【完結】ニタモノドウシ   作:ラジラルク

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ありがサンキュ!!!!!!(フライング)
残すところあと3部、もう初投稿ネタも切れてきたので初投稿です。




 

 瞼をこじ開けるようとする陽の光の刺激で目が覚めた。瞼を開いて薄いカーテン越しに見える空が明るいことを確認すると、小さく寝返りを打って身体を起こす。隣では天ヶ瀬さんがまだ眠っていた。昨日のライブの疲れか、それとも連日の疲労が溜まっていたのか、天ヶ瀬さんは泥のように眠っていて、私が起きていることには気が付きもせずに静かな寝息を立てている。暫くその寝顔をボンヤリと見つめて、私に掛かっていた布団を天ヶ瀬さんに優しく掛け直し、私はベッドを降りた。

 ここに住み始めてからずっと借りっぱなしだった天ヶ瀬さんのジャージから私の私服へと着替え、畳む前に忘れ物がないかを確認しようとジャージのポケットの手を突っ込むと、指先がヨレヨレになった紙を捉えた。ポケットの底に潜んでいた紙を引っ張り出してみる。私の指先が捉えていたのは、この部屋で最初の夜を過ごした翌日、天ヶ瀬さんが用意してくれたサンドイッチに添えられたメモ用紙だった。

 何度かジャージを洗濯するたびにポケットから出しては、もともとそこが定位置だったかのようにポケットの中に戻して、そうやって繰り返し大事に温めてきた天ヶ瀬さんのメッセージ付きのメモ用紙を暫く睨んで、私はそのメモ用紙の裏側に感謝の意を込めてメッセージを残すことにした。

 枕元にメッセージを書いたメモ用紙を置いたがそれだけでは物足りない気がして、部屋を出る前にもう一度だけ天ヶ瀬さんの方を振り返る。この一ヶ月、数え切れないほど私を助けてくれた大好きな人の寝顔に向かって「ありがとうございました」と言い残し、私は部屋を出た。天ヶ瀬さんは最後まで眠ったまま、私の声に反応は示さなかった。

 

 私がマンションから出ると、丁度月を南西の方角へ追いやった太陽が雲の隙間から顔を覗かせていた。昨日までの雨はすっかり止んでしまって、濡れたアスファルトは朝日に照らされてキラキラと光っている。空にはまだ灰色の雲が散りばめられていたが、その雲たちの隙間からも強烈な朝日が射し込んでいて、一直線に伸びた光の軌道が東京の街に突き刺さっていた。この一ヶ月で見慣れた光景のはずなのに、今日ばかりは全てが新鮮に映って見える。雲を浮かべた空も、人の通りが少ない朝の道も、近くの駅から聴こえてくる電車の警笛の音も、何処かで鳴いている鳥たちのさえずりも、全てが真新しく感じられて、私の五感が「綺麗」だと感じているのがひしひしと伝わってきた。

 朝の空気をめいいっぱい吸い込んで、私は自分の家への道を歩き出す。電車で帰ろうかとも考えたが、今私が感じている綺麗な世界をもっと肌で感じたくて、歩いて帰ることにした。その足取りが次第に大股になっていって、私は初めてあれほどまでに嫌悪していた母に会いたんだなと思った。

 会って話したいこと、謝りたいことがあった。私は一秒でも早く母に会いたい一心で濡れたアスファルトを蹴っていく。

 色々と考えたが、母に会って真っ先に言うべき一言目は「ごめんなさい」だと決めていた。沢山心配をかけたことは勿論、父の死を知らされたあの日、感情に身を任せて辛辣な言葉を言い放ったことに対しても。一度家族から離れて、天ヶ瀬さんの家で過ごしたゆっくりとした時間の中で、いつの間にか自分の中でも気持ちの整理ができていて、気持ちの整理がついて初めて理解することができた。私たちに気遣って父の死を隠してきた母も、きっと私と同じように辛い思いをしていたのだと。

 だからちゃんと謝って、そして母を許そうと思う。その上で家族三人で、これから再出発を図れればと、そんな前向きな考え方ができるようになったのも天ヶ瀬さんのおかげなのかもしれない。

 ––––例えこの街が変わり続けてもずっとここにいるよ。

 昨日のライブで天ヶ瀬さんたちが歌ったPlanet scapeの歌詞が頭の中で流れてくる。

 あの頃とはすっかり変わってしまった街を私は歩いていく。最近新たに完成したマンションの前を通りかかった時、手を繋いで歩くスーツ姿の男と小さな子供とすれ違った。幼稚園に向かう途中なのだろうか、黄色のカバンを肩から掛けた子供は楽しげに話しており、優しそうな父親はしっかりと子供の目を見て話しを聴いている。昔はこういう仲睦まじい子と親の姿を見るとまるで世界から拒絶されるかのような疎外感を感じていた。だけど今は不思議なほど、何も感じなかった。疎外感も劣等感も、羨望感も嫉妬感も、何も私の胸に訴えかけてこない。あれほどまでに切羽詰まって、余裕がなくて、自分のことばかりしか見えていなかった私からは想像もつかないほど、晴れ晴れとした穏やかな気持ちで私はすれ違う親子の後ろ姿を見つめていた。

 見知らぬ父と子の姿も、あれほどまでに受け入れたくなかったこの街並みも、今の私の瞳には不思議なくらい綺麗に世界の一部として映っている。暫くその場で足を止めて親子の姿を見送った後、私は前を向いて軽くなった足取りで再び歩き始めた。

 

 

 

★☆★☆★☆★☆

 

 

 

 既に太陽が高い位置まで昇った頃に目を覚ますと、隣にいたはずの北沢はいなくなっていた。

 まるで今までの一ヶ月が夢だったかのように、北沢がこの部屋にいた痕跡は消え去ってしまっていたが、僅かに布団に残っていた優しい匂いと、律儀に畳んでテーブルに置かれていた俺のジャージだけが確かにこの部屋に北沢がいたことを証明しているようだった。唐突に独りぼっちになって寂しい気持ち半分と、ようやく北沢が前を向くことができたことを嬉しく思う気持ちが半分、寝起きでハッキリしない胸の中で入り混じるように渦巻いている。暫くは両者による胸の内での葛藤を見守るように、俺はベッドの上でボンヤリと虚空を見つめながら意識が覚醒するのを待ち続けていた。

 ボヤけていた視界のピントが合ってきて、やけに広く感じられるベッドを降りると、俺が起きるのを待っていたかのようにジャージの上に置かれたメモの存在に気が付いた。俺の文字と思われる少し乱暴な文字が書かれているメモの裏側には、綺麗な筆跡で「本当にお世話になりました」と書かれており、端には可愛らしい猫のイラストが添えられている。

 

『よかったら明日、会えませんか? ちゃんと母と話して解決することができたら、天ヶ瀬さんに伝えたいことがあるんです』

 

 北沢の残したメモ書きを見て、ふと昨晩のベッドの中での会話を思い出した。

 ちゃんと母と話をして、越えるべき壁を乗り越えて、俺に再び会いたいと北沢は言ってくれた。そして、その時になって初めて伝えたいことがあるのだとも。それは俺も同じだった。俺にも前を向くためにちゃんと乗り越えてケジメを付けなければならない問題があって、北沢に想いを伝えるのはその後じゃないといけないような気がしていたのだ。

 顔を洗って着替えて、いつものようにコーヒーを飲みながらテレビを見つつ、簡単な朝食を取る。遅い時間だったせいか、テレビではもうニュースではなくすぐそこに迫った桜の開花予想が報じられていた。

 そうか、もう冬も終わりに近づいてきているのか。

 北沢と初めて出会った時はまだ夏の日差しが残っていた頃で、あれから秋を挟んで険しい冬を迎え、その冬ももう終わりを迎えている。いつの間にか季節が二巡りもしていたことに気が付き、今更ながら本当に色々なことがあった日々だったなと振り返った。

 初めて喫茶店で話した時に北沢が眩しい眼差しで俺を見上げてくれたこと、その視線を裏切りたくなくて頑張りすぎて体調を崩し看病してもらったこと、北沢のデビューステージを劇場まで見に行ったこと、クリスマスにプレゼントを届けに行ったこと、そしてこの部屋で一緒に生活したこと––––。あっという間にすぎていった季節の中での北沢との思い出は、一欠片も欠けることなく俺の胸に刻まれていた。

 そんな北沢との思い出の残像を消し去るように、俺はテレビを消した。きっとこれからも俺は北沢と沢山の時間を過ごして、季節が巡っていくたびに彼女との思い出を振り返るのだろう。そんな時間がいつまでも続けはいいなと願う。そのためにも、北沢同様に俺も過去と決別して前に進まなければいけないのだと言い聞かせて、俺はコートを羽織って部屋を出た。

 マンションの外は雨が止んだ空から晴れ間が見えていて、冬とは思えないほど暖かい陽気に包まれていた。テレビで言っていた通り、もう春はすぐそこまで来ているんだなとありふれたことを考えながら、財布の中から昨日受け取ったばかりの真新しい名刺を取り出して見る。315プロダクションに俺たちジュピターの望んでいた未来があると信じて、俺は大きく息を吸った。雨を染み込ませたアスファルトの生暖かい匂いが肺の中にじわっと広がっていく。一度だけ空を仰ぐと、沢山の雲を抱えた大きな空の天井が今日は一段と近く感じられた。 

 手を伸ばせば届きそうな空だなと、そう思いながら手のひらをギュッと握りしめてみる。手のひらの中には昨晩同様、確かにこの空を飛び立てるような感触が残っていた。その感触を何度もなんども握りしめて確認し、かつて何度もなんども数え切れないほど通った道のりを思い出しながら、暖かい陽の光が照らす道を歩き始めた。

 

 

 

★☆★☆★☆★☆

 

 

 

 住み慣れた団地に帰ってきたのは、ほんの少しだけ太陽が高い位置に昇った頃だった。灰色の少し古びた外装、団地の端にある小さな公園は雑草が伸び放題になっており、もう何年も使われていないまま放置されている錆びた遊具が悲しげに佇んでいる。駐車場のアスファルトはあちこちがエグられていて、長年の月日が作り上げた浅い穴には昨晩の雨がまだ水溜りとなって残っていた。その水溜りの水面に朝日が反射してキラキラと光り輝いている。その煌めく水面を覗いてみると、驚くほど自然な笑みを浮かべている私が見つめ返していた。

 ––––もう大丈夫。

 水面の中の私がそう言って背中を押してくれたような気がして、私は我が家に向かって階段を昇り始めた。最上階の角部屋に着いてドアノブを回すと、開いたドアの先から嗅ぎ慣れた珈琲豆の匂いが溢れ出てきた。洗面所にある洗濯機が回る音、珈琲豆の匂いの中から微かに漂うトーストの匂い、私が毎日のように味わっていた朝の雰囲気だ。あぁ、私はいつもの日常に帰ってきたんだなと、妙な感動を覚えてしまった。

 

「志保!?」

 

 玄関のドアが開かれた音に気が付いた母の声がリビングから聴こえてくる。一目散に駆け寄ってきたエプロン姿の母は玄関に立つ私を確認すると、走ってきた勢いでそのまま私の身体を抱きしめてくれた。

 

「ごめんね、本当にごめんね……」

 

 もう遠くへ行ってしまわないようにと、ガッチリと私を捕まえる母は泣きながら何度も私の名前を呼びながら謝り続けた。鼻を真っ赤にした母は、意識的に声を抑えることもなく、感情を爆発させているようだった。母の目から溢れてくる大粒の涙が私の首元へと伝ってくる。それが母が今まで一人で背負い続けてきたモノの重さだということを、この時初めて知った。

 

「お母さん」

 

 泣き喚く母とは対照的に、私の涙腺は不思議なほど潤まなかった。きっとそれは感情が欠落したとか、私の瞳に映る世界が色を失ったとか、そういったネガティヴな感情ではなく、私の中で父の死も母の嘘も全てを受け入れることができたからなのかもしれないと思う。昨晩、母に会ったら真っ先に伝えようとしていた言葉が喉元まで出てきていたが、私はその言葉ではない違う言葉を母に掛けた。

 

「……ただいま」

 

 そして、私も今まで一人で多くのモノを背負ってきた母の小さな背中に手を回して、決めていた言葉を口にした。

 

「沢山迷惑かけてごめんなさい。お母さんもずっと一人で嘘つき続けて、辛かったよね」

 

 母は私の腕の中に倒れ込んで、声を上げて泣いた。しばらくの間、私は母が今まで一人で抱えてきたモノたちを肩代わりするかのように、何も言わずに母を抱きしめ続けた。やっぱり涙は一滴も浮かんでこなかった。

 

 その後、母が泣き止んだタイミングで私は天ヶ瀬さんから預かっていた封筒を手渡した。最初は私と同じように受け取れないと拒んだ母だったが、私は天ヶ瀬さん同様に無理やり母に封筒を押し付けて、最後は半ば強引に握らせた。

 

「……あの人、本当に一円も使わなかったのね」

 

 未だに納得し兼ねないといった様子で封筒の中身を確認した母が、困り果てた顔でそう言った。母としても一ヶ月も私を家に置いてくれた天ヶ瀬さんに何かしらの形でお礼をしたかったのだろうけど、それを一切合切返却されてしまったのだから、親としては素直に受け取りたくない気持ちがあったのかもしれない。

 天ヶ瀬さんはこのお金を家族の時間に使えって言ってたっけ。あの時に掛けてくれた言葉を思い出し、私は暫くお金の入った封筒の扱いに頭を悩ませていた母に提案をした。

 

「ねぇ、お母さん。このお金で旅行に行かない?」

「旅行?」

 

 意外と思ったのか、赤く腫らした眼を私に向けて母が訊き返した。

 

「うん。今まで忙しくて家族の時間ってあんまり取れなかったから、もしお母さんの休みが取れたら三人で旅行にでも行きたいなって思って……って、お母さんどうしたの?」

「え?」

 

 ボンヤリとしたまま私の提案を聴いていた母の眼からは、また一滴の涙が溢れて落ちていることに気がついた。頬を伝う涙を指摘すると、母も気付いていなかったようで慌てて目元を拭って苦笑いを浮かべる。だけど一度指で拭っただけでは涙は止まらなかったようで、母はしきりに「ごめんね」と困ったように謝りながらテイッシュで何度も涙を取り除いた。

 

「……亡くなる直前にお父さんも家族皆で旅行に行きたかったって言っていたの思い出しちゃって」

「お父さんが?」

「うん。だから行きましょうか、旅行。お父さんが羨ましく思うくらい、楽しまないとね」

 

 泣きながら笑って母はそう言うと私に背中を向けて、「志保に渡したいものがあるの」と一言だけ告げ、リビングに戻って行ってしまった。私も慌てて靴を脱いで母の背中を追うようにリビングへと戻る。久しぶりに帰ってきた我が家のリビングは少しだけ広く感じられて不思議な気がした。時計はまだ朝の九時前を指している。日曜日だから弟はまだ寝ているのだろう。リビングのテーブルには母の食べかけのトーストと愛用していたマグカップだけしか置かれていなかった。

 

「いつ渡すべきかどうか迷ったんだけど……。きっと今がその時なのかもしれないわね」

 

 リビングと隣接している部屋から戻ってきた母の手には、私が先ほど手渡したのと同じような色の封筒が握られていた。窓から入り込む朝日が母が持つ封筒に当たって、中に別の紙が入っているのが透けて見えた。

 

「なにこれ?」

 

 差し出された封筒を受け取って、中を確認する前に母に尋ねてみる。母は少しの間をおいて、涙の痕が残った頬を力なく緩ませた。

 

「お父さんから預かっていた志保への手紙よ。志保が二十歳になった時に渡すように言われてたけど、本当のこと知っちゃった今渡すべきかなと思って」

 

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