【完結】ニタモノドウシ   作:ラジラルク

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全然話題にならないけど、周防桃子の永遠の花はマジで全てが完成されている至高のソロverだと思っているので初投稿です。
エクストラエピソード第二弾、桃子先輩のお話になります。



EX : 周防桃子と永遠の花

 志保さんが変わった。

 その変化に気が付いたのは、わりと早い段階だったと思う。

 何かと多忙な年末年始の時期を終えて、緩やか平穏を取り戻しつつあった一月の末。この冬一番の大寒波が襲った日、偶然にもその日誕生日を迎えた志保さんが突如「アイドルを辞める」とだけ言い残し、失踪したことがあった。

 結局志保さんはその日の遅い時間に無事保護されたとお兄ちゃんから聴かされたけど、それから暫くの間は『活動休止』として欠席扱いが続き、劇場に戻ってきたのは二月末のことだったと思う。劇場に戻ってきた志保さんは深々と頭を下げ、淡々とした様子で今回の騒動の顛末を説明してくれた。

 誰も知らなかった志保さんの壮絶な家庭事情。初めて聴いた時、思わず涙したメンバーが何人もいたけれど、不思議と本人は前向きにこれからの未来を見据えていて、そこに悲壮感や絶望感は一ミリたりとも感じられなかった。

 

 あの騒動を一件に、志保さんは変わった。

 何が変わったのかと訊かれたら説明するのが難しいけれど、曖昧な言葉で表すのなら、志保さんは“柔らかくなった”と思う。

 今までの志保さんは常にピリピリとした張り詰めた空気を身に纏っていて、それこそまるで一匹狼のように、常に劇場の皆とも一定の距離を置いていた。誰と群れるわけでもなく、飽くなき向上心と高いプロ意識を持っていてどんな仕事にも熱心に向き合う、超が付くほどのストイック。それが皆が抱いている志保さんの印象だったと思う。

 そんな志保さんが、あの一件を境に親しみやすくなり、自然に笑う機会が多くなった。だけど仕事熱心で自分に厳しいところは全く変わっていなくて、見間違えるように変化した志保さんは以前に比べて随分と魅力が増したような気がしていた。

 きっと家庭の問題が解決して、心に余裕ができたのだろう。

 最初はそう思っていたけれど、実際は別の理由があったらしい。

 

「志保ちゃん、最近生き生きしてるわよね。彼氏ができるとこうも変わるモノなのかしら」

 

 ある日の休憩中、莉緒さんがそんなことを唐突に喋り始めた。

 驚きのあまり思わず口に含んでいたお茶を吹き出しそうになったけど、周囲にいたメンバーたちは特に反応を示すわけでもなく、頷いたり相槌を打ったりして莉緒さんの言葉を肯定している。どうやら志保さんに彼氏ができたことを自分が知らなかっただけで、いつの間にか周知の事実になっていたらしい。

 だけど、その話を聴いてどうにも志保さんらしくないなと思った。いつも自分で自分を律してる志保さんが彼氏はもちろん、他の人の影響を受けてここまで見間違えるように変化するとは思えなかったのだ。

 

「ねぇ、桃子ちゃんは彼氏や好きな人はいないの?」

「い、いないよ! 前にも言ったでしょ?」

「あら、そういえばそうだったわね」

 

 揶揄うように莉緒さんが笑う。

 こういう時に恋愛経験のないが故に子供扱いされるのは正直あまり良い気がしないけれど、かといって恋愛をしてみたいという気もさらさらない。もともと他人にそこまで関心があるわけでもない自分が、恋愛なんて浮ついたモノに振り回され、影響される姿が今は全く想像がつかなかったからだ。

 

 

 

 

★☆★☆★☆★☆ 

 

 

 

 

「周防、ちょっといいか」

 

 春休みが近づいてきた三月の上旬、帰りのホームルームが終わった直後に担任の先生から呼び出された。ランドセルを背負ったまま先生の席に向かうと、机の上には何枚ものプリントが挟まったクリアファイルが置かれていた。一番上に挟まったプリントの上部分に書かれた名前が目について、このプリントたちが今日一日学校を欠席したクラスメイトのシュウくんのものだと理解することができた。

 

「申し訳ないけど、今日の帰りにシュウんとこにプリント届けに行ってやってくれないか」

「別に、いいけど……」

 

 今日は劇場に行く用事もないし、どうせシュウくんの家も通学路の途中にあるから遠回りになることもない。特に断る理由もなかったから先生の申し出を引き受けて、クリアファイルをランドセルの中に詰め込んで学校を後にした。

 シュウくんは少し変わった男の子だった。

 いつもクラスの端にいて本を読んでいるような物静かな男子で、他の男子のように休み時間に戯れあったり、校庭で無邪気に走り回るような活発な性格ではないものの、だからといって友達付き合いが疎いわけでもなく、特別クラスで浮いているようなわけでもない。優しくて誰とでも隔たりなく仲が良いし、喜怒哀楽の波が小さい非常に穏やかな性格で小学生らしからぬ落ち着きがある。それこそ日頃お仕事で携わる業界の大人の人たちのような、そんな佇まいを彷彿とさせるシュウくんは、良い意味でませた男の子なのだ。

 そんなシュウくんのことを、実は数年前から一目置いていた。

 でもそれはシュウくんが優しいからとか、それこそ莉緒さんが言うような『恋』なんて浮ついたものじゃなくて、ただ単に自分を特別扱いしないでくれるからだ。

 子役として多くの作品に出演していた時も、アイドルとして芸能界に復帰した今も、何かと周囲のクラスメイトたちや先生たちは自分を色眼鏡で見るように特別扱いしてきた。いや、特別扱いされているだけならまだマシなのかもしれない、異端児扱いされて心ない言葉を投げつける人だって少なからずいたのだから。

 仕事が忙しくなれば当然学校に通う時間は減ってしまって、その間にクラスメイトたちは自分たちの仲良しグループを形成してしまうから、気が付けば自分はいつもどのグループにも属さない浮いた人間になってしまっていた。自分もまた、仕事が忙しくて友達と遊んだりするような普通の経験をあまりしてこなかったのもあり、既にグループが出来上がった同級生たちとどう接すれば良いのかわからず、こうして十一歳になった今も疎外感を感じながら学校生活を送っていたのだ。

 だけどそんな自分にも、唯一シュウくんは他の子たちと同じように接してくれた。

 席が近い時はよく世間話をしてくれたし、学校に通えない時期が続くとノートを見せてくれたりもした。芸能活動をしているからといって自分を特別視することもなければ煙たがることもなく、周囲のクラスメイトと同等の扱いをしてくれる。

 きっとそれは、普通の生活が送れない自分が一番強く求めていたものではないかと思う。

 

「あら、桃子ちゃん! こんにちは、ちょっと待っててね」

 

 綺麗な外装の新築のアパートのインターホンを鳴らすと、出てきたのはおばさんだった。

 今までも何度かこうしてシュウくんの住むアパートにプリントを届けたことがあったから、おばさんとは顔見知りになっていた。シュウくんと同じように優しい人柄のおばさんがドアを閉めて慌ただしく部屋の中へと戻っていくと、すぐさま入れ替わるように小さな足音が聴こえてくる。再びドアが開かれると、マスクをして軍手をはめたシュウくんが顔を出した。

 

「桃子ちゃん、いつもありがとう」

「べ、別に……、どうせ帰り道だし」

 

 咄嗟に可愛げのない言葉を返してしまったけど、シュウくんは嫌な顔一つ見せずに穏やかに笑っていた。そしてプリントが入ったクリアファイルを受け取り、再度「ありがとう」と言った。

 

「ねぇ、それより学校休んでたけど体調は大丈夫なの?」

「え? 体調不良じゃないよ」

「なっ!? それならどうして休んだの? まさかズル休み?」

「まさか」

 

 あっさりと否定して、けらけらと笑う。

 そしていつもと同じ、優しい落ち着いた声のトーンで信じられない言葉を発した。

 

「もうすぐ引っ越すんだ。その準備で忙しくて」

「––––––––えっ」

 

 シュウくんが引っ越す?

 頬をぶっ叩かれたような衝撃が走った。あまりにも淡々とした口調でにわかに信じられないようなことを話すものだから、それが冗談なのではないかと疑ってしまいそうになる。

 だけど、シュウくんはこういう人だった。過剰に驚くこともしないし、あまり感情を表に出さない人だから、ときたま周囲の人間があっと驚くようなことをさらっと口にするのだ。だからきっとこの話も冗談なんかじゃないのだろうなと思った。

 この時、生まれて初めて胸が糸で縛り付けられるような窮屈さを感じた。どうしようもないくらいに胸が痛くて、だけどどうすることもできないし、どうすればいいかも分からない。ただひたすらにその痛みに耐え続けることしかできなかった。

 

「……引っ越しって、どこに行くの?」

「宮城だよ。宮城の仙台市ってところ」

「それって東北だよね?」

「うん、さすが桃子ちゃん。ちゃんと勉強してるね」

 

 優しくそう言って笑うシュウくんの眼差しに胸の奥まで見透かされているような気になって、慌てて目を逸らした。

 なるべく感情を表に出さないようにと思っても、それでもどうしても喉から出てくる声は自分のとは思えないほどに震えている。だけどシュウくんはやっぱりいつものように、ポーカーフェイスで感情を表に出してくれない。

 シュウくんの胸の中を覗いてみようと視線をぶつけてみたけど、シュウくんの胸の中は一欠片も見えなかった。

 

「引っ越しは、いつなの?」

 

 失礼だと思っていながらも、シュウくんの背後にチラリと目をやると、そこには幾つかの段ボールが重なっていた。その光景が、更に胸を締め付けていく。

 

「うん、明後日」

「あっ、明後日!? もうすぐじゃない!」

「そうかもね。あ、学校の皆には内緒にしててね」

「…………そっ、それは分かったけど」

 

 きっと盛大に見送られることも、皆に別れを惜しんでもらうこともしてほしくなくて、ひっそりと転校したいのだろう。いかにも控えめなシュウくんらしいな、と思った。

 だけど静かに引っ越しの時を待つ本人とは裏腹に、自分の心はまだ現実に追い付いていなかった。今日ここに来て引っ越しの話を聴くまで、勝手ながらシュウくんとはこの先もずっと同級生でいるのだろうなと思っていたからだ。クラスは別になるかもしれないけれど、この学区だと進級する中学校は同じになるはずだし、そう考えると少なくとも残り四年間は同じ学校に通うことになる。そして数少ない自分を普通の同級生として扱ってくれるシュウくんと一緒に過ごせたら、その時間も実りあるモノになるはずだと、そんないつか訪れる未来を勝手ながら想像していたのだ。

 そんな当たり前に訪れるはずだった未来が、まさか明後日で終わりを迎えるとは想像もしていなかった。しかも東北の町に引っ越すとなると、もしかしたらこれが今生の別れになってしまうかもしれない。

 残されたタイムリミットへの焦りと、突如告げられた別れへの喪失感で、どうすれば良いか分からず、だけどその現実を受け入れることもできず、自分の頭の中は様々な感情が入り乱れて混乱していた。

 

「……ねぇ、これって何ていうお花?」

 

 まるで明後日に迫った唐突な別れから目を背けるように、ふと目に入った玄関に飾られていた華を指差した。

 シンプルな白の花瓶に刺さった紫の華は、今まであまり見たことのない華だった。色鮮やかな紫色はとても鮮明で、思わず見惚れてしまうような優しい色をしている。あまり華には興味がなく、何かを感じるようなことは今までになかった自分だけれど、この華には何か自分を惹き付ける不思議な魅力のようなモノがある気がした。

 

「それはね、『桔梗』っていうんだよ」

「ききょう?」

「そう。綺麗でしょ?」

「う、うん」

 

 あ、そうだ。

 唐突に何かを思いついたようにシュウくんが言う。そして普段はあまり見せないような年相応な顔つきで笑った。

 

「明後日さ、引っ越し前に会えないかな? 桃子ちゃんに渡したいモノがあるんだ」

 

 

 

 

★☆★☆★☆★☆ 

 

 

 

 

「やぁ、桃子ちゃん。来てくれてありがとう」

 

 シュウくんが引っ越すことを知った二日後。

 雨空に覆われた当日、指定された時間に東京駅の新幹線改札口に向かうと、既に私服姿のシュウくんが待ってくれていた。シュウくんは相変わらずいつものように穏やかな表情をしていて、まるで今から生まれ育った街を離れるとは思えないほどに清々しい顔をしている。その顔を見て二日前から胸を縛っていた糸が、強く引っ張られていくのが分かった。シュウくん本人はなんともない顔をしているのに何故か自分だけにどっと寂しさが押し寄せてきているようだった。

 

「お父さんとお母さんは?」

「一本前ので先に仙台に向かったよ」

 

 そう答えると、あまり時間がないのか少し早足でシュウくんの足が改札口に向かって動きだした。

 

「何時の新幹線に乗るの?」

「すぐのだよ、五分後のやつ」

「なっ……! 全然時間ないじゃないっ!」

 

 ––––なんでもう少し早い時間に待ち合わせしてくれなかったの。

 そう言いかけて、喉元で言葉が詰まった。初めて自分がシュウくんに会いたいと思っていたことに気が付いたのだ。

 もうシュウくんとのお別れが間近に迫ったことへの寂しさ、そして初めて味わう自分の不思議な感情に一人困惑していたが、当の本人はそんな心境を知ってか知らずか、予め買っておいたと思われる入場券を渡して先に改札を通り抜けてしまった。置いていかれないようにと慌ててその背中を追って、改札口を抜ける。改札を通ってホームに向かう途中のエスカレーターでちらりと覗き見したシュウくんの横顔は、いつになく凛々しい顔つきをしていた。

 

「ねぇ、渡したいものって何なの?」

 

 エスカレーターを昇り終えると、ホームには既に新幹線が到着して発車時刻を待っていた。さっき会ったばかりなのにあっという間に時間が流れてしまっていて、しきりに場内アナウンスが発車時刻がすぐそこにまで迫っていることを伝えている。

 

「これだよ、桃子ちゃん喜ぶかなって思って」

「なぁにこれ?」

「開けてみて」

 

 シュウくんはポケットから小さな長方形の紙袋を取り出して、そっと差し出した。

 その間にも時計の針は進んでおり、着々と別れの時間が迫ってきている。一秒でも時間が惜しくて、慌てて受け取った紙袋を言われるがままに開けてみると、紙袋の中から姿を現したのは紫色の花がプリントされたパックだった。

 

「……これってもしかして」

「うん、この前桃子ちゃんが綺麗だって言ってた桔梗の花の種」

「もらって良いの?」

「いいよ。綺麗な華だから、ちゃんと育ててあげてね」

「ありがとう、大事にするね」

「あ、そうそう。桔梗の花言葉は––––」

 

 シュウくんが桔梗の花言葉を言いかけた時、東北に向かおうとする新幹線が大きな警笛を鳴らした。警笛を合図に、慌ただしく何人もの人が新幹線に乗り遅れまいと駆け込み始める。まるで自分たちはそんな人たちの姿を遠目から見守っているかのように、乗車口の近くで佇んでいた。

 掻き消されるような形で花言葉を言えなかったシュウくんはじっと自分の瞳を見据えて、「邪魔されちゃったね」と笑っている。その微笑みは、まるで「言わない方が良かったのかもしれない」と、そんな胸の内を表しているようにも見えた。

 

「それじゃ、もう行くね」

 

 そう告げて、シュウくんが新幹線に乗り込んだ。

 ホームと新幹線、その距離は僅か二メートルもないほどだったけど、何故かこの瞬間はとてつもなく果てしない距離に感じられて、すると途端に今まで以上に胸が圧迫されて、息苦しくなった。

 

 さっき言いかけていた花言葉って何だったの?

 ねぇ、どうして最後に桃子だけをお見送りに呼んでくれたの?

 

 まだまだシュウくんに聞きたいことが沢山あるのに、胸が苦しくて言葉が出てこない。

 必死に歯を食いしばって、だけど喉の奥から出てくるのは嗚咽のような情けない声だけだ。堪えようとしても目からは涙が、鼻からは鼻水が溢れてきて、シュウくんがどんどん遠のいてくように視界が潤んでいく。

 どうしてこんなに胸が苦しいのか、涙が止まらないのか、その理由は全く分からない。伝えたい言葉も、訊きたかったことも、何も口にできないままその場で泣きじゃくっていた。

 

「桃子ちゃん、アイドル頑張ってね。応援してるから」

 

 そう言い残し、とうとうシュウくんとの距離を完全に断ち切るドアが閉められてしまった。

 ダメだ、本当にシュウくんが仙台に行ってしまう。

 慌てて強引に袖で涙を拭って、潤んだ視界の焦点を合わせる。遠い町に旅立つシュウくんの姿を最後に目に焼き付けようと、そう思って顔を上げた時––––。

 

 

 ゆっくりと東北の地へと向かい始めた新幹線の窓から、シュウくんが何かを伝えようと自分の目を見つめて必死に口を動かしていた。

 シュウくんが何を口にしたのかは残念ながら聞き取れなかった。だけどほんの一瞬、最後の最後で目と目が合った瞬間にシュウくんが伝えようとしていた言葉が胸に届いたような気がした。

 

 そのままシュウくんを乗せた新幹線はあっという間にスピードを上げて、ホームを抜けて行ってしまった。

 新幹線が見えなくなるまでずっとその場で立ち尽くした後、トイレに立ち寄って鏡で自分の顔を確認してみると、鏡の中には“周防桃子”が笑って泣いていた。

 この時になって初めて、自分がシュウくんに恋心を抱いていたことを知った。

 だけどその想いを、シュウくんに直接伝える術はもうなくなってしまっていた。

 

 

 

 

「桃子、そろそろ起きなさい……って、あら?」

「おばあちゃん? 桃子ならもうとっくに起きてるよ」

 

 朝、いつものように起こしにきてくれたおばあちゃんは、身支度を済ませた自分をまじまじと見て驚いたように目を点にしている。「桃子がこんな時間に一人で起きるなんて珍しいわね」なんて心外な言葉を言いながらも笑うおばあちゃんが、そのまま踵を返して部屋を出ようとした時、昨日から新たに窓辺に置いていた華の存在に気が付いて足を止めた。

 

「……桔梗じゃない。にしても、綺麗な色合いね」

 

 シュウくんが東京を離れてから二ヶ月、最後にもらった桔梗の華の種が先日ようやく開花した。そのうちの何本かを選んで、こうして花瓶に差して部屋に飾ることにしたのだ。

 

「でしょ? 桔梗はね、桃子のお気に入りのお花なの」

「あら、そうだったの。ところで桔梗の花言葉って、知ってるかしら?」

「もちろん。桃子が知らないわけないでしょ」

 

 それじゃ、桃子は今日一日劇場でお仕事があるから。そう言い残して、家を飛び出した。

 外はもう陽が昇って明るくなっており、夏の到来が近づいていることを感じさせる日差しで東京の街を照らしている。晴れ渡った青空を見上げて大きく深呼吸をし、朝の新鮮な空気を肺の隅にまでめいいっぱい取り込んだ。

 あの日、シュウくんは最後に「また会おうね」と言ってくれた。実際に言葉で聴いたわけではないから本当にそう言っていたのかは分からないけれど、例え言葉として耳に届かなくても、最後の最後に重なったシュウくんの視線は確かにそう言っていたような気がしたのだ。

 

 桃子もいつか、もう一度シュウくんに会いたい。

 そしてその時にこそ、居なくなって初めて気付いた自分の想いを伝えれたらなと思う。

 

 ふと自分の部屋の窓の方を振り返ると、朝の日差しを浴びて花瓶に差した桔梗の華が光っていた。僅かに開けておいた窓から迷い込んだ優しい風に誘われて、キラキラと輝く桔梗の華がまるで手を振っているかのように緩やかに左右に揺れている。

 

「次に会う時までに、桃子ももっと魅力的な人になっておかないとね」

  

 そう言い聞かせて、桔梗の華に手を振り返して歩き始めた。

 遠い町に旅立って行ったシュウくん。だけど別れ際に彼の瞳が言っていたように、いつかまた何処かで運命が重なって会えるような気がしていた。

 その“いつか”が近い将来訪れることを信じて、今できることを全力で頑張ろうと思う。仙台の街で頑張っているシュウくんに「桃子も頑張っているよ」って胸を張って言えるように。

 そして、こんな風に誰かのことを想って、毎日を頑張れる活力を得られるのなら––––。

 恋をして変わっていくのも、思いの外悪くないのかもしれないと思った。

 




そういえばミリシタでそろそろ永遠の花のイベントくるって言われてましたよね……。
ちなみに桔梗の花言葉は「永遠の愛」、「誠実」だそうです。また、白の桔梗だと「清楚」という意味もあるそうで、少し擦れてはいるけど子供らしい透明感もちゃんと保っている桃子にピッタリじゃないのかなと思いました。
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