ずかしさに負けて逃げだしてしまったこと。

 関係のない、59階層にまで足を運ばせてしまったこと。

 「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」とでも言わんばかりに突撃を行い、己の身と大切な少女を助けてくれたこと。

 ロキ・ファミリアの第一部隊が総攻撃を行ってようやく倒せる程の強敵を、その身1つに押し付けてしまったこと。

 

 

 ならば、己が口にしなければならない最初の言葉は――――

 

 

「ごめんなさい、ごめんなさい……!」

 

 

 すまない。ではなく、ごめんなさい。

 食後の一件から続く数々の迷惑を許してもらうために、彼女は心からの気持ちを表し、己の罪を謝罪した。

 

 

「落ち着こう、大丈夫だ。死が直ぐ目の前にあったんだ、怖かったことだろう」

「怖かった……お前に謝ることができないまま、逝くことが怖かった!お前が死んでしまうかと考えるだけで、この身がはち切れそうだった!守りたかった家族を、愛すると誓った者を守れず、皆が死んでしまうことが怖かった……!」

 

 

 嗚咽と共に言葉を口にする彼女は、青年の前だからこそ、他の誰にも見せることの無かった本当の弱さを曝け出す。王族の肩書も、オラリオ最強の魔導士である栄誉も、ロキ・ファミリアの幹部であるという名誉も、全てにおいて欠片もない。

 支えられるは冷たい金属の鎧であるにも関わらず、己の心に暖かさが芽生え、つられるように相手に預ける力が強くなる。己の体重程度では微塵も揺るがぬその存在は、それをしっかりと受け止めてくれるのだ。

 

 “人肌が恋しい”とは、いつかアイナがコッソリと持ってきた本に書かれていた不思議な言い回し。今まで誰にも頼ることのなかったエルフの始祖“アールヴ”の名を掲げる彼女は、ここにきて、一族が誰一人として知らない言葉の意味を自然と理解することとなった。今日、今この時程、他人の温かさを求めたことは無いと言っても良いだろう。

 そしてその他人とは、誰とていいわけではない。たとえアイナ・チュールという大きな存在とて、此度において選ばれることは無いと言える。

 

 小さく揺れる細い肩と甲高い嗚咽は、少し触れれば崩れ去ってしまいそうなほどに弱々しい。繊細なガラス細工のように美しい身体は、青年が支えているからこそ持ち堪えている。その後頭部を優しく撫でる左腕があるからこそ、彼女は死の恐怖によって崩れることなく立ち直ることができるのだ。

 強くなった嗚咽と共に発せられた心の叫びが、いかなる戦場だろうと据わり揺るがぬはずの、青年の心を刺激する。ファミリアの全滅と言う言葉よりも先に出てきた自分への謝罪と心配の内容は、表情こそ不変なれど、彼女を守りたかった心を再び滾らせるというものだ。

 

 

「ならば、君が守りたかったものを守れて光栄だ。戦う理由を掲げ、この地に来た甲斐がある」

「だとしても……こんな所にまで赴く危険を、背負わせてしまった。あの時私は、果敢に立ち向かうお前の腕を、引いてやれなかった……」

「一連の行動は、自分自らが率先して行ったことだ。君が気負うべきことは、何もない」

 

 

 過酷な夜明けを駆け抜け得た力を振るうに値する、心の底から守るべきと思える相手。そんな彼女が持つ弱い姿を目にした青年の心にもまた炎の塊が現れており、己の中に掲げる戦う理由が、より一層のこと強くなったのを感じている。

 それほどの者が傷だらけとなり、こうして腕の中に居るのだから。気にもならない逃走の理由を筆頭とした謝罪の言葉にどう返すべきか考えて、出てきた言葉は本当にシンプルなものだった。

 

 

「――――無事で何よりだ、リヴェリア」

 

 

 彼らしい、据わった声と表情はそのままなれど。時折見せている捻くれた言葉は、この場において一切無く。

 リヴェリアの長い耳が受け止める言葉の全ては、己を包み込むように柔らかく。彼女を包むようにして後頭部を静かに撫でる左手のガントレットの感触は、最後まで優しかった。

 




2020/3/13日に第一話を投稿し、早いものでこの度6カ月目を迎えることが出来ました。
一番最初に書いたこの話を節目に合わせることが出来て悔いはありません(時間も21:03にしてみました)

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。