【完結】ニタモノドウシ   作:ラジラルク

10 / 66
新たな評価、しおり、ありがとナス!
意外と好評価多くてテンション上がっちゃうぅ〜!
田中琴葉のシルエットに最近ハマっているので初投稿です。




 激しく動悸する胸のリズムに合わせるように、一定のリズムで呼び出し音が鳴る。何度目かの呼び出し音が聞こえてきた時に、ふと我に返った。私は天ヶ瀬さんに電話をして、何を確認するつもりなのだろうか。

 琴葉さんと天ヶ瀬さんの関係性を知りたい。だけどそれを知って私はどうするつもりなのか。仮に二人に何かがあったとしても、私には何の関係もないことではないか。

 自分でも自身の行動の意図が分からず、勢いで電話をかけてしまったことを激しく後悔した時だった。呼び出し音が途切れ、スピーカーの向こうからガサガサと生活音が聞こえてきた。繋がった、そう分かった途端、胸が破れそうになるくらいに動悸がさらに速度を上げる。

 

『もしもし』

 

 天ヶ瀬さんの声だった。少し無愛想で素っ気のない、あの日に聴いた声だとすぐに頭が認識する。必死に動悸を押さえ込もうと、一度大きく息を吐いた。あくまで平静を装って、口を開く。

 

「お疲れ様です、北沢です。元気にしてましたか?」

『久しぶりだな。元気だ……って言いたいところだけど、全然元気じゃねぇ』

「え? そうなんですか?」

 

 形式上の挨拶だったはずのに、天ヶ瀬さんの返答は私の予想とは異なるものだった。あくまで電話越しの声だから確信はなかったけど、言われてみれば天ヶ瀬さんの声があの日より少し弱々しく聞こえるような気がする。

 

「具合、悪いんですか?」

『あぁちょっとだけな。昨晩から熱が下がらなくて』

「熱って、どれくらいですか」

『今朝測ったら三十度八度だった。多分今もそれくらい』

「え、結構高熱じゃないですか。病院にはもう行ったんですか?」

『行ってねぇよ。行く気力がなくて』

「それなら親に連れていってもらうとか……」

『俺、親いねぇんだ。お袋は亡くなって、親父は四国に単身赴任してるから』

 

 再び予想外の言葉が飛んできて、血の気が引いていくような感覚が頭に走った。知らなかったとは言え、安易に踏み込んでしまってはいけない彼の秘密に私は土足のまま迷い込んでしまった気がしたのだ。

 だがそんな私とは対照的に天ヶ瀬さんの口調は何処か達観した様子だった。別にどうでもいい事だと言わんばかりに、『だから俺は一人暮らし』と言葉を添えただけで、天ヶ瀬さんは自身の秘密に迷い込んだ私を拒絶もしなければ、同情を誘うような身の上話もしなかった。

 

「……そう、だったんですね」

 

 私は、これ以上土足で彼の秘密に足跡をつけまいと、すぐに話をすり替えることにした。友達やジュピターの他のメンバーたちに助けを求めればいいのではと提案すると、ジュピターの二人はたまたま今日から東京を離れていると話してくれた。アイドルという職業柄、一人暮らしの住所をあまり一般人に晒したくないからと学校の友人たちも呼ばなかったそうだ。

––––それなら、私が行きましょうか。

 気がつけば私はそんな言葉を口走っていた。何を言っているのかと、思わず口に手を当てる。変に勘違いされる前に冗談だと伝えようとしたが、私の喉元まで出かかっていた言葉を遮るように先に天ヶ瀬さんが弱々しく「頼む」と口にしてしまった。

 結局、私から言い出した手前引き返すに引き返せず、また一人暮らしの環境下で寝込む天ヶ瀬さんを放っておくこともできずで、私は簡単な食材を買って彼のアパートにお見舞いに行くことになった。

 

(……本当に、私は何をしているんだろう)

 

 明確な用事も目的もないまま無意識に電話をして、成り行きとはいえ自分の口から飛び出したとは信じられないような言葉をいつの間にか口走って、そして何故か私の胸は何かを期待するように高鳴っている。

 らしくない自分に戸惑いつつも、天ヶ瀬さんの「ドア開けてるから勝手に入っていい」という言いつけ通り、インターフォンも鳴らさずに部屋のドアを開ける。綺麗に並べられたスニーカーの隣にローファーを並べ、暗くて狭い廊下を進む。廊下の先、奥の狭いワンルームの部屋で私が来たことにも気付かずに熟睡する天ヶ瀬さんの姿が目に入った。その瞬間、胸の中で何かが弾けたかのように心拍数が一気に上がって心臓が激しく鼓動し始めた。

 

 

 

 ★☆★☆★☆★☆

 

 

 

 遠くで今にも沈もうとする夕日が空を茜色に彩る夕暮れ時、オレンジ色に染まったリビングの景色を、俺はボンヤリと眺めていた。家具たちの影が伸びた狭いリビングの先には背を向けて台所に立つ母親の姿があって、母は手際よく料理をしながら透き通った優しい声で俺に語りかける。

 

「ねぇ、冬馬。お粥、食べれる?」

「……食べれる」

 

 窓の外で大きな警笛が鳴った。その音に呼応するかのように、電車が大きな線路の上を走り出す音が聞こえてくる。乾ききった口から溢れた俺の弱々しい声は、騒音によってかき消されて綺麗な夕焼け空に舞っていった。聞こえたのか聞こえなかったのか、それは定かではなかったが母は俺に再度同じ問いを投げ掛けることはしなかった。まるで先ほどの質問に対する俺の答えを聴く前から分かりきっていたかのように、母は鼻から腹の奥底まで行き渡り食欲を刺激するような香ばしい匂いと湯気を発するお粥を持ってきてくれた。

 

「あ、お父さんももう少しで帰ってくるそうよ。冬馬の大好きなアイスも買ってきてくれるって」

「ホント!?」

「ふふふ、お粥とアイス食べて早く元気になってね」

「うん、楽勝だぜ!」

 

 お粥をテーブルに置き、シミひとつない頬を緩めた母が笑う。夕日に照らされた母の優しい微笑みが、何故かひどく懐かしく感じられた。

 

「母さん?」

 

 ふと一瞬でも瞬きをすると母が遠い世界に行ってしまいそうな気がして、俺は縛りつけるように母を呼んだ。瞬きもせずにジッと見つめる俺に対し、母は何も言わず俺を優しい瞳で見つめ返し続けている。

 

––––母さん。

 

 気がつけば母の姿は消えてなくなっていた。テーブルの上にはお粥だけが残されていて、寂しげに湯気を立てている。遠くから今度は出発を告げる汽笛が聞こえてきた。慌てて窓から身を乗り出してみると、見たこともないような蒸気機関車がマンションの前に停車していて、真っ黒な蒸気を吐く機関車に乗り込もうとする母の後ろ姿が目に付いた。

 必死に腹の底から声を出して叫ぶ。だけど母に俺の声は届かなかったのか、最後まで一度も振り返らないまま機関車の中に入っていってしまった。

 

––––––––母さんっ!

 

––––––––––––––––母さんっ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「天ヶ瀬さん?」

 

 俺の名前を呼ぶ声がして目を覚ました。モヤがかかったように霞んだ視界は毎日のように見上げていた自室の天井を捉えていて、先ほどまで俺がいたはずの夕暮れ時のリビングではなかった。身体中が汗でびっしょりで汗を染み込んだシャツが気持ち悪い。額から溢れ落ちるように伝っていた汗を拭い、俺は体を起こしてボサボサの髪を掻き上げる。

 ふと気がつくと部屋の入り口の前に立つ人影が目に入った。未だに焦点の合わない目を擦って無理やりピントを合わせる。少し離れた場所から俺を見つめていたのは先ほどまで何度も名前を呼んでいたお袋ではなく、セーラー服姿の北沢だった。

 

「…………北沢?」

「ようやく気が付いたんですね」

 

 お邪魔してます、と礼儀正しく会釈をすると、踵を返して玄関入ってすぐの狭い廊下に隣接された台所に行ってしまった。

 あれ、なんで北沢が俺の部屋にいるんだっけ。

 不思議な光景にそんな疑問を抱き、曖昧な記憶を必死に掘り起こしてみる。ふと枕元に置きっ放しにしていたスマートフォンでのやり取りを見返して、事の顛末をすぐに思い出すことができた。

 

 妙な疲労感を覚えつつなんとかファッション雑誌の現場を終えた日の夜、俺はとうとう発熱してダウンした。凄まじい倦怠感といつまでも続く頭痛が高熱を引き起こし、身動きが取れずに俺は自室のベッドの上で症状が収まるのを待つかのように耐え忍ぶことしかできなかった。誰かに助けを乞うにも、翔太は修学旅行で北海道へ、北斗は実家のある京都へ帰省しており、高校の同級生たちは当然ながら学校がある。そもそも曲がりなりにもアイドルをしているから、本当に信用できる人以外に家の住所を教えたくないという警戒心もあり、俺の交友関係の中で助けを求めれる人の数自体そこまで多くはなかった。

 あぁ、完全に詰んだな。思いも寄らない人から電話がかかってきたのは、下がらない熱に死を覚悟し始めた頃だった。朦朧とする意識の中、枕元で一定のリズムを刻んでスマートフォンが揺れる音。必死に手繰り寄せると画面には思いも寄らない人の名前が表示されていて、とうとう幻覚まで見るようになったかと自分の目を疑いながら通話ボタンを押す。

 

『お疲れ様です、北沢です。元気にしてましたか?』

 

 電話の相手は、先日喫茶店で話をした少女だった。電話越しの声が記憶の中の声より少し低いように聞こえたが、特徴的な抑揚のない落ち着いた声色はあの日の記憶と一致していて、この電話が夢や幻覚ではないことにすぐに気がつくことができた。

 

「久しぶりだな。元気だ……って言いたいところだけど、全然元気じゃねぇ」

『え? そうなんですか?』

 

 北沢は特に深い意味もなく挨拶のような感覚で尋ねたのだろう。予想していた返答と違って驚いたのか、電話越しの声は少しだけトーンが上がっていた。

 それから俺の事情を一通り聴いた北沢は突然家に来ると申し出た。風邪を引いているなら何か少しでも栄養のあるものを摂取するべきだと、そんなグウの音も出ない正論を挟みつつ、自力で食事を用意する気力もなくて一人暮らしで頼れる人がこぞって居ないなら私が行きましょうか、とも。申し訳ない気持ちで最初は断ろうと思ったが、正直丸一日水しか摂取していなかった俺にとってはかなり有難い申し出でもあった。一度会っただけだが北沢は同業者なのもあり、家の住所を教えても変に悪用することはしないだろうと、そんな信用もあって結局俺は彼女の厚意に甘えることにした。

 電話を切った後にショートメッセージで住所と部屋番を送って、玄関の鍵を開けておいた。部屋の前に着いたら勝手に入ってくれと追加で送信したところで、目眩が襲ってきて俺は重い身体を引きずりベッドの上へと倒れこむ。

––––そういえばアイツはなんで電話してきたんだ。

 あの日から今まで連絡が来ることは一度もなかったのに突然電話がきたくらいだから、きっと北沢も何か俺に用事があったのではないか。そんな疑問が薄れゆく意識の中でふと湧いてきたが、その答えを考える間も無く俺の意識は飛んでしまったのだった。

 

「天ヶ瀬さん、具合はどうですか」

 

 台所から北沢の声が聞こえてきて、カチッと音が響いて狭い廊下が真っ暗になる。ドアが開いて、湯気が立ち込めるお皿をトレイに乗せた北沢が部屋に戻ってきた。

 

「……あぁ、少しはマシになったかも」

「良かったです。これ、お粥ですけど食べてください。栄養は取れると思うので」

「わりぃ、助かるぜ」

 

 ミニテーブルの前に北沢が置いてくれたお粥の湯気が、食欲を優しく刺激する。いただきますと乾いた口で一言呟き、スプーンで一口掬って口の中へ運んだ。舌の上にじんわりと熱を持った柔らかい感触が触れて、あっさりとした味が口の中いっぱいに広がっていく。初めて食べたはずなのに、北沢が作ってくれたお粥の味を俺の舌は覚えていた。走馬灯のように走っていく夕暮れ時の部屋の情景。ひどく懐かしく感じたお粥の味が、俺をノスタルジックな世界へと誘っていくようだった。

 先ほどまで自分が居たはずの世界を思い出した。

 この部屋に引っ越す前に家族三人で住んでいた都内の狭い2LDKのマンション。俺が風邪を引いて寝込んだ時、いつもお袋はお粥を作ってくれて、親父は俺の好きだったアイスを買ってきてくれた。もう忘れたと思っていた遠い過去の、懐かしい記憶の夢だった。当時は当たり前だと思っていたけれど、今ではもう当たり前ではなくなってしまった日常だ。

 お袋はもう何年も前に病気で他界してしまった。親父は単身赴任で四国に住んでおり、俺はこうして東京に残って一人暮らしをしている。幸いにも高校生活もアイドル活動も充実していて仲間や友達にも恵まれ、自身の境遇を不憫に思ったことはあまりなかった。だけどもしかしたら心の何処かでは、あの優しい記憶の世界を恋しく思っていたのかもしれない。

 一人暮らしでは食べる機会のないお粥を久しぶりに食べたせいか、とうの昔に忘れ去っていたはずの記憶がフラッシュバックした。だけどこのお粥を作ってくれたのは記憶の中のお袋ではなく、目の前にいるセーラー服姿の北沢だ。不思議な光景だなと思いつつ、スプーンで更にお粥を掬う。

 

「味、どうですか?」

「美味いぜ。なんか元気出てきた」

「そうですか、それなら良かったです」

 

 少しだけ照れ臭そうにはにかんだ後、北沢は何かを思い出したように立ち上がって部屋から出ていった。すぐに戻ってきた北沢の手には、コップとお茶の入ったペットボトルが握られている。見覚えのないペットボトルの柄だった。

 

「それ、もしかして買ってきてくれたのか?」

「はい。天ヶ瀬さんの家になかったらと思いまして」

 

 まるで当然と言わんばかりの口ぶりだが、テーブルの隅に置かれていたビニール袋の中から見え隠れしている栄養ドリンクやゼリーといい、同じ高校生とは思えないほどの気が効きようだった。年の離れた弟がいるだけで、ここまでしっかりするのだろうかと疑問に思うほどだ。

 俺は最後の一滴まで食べ終えた後、棚の上に置いていた財布を取ろうと立ち上がった。ある程度の額が財布の中にあるのをチェックしてから、北沢に値段を確認する。

 

「気遣わせてしまってすまねぇ、全部で幾らだった?」

「あ、いえ、これくらいは別に」

「さすがに申し訳ねぇから払わせてくれよ。北沢だって高校生なんだから金だってそんなに多く持ってるわけじゃねぇだろ」

「…………私、まだ中学生なんですけど」

 

 マジで?

 驚愕する俺を、北沢は少し不機嫌そうに顔をしかめながら睨んでいた。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。