アプリをクリアしてないと何のことやらわからないと思いますので、クリア後に読む事をおすすめします!
声がする。
もはや聞き慣れた、それでいてどこまでも通る声が。
「相変わらずお寝坊さんなのね?何年経ってもそういうところは変わらない、成長しないと言った方がいいかしら?」
瞬間、何処かから落とされた。
床に腰を打ち付けて、鈍い痛みに顔を顰めていると、無理矢理正面を『向かされた』
「おはよう、画家様、いい加減、レディを放っておくのはやめてくださる?」
優雅な仕草で、『彼女』は僕に語りかける。
そしてそのまま、何事もなかったかのように、
「さぁ画家様?キレイな絵を、描いてくださいな?」
そう告げるのだ。
呪いの絵画。
以前まで彼女はそう呼ばれていた。
誰が、いつ、どこで描いたか。
古い文献を漁ってようやく出てくるような、それほどに古い一枚の絵。
人から人へ、渡り歩くその絵画には、一つ噂があった。
曰く、その絵画に取り憑かれた者は、死ぬ。
御伽噺のような、安い都市伝説のような絵画の存在を知ったのは、もうどれくらい前だろうか。
しかも、事もあろうにその絵画には、確かに不思議な力が宿っているらしく、まさかそれをこの身を持って知る事になろうとは、ついぞ思いもしなかった。
しかしどうあれ、僕は今、こうしてここにいる。呪い殺される事も、祟られることもなく、今日まで画家として暮らしてきた。
知名度の方は、なんとも言えないところだが。
「物思いは終わったかしら?だったらさっさと筆を取ってくださる?レディを退屈させるものではないわ」
確かにそれはその通りだ。そう思い、絵具と筆を準備する。
それにしても、彼女も随分丸くなった。
あの殺意と恐怖に満ちた数奇な七日間を思い出す。
あの時の彼女なら、この時点で僕は殺されていただろう。
「地獄の、と言わない辺りに、画家様の人柄が出ているわね」
彼女は唇の端に笑みをたたえながら、皮肉っぽくそう言った。
どうやら僕の考えが、口から溢れてしまったらしい。
とりあえず、ありがとうと言っておこう。
「皮肉が通じないというのは、ある意味幸せかもしれないわね。わざとやっているのだとしたら、それはそれで気に入らないけど」
拗ねたように唇を尖らせる彼女に苦笑しながら頭を下げる。
「まぁいいわ、とにかく、早く描いてくださる?」
子供っぽい仕草を隠す様に急かす彼女に、僕は再度苦笑を浮かべながら絵の前の椅子に座る。
「まちくたびれたわ、それじゃあお願いするわね?」
彼女の機嫌が治ったのだろう。
どことなく上機嫌な彼女に僕は、絵のリクエストを尋ねてみた。
「お任せするわ、これが画家様の描く、『最後』の絵になるわけだし」
………….え?
「あら、画家様は相変わらず鈍感ね?貴方もう、死んでるのよ?」
─────瞬間、呼吸が止まった。
わけがわからなかった。
何故、と口に出してしまう。
「単純に老いて死んだのよ。絵画の私は永遠でも、人間の画家様は永遠には生きられないでしょう?」
………あまりにも呆気なく、それでいてありきたりな自分の死に様に、わずかに目眩を覚えながらも違和感に気付く。
自分の姿だ。
この姿は、彼女と初めて出会った時の、あの七日間を過ごしたままの自分だ。
「当然よ、私がそうしたんですもの。絵の途中で筆を置かれたら困るから、腕は熟練のまま、体力は全盛期に。最高の状態で、最後の絵を、私を描いて欲しかったのよ。」
なるほど、どうやら本当に、この姿は彼女の気遣いらしい。
「ひどい画家様だわ、いったいどれ程一緒に過ごしたと思っているのかしら。」
どうやらまた機嫌を損ねてしまったらしい。
慌てて謝り、椅子に座り直す。
「謝るだけでは駄目よ。最高の絵をお願いするわ」
全く、どこまでも画家泣かせな少女である。
しかし僕は筆を走らせる前に、一つだけ、聞きたい事があった。
「なにかしら?」
僕はこの後、どうなるんだ?
「あら、忘れてしまったのかしら?貴方はあの七日間の中で聞いた筈よ?過去の人間の記録を。」
言われて思い出す。
彼女を手にした者たちの記録。
その中の一文を。
「そう、貴方はこの絵を描ききった後に、この絵に取り込まれる。最後に絵画そのものになるなんて、画家冥利に尽きるんじゃないかしら?」
その一言を聞いて、安心した。
「……やっぱり変わっているわね、普通ならここは怯えるところよ?」
昔の僕ならそうだったのかもしれない。
けど今は違う。
死したこの身が絵画の中に入れるのなら、それは、君とずっといられるという事だろう?
なら何も、問題はない。
「そう……フフッ、画家様もレディの扱いを分かってきたようね。嬉しいわ」
上機嫌な彼女の笑みは、あまりにも幼く、それでいてあまりにも可憐だった。
「それで画家様。最後は何を描いてくださるのかしら?」
楽しそうに聞いてくる彼女に、僕は告げる。
最後の絵は、僕と君とで描く物だと。
「そう──それは楽しそうね」
「言われた通り、少し下がったのだけれど、これからどうなさるつもり?」
今、彼女はキャンバスの中心にいる。
四方八方は余白。あまりにも殺風景だ。
「楽しみだわ、余白の広さだけ、画家様が彩ってくれるのだもの。さぁ、早く描いてくださる?」
待ちきれない様子の彼女に応えるように、僕は筆を走らせる。
最初に描くのは窓だ。
少し高い所に、大きめの窓を描く。
「高い場所に窓を描くのは、私への気遣いかしら?画家様は心配症ね。でも、レディへの配慮を忘れないのは上出来よ?」
どうやらお気に召したらしい。
僕は続けて筆を走らせる。
彼女の後ろに、姿見を一つ。
「そうね、鏡は大事だわ。身なりを整えるのは当然の嗜みですもの」
次は彼女の近くにテーブルを。
果物とお菓子、それと紅茶とティーポット。
「お皿を忘れないのは、成長した証かしらね。」
痛い所を突いてくる。
笑ってごまかしながら、
左にベッドを一つ。
上には、ラッパと本とランプ、それと王冠を。
「ガイコツが無いのは何故かしら?」
君にはあまり似合わないと思って。
「画家様はロマンチストね、嫌いでは無いわよ?」
ありがとう、と彼女の評価にお礼を言いながら、
今度は彼女の両脇に小さなテーブルを二つ。
彼女から見て右のテーブルには黄色い鳥籠に、紫の小鳥を。
そして彼女の膝元には、真っ白な子猫を一匹。
引っ掻かないように、爪は切っておく。
「猫の表情は相変わらずね。気の抜けた顔をしているわ。画家様らしいといえばらしいけど。」
面目ない、と謝りながら、
左のテーブルには、青い小箱を一つ。
そしてその手前に、貝殻で出来た耳飾りを三つ。
「三つ、ね、次はどの飾りを選ぶのかしら?」
さあね、それを決めるのは、僕じゃ無いから。
「どういう事かしら……?」
首を傾げる彼女に、笑いかけながら、今度は空を描く。
窓から入る光は、やわらかな橙色。
「夕焼けね…でも、どうしてこの色なのかしら?もっと濃い色でも良いと思うわよ?」
その答えは簡単だった。
君の髪色と同じだから。
「そう……」
ぼんやりとした彼女の返事を聞いて、僕は思い出す。
彼女は飽き性だった事を。
同じ色はやっぱり嫌なんだろうか?
「いいえ、この色は、特別よ。」
そう言って目を瞑る彼女。
その答えに安堵しながら、僕は最後の部分を描き始める。
「あら、それは…」
彼女は少し驚いたように声を出す。
無理もない。そこに描かれているのは、
まっさらなカンバスなのだから。
「フフッ、全く、絵画の中でも絵を描くなんて、画家様はやっぱり画家様ね」
おかしそうに笑う彼女を横目に、僕は仕上げにかかる。
それは
「腕の輪郭?画家様はこの中に入るのだから、わざわざ描かなくでも良いのよ?」
違うよ、と僕は答える。
「なら、一体どなたの腕なのかしら?」
────強い想いを込めて描いた絵には、命が宿る。
「え?」
例えば君のように。
「私は呪いの絵画よ?」
皆んながそう言ってるだけだよ。
君の根底にあったのは、幼気な想いと、真っ直ぐな願いだったじゃないか。
「………でも、それがこの腕とどう関係あるのかしら?」
最初に言ったこと、覚えてる?
「馬鹿にしているの?もちろん覚えているわ。この絵は私と貴方で描きあげるのだと、確かにそう言ってたわよね?」
うん、と頷く。
輪郭が、だんだんとくっきりとした形に仕上がってくる。
「答えになっていないわ。この腕は一体何の…」
言葉が、途切れた。
彼女もようやくわかったのだろう。
いや、『思い出した』と言った方が正しいだろうか?
「この、手は……」
どうやら僕の記憶力も、捨てたものではないらしい。
これもまた、あの七日間の中で垣間見た記憶の一部。
誰の代替でもない、彼女自身を描かせて欲しいと言った、唯一の画家。
ただ、僕は彼の表情がわからない。
だから、君が思い描いて欲しいんだ。
「………えぇ、任せてちょうだい。はっきりと描いてみせるわ」
ありがたい。
これでようやく、最高の絵に近づいた。
「えぇそうね、それにしても、色んな画家様を見てきたつもりだけど、モデルに絵を描かせた画家様は、貴方だけよ?」
画家泣かせの君に、少しでも画家の気持ちを味わって欲しくて。
「……まさかお説教じみた事をされるとは、思っても見なかったわ。」
そんなつもりはなかったんだけど、気分を害してしまったかな?
「いいえ、やった事なかったから、新鮮な気持ちだったわよ?それにしても、フフッ!」
どうかしたの?
「えぇ、耳飾りを三つにした理由がようやくわかったのよ。画家様も男の子なのね?」
これだけは、画家のプライドのような物があったのかもしれない。
或いは、浅ましい独占欲とも言うかもしれないが。
「あら、いちいち小難しい名前をつける必要はないわ?ただありのままで受け入れる事も、時には必要よ?」
違いない。
そこまで話したところで、腕を描き終えた。
後ろ姿を描く必要は無い。彼の視点があれば良い。
そしてそこまで描いて体から力が抜け始める。
筆を持つ手が重い。
意識が、遠のいていく。
「ありがとう、画家様。貴方お陰で、最高の一枚が出来上がったわ?後は絵画の中で、ゆっくりとおやすみなさい?しばらくすれば、また目が覚める筈だから。」
いや、と彼女の言葉に、首を横に振る。
まだ、最後の仕上げが残ってる。
「これ以上なにを……」
消え入りそうな声だが、しかし彼女には、確かに届いてくれたようだ。
「えぇ、わかったわ。………本当にありがとう。『私』を真っ直ぐに見てくれて。」
そして、彼女は────。
ここはどこだろうか?
気付けば自分はこのアトリエに座っていた。
あの富豪の家で、どす黒い絵を描いてからの記憶が無い。
自分がどういう経緯でここに座っているのかさえ、わからない。
すると、突然、肩を叩かれた。
この青年は誰だろうか?
どこかで会った気もするが、どこでだっただろうか?
手を見る限り、画家というのはわかるのだが…
そう考えていると、青年は安心したように笑みを浮かべて
────彼女が待っていますよ。
そう言って、青年は前を指差す。
そこには、そこに居たのは。
「あら、おはよう画家様。それにしても、画家という人種は皆お寝坊さんなのかしら?」
そこには、前と変わらぬ声で、前と変わらぬ姿で、夕暮れの光に包まれた彼女が、笑みを浮かべて座っていた。
「あら?レディの変化に気付かないのは、男性としては落第よ?」
呆れたように、彼女は溜息を吐く。
その言葉に、私は彼女をもう一度注視する。
夕陽のような鮮やかな髪色に、紅玉のような瞳。
そこで、足りない色に気付いた。
青い髪飾りが、無くなっている。
代わりにあるのは、右耳についている、貝殻で出来た耳飾りだ。
「わかったかしら?」
あぁ、よく分かった。
君はようやく、君になれたんだな───、
「えぇ、良い画家様に出会えたの。」
振り返ると、青年は居なくなっていた。
部屋から出て行ってしまったのだろうか?
「本当に、気遣いが上手くなったわ。さぁ画家様?あの時のお言葉、覚えているかしら?覚えているのなら、もう一度、言って欲しいのだけれど?」
悪戯っぽく彼女は言う。
けれど僕には、断る理由も無い。
─────もう一度、他の誰でも無い君自身を、描かせてくれないか?
「─────はい、喜んで。でも……」
彼女は、花が咲いたような笑みを浮かべて
「………────どうか綺麗に、描いてくださいな?」
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