炭治郎は何とも言えぬ居心地の悪さを抱えながら狭霧山への道を歩いていた。
その理由は、自分の数歩後ろを黙って歩くあの蒼い外套を身にまとった外国の男だ。
バージルと名乗った男は自分達の護衛兼監視役として狭霧山まで炭治郎について行くと言っていた。
家族を失い禰豆子が鬼にされてしまったあの日、炭治郎はバージルと彼の弟ダンテ、それから片見替仕立ての羽織を着た冨岡義勇という青年に出会った。
日本刀を持ち禰豆子や自分に襲い掛かってきた義勇は鬼を斬ることが仕事だと言っていた。どうやら何とか見逃してもらえたようだが、代わりに狭霧山の鱗滝左近次という老人を訪ねろとこちらの話も聞かず去って行ってしまった。
しかし、家族を失い鬼になった禰豆子を人間に戻す手段を探すにしても何の手掛かりもない。故に、家に残してきた家族の亡骸を弔ってから禰豆子とバージルを連れて狭霧山へと出発した。
途中禰豆子を日の光から守るために農家から壊れた籠と竹、
結局うまく誤解を解けなかったので、籠のお代を無理やり農家の人の手のひらに叩き付けるように渡して逃げ出してきてしまった。正直、少々やりすぎただろうかと炭治郎は今になって後悔している。
それにしても、バージルも自己紹介をしてから一言も話さない。黙ってとても大きな日本刀を持って後ろを歩かれる、というのはこちらに悪意がないと匂いでわかっていてもやはりどうにも落ち着けなかった。
だから、炭治郎は勇気を出して話しかけてみることにした。狭霧山まではまだ少し距離がある。お互いのことを多少は知っておけばもう少し気楽な旅にもなるかもしれない。そう思った。
「あの、ばーじるさん……で、いいんでしたっけ」
「何だ」
「あなたはどうして俺達に付いてきてくれるんですか?」
「それは前にも話しただろう」
「そ、そうじゃなくて! だって俺達、知り合いでも何でもないじゃないですか。それに、あの冨岡義勇って言う人と同じ仕事をしているってわけでもなさそうだし……」
炭治郎の問いにけれどバージルの表情には全く変化がなかった。ただ、ほんの少しだけ彼から話すべきか悩んでいるかのような匂いが一瞬だけ漂う。
だが、すぐにそんな匂いは引っ込んだ。代わりにバージルの鋭い視線が炭治郎を射抜く。鋭すぎるその視線に、炭治郎は自然と唾を飲み込んでバージルの言葉を待った。
「そうだな。簡単に言えば、お前達に興味が湧いた。お前達がこの先何を為すのか、それを知る為にお前達に付いてきた」
「俺達が……何を為すか、ですか?」
「そうだ。……お前は弱い。自分の身を守れない程にな」
バージルの言葉に炭治郎は少し表情を歪めた。確かにそうだ。冨岡義勇という青年に襲われたあの日、結局自分は何も出来なかったのだから。
「弱い癖に妹を治すと大口を叩いた。妹を殺さないでくれと喚いた」
「……ッ!」
バージルの遠慮のない言葉に炭治郎の心が抉られていく。だって仕方ないじゃないか、他に一体どうすれば良かったというんだ。
もっと俺に力があれば、もっと頼りになる長男だったら。そうしたら家族は助かって、禰豆子も鬼にならずに済んだっていうのか。そんな思いが炭治郎の心の内に芽生える。
けれど、続くバージルの言葉に炭治郎は驚くことになる。
「だがお前は勝てないと分かり切っていたあの剣士に立ち向かった。家族をこれ以上失うまいと、足搔いてみせた」
「…………」
驚きのあまり言葉の出ない炭治郎をよそにバージルは続ける。
「そしてお前の妹は、もはや人間ではなくなったにもかかわらずお前を守ろうとした。……鬼は鬼に変わった直後極度の飢餓状態になり、一刻も早く人の血肉を食らいたくなるそうだ」
だがお前の妹はそれをしなかった。その言葉に炭治郎は目頭が熱くなるのを感じた。
禰豆子は確かに鬼になった。でも、その魂までは鬼にならなかった。あの優しい禰豆子のままだったんだと、それが実感できた。
「食欲、恐怖、暴力……そういった本能をねじ伏せ、大切なものを失うまいと己を律し、場合によっては己が力にすら変える。それが出来るのはごく一部の『強い人間』だけだ」
「強い、人間……」
「自分で言うのもなんだが、俺は強い。お前と妹は勿論、あの鬼狩りの男を斬ることすら遊びにもならん。俺からすれば、お前達など路傍の石ころ未満だ」
自分で言っちゃうんだそういうこと。どれだけ自信があるんだこの人は。炭治郎は心の内でそう呟いた。もしかしたら、顔にも少し出たかもしれない。
「だが、お前達が持つ強さは俺にはない」
「……え?」
バージルの言葉に再び炭治郎は目を見開く。相変わらず不愛想な表情のままではあるが、ほんのわずかにバージルからは自分達を羨むような匂いが漂ってきていた。
「俺は力を得るために何もかもを捨ててきた。愛など……誰かを想う気持ちなど、刃を鈍らせる邪魔なものだと思ってきた」
面でもつけているかのように不愛想な表情を崩さないまま何かを握りしめるように拳を固めるバージルの姿は、けれども何かを懺悔するかのような雰囲気が漂っている。
一体、この人はどんな人生を送ってきたんだろうか。炭治郎は自然とそんな興味が湧いた。
「今でもそう思っているところはある。だが、俺は何度かそういった人間だけが持つ強さを備えた奴らに後れを取った」
バージルの視線が再び炭治郎を射抜く。だが、その視線は最初のものと比べると幾分か柔らかいものになっているような気がした。
「だからお前達について行くのだ。人間だけが持つ強さを備えたお前達がこの先何を為すのか。それを見届けた時、俺にもその強さがどういうものか理解できるかもしれないからな」
「バージルさん……」
正直なところ、炭治郎はバージルから求められていることに対して応えられる自信がなかった。何を為すのか、と言われてもピンとこない。
自分がやらなければならないのは、禰豆子を人間に戻すこと。そして、弟達の為にずっと我慢させていた彼女に死んだ家族の分まで目一杯贅沢をさせてやること。
それが出来るまで死ぬわけにはいかない。今の自分には禰豆子を人間に戻す手がかりも立ちふさがる脅威を退ける力もない、だから今は義勇に言われた通り狭霧山の麓にいる鱗滝という老人を訪ねなければ。
だが、空は既に茜色に染まってきている。狭霧山まではもう少しだろうが、流石に夜はどこか夜露のしのげる場所で休んだ方がいいかもしれない。
「とりあえず、休めそうな場所を探しましょう」
「好きにしろ」
人のいる家に泊めてもらえるのが一番だが、禰豆子のことを考えればそれは出来ないだろう。万が一があってはいけないし、そもそも余計な騒ぎにもなりかねない。
人がおらず、夜露もしのげる場所。そんな都合のいい場所が、狭霧山までの道の理にあるだろうか。
そんなことを考えながら山道を登る。日は既にどっぷりと暮れ、月が頭上高くに登っていた。日が暮れたので、禰豆子を籠から出して手を繋ぐ。
ふと視線を上げると、お堂があった。山道の途中にポツンと建てられたそれは、きっと今の自分達のような人間達が一夜を明かすのにも使われているに違いない。
お堂の扉からはロウソクの明かりが漏れている。きっと他にもこの道を通る人がいるのだろう。
「あ、お堂があるぞ! 明かりが漏れているから、誰かいるのかもしれないけど」
でも一晩だけだから、一緒に休ませてもらおう。そんな言葉は突然漂ってきた鉄臭い匂いのせいで飲み込むことになった。
「血の匂いがする! この山は道が険しいから、きっと誰かが怪我をしたんだ!」
怪我の度合いによっては今すぐ手当てをしないと死んでしまうかもしれない。通りがかっただけの他人とはいえ、これ以上目の前で誰かが死ぬのを見るのはごめんだった。死んでしまった家族を前にしてどうしようもなくなってしまう自分のような人が増えるのもごめんだった。
だから炭治郎は一目散にお堂への階段を駆け上がり、お堂の扉を勢いよく開ける。
果たしてそこにいたのは、無残にも食い殺された若い人間達と……
「あァ? 妙な感じがするな……」
自らの両手と口を犠牲者の血で真っ赤に染めた人喰い鬼だった。