【完結】ニタモノドウシ   作:ラジラルク

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あけましておめでとうございます。
2021年初投稿です。




「……なぁ、ちょっといいか」

 

 ようやく俺が北沢にそう切り出せたのは、博多座を出た直後のことだった。

 北沢は相変わらず眼を逸らすように俯いていたが、微かに口角が動き、か細い声で「はい」と返事が聴こえてきた。その返事を合図に、俺たちは今日初めて歩幅を合わせて肩を並べる。無言のままの気の赴くままに彷徨い、いつしか俺たちは博多座近くを流れる小さな河沿いの、レンガ調の遊歩道を歩いていた。

 少し強い北風が吹いて、冬の名残を感じさせる冷気が頬を叩く。

 鼻に辿り着いた道路を走る車たちの排気ガスのにおいの中に、微かに海のにおいが混じっていたことに気が付いた。

 そういえば福岡市内は海に面していたんだっけ。 

 北沢が買ってきた観光雑誌に書かれていた情報を断片的に思い出して顔を上げてみると、河沿いに続いている遊歩道の先には空の蒼さに負けないほどに透き通った色を持つ海が広がっていた。

 どうやら俺たちの真横を流れる河は海へと繋がっていたらしい。

 春風と呼ぶには少し荒々しい海の風に、俺はその足を止められた。

 

「……この前は本当にすまねぇ! 申し訳なかった!」

 

 腰を九十度に曲げて、だけど気持ちはほぼ土下座で。

 レンガ調の地面に向かって、駅で北沢に手を振り解かれたあの日から何度も何度も伝えなければと胸の中で温めていた言葉を勢いよくぶつける。その拍子に北沢が俺の方を向いたのが間接視野の中に入り込んだのを確認して、俺はようやく謝罪と弁解を始めた。

 ライアー・ルージュのCDが欲しくて劇場に行ったこと、そこで受付の女性に勧められて流されるように握手会の会場に来てしまったこと、本当は北沢の列に並ぼうとしたけれどスタッフの人に正体を気付かれそうになって逃げるように人が多かった田中さんの列に並んだこと。

 今更になってこの想いを伝える勇気が湧いてきたのは、北沢と共に素敵な演劇の世界を楽しめたからなのか、はたまた普段住み慣れた街とは違う街にいる非日常感が後押ししてくれたからなのか––––。

 そのキッカケは定かではなかったが、一度口を開けばずっと胸の中で重りのように居座っていた謝罪の言葉たちは、思っていた以上にあっさりと姿を現してくれた。

 

「……事情は分かりました」

 

 俺の言い訳じみた弁解が一通り終わり、何年も閉ざされたままになっていた扉を開けるように、北沢がゆっくりと口を開いた。

 恐る恐る顔を上げてみると、俺を見下ろしていた北沢は怒った様子でも、軽蔑する様子でもなく、ほぼ無表情に近い殺風景な顔をしていた。その表情が、口では「分かった」と言っているものの、内心ではまだ納得できていないことを物語っているようだった。

 暫く無言の沈黙の時間があって、その後北沢が、「一つだけ確認していいですか」と言った。俺は黙って頷いたが、北沢はその様子を見てすぐに話を始めるわけでもなく、むしろ困惑したような顔になって慌てて視線を泳がせ始める。

 必死に言葉を探している北沢の漆黒の髪が、太陽の日差しに照らされてキラキラと輝く。その姿に、俺はいつの間にか見惚れていた。

 

「……天ヶ瀬さんは、本当に私のこと好きなんですか?」

 

 海風の音に掻き消されてしまいそうなほどの弱々しい声でそう問われ、はっと我に返った。

 無表情に近かった北沢の表情がいつの間にか、憂色を浮かべていた。何かに怯えるような北沢の顔を見て、思わず胸が張り裂けそうになると、次第にじわじわと胸がスコップでえぐられていくかのような痛みを覚える。自責の念と北沢への罪悪感が、スコップでえぐられた穴を瞬く間に埋め尽くしてしまった。

 

「……もちろん、好きだぜ。田中さんとか他の人じゃなくて、北沢のことが一番に––––」

「違うんです、そういうことじゃなくてっ」

 

 少しだけ感情的な北沢の声が、俺の言いかけていた言葉の上に被さった。

 違うって、どういうことだよ。

 北沢の発した言葉の意味が分からずに黙り込む。北沢はまたも言葉を選んでいるようで、顔を俯かせてジッと足元を見つめている。 

 俺は暫く待ってみたが、結局北沢は自身の胸の内を的確に表す言葉を見つけきれなかったらしい。

 

「……不安なんです。本当は私のこと好きじゃないんじゃないのかなって思って」

 

 俯いたままの北沢の口から出てきたのは、先ほど俺に問うた質問とあまり趣旨が変わらない言葉だった。

 

「だから、そんなことねぇって!」

「だ、だって––––っ!」

「“だって”、なんだよ?」

「それは……」

 

 好きじゃないのか、と訊かれ、「好きだ」と答えても北沢は納得してくれない。だとしたら北沢はどんな答えを求めているのか。

 何かを言いかけて慌てて蓋をした北沢の視線が不自然に泳いでいる。その動揺した姿から、北沢はもう自分が伝えたい想いを言語化する言葉を既に見つけているのだと察した。

 

「ちゃんと話してくれよ、何が不安なのか」

 

 北沢が俺にとって大切な存在で、本当に好きだからこそ、もし俺が彼女の顔を曇らせているのならその理由を知って改善したい。

 その想いが通じたのか、逃げ場を求めているかのように動き回っていた北沢の視線が一度だけ俺の瞳に焦点を合わせた。

 

「別に、不安ってわけじゃないんですけど。なんていうか、えっと……」

 

 視線が重なったのも束の間、すぐに伏し目がちになってものすごく言いにくそうに、途切れ途切れで言葉を紡ぎ始める。

 そして、

 

「私たち、付き合う前と今とで何も変わっていないじゃないですか」

 

 北沢が意外な言葉を零した。

 

「……変わってない?」

「そうです。握手会だって私のところじゃなくて琴葉さんのところに行くし」

「だからそれは––––」

「恋人らしいことも何一つしてないですし、それでそんなことされたら、いくら信用してても不安になるに決まってるじゃないですか!」

 

 再び言葉を遮られた。

 紅色に染まった綺麗な唇から、つらつらと言葉が溢れてくる。気が付くとあれだけ動き回っていた北沢の瞳が俺を真っ直ぐに見据えいて、俺は何も言えずに静かに聞き手に徹することしかできなかった。

 俺は根本的に北沢のことを分かっていなかった。

 北沢が俺に抱いていた不満は、俺が握手会に黙ってきたことだとか、田中さんの列に並んだことではなく、そもそもの俺の付き合い方が原因だったのだ。

 この春から俺たちは交際を始めたものの、それから二人の関係性に特別大きな変化が訪れたわけではなかった。そしてそのことには俺も気付いていながらも、何も思わなかった。きっと俺たちはこういう付き合い方でいいのだろうと、そう勝手に判断して自己完結し、劇的に何かが変化することを特には求めていなかったのだ。

 だが北沢は違った。北沢は俺とは正反対で、恋人になったことで訪れる劇的な変化に期待をしていたのだろう。だからこそ代わり映えのない俺たちの距離感にいつしか不安を抱くようになり、そして俺が田中さんの列に並んでしまったことで、その不安が一層強いものへと昇華してしまったのだと思う

 

「……すまねぇ」

 

 どんな顔をすれば良いのか分からなくて、今度は俺が逃げるように視線を逸らした。

 謝れば良いってものでもないと思うけど、今はこの言葉しか喉元からは出てこなかった。

 

「い、いえっ! 別に私も謝って欲しいとかってわけではなくて。ただ––––」

 

 ––––もしかしたら私が好きなだけで、天ヶ瀬さんはそうじゃないのかなって思ってしまって。

 硬くなった雑巾をまるで無理やり絞るように言葉が出てきたその一瞬、北沢の表情は今にも泣き出してしまいそうなほどに不安に怯えた顔つきに変わった。

 

「ち、違うっ! んなわけねぇだろっ!」

 

 抉られるように開いた胸の穴はとうの昔に満杯になっていたが、それでも罪悪感と後ろめたさは止まることなく沸き続け、俺の胸の中で溢れかえっていた。その胸に抱えた苦しみを振り払うように、俺は北沢の言葉を即座に否定した。

 

「俺は北沢のことが本当に好きなんだよっ! その気持ちは嘘じゃねぇって!」

「で、でもっ!」

「北沢がそうして欲しいならこれからは志保って呼ぶから」

「い、いやっ、別にそんな無理やり言わせてる感じじゃ私も––––」

 

 咄嗟に俯いた北沢の耳元が微かに赤くなっている。

 俺はもう捲し立てるかのように、その名を呼び続けた。

 

「志保!」

「––––っ!」

「志保! 志保!」

「ばっ、馬鹿の一つ覚えみたいに連呼するのやめてください!」

「そうだ! 志保も“天ヶ瀬さん”じゃなくて“冬馬”って呼んでくれよ」

「はぁ!? 何バカな事言ってるんですか!? そんな呼び捨てなんてできるわけないじゃないですかっ!」

「じゃあ俺も志保って呼ぶのやめるけど?」

「あ、いや、それは……。できればやめないでください」

「それならほら」

「なっ、なんでこんな時ばっかり先輩ぶるんですか?」

「良いから早く」

「うっ……」

 

 そして、北沢は耳元だけではなく沸騰したやかんのように顔を真っ赤にしながら、

 

「––––冬馬……、さん」

 

 声を振り絞った。

 その様子があまりにも愛おしくて、俺は周囲の目も確認せずに小さな志保の身体を無意識のうちに強く抱きしめていた。

 

 

 

 

★☆★☆★☆★☆ 

 

 

 

 

 北沢––––ではなく、志保は「上手く丸め込まれた」と不服そうにしていたが、ようやく仲直り(?)をした後、俺たちは気を取り直して福岡観光を思う存分楽しんだ。

 福岡市内は決して観光スポットが多いとは言えなかったが、それでも初めて訪れる街は存分に俺たちに高揚感を与えてくれて、いつしか俺たちは互いの手をギュッと握り合って、見知らぬ街の探索を楽しんだ。入り組んだ天神の通りにある古着屋で服を買ったり、天神駅裏にある広い公園でギターを弾く名も無きアーティストの演奏を聴いたり、福岡に来て何か特別なことをしているわけではなかったが、それでも大好きな人とこうして知らない街で過ごす非日常的な時間はとても新鮮味があって、それだけで俺の心は満たされていた。

 日が暮れた頃、俺たちは志保が事前に福岡出身の同僚に教えてもらった屋台の店に訪れた。年配の店主はかなり気さくな人で郷土愛が強いのか、はたまたただ単に気前がいい性格なだけなのか、俺たちが東京から観光で福岡にやってきて知り合いに勧められてこの屋台にやってきたことを話すと、これでもかってほど大袈裟に喜び、サイドメニューを幾つかタダでサービスしてくれた。東京はわりとサバサバした人が多いだけに、店主の人懐っこい人間性がやけに親しみやすく感じられた。

 

「……あんた、ジュピターの天ヶ瀬冬馬だろ」

 

 食べ終わって屋台を出ようとした時、カウンター越しにいた店主が外まで出てきて、そう声をかけられた。どうやら店主の娘さんがジュピターのファンだったらしく、その影響なのか店主も俺の顔を覚えていたらしい。

「色々大変みたいだけど頑張れよ。応援してるから」

 志保のことはさすがに知らなかったようで、「彼女と来てたことは言えねぇけど、娘に会ったって自慢できるわ」と言って高笑いしながら、最後に俺の肩を力強く叩いて見送ってくれた。

 

 

 

「……福岡、思っていたより良い街でしたね」

 

 福岡市内からは少し離れた志賀島にあるホテルに到着し、ようやく一息つけたところで志保が外を眺めながら独り言のようにそう言った。

 都会の喧騒から離れたこの志賀島のホテルは海に面しており、志保の見つめる先、月明かりが映し出された夜の海からは時折静かな波音が聴こえてくる。ほどよく涼しい風が吹いて、風呂上りで湿ったままの志保の髪を優しく揺らしていた。

 

「そうだな。なんかやけに優しい人も多かったし」

「ですよね! 私もビックリしました。東京の人とは全然違うなって思って」

 

 何かに追われているようにいつも急ぎ足の人が多い東京ではあまり感じられない、ゆったりとした時間の流れや人の温かさが福岡の街にはあって、その妙な居心地の良さを志保も感じていたらしい。

(同じ日本でも、こんなに雰囲気が違う街があるんだな)

 自分が思っている以上に世の中は広くて、まだまだ見たことない景色や世界が沢山あるのだと、そんな世界の広さを改めて実感した旅行だった。そしてそのことを知った福岡の街で、沢山の人たちの優しさに触れて、思っていた以上にリフレッシュできた気がする。

 

「私、いつか福岡に住んでみたいなって思いました」

「そんなにか?」

「だって程よく都会で海や自然もあって、人も温かくて……。住みやすそうに思いませんか?」

「まぁ、そうだけど……。でもアイドル活動はどうすんだよ」

「じ、冗談ですよ! いつか住めたらいいなって、それくらい漠然とした話です」

 

 慌てて志保は否定したが、そう思う気持ちも分からなくもなかった。

 東京で生まれ育ち、異様なまでの人の多さと駆け足な雰囲気が当たり前だと思い込んでいる俺たちにとって、落ち着いた都会である福岡の街は何かと衝撃的だったのだ。

 

「天ヶ瀬さ––––……じゃなかった。冬馬さん」

 

 未だにぎこちない口調で志保が俺の名前を呼ぶ。

 俺は志保の声と外から聴こえてくる優しい波音に引き寄せられるように、広縁にやってきて志保と向かい合うように置かれた椅子に腰掛けた。

 

「……冬馬さんは高校卒業後の進路、どうするんですか?」

「進路?」

「はい」

 

 また思いも寄らない質問を投げられて、俺は思わず訊き返した。頷いてそう言った志保の瞳は俺の口元をじっと捉えていて、この質問がなんとなくで訊かれた質問ではないことを察した。

 卒業後の進路……、か。

 そういえば春から俺が高校三年生になるのと同じように、志保も中学三年生に進級することになる。アイドルをしていてもあくまで本業は学生だ。志保も一年後には自分にとって最適な進路を考えて、決断しなければならない。

 

「正直、俺もまだはっきりとは決めてねぇけど……」

 

 アイドル活動をする傍らで大学に通う北斗から時折キャンパスライフの話を聴いたりもしていたが、正直高校受験の時の俺や当時の北斗と違い、明確にやりたいことがある今の俺にとってわざわざ大学に通うのはあまりメリットがあるようには思えなかった。

 

「多分進学はしねぇかな。本格的にアイドル活動に専念すると思う」

「そうですか」

 

 そんな気がしました、と志保は少しだけ口角を上げて、外に目をやる。綺麗な横顔の先には、満開の星空が広がっていた。

 俺は高校受験をした時、まだアイドルとして活動するなど微塵も考えていなかった。

 周囲の同級生と同じように自分の学力に見合った高校に何となく進学し、そしてアイドルになるまでは人並みの高校生活を送っていた。だから今すでにやりたいことが明確な志保にとってはあまり参考にはならないかもしれない。

 

「……志保はどうするんだ?」

 

 同じ質問を返すと、夜空を見上げながら志保は困ったように苦笑いをし、人差し指で掻いた。

 

「まだ全く決めてないんですよね。親の負担を減らしたくて寮のある学校に進学したいと思っているんですけど……、やっぱり弟のことも心配で」 

「まぁ、そうだよな。弟さん、まだ小さいもんな」

「そうなんです。だから多分近場の都立高校に進学すると思います」

 

 そうは言ったものの、その言葉が志保の本意だとは思えなかった。

 親の負担を減らしたいがために寮のある学校に進学したとしても、結局は親の仕送りが必要になるか、もしくは奨学金を借りないといけないことになる。俺みたいに事情があって一人暮らしをするならまだしも、普通は実家から通える高校に進学するのが経済的負担が少ないのは明確だ。

 だけど、志保はその選択に何か引っかかるモノがあるのだろう。話ぶりからそんな様子が節々に感じられたが、その引っかかっているモノを志保は俺に打ち明けなかった。自身の中でまだ整理がついていないのか、それとも話しにくい理由があるのか、原因さ定かではないが、志保は俺に“あえて”話さなかったような気がしていた。

 

「さっ、もう遅い時間ですし寝ませんか? 明日寝坊してバタバタするのも嫌ですし」

 

 最後にもう一度だけ目に焼き付けるように星空を見上げ、志保はカーテンを閉めて立ち上がった。

 きっと今は無理に聞き出そうとせず、本人が話してくれるまで待つのが得策なのだろう。俺はそう思って、志保の本心にはあえて触れないでおく事にした。

 

 

 翌日、俺たちは福岡市内でお土産を買って昼過ぎの飛行機で関東へと帰った。

 帰りの飛行機も行きと同様に無言だった。よっぽど疲れていたのか、飛行機に乗車して離陸する前に志保が深い眠りについてしまったからだ。

 俺の肩に首を乗せ、静かな寝息を立てながら眠る志保を起こさないようにと、俺はずっと身体を固定してぼんやりと窓の外の世界を見下ろしながら物思いにふけていた。

 

(俺、まだまだ志保のこと分かってなかったんだな)

 

 付き合い始めてからも変わらない距離感で満足していた俺と、不安を抱いていた志保。

 きっと志保は俺に気遣ってその不安を隠し続けていたのだろう。結果として俺が田中さんの列に並んだことで爆発させてしまったが、もしあの一件がなければずっと俺は気付くこともなく、志保は一人で我慢し続けていたかもしれない。

 本気で愛していて、自分にとって唯一無二な大切な人だからこそ、もっともっと志保と向き合わないと。

 俺は幼い子供のように安心しきった表情で眠る志保の横顔に、そう誓ったのだった。

 




NEXT → Episode Ⅱ : 俺と私の夢への距離

これにて福岡旅行編は終了です。
今回は福岡在住の作者によるあからさまなステマ……ではなく、二人が福岡に訪れたこと、そして志保が博多座で速水奏に出会ったことが、SE@SON Ⅱの物語を動かす大きなキーとなります。
物分かりの良い人はすでにこの回でSE@SON Ⅱのオチに気が付いたかも……。

あ、でも大学時代は東京に住んでたけど福岡はほんとに良いとこだゾ。
何はともあれ、今年もよろしくお願いしゃっす!
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