エムマスの最終話で流れた時は315だったぜ!(語彙力マックス
1万5000文字を新たに書き下ろすのは訳が分からないくらいシンドかったので初投稿です。
窓の外からは雨たちがアスファルトを叩く音が聴こえてくる。時折ほんの少しだけか吹く風が窓を揺らして、その度に小さな雨粒が窓に衝突し、外の景色を滲ませている。ライブ当日の今日は生憎朝から雨が降ったり止んだりを繰り返す嫌な雨空が広がっていたが、それでも楽屋入りの際に裏口から覗いた入場口には大勢のファンが色とりどりの傘をさして並んでいて、開場を今か今かと待ち侘びてくれていた。改めてこうして多くのファンに支えられていることを感じさせられて有り難く思う傍ら、今日俺たちが披露しようとしているパフォーマンスが今まで支えてくれた多くのファンを失望させるのではないかという不安が俺を襲ってくる。今更後には退けないと分かっていながらも不安は拭えなくて、俺は視界が滲んだ窓に向かって思わず溜め息を吐いた。
「……新曲、何回見ても冬馬くんらしくないよね」
俺の口から溢れた溜め息が窓を曇らせた瞬間、独り言のような翔太の声が俺たち三人しかいない楽屋に響いた。翔太は片膝を付いて座りながら、数週間前に俺がコピーして二人に配った新曲の歌詞カードに目を通している。
まるで判決を言い渡す直前の裁判官のように、真剣な眼差しでじっくりと歌詞カードを確認する翔太の視線が俺の胸をギュッと締めて緊張感を走らせた。既に雨の中でも駆けつけてくれたファンの人たちは場内に入っており、会場内の興奮やざわめきが防音壁を突き破って微かにこの楽屋にまで伝わってきている。チラリと時計に目をやった。オープニングまでは、もう十分も残されていなかった。
「やっぱ、変か?」
我慢しきれずにそう問い掛けた俺の声は思っていた以上に不安げで、有罪判決が言い渡されるのを待つ被告人のような不安な心境をそのまんま表しているようだった。ゴクリと唾を飲み込んで、無意識に再び時計を見る。時計の針は先ほどから全く動いてはいなかった。だけどその僅かな時間で俺の心臓は凄まじい勢いで脈を打っており、自分が如何に緊張しているかがひしひしと伝わってくるようだった。
「ううん、変じゃないよ」
「本当か?」
「本当だよ」
「マジで?」
「……冬馬くん、しつこい」
翔太は緊張感を微塵も感じさせずに、いつものからかうような調子で笑っていた。その言葉の真偽を確かめるように翔太の顔を暫く見つめていたが、翔太の奥で俺たちのやり取りを穏やかな顔つきで見守る北斗の表情が嘘ではないことを代弁してくれているような気がして、俺はほんの少しだけ張り詰めていた緊張の糸を緩めた。
今日のライブのアンコールでは、俺が初めて作詞した曲を披露することになっている。北沢には強気に聞きにきて欲しいと啖呵を切った俺だったが、実際はこの曲が果たして俺たちジュピターに相応しい曲なのかと、完成させた日から今日までの間ずっと不安な気持ちを抱え込んでいたのだ。
俺が作った曲は間違いなく今までの「カッコいい」部分だけを見せてきたジュピターのイメージを大きく覆す曲だった。どの星より強く、誰よりも輝くことだけを一心不乱に目指し続けてきた俺たちジュピターの今までの印象を破壊しかねないこの曲を聴いた時、ファンの人たちは何を想うのだろうと想像してみる。もしかしたらファンが俺たちの弱さを見て失望し、受け入れてもらえないかもしれない。そんな拒絶される光景がどうしても浮かんできて、恐怖心を生み出し、俺の心にさざ波を立てていた。
「ジュピターさん、そろそろスタンバイお願いします」
薄い楽屋のドアの向こうから急かすようなスタッフの声が聞こてきて、ハッと我に返った。いつもと何ら変わりない翔太と北斗が「はーい」と返事をして立ち上がったのを見て、俺も慌てて腰を浮かせる。その瞬間、足元が急にフラついてしまい、咄嗟にテーブルに手のひらをついてしまった。情けない話だったが、膝がガタガタと笑っていたのだ。
「冬馬」
ふと顔を上げると北斗がドアノブを握ったまま、俺の方ををジッと見つめていた。いつものキザで余裕のある、落ち着いた大人の表情で俺に語りかける。
「怖がるなよ。今の俺たちにしか描けない未来があるんだろ?」
「北斗……」
「俺は本当に良い曲だと思ったよ。今のジュピターの全てを表現している曲だし、きっとエンジェルちゃんたちも素の俺たちを受け入れてくれると思う」
そう言って、得意げに片目を閉じた。一気に真剣な顔つきだった北斗の表情が崩れて、途端に子供っぽい笑みが表れる。
「……それに、冬馬の想い、志保ちゃんにもきっと響くと思うよ」
「な、なっ……! なんで北沢が出てくんだよ!」
北斗の言葉が俺の胸の奥深く、誰の目にも止まらない場所に隠していた想いに触れて、身体中がかあっと熱くなった。全部お見通しだよ、なんて言わんばかりのウインクを投げて、北斗は背を向けてドアを開く。
今度は翔太が、呆れたように頭の後ろで手を組みながら俺の方を振り返った。
「冬馬くん、バレバレだよ。二番からの歌詞、絶対志保ちゃんに向けた歌詞だよね」
「ち、ちげぇよ! そんなんじゃねぇって!」
「はいはい。ほら、早く行くよ」
聞く耳もたず、といった様子でわざとらしいカタコトの返事をして、翔太も北斗に続いて部屋を出た。
北沢のことは二人にも話していた。踏み込んだ事情までは説明していなかったが、ちょっと家庭の問題で派手に家出をしてきて、親の承認の元、俺の家に泊まらせているのだと。たったそれだけしか伝えていなかったはずなのに、俺が密かに北沢への想いを歌詞に詰め込んでいたところまで見抜いていたらしい。
俺も未だかつてない緊張と不安と、そして羞恥を胸に抱えたまま、遅れて二人の後を追った。
インディーズ活動を始めてからのこの一年で俺は嫌という程痛感させられた。俺たちジュピターは961プロの力を借りなければ何一つ成し得ることのできない、ひ弱な存在だったのだと。961プロの恩恵無くして輝くこともできず、大切な人を照らす太陽にもなれず、それでも俺たちはいつか多くの人たちを照らす木星のような存在になりたいと願い続けている。太陽になれないジレンマも、自分たちの無力さも、それでも輝きたいと思う傲慢な自分たちも、強がりも見栄も捨てて俺は自分たちの全てを曝け出して進むべく、この新曲に今のジュピターのありのままの全てを詰め込んだ。それはファンの前では決して弱みを見せてこなかった俺たちにとって、今までのイメージを根底から覆す大きな博打だった。
そして翔太と北斗に指摘されたように、俺はこの曲の中に密かに北沢への想いも隠していた。その想いが北沢に届くかは定かではないが、これが俺なりに考え抜いて見つけた、田中さんの言う「俺にしかできない」ことだったのだ。
二人に続いて俺も楽屋を出ようとした時、扉横のハンガーラックに三着の真新しい衣装がぶら下がっているのが視界に入った。
ジュピターのメインカラーである黄緑のラインが至るところに散りばめられたジャケットと、真っ白なパンツ。この新衣装は、アンコール時に着用する予定になっている。それは即ち、俺が作詞した新曲を初披露する時だ。新たな衣装に身を包んで既存の曲とは全く印象の違う新曲を披露して、そんなジュピターをファンや北沢は受け入れてくれるだろうか。数時間後のすぐそこに迫ってきている未来が、今は全く想像できない。
(……俺が迷っちゃダメだよな)
拳を握りしめて、北沢を初めて抱きしめた夜を思い出す。無力さを誤魔化すように抱きしめたあの日、俺はもっともっと強くなりたいと願った。大切な人の笑顔を守れるだけの、強さと煌めきが欲しいと。
だからこそ、俺が迷ったらいけなかった。迷い続けている人間が誰かを導くような存在になれるはずがないのだから。一人でも多くの、そして一番身近にいてくれた大切な人を照らせる人間になるの為には、俺は自分が正しいと思った道を振り返らずに歩いていくしかない。その道のりが、いつか輝くことだけを信じて。
「ここで変わらねぇとな」
間違いなく今日のライブは大きなターニングポイントになる。俺個人としても、ジュピターとしても。そして今日という日が、俺が初めて手掛けた新曲が、あの日高台の公園で一緒に見た夜空に一際輝く木星のように、北沢の闇を照らす星になれるようにと、俺は切に願う。
覚悟を決めるようにドアノブに手を掛ける。俺は二人の後ろ姿を追って、楽屋を後にした。
★☆★☆★☆★☆
天ヶ瀬さんのライブ当日、東京は朝から雨雲に覆われていた。リハーサルのため天ヶ瀬さんが昼過ぎには部屋を出て行ったのを見送った後はいつものようにボンヤリと一人でテレビを見て時間を潰し、開演の丁度一時間前に私も部屋を出た。直前まで見ていたニュース番組でこの鬱陶しい小雨は今より強くなることはなく、今日は弱い雨が降ったり止んだりの繰り返しだそうで、明日の早朝には雨雲が東京の上空を抜けていくのだと伝えていたことを思い出しながら、一人で雨を含んだアスファルトの上を歩いていく。すれ違っていく人たちの傘と私の持つビニール傘がぶつからないように気を付けて歩きながら、最近は天気の良い日が続いていたのに、よりによってどうしてライブ当日に雨が降るのだろうと月並みなことを考えながら休日の人の多い電車に乗り込んだ。
会場の最寄駅のホームに降り立って、ライブに来たと思われる集団から少し距離を保ちながら歩くこと数分。会場に着いた私は大勢の人が並んでいる入場口の隣に設置されていた招待者案内口から場内に案内された。大勢の人と期待と興奮が溢れ返る薄暗い場内をなんとか通過して、ライブホールに到達する。前回のライブ同様、全てが立ち見席となっている小さなホールは既に多くのファンで埋め尽くされていて、いまかいまかと開演を待つファンの熱気で包まれていた。
このライブ前の独特な緊張感が、ひどく懐かしく感じられた。
––––ライアー・ルージュを歌った時、天ヶ瀬さんはどんな風に観ていてくれたのかな。
幕が降りたままになっているステージを遠目に、既に過去形になってしまっていた、アイドル時代の自分を思い出す。
劇場の小さなライブ施設で初めてもらったソロ曲を披露した時、会場にいた天ヶ瀬さんの瞳に私はどんな風に映っていたのだろう。あの時は、私がある日を境に突然ライアー・ルージュを歌えるようになったことに困惑したままで、本番直前の楽屋でその困惑を莉緒さんに相談したんだっけ。無責任な言葉で莉緒さんが背中を押してくれたことも、本番前の舞台袖で一人震えながらマイクを握りしめたことも、ステージに初めて立った時に感じたスポットライトの熱も、あの日の思い出たちがひっくり返ったカゴから零れ落ちてくるようにどっと胸の中に溢れ出てきた。
遠い日の一コマになってしまった劇場での出来事を一つ一つ振り返っているうちに、懐旧の念にかられていくのが分かった。本番前の胸が張り裂けそうになるほどの緊張感も、個性や才能豊かなメンバーたちに劣等感を抱いて何度も苦汁を嘗めたことも、あまりに遠く離れすぎていた先輩たちの背中をガムシャラに追いかけたことも、酸いも甘いも嚙み分けたあの日々の全てが辞めた今となっては宝石のように輝いて、アルバムを捲っていくように一コマずつ脳裏に浮かんでくる。次から次に捲られていくあの頃のアルバムは、それが私にとってかけがえのない時間だったことをしきりに伝えているかのようだった。
それらは過去の出来事になってしまった途端に何割り増しに美化される、俗に言う『思い出補正』という現象なのかもしれない。そう言い聞かせてみても、その考えを頑なに否定する私が心の何処かにいるようだった。短い時間ではあったが真剣にトップを目指して多くの努力を費やしたアイドル時代の時間は、決して『思い出補正』などといった安い言葉で片付けられるような半端なモノではないと。美化された思い出として一括りにしようとしている今の私に対し、ひたむきに上だけを見て走り続けていたあの頃の私が、何かを懸命に訴えかけようとしているのだ。
––––もう手放した過去のはずなのに。
我ながらこの期に及んで往生際が悪いなと思った。
父が亡くなっていた以上、私がアイドルを続ける理由はない。そもそも父の目に留まりたいと思わなければアイドルになろうなんて考えてもいなかったのだから、アイドルを辞めるのは至極当然の結論だ。
それなのに、どうして目的を失ったアイドル活動をまだ続けたいという想いが微かに残っているのだろう。目的もなく、ただ楽しいから、好きだからで通用する世界じゃないと分かっているのに、それでもあの頃の時間を恋しく思ってしまうのは何故なんだろう。
––––中途半端な未練も、思い出も、全て捨て去ることができれば楽になれるんだろうけど……。
だけどそれができるほど私は器用ではないようで、今でもこうして過去の日々を懐かしみ、ほんの少しの渇望を抱いている。父の死を未だに受け入れられないのと同じだった。どうしようもないと頭では理解していながらも、私は次の一歩を踏み出すことができていなかったのだ。
だけど、その一歩を踏み出すための新たな目標やキッカケが、この先の人生で見つかる気がしなかった。実現不可の夢となってしまった父との再会も、その為に始めたアイドル活動も、これら以上に情熱を持って向き合えるモノが私の前にふっと現れるなんて到底考えられなかったのだ。
きっと私は死ぬまでここで足踏みをしていくんだろうなと思う。ポッカリと胸に穴を開けたまま、絶対に完成しないジグゾーパズルの残骸を大事に抱え続け、時にはこうしてアイドル時代の思い出のアルバムを捲って回想しながら、退屈な世界でぼーっと生きていくのだ。明日も明後日も、きっと一年後も十年後も、そうやって呪われた砂時計をひっくり返して生きていくのだろう。
僅かな照明が消えて、暗くなったライブホールが一気に闇に包まれていく。灯りが消えていくのに呼応するかのように巻き起こる、はち切れんばかりの黄色い歓声。ブザーが鳴って、闇の向こう側にあるステージの幕がゆっくりと上がっていくのが分かった。心臓がドクンと高鳴って、高揚感が一気に臨界点を突破していく。その感じがやっぱり懐かしいなと思ってしまった。
この時、私は初めて夢を叶えるためだけに始めたアイドル活動を心底楽しんでいたことに気が付いた。だけど悲しい哉、その楽しかったアイドル活動に私が戻ることは今後一切ないのだろうなとも思う。だって父が亡くなったと知った今、その日常に私がいる意味はないのだから。
私は複雑な想いを絡ませながら、ステージに立つ三人の人影を見守ることしかできなかった。
★☆★☆★☆★☆
アンコールの声援を受け、一呼吸ついて俺たちがステージに戻ってくると会場はどよめきに包まれた。ステージ場を照らすライトに含まれる前列のファンの人たちの視線が俺たちの顔から微妙に外れているのが見える。ファンの皆も何か俺たちの雰囲気が違うことを察してか、今までとは少しだけ会場の空気が変わっているのは確かだった。
「みんなー、アンコールありがとう! これ新衣装なんだけど、カッコいいでしょ!?」
自慢げに新衣装の裾を引っ張って、翔太がファンに向かってアピールをする。ぎゅうぎゅうに詰められた観客席からすぐに翔太の言葉を肯定する声が数え切れないほど飛んできて、翔太は満足げに笑顔を浮かべていた。
「新衣装だけじゃなくて、今日はエンジェルちゃんたちに特別なプレゼントを用意してきたんだ」
今度は北斗がそう煽って、一際大きな黄色い歓声がどよめきに変わった。一歩ずつ前に出た二人の後ろで会場の反応を見守っていた俺の方を、北斗が振り返る。その視線の先にある何百人もの視線が俺に集まるのを肌で感じて、俺も二人に並ぶように一歩前に踏み出した。
「今日は新曲を用意して来たんだ。それを今から、皆の前で披露したいと思う」
「この新曲は冬馬くんが初めて作詞したんだよー! だから誤字脱字あっても大目に聴いてあげてね」
「ちょっ、おい、翔太! バカにしてんじゃねぇよ!」
どっと会場が笑いに包まれる。
そんなMCするなんて打ち合わせでは一言も言ってなかっただろ。急なアドリブを織り交ぜてきた翔太に思わずそう言いそうになったが、翔太の俺を見る眼がいつもの悪戯っ子な眼じゃないことに気が付いて俺は口をつぐんだ。ニッと笑う翔太の表情が、ほんの少しだけ俺の緊張を解いてくれた気がしたのだ。もしかしたら翔太なりの気遣いだったのかもしれない、なんて思いながら俺は静かに息を吐いて、今度は二人より更に前へと大きな一歩を踏み出した。
「きっとこれから俺たちが歌う曲を聴いて、ジュピターらしくないって思う人が多いかもしれない。だけどこれが俺たちジュピターの本当の姿で、ありのままの姿をファンの皆に届けたい一心で俺はこの曲を作ったんだ」
「今までの俺たちとは一味違う、素のジュピターを皆に届けるよ」
「だからちゃーんと最後まで聴いててよね!」
両脇の仲間と視線を合わせて、力強く頷く。
この一曲が俺たちジュピターの再出発を誓う新たな門出となるように、そしてこの会場のどこかにいる北沢の心の闇を照らす木星になるように––––。
会場のファン全員に向かって、俺は高らかに宣言した。
「今までファンの皆と歩いてきた道も、これからファンの皆と歩いていく道も、全てをこの一曲に乗せて届けるぜ! それじゃあ聴いてくれ、『Planet scape』」
一気に照明が落ちて、会場がペンライトの灯りだけが残る。息を飲むように静まり返った場内にゆったりとしたピアノの伴奏が響き渡って、闇の中で静かに揺れ動く無数の灯りに向かって俺たちは歌い始めた。
“選んでゆく道の先が 分からなくて だから不意に昨日さえも 眩しくなる”
961プロを抜けてインディーズ活動を始めたあの日から、俺たちは今目の前に広がってるような真っ暗な闇の中をずっと歩き続けてきた。あの日俺たちが選んだ道が正しいのかも、俺たちがここから何処に向かって進んでいるのかも、何も分からないまま歩き続ける毎日。そんな不安な夜を越えて行く度に、961プロにいた頃の傲慢で勘違いをしていた自分たちが眩しいほど輝きを増していくような気さえもしていた。
“振りむいて問いかけた 今、何が出来るのだろう”
闇の中をひたすらに歩くことに疲れて振り返ると、遠く離れてしまった光の中にいる過去の俺たちが、ジッと見つめていた。まるでこの道が間違いだと言わんばかりに、あの頃の765プロの連中に向けていた高圧的な態度で嘲笑うような視線を、今の俺たちへ向けているのだ。
そんな961プロ時代の自分たちに、これから俺たちはどうすれば良いのかと何度も問いかけてみた。だけど過去の光の中に閉ざされた俺たちは何も答えてはくれなかった。ただただ冷ややかな目で見つめるその瞳は、「今のお前たちにできることなんて何もないんだよ」と告げるように、自ら栄光を捨てた愚か者を写し出しているだけだ。
“信じたい 微かなヒカリだから描ける未来 There is my hope”
そんな過去の自分たちが他者に向けてきた嫌な視線を常に背中で受け止めながら、時には現在地を確かめるように光の中の自分たちを振り返って、今日まで闇雲に足を動かしてきた。961プロ所属ではなくなって、自分たちの力不足と傲慢さを嫌というほど味わって、だけどそんな今のひ弱な俺たちだからこそ、描ける未来があるのだと信じて。
お互いの顔すらも認識できないほど真っ暗だったステージに微かなスポットライトが射し込む。依然としてステージの向こう側にいるファンの顔は誰一人として見えなかったが、翔太と北斗の顔は認識できるほどには明るくなって、俺たちは互いに顔を合わせる。ずっと俺たちを冷めた目で見つめていた961プロの亡霊を振り払うように、俺たちがあの日から歩んできた道に意味を持たせるために、全ての想い乗せてそれぞれの声を重ね合わせた。
“果てしないこの空をまっすぐ渡って キミを照らせるような 惑星になると いつか願ってる 不確かな今日も 希望描くための鍵になること……”
––––自分たちの力を証明できる場所で、今度こそ真のトップアイドルを目指す。
961プロを抜けた時に建てたこの誓いが、果たして俺たちが選んだ道の先で叶うのかどうかは分からない。だけどいつの日か、地球の三百倍の重力で人々を引き付ける木星の名に相応しいアイドルになれることだけを信じて、俺たちが今日まで積み重ねてきた何度も迷って悩んだ不確かな一日も、いつかトップアイドルになるための鍵になると信じて、例えこの先も深い闇が続いていたとしても、迷わないで歩き続けていこうと思う。歩き続けて夢を叶えることでしか、俺たちの選択が正しかったと証明することはできないのだから。
俺たちは再び顔を合わせて、散々迷って立ち止まった今までの弱い自分たちと決別するかのように、声を揃えた。
“祈りながら歩いてく”
サビが終わって、観客席から疎らな拍手が起こった。
再び証明が暗転して、ステージが深い闇に包まれる。ここから先はジュピターの弱さだけじゃなく、俺が北沢に対するメッセージを隠した歌詞が続いていた。
真っ暗な観客席を見つめて、何処かにいるはずの北沢に俺の伝えたい想いの全てが伝わりますように。そう心の中で願う。駆け足気味のギターの間奏を経て、まずは翔太に小さなスポットライトが当てられた。
“傷をつくるその数だけ怖くなって 夢見ていたその理由を忘れるけど”
初めて喫茶店で話をした時の、あのギラギラした眼の北沢が思い浮かんだ。
人との繋がりを馴れ合いだと言い切って、俺たちのように誰の力も借りずに夢を叶えて見せたいと口にした北沢の姿が、あの時はかつて思い上がっていた昔の俺とそっくりだと思っていた。だけど今となっては、それは誤った解釈だったのかもしれないと思う。
あまりに多くのモノを背負っていた北沢の夢に対する想いは、あの時の傲慢な俺なんかより何百倍も強かったのだ。周囲の仲間をライバルと言い聞かせて、負けず嫌いな性格が災いしてきっと沢山周囲の人を傷付けてその度に自分も傷付いて、それでも叶えたい夢のために爆進し続けて、好きとか楽しいとか、純粋に夢を見る気持ちさえも忘れて、北沢は独りきりでずっと頑張り続けてきたのだろう。そんな北沢と思い上がっていた頃の自分と重ね合わせて、勝手に分かった気になっていた俺が恥ずかしかった。
北沢は俺のことを尊敬の眼差しで見つめてくれるが、俺からすれば北沢の方が遥かに強くて逞しい人間だ。見たくなかった現実を沢山突き付けられて、前のようにただ闇雲に進むだけじゃ夢は叶わないのだと知ってしまって、何かと臆病になってしまった今の俺にとって、傷付いてでもなりふり構わず夢に向かって一直線に進もうとする北沢の姿は眩しく見えて、ほんの少しだけ羨ましかったのかもしれない。
だけどそれ故に、北沢は明確な目標が消えた今、燃え尽き症候群のようになってしまっている。夢に向かってひたむきに走り続ける姿に眩しさを感じていた分、今の北沢の姿を見ていると俺まで自分のことのように胸が苦しくて仕方がなかったのだ。
歌い終えた翔太が再び闇に飲み込まれ、次は北斗の方へとスポットライトが向けられた。
“失くせない約束が繰り返しココロの中灯るから 目をひらく何度だって、答えを出せる There is my mind”
父と会うことが叶わない以上、アイドル活動を続ける理由はない。北沢はきっとそう考えているのだろう。
だけど真剣にアイドル活動のことで悩む北沢も、ライアー・ルージュを歌うステージ上の北沢も観てきた俺は知っていた。北沢にとってアイドル活動は夢実現の為だけの手段ではなくなっていたことを。勿論第一に『父との再会』という目標があったのは間違いないのだろうけど、それでも情熱を持って夢に向かって走り続ける北沢の根底に、純粋にアイドル活動を楽しんでいる姿が垣間見えていたのだ。
だからこそ、理由がなくなってしまったからと簡単に割り切って辞めてほしくなかった。
961プロを辞めて多くのモノを失って、自分の無力さを痛感させられて、それでも再スタートを切れた俺たちのように、例え信じていた人に裏切られても、アイドルを続ける理由や明確な目標を失ったとしても、諦めずに続けることで今まで知らなかった景色を知ることができたり、新しい何かを見つけ出せることはできるかもしれない。今すぐにじゃなくてもいい、迷いながらでも良いから何よりも夢中になれたアイドル活動を続けて、その中で新たな人生の夢や目標を見つけてほしい。
この気持ちが俺の単なる願望だけじゃないことだけを祈って、再びスポットライトに照られされた俺たち三人は声を重ねた。
“果てのない暗闇も迷うコトは無い キミが見つけだしてくれるのなら”
これから先、何度北沢が迷って立ち止まって深い闇に飲み込まれそうになったとしても、北沢が俺を見つめ続けてくれる限り、俺は彼女の行く道を照らす木星のような存在であり続けたいと願った。その為に、もっともっと自分の選んだ道を振り返らずに進めるような強い存在になりたいと思う。
そして、
“たとえこの街が変わり続けても ずっとここにいるよ 瞬くように 同じメロディ 流れてる”
俺が住んでいる街のように時間が経って色々なモノが変わっていったとしても、それでも俺はずっと大好きな北沢の側で変わらずに支え続けれるような存在でいられるようにとも。
二番のサビが終わって、再び俺たちの視界は幾多のペンライトの光だけになり、その幻想的な緑のペンライトの海を、俺はボンヤリと立ち尽くして見つめていた。あぁ、これがもしかしたら今の無力な俺たちにしか見えなかった景色なのかもしれないと、そんなことを考えながら。もしそうだとしたら、何度も紆余曲折して立ち止まって見てみる景色も決して悪いモノじゃないと、今ならそう思うこともできた。
さぁ、ここからはいよいよソロパートだ。
まずは俺の左隣の翔太にスポットライトが当てられる。
“いつだってひたむきに 恐れずに輝きたい”
信じた夢は全て叶うと信じて止まない、子供のような無邪気な笑顔を浮かべて翔太は歌っている。
––––あぁ、そうだよな。夢を語る時はこれくらい笑顔で語らないといけねぇよな。
いつの間にか忘れかけていた夢を信じるひたむきさを、翔太が教えてくれているような気がした。得意な笑顔を浮かべたままに、まだまだ小さいけれどそれでも多くの夢を掴み取ろうとする手のひらを俺の肩に乗せる。
“信じてる 微かなヒカリだから描ける未来 There is my hope”
次にスポットライトに当てられた北斗は、ほんの少しだけ儚げな表情を作って歌っていた。その表情から、ふと北斗が高校時代までピアニスト志望だったと聴いた日のことを思い出した。残念ながら指を怪我してその夢は潰えてしまったのだと話していたから、もしかしたら北斗は俺たちより何倍も夢を見続けることや叶えることの難しさを知っているのかもしれない。
だけど今、俺の方を向く北斗は決して悲観的な表情をしていなかった。それどころか翔太と同じように自分たちの輝く未来を信じて止まないような、そんな純粋に夢を信じ続ける瞳をしているようにさえも見える。
ぽっと優しく北斗も俺の肩に乗せ、一瞬だけスポットライトが消えた。スポットライトが消えた拍子に二人の手のひらが肩を離れて背中へ移ると、「行ってこい」と言わんばかりに俺の背を力強く押してくれた。
ここからは俺のソロパートだった。
二人より一歩前に立って、俺は目蓋を閉じる。その刹那、目蓋の裏に北沢の色んな顔が映っては、走馬灯のように次から次へと流れていった。いつもの無表情な顔、少しだけ愛想のない笑った顔、綺麗な眉をしかめる困り顔、アイドルの話をする時の真剣な顔、そして俺が一番好きな不器用に浮かべる笑顔。
上手くなんか歌えなくていい。声が裏返ったって、カッコ悪く音程を外したって構わない。どうか俺の歌声が北沢の胸の中を覆い尽くす絶望の闇を掻き消す光になりますように。
眩しいスポットライトが、俺を捉える。あの日、抱きしめるばかりで守れなかった北沢の笑顔をもう一度だけ思い浮かべて、俺は北沢への想いの全てを込めてマイクに声を通した。
“カタチ無い哀しみや涙をさらって きっと満天の空 届けたいから––––”
俺のソロパートが終わると、ステージが一気に明るくなった。いつの間にか隣に立っていた二人が満面の笑みで俺を見つめている。
その二人の顔付きを見て、俺はこの時確かに確信した。無力さ、弱さを受け入れることのできた今の俺たちならどこまでだって飛んで行けるのだと。例え空が灰色の雲に覆われたとしても、太陽が沈んで不安な夜が訪れようとも、この二人と一緒なら俺は大きな空へと羽ばたいて、多くの人たちを照らす木星のような存在になれると––––。
ずっとずっと手のひらで握り締めていた“あの感触”が、確かにこの時俺の手のひらに物体となって存在していた。その感触を大事に大事に握りしめながら、俺たちは最後のサビを歌い上げる。
“果てしないこの空をまっすぐ渡って キミを照らせるような 惑星になると いつか願ってる 不確かな今日も 希望描くための 鍵になること 祈りながら 歩いてく”
Planet scapeが終わると、途端に今日一番の歓声と拍手が鳴り響いた。それは今まで俺たちジュピターがファンから受けてきた喝采や称賛の中で、一番に近い熱を持った反応だった。
––––弱い俺たちも受け入れてもらえたんだ。
そう思うと心がスッと軽くなって、俺たちは三人手を繋いで横一列に並んだまま、深く頭を下げる。ゆっくりと顔を上げると、真っ暗な会場は徐々に明るくなり始めていていて、今まで見えなかった観客席にいるファンたちの満足そうな顔を確認することができた。その景色はまるで俺たちジュピターが961プロを抜けてからずっと過ごしてきた長い夜が明けたかのように、目を開けていられないほど明るくて眩しく感じられたのだった。
★☆★☆★☆★☆
不思議な感じがした。
天ヶ瀬さんの、翔太くんの、そして北斗さんの歌声が私の喉を一直線に通り過ぎていって、Planet scapeの歌詞が私の胸に入り込んでは深い海の底を突き進む潜水艦の如くグルグルと胸の中で渦巻いて、あの日高台の公園で見た木星のように闇の中で一閃のきらめきを放ち、胸の中を覆い続けていた闇を徐々に照らしていく。その光はとても温かくて優しくて、私を包み込んでくれているようだった。胸の中に居座り続ける深い闇を完全に消し去ることはできなかったけれど、闇を押し消そうとする三人の光は、ほんの少しだけ私の行く先を照らしてくれているような気がした。
天ヶ瀬さんが作詞したPlanet scapeが終わって会場が明るくなった時、その明るさに怯んで私は思わず瞳を閉じた。すると頬に一滴の涙が伝ってきて、そのことに気が付いた途端、止め処なくボロボロと涙が溢れ出てきた。涙を無理やり止めようと何度も目元から溢れ出てくる涙を拭って鼻の先をこする。だけど必死に抵抗をする度に視界が潤んで涙が止まらなくなって、もうどうすればいいのか分からずに、私はその場でうずくまりながら息を殺して泣き続けた。
ステージでは三人が簡単な挨拶をしており、ライブは終幕を迎えていた。いつになくやりきった表情でファンに向かって手を振る天ヶ瀬さんを見ていると更に涙腺が緩んで、まともに直視することさえも許してくれなかった。そして潤んだ視界の端で天ヶ瀬さんの姿が舞台袖に隠れた瞬間、私は無意識のうちにモノクロ調のタイルの床を蹴って、全速力で走り出していた。ライブの余韻に浸るファンの人たちを縫うように掻き分けて、十二月の記憶を頼りに道なりを走っていく。眼から溢れる涙を拭いもせずに一心不乱に走り続けた私が辿り着いたのは、以前恵美さんと琴葉さんと共に訪れたジュピターの楽屋だった。
「北沢?」
ドアをノックしようとした瞬間、背後から名前を呼ばれて振り返る。振り返った先では汗を滲ませた真新しい衣装に身を包んだ三人が、少しだけ驚いたような目で私を見下ろしていた。真ん中で私を見つめる天ヶ瀬さんの両脇にいた二人が、すっと離れて踵を返す。おそらく今歩いてきた道を逆走していったであろう二人の姿が見えなくなると、天ヶ瀬さんは言葉を探すように視線を宙に泳がせながら、後頭部を掻いた。
「……アイドル活動、楽しかったか?」
僅かな沈黙を経て天ヶ瀬さんの口から飛び出した第一声はそれだった。意外な問いかけを聴いて、私は思わず涙を止めた。私がですか?と訊き返すと、「北沢がだよ」と天ヶ瀬さんは答える。
「楽しいか楽しくないかと言ったら、楽しかったかもしれませんけど……」
歯切れの悪い言葉しか出てこない。曖昧な返事になってしまったが、これが私の本音だった。
上手くいかないことばかりで、時には泣きたくなるほどの挫折もして、それでも今振り返ればそんなアイドル活動を少なからず楽しんでいた私がいたのは確かだった。だけどそれは絶対に叶えたいと強く願った夢があったからで、その夢が実現不可となってしまった今はほんの少しだけ私が口にした言葉の意味合いが変わってしまうような気がする。アイドル活動は確かに楽しかった。だけどそれは結局私にとって何も生み出さない無駄な時間だったのだ。
天ヶ瀬さんは「そっか」とだけ返すと、視線を私から足元へと落とす。何度か口元が動きかけたような気がしたが言葉は出てこなかった。やけに慎重に天ヶ瀬さんが言葉を選んでいるのが分かった。
「……楽しかったならさ、続けるべきだと思うぜ」
ようやく顔を上げて汗を含んだ前髪を除けながら、天ヶ瀬さんがそう言った。
––––でも。
天ヶ瀬さんが私のために必死に言葉を選んでくれているのは理解していた。そしてそれが気休めや慰めの言葉なんかじゃなくて、彼なりの本心なのだとも。そんな彼の思いやりを私は咄嗟に可愛げもなく否定しようとしてしまって、慌てて出かけていた言葉を飲み込もうと口を閉じた。だけど静止をかけるのが一歩遅くて、私は天ヶ瀬さんが今日のライブで私に伝えたかった想いを、真っ向から否定する言葉を口走ってしまった。
「目標も夢もないのに、続ける意味ってないと思うんですけど」
溢れた言葉がそのままブーメランになって、自分の胸に突き刺さる。口に出してしまってすぐにしまったと思った私は、慌てて天ヶ瀬さんから目を逸らした。
「そんなに続ける理由が必要か?」
「え?」
優しい声が誰もいない楽屋前の廊下に響いた。自分の想いを真っ向から否定さてもなお、天ヶ瀬さんは涼しい顔で私を見下ろしていた。
「そんなに理由が必要なら俺が一緒に探してやるよ。これから北沢がアイドルを続ける理由も、新しい夢も」
てっきり差し伸べてもらった手を拒む私を軽蔑したり、それこそ「もういいから」なんて言葉と共に諦めたりするものとばかり考え、身構えていた私に掛けられたのは、思いも寄らない言葉だった。ひとつまばたきをして私をじっと見つめる天ヶ瀬さんの思考が読めず、私は頬に残った乾いた涙の痕を動かして問いかけた。
「……どうして、そこまでしてくれるんですか?」
家出をしてきた私を泊めてくれたり、こうして少しでも前向きにさせようと気に掛けてくれたり、私がアイドルを活動を通して新たな夢や目標を見つける手助けをしてくれるとまで言ってくれたり。
天ヶ瀬さんがここまで私に気を遣ってくれる理由が、未だに何一つ分からなかった。私は天ヶ瀬さんのような人を惹きつける才能も、大空を飛ぶ術も持たないただの凡人だ。そんな私を気遣うメリットが天ヶ瀬さんにあるとは到底思えなかったのだ。
天ヶ瀬さんは困惑したようにしかめっ面をして苦笑いをしている。だけど何処か余裕を感じさせる表情で周囲をしきりに確認すると、再び後頭部を掻いて一歩だけ私の方へ歩み寄り、瞳の奥をじっと見据えた。それは何かを覚悟したかのような、強い決意が込められた眼差しのように見えた。
「聴いてくれ。俺は北沢のことが––––」
「いやあぁ、素晴らしいライブだった! あれこそまさしく私が求めていたパッションの結晶体だっ!」
天ヶ瀬さんが私の瞳に向かって何かを言いかけた時だった。二人だけだった世界の静寂を突如破壊する男の陽気な声が廊下中に轟いた。
驚いて肩をビクッとさせると、慌てて後退りする天ヶ瀬さん。その視線はもう私の瞳ではない別の何かを捉えていて、私も反射的に背後を振り返って天ヶ瀬さんの視線を追う。私たちの視線の先では翔太くんと北斗さんが曲がっていった角の辺りで、季節外れのポロシャツを着て襟を立てた大柄な男が立っていた。
「まっ、またアンタかよ!」
天ヶ瀬さんはこの大男を知っていたようだ。天ヶ瀬さんの言葉に怯みもせず、堂々と大男が私たちの方へと歩いてく。近付いてきて目に入ったポロシャツの胸にプリントされた『315 Pro』の文字、そして息苦しさを感じさせる大男の威圧感に、私は既視感を覚えた。
(あれ、この人ってこの前のライブにも来ていた人じゃ……)
前回のライブ後に、同じようにこの楽屋前ですれ違った時のことを思い出す。あの時もパッションがどうとうかこうとか話していた記憶があるから、間違いないと思った。確か新興勢力のプロダクションだって北斗さんが言っていたっけ。
「しゃ、社長! 挨拶もしないでいきなり失礼ですよ!」
今度は慌てた様子で男が角の先からやってきた。大男とは打って変わってか細い華奢な身体つきの男は髪を一つに束ねるほどに伸ばしており、中性的で綺麗な顔立ちをしていた。低い声と喉から出た喉仏がなければ女性と見間違われてもおかしくないような、そんな風貌だ。
「あ、アンタは……?」
新たにやってきた中性的な顔をした男は天ヶ瀬さんも初対面だったらしい。社長と呼ばれる大男の前に立つと、綺麗な仕草でポケットから薄い四角形のケースを取り出し、物腰が柔らかい様子で一枚の紙を天ヶ瀬さんに差し出した。
「申し遅れましたが、私、315プロダクションのプロデューサーを勤めております石川と申します」
「石川さん……?」
礼儀正しい口調と共に天ヶ瀬さんが差し出された名刺を受け取ると、石川と名乗る男は突如視線を私へと向けた。
「貴女は確か765プロダクションの北沢志保さんですよね?」
「え、あ、はい。元ですけど……」
「元、ですか?」
石川さんは私のことも知っていたようで、ジュピターの楽屋前にいることも、私が“元”と付け加えたことにも疑問を抱いている様子だった。だけどあまり興味がなかったのか、それ以上の詮索はせず何も言わないまま視線を天ヶ瀬さんに戻した。
受け取った名刺をボンヤリと見つめる天ヶ瀬の表情には明らかに迷いが生じている。その迷いを、石川さんは見逃さなかった。
「本日はジュピターの皆さまへの正式なオファーを出すためにやってきました。是非私たち315プロダクションにジュピターの皆さんの夢を叶える手助けをさせていただけませんか?」
石川さんの言葉が、静かな廊下に木霊する。
すぐに断るのかと思いきや、天ヶ瀬さんは黙り込んだだけで何も言わなかった。その姿を見て、我慢しきれずに私が先に口を開いてしまった。
「……天ヶ瀬さん、事務所に入るんですか?」
私の言葉を聴いてもなお、天ヶ瀬さんは罰が悪そうな形容もできない妙な表情を浮かべるだけで、何も言葉を発しなかった。
NEXT → Final Episode : 俺と私のOver again
次回でやっと最終話。
なんとか30万字以内で収まりそう。それでも長いか。
ここまで頑張って読んでくれた皆、最後まで付いてきてくれよなぁ〜。