【完結】ニタモノドウシ   作:ラジラルク

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しじみ汁嫌いなので初投稿です。




 いつの間にか置いてけぼりを食らっていた俺たちがショッピングモールを出たのは、空がもう黒一色に塗りつぶされた頃だった。田中さんに帰宅ルートを尋ねると、彼女は東京でもだいぶ辺鄙な街に住んでいるようで、ここからバスで一時間ほどかけて帰るのだと教えてくれた。さすがにこの遅い時間に女の子を一人にさせるのも気が引けて「バス停まで送る」と申し出ると、田中さんはまた気遣ったような顔色を浮かべたが、俯き加減に小さな声で「ありがとう」と承諾した。

 田中さんが教えてくれたバス停までのルートを調べて、俺たちは並んで歩き出す。すれ違う人たちの隙間から肌触りが悪い冷たい風が吹いて、すっかり伸びた俺の前髪を揺らした。その度に隣で田中さんは寒そうに身体を縮ませたが、俺はただ冷気に晒されるだけでボンヤリとした思考のまま、次から次に向かってくる人混みを障害物を避けるようにして歩き続けていた。

 

(……アイツら今、何してんのかな)

 

 若いカップルとすれ違った時、連想するように頭の中に翔太と北沢が並んで歩くイメージが湧いてきて、俺は無意識に唇を噛んだ。北沢は俺の彼女でもなんでもない、なんなら友達と言えるかどうかも怪しいあやふやな関係性だ。だから北沢が誰と一緒にいて誰を好きになろうが、それは俺には全く関係のない話のはずだった。

 それなのに、どうしてこんなに胸が締め付けられるんだろうか。

 どうして翔太と北沢の二人の仲をよく思わない俺が胸の内に潜んでいるのだろうか。

 

「……天ヶ瀬さん、青になりましたよ?」

 

 ずっと俺の隣で口を開かずに黙っていた田中さんの声が聞こえた。隣にいたと思っていた田中さんは俺より少しだけ前の、横断歩道の白線の上に立ってこっちを振り返っており、その背後では色褪せた信号機が青に光っているのが目に入る。年季の入った信号機から流れるメロディに急かされるように、俺は正体が分からないモヤモヤをそのままに、慌てて横断歩道を渡った。

 

「あの、今度私が出るドラマが放送されるんですけど……」

 

 横断歩道を渡りきった頃、田中さんがそう切り出した。「ドラマ?」と聞き返すと、田中さんは恥ずかしそうにはにかみながらも、「はい」と元気よく答えて頷く。

 

「『階のスターエレメンツ』です。覚えてませんか、以前お仕事で一緒だった時に私たちが番宣してた」

「あぁ、あの時のか。確か矢吹未来と春日可奈と一緒のだったよな」

「それを言うなら、矢吹可奈ちゃんと春日未来ちゃんですよ」

「あれ、そうだったけ」

「……もうっ、本当に天ヶ瀬さんって人の名前を覚えるの苦手なんですね」

「め、面目ねぇ……」

 

 足を止めて、腰に手を当てながら説教をするように俺の間違いを指摘した田中さんだったが、すぐに膨らませた頬を縮ませると、口に手を当てて笑う。そんな彼女の気さくな仕草が俺たちの間に漂っていた重苦しい空気は綺麗に取り払ってくれた気がした。ずっとそれぞれが持ち合わせていた空気が今は間違いなく一つになり、その空気を俺たちは分け合っている。田中さんと分け合っているその空気が妙に居心地良くて、翔太と北沢のことばかりを考えて締め付けられるような感覚を覚えていた胸の痛みを、ほんの少しだけ和らげてくれているようだった。

 

「それで、最近はどうだ?」

 

 ずっと先の木々まで続いているイルミネーションを見据えながら、俺たちは再び肩を並べて歩き始まる。不思議なことに、先程までは何も感じなかったイルミネーションが今はとても綺麗に思えた。

 

「……最近、ですか?」

「前に、『アイドルになったんだから何か大きく変わりたい』って言ってたじゃん」

「あぁ、そんなこと話してましたね……」

 

 チラリと田中さんの横顔を覗くと、田中さんは寒さのせいか赤くなった頬を困ったように人差し指で掻きながら「覚えてくれてたんですね」と苦笑いをしていた。

 断片的にしか残されていない記憶を必死に振り返り、あの日の田中さんを思い出す。真っ先に思い出したのは、強気で露出度の高い服をカゴに入れたものの、それを着る勇気がなく鏡の前で立ち往生する田中さんの姿だ。

 煌びやかになりたいと本人は話していたけど、隣で肩を竦めながら歩く田中さんがそれこそ所のように肌の露出が多い服を着て、甲高い声を上げて笑う姿はイマイチ想像ができなかった。あの時は変わりたいという彼女の背中を押したけど、少しでも彼女のことを知った今はそんなギャルみたいな姿をした田中さんより、今の真面目で清楚な田中さんの方がずっと彼女らしくて魅力的だと思う。礼儀正しくて愛想がよくて、ショッピングセンターを回っていた時だって、彼女はライブ後だった俺たちを気遣って、誰よりも細かい気配りをし続けてくれていた。それでも田中さんはそんな自分を地味だと決めつけて好きになれず、今でも煌びやかで派手な人間になりたいと願っているのだろうか。

 

「……田中さんは、今のままでも良いと思う。誰かを無理に演じる必要なんかねぇよ」

 

 そう呟いた時、斜め前から少しだけ足早に進んでくる男の姿が目に入った。周囲の人たちには目も暮れず、「道を開けろ」と言わんばかりの強気な態度で男は突進してくる。その男を避けようと左に半歩ズレた時、俺の二の腕の辺りに小さな肩がぶつかった。

 様々な色のイルミネーションが輝く街頭を、強めの北風が吹き抜けていく音が聴こえた。田中さんが着ている暖かそうなダウンコートのフード部分についたファーが微かに揺れている。グッと近くなった距離で田中さんの汚れのない潔白な眼差しが、ジッと俺の瞳を見つめていた。

 その瞳がとても儚なげで可憐に映って、俺はこの時初めて田中さんのことを愛おしいと思った。コートの上からでも分かる華奢な身体つき、いつも自信なさげな表情を浮かべている調和のとれた綺麗な顔立ち、そして自分の魅力に気付かずに変わりたいと願う不器用なところも、全てが佳麗で、胸の奥を何かにグッと鷲掴みされるように、田中琴葉という存在に一気に惹き込まれていくような気がした。

 

「す、すまねぇ!」

 

 完全に引き込まれる一歩手前のところで冷静になり、田中さんから慌てて離れる。田中さんは何も言わずに笑っていた。その笑顔は、俺の胸の内を悟っているかのようだった。

 それから俺たちは再び歩き始め、目的地を目指す道中で沢山の話をした。田中さんがアイドルになる前に高校の演劇部に入っていたこと、偶然街で39 Projectの募集チラシを見た際に友達から勧められてオーディションを受験したこと、アイドル活動を通して様々な経験を得ていつか幼い頃から好きだったミュージカルや演劇の世界で皆を笑顔にさせる役者になりたいという夢も、田中さんは俺に色んな話をしてくれた。俺は田中さんの話を聴いて相槌を打ったりたまに同調したり、自分の話も少しだけしたり、そんな感じで俺たちの間で繰り広げられていたのは他愛もない有り触れた会話ばかりだったけれど、そんな普通の時間が堪らなく居心地が良くて、不思議とあれほど気がかりだった翔太と北沢のことがいつの間にか全く気にならなくなっていた。

 目的地のバス停が近付いてくると、俺はまだ田中さんとこのまま話を続けていたいという名残惜しい感情が芽生え始めていることに気が付いた。だけど時間が止まることもバス停までの道が歪むことも当たり前になく、俺たちは薄暗い公園の前にポツリと置かれたバス停に到着してしまい、田中さんはスマートフォンの灯りをバス停の消え掛かった時刻表に当てて、時間を確認している。

 

「バスが来るまでもう少し時間かかるみたい」

「マジで?」

 

 途方に暮れるようにそうボヤいた田中さんとは対照的に、俺の声のトーンは上がっていた。随分と遠い場所に住んでるせいか、家の近くまで走っているバスの本数が異様に少ないらしい。申し訳なさそうに「ここまでで良いです」と言う田中さんの申し出を断って、俺はベンチに腰を下ろした。この時はもう女の子を夜遅くに一人で置いていけないという義務感ではなく、少しでも一緒にいたいと思う俺の想いが自然とそうさせていたのだと思う。

 それから俺たちは誰もいないバス停のベンチで凍えるように身を寄せ合いながら、他愛のない会話の続きを始めた。身体を震わすように吹き抜けていく冷たい風も、群れから逸れた鳥のように俺たちの前をたまに通過していく孤独な車も、通行人が誰もいないのに生真面目に一定の感覚で色を切り替え続ける信号機も、全てが俺たち二人だけのために存在しているようで、何も邪魔が入らない静かな世界を俺たちは思う存分満喫していた。会話が弾んで田中さんが笑い、風が彼女の優しい匂いを運んでくる。その度に何度も何度もこのまま二人だけの世界が続いて欲しいと願いながら、俺は道路を挟んだ向こう側にある自動販売機が発する灯りを眺めていた。

 

「天ヶ瀬さんって、意外に優しいんですね」

 

 そんなことを唐突に言い出したのは、田中さんが階のスターエレメンツの収録現場で春日未来が起こした珍事件を話した後のことだった。いきなり突拍子もないことを言われ、呆気にとられる俺を田中さんは優しく見つめている。言葉に困ってズボンのポケットに手を突っ込む。ポケットの奥で辛うじて感覚が残っている指先に、何か硬くて細長い突起物のようなものが触れた。俺の言葉を待つ田中さんの眼が、何故かこの時ばかりは俺の瞳に妙に色っぽく映って、思わず視線を泳がせる。

 

「あ、ほら見てみろよ! 満月だぜ」

 

 照れ臭さと恥ずかしさも相まって、俺はポケットに突っ込んだ手と反対の指で東の空を差した。綺麗な丸みを帯びた月は神々しい灯りを放っており、俺たち二人だけの世界を照らしている。白い光は優しくて暖かく、思わず冬の寒さを忘れるほどだった。

 

「……本当。月が綺麗だね」

「え?」

 

 自分の耳を疑って、思わず聞き返す。その言葉に隠された意味を、俺は知っていたからだ。

 田中さんは顔を逸らすことも、リンゴのように頬を赤めらせることもせず、くっきりとした綺麗な瞳で俺の眼の奥を見据えていた。大きく鼓動が脈を打つ。田中さんもまた、この言葉に隠された別の意味を知っているのだと察した。

 

「私、天ヶ瀬さんのことが好きなんです」

 

 満月の月明かりの下、二人だけの世界に田中さんの柔らかい声が響いた。その言葉が何度も俺の鼓動を刺激するように、胸の中で木霊する。だけどその言葉が俺の胸の中で繰り返される度に何かが壊れていくような軋む音が聞こえてくる。それはまるで夢から覚めるように、この優しかった世界が、居心地の良かったはずの世界が、大きな音を立てて崩れ去っていく儚くてただただ虚しい音だった。

 何もかもが崩れ去った世界にまた冷たい風が吹いた。非情なまでに冷たくて身を縮ませるだけの、暖かさなんて微塵も持ち合わせてない厳しい寒さだけを感じさせる風だ。

 

「俺は……っ!」

 

 跡形もなく壊れてしまった世界に未練を感じながら、俺がそう言いかけてポケットから手を出した時、真っ暗なアスファルトの上に何かが落ちて弾く音が響いた。その音に引き寄せられるように二人ほぼ同時に揃って下に目をやると、アスファルトの上でキーホルダーがついた俺の家の鍵が横たわっている姿が目に飛び込んできた。コートの袖から見える手袋をした田中さんの手が、アスファルトの上で横たわる家の鍵へと伸びていく。田中さんは手に取った家の鍵ではなく、その鍵に付けられたキーホルダーを見て驚いたように目を大きくさせた。

 

「……これって、志保ちゃん?」

 

 俺の家の鍵に付けられていたのは、初めて北沢のライブを見に行った日の帰りにこっそりと買った彼女のアクリルキーホルダーだった。

 田中さんの問いに俺は頷いただけで、何も答えなかった。だけどそれだけで十分だったのか、田中さんは「そっか」と呟いて、俺に家の鍵を返してくれた。俺が鍵を無言のまま受け取ると、その途端に彼女の背後から突然真っ暗な闇を照らす強烈な灯りが俺たちを照らした。アスファルトを擦るタイヤの音と、重そうな車体を揺らす音がゆっくりと俺たちの元へ近付いてくる。そして古びたバスは田中さんの隣にピタッとくっ付くように、鈍いエンジンを立てて停まった。

 

「わるい、田中さん。俺……」

 

 バスのドアが開いて、俺は慌てて口を開いた。だが最後までは言えなくて、言葉を喉の手前で詰まらせる。ここから先の言葉を口に出してしまうと、俺が認めたくなかったことを必然的に認めてしまう気がしていたのだ。

 北沢はただのライバルであり同業者だ。きっとそれは北沢も同じように思っていて、俺たち二人の間に恋愛感情はないはずだった。もし恋愛感情が入り込んでしまうと最後、今の心地よい距離感の関係が崩れてしまう気がして俺は怖かったのだ。

 だからここから先の言葉は言えなかった。いや、言いたくなかっただけかもしれない。

 

「うん、分かった。私の方こそごめんなさい、変なこと言っちゃって」

 

 そんな俺に対して、最後まで田中さんは気丈に振る舞い、笑っていた。だけどその笑顔は影を持っているようで、無理して作られた偽りの笑顔だとすぐに気が付いた。

 やる気のなさげな運転手のアナウンスが聞こえてきて、田中さんは必死に繕った笑顔で手を振り、誰もいない無人のバスに乗り込む。窓際に腰を下ろした田中さんがまた手を振ってくれたから、俺も手を振り返した。ゆっくりとバスが動き出して、徐々に遠退いてくバスの中で俺に向けて振っていた手が彼女の目元に触れているのが目に入った。

 バスが角を曲がり、再び豆電球のようなか弱い灯りだけが照らす薄暗い世界が戻ってきた。だけど別れ際に見せた彼女の取り繕った笑顔が頭から離れなくて、俺の胸を苦しくさせる。罪悪感で胸が押し潰されて、息が詰まりそうだった。

 一人取り残された世界で、俺はボンヤリと月を見上げる。綺麗な丸の形をした月は、跡形もなく壊れ去ってしまった俺と田中さんの世界の跡地を、何も変わらない優しい光で照らし続けていた。




琴葉、当て馬にしてごめんよぉ……
だけど真面目で不器用で発言が一々重い琴葉ちゃんのことが好きです。しじみ汁は嫌いだけど。
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