エクストラエピソードなので本編には関係ありません。琴葉と恵美のその後のお話です。
遠くで今年一年の終わりを告げる除夜の鐘が鳴っている。一定の間隔をあけて叩かれる鐘の音は大晦日の夜に鈍く響き渡っていて、アタシの胸の中に重くのし掛かるようにじわじわと圧を与えてきているようだった。
その圧を軽減させようと、顎を炬燵のテーブルの上に乗せながら溜息を吐いてみる。だけど口から出てきたのは脱力感に溢れた吐息だけで、胸を締め付ける圧は少しも弱らなかった。何気なく点けたテレビで流れてる今年一年を振り返る特番も、全く興味が湧かなくて面白みが感じられない。テレビの中では昔から憧れていた有名モデルが今年の一年で自身に起こった出来事をランク付で紹介していたけれど、そのモデルの可愛らしい声は右耳から入って左耳から出て行くだけで、何一つ頭には残って行かなかった。
二度目の溜息。だけどやっぱり二度目の溜息も、空振りするようにブルーな吐息が出てくるだけだ。
「恵美、あんたさっきから溜息ばっかついてうるさいわよ」
台所から母の苛立ちのこもった言葉が飛んできた。アタシの悩みを何も知らないくせにと、思わずムッとなって私も応戦する。
「溜息ばっかって、まだ二回しかしてないもん」
「何が二回よ。アンタ朝からずっと溜息ばっかついてたじゃない」
「え? そうだっけ?」
アタシの屁理屈のような反撃もあっさりと返されてしまった。どうやら無意識のうちに何度も溜息を溢していたらしい。「なんならここ最近ずっと溜息ついてたわよ」と呆れたような口調で付け加えた母は、振り返りもせず器用に片手鍋の中を箸でかき混ぜている。換気扇が回る音に乗って、出汁の香りがアタシのいる居間にまで漂ってきた。その香りが鼻から肺の中に落ちて行って、今更ながら今日は大晦日なんだなと実感させられた。
「今日はずっと家にいるの?」
「うーん、分かんない。友達と初詣行くかも」
「そう」
母はそう尋ねてきたが、訊いてきたわりにアタシの予定にはさほど関心があるわけではなかったらしい。何気なく訊いただけだったのか、私の曖昧な回答に興味なさげな返事をしただけで、それ以上は何も訊かずにまたせっせと片手鍋の中で蕎麦の麺を解す作業に戻ってしまった。
そんな母の背中を見つめつつ、また溢れ出そうになった溜息を慌てて抑える。退屈になって何も面白みが感じられないテレビを流すように観ていると、木造の家の窓の外から再び除夜の鐘の音が聴こえてきた。
『多分、冬馬は琴葉ちゃんじゃなくて志保ちゃんが好きなんじゃないかと思ってたんだが』
『……恵美、私フラれちゃった。天ヶ瀬さんは私じゃなくて志保ちゃんのことが好きだったみたい』
除夜の鐘がアタシの胸の中で響き渡るそのたびに、数週間前の記憶が掘り起こされるようにしてフラッシュバックしてくる。琴葉とあまとうの二人を半ば嵌めるような形で置いてけぼりにした後、北斗と一緒にバスを待っている時に言われた言葉、そしてその日の夜に電話越しで聴いた涙ぐむ琴葉の弱々しい声––––。もう何週間も前のことなのに、あの日のことがずっとアタシの頭の中で渦巻き続けていて、事あるごとに脳裏に蘇ってきてはアタシの心を貪るように、行き場のない罪悪感が身体全体を侵食してくるのだ。
全て、アタシの勝手な勘違いだった。
そして良かれと思って琴葉を煽り、独断で起こした身勝手な行動が、結果として大事な友達を傷つけることになってしまった。
後悔と負い目、後ろめたさが一つの大きな負の感情の集合体となり、胸の内を激しく暴れ続ける。その自責の念にアタシの心は耐えきれず、かと言って自らの手で傷付けてしまった親友に合わせる顔もなければ掛ける言葉を見つけ出すこともできず、こうして自身が犯した過ちを後悔して悔いるばかり。取り返しのつかないことをしてしまったと、日を追うごとに波のように襲いかかってくる呵責が切り裂く胸の痛みに、アタシはひたすら耐え続けることしかできなかった。
(琴葉、怒ってるだろうなぁ……)
あの日以来、琴葉には一度も会っていない。もともと琴葉や未来、可奈たちは“階のスターエレメンツ”の放送直前なのもあって、年末ギリギリまで番宣や音楽番組への出演など、多くの仕事でスケジュールが詰め込まれていたから、三人とも殆どシアターに足を運ぶ暇がなかったのだ。現にクリスマス前に未来がほんの少しだけシアターに顔を見せにきたことがあっただけで、それ以外で三人がシアターにやってきたこと一度足りともなかった。
最初はその偶然を有り難く思ったりもしたが、ここまで時間が空きすぎてしまうと逆に気まずくなってしまって、次に顔を合わせた時にどんな風に接すれば良いのかが分からなくなってしまうものだ。遅かれ早かれシアターで顔を合わせる機会は訪れるのだろうけど、その時のことを想定すると今から少しだけ憂鬱な気分になってしまう私がいた。
––––あんなに楽しかった友達と一緒にいる時間を憂鬱に思うなんて。
あの日までは想像もしていなかった心境の変化に戸惑いを感じつつ、そんな自分に嫌気が差す。一番の被害者はアタシの勝手な勘違いで傷付いた琴葉のはずなのに、なんで加害者のアタシが被害者面をしているのだと。会う機会がない偶然に甘えて面と向かって謝ることもできず、こうして一人で塞ぎ込んでいる自分が卑怯者のように思えて、自己嫌悪に陥ってしまうのだ。
「恵美ー、アンタの携帯鳴ってるわよ」
背中から母の気怠げにアタシを呼ぶ声が聴こえてくる。極端にネガティヴな想いで胸が一杯だったせいか、炬燵から出ることさえも煩わしく思えて、アタシは母の声に聴こえてないふりをした。テレビではいつの間にか好きだったモデルではなく、今年の上半期に大ブレイクした芸人に切り替わっている。あれほど面白いと思っていた彼らの一発芸も、やはり今は何も面白みを感じれなかった。
「恵美! 携帯鳴ってるって言ってるでしょ! なに無視してんの!」
「もー分かったよぉ。今いくー」
怒りのこもった口調で再度呼ばれ、無視することを諦めたアタシは適当な言葉を返して炬燵から這い出ることにした。炬燵の中で温められていた足が暖房のついていない寒い部屋の気温に晒されて、ほどよい温度感を保って心地良く感じられる。重い身体を引きずるように一歩一歩台所へ向かうと、古びた木製のテーブルの上に置かれたままになっていたアタシのスマートフォンが煩い音を立ててアタシの到着を待ちわびていた。スマートフォンのバイブが古いテーブルを振動させていて、その音が台所に響いており、母が迷惑そうな眼差しでチラリとスマートフォンを見やる。早く出なさいよ、なんて無言の圧力をかけられているようで、そんな母の視線にウンザリしながらスマートフォンを手に取った。
だけど次の瞬間、スマートフォンの画面に表示されていた名前を見てアタシは思わず手放してしまった。ガシャンと更に煩い音を立てて、揺れ続けるスマートフォンがテーブルの上に落ちる。驚いたように肩を震わせた母の姿が視界に入ったが、その姿を気にも留めずに、私は恐る恐るスマートフォンを拾い上げて通話ボタンに触れた。
「も、もしもし」
『もしもし、恵美?』
電話の相手は琴葉だった。いつもと変わりない、よく透き通る琴葉の声を聴いて心臓がドクンと高鳴る。久しぶりに聴く琴葉の声の後ろからは、ガヤガヤとした喧騒と何処かで聞き覚えのあるアナウンスが聴こえてきた。どうやら外にいるようで、アタシは琴葉の声だけを拾えるようにとスマートフォンが当てられていない方の耳を人差し指で封じる。
「どうしたの? 外にいるみたいだけど」
『うん、今エレナと所沢に来てて。恵美、この後用事ある?』
「アタシは特にはないけど……」
『なら三人で初詣行かない? 私たち、所沢駅で待ってるから』
そう誘った琴葉の声は、悪意も悲壮感も感じさせない、いつもの優しい声色だった。
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「スゴーイ、人いっぱいダ! カーニバルみたい!」
「そうだね、本当に人いっぱい。エレナは初詣来るの初めて?」
「うん! いつもは大晦日寝て過ごしてたから」
「あはは、エレナらしいね」
所沢駅で合流したアタシたちは、駅から続く人混みに紛れて流されるように歩き続けた。
意外にも初めて初詣に来たらしく、人の多さに謎の感動を覚えるエレナの隣では琴葉がいつもと何も変わりない様子で楽しそうに笑っている。それは今まで私たち三人が過ごしてきた変わり映えのない日常のはずなのに、何故か今ばかりはその当たり前の光景に違和感を覚えてしまっていた。その違和感を拭えないまま、アタシは少しだけ距離をとって二人の様子を横目で盗み見るように眺めていた。
「ごめん、ちょっとお手洗い行ってくるネ!」
エレナが唐突にそう言い残してアタシたちの元から飛び出していったのは、三人でおみくじを引こうと話をした直後のことだった。思わず呼び止めそうになった時には既にエレナの背中は人混みの中に消えてしまっていて、沢山のおみくじが巻かれた木の前でアタシと琴葉は取り残されてしまった。お祭りムードが漂う神社でアタシたちの間にだけ気まずい空気が漂っていて、息苦しさから逃げるようにアタシは空を仰ぐ。年を跨いだばかりの空には月の明かりすら見えなくて、真っ暗な闇がどこまでも広がっているだけだ。山から降りてくる優しい風が、アタシの髪をさらっていく。乱れた髪を直そうと額に手が触れた時、琴葉がアタシを見つめていたことに気がついた。
「…………琴葉、本当にごめん」
まっさらな風に吹かれて、思わず言葉が溢れた。「何が?」と尋ねた琴葉はずっとアタシの言葉を待っているようだったが、アタシは次の言葉を見つけることができなかった。そんなアタシに助け舟を出すように琴葉は一度だけ目を瞬かせて、じっと瞳を見据えながら口元を緩める。
「私ね、ずっと憧れてた人がいたの」
「憧れてた人?」
突拍子もなくいきなりそう切り出され、アタシは風に揺られる草木のように首を傾げた。琴葉は「そう、憧れてた人」とだけ繰り返して、話を続ける。
「私が演劇部に入っていたことは話したよね」
「うん、高校の演劇部でしょ? 部長もやってたって」
「そうなの。その時に私が演じた役があってね、その役の子に私はずっと憧れていたの」
過去を回想するように目を細める。また山から風が降りてきてアタシたちの間を抜けていったが、琴葉は乱れた髪を気にも留めずにアタシの瞳を真っ直ぐに見つめていた。
「その子はね、何があっても誰のせいにしないで自分と向き合う強い子だった。きっと私が迷ったり悩んだりしてる間にも自分と戦っているような子で、その強さに惹かれて、私もこの子のようになりたいって思ってたんだ。誰にも明るくて優しくて、いつも強気で自信に満ち溢れていて、あの子みたいな人間になりたいって思って、変わるキッカケが欲しかったから私は39 Projectのオーディションに挑戦することにしたの」
高校の友達に勧められてオーディションに参加したとまでしか経緯を聴いていなかったため、この話は初耳だった。何も言わずにただ話を聴いているだけのアタシに語りかけるように、琴葉は更に言葉を紡いでいく。
「でも実際はそう簡単に変われるはずもなくて。そんな時に天ヶ瀬さんに会って、この人が横にいてくれたら私も憧れてたあの子みたいになれるのかなって、そんな漠然とした希望を抱いて、あの人の影に理想を重ねていたんだと思う」
––––だけど。
そう口にして一区切りすると、琴葉は額にしわを寄せて笑って見せた。その笑みを見て私は何故か無性に泣きたくなった。緩んだ涙腺を決壊させないようにと、ポケットに突っ込んだ掌を強く握りしめる。
「……そうやって誰かの影を重ねても誰かの言葉を借りても、結局私自身が変わることはできなかったんだよね」
その言葉はアタシに対してではなく、自分自身に言い聞かせてるようだった。琴葉は自分を卑下するように笑っていたが、その苦笑に後ろ向きの感情は込められていなくて、むしろ遠くの先までを見据えているような前向きな感情が見え隠れしているように思えた。
その達観した表情に胸を揺さぶられて頬に一滴の雫が垂れた。だけどその雫を拭うこともせず、アタシは琴葉の次の言葉を待ち続ける。琴葉は細めていた目を一度だけ閉じて、そして暫く閉じた後に何かを振り払うように開くと私に笑いかけた。
「私は結局憧れたあの子にはなれなかった。だけど恵美もエレナも、シアターのみんなも、今の私を受け入れてくれていて、それが本当の私なんだってことに気付いたの」
琴葉の後ろで、ずっと雲に覆われていた月が顔を出したことに気が付いた。それを合図にするかのように、憧れと決別する言葉を琴葉はハッキリと口にした。
「もう無理に変わろうなんて考えないで、今の自分を受け入れることにしたんだ。それからちゃんとした意味で、誰かの影に重ねたり誰かの言葉を借りるんじゃなくて、自分の足で一歩ずつ歩いて変われたらないいなって思って」
「……うん。うん!」
「恵美、こんな私を好きになってくれてありがとう。これからもよろしくね」
琴葉の最後の言葉がダムが決壊させたかように、目元から堪えていた涙がボロボロと溢れてくる。視界が滲んで琴葉の姿がハッキリと認識できなくなって、だけど確かに琴葉がアタシの前に立っていて、周囲に他の人たちが大勢いることさえも忘れて大泣きした。自分の勘違いで琴葉を傷付けてしまった罪悪感と、それでもアタシに「これからもよろしくね」と言ってくれる琴葉の優しさが胸の中で渦巻いて、ぐしゃぐしゃになった気持ちに流されるままアタシは涙を流し続けた。
「もう、恵美は涙腺弱すぎだよ」
そう言いながら身体を抱きかかえてくれる琴葉の胸の中で、何度もなんども「ごめんね」と謝罪の言葉を繰り返す。だけど琴葉は決してアタシを責めるようなことはせず、ずっと優しく頭を撫で続けてくれていた。
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静かなクラシックが流れる店内。薄暗い店内には珈琲豆の匂いが充満していて、何度もここを訪れていたはずなのに、何故か緊張してしまって未だに無意識のうちに背筋がシャンと伸ばしてしまう。その理由にアタシは気付いていたが、だからといってどうこうできる問題でもなく、為す術なく慣れない緊張感に包まれたまま、肩肘を張り続けることしかできなかった。
「何はともあれ良かったじゃないか。仲違いすることもなくて」
その緊張を引き起こしている張本人は、アタシとは対照的に微塵も緊張感を感じさせない優雅な手つきで、真っ黒な珈琲が入ったカップから唇を離す。一通りの経緯を話した後、北斗は気を抜けばあっという間に吸い込まれていってしまいそうな優しい眼で私を見下ろしながらそう言ってくれた。
「うん、本当に良かった。一時はどうなることかと思ったよ」
「琴葉ちゃん、良い子なんだな。きっと冬馬なんかよりもっと良い相手が見つかるよ」
「……ちょっと、まさか琴葉に手を出そうとしてるんじゃないだろうね」
「ははは、今度琴葉ちゃんの連絡先教えてくれよ。デートに誘ってみるから」
「相変わらずチャラいなぁ。ぜっっっったい教えないからっ!」
油断も隙もありゃしないと、わざとジト目で見つめてみたけれど北斗は相変わらず余裕のある顔つきを崩さないで笑っていた。口ではこうは言っているが、彼が誰よりも誠実で女の子に優しい人間だということをアタシは知っている。そして、そんな彼に初めて会った時からずっと恋心を抱いている自分の本心にも。
「ねぇ、北斗」
さりげなく名前を呼んでみる。北斗は綺麗に整えられた眉毛をピクリと動かして、視線を向けた。
「……アタシのことは、好きになってくれないの?」
卑怯な言い方だった。北斗は優しくて、「そんなことはないよ」と言ってくれると分かっていたからだ。
だけどアタシは知っている。北斗が絶対に「好きだよ」と言ってくれないことも、アタシの想いが一方通行だということも。どれだけ彼のことを想っても、彼はアタシを一人の女の子としては見てくれていない。マスカラなんかじゃ隠しきれないほど強くなったこの想いをぶつけても、北斗の背中には絶対に届かなくて、そのことが悔しくて切なくてもどかしくて、ただひたすらに苦しかった。
それでもアタシは彼と一緒にいたい。その一心で、こうして時折冗談交じりに胸に秘めた想いの一角を見せて、彼に振り向いて欲しいと願っている。琴葉に謝りたいと思っていたのに自分から何も言い出せなかったあの時と全く同じだった。
「そうだな、好きになるのは恵美ちゃんがもう少し大人になってからかな」
「え?」
予想していたのとは違う答えが返ってきて、アタシは思わず訊き返した。
北斗はカップに残っていた珈琲を一気に飲み干すと、呆気にとられたアタシを尻目にゆっくりと席を立つ。そして背もたれにかけていたコートに袖を通し、帽子を目深に被った。
「でも、今の仲間想いな恵美ちゃんも俺は好きだよ」
帽子のツバから覗き込むような瞳でウインクをし、「今から撮影だからお先に」とだけ言い残してそのまま店を出ていってしまった。ポツンと残されたテーブルには少し多めの代金が置かれていたことにも気が付かず、アタシは遠退いていく北斗の背中をずっと眺め続けていた。
あれほど遠く感じた北斗の背中に、ほんの少しばかり近づけたのかな。そう思いながら。
琴葉のシルエットを聴いていて思いついた話で、実は琴葉メインの長編を投稿しようとプロットを立てていたこともありました。
童話の青い鳥のように、変わりたい一心でアイドル活動を始め、理想を追い求めてあれこれチャレンジするけど、結局素の自分を受け入れてくれる周りの環境に気が付いて本当の自分を見つけ出す……といった内容です。
だけどそれを長編にするほど話を広げられず、ずっと温めるだけで結局このような形で投稿することになってしまったのは自分の力量不足です。委員長ごめんよぉ……。
今回は当て馬のようにポジションにしたり、Twitter上で散々重い発言をネタにしてましたが、琴葉のことは好きです。シルエットを初めて聴いた時はのインスパイアされたような衝撃を今でも覚えてるほどに。
今後、何かしらの形で彼女のエピソードも書けたらいいなと思っています。まぁしじみ汁は嫌いですけどね。
次から本編に戻ります。