【完結】ニタモノドウシ   作:ラジラルク

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アイマスの闇落ち回はもはや伝統芸で切っても切れないモノだから、仕方ないよね。
何故か今日休みになって週末仕事になったので怒りの初投稿です。





 どのくらいの時間、私は雪に埋もれていたのだろうか。まだ数分のことのようにも思えるし、もう何年も前からここで世界の終焉を待っているような気もする。だけどいつまで経っても世界の終焉は訪れず、いつの間にか荒々しかった吹雪もおさまっていて、今は静かにゆったりと、だけど着実にこの街を覆い尽くそうとする雪が降り注いでいた。

 ふと自分の腕を見てみると、自分が着ていたはずのコートが何色だったかさえ分からなくなってしまうほどに真っ白に染まっていることに気が付いた。とうの昔に神経が行き届かなくなった指先を突き刺すように立てて、腕に触れてみる。すると人差し指の第一関節の辺りまですっぽりと雪に埋もれてしまって、その積もった雪だけが私がここに流れ着いてから長い時間が経過していたことを証明していた。

 

 ––––私のしてきたことって、一体何だったんだろう。

 

 そんな漠然とした疑問が、ふと浮かび上がってくる。

 家族全員が幸せに暮らせていたあの頃に戻りたくて、きっとそれは私だけじゃなく母も陸も願っていることだと思い込んで、私はアイドルになった。アイドルとして活躍すれば何かと制限の多い中学生の私でも家族に経済的支援をすることができるし、何処かでアイドルになった私を見た父が戻ってきてくれるかもしれないと、その一心で。だけどそれは私が本当にしたかったことではなく、「私が夢を叶えなければ」、「私が六年前から止まっている北沢一家の時計の針を動かさなければ」、そんな風な半ば脅迫観念のような感情だけが私をひたむきに突き動かしていたことに気が付いた。要するに私は特別アイドルをやりたかったわけでもなく、夢を叶える手段の一つとして、もしくは一種の使命感や義務感でアイドルをやっていただけなのだ。

 だけど私の走る道を照らしていたはずの標識が消え去り、今まで積み重ねてきた時間と労力が全て無価値なものだったと判明した今、私がアイドルを続ける理由は失くなってしまった。すると途端に北沢志保という人間から多くのものが抜け落ちてしまい、その結果アイドルではなくなった、夢を失った己自身には恐ろしいほどに何も残らなかったことに気が付いたのだ。

 目標も夢も失った今の私は、これから何処に向かって歩いていけばいいのか。何に生きる意味を見出せばいいのか––––。次から次へと止めどなく雪が落ちてくる灰色の空を真っ白な画用紙に例えてみて、私のこれからの未来を描いてみる。暫くあれこれと考えながら空を睨んでいたが、灰色の紙の上には線一つ描かれることはなかった。

 

「……悲しいくらい、なんにもない」

 

 自分の未来が全く想像できない。

 どんな風に生きていくのか、どんな大人になるのか、一欠片もイメージが湧かない。

 思わず自虐交じりに笑ってしまった。私は一体何て価値のない人間なのだろうと。

 この時になって初めて北沢志保という人間が中身を持たない空っぽな人間だったのだと思い知らされた。家族のため、父に会うため、その一心で今日まで走り続けてきたが、結局は誰かの人生に自分を投影していただけで、実際は自分のやりたいこと、叶えたい夢なんて何一つ持ち合わせていなかったのだと。

 幾億幾千の雪が降り注ぐ中、私たちがまだ幸せに暮らしていた頃に住んでいたマンションの窓から溢れる灯りが一際輝いて見える。その灯りの先に、私は幻覚を見た。

 私たちがかつて暮らしていた部屋で、名前も知らない家族たちが楽しげに食卓を囲んでいる。その様子を、私は俯瞰して見つめていた。

 温かい母の手料理、仕事から帰ってきたばかりのスーツ姿の父、楽しげに今日一日の出来事を両親に話す子供たち––––。外はこれほどまでの雪に覆われているというのに、このマンションの一室だけは一切冷気を受け付けていないような、それこそ遠く離れた別世界のように暖かな温もりに溢れていた。

 その優しい幻覚がふと消えて、情景が切り替わる。次に私が見たのは、狭いはずの居間がやけに広く感じられる団地の一室で、一人寂しく冷たい料理を食べる自分の姿だった。母も父もいない、誰もいない居間で一人寂しく食事をとる私の顔は、悲しいほどやつれていて、憔悴しきっているように見える。私だけの居間の空気は大雪に覆われた外の世界より遥かに冷たくて、それは先ほどまで私が見ていた幻覚とは相反する孤独な世界だった。

 いつの間にか幻覚は消え去り、私の意識は高台の公園に戻ってきていた。私の腕には先ほどより倍近い量の雪が積み重なっており、その量を確認しようとしたが私の指はとうの昔に機能停止していたのか、神経が行き届かずにピクリとも動かない。スローモーションのように降り注いでは私を埋めようとする雪に囲まれた私の身体には、もう感覚が殆ど残されていないことに気が付いた。

 

 ––––このまま私は雪に埋もれて凍死するのだろうか。

 

 身体の芯の部分に僅かに残された意識で、そうだったらいいなと思った。生き続けたところで先ほど見た幻覚のような優しい世界に私は絶対に辿り着くことができない。生きている意味も、私が存在する価値もない、なら生きていても死んでいても同じことではないだろうか。

 世界の終焉を待つ高台の公園で一人、辛うじて残った意識を振り絞って天に祈る。どうかこのまま、雪に埋もれて私という存在が消え去ってしまうようにと。

 

 誰もいなかったはずのこの世界を踏み荒らすような騒々しい足音が聞こえてきたのは、私がそう願った直後のことだった。

 

 

 

★☆★☆★☆★☆

 

 

 

 根拠のない直感だったが、北沢の行く宛は予想が付いていた。

 数時間前の夕暮れ時にゆっくりと歩いた道を、そのまんま逆走するかのように全速力で駆けていく。相変わらず雪は降り続いていたが、そんなものには目もくれず、お構いなしに走り続けた。身体中から出るアドレナリンが、寒いだとか冷たいなどといった感情を一切排除しているかのようで、俺の意識の中にあったのは、北沢の姿だけだった。

 一面白に染まった誰もいない真っ暗な東京の街を走る間、何度も脳裏に浮かんだ北沢の姿は一人きりで、地平線の先までずっと続く道を途方もなく歩き続ける姿だった。北沢はあの小さな背中に数え切れないほどのモノを背負い込んで、今日までとてつもなく果てしない旅路を歩いてきた。自分の母にさえも打ち明けなかった想いを胸に秘め、家族の幸せだけを願い歩き続けたその旅路は、どれほど過酷で壮絶な道のりだっただろうかと思う。そして、背負ってしまったモノの重さに潰れることもなく、今日まで歩き続けた彼女は、本当に優しくて強い人間だったのだとも。

 きっと俺なんかじゃ北沢が歩んできた道のりも、抱え込んだ多くのモノの重さも、彼女の苦しみの一つさえも理解することなんてできない。だけどそれでも俺は北沢を支えてやりたいと思った。少しでも彼女の背中に積み重なったモノを肩代わりして、彼女が長い旅路に疲れたら一緒に足を止めて休んで、そしてまた果てしない道をいつまでも北沢の隣で一緒に歩き続けたいと。

 そう無意識に思った時、俺は初めて自分の気持ちに気が付いた。あの不器用にしか生きれなくて、でも本当は誰よりも優しくて胸の内には熱い情熱を灯している、そんな北沢志保という人間に心底惚れ込んでいたのだと。好きとか気になるとか、そういった段階をいつの間にか超越して、俺は北沢志保という存在を愛していたのだ。

 だからこそ、俺自身の手で北沢を守りたいと強く願った。喫茶店で話したあの日、北沢が俺が手に握りしめていた錯覚に近い感覚を確信に変えてくれたように、俺も少しでもいいから彼女の力になりたい。その想いだけが、行き道の上を走る俺の足を突き動かす。雪が着込んだコートの上からどれだけ染みこもうが、とてつもない寒さにどれだけ身体の感覚を奪われようが、俺は走り続けた。きっと北沢が味わった辛さは俺が今感じている辛さの比にならないほどのモノなのだと、そんな気がしていたからだ。

 

 一時間半もかけて歩いた道をその半分足らずの時間で走破した俺が辿り着いたのは、亡くなった北沢の父との思い出の場所であり、俺と北沢が初めて出会った高台の公園だった。

 疲れた足で急斜面のぬかるんだ階段を踏み外さないように、だけど一秒でも早く駆け上がれるように俺は一歩一歩確実に進んでいく。いくつかの階段を超えた先で視界が開けると、そこにはまるで雪国ような真っ白な世界が広がっていた。人っ子一人いない真っ白な世界を一定の間隔を開けて佇む街灯が照らしており、その灯りの中には今もなお空から落ち続けてくる雪が浮かび上がっている。時間の流れが止まっているかのような静寂に包まれた公園にゆったりとした風が吹き抜けた。その風に乗って雪に埋もれた草木と、積もった雪の入り混じって匂いが、鼻の奥に入り込んでくる。耳たぶを叩く風は冷たかったが、不思議と俺が感じた匂いは暖かい。

 都会の騒音とは無縁の、ゆっくりと時間が流れる幻想的なこの世界の端に、ポツンと取り残されたようにベンチに座る人影が見えた。俺は乱れた呼吸を整えながら、人影の元へと向かった。

 

「北沢?」

 

 俺の声が半信半疑だったのは、雪だるまのように雪を被ったこの人影が北沢だという確証が持てなかったからだ。積もっている雪を気にもとめず、地蔵のように虚空を眺めていた人影の首が長い金縛りから解かれたように、ゆっくりと動いた。その拍子に雪崩のような音を立てて頭上に積もっていた雪が落ちていく。雪の下からは水分を含んだ黒髪が顔を出した。

 

「……天ヶ瀬さん?」

 

 俺の名前を呼ぶ北沢の声は、そよ風にもかき消されてしまいそうなほど弱々しい声だった。俺を見上げる北沢の顔は憔悴しきっている上に真っ白で、生気が全く感じられない。俺はその顔色に見覚えがあった。幼い頃、病院のベッドの上で最後に見た生前の母の顔色とソックリだったのだ。

 嫌な胸騒ぎがする。何か北沢が良くないことを考えていたのではないかと、そんな予感が脳裏をかすめた。

 

「何してんだよ、こんなところで。風邪引くぞ」

「そういう天ヶ瀬さんこそ何してるんですか」

 

 質問をそのまんま訊き返されて、俺は素直に告白した。

 

「……さっき北沢ん家に行ってきたんだ。そこで全部聴いたぜ。お父さんのことも。あとアイドルを辞めるってことも」

「そうですか」

 

 まるで他人事のように北沢は返すと、再び視線を虚空に戻す。北沢の次の言葉を待っている間にその視線の先を追うと、北沢は虚空をただボンヤリと眺めていたわけではなかったことに気が付いた。

 北沢の虚ろな瞳は、ここから遠く離れた位置にあるマンションを捉えていた。そのマンションは、以前ここで北沢と話をした時に、北沢一家がまだ四人で暮らしていた頃に住んでいたのだと教えてくれたマンションだった。

 

「天ヶ瀬さん」

 

 遠い世界を眺める眼差しでマンションを瞳に映したまま、北沢がボソリと呟いた。

 

「……私はこれから、どうやって生きていけばいいのでしょうか」

 

 そう問われ、俺の胸は張り裂けそうなほどに一杯になった。

 アイドルを辞めるとか辞めないとか、母親を許すとか許さないとか、もうそんな次元の話ではなくなってしまっていた。北沢の人生の中で目標や生き甲斐などといった要素の大多数を父親が占めていて、アイドルになったことも、些細な日常も、きっと全てが父親に直結していたのだ。その父親が他界していたことを知り、北沢の日常の殆どが無価値なモノへと成り下がってしまった今、生きる糧と言っても過言ではなかった父の存在に代わる目標が安易に見つかるはずもなくて、北沢は路頭に迷ってしまっていた。

 新たな指針なんて見つかるはずがないと思った。人生を賭けてまで手に入れたい、叶えたいと思うほどの夢が、そう易々と次から次に湧いて出てくるわけなんてないのだから。大半の人が大きな夢を持つことなく年を取っていくという話を聞いたことがある。理由やキッカケはどうであれ、人生で一つでも夢中になれる“何か”が見つかればそれだけで幸せなのだとも。そんなことを言われている夢のない今の時代に、その二度目があるとは到底思えなかった。

 北沢の頬に一滴の煌めきが伝う。それは涙ではない、彼女の上に降り積もった雪の一部が溶けて水滴となっただけだった。北沢は一滴も涙を流していなかった。泣くという感情を遥か昔に通り過ぎてしまったかのように、ただただ疲れ果てた瞳で、かつての自分たちが住んでいたマンションを見つめ続けていた。

 

「私が今までやってきたことって、結局全部無駄だったんですよね」

 

 母親と同じ、淡々とした口調で北沢は語り続ける。

 俺は何も言葉をかけることができず、北沢の語り口調を聴くことに徹することしかできなかった。彼女の言う通り、死んでしまった父に会いたいために始めたアイドル活動に意味があったのかと問われても、同情以外の意味で「あった」とは言えなかったからだ。

 

「……こんな想いをするくらいなら、アイドルなんてならなきゃよかった」

 

 今までの淡々とした口調ではなく、今度は心底後悔しているような声色だった。その言葉が鋭い凶器となって、俺の喉の奥に突き刺さった。グサリと突き刺さった喉の奥から北沢が抱えている哀しみや絶望が、気管を通り抜けてゆっくりと肺に落ちてくる。あっという間に俺の肺の中に広がっていった底知れぬ絶望の闇の深さに、思わずゾッとして鳥肌が立った。

 

 ––––北沢は、こんな重いモノをずっと抱え込んでいたのか。

 

 初めて知った北沢の抱えていた闇の想像を絶する重さに、無性に目頭が熱が帯びていくのを感じた。

 こんなとてつもない闇に押し潰されずに、真っ暗な闇の中でも僅かな希望を見出して今日までずっと走ってきたのに、結果として何一つ報われなかった。僅かな光も、その光を信じて費やした努力も時間も、全てがあっという間に闇に飲み込まれてしまい、跡形もなく消え去ってしまった。

 

 ––––こんな酷な話があっていいのかよ。

 

 無情で非情な、あまりにも残酷すぎた現実。

 だけど俺は北沢に何も言葉をかけてやることができず、酷すぎる現実を恨むことしかできなかった。

 

「天ヶ瀬さん、今まで色々とありがとうございました」

「…………北沢?」

 

 北沢の座るベンチの隣で寄り添う街灯の灯りが、北沢の綺麗な鼻に影を作っている。その影が、やけに深い漆黒の闇のように映った。

 北沢が俺の方を向いた。生気のない視線が、ボンヤリと俺の顔を見つめている。ずっと胸の片隅にあった嫌な予感が、確信に変わろうとしていた。北沢の表情が妙に晴れ晴れとしていて、何かを覚悟したような顔つきをしていたのだ。

 

「どういう意味だよ、それ」

 

 心臓が高鳴っている。北沢は清々しい表情で笑っていた。

 

「私に、もう構わないでください。独りきりにさせてほしんです」

「……独りになって、何をする気だ」

 

 寒さなんかよりもっと嫌な鳥肌が立った。なんとなくではあったが、北沢の考えが読めてしまった。だけどその推測を俺の心が全力で拒絶している。その言葉を耳にしたくないと、心が叫んでいた。

 

「もう、疲れたんです」

 

 大きな溜息を吐いて、北沢は虚ろな眼で瞬きをした。

 そして、

 

 ––––このまま死なせてください。

 

 聴きたくなかった言葉が北沢の口から白い息と共に溢れ出た瞬間、俺の身体が反射的に動いた。背負っていたリュックを真っ白な雪原の上に放って、二メートルもない距離にいた北沢に手を伸ばす。たった二メートル弱の距離が、凄まじく長い距離に感じられた。

 

「志保!!」

 

 長く感じられた距離を飛び越えた俺は、気が付けば雪を一身に被った北沢の身体を捕まえていた。

 北沢のことを初めて名前で呼んだことも、想像よりも遥かに華奢で小さかった身体に初めて触れたことも忘れ、俺はひたすらにあまりに多くのモノを背負い過ぎてしまった北沢の背中を、何処か遠くに行ってしまわないように強く抱きしめていた。小さな北沢の身体の芯が微かに振動している。その震えが寒さのせいなのか、今まで一人で背負ってきたモノの重さに耐えかねていたからなのか、定かではなかったが俺はどちらでもあるような気がした。

 こんな小さな身体で大切な人たちの幸せを願うあまり、どれだけの自分を犠牲にしてきたのだろうか。北沢が抱え続けてきたモノの重さが、小刻みに震える彼女の小さな身体から全身に伝わってくる。

 思わず涙ぐんで、俺は鼻を啜った。初めて実感した北沢が背負い続けてきたモノは、明らかに中学二年生の女の子が一人で背負い切れる規模のモノではなかったのだ。

 

「家に帰りたくないんだったら俺ん家にいろよ。もう頑張らなくていいから、これ以上頑張る必要なんか何もねぇんだから。だからそんなこと二度と言うなよ」

 

 自分の声が震えていて、俺はいつの間にか泣いていたことに気が付いた。だけど涙を拭うことができなかった。今北沢を抱きしめている手を離したら最後、北沢が何処か遠くに行ってしまうような気がしていたからだ。

 俺の首元に、ひんやりとした感触が伝ってくる。その次の瞬間、俺の首元に顔を埋めた北沢が声を上げて泣き始めた。あれほどまでに冷静で感情を露わにしなかった北沢が、幼い子供のように感情を爆発させて泣き叫んでいる。次から次に首元に北沢の涙が溢れてきて、まるでずっと水を溜め込んでいた堰が決壊したかのように、止めどなく涙が俺の首元へと流れてきた。

 俺は北沢がこの六年間で溜め込んでいた涙を、ただただひたすらに受け止めることしかできなかった。抱き合ったまま大声をあげて泣く俺たちを包み込むように、雪は非情なまでの冷気をまとって降り続けていた。

 

 

 

★☆★☆★☆★☆

 

 

 

 その後、俺は北沢を家に連れて帰った。頭の整理ができるまでずっと家にいて良いし、遠慮はしないでほしいと、そう申し出ると北沢は本当に行くアテがなかったのか、憔悴しきった顔で静かに首を縦に振った。

 家に帰り着き、北沢に大きなバスタオルを渡して無理やり風呂場に押し込むと、俺は真っ先に北沢の母へと連絡を入れる。遅い時間だったが、呼び出し音の後にすぐに電話に出た北沢の母に事情を説明し、暫く俺の家に居させてもいいかと訊いてみると、北沢の母は二つ返事で了承してくれた。だがその代わりに北沢が俺の家にいることで負担がかかる生活費を払わせて欲しいと申し出てきて、さすがに気が引けて断ったが、妙に頑固なところは娘にそっくりだったようで、北沢の母は最後まで「それはできません」の一点張りで俺の断りを受け入れてくれなかった。結局最後は北沢が風呂から上がってくる音が聞こえたのもあり、俺は折れる形で北沢の母の提案をうやむやなまま承諾してしまった。

 

 その日、俺たちは小さなシングルベッドで二人肩を並べて眠った。隣から北沢の匂いが漂ってきて、妙にドキドキして眠気が遠退いた時間もあったが、大雪の中走り回った疲れもあってか俺は北沢が眠りにつく前にいつの間にか深い眠りに落ちていってしまった。

 深い眠りの中で、久しぶりに母の夢を見た。

 夢の内容は覚えていない。夜中に目が覚めた瞬間、頭の中から弾き出されてしまうかのように、夢の内容がスッポリと抜け落ちていってしまった。だけど、懐かしい記憶でとても暖かな夢だったことだけは微かに覚えていた。

 ふと窓の外を見ると、灰色の空の合間からは三日月がひょっこりと顔を覗かせていて、東京の闇を優しく照らしていた。その月明かりに照らされた北沢の寝顔をチラリと確認してみる。俺が眠った後も暫く一人で泣いていたのか、俺の腕を抱き締めながら小さな吐息を立てて眠る北沢の目元には、うっすらと乾いた涙の跡が残っていた。

 

 

 

『ねぇ、なんで僕たちがジュピターって名付けられたか知ってる?』

 

 ふと北沢の寝顔を見ていると、いつの日かの翔太の言葉が記憶の底から湧き上がってきた。あれはまだ俺たちジュピターが結成されて間もない頃、翔太が何故黒井のおっさんが俺たちにジュピターと名付けたのか、その理由を訊いてきたという内容の話だったはずだ。

 

『木星って太陽系の中でも特に大きな惑星で、地球の三百倍の重力があるんだって。だから三百倍の力で人を惹きつけれるようにって想いが込められてるらしいよ』

 

 初めて知ったユニット名の由来に関心する俺の隣で、北斗が黒井のおっさんの話に言葉を付け足す。

 

『それに加えて、重力が強すぎる木星が太陽系外から飛来してくる小さな彗星たちを引きつけてくれるおかげで、この地球へ衝突することを防いでくれているんだよ。もしかしたら翔太の聞いた理由だけではなく、大切なエンジェルちゃんたちを守れるくらい強い存在になれって、意味合いもあるのかもね』

 

 二人の話を聴き、俺はジュピターの明確な活動目標を定めた。

 

『だったら、俺らはジュピターの名に相応しいアイドルになろうぜ。沢山の人を惹き付けて、笑顔を守れるようなアイドルに!』

 

 きっと俺たちならジュピターの名に恥じないアイドルになれる。数え切れないほどのカタチない哀しみや涙をさらって、満点の星空を多くのファンに届けれるような、そんな高貴なアイドルに。

 ––––そのはずだったのに……。

 

 

 

 「…………何がジュピターだよ。何がアイドルだよ」

 

 いつの間にか北沢に向けた視界が潤んでいて、俺の眼からはポロポロと涙が溢れていた。

 アイドルとは時に誰かを勇気付けたり、時に不特定多数の人間に元気を与える存在だ。他のアイドルたちがどのようなアイドル像を描いているのかは分からないが、少なくとも俺たちはそういったアイドル像を根底に持って、それこそ黒井のおっさんが俺たちに与えてくれたジュピターの名に相応しい存在になれるように今まで心掛けていたつもりだった。

 それなのに、俺はこんな身近にいる大切な存在さえも助けることすらできない。励ますことも、勇気付けることも、守ることさえもできず、自身の無力さを誤魔化すように抱き締めることしかできなかった非力な自分が虚しくて、腹立たしくて、もどかしくて、悔しくて仕方がなかった。

 俺は北沢を起こさないようにと必死に唇を噛み締めながら、溢れてくる涙を一度だけ拭って窓の外の月を見上げる。どうすれば俺は北沢を救うことができるのか、その答えを求めるように見上げた月は、「自分自身でその方法を見つけろ」と言わんばかりに、すぐに灰色の分厚い雲に隠れてしまった。

 朝が来るまで俺は答えを見つけられないまま、一人で悔し涙を流し続けていた。




NEXT → Episode Ⅶ : 俺と私のPlanet scape

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