【完結】ニタモノドウシ   作:ラジラルク

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早速沢山の高評価、お気に入り、ありがサンキュー!
こんな作品を日間に載せて誇らしくないの?(褒め言葉
お礼に1145141919810秒毎に投稿してやるからさぁ、見とけよ見とけよ〜(大嘘




 凄まじいスピードで人々の生活を豊かにし、様々な生活を様式を変えた二十一世紀のIT革命。音楽業界もその例に漏れず、ここ数年で人々の音楽文化は幾度となく進化と終焉を繰り返してきた。

 CDからカセットテープに、カセットテープからMDに、MDからiPodなどのウォークマンに、そしてスマートフォンが大流行した今は定額制の音楽サービスやダウンロード販売が主流になり、音楽の起源とも言われたCDの存在が淘汰され始めている。ネット環境さえあれば好きな時に好きな楽曲だけを手軽に購入できるようになったこのご時世、わざわざ店頭に出向いてまでCDを購入する人が減ってしまったのだ。

 だが圧倒的に数が減ったとはいえども未だに利便性を無視してCDを購入し続ける人も多いと聴く。コレクション目的の人もいれば、同封されているイベントのチケットなどの特典目当ての人など、その理由は十人十色だが、かくいう俺もこれだけ便利な時代になった今でもなおCDを買い続ける人間の一人だった。

 表紙となるジャケットや歌詞カードのデザイン、何かしらのテーマや意図に沿って定められた曲順など、CD一枚と言えどもそこには沢山のアーティストの拘りや作曲家などの想いが秘められていて、それら要素を全て引っ括めて“一つの作品”として楽しむことによって、より深く楽曲を味わうことができる––––。楽曲のみならず、そういったCDという媒体を通して味わう音楽の楽しみ方が、俺は昔から好きだったのだ。自分でもそれがアナログな楽しみ方だとは思っていながらも、今の主流である便利な音楽配信サービスやダウンロード販売ではどうしても味気なく感じてしまい、物足りなさを感じていた。

 そういったCDへの強い拘りがあったせいで、北沢のデビュー曲である“ライアー・ルージュ”がダウンロード販売が始まったと知った時も随分と頭を悩ませたが結局購入はしなかった。その時既にシグナルの三人のソロ曲CD化が公式で発表されていたため、 今すぐではなくともいずれ北沢たち第二世代組もCD化されると踏んでいたのだ。定例ライブから半年も待たされたのは少し想定外ではあったものの、案の定俺の予測通り北沢のソロ曲もCD化されて店頭で販売されることが決まり、その発売日を俺は指折り数えて待ち続けていた。

 発売日当日、俺はまだ冬の寒さの名残が残る早朝から近所の大手CDショップへと向かった。その道中で何度も思い浮かべていたのは、少しばかり遠い日の記憶になってしまった定例ライブでの北沢の姿だ。あの時の会場の空気がガラッと変わった瞬間の雰囲気、誰よりも強く美しく輝いていたステージ上での北沢の姿––––……、まばらな数の席しか埋まらなかった劇場で俺の五感が感じ取った全てが、埃をかぶった宝箱の中から次々と顔を出すかのように、断片的に覚えているライアー・ルージュの歌詞と共に浮かんでくる。

 

「……良い曲だったよなぁ」

 

 思わず白い息と共に溢れたあの時の感想は、目の前の横断歩道を横切っていく車たちの喧騒な音に掻き消されてしまった。

 定例ライブの直前、北沢は俺に弱音を吐いた。誰かを好きになった経験がない自分はライアー・ルージュの歌詞に込められた想いが理解できず、それ故に歌いこなせる自信がないと。

 それからライブ当日までに何があったのか分からないが、俺が観たステージ上の北沢の佇まいはそんな弱音を吐いた人間とは全く別人の姿だった。迷いが一ミリも感じられない立ち振る舞いは新人らしからぬ堂々としたもので、ライアー・ルージュと真正面から向き合うその姿はまさに凛とした強さを兼ね備えた、一人のアーティストの姿だった。そしてそんな迫真の姿に、胸の奥に潜む何かが大きく揺さぶられる衝動を覚えた人は、決して俺だけじゃないと思う。

 信号機が青色に変わって、聴き慣れたメロディが交差点に響く。横断歩道の先で通行人を待つ真新しい信号機の背後には、よく足を運ぶCDショップの看板が俺をじっと見つめていた。その一際目立つ黄色い看板に向かって、俺も横断歩道を渡り始める。俺の足取りがいつの間にか早足になっていたことに気が付いて、すぐさま耳たぶの端まで一気に熱が行き渡った。柄にもなく、俺は今日という日を思っていた以上に楽しみにしていたのかもしれない。

 ––––1秒でも早く、ライアー・ルージュを聴きたい。

 その一心で、俺は横断歩道を渡りきった。耳が熱を持っているのは、きっと寒さのせいだけじゃはずだ。

 

 ほぼ開店と同時に目当てのCDショップへと辿り着いた俺。しかしそこで直面したのは思いも寄らない現実だった。

 入り口からすぐの場所に置かれた天海春香の大きなパネル、その周辺の女性アイドルコーナーの棚の中をくまなく探してみたが、どこにも北沢のライアー・ルージュのCDは見当たらなかったのだ。

 全く想像もしていなかった嫌な予感が、静かに胸をよぎる。まさかとは思いつつも、レジであくびを押し殺しながらボンヤリとしている店員に声をかけた。

 

「はっ!? う、売ってないっ!?」

「そっすね。シグナルのならあちらにあるんですけど」

「入荷する予定とかは?」

「今のところないっすね。日数いただければ取り寄せできますけど」

 

 レジに立つ店員のまるで「当たり前でしょ」と言わんばかりの口調。

 その現実を受け入れることができず、俺は必死に訴えかけるようにしてスマートフォンでCDの写真を見せたが、少し気怠けな口調のメガネをした男性店員は俺の希望を易々と打ち砕いた。

 

「いやぁ、分からないすね。この子たちの名前は、見たことも聴いたこともないんで。ウチには入ってこないと思いますよ」

 

 呆然としながら店を出て、俺はどうしてこの可能性を考えなかったのだろうと激しく後悔した。CDの販売前から知名度と人気があったシグナルの三人に対し、北沢は無名アイドル同然の存在。店員が言うように、そんな三人のCDがシグナルと同じように大手CDショップの店頭に発売日から並ぶはずがなかったのだ。

 それでも俺は望みを捨てきれず、近辺のCDショップを幾つか回ってみた。が、結果は変わらず。店頭に並んでいるのはシグナルのCDだけで、どこの店にも北沢のCDは一枚たりとも置いていない。一店舗だけは田中さんのCDを取り扱っていたが、それも数はかなり少なかった。各店舗の店員に尋ねてみても、皆揃いも揃って「入荷の予定はなし」と口にするくらいだから、恐らくそもそもの出荷枚数自体が少ないのだろう。

 大手CDショップで入手できない以上、ネット通販以外の方法でCDを入手するのは現状不可能に近い。ネット通販で購入しても、どうしても手元に届くまでに数日単位で時間がかかってしまう。当然それは店舗で取り寄せた場合でも、だ。

 

(なんかいい方法ねぇのか……)

 

 途方に暮れながら重い足取りで帰路を辿る中、俺は必死に頭を捻らせた。

 定例ライブから約半年も楽しみに待っていたのだ、どうしても発売日の今日中に入手して今すぐにでもライアー・ルージュ聴きたい。だがダウンロード版だけは絶対に購入したくなかった。CDで聴きたいという拘りは勿論、一生に一度の“アイドル北沢志保”の記念すべきデビューシングルとして、何かしら形あるものを手元に残しておきたかったのだ。

 

「そもそも何処に行けば売ってんだよ……」

 

 思い付く限りの店を回って、だけど何処も結果は同じで。

 もう何店舗目かも分からないまま店を出た俺は道端に転がってい小石をスニーカーの先で突いて、空を仰ぐ。いつの間にか太陽は俺の真上にまで昇っていて、ジリジリと春の日差しを向けていた。

 CD化されて間違いなく世に出回っているはずだが、現状どのCDショップにも北沢のCDは並んでいない。だとすれば、逆にどこに行けば入手することができるのか。必死に考えてみたものの、北沢のCDを取り扱っているような店が一つも思い浮かばない。それどころか、日本の中心地である東京の大手CDショップにでさえ並んでいないのだから、現物を店頭で入手するのは砂漠の中から一本の針を探し出すことのように不可能に思えてきた。

 朝から何店舗も巡ったせいか、はたまた精神的ショックのせいか、途中からもうアレコレと考えることさえ面倒になった俺は、取り扱っている店舗を北沢に直接聴くことにした。正直なところ、「北沢のCDが欲しいから手に入る場所を教えてくれ」なんて、恥ずかしくてあまり言いたくはなかったのだが、それでも莫大な労力と時間を割いて砂漠の中から出てくるかも分からない針を探すよりはよっぽどマシだと思ったのだ。

 

『北沢のCD、今日発売って聴いたんだけど、それってどこで』

 

 あくまで自然体な感じで、それでいて今日という日を待ち侘びていたことを気付かれないように。

 念入りに時間をかけて考え抜かれた文章だったが、俺は途中で画面の上を走っていた指を止めて文章を全て削除した。北沢が今日、劇場で行われるCD発売イベントに出席していることを思い出したからだ。

 先日会った際にイベントは昼頃から夕方までと話していたから、今LINEを送ったところで返事が返ってくるのは恐らくイベントが終わってからになるだろう。だとすれば恥を忍んで北沢に確認したところで今すぐにCDを入手できる場所を知ることはできないことになる。一分一秒でも早くCDを入手したい今の俺にとって、夕方までジッと返事を待つのはあまり得策とは思えなかった。

 とりあえずイベントが終わるまでは自力で探して、それまでに見つからなかったら北沢に連絡するのが一番ベターな気がしてきた。だいぶ効率は悪いと思うけど。

 

 ––––ん、待てよ。

 

 大きく溜息を吐きながらスマートフォンをポケットに戻した瞬間、行き詰まっていた頭の中で何かが思いっきり弾けて、すっと道が開けたような気がした。クリアになった頭の中、一直線に開けた道の先にあるのは今日北沢が参加するイベントが開催されている765プロの劇場。この時になって初めて、俺はいとも簡単な事実を見落としていたことに気が付いた。

 

(あぁ、そうだ、劇場でCD発売イベントがあるんだから、劇場に行けば買えるに決まってるじゃねぇか!)

 

 まさに灯台下暗し、といったところだろうか。

 CDショップで買うことばかりに捉われていた単細胞な自分の思考回路に我ながら呆れてしまったが、それでもようやく北沢のCDを買える目処が立って、一気に身体中に活力が戻ってくるのが分かった。

 そうと分かれば早速劇場に向かうのみである。

 今の格好で劇場に行っても自分が天ヶ瀬冬馬だと気付かれないかをもう一度確認しようと、ニット帽を深く被り直して度が入っていない伊達メガネを掛けた自分の姿をガラス張りのビルで確認してみた。春の日差しを受けて煌く曇りのない透明なガラスには、嬉しそうに頬を綻ばせた自分が映し出されていた。そんな自分の顔を見ていると途端に気恥ずかしくなって、その場から逃げ去るようにガラスに映った俺に背を向けて踵を返した。

 

 

 

 

★☆★☆★☆★☆ 

 

 

 

 

「まぁ、ざっとこんな感じだな。麗花と志保は初のファンイベントだから緊張もあるかもしれないけど、気楽にやって大丈夫だから」

 

 薄いマニュアルの読み合わせを終えて、プロデューサーはリラックスした様子でそう言った。私の隣で麗花さんがいつもと同じ調子で返事をし、その後に続くように琴葉さんも「分かりました」と応える。慌てて私も何かリアクションを取らなければと、そう思って口を開こうとした矢先、プロデューサーと目が合った。

 

「志保、そんなに緊張するなって」

「べ、別に緊張なんかしてません。全然大丈夫ですから」

「そうか? それなら良いんだけど」

 

 プロデューサーも口ではそう言いつつも実際は冗談混じりだったのか、さほど心配した様子は見せずに「自分が楽しむことも忘れるなよ」とだけ言い残して楽屋を出て行ってしまった。

 その後ろ姿が見えなくなって、扉が閉まったと同時に溜息が溢れ出る。無意識に溢れた溜息に反応した琴葉さんが心配そうに私を見つめている様子が視界の隅に入って、私は慌てて席を立った。

 

「……ちょっとお手洗いに行ってきます」

 

 苦し紛れの嘘を付いて、私も楽屋を出た。そして誰もいない廊下で再び溜息。今日は無意識のうちに何度も溜息を溢しているような気がする。

 今日のイベントは、プロデューサーが言うように大袈裟に緊張するほどのものではなかった。

 私と琴葉さん、麗花さんの三人のソロ曲が今日からCD化され、そのCDを劇場の売店で買ってくれた人たちは私たちの中から一人を選んで握手をすることができる。ただそれだけのイベントだ。確かに私は他のメンバーたちと比べると口下手な方だという自覚はあるが、それでもお客さんと握手をして少しお話をするくらい、問題なく私でもこなせると自負していた。

 それなのに、何故こうも溜息が次から次へと止まらないのか。その原因は、握手会の会場に設置されたベルトパーテーションの数だった。

 会場には私たち三人が座る椅子があって、その前に置かれた長机にはそれぞれの名前が書かれた札が貼ってある。その長机から少し間隔を開けて、待機列を作る為のベルトパーテーションがそれぞれ三列分に設置されているのだけれども、真ん中の琴葉さんの待機列だけ私と麗花さんの倍近くの数のベルトパーテーションが置かれているのだ。

 

(……なんだかなぁ)

 

 突きつけられる現実を頭では分かっていながらも、どうしても悔しいと感じてしまう。

 琴葉さんの待機列だけが長く用意されている理由は明白だった。劇場での定例ライブ以降目立った仕事が与えられていない私と麗花さんに対し、昨年末の放送されたドラマ、“階のスターエレメンツ”に主役として出演した琴葉さんは既に知名度が高く、今日も大勢のファンが押し寄せてくることが予想されていたのだ。なんなら数ヶ月前にネット配信が始まった私たちのソロ曲だって、明らかに琴葉さんの“朝焼けのクレッシェンド”の売り上げだけは桁違いだと聴いている。今日のイベントも“39プロジェクト第二世代組”だと一括りにされているものの、琴葉さんの知名度だけ頭ひとつ抜けているのは誰の目にも明らかだった。

 こればっかりはもうどうしようもないことだし、アイドルはどんな綺麗事や御託を並べても結局は勝負の世界。現状定例ライブに立っただけの私がドラマに出演した琴葉さんに勝てる要素など何一つ持ち合わせていないわけで、だからこういった目に見える“格差”がついてしまうのは致し方ないことだとも分かっている。だけど私はその現実を素直に受け入れるほどの素直さも前向きさもなくて、こうして行き場のないモヤモヤを終始抱え込んでいた。

 

「……本当は天ヶ瀬さんにも来て欲しかったんだけどなぁ」

 

 直前まで彼を今日のイベントに誘おうか悩んだが、結局私は声掛けをしなかった。イベントに来て欲しい、アイドルとして活動している自分を見て欲しいという気持ち以上に、誰かに劣っているところを絶対に見られたくないという気持ちの方が圧倒的に勝ったのだ。

 今日の場合、琴葉さんの列に圧倒的に人が集まることは最初から分かりきっていた。そもそもの話、琴葉さんが居なかったとしてもほぼ無名に近い私に会いに来てくれる人が一人もいない可能性だってある。もし琴葉さんや麗花さんの列にだけ人が並んで、自分の列には誰も並ばなかったりでもしたら––––。

 万が一そんな最悪な事態を天ヶ瀬さんに見られたりでもしたら、多分私はその場で舌を噛み切って死ぬだろう。それくらい、天ヶ瀬さんには情けない自分を晒したくはなかったのだ。

 

「でもいつか、天ヶ瀬さんにも来て欲しい」

 

 天ヶ瀬さんは私だけじゃなく、きっと他の人たちから見ても強烈な存在感を持つ人間だと思う。神様に選ばれたかのような輝きを持つ彼は、きっといつの日か大勢の人の注目を一心に集めるような大きな“何か”をやってくれる––––、彼に会うたびにそんな予感を抱くのは初めて出会った当初からずっと変わらなかった。

 だからこそ、私も天ヶ瀬さんのような人間になりたいと強く願った。彼女としては勿論、一人のアイドルとして天ヶ瀬さんに認めてもらえるほどの価値を持つ人間に。そうすればきっと、天ヶ瀬さんがいつも見つめている空のずっと遠くの世界へ、私も辿り着けそうな気がしていたのだから。

 彼の見つめる先に、きっと私の追い求めている世界がある。

 その予感は、日に日に確信に近付いていた。

 

 ––––そのためにも、まずは今日のイベントからしっかり頑張らないと。

 

 頬を軽く叩いて、憂鬱な気分を吹き飛ばして気合を入れ直す。

 例え今日私の列に並ぶお客さんが少なかったとしても、今日の頑張り次第で次はもっと増えるかもしれない。今日よりも来月、来月よりも半年後、半年後より一年後、歌唱力もビジュアルも、才能もない私がトップアイドルになる方法はそうやって地道にファンを増やしていく他、ないのだから。

 

 

 

 

★☆★☆★☆★☆ 

 

 

 

 

 いざ幕を開けた私たち第二世代の握手会イベントはまぁ大方の予想通り、といった感じだった。

 やはり圧倒的に人気があったのは琴葉さんで、イベントが始まると同時にあっという間に長蛇列が出来上がり、凄まじい混雑ぶりを見せていた。その傍ら、私と麗花さんの列は無人かと言われればそういうわけでもなく、ほんの僅かな長さではあったが時折待機列ができるほどお客さんがやってきてくれて、私たちは自分を選んでくれたお客さんに感謝の意を込め、自分ができる精一杯のおもてなしをしていた。

 

「あ、あの! お、応援してますっ! ライアー・ルージュ、めっちゃ聴きますんで!」

「友達に連れられてライブに来たんですけど、北沢さんの曲聴いてほんと感動しました! 応援してるんで頑張ってください!」

「……私、志保ちゃんみたいな可愛い女の子になりたいです。アイドル頑張ってください」

 

 部活帰りなのかパンパンに膨らんだリュックを背負った坊主頭の男子学生や、同世代くらいの風貌の垢抜けていない男の子、母親らしき人に連れられてやってきた小さな女の子は緊張しているようで何度も目線を逸らしながらも私の手を終始小さな手の平でギュッと握ってくれた。

 定例ライブに来てくれていた人、雑誌やメディアなど媒体を通して知った人、中には春香さんたちのバックダンサーとしてステージに立ったアリーナライブから観てくれていた人などもいたりと、私のことを知ったキッカケはそれぞれだった。だけどそういった人たちの優しさを手の平から受け取っていく度に、次第に私の緊張もほぐれ、いつからか初対面なのに関わらず自然体で話をすることができるようになっていた。

 

 ––––あぁ、なんかいいなぁ。

 

 今までに感じたことのないようなやり甲斐を感じ、優しい気持ちで心が一杯に満たされていく。

 まさかこんなに多くの人が私の列にやってきてくれるとは思っていなかった。そして、こんなにも温かい言葉をかけてもらえるとも。

 確かに琴葉さんに比べると私の列に並んでくれた人の数は決して多くはないけれど、すぐに私が気にかけていた人の数なんて無価値なモノなんだなと気付くことができた。少なからず私のことを応援してくれる人がいて、こうやって温かくも優しい激励の言葉を沢山もらって、それだけで私は十分に幸せだったのだ。

 

(応援してくれている人たちのためにも、もっと頑張らないと)

 

 私の列に一度人気が減ったタイミングで一呼吸ついて、ペットボトルの水を口に含む。喉が乾き切っていたことを忘れるほど来てくれた人たちと夢中になって話していたようで、いつの間にかカラカラになった喉に冷たい水が駆け抜けていく感触がやけに気持ちよく感じられた。まだまだ残された時間のことも考えて少しだけ多めに水を体内に取り込み、ペットボトルから唇を離した時だった。

 ふと顔を上げた先、劇場の入り口付近にいた男の姿を視線が捉えた。一人でやってきたのか、男は困った様子で会場を彷徨っていて、すぐさま近くにいた誘導スタッフに声をかけられている。手には入り口で販売されているCDらしきものが入ったビニール袋が握られていた。

 紅色のニット帽にグレーのダウン、そして黒縁のシンプルなメガネ、その男の背格好を私が見間違えるはずがなかった。まさかとは思いつつも、反射的に心臓が大きく高鳴る。私の身体に咄嗟に訪れた衝動が、その予感が間違いでないことを証明しているようだった。

 

(ど、どどどどどうして天ヶ瀬さんがここに)

 

 嬉しさ半分、驚き半分、訳がわからないまま心臓が激しく動悸して呼吸が乱れる。

 私も今日のイベントに誘ってもいないし、彼も来るとは一言も口にしていなかったはずだ。それなのに何故天ヶ瀬さんが劇場にやってきたのか。

 彼がここにやってくる理由、目的が一切分からなかった。だが次の瞬間、天ヶ瀬さんは更に私の疑問を増やすような驚きの行動にでた。

 

「…………はっ?」

 

 信じられない光景を目にし、アイドルらしからぬ言葉が口から漏れる。隣で琴葉さんが慌てて私の方を振り返った。 

 天ヶ瀬さんは暫く入り口付近でウロウロした後、大勢の人が並ぶ琴葉さんの列に並んだのだ。

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