幼なじみの氷川日菜は僕の憧れだった。
見ればできる、始めればすぐに経験者を置き去りに一足飛びで駆け上がる。
なにをやらせても超一流。至高の天才。
その煌々と放たれる輝きが凡百の僕にはどうしようもないほどに眩く見えて、どうにかその影を掴んでやろうと躍起になった。
選んだのはなんとなく。たまたまNBAの試合を見て、カッコいいなと思ったから。
そんな理由でバスケを始めて、のめり込んだ。
いつも、先を走る日菜の背があった。せめてバスケでくらい勝ってやろうと死にかけるほどに努力した。
(勝てる勝てる勝てる勝てる……ッ!!!)
日菜との1on1。
ある日、何の気なしに、言葉のはずみで、彼女を誘った。
圧倒的だった。中学の頃に少しやっただけの彼女は、それでも10年以上打ち込んだ僕と競り合ってきた。
でも。そうだとしても。
僕は今、彼女に勝とうとしてる。
全身全霊のフルドライブ。からの高速ロール。それでも抜けないからさらにクロスオーバーして。それで。
生まれて初めて、彼女を置き去りにした。
ボールがリングをくぐって。
歓喜なんて生温い。狂喜ですらまだ足りない。
憧れに手をかけた。並び立った。その狂おしいほどの熱情を胸に。
『どうだよ、天才。こんな僕でも、君に勝てるんだ』
そう言おうとして。
初めて敗北した天才は、どれだけ悔しさをにじませているだろうと振り返って。
「いやー凄いなぁ、◾︎◾︎は! あたし初めて負けたかも!」
心底楽しそうに、日菜はそう言った。
僕の中で何かが崩れる音がした。
彼女は、氷川日菜は、これっぽっちも悔しがる雰囲気を出していなかった。
僕が血反吐を吐いて積み上げてきた十数年をかけたプレイで。
それでも彼女には勝っていなかったのだと知った。
彼女には結局、戯れの一環でしかなかったのだと、思い知らされた。
「なん……だよそれ……!」
「え……?」
「お前は……! 僕に負けて悔しいとか、そういうのなんかさ……! ないのかよ!」
「な、なんで怒ってるの◾︎◾︎……?」
日菜のその声すら、僕を嘲笑っているように聞こえた。
「あたし、初めて他人に負けたんだよ? ◾︎◾︎はあたしに勝ったんだよ? なのになんで……」
日菜が詰め寄ってくる。
日菜が今どんな顔をしてるか見ることができない。
「ねえ、◾︎◾︎!」
「うるさい! お前になにがわかるんだ!」
バチン、と体育館に音が響いて、数巡遅れて自分のやったことを理解した。
日菜の表情を見た。目を見開いて、涙を湛えていた。
「なにさ、一人で勝手に盛り上がって、落ち込んじゃってさ……」、
「ひ、日菜……」
「サイッテーだね、◾︎◾︎。もうあたしに話しかけてこないで」
日菜が背を向け去っていく。
それは、今までみたいな先を走る、燃えるような背ではなく。
僕を突き放す氷のような背で。
その日僕は、しょうもない癇癪で、幼なじみと憧れをいっぺんに失った。
だから僕は、バスケをやめた。