961プロを退社してから一年にも及んだインディーズ期間を経た後、俺たちジュピターはこの春から始動した315プロの一員として、新たな一歩を踏み出すこととなった。
年中ポロシャツ姿で口癖は「パッション」の齋藤社長、女性のような端正な顔立ちと結べるほどに伸びた長髪が特徴的な石川プロデューサー。何かと癖の強い二人の元には、弁護士や医者、パイロット、中にはプロサッカー選手や高校教師など、実に個性的な経歴を持つメンバーたち十九名がアイドル候補生として集まった。
メンバーの大半は俺よりも年上で、前職も、アイドルを志した動機もバラバラ。スクールバンドとして活動していた現役高校生も数人いたものの、アイドルとしての経歴があるのは俺たち三人のみで、その他のメンバーは当然ながら素人だ。
初めて315プロにやってくるメンバーたちの経歴を聴かされた時、さすがに何かの冗談なのだろうと耳を疑った。常識的に考えて、社会人だった人間をアイドルに仕立て上げるなんで前代未聞の話だ。それも芸能のキャリアを全く持たない素人となれば尚更である。
だけどそんな俺たちの浅はかな固定概念は、石川さんの目論見によって瞬く間に吹き飛ばされてしまうこととなった。
早速石川さんが持ってきてくれた仕事のロケが長引き、俺たち三人だけが一時間ほど遅れる形になってしまったメンバー全員での顔合わせ当日。慌ててタクシーで事務所に帰ってきた俺たちが見たのは、不慣れな様子ながらも真剣な眼差しでレッスンを行う“良い歳”をした大人たちだった。
ドアのガラス越しに初めてそんな大人たちの姿を見た時、俺は胸が震えるほどの衝撃を覚えた。
ひたむきにレッスンに打ち込む大人たちはそれぞれが胸に確かな野望と覚悟を秘めていて、アイドルとしての自分と向き合おうとする姿は技量の優劣に関係なく、純粋にカッコ良くてキラキラと輝いて見えたのだ。それは普段街で目にするような、生活に疲れ果ててやつれていたり、何かを諦めたかのように瞳から色を失った大人たちの姿とは正反対の姿だった。
後にプロデューサーから聴いた話であるが、315プロをアイドル事務所として立ち上げるにあたり、比較的年齢層の高い人選を行ったのは意図的だったそうだ。
「315プロにやってきた皆さんは、何かしらの葛藤や挫折を抱えたまま、燻っていた人たちばかりです。だけど僕や社長はそれを『輝ける可能性』だと思っていて、そんな煌めきを持つ人たちに僕は声をかけただけなんです」
才能や実力ではなく、一人の人間としての“生き様”をセールスポイントとして、従来のアイドルたちとは違った角度から売り出していく––––。これが315プロの方針だったらしい。
また、石川さん自らが声をかけて集めたという十六人は皆揃いも揃って人柄がよく、俺たち三人もすぐに打ち解けることができた。
「冬馬、ここのステップのところなんだけどさ……」
「あー、そこはちょっと急ぎ足だから、天道さんの場合だともっと軸足を踏み込んでからやった方がいいっすよ」
「逆に桜庭さんは少しリズムが早くなってるので、もうワンテンポ遅めがいいかもしれませんね」
「伊集院君、アドバイスありがとう。次は意識してやってみるよ」
メンバー内で唯一アイドルとしての経歴があっただけに、必然的にレッスンでは俺たち三人が教える立場になる機会が多かった。だけど年下の俺たちの助言に誰一人として嫌な顔はせず、それどころか俺たちから少しでも多くのことを吸収しようと真っ直ぐに向き合ってくれて、そんな前向きにレッスンに励むメンバーたちの姿に、俺たちもまた多くの刺激をもらっていたのだ。
「なんかさ、良いよね。こういう感じ。僕、すごく最近楽しいかも」
「……そうだな。確かに悪くはねぇと思う」
こうして同じ目標に向かって切磋琢磨しあえる仲間が身近にいる環境は、961プロ時代もインディーズ時代もある意味孤独だった俺たち三人にとっては新鮮なモノだった。だからこそ、きっと俺だけではなく翔太や北斗も今までにないような充実感を感じていたのだと思う。
315プロで互いに刺激を与え合える仲間たちと出会えたことで、少しずつ俺たちジュピターにも変化が訪れていたことに気が付いたのは、五月の末のこと。普段からよく利用している喫茶店にミーティングの名目で三人で集まった際、おもむろに北斗の口から溢れ出た言葉がキッカケだった。
「近いうちにソロ活動を始めようと思っているんだ」
それは俺たちへの相談などではなく、宣言に近い口ぶりにも聴こえた。
呆気にとられる俺を置いてけぼりに、北斗はどんどんと話を進めていく。石川さんにはもうその旨を伝えていて、今後はソロアーティストとして活動の幅を広げていきたいと思っていること。ようやく俺が北斗の話に追いつけたのは、翔太が「良いんじゃないかな」と北斗の宣言を肯定する言葉を口にしてしまった頃だった。
「ちょっと待てよっ! ソロ活動って、ジュピターはどうすんだよ!?」
「心配するなよ、誰もジュピターを辞めるなんて言ってないだろ?」
「そ、それはそうだけど……」
「そうだよ。冬馬くん、そんなに心配しないでも大丈夫だって」
「ちゃんと今まで通り、ジュピターの活動を最優先にした上でソロ活動をしていくつもりだから安心してくれ」
翔太は元々北斗の言い分を察していたのか、特別驚いたり焦ったりするわけでもなく、比較的いつものと同じように落ち着いた様子だった。その傍ら、俺だけがどうしても腑に落ちない感情を拭えずにいて、そんな俺に気遣ってか、北斗は何故自分がソロ活動をしたいと思うようになったのかをゆっくりと説明してくれた。
315プロで多くの出会いを体験して、その中で過去の挫折と向き合い、世間的には遅すぎる年齢からでも本気でアイドルに挑戦することで前に進もうとする仲間たちの姿に、北斗も刺激を受けていたこと。
そして彼らの挑戦する姿を見ているうちに、自分自身にも目を逸らしていた夢があったことに気が付いたこと––––……。
「……俺、やっぱりもう一度ピアノをやりたいんだ」
「ピアノ?」
またもや予想だにしていなかった言葉が飛び出してきて、面食らってしまった。
北斗が高校生の頃までピアニストを目指していた話は、以前聴いたことがある。なんでもそれなりに将来を嘱望されていた実力だったそうだが、腕の腱を傷めてしまって諦めざるを得なかったとか、確かそんな話だったはずだ。
「今からピアニストを目指すってことかよ?」
「ははは、さすがにそんなことはしないさ。だけど大好きだったピアノで弾き語りとか、アイドルになった今だからこそやれることをしてみたいなって思えるようになって」
「……なるほどな、そういうことか」
昔、北斗はピアニストになる夢は完全に終わった夢だと話していたけれど、実際はそうではなかったのかもしれない。諦めたと言い聞かせていただけで、本当はただ北斗が僅かに残っていた夢への情熱の炎から目を背けていただけだったのではないかと思う。
いずれにせよ、北斗の胸の内に残っていた情熱に再び火を灯したのは、315プロの仲間たちだったことに変わりはないはずだ。心なしか、「ピアノをやりたい」と口にした北斗の表情は、いつになく清々しく見えて、それは普段見かける仲間たちの顔つきに似ている気がした。
「だから、昔やってたモデルじゃなくてソロアーティストなんだよね?」
そうだな、と翔太の言葉に得意のウインクを添えて返して、北斗は目を瞑った。
数秒の間瞼を閉じた後、両手を頭の後ろで組んでゆっくりと目を開く。その視線は、今ではなくずっとずっと先の、遥か遠い未来を見つめているようだった。
「……今自分が本当にやりたいことから逃げてると、カッコ悪い大人になってしまう気がするんだ」
そう呟いて、焦点を俺たちに合わせると、
「どうせ大人になるんだったら、あの人たちのようなカッコイイ大人になりたいよな」
北斗はいつものように、得意げな笑みを浮かべる。
その笑みが、得体の知れない不安、焦慮などの感情を引き連れて、何故か俺の胸にチクリと突き刺さったのだった。
★☆★☆★☆★☆
北斗からソロ活動を始めることを打ち明けられた週の日曜日。
俺は久しぶりに休みが重なった志保と二人で、近所の高台の公園に訪れていた。
「なんだかこうして会うの、すげぇ久々な気がするな。最後に会ったのいつだっけ」
「たしか……、GW前とかでしたよね。だとしたら一ヶ月ぶり?くらいでしょうか」
「あれ、もうそんな前になるんだっけ……」
志保の言葉に違和感を感じたが、確かに最後にあった時に、互いのGWの予定を話していたような気がする。志保はアイドル番組の収録があって、俺は久しぶりに善澤さんの取材が入ってたとか、そんな話をしていたはずだ。だとすれば志保の言う通り、本当にあれからもう一ヶ月も経っていたことになるのか。
ふと空を仰げば、俺たちを見下ろしている青空の端には大きな入道雲が浮かんでいて、五感を研ぎ澄ませば公園を駆けていく風たちも以前に比べて生温くなっているような気がする。まだ春の名残を感じられた一ヶ月前とは違い、今はもう夏の入り口に立っているような気候に変わってしまっていた。
季節が確実に流れていること、体感の何倍もの速さで時間が経過していたことを知り、俺は妙な焦りを感じていたことに気が付いた。その焦りの正体が何なのかは全く見当がつかなかったけれど、それは数日前に「もう一度ピアノを弾きたい」と話した北斗を見て感じたのと同じような感情にも思える。
「……あの、なんだかすみません。ここ最近はなかなか予定が合わせれなくて」
「大丈夫だって、それはお互い様だろ」
確かに最近は志保が劇場初のユニット公演を目前に控えていることもあって、こうして直接会って話す機会はめっきり減ってしまっていた。
会える頻度が減るのは寂しい気もするけど、互いの職業柄それは致し方のないことだ。それに忙しい日常を過ごせるのはそれだけアイドル活動が充実している証拠で、俺のことを気にするあまりそこに負い目を感じては欲しくはなかった。
あくまで志保には俺のことより自分の夢を優先して欲しい。どんな姿よりも夢に向かってひたむきに頑張る志保の姿が一番魅力的だと思っていたからこそ、志保のアイドル活動が忙しくて会えないということにはそこまで抵抗は感じていなかった。
「それで、調子はどうだ」
「調子、ですか?」
「そう。もう来週末なんだろ、公演は」
特に深い意味もなく投げかけた質問だったけど、その問いに志保は表情を曇らせた。困ったように頬をか細い人差し指で掻いて、言葉を探している。少しの間を挟んで、温い風が志保の黒髪を揺らした。乱れた髪を耳にかけて、浮き彫りになった志保の表情は思い詰めたように影を潜めていた。
「……はっきり言って、かなり厳しいです。何もかもが上手くいかなくて」
口から溢れたのは志保にしては珍しく、弱気な言葉だった。
そして志保がおもむろに言葉を紡いだ時、僅かに下唇を噛みしめたのを、俺は見逃さなかった。
「……そっか。せっかくだから相談乗るぜ。話してみろよ」
「で、でも! せっかく会えた貴重な時間に、私の相談なんて……」
「そんなこと気にすんなって、行き詰まってんだろ? 解決はしなくても、話せば楽になるかもしれないし」
「……そうですね、分かりました」
憂鬱そうな表情を拭えないままではあったが、一通りの顛末を話してくれた。
今回のユニット公演で志保は全五人で形成されるユニットに組み込まれたが、そのメンバー同士の年齢や技量、体力に大きな振り幅があったようで、なかなか全員の足並みが揃わなかったそうだ。公演が迫ってくる中、クオリティが上がらないことに対してメンバー間でも焦りが生まれ始め、その不穏な空気を一掃すべくユニットのリーダーである最上静香が「メンバー全員で気分転換にご飯にでも行かないか」と提案をしたらしい。
だがその提案に対し、志保は「そんなことをする暇があるのなら少しでも足並みが揃うようにレッスンをするべきだ」と猛反発。その結果、以前に増してユニット内の空気は壊滅的なほど悪くなってしまった––––、といったのが話の全容だ。
話を聴いた限り、ユニット全体の問題というよりリーダーと志保の衝突が大きな原因になっているような気がした。だけど志保も志保とて、自分が空気を悪くしてしまったという自覚はあるものの、その発言をしたことに対して微塵も悪いと思っていないせいで、余計に話がややこしくなってしまっている。
「親睦を深めたいって目的は分かります。だけど私からすれば今の状態でもう時間もないのに、悠長にご飯に行こうだなんて言える神経が理解できません」
「まぁ、確かにそうだよな……」
確かに志保の言い分はご尤もだ。
現状全く足並みが揃っていなくて、残された時間も限られているのならば、一秒でも多くの時間を割いてどうにか現状より良くしていく他ないと思うのは至極当然だと思う。
だけどリーダーの最上静香は恐らく、今の悪い空気のままでいくら時間を重ねたところで、きっと物事が良い方向に転ぶとは思えなかったのだろう。それもそれで一理ある考えではあるのだけれども、結果としてその両者の正反対の考えがぶつかり合って、一番最悪な方向に進んでしまっている。
どちらかが折れれば、少なくとも今以上に事態は悪くならないのかもしれない。きっと志保もそうと分かっているのだろうけど、簡単に折れることができない理由があった。
「……私、やるからには誰にも負けたくないんです。だからこそ、例えユニットでも絶対にクオリティを落とすようなことはしたくないんですよね。この考えって間違ってるんでしょうか」
––––やるからには誰にも負けたくない。
そう言った志保の言葉が、「最上静香に負けたくない」という意味だということを俺はすぐに察することができた。
今回のユニットでリーダーを務める最上静香は、春日未来や伊吹翼ら二人と同時期にデビューを果たした“シグナル”の一員であり、現状39プロジェクトの看板を背負って立つアイドルの一人である。最上静香含む、他のシグナル二人も志保と同じ中学三年生、同世代なのもあってか、人一倍負けず嫌いな志保は三人に対してかねてから並々ならぬライバル心を燃やしていたことを俺はしっていたのだ。
「なぁ、志保はその最上さんの事が嫌いなのか?」
「嫌いとか好きとか、そういうわけじゃなくて……。なんか馬が合わないっていうか……」
志保が言うには、最上静香は人付き合いが不器用で、プロデューサーや周りにもよく反発するような自己主張の強い性格らしい。本人は無自覚のようだが、聞く限りでは最上静香と志保の性格はそっくりで、きっと同族嫌悪のようなものなのだろうと思った。まぁ、それはさすがに口にはできなかったけれど。
だけどそんな最上静香のことを気に入らないと思う反面、彼女のアイドルとしての実力は正当に評価しているようだった。
「悔しいですけど、やっぱり見てて「凄いな」って思うことは多々あるんですよね。私がまだ行き着いていないところに静香はもう到達してる気がして」
「だから、負けたくないって思うんだろ?」
「……だと思います。静香は本当に凄いから」
不服そうにしながらも、最上静香の実力を認める姿を見て、この様子なら問題はないような気がした。
確かに今は互いにぶつかり合って、周囲を巻き込むほどに悪影響を及ぼしているかもしれない。だけどその根底にはちゃんと相手をリスペクトする気持ちがあって、その上で自身の意見を主張しているのだから、それは決して悪いことではないはずだ。志保の話から推測するに、最上静香も志保の意見を頭ごなしに否定しているようなわけではないみたいだから、きっと相手も同じように志保のことをリスペクトしているのだろう。
互いに譲れない価値観をぶつけ合って、きっとその先に見えてくる新たな道もあるはずだ。その道が正しいかどうかは、公演が終わった後じゃないと分からないのだと思う。要はこれからどうするにせよ、結果論でしか語れない話なのだ。
ここまでユニット内で拗れているのに関わらず、一切プロデューサーが介入しないことに対しても志保は少し不満を感じているようではあったが、きっとプロデューサーも同じようなことを考えているのだろうと思った。この衝突が悪いことではないと理解しているからこそ、敢えて割り込むようなことはせずに、メンバー同士でどう解決するのかに委ねているのだと。
「……まぁ、良いんじゃねぇかな」
互いに意見を主張して、だけど相手の意見もちゃんと尊重しようとして。
俺は志保が言うほど今の状況が悪いとは思えなかった。
「とりあえず今は、志保が正しいと思ったことを貫いて一生懸命頑張ればいいさ。そうしてれば自ずと結果は付いてくるって」
「それ、本気で言ってます?」
「あぁ、本気だぜ」
「……呆れた。冬馬さんって、意外に楽観的なんですね。私にはこのままだと悲惨な結末しか想像つきませんけど」
「楽観的じゃねぇよ、絶対最終的に事態が良い方向に転ぶって思ってんだからそう言ってんの」
志保はきっと必死になりすぎて物事を広く見る余裕がないのかもしれない。だけど絶対にこの先の着地点が志保の言うような事態にならない確信があったからこそ、俺はこれ以上は何も言葉をかけなかった。
最後まで俺の言葉に半信半疑な様子だったが、志保も相談したことで多少は気が軽くなったのか、それ以上は何も言わなかった。