投稿者レベルMAXに上げて戦ってやるぜ!な勢いで初投稿です。
一応規則通りNexToneに申請済みだけど、しくじってたら消されるかも。その時は許してクレメンス。
天ヶ瀬さんの夢を見た。
立っているのが精一杯なほどの強い風が駆け抜けていく、だだっ広い滑走路で私は蒼一色に染まった空を呆然と見上げていて、私が見上げる視線の先では天ヶ瀬さんが私を見下ろしているのだ。空に浮かぶ天ヶ瀬さんの顔はボヤけていてハッキリと見えないが、優しい声で「早く来いよ」と言いながら、何度も私を呼びながら手を差し伸べていた。
天ヶ瀬さんの手を握ろうと、私は必死に腕を伸ばす。だけどどんなに手を伸ばしてもジャンプしてみても全然天ヶ瀬さんが差し出してくれた手には擦りもしなくて、次第に優しかったはずの私を呼ぶ声色は季節が反転するかのように、冷たくなっていく。それでもどうにか手を握りたくて、必死に身体中の力を使ってジャンプをすると、その途端にまるで私の努力をあざ笑うかのような冷気を帯びた強風に拐われ、バランスを崩して倒れてしまった。そして転倒した私を見て、空の上の天ヶ瀬さんはこう言うのだ。
––––これだから、子供は嫌なんだよ。
聞き間違いかと思って空を見上げると、今度はハッキリと天ヶ瀬さんの顔が認識できて、呆れたように私を見下ろしている。伸びた前髪の奥の垂れ目は、私を軽蔑するように見つめていた。
––––もういいよ、お前。
冷たい口調でそう言い残し、痺れを切らした天ヶ瀬さんは背中を向けて飛び立ってしまった。私は滑走路で倒れつつ、次第に遠のいていく彼の背中を見て、私には彼のような翼がないんだなと、そんなことを考えていた気がする。何者でもない、ただの凡人である私は彼のようにはなれないのだと、猛スピードで滑走路を吹き抜ける冷たい横風がそう教えているような気がしていた。
「志保ちゃん、大丈夫?」
今朝見ていた夢の幻影が、ピシャリと音を立てて消えた。いつになく物が溢れ、少しだけ落ち着きのない雰囲気が漂う楽屋で、赤と黒を基調とするチェック柄の衣装を着た見慣れない私が鏡に映っていた。綺麗に引かれたアイラインも、私が買った安物とは全然色合い違う口紅を塗った赤い唇、鏡に映る私はメイクさんにフルメイクを施されていつになく冴えているように見えた。だけどその強気なフルメイクに不釣り合いな、自分の弱々しい自信なさげな目。そんな私の目を、私の背後に立つ金髪の綺麗な艶のある髪の主––––莉緒さんは鏡ごしに見つめていた。
「……大丈夫です。心配いりませんから」
わざとらしく咳払いをして、私は立ち上がる。莉緒さんへの回答というより、私自身に言い聞かせるような口ぶりだった。鏡に反射していた莉緒さんの姿が動いて、大きなフレームから消えた。莉緒さんは私の隣で、まるで今この場から離れようとしている私の心境を読み取り、そしてその退路を遮るかの如く、その場に釘付けにされた杭のように突っ立ている。
「大丈夫じゃないわ。大丈夫そうには全然見えない」
咎めるような鋭い目つき。莉緒さんの語尾の強まった言葉に反射的に身が硬くなる。私たち二人だけが取り残された楽屋にはシンと静まり返っていて、だけど此処からそう離れていないライブホールから溢れ出た勢の人たちの熱気や緊張感がひしひしと伝わってきて、私たちの間に流れる静寂はまるで嵐の前の静けさのようだった。
「そんな風に、見えますか」
「えぇ。ステージで事故るんじゃないかって不安になるほどに」
普段はあまり見せないような莉緒さんの真剣な表情に、私は何を話せばいいのか分からず、思わずそう訊き返した。莉緒さんがたたみかけるようにそう言った時に、ライブホールに響く美咲さんのアナウンスが微かに聴こえてくる。公演中の注意事項、会場内の案内などを落ち着いた声で話す事務員の美咲さんが最後に、「もう間もなく開演です」と言い残して、会場が少しだけ湧き上がった。
その歓声が莉緒さんの耳にも届いていたのか、急かすような目つきで私に語りかける。
「志保ちゃんが何を抱えているのか、何かを隠しているのか、私に相談して。もう時間がないわ、このままステージに上がったらとんでもないことになるわよ」
脅しでも何でもない、私を心底懸念する莉緒さんの言葉は私へ向けられたものではなかった。電撃を浴びせるように、莉緒さんの言葉が私の胸の奥底で何かを過剰に反応させる。それは紛れもなく、私の胸の奥底の深淵に潜んでいて、天ヶ瀬さんと会ったあの日、私に憑依した“何者”かだった。莉緒さんは気付いていたのかもしれない、私の中に私じゃない、もっと醜い何者かが居座っていることに。
「……本当に大した話じゃないんですけど」
「大した話じゃなくてもいいわ。ちゃんと聴いてあげるから」
そう言ってくれた莉緒さんの目は、いつものような優しくて余裕のある大人の目に戻っていた。これはもう言い逃れできそうにないかもしれないなと思う。もしかしたらライブ前の独特な非日常感が少しだけ私を狂わせているのかもしれない。そういうことにしておこう。
人に促されて相談事をするなんて私らしくないな、と思いつつも、私は莉緒さんに天ヶ瀬さんのことを全て打ち明けたのだった。
★☆★☆★☆★☆
莉緒さんの軽快なMCから始まって、トップバッターの琴葉さんがステージ上で『朝焼けのクレッシェンド』を歌っている。その様子を、舞台袖から私はマイクを握りしめて見守っていた。
トップバッター故か、琴葉さんには多少の硬さが見受けられたが、その硬さも徐々に解れてきているようで、曲が中盤に差し掛かる頃にはリハーサル時となんら変わりない自信満々な彼女の歌声がライブホールに響いていた。あと数分もすれば『朝焼けのクレッシェンド』は終わり、いよいよ私の番になる。激しく脈打つ胸の鼓動に感化されるように、マイクを握る手は汗でびっしょりになっていた。
「よっ、志保。どうだ、大丈夫そうか」
「プロデューサー……」
私の胸の音が聴こえていないのか、ひょっこりと現れたプロデューサーの声にはまるで緊張感が感じられなかった。
「本番前で集中したいので、話しかけないでくれますか」
「わるいわるい、そう怒るなって」
プロデューサーは口ではそう言っているものの、口調も軽くてまるで悪そびれる様子はない。温度差のあるプロデューサーの態度に若干の苛立ちを感じている間に、琴葉さんのステージは終わってしまった。大歓声が反響する中に、何度もなんども礼儀正しくお礼を言う琴葉さんの声が紛れている。
「……志保、緊張はあるだろうけど大丈夫。リハーサルであれだけ見間違えるように歌えたんだから、自信を持って行ってこい」
「もっとないんですか、こう具体的なアドバイスとか」
「ないな。最初は心配だったけど、志保はもうしっかり自分の曲にできたから。あとはその自分だけの曲を披露するだけだ」
最後の最後までプロデューサーは無責任な言葉しか言わなかった。結局プロデューサーは何も私のことを分かっていないようで、私は何も言い返さずに黙って背中を向けた。
途中で見間違えるように変貌し、無事にライアー・ルージュを自分の曲にできたとプロデューサーは口にしていたが、私にはとてもそうには思えなかった。どうして今まで掴み所が分からずに苦戦していたライアー・ルージュを急に私があんな風に歌えるようになったのか、その自身の変化が自分でも分からずに、未だに納得できるような理由が見つかっていなかったのだ。理由も分からない前進は成功とは呼べない。説明が付かないあやふやなモノに頼ってステージに立っても、醜態を晒すだけにしか思えなかった。
だけど不思議なことに、プロデューサーと似たことを莉緒さんにも口にしていた。本番前の楽屋で半ば強制的に胸の内を晒け出させられた時、莉緒さんは私の話を聴いてアドバイスをするどころか、唐突に謝罪の言葉を口にしたのだ。
「無理やり吐かせた私が言うのもアレだけど、なんだか余計な心配だったみたいね。ごめんね、志保ちゃん。今のままステージに立って問題ないと思うわ」
莉緒さんの言葉の意味が分からなかった。
私は何も分かっていない、自分の気持ちにもライアー・ルージュを歌えるようになった自身の変化にも。そのことを詰め寄ると、莉緒さんは得意げにウインクをして、
「もうとっくに志保ちゃんは自分が抱えている気持ちの正体に気付いているわ。今はまだ分からなくても、ステージ上でライアー・ルージュを歌えば、絶対に見えてくるものだから」
そう述べた。その時の莉緒さんの顔が確信に満ちていて、とてもでまかせを言っているようには思えなかったため、私はそれ以上しつこく訊かなかった。ステージ上で見つかるその正体は莉緒さんや誰かに教えてもらうのではなく、自分の目で確かめるべきなのだと、そんなことを諭されているような気がしていたのだ。
「田中さん、捌けました! 北沢さん、スタンバイお願いします」
ステージを舞台袖から覗き込んでいたスタッフの言葉が耳に届いて、無意識に縮もうとする背筋をピンと伸ばす。汗でべっとりとした手のひらでマイクを強く握りしめ直し、息が詰まりそうなほどに圧迫された肺を軽くするために大きく息を吐き出した。
––––莉緒さんが言うように、ステージに立ってライアー・ルージュを歌えば本当に何かが見えてくるのかな。
確証はないけれど、そう信じるしかない。
小さく小刻みに震える足を少し大きく伸びして、ステージへの一歩を踏み出す。どうかこのステージが、天ヶ瀬さんの待つ空へ飛び立つ一歩になるようにと願いながら、光が溢れるステージへの滑走路を私は震える足で歩み始めた。
★☆★☆★☆★☆
「初めまして、北沢志保です。今日はご来場まことにありがとうございます」
ステージでの第一声は、自分が思っていた以上に落ち着いた声だった。バックダンサーといえども何万人ものお客さんが詰め込まれたアリーナの空間を経験しただけあって、前回ほどの緊張感はなかったのかもしれない。だけど今回は私一人のステージで、春香さんのように私の手を引いてくれる人も、背中を見せてくるような人もいない。純粋な自分の実力だけを信じて、ステージを成功させなければいけないのだ。兜の緒をしめるように私はゆっくりとホールに向かって頭を下げる。観客席からは様子見といったちぐはくな拍手が巻き起こり、顔を上げると同時にまばらな拍手はすぐに止んだ。私は特別面白いMCができるわけでも、お客さんたちの興味を引くような特技もあるわけではないのだから、自分の歌で、パフォーマンスで評価されるしか道がないことを自ずと理解していた。目の前にいるお客さんの大半は初めて私を見る人たちばかりなのだろう。その人たちの記憶の片隅に少しでも私の姿を焼き付けようと、ギュッと拳を握りしめた。
「それでは聴いてください。ライアー・ルージュ」
機械音のようなライアールージュのイントロが流れ始め、小さなライブホールが息を飲むように静まり返る。照明が暗転して、真っ暗になった観客席に光り始める白色のサイリウムたち。39 Project発足時に私に振り当てられた、イメージカラーだ。左右に揺れ動く、綺麗な白色のサイリウムは漆黒の夜空を彩る星たちのように儚い光を発していて、思わずその場で立ち尽くして見惚れてしまうような、そんな圧巻の光景だった。
白色のサイリウムが創り出した幻想的な夜空に引き寄せられるように、感覚が遠のいていく。マイクを握りしめて口を開こうとした瞬間に、私は生まれて初めて経験するような不思議な感覚に誘われた。まるで幽体離脱をしたかのように意識が身体から離れ、ライブホールの上空から俯瞰してステージにたった独りで立つ私を見下ろしていたのだ。意識が抜けて空になったはずのステージ上の私は、特に代わり映えのない様子で踊っている。そして、紅色の染まった唇に近づけたマイクに向かって口を開いた。
“こんなの嫌よ、見つめられたら
コントロールできない鼓動が痛い”
この数週間で何度もなんども練習を重ねてきたライアー・ルージュの歌詞を口ずさむ私。ステージ上で歌う抜け殻の私の様子は何か変だった。リハーサルでは一度もしなかったような胸を押さえつけるような仕草、それはまるで何かを訴えかけているかのような表情––––。あの時と同じだ、まるで私が私じゃないような、そんな感覚が激しく胸を打ち続けている。
“強気の奥の素顔はきっと
誰にも見せたりなんかしない……はずだったの”
何者かが私のガードを破壊して不可侵領域に立ち入るような感覚。だけど不思議なほど、その感覚は悪いような気がしない。寧ろ胸の中の氷を暖かい陽の光が溶かしていくような、そんな心地良さすら感じられていた。
“一瞬で奪われちゃったのかな…
他の人とどこか違う人”
あぁ、そうか。そういうことだったか。
岩のように硬くなっていた氷が溶けて消え去り、初めて私は全てのことを知ることができた。
莉緒さんが楽屋で言っていた言葉の意味もようやく分かった気がする。あの日私に憑依していた深淵の主、そして今ステージで歌っている私、それらは同一人物で紛れもなく私が目を背けてきた自身の感情の塊だったのだ。そして私が見て見ぬ振りをしてきた感情は、神様が印をつけたような特別な存在であり、空よりも遠い場所を目指して一目散に駆けていく“あの人”を強く求めていた。
まるで暗闇の道を照らす灯りのようなきらめきを持っていて、いつも私の少し先の道を歩く憧れの存在。あの人を想う優しくて温かい感情が深淵の闇を掻き消して、全てが弾けたようにステージ上の私は想いを歌に乗せて爆発させる。
“ウソでかくさなくちゃ、想いがバレちゃう…
大人びたフリをしたって、大人に通じないの?”
必死に背伸びをして、大人のフリをして。そうじゃないと私は私を守れる気がしなかった。家族のためにアイドルになって、誰よりも強くならなければという一心で、私は私に嘘を重ねてきた。周囲の人間にも私自身にも。そうすることで、自分を正当化し、自我を守れるのだとばかり思い込んでいたのだ。
だけど––––、
“振り向いて欲しくて勇気を出しても
はじめて引いたルージュにも気付いてくれないのに”
本当は誰かに気付いてほしかったのかもしれない。嘘で塗り固められた私ばかりではなくて、胸の奥底の真っ暗な深淵の中に隠した本当の弱い私を。
だけど振り向いて欲しい、本当の私を見て欲しい、そう願っているはずなのに、大人でなければならないとばかり言い聞かせて、私は彼の前でも深淵の底を見せるようなことはしなかった。嘘で塗り固めすぎてしまった私の偽りの姿とのギャップに幻滅されるのが怖かったからだ。
––––自分の本心に正直になれず、大人のふりをして偽ることでしか自我を保てないような子供のままだったから、きっと初めて引いた口紅も気付いてくれなかったのかな。
あの日、コンビニの汚れたトイレで口紅を洗い落とした私を思い出す。大人びたつもりだったけど、彼への気持ちに気が付かず、弱い自分を否定して背伸びし続けていた私は誰よりも子供だったのだと。きっと自分で自分を苦しめて、彼を困らせて、だけどもしあの時に私が隠していた本当の気持ちに気付いていたのなら、彼は私の紅色の唇に気付いて、口紅の裏に隠した私の姿を見てくれたかもしれないのに、と。
少しだけ沸き立つ後悔。どうしてあの時、もっと素直になれなかったのだろう。そんな想いが、堰を切ったようにライアー・ルージュの歌詞を借りて、溢れ出てきた。
“どうしてなのよ、「見つめて」なんて
言いたい、言えない、隣にいたい
強気の裏の本音がこんな
誰かを求めてたなんて……ありえないわ”
深淵の底の私は、いつか彼が見つけてくれることを願っていた。嘘の私ではなくて、本当の私を見て、そして隣で支えて欲しいのだと。
だけどその感情を、嘘の私は必死に隠そうとしていた。大人になるために、家族を楽にさせてあげるために、夢を叶えるために、そんな誰かの優しさに縋ろうとするのは有り得ないのだと––––、いや、もしかしたらそれは建前だったのかもしれない。ちょっと醒めた大人のふりをしていたのは、誰かを失うことや傷付くことが怖かったからではないのだろうか。
“嫉妬することだって知らなかった
他の人となんて話さないで”
あの日、彼を困らせたのは紛れもなく傷付くのを恐れた私の嫉妬心だった。
彼に過去の想い人がいたことを知って、誰かをこんなに羨むようなことなんて経験してこなかった私は、その気持ちの正体に気が付くこともできず、結局いつものように強がりな嘘を重ねて、彼を拒絶することで、どうにか平静を装おうとしていたのだと思う。
今になって私は生まれて初めて嫉妬の意味を知って、あの時胸を焦がしていた炎の正体が気が付くことができた。すると、ずっと胸に居座っていた残火が完全に消え去っていって、途端に胸の内が軽くなって風通しがよくなったような気がした。私の背中を押すように胸から込み上げてくる風に身を任せ、素直になれなかった幼い私の心境も、密かに抱えていた願いも、全てをライアー・ルージュに重ねて言葉にしていく。
“ウソをついてなくちゃ、素直になれない
側にいるイイワケだって、気付かれたくないよ
だけど届いて欲しい、うらはらな願い
薄めに引いたルージュでね、言葉を染めてるのに”
嘘ばかりで本心を見せず、それでも彼に本当の私の姿を見て欲しい。隠し続けてきた本当の気持ちが届いて欲しい。
そう願う自分はどれほど傲慢で我儘だっただろうか。薄めに引いた口紅にも気付いてもらえず、当然深淵の私にも気付いてもらえず。でもそれは仕方のないことだったのかもしれない。だって誰よりも私自身が、彼に抱いている気持ちをずっと直視せず、無視してきていたのだから。
“ずっと一人でも大丈夫だったはずの心が求めてる人”
独りで夢を叶えるのが真の強さだと思い込み、自分で生きていける大人になりたい一心で周りの人間たちを全て敵視して、孤独を選んで、それが自分の生き方だと決めつけて。
だけどいつの間にかそんな脆い鎧は脱げ落ちてしまって、私は彼を求めるようになっていた。彼が持つ大空へ羽ばたく翼が私も欲しい、誰よりも私を理解してくれている彼の隣で一緒に遠くの世界へ飛んでいきたい––––。そんな胸を埋め尽くす彼への想いたちが、私にようやく真実を教えてくれた。
––––私は、天ヶ瀬さんのことが好きなんだ。
“小さなクセだって覚えているのに
まっすぐ見つめる瞳をイメージできないの
ウソもホントウはね、つきたいわけじゃない
大人びたメイクをしたって、想いはかくせないよ”
あぁ、こんな素直な気持ちになれるのなら、今日のライブに招待すれば良かったな。
いつも愛想も可愛気もないことばっか口にして、本心も見せないで困らせてばかりで。深淵の私が大事に温めていた想いを伝える方法を私は知らなくて、嘘を重ねて大人のフリをして、だけど彼への想いは隠せなくなるほどに日に日に強くなっていって。
“まっすぐ見つめたら、ちゃんと届くかな”
もし次会える機会があれば、今度は彼の前ではちゃんと隠さずにありのままの私を曝け出せればいいなと思う。大人のふりをした私じゃなくて、嘘で固められた私じゃなくて、私の本当の素直な笑顔を。
真っ直ぐに見つめることができたなら、私のこの気持ちも彼に届くかもしれないと、そんな淡い期待を抱いて、私は最後のフレーズに彼への想いを乗せて高らかに歌い上げた。
「はじめて引いたルージュより、素直な笑顔みせたい……」
★☆★☆★☆★☆
徐々に弱まっていく音に反比例して、爆発するかのように沸き立つライブホール。そんな大歓声たちが、たった今生まれた“北沢志保”というアイドルを盛大に讃え、受け入れているようだった。
「す、すげぇ……」
トップバッターだった田中さんの時から一変した会場の空気に圧倒され、思わず唾を飲み込む。信じられないほど、圧巻のステージだった。飛び跳ねることも、周囲の人たちにつられてコールや手拍子を入れることもせず、俺はただただステージで感情を爆発させたかのように歌い上げた北沢の姿をずっと立ち尽くして見つめることしかできなかった。
デビューステージだけあって、技術的な荒さは多く見受けられた。ダンスの手先が伸びていない場面も多かったし、メロディより少し足早に歌ってしまっている場面だって何箇所もあって、それは天海たち765ALL STARSに比べるとどうしても見劣りしてしまうパフォーマンスで、アイドルのライブとしては精々及第点といったところなのかもしれない。だけどそんな要所要所の荒さをカバーするほどの、北沢の迫真の熱量とパフォーマンスは目を見張るものがあった。まるで自分を歌に投影し、全ての歌詞にシンクロして見せたような北沢の姿は、とても数週間前に歌いこなせる自信がないと弱音を吐いていた一人の少女の面影を完全に消し去っていた。
技術的な問題は短い間で爆発的に成長することはありえない。だとしたら考えられるのは、北沢の内面的な成長だろう。
(一体この数週間で北沢にどんな心境の変化があったんだ)
どれだけ考えても、まるで想像が付かなかった。今の俺が分かるのは、北沢はデビューステージで多くの人の気持ちを掴むようなパフォーマンスを見せたことと、もしかしたら俺が今まで北沢に抱いていたイメージは少々間違っていたかもしれないという二点だけだった。
––––俺が思っている以上に北沢は弱い存在なのかもしれない。
家族のためにアイドルになって、弟の世話や家事もやって、それでいてストイックで夢に一直線で。そんな北沢は、迷いのない凛とした強い人間だと思っていた。きっと俺なんかよりも何倍も強くて、どんな困難や逆境にも一人で立ち向かえるのだと。
だけどライアー・ルージュを歌っていた彼女の姿は違った。ステージに立って、俺をも含む多くの人の気持ちを掴んだ北沢志保は、俺が勝手なイメージを抱いていた決して強い女性ではなく、素直な気持ちを伝えれないあまり、嘘で自身を塗り固めた中学生のか弱い女の子の姿にしか見えなかったのだ。
その後のことはあまり記憶にない。北沢の後にもう一人新たな新人アイドルがステージに立って、そのアイドルはそこそこ歌が上手かった印象はあったが、北沢のステージが衝撃的すぎてあまり頭に入ってこなかった。最後にサプライズで765 ALL STARSの水瀬伊織と高槻やよいが登場して会場を沸かせ、定例ライブは幕を閉じた。
「あれ、冬馬くん何処行くの? 出口はこっちだよ」
「わりぃ、トイレ行ってくるから先出ててくれ」
「はーい。早くこないと置いて行っちゃうからね」
ライブが終わり会場から締め出された時に、俺は咄嗟に適当な嘘をついて北斗と翔太から離れた。二人の姿が人混みに消えて行ったのを確認すると俺はトイレとは真逆の方向へ、会場から溢れてくる人たちを掻き分けながら向かう。目当てのブースが目に入って、俺はニット帽を深くかぶり直してスタッフに声をかけた。
「あの、その“アクリルキーホルダー”を一つ頼む。ええっと、それ、北沢志保のやつ」
★☆★☆★☆★☆
夢心地のような、そんな気持ちだった。
楽屋に戻り、張り詰めていた緊張の糸が解れたように力が抜けると、私は力なく椅子に腰を下ろした。自分のステージが終わって、最後の挨拶も無事に終わり、それでも未だに身体がステージ上での興奮を覚えていて、足元がふわふわしている感覚がする。アドレナリンがまた続いているのか、妙に気持ちが落ち着かなかった。
(結局、莉緒さんの言う通りだったなぁ)
一時間ほど前にここで話したことを思い出す。ステージに立ってライアー・ルージュを歌えばおのずと見えなかったものが見えてくると、一見無責任に思えた莉緒さんの言葉だったが、まさにその通りだった。あのステージで私の全てを曝け出して、そして初めて私は天ヶ瀬さんに想いを寄せていることに気が付いた。自分が誰かを好きになるなんて、といった照れ臭い気持ちの反面、ライブが終わってホッと一息つく気持ちと胸の中のモヤモヤが全て解消されたような開放感も相まって、清々しいほどに爽快な気持ちがあった。
私はペットボトルの水を一飲みすると、鞄からスマートフォンを取り出してLINEを開いた。最後のやりとりが何週間も前になるため、トーク画面の下に下がってしまっていた天ヶ瀬さんとのトーク履歴を引っ張り出す。素直な気持ちが分かった今なら、あの日の失礼な態度をちゃんと謝ることができるかもしれない。そう思って天ヶ瀬に送る文面を考え始めようとした時、その思考を断ち切るように勢いよく楽屋のドアが開かれた。
「みんなぁ、お疲れ様! すっっっごい良かったよっ!」
興奮気味な元気な声と同時に勢いよく開けられた楽屋のドアの先から現れたのは、四角い箱を持った恵美さんだ。当日のスタッフとしても名前が入っていなかった恵美さんの登場に、琴葉さんは嬉しそうに椅子を蹴って立ち上がる。
「恵美、来てくれてたの!?」
「もっちろん! 琴葉も麗花も志保も、三人ともお疲れ様! これ、差し入れだよ!」
「わぁ、恵美ちゃんありがとう〜」
手に持っていた四角い箱をテーブルに置くと、少し大袈裟に琴葉さんを抱擁する恵美さん。映画の感動的な再会シーンのように抱き合う二人を微笑ましく見守りながら、麗花さんは早速恵美さんが持ってきた差し入れるの箱を開けようとしている。
これから片付けもあるだろうし、天ヶ瀬さんのへのLINEはまた後で解散した時にでもゆっくりと考えて送ろうかな、そう思ってスマートフォンを鞄に戻した。そして箱の中から三切れのケーキを取り出し、優しく手招きする麗花さんの隣に腰を下ろす。
「琴葉、ビッグニュースだよ! ビッグニュース!」
「……ビッグニュース、って?」
にゃはは、と恵美さんは意味深に笑って、琴葉さんの肩を叩いている。麗花さんからどのケーキにする、と訊かれ、視線を二人から綺麗な三切れのケーキに向けた時だった。
「冬馬が来てたんだよ! 琴葉のライブを見に!」
恵美さんの口から飛び出したとんでもない発言に、思わず視線を戻した。頰に手を当てて照れ臭そうに耳まで真っ赤に染める琴葉さんに、恵美さんはからかうような口調で「良かったね〜琴葉!」と茶化している。
その二人のやりとりに、私の胸は激しく揺さぶられていた。
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