「田中さんに告白された」
天ヶ瀬さんが私の問いに答えたのは、私たちが乗り込んだ電車がゆっくりと重そうな車体を走らせ始めた時だった。人と人との間隔が開いた車内で、隣り合わせで座る私たち。徐々にスピードを上げていく電車はホームを抜けた辺りで汽笛を鳴らしながら揺れて、天ヶ瀬さんの肩が私の頬にぶつかった。その拍子に目が逢ったが、天ヶ瀬さんは私に気遣うような目をチラリと向けただけで何も言わず、すぐに向かい側の窓の向こう側へと視線を戻した。
その横顔を、私はジッと見つめていた。次から次へと移り変わっていく夜の景色を眺める天ヶ瀬さんの瞳はひどく濡れているようだった。初めて見る天ヶ瀬さんのその瞳は、窓の外に広がる東京の摩天楼ではなくて、もっと遠くにある私の知らない世界に向けられた瞳だと感じた。
琴葉さんから告白されて、それで天ヶ瀬さんはどのような返事をしたのか––––。
今の天ヶ瀬さんの表情はその結果を知るのに十分すぎる表情だった。だけど私は根拠のない予想ではない確かな証拠が欲しくて、思わず天ヶ瀬さんに尋ねてしまう。
「……それで、付き合うんですか?」
手のひらに汗が滲んでいくのが分かる。自分で言っておきながら、すごく嫌味な言い方だなと思った。これではあたかも天ヶ瀬さんが琴葉さんのことを好きだった前提のような言い方ではないか。慌ててフォローの言葉を探したけど、その言葉を見つける前に先に天ヶ瀬さんが口を開いた。
「いや」
否定的な短い言葉で一度区切り、ここよりずっと遠い世界を見つめていた眼差しを私に向ける。そして力のない声で、だけど迷いなく宣誓するかのようにハッキリと言った。
「断ったよ。すげぇ良い人だと思ったけど、なんか違ったんだ」
そう口にしたの時の天ヶ瀬さんの眼は、もう遠くの世界ではない“目の前の世界”に焦点を合わせた眼だった。彼の瞳に見え隠れしていた遠くの世界の影が今はもう綺麗に消え去っていて、その世界の正体が、琴葉さんのいる世界だったんだなと私は今頃になって察した。
––––ほんとに?
咄嗟に胸の奥から出てこようとした言葉を私は無理やりに飲み込む。どうして琴葉さんの告白を断ったのか、彼の中で琴葉さんがいる世界は何が違ったのか、本当は聞きたいことが山ほどあったはずなのに、それを知ってしまったら最後、私が密かに抱いている期待が粉々に粉砕されてしまいそうな恐怖があったのだ。私より何倍も魅力的な琴葉さんがフラれたのに、私なんかが彼の特別な存在になれるはずがないと、ネガティヴな言葉を投げつけるいつもの自分が自然と制止をかけていた。
スピードを上げていたはずの電車がまたスピードを落として、沢山の灯りたちが到着を待っていた駅のホームに滑り込むと、鈍い音を立てて車輪を止める。機械音声のような車掌の声が響いてドアが開いたけれど、電車から人が降りていくだけで殆ど新たな乗客は乗り込んで来なかった。一段と閑散した車内のドアが閉まって、私たちを乗せた電車は気怠げに走り始めた。
「そうですか」
私は曖昧な返事をして、椅子に深く座り直した。私と一緒にいる世界はどうですか、なんて訊いてみたかったけれど当然そんな勇気を持ち合わせているわけもなく、私はボンヤリとただただ窓の外で残像を残しながら流れていく駅のホームを眺めるだけ。天ヶ瀬さんもそれ以上は琴葉さんとの件については触れず、この話題は終わりを迎えてしまった。
「そういえば、もうすぐクリスマスですね」
移り変わっていく残像の中にクリスマスツリーのような影を見つけて、私は咄嗟に呟く。取って付けたような在り来たりな話題を振られた天ヶ瀬さんは隣で含み笑いを見せながら、「所みたいなこと言うんだな」と返した。
「北沢はクリスマスなにすんの?」
「私は毎年家族と過ごしてますよ。いつも仕事で忙しい母が、クリスマスだけは早く帰ってきてくれるんです。だから弟と母と三人で、今年も過ごす予定です」
「三人?」
そう口にした直後、天ヶ瀬さんの表情が何かに気が付いたように「しまった」といった顔に変わっていくのを私は見逃さなかった。
––––あぁ、そっか。私に父親がいないことはまだ教えていなかったんだっけ。
以前天ヶ瀬さんが寝込んだ時、少しだけ家庭の話をした覚えがあった。だけどその時は私が家族に楽をさせたいからアイドルを始めたことを話しただけで、家に父親がいないことまでは話していなかったと思う。その時天ヶ瀬さんも私の家庭のことについて深くは訊いてこなかったが、おそらく彼なりに北沢家が一般家庭とは少し違うことを察していたのかもしれない。
今まで私に父がいないことを知られた時、殆どの人は私に気遣ったり同情したり、そんな情けをかけるリアクションを取っていた。それがごく自然のことだと思うし、そのリアクションに悪気があるわけではないとは理解していたものの、それでも色眼鏡で見られているような気がしてあまり良い気のするモノではなかった。だけど天ヶ瀬さんの場合はそうではなかった。彼もまた幼い頃に母親を亡くし、きっと私のような片親の家庭で育った子が抱える特異な孤独感や喪失感を経験して、誰よりも理解しているのだと思っていたからだ。
そんな天ヶ瀬さんの経緯を知っていたせいか、彼が見せた態度はそこまで私の気分を害するモノではなかった。だからこそ私は変に気を病んでほしくなくて、なるべく明るい声を演じ、彼が余計な罪悪感を抱えこまないようにと言葉を付け足す。
「私、父親がいないんです。私が六年前に家を出て行ってしまって。ちょうど家族みんなでクリスマスパーティーをした数日後のことだったんですけど」
「……そっか、だから家族に楽をさせたいって言ってたんだな」
「はい。そうなんですけど、実はそれが一番の目的じゃなくて」
私たちの話し声以外の声が全く聞こえない車内に、次の目的地が迫っていることを告げるアナウンスが流れる。軋むような音が数回に分けて聞こえてきて、レールの上を走る電車が減速していくのが分かった。周囲の人たちは熱心にスマートフォンを眺めていたり、疲れ切った表情で今にも閉じそうな瞼の重さと戦っていたりと、誰も私たちの話には耳を傾けずに自分の世界に没頭している。そのことを確認して、私は今まで親にもプロデューサーにさえも、誰にも話してこなかったアイドルの世界に身を投じた本当の理由を言葉にした。
「……私がアイドルとして活躍して沢山メディアに出演できたら、何処かで父が見てくれるかもって思ったんです」
今となってはセピア色に染まりつつある、父の面影を思い出す。私の記憶に刻み込まれた父との思い出は決して多くはなかったが、その限られた父との思い出を私はこの六年間ずっと砂時計を眺めるように振り返り続けていた。
大きくてゴツゴツした手のひら、仕事から帰ってきてスーツ姿のまま私を抱きかかえてくれた時の温もり、いつも優しく私を見つめてくれた笑顔、そんな父との思い出を全て辿って、一通り思い出したらまた来た道を戻っていくように砂時計をひっくり返して––––、その動作を父が姿を消したあの日から今日までの六年間、飽きることなく永遠と繰り返してきた。そうやってさえいれば私は残された父との思い出を永遠に失くさずにすむような気がしていたからだ。
「もう以前のような家庭には戻れないかもしれませんけど、それでも何処かで父が私を見つけてくれて、何かの拍子でまた会えたらいいなって」
誰にも話さなかった私がアイドルになった本当の理由を聴いて、天ヶ瀬さんは感嘆とした表情で「すげぇな」と一言だけ口にして大きく息を吐いた。その視線が妙にこそばくて、私は頬が暑くなるのを感じながら視線を窓に向ける。普段私も天ヶ瀬さんにこんな視線を向けているのかな、なんて考えているといつの間にか停車していた電車のドアが開いて、外の肌寒い風が車内に入り込んできた。今度は電車を降りた人と同じ数ほどの人が乗り込んできて、新たに乗り込んだ人たちがそれぞれの間隔で腰を下ろすとドアが閉まり、再び電車が走り出す。
電車はホームを抜けて、また都会の摩天楼が広がる景色が戻ってきた。その景色を天ヶ瀬さんはじっと見つめている。いつもの何処か遠い世界を見つめている目だったが、彼の瞳は確かに私が見ている景色が映っていた。
「……絶対いつか親父さんに会えると思う。北沢、ほんとに頑張ってるから」
「だといいですけどね」
「俺が言うんだから間違いねぇって」
「なんですか、その自信満々な感じは」
何の根拠もないはずなのに、あまりにも断言するように言い切るものだから可笑しくて笑ってしまいそうになる。だけど不思議なことに、天ヶ瀬さんがそう言ってくれるならいつか本当に何処かで父に会えるような気がしてくるのだ。
天ヶ瀬さんの自信満々の言葉が、『会いたい』とただ願うだけだった私の想いを、『会える』という確信に昇華させていくのを感じた。不思議な言葉の力を持つこの人はやはり特別な存在なんだな、と改めて認識させられる。
「……ありがとうございます。いつか父に会えるように頑張ります」
「おう、応援してるぜ」
天ヶ瀬さんが得意げに笑って、私を見下ろす。その顔が何故かいつもより大人びて見えて、私の左胸の奥がドクンと脈を打った。同情なんかじゃない、気休めなんかでもない。そんなチンケなものじゃなくて、この人は本当に私が一人で抱え続けてきた想いを分かってくれているのだ。
いつの間にか私の胸は随分と軽くなっていた。それがずっと一人で抱え込んでいた想いを天ヶ瀬さんが少しだけ肩代わりしてくれたからだということに気が付き、申し訳なさと謎の幸福感の正反対の二つの感情が軽くなった胸の隙間を埋め尽くすようにじんわりと広がっていく。今までずっと自己完結ばかりを目指して生きてきたが、こうして誰かと一つの想いを共有するのも案外悪いものではないのかもしれないと、この時私は初めて思った。
「そ、そういえば天ヶ瀬さん! 私に嘘つきましたよね!」
初めて経験する感情に戸惑いを感じつつ、私はふと喫茶店での話を思い出して彼を問い詰めた。
「嘘って? 俺が?」
「はい、彼女いたことあるってこの前言ってたじゃないですか。それが幼稚園の頃の話だったなんて……」
「なっ……! 幼稚園でも保育園でもいたことにかわりはねぇだろ!」
「そうですけど、それをカウントするのはさすがに引きますよ」
「なんでだよ、本当のことじゃねぇか。あ、そういや北沢は弟さんにクリスマスプレゼントはもう買ったのか?」
「話逸らさないでください。まだ買ってませんけど……」
––––あぁ、私、とても幸せかもしれない。
電車が駅に停まって乗客が入れ替わっていくのと同じくらい、何気ないことで誰しもが経験するような日常だったとしても、天ヶ瀬さんと過ごす時間は宝石のようにキラキラと光る瞬間に思えて、私はその一瞬を一粒も欠けないように噛み締めていた。
これから先、何度季節が巡って来てもいつか大人になっても、私は天ヶ瀬さんと過ごした時間のことを覚えているのだろうと思う。無愛想な眼で遠くを見る横顔も、親しみのこもった笑顔も、彼の隣で心臓の音を必死に隠したことも、時間が止まって欲しいと月並みなことを願ったことも、天ヶ瀬さんの一つ一つの仕草や動作、私がその時何を思い何を感じたのかも、きっと全てが色褪せることなく脳裏に残り続けて、私はその情景を砂時計をひっくり返すように、何度もなんども振り返り続けるのだ。
その想いは私にとって、天ヶ瀬さんの一番の存在になりたい、誰よりも近い距離で彼の色んな顔を見てみたい、そして彼と一緒にこの大空を飛び回りたい、などといった傲慢で思い上がりな願望より、遥かに価値のあるモノに思えた。
––––どうかこの日常が永遠に続きますように。
窓の外に広がる夜の東京の街に向かって、私は密かにそう願い続けた。
★☆★☆★☆★☆
「あの、今日のライブ本当に良かったです。天ヶ瀬さん、素敵でした」
田中さんと別れ、北沢と一緒に帰ったあの日、別れ間際に北沢は少しだけはにかみながらそう言ってくれた。その感想をちゃんと伝えたくて、駅前広場で俺を待っていたのだとも。
面と向かってそんなことを言う北沢がやけに愛おしく感じて、恥ずかしくなった俺は何も言えなかった。北沢がかけてくれた言葉に見合う返事を言いたかったけど、思うように上手く言葉を選べなくて、ようやく思いついた何かを口にしようとした時、俺たちの間を遮断するように電車のドアが閉じてしまった。
あの時、俺は何を伝えようとしたのだろう。
咄嗟に頭に浮かんで、瞬く間に消えてしまった言葉の正体は、今となってはもう分からない。だけど、それは俺自身も気が付いていない心の奥底に隠した想いを代弁する言葉のような気がしていた。
寒い中わざわざ待っててまでライブの感想を言ってくれた北沢にちゃんと返事を言えなかったことを後悔しつつ、自宅に帰り着いた時、真っ先に部屋の隅に置かれたままになっていたオレンジの箱が目についた。カバンを定位置に置いて、確か今日のライブで着る衣装を探していた時に見つけたんだっけと記憶を辿りながら箱を開ける。中から顔を出したのは、やはり俺の予想通りのモノだった。
「……これ、どうすっかなぁ」
箱の中に入っていたのは、捨てるに捨てれなかった、新品のサッカースパイクだ。
サッカーを辞めてしまった今、きっと今後使われることはないだろう。だけどお気に入りのカラーリングのスパイクだったから、新品のまま捨てるのはどうにも勿体無い気がするし、かといってネットで売りに出すのも、それはそれでものすごく無粋なことのように思えて背徳感を感じてしまう。
暫くサッカースパイクの扱いにあれこれと頭を悩ませた後、俺は先ほどまで電車で一緒だった北沢との会話を思い出した。そしてすぐさまスマートフォンを取り出して北沢にLINEを送ったのだった。
「それで、なんですか急に」
十二月二十四日、クリスマスイブ当日。
どんよりとした灰色の空の下、事前に教えてもらった住所で待っていると、北沢が部屋着にエプロン姿の薄着のままバタバタと団地を降りてきた。寒そうに肩を震わしながら、挨拶も手短に北沢がそう切り出してくる。どうやら弟の迎えの時間までに一通りの準備を終わらせないといけなかったようで、そのタイムリミットまでもうあまり時間が残されていなかったらしい。
よりによって忙しい時に来てしまったと間の悪さを呪いつつ、俺はあまり時間をかけるべきではないと判断し、背中に隠していた袋をさっと北沢に差し出した。
「は? なんですかこれ」
驚いたようにキョトンとする北沢に、俺はおどけた声で返す。
「メリークリスマース! ジュピターの天ヶ瀬冬馬からのプレゼントだぜ」
「ぷ、プレゼント!? 私にですか?」
「そう。あと、弟さんにも」
「りっくんにも?」
「とりあえず開けてみろよ」
そう言うと、北沢は驚いて眼を見開いたまま俺から受け取った袋の紐を解いていく。最初に北沢が取り出したのは、俺のクローゼットで眠ったままになっていたサッカースパイクだった。
「これ、サッカーのスパイクですか?」
「それは弟さんの。俺がアイドルになる前に買って使わなかったやつだけど」
「いいんですか、新品みたいですけど」
「あぁ、結構気に入ってたから捨てるに捨てれなくて困ってたんだ。サイズは大きいから、いつか弟さんが大きくになってサッカー続けてたらその時に履いて欲しいなって思って」
「……ありがとうございます。りっくん、天ヶ瀬さんもサッカーも大好きだから喜ぶと思います」
「だ、だといいけどな」
北沢から大好きというフレーズが飛び出し、それが彼女の本心ではないと分かっていても何故か恥ずかしくなって、照れ隠しをするように虚空に視線を泳がせる。
そんな俺の気も知らない北沢は弟へのプレゼントを胸に抱き締めながら器用に袋の中を漁って、俺が北沢にと用意してたもう一つのプレゼントを引っ張り出した。
「に、似合うと思って買ったんだけど、どうだ?」
北沢が何かを言う前に、我慢できずに俺が先に口を開いた。俺が買ったのは北沢が39 Projectでイメージカラーとして当てられている白色のニット帽だ。女の子にプレゼントを買う経験なんてしたことがなかったため何を買えば良いのかなんて分かるはずもなく、一人で悩みに悩んだ俺は結局北斗の意見をそのまんまに(勿論北沢にとは言っていない)今年の冬に流行りだと勧められたニット帽をチョイスした。
しかし本当にこれで北沢が喜んでくれるのかと、そんな悩みが湧いて出てきて、俺は今日ここにくる直前までこのニット帽を渡すべきかどうかで悩み続けた。でも弟だけプレゼントを用意するのも不自然な話だし、何よりあの日ちゃんと言えなかったお礼を何かしらの形で返したいという想いが強く胸の中で渦巻いてて、俺は恥ずかしい気持ちを振り払って、ニット帽とサッカースパイクが入った袋に慣れない手つきでリボンを巻いたのだ。
「……嬉しいです。まさか天ヶ瀬さんからプレゼントを貰えるなんて」
恐る恐る顔を上げると、北沢は今まで見たこともないような満面の笑みでニット帽を大事そうに抱きしめていた。キラキラと光る北沢の瞳はまるで小さな子供のようで、その笑顔を見ている俺まで幸せな気持ちに包まれていく。どうやら初めて女の子のために用意したプレゼント選びは成功だったらしい。
「本当にありがとうございます。大事にしますね」
「いやいや、そんな大したもんじゃねぇから。でも喜んでもらえてよかった」
「だけどすみません、私は天ヶ瀬さんに何も用意してなくて……。その、良かったらこれからウチに寄って行きませんか? 母もりっくんから天ヶ瀬さんの話を聴いていて、きっと大歓迎だと思いますので」
「いや、それは申し訳ねぇから遠慮しとく」
せっかくの申し出だったがその誘いは断った。普段忙しい北沢一家が家族揃って過ごせる貴重な時間に俺が入り込むと、それこそ家族の時間に水を差してしまうような気がしていたからだ。
そうですか、と心底残念そうに北沢は口にして俯く。だけどすぐに何かを思い付いたように顔を上げると「少し待っててください」とだけ言い残して、俺の返事を待たずに団地の階段を走って登って行ってしまった。
肌寒い風が吹き抜ける冬空の下、待つこと数分。今度はゆっくりとした足取りで、だけど気持ちは急いでいるような矛盾した歩き方をした北沢が降りてきた。
「これ、良かったらどうぞ。こんなものしか渡せなくて申し訳ないですけど」
押し付けるように差し出された箱を、俺は何も言わずに受け取った。小さな白い長方形の箱はまるで空箱かと疑うほど軽く感じられる。箱を開けて中身を確認しようとすると北沢が慌てて制止して、それなら振って音を確認しようとすると、今度は先ほどより強い口調で止められてしまった。
「中身はケーキです」
「北沢が作ったのか?」
「はい、なので味の保証はできませんけど」
そう言うと頬を掻きながら視線を逸らした。先ほど俺がプレゼントを渡した時に照れ隠しで視線を泳がせた時と全く同じだと思って、思わず吹き出してしまった。そんな俺に「何が可笑しいんですか」と食い気味に訊いてくる北沢に俺は「似た者同士みたいだな」と返す。北沢は「何言ってるんですか」と首を傾げるだけだ。
遠くで鋭い声を上げて鳥が鳴いた。北沢の住む団地沿いの国道から、微かに都営バスのアナウンスも聞こえてくる。バスから降りてくる子供達の妙に弾んだ声が耳に届いて、北沢がクリスマスパーティーの準備で忙しかったことを思い出した。
「ケーキありがとな」
「いえ、こちらこそ。プレゼントまで本当にありがとうございました」
「気にすんなって。それじゃあな」
「あっ……、天ヶ瀬さん!」
踵を返した時、慌てて呼び止められて振り向いた。
北沢は何かを言いかけたようだったが、直前で止めた。その代わりに、両手を背中で組んで不慣れな笑顔でニコッと笑う。
「メリークリスマス。素敵な夜を過ごしてくださいね」
「あぁ。北沢もな」
俺たちはお互いに笑いあって、別れた。
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