※申請済みだけど歌詞載せてるんでもし消されたら許してクレメンス。
「北沢がここに住む上でのルールを決めたんだ」
天ヶ瀬さんが唐突にそんな話を切り出してきたのは、用事とやらを済ませて部屋に戻ってきてすぐのことだった。ぼんやりと特段面白味も感じられない再放送のドラマを眺めていた私は、テレビのボリュームを下げてコートをハンガーにかけている天ヶ瀬さんの方を向いて座り直すと、天ヶ瀬さんは「そんな大したものじゃないから身構えんなよ」と私を見て笑った。
「言っとくけど、これは絶対だからな。絶対守るって約束しろよ?」
「……約束するのは、ルールを聴いてからでいいですか?」
勿論、私は居候の身なのだからあれこれ偉そうに反論できる立場ではないのだけれども。
まぁルールってくらいだから、やれ使ったものは元の場所に片付けるとか、やれ食器はすぐに洗うとか、そういったこの部屋で暮らしていく上での小さな決め事なのだろう。そんな在り来たりなルールを予想していただけに、天ヶ瀬さんから伝えられた『私がこの部屋で住む上でのルール』は全く予想をしていなかったものばかりで驚かされてしまった。
「まず、何も考えねぇこと。そして何も頑張らねぇこと。あとは俺に遠慮したり気を遣ったりしねぇこと、この三つ」
「……それだけ、ですか?」
「そう、そんだけ」
呆気にとられる私を横目に、まるで至極当然といわんばかりの様子で天ヶ瀬さんは三つのルールを私に提示した。何も考えない、頑張らないって、あまりにも漠然としすぎてて要領が掴めず、私は天ヶ瀬さんに訊き返す。
「ちょっと、意味がよく分からないんですけど。何も考えない、何も頑張らないってどういうことですか?」
「そのまんまの意味だって」
私に向けられた天ヶ瀬さんの瞳が、「その意味は自分で見つけろよ」と、言っているような気がした。
点けたままになっているテレビからは、ドラマの主題歌である女性ボーカルの語りかけるようなバラード曲が流れてくる。少しだけ悲壮感が漂う重苦しい歌声が部屋にまで流れてきているが、天ヶ瀬さんはまるでテレビの音が聞こえていないかのように、私をじっと見つめていた。
「……北沢、今まで頑張りすぎたんだよ」
どれほど無言の時間が続いただろうか。
提示されたルールの意味を私が汲み取れずにいたことを察したのか、痺れを切らした天ヶ瀬さんがおもむろに口を開いた。
––––私が頑張りすぎ?
またしても言葉の意味を汲み取れなかった。テレビの音だけが私たち二人だけの小さなワンルームの世界に響いている。短い次回予告も過ぎ去ってドラマは終わっており、今テレビの中では音楽番組のコマーシャルが流されていた。次から次へと短いスパンで紙芝居のように切り替わっていく映像の中から聞き覚えのある声を拾って、私は思わずテレビに視線を向ける。
“だけど時には 夢の荷物放り投げて 泣いても良いよ付き合うから”
最近、随分と昔に大ヒットした誰もが聴いたことのある有名な曲をカバーしたことで話題を集めたかつての先輩の姿を、ハッキリと私の目が捉えた。その姿から私は奇妙な焦りと焦燥に駆り立てられる。そんな私の視線に気付いていたのか、天ヶ瀬さんは春香さんの歌う歌詞を借りるように、言葉を続けた。
「ずっと多くのものを背負って頑張ってきたんだから、今は何も考えずに休めって。時には色々と放り投げて立ち止まるってのも、意外と大事なことなんだぜ?」
「でも、そんなことしてたら––––……」
慌てて言いかけた言葉を飲み込んで、私は口をつぐんだ。
言いかけた言葉が今の私にとってひどく的外れな発言だと思ったからだ。立ち止まっていたらその分だけ皆に差を付けられてしまう。私はアイドルを続ける理由を失って39 Projectを辞めたのに、何故かそんな言葉を思わず口に出してしまいそうになっていた。
気が付けば春香さんが出演する音楽番組のコマーシャルは終わっていて、今度は近々駅前に完成予定の幾つかの高層マンションのコマーシャルが流れていた。最寄り駅が天ヶ瀬さんの家の駅になっていて、着々とこの街が変わっていく様を見ているような気になって、今度は意味もなく寂しさが込み上げてきた。
「ともかく、この三つは絶対守れよ。約束だからな」
「……もし守らなかったら?」
私の疑問に天ヶ瀬さんは少しだけ困惑するように真剣な表情を浮かべると、腕組みをしながら視線を宙に泳がせる。だけど何も思い付かなかったのか、表情そのままに苦笑をもらした。
「……俺を困らせないためにも、この三つのルールは絶対守ってくれよ」
時間をかけて選び抜かれた言葉はそれだった。私に拒否権を持たせず、若干投げやり気味に頬を掻きながら、天ヶ瀬さんにそう言って強引に押し切った。
こうして天ヶ瀬さんとの奇妙な共同生活が始まった。
天ヶ瀬の日常は、一言で表せば『多忙』な日々だった。朝から学校に通って、放課後は以前私がお邪魔したレストランのバイトやジュピターの打ち合わせにレッスンなど、毎日何かしらの予定が遅くまで詰め込まれていて、部屋に帰ってくるのはいつも夜の十時を過ぎた頃。それから風呂に入ったり学校の宿題をしたり、諸々済まして日付を跨ぐ頃に深い眠りについている。私がこの部屋にやってきた日から当たり前のようにお互いが何も言わずに小さなシングルベッドで肩を寄せ合って寝ていたが、毎晩私の意識が遠のく前に天ヶ瀬さんの静かな寝息が子守唄のように耳元へと聴こえてきて、天ヶ瀬さんが寝たのを確認して私も眠りにつくのが、いつからか習慣化していた。そして毎晩私の隣で泥のように眠る天ヶ瀬さんは、バイトやジュピターの活動があった日も、何もなく早めに帰ってきた日でも、一度たりとも私の身体に触れようとはしなかった。
最初の一週間は、あまりの多忙さに驚きを隠せなかった私だったが、天ヶ瀬さん曰く二月にライブが控えているからだそうだ。その準備とやらで普段より何割り増しかで忙しくなっていたらしいく、普段はもう少し余裕があるのだと涼しい顔で話していた。
その一方、私は最初に天ヶ瀬さんから提示された約束を律儀に守っていて、その言葉通り『何もしない』毎日を送っていた。その日常は殆ど意味を持たないただの暇潰しのような日常で、私にも無駄に時間だけを食い潰している自覚もあった。かと言って何か他にやるべきことや、やりたいことがあるわけでもなく、私はこうして漠然と流れていく時間を見つめることしかできなかったのだ。学校にも行かず、私は半ば引きこもりのような形で代わり映えのない同じような毎日を過ごす日々。それは私が今まで全力で駆け抜けてきた時間とは対照的な、ゆっくりとスローモーションのように流れていく時間だった。
真っ白なパレットの上に広がった青色の絵の具のように澄み切った青空、喧騒とした東京の街の音の中でも耳を澄ませば聴こえてくる鳥たちのさえずり、駅前の街路樹たちが冷たい風によって揺らされる際に生じる枝と枝とが擦れ合う音––––。天ヶ瀬さんが与えた『何も考えない、頑張らない』生活の中で、私はそういった沢山の自然の感性たちを見落としていたことに気付かされた。
トップアイドルになることが全てだとばかり決めつけて、こういった日常の景色さえも見落としていた私は今までどれだけ狭い視野で、狭い世界を見て、生きてきたのだろうと思う。立ち止まって初めて知った世界の景色はとても広くて新鮮味があって、だけど私がアイドルを辞めようが続けようが一切影響を受けずに何一つ変わらない世界がほんの少しだけ寂しくて、複雑な想いを胸に渦巻かせながら一気に減速した時間をただただボンヤリと過ごしていた。
天ヶ瀬さんはライブ前の忙しい時期なのに関わらず極力私のために時間を作ってくれているようだった。週に二度ほどは意味もなく学校をサボって朝から私と一緒に家に居たし、バイトやジュピターの活動がない日は真っ先に家に帰ってきて、私が何も言わずともずっと隣にいてくれていた。
今までは数週間に一度の頻度でしか会えなかった好きな相手と同じ部屋で生活できているのだから、嬉しくないはずがなかった。だけど例え今まで見落としていた綺麗な世界を知ることができても、大好きな天ヶ瀬さんと毎日顔を合わせることができても、それでも私の心に空いた穴は埋まらなかった。
ジグゾーパズルと同じだなと思った。父に関する真実を知った際に胸に空いてしまった穴は、他のピースじゃ絶対に埋められない。代わりのピースがいくら“あの”天ヶ瀬さんだったとしても、それを無理やり嵌めたところで私が当初思い描いていた画が完成することは有り得ないのだ。アイドルになって有名になって、そして父と再会し、止まってた家族の時計の針を進める––––。その画を完成させるのには、父という名のピースが絶対に必要不可欠だったのだから。
「なぁ、今からちょっと散歩いかねぇか?」
私がこの部屋にやってきて早くも二週間が経過し、スウェット姿の天ヶ瀬さんも、ネクタイを締めたブレザー姿の天ヶ瀬さんも、色んな姿の天ヶ瀬さんがようやく見慣れてきた時のことだった。今日は珍しくバイトもジュピターの活動もなかったのか、学校から直帰して夕飯を二人で食べた後、真っ暗になった窓の外を見つめながら天ヶ瀬さんはそんな誘いを持ち掛けてきた。
「散歩ですか?」
「そう。散歩」
夕飯を作ってくれた天ヶ瀬さんに代わって使い終わった食器を洗っていた私がそう訊ね返した時、既に天ヶ瀬さんはテレビを消してハンガーにかけていたコートに手を伸ばして、私の返答を待たずに外に出る準備を始めていた。どうやら私に断る選択肢はなかったらしい。
「まぁ、いいですけど」
最後の一枚だった食器を綺麗に洗って水切り籠に入れると、私もコートを羽織って部屋を出た。
狭いエレベーターを出て地上に出ると、一気に冷気がコートを突き抜けて身体の深部にまで到達してきた。反射的に肩を縮ませてしまったが、思っていたより寒くないことに気が付き、肩の力をゆっくりと抜いていく。そういえばもう二月に入っていたんだっけ。あれだけゆっくりと流れていたはずの時間が思いの外積み重なっていたことに気が付いて、吹き抜けていく風と一緒にふいに不安が胸をかすめた。
今天ヶ瀬さんが私の為に用意してくれている世界は、決して長居していい世界ではないことを知っていた。それなのに二週間が経過して二月に入っても、私は未だに何も変わらないままボンヤリと彼の厚意に甘え続けている。確実に流れている時の流れと相反するかのように立ち止まり続けている自分がこれから先もずっと足踏みを続けていそうな気になって、不安で仕方がなかったのだ。
暫く他愛もない会話を交えながら私の少し前を歩く天ヶ瀬さんに付いていくこと数分、急斜面の階段を登った彼の足は真っ暗になった高台の公園で止まった。
「星、綺麗だな」
天ヶ瀬さんが公園の入り口で空を仰ぎながらそう言った。私もつられて空を見上げると、点々と公園の周りに立つ街灯の先にでもくっきりと判別できるような、幾多の星々がいつになく眩い光を放って私たちを見下ろしていた。
今にも落ちてきそうな星たちを見つめながら、私は相槌を打つ。
「……そうですね」
「ほら、あそこ見てみろよ。オリオン座の右斜め先」
数え切れないほどの星空の一点に向かって、天ヶ瀬さんが指をさした。その指がどの星を捉えているのか、私は自然と理解することができた。天ヶ瀬さんの真っ直ぐに伸びた人差し指がさしているのは、南東の方角に輝くオリオン座の近くで一際強い灯りを放っている星だ。
「木星が太陽になれなかった話、知ってるか?」
「え? 木星が太陽にですか?」
「そう。まぁ学校じゃそこまでは習わねぇか」
いつの間にか天ヶ瀬さんは木星ではなく私を見つめていた。
遠くの街灯が天ヶ瀬さんの綺麗な鼻に影を作っている。影を含んだ天ヶ瀬さんの表情がやけに弱々しく見えた。いつもの勝気な勢いは影に隠れているようで、その表情は私が初めて見る表情だった。
「……木星は自ら光り輝くことができねぇんだって」
「それならどうやって光っているんですか?」
「太陽の光を受けてるんだとさ。太陽があるからこそ、こうやって真っ暗な夜で光り輝くことができるらしい」
––––まるで、961プロにいた頃の俺たちみたいだな。
天ヶ瀬さんが咄嗟に漏らした言葉を、私は聞き逃さなかった。
静かな風が吹いて、彼の前髪が揺れた。目を覆うほどに伸びた髪の隙間から、無愛想な眼が顔を出す。らしくない、自分たちを卑下するようば言葉を口にしていたはずなのに、その眼差しからは悲壮感を一切感じなかった。出会った頃から私がずっと憧れていた、この大空の先を見つめる眼差しで私を見つめていた。
「再来週、ライブがあるんだ」
「言ってましたね、この前と同じ会場だって」
「そうそう。そのライブで俺が初めて作詞をした曲を披露するんだけど……」
一呼吸置いて、天ヶ瀬さんが一歩私の方へと歩を進める。手袋を忘れてかじかんでいた手が、ぽっと暖かくなった。
「俺が初めて作詞した曲を、北沢に聴いてほしい」
私の手をギュッと握った天ヶ瀬さんに、何も言えなかった。アイドルを辞めた私がアイドルのライブに行くこと自体、少なからず抵抗を感じていたはずなのに、気が付けば天ヶ瀬さんの眼をじっと見つめながら私は首を縦に振ってしまっていた。
私の反応を確認して、「ありがとう」と嬉しそうに言うと、天ヶ瀬さんは私の手を握ったままに来た道を戻るかのように階段を降り始める。私は手を引かれるまま、無言で天ヶ瀬さんに導かれて歩き続けた。
階段降りてマンションへと戻る途中、私はふと見覚えのある建物を目にして足を止めた。すぐに立ち止まった私に気が付いた天ヶ瀬さんも足を止め、私の方を振り返る。
「……ここって、最近テレビでよくCMやってるマンションですよね」
闇に紛れるように光を一切灯していない大きなマンション。その入り口と思われる場所に、『入居者募集中』と書かれた横断幕が貼られていた。
「そうだな。けど、それがどうしたんだよ」
「なんだか、この街がどんどん変わっていってるんだなって思って……」
そう言葉に出した途端、行き場のないような寂しさが胸の底から湧き上がってきた。
かつて住んでいたこの街は急速な勢いで変わり始めている。多くのマンションやビルが立ち並び、知らない店が増えて、いつの間にか私が父と住んでいた六年前とは比べ物にならないくらい立派で大きな街になってしまっていた。その変わりゆく変化の中で私が父との思い出を忘れてしまっていたように、今私が過ごしている天ヶ瀬さんとの時間もいつか忘れ去ってしまいそうな気がして怖くなったのだ。
天ヶ瀬さんと一緒に寝る時間も、狭い部屋で彼の優しさに沢山触れたことも、星が落ちそうな夜に高台の公園で木星を見つめたことも、こうしてどんどん街が変わってしまう過程で私もいつしか忘れてしまうのだろうか。
そう思うと、怖くて怖くて仕方がなかった。何が怖いのか、その恐怖の正体さえも明確じゃないのに、私の胸はあっという間に不安で埋め尽くされてしまって、無性に寂しくなった。アイドルをしていた頃は夢を叶えるために常に変化を求めていたはずなのに、辞めた今はただただ変わるのが怖くて仕方がなかった。
「……大丈夫だって。そんな目、すんなよ」
天ヶ瀬さんが私の目を見て言った。天ヶ瀬さんが言う「そんな目」がどういった目なのかは分からなかったが、目頭が熱くなってきて、きっと今にも泣き出しそうな弱い目をしているんだろうなと思った。
「この街が変わり続けても、俺はずっと北沢の側にいてやるから」
以前電車の中で「絶対父に会えるさ」と言ってくれた時と同じだった。天ヶ瀬さんは根拠のない自信に満ち溢れた顔で笑ってみせる。そして私の手を握っていた手とは反対の手の人差し指で、私の目元から溢れ出そうになっていた雫を優しく拭ってくれた。