【完結】ニタモノドウシ   作:ラジラルク

35 / 66
書き溜め、プロットを誤って消した後に新たに書き下ろすと99%の確率で「あれ?こんな話だったっけ」となるので初投稿です。
関係ないけど、アイドル同士でもっとギスギスしてほしい。




 田中さんに連れられてやって来たのは、俺たちのいる二階から更に上の階へと続く薄暗い階段だった。劇場に三階なんかあったっけと疑問に思う俺に構うこともなく、田中さんはか弱い照明だけが照らす階段を一段ずつ登って行って、その頂上の踊り場で俺を見下ろすかのように待ち構えていた重そうな灰色のドアに手を掛ける。鈍い音を立ててドアが開かれると、一気に外の冷気が階段全体にまで入り込んできた。外の匂いと薄暗い階段に募っていた埃っぽい空気が肺に広がって、俺は思わず肩を縮ませながらポケットに手を突っ込む。そんな俺とは対照的に、田中さんは一切寒さを感じていないかのようにピンと背筋を伸ばしたまま、ドアを半開きにして俺が登ってくるのを待っていた。

 

「屋上……?」

 

 半分だけ開いたドアの先に、昨日からずっと空を覆っている灰色の雲たちが見える。階段に響いた俺の声に田中さんが静かに頷いて、ドアから手を離して足跡が一つもない屋上へと足を踏み入れた。いまだに見慣れない後ろ姿を追って、俺も慌ててドアの向こう側へと飛び出していく。

 

「あそこ」

 

 昨日から全く人の出入りがなかったのか、田中さんは足跡一つないまま雪が積もった屋上の端までゆっくりと歩いていくと、柵に肘を乗せてある一点を指差した。だけどその指の先には真っ白になった芝生公園が広がっているだけで、俺は田中さんが何を指しているのか分からなかった。訊き返そうとした矢先に、田中さんの口から白い息吹が溢れ出る。

 

「あの大きな樹のところで、いつも志保ちゃんが自主練してたの」

「自主練?」

「そう。レッスン前もレッスン後もあそこでずっと独りで。ここから私たちが見ていることには気が付いていなかったみたいだけどね」

 

 田中さんの白い指が公園の隅にある大きな樹を指していたのだと分かっても、俺はイマイチ話の脈絡が分からなかった。適当な相槌を打ちながらふと田中さんの横顔を覗いてみる。腰まで伸びていた髪はバッサリと切られ、短くなった髪が顔の輪郭を浮き彫りにさせている。鉛筆で線をなぞったようにくっきりとした端麗な横顔が、やけに大人びて見えた。

 

「正直に話すと私、最初は志保ちゃんのこと苦手だったの」

「え?」

 

 そう口にした瞬間、屋上に潮の香りを含んだ風が吹き抜けて田中さんの口から出た白い息を拐っていった。短くなった髪が風になびいて揺れているが、まるでそんなことには気にも留めない様子で北沢が自主練をしていたと教えてくれた大きな樹を田中さんはジッと見つめている。

 

「なんか近寄り難いし、愛想も全くないし、協調性とかひどいくらいなかったし。それに以前アリーナライブの練習中に可奈ちゃんと喧嘩して、そのまんま辞めさせようとしてたって話も聴いてたから」

 

 ––––あれ、田中さんってこんな人だったっけ。

 息を吐くようにスラスラと北沢への辛辣な言葉が出てくる田中さんを見て、思わず引いてしまった俺は何も言えなかった。

 

「……まぁ、それは尾びれが付いた噂話だと思うけど。奈緒ちゃんもちょっとニュアンスが違うって、否定してたし」

 

 奈緒ってのが誰かは分からないが、話の流れから推測するに北沢と同じアリーナライブにバックダンサーとして出てたメンバーの一人なのだろう。

 アリーナライブというのフレーズと紐付けされていたかのように、パッと記憶の隅から喫茶店で北沢と話をした時の会話を思い出した。確かメンバーのうちの一人が辞めたいと言い出して、その子を巡って天海と揉めたとかそんなことを話していた気がする。北沢は辞めたいと言っていた子を連れ戻すために時間を割くくらいなら、少しでもレッスンをするべきだと。確かそういった内容の話だったはずだ。もしかしたらその辞めたいと申し出た子が、田中さんが言う矢吹可奈で、そう言い出したキッカケとして北沢が何かしら関わっていたのかもしれないと思った。

 

「でもそんなんだから、私は本当に志保ちゃんが苦手で。私だけじゃなくて志保ちゃんのことをよく思っていなかったメンバーって実は他にも大勢いたの。志保ちゃんと近い歳のメンバーの間では特に浮いていたみたいだし」

「……そう、だったのか」

 

 自分の肩がこわばるのが分かった。プロデューサーの話とホワイトボードに書かれたメッセージを見て、てっきり北沢が劇場の皆に受け入れられているとばかり思っていたが、事実は異なっていたらしい。血の気が引いていく気がした。田中さんの言葉が心に小さな傷が付けて、その傷に肌寒い風が触れるたびに心が痛みを覚えていく。見たくなかった女の陰湿な世界を覗いてしまったような気がして、こんな胸が痛くなるような話を聞かされるくらいなら、誘いを断って帰っていれば良かったとひどく後悔した。

 すると田中さんはゆっくりと体を反転させて、柵に背を預けて俺の方を向きなおした。俺の目を見つめる顔ははにかんでいて、嫌な世界の話をしていたはずなのに、自然とその笑顔に嫌味は感じられない。北沢を攻撃するようには思えない、穏やかな表情をしていた。

 

「“階のスターエレメンツ”、見てくれた?」

「え? あ、あぁ。録画して見たけどそれがどうしたんだよ」

 

 唐突にそう訊かれ、俺はぎこちなく答えた。

 “階のスターエレメンツ”は田中さんや春日未来、そして先ほど話にも上がった矢吹可奈らが出演した、トップアイドルを目指しぶつかり合う女の子たちを描いたドラマだ。夏過ぎにドラマの番宣の抱き合わせの形で俺たちジュピターもインタビューを受けていたからドラマの存在は知っていたし、年末に放送されたオンエアも録画して後日ちゃんとチェックしていた。

 だけど、それが北沢とどう関係あるのか。そんな疑問を抱く俺に、田中さんは穏やかな顔つきのまま淡々と話を続ける。

 

「あのドラマで草薙星蘭を演じて、ちょっと分かったんだ」

 

 草薙聖蘭。

 田中さんがドラマで演じていた役で、トップアイドルを目指すアイドルの一人だった。無愛想で他人に冷たくて、だけど胸には誰よりも熱い想いを秘めていて、それ故に自分の夢に必死なあまり余裕がなくて––––。

 確かに言われてみれば北沢と共通する部分が多い役だったような気がする。人付き合いが妙に武器なようなところとか、瓜二つだなと今更ながら思った。

 

「きっと志保ちゃんにも聖蘭のようにどうしても叶えたい願いがあって、そのために色んなモノを削って生きてるんだなって。その想いが強すぎて、ちょっと周りが見えてなかったのかもってね」

 

 だから……、と紡いで一呼吸おくと、田中さんは視線を逸らして俯いた。次の言葉を探しているのか、ブーツを力なく半歩滑らせて、雪を蹴る。田中さんのブーツの下からはコンクリートが顔を覗かせていた。

 

「……その理由を知って驚いたけど納得もした。志保ちゃんの異様なまでのストイックさも、向上心の強さの理由も今なら分かる気がする」

「もしかして、話聴いてたのか」

「ごめんなさい。盗み聞きをするつもりはなかったの。ただ、天ヶ瀬さんを待ってたら話声が廊下まで聞こえてきて、それでつい……」

 

 弁解するようにそう言って俯いたまま頭を下げたが、俺は綺麗に九十度の角度で頭を下げた田中さんの後頭部に何も言葉をかけれなかった。あまり多くの人に話すべきではない事情だとは当然思っていたが、この話で少しでも北沢の印象が変わるのなら話した方がいいのかもしれないとも思っていたからだ。もちろん、それを決めるのは北沢自身であって、第三者の俺がどうこう言う問題ではないのだけれども。

 

「私、志保ちゃんのこと好きだよ。きっと私だけじゃなくて、今はもう劇場のみんなが志保ちゃんのことを好きだと思う。志保ちゃんが独りで頑張ってるの、ここからみんなで見てたから」

 

 田中さんは再び背を向けて、じっと北沢が自主練をしていたという場所の近くにある樹を見下ろした。静かな風が劇場の前に広がる芝生広場を走っていって、大きな樹の枝先を揺らす。細い枝の上に積もった雪が落ちて、必死に厳しい寒さに耐え凌ぐ木々が姿を表した。今は重そうな雪を積もらせているあの木々たちにも、春が来れば綺麗な花が咲くのだろうか。大きな樹に向けられた田中さんの眼差しはそんな今はまだ遠くにある暖かい春に想いを馳せているように映った。

 

「同じ劇場の仲間なのは勿論、トップアイドルを目指すライバルだと私は思ってる。だから––––……、ちゃんとここに志保ちゃんを連れ戻してきてね」

「でも俺は……」

 

 ––––俺なんかが北沢のためにやれることなんて。

 そう言いかけて、俺は直前で言葉を詰まらせた。

 木星のような強力な引力もなければ、大切な人を守ることもできない非力な俺に、父を失って生きる指針をなくした北沢を導くことなんてできるのだろうか。前向きな言葉をかけることも、辛い思いを共有することも、励ますことすらできない俺に、父の死という大きな壁を乗り越える北沢の手助けができるのだろうか。

 そんな大層なこと、とてもじゃないができる気がしなかった。だって俺たちは自分たちの力を百パーセント証明できる環境でトップを目指すと大見得切って961プロを辞めたはずなのに、この一年間何も証明できずにその場で足踏みをし続けるだけの無力な存在だったのだから。かつて脚光を浴びることができたのは所詮961プロの後ろ盾があったからで、俺たちだけになると悲しいくらい何も残らない現実を嫌という程この一年間で突きつけられてきた。仕事もファンも減る一方、バイトをしてどうにか工面したお金で抑えた小さなキャパでのライブでさえ自分たちでビラを配って宣伝しなければ集客できない。そんな俺たちは決してかつて北沢が言ってくれた“凄い”存在なんかじゃなくて、ただただ誰かの力を借りなければ輝けない、そしてそれを自身の実力だと勘違いして自惚れていた傲慢な存在だったのだ。

 

「志保ちゃん、誰かを頼ったり弱みを見せるようなことって絶対にしなかったんだよ? 私たちにもプロデューサーにも」

 

 言葉を詰まらせて黙り込む俺に田中さんは静かにそう語りかける。上半身だけを捻らせて、俺を見つめるその瞳は喉元まで顔を出していた俺の言葉に気付いているようだった。小さく息を吐いて柵から離れると、俺の目の前で立ち止まった。曇りのない真っ直ぐな眼で、ジッと俺の眼差しを見上げる。その顔はまるで怒っているかのように、しかめっ面をしていた。

 

「それなのに天ヶ瀬さんを頼ったんだから、きっと私たちじゃなくて天ヶ瀬さんにしかできないことがあるんだよ」

 

 ––––俺にしか、できないこと?

 

「志保ちゃんのこと、好きなんでしょ?」

 

 あの日と同じ質問を、今度は言葉でハッキリと問われた。

 俺は迷う間も無く無意識に頷いて、その様子を見た田中さんは満足したようにニコッと笑う。そして少しだけ強い力で俺の背中を思いっきり叩いた。

 

「ならしっかり応えてあげなきゃ」

 

 迷っていた俺の背中を田中さんに押されて、初めて気が付いた。

 これは家族の問題だから、北沢自身で乗り越えなければいけない問題だから、そう言い聞かせてばかりで、自分の無力さを正当化していただけなのではないのかと。側にいるだけじゃなくて、もっとこう俺にしかできない何かがあるかもしれないのに、それを探しもせずに諦めて放棄して、そうやってまた俺は自分の無力さを誤魔化そうとしていたのだ。

 俺は北沢が好きだ。そして北沢は劇場のメンバーやプロデューサーではなく、俺を頼ってくれた。ならばその想いにちゃんと応えないといけないと思う。一日でも早く北沢が前向きになれるように今できることを全力でやるだけじゃなくて、もっと何か力になれることがないのかを探していくべきではなかったのか。

 背中を押してくれた田中さんの言葉で、今俺がやるべきことが少しだけ明確になった気がした。ふと空を見ると、灰色の雲に少しだけ切れ目が入っていて、そこから北沢が自主練をしていた場所にある大きな樹に向かって真っ直ぐに光が差し込んでいる光景が目に付いた。それは寒さを忘れさせる、美しい一閃の煌めきだった。

 

「……田中さん、本当にありがとな」

「いーえ、どういたしまして」

 

 おどけたように田中さんが笑う。

 田中さんなりの気遣いなのだろうなと思った。嫌われる覚悟で北沢に対する自分の想いを正直に打ち明けたのも、自分を振った相手に好きな人への気持ちをわざわざ確認させたのも、全部彼女なりに俺に今すべきことを気付かせるためにしてくれたのだと。

 その優しさが、その強さが、今はただただ有り難かった。

 

「田中さん」

 

 どうにかしてその想いを伝えたいと、そう思った言葉を探したけれどなかなか思うような言葉が見つからない。だから俺はだいぶ遠回りな言葉を、田中さんに向けて掛けてしまった。

 

「……その髪型、俺はすごく良いと思うぜ」

「え!?」

 

 驚いたように目を丸くして、田中さんは赤面した。

 

 

 




琴葉が髪を切ったのは単純に冬馬への想いを振り切って、自分らしさを損なわずに前に進む為の新たな決意表明です。
その最中で志保に対してどう向き合えば良いのか分からずにいた冬馬を見て、琴葉らしいお節介の形で背中を押そうとしたけれど完全な憎まれ役にもなれなくて、そんな不器用で中途半端な成長過程の琴葉を描きたかったんですが表現力と語彙力なかったので、卑怯だけど後書きで解説させてもらいました。
知る限り、ミリオンでは覚醒(髪型変更)キャラはいなかったと思うので、是非琴葉になってほしいなぁと思ってます。何かを振り切った委員長、めちゃくちゃ強そう(小並感

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。