【完結】ニタモノドウシ   作:ラジラルク

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志保に訪れる思いがけない転機。
ここから物語はラストまで、一気に加速して行きます。
けど更新頻度は多分加速しないので初投稿です。




 志保が予め手配してくれたチケットを握り締め、劇場にやってきた俺が目にしたのは思いも寄らない光景だった。

 物販コーナーでは数え切れないほどの人たちが長蛇の列を作り上げており、レジから遠く離れた列最後尾では「二時間待ち」と書かれた札をスタッフが誇らしげに掲げていて、その隣のチケット売り場ではどうにかして当日券を購入できないかと、ダメ元で訪れたお客さんが売り場のスタッフに問いかけては残念そうに肩を落として引き返していく姿が、繰り返し見受けられる。

 すごい光景だ。

 志保が初めてステージを踏んだ定例ライブ、その時に披露した『ライアー・ルージュ』のCD販売会など、俺は今までに劇場で開催されたイベントに二度足を運んだことがある。だが定例ライブでは至る所で空席が目立ち、CD販売会も田中さんの列以外は殆ど待機列ができないくらいで、正直アイドルのイベントとしては決して盛り上がっているとは言い難いほどだった。

 だが、そんな今までの閑古鳥が鳴いているような風景が今日は一変。

 辺り一帯は隙間なくびっしりと敷き詰められた大勢の人でごった返しとなっており、凄まじい熱気と興奮が劇場を取り囲んでいる。そこには俺が今までに感じていた、まるで近くの海の波音が聴こえてきそうなほどに閑散としていた劇場の面影は微塵も存在していなかった。

 間違いなく、今日のユニット公演は39プロジェクトの今後を占う大事な分岐点になるはずだ。周囲を取り囲むのぼり旗の数を見ても、765プロの今日のライブに懸ける並々ならぬ意気込みが感じられる。

 その大きな期待が、どうか志保にとって重荷になりませんように––––。

 俺はそんなこと密かに願いながら、人混みに紛れて劇場の門を潜り抜け、既に半数以上の席が埋まっているライブホールの後方で開演を待ち続けていた。

 開演までの間、暇つぶしの一環として入場口で貰ったパンフレットに目を通してみる。だが冊子の最後のページまで捲ってみても、志保に関する記事は隅に追いやられるように記載された簡単なプロフィールだけで、大半はシグナルの三人の写真や簡易なインタビューばかり。期待していた以上の暇つぶしにはならなかった。

 

「ねぇ、お隣いいかしら」

 

 あっさりと最後のページにまで行きついてしまったパンフレットを閉じた時、周囲の喧騒の中から綺麗な女性の声を俺の耳が拾った。咄嗟に顔を上げると、艶感が際立つ黒髪のボブヘアーの女性が隣で俺を見下ろしながら、隣の空席を指差している。

 その口調や佇まいは記憶のイメージから随分とかけ離れているような気がしたけれど、それでも俺はこの女性の姿に見覚えがあった。

 

「お前、もしかして博多座の時の……」

「あら、私のこと覚えててくれてたのね。光栄だわ」

 

 天ヶ瀬冬馬さん––––。

 不適な笑みを浮かべながら、耳元で俺の名前を囁くように呼ぶ。彼女の吐息が耳に触れて、身体全体が無意識に動揺したのが伝わったのか、女性はしてやったりの表情で返答を待たずに隣の席に静かに腰を下ろした。

 博多座で志保と話をしている姿を遠目から眺めていた時は表情が実に多彩で、考えている事がすぐ顔に出る素直な人間のようにも見えたのに、どうやらアレは役者の演技だったのかもしれない。今はあの時とは別人のように落ち着き払っていて、端正で大人びた顔つきと一切胸の内を相手に読ませないようなミステリアスな雰囲気が、掴み所を分からなくしていた。

 

「それで、なんでお前は俺のことを知ってんだよ」

 

 内心妙にかき乱されているような感覚がして、少しでも平静を装おうとして咄嗟に質問をぶつけてみたものの、なんでもないといった顔であっさりと打ち返されてしまった。

 

「なんでって、貴方の彼女に聞いたのよ」

「なっ––––っ!」

「志保も全く同じようなリアクションをしていたわ。貴方たちは似た者同士なのね」

 

 俺の名前だけではなく志保との関係も既に知っていたらしい。驚いてどもる俺を見て、相手は上品に口元に手を当てながら得意げに笑っている。

 ……コイツ、絶対小悪魔だ。

 常に一手先を持ち合わせているかのような余裕ぶりを見て、今後コイツと真面目に張り合うのは止めようと深く心に刻んでおくことにした。

 

「遅れたけど、私は速水奏よ。奏って呼んでいいから」

「いや、なんかそういうの遠慮すんだよな。速水でいいだろ」

「……驚いたわ。見かけに寄らず、女慣れしてないのね」

「ちっ、うるせーよ!」

 

 暫くの間、悪そびれる様子もなくケラケラと笑った後、速水は開演までの僅かな間でGWに収録が行われたアイドル番組の現場で志保と偶然鉢合わせしたことを教えてくれた。その際に少し話をしたそうで、速水もまた志保のことが気になって今日のライブに足を運んできたらしい。

 

「––––可哀想な子ね」

 

 いつの間にか満員になっていたライブホールの照明がゆっくりと落ちていって、ドッと歓声がわき起こる。人々が席から立ち上がり、地響きのような歓声が物凄いスピードで会場のボルテージを上げていく中、速水は取り残されたように座ったまま、誰もいないステージを見つめたままそう呟いた。

 

「今日やってきたお客さんの中に、志保の姿を目に留める人はどれだけいるのかしら」

 

 いよいよ完全に照明が落ちきって、真っ暗になったライブホールではピンク、ブルー、ピンクの三色“だけ”のペンライトが光り輝き始めた。その三色の灯りが作り出すイルミネーションは非情な現実を突き付けているようで、とてもじゃないが俺はそれを綺麗だとは思えなかった。

 

「……さぁな」

 

 適当に相槌を返す。速水はそれ以上は何も言わず、憐憫の眼差しをステージに向け続けていた。

 俺も速水も気付いていた。

 ユニット公演と謳いながらも、今日のライブの主役はユニットではなく春日未来、最上静香、伊吹翼の三人であって、志保をも含むその他のアイドルたちは所詮ただの“エキストラ”に過ぎないことを。

 だが勝負の世界である以上、勝者と敗者がはっきりと別れてしまうのは致し方のないことだ。むしろエキストラから這い上がるためにはこういう時こそ真の強さが問われるもので、例え誰からも関心を持たれていないにせよ、誰かの目に留まることを信じて前向きに頑張り続けないといけない。志保だってきっとそのことは理解しているはずだし、何しろあの負けず嫌いな性格だ、このような逆境にこそ燃え上がるような人間だと思っていた。

 そう思っていたからこそ、胸に引っかかるモノがあった。

 

『今回は多分……、というか本当に惨事になると思います』

 

 一昨日、電話で少し話をした時にそう言っていた志保の口ぶりからは、前向きな強さが微塵も感じられなかったのだ。

 一週間前に高台の公園で会った時、志保は最上静香と衝突したことを打ち明けた。ユニットレッスンで足並みが全く揃わないことに焦りを感じている中で、メンバー全員で食事に行こうと提案した最上静香の神経が理解できない。そんなことをしている暇があるのなら少しでもレッスンをするべきだと主張したことで対立し、雰囲気を悪くしてしまったのだと。そういった経緯を志保は俺に話してくれた。

 その話を聞いて、俺は結果的に事態は良い方向に転がって丸くなるだろうと思い、深くは捉えていなかった。

 志保も最上静香も、互いにユニットのことを第一に考えているのだから、過程は違えど目的地は同じのはず。ユニットライブを良い雰囲気で成功させたい––––、そう願う気持ちが同じ方向を向いているからこそ、例え衝突したとしてもそこから道ができて、一つになるはずなのだと。

 志保より少しだけ長いアイドルの世界での経験から、俺は志保にそこまで気にする必要はないと言葉をかけた。あの時の言葉は気休めなんかじゃなかったはずだ。

 

 だけど実際問題、状況は少しも改善されないどころか恐らく悪化の一途を辿っている。

 互いにユニットのことを考えているはずなのに状況は一向によくならない。この時になってどうにも俺は志保の話を少し勘違いしていたのかもしれないと思うようになった。互いにユニットのことを考えて……、と勝手に解釈していたが、もしかしたら二人が揉めている理由や原因はもっと根深いもので、俺は問題の本質を見誤っていたのかもしれないのだと。

 

「さぁ、始まるわよ」

 

 速水の抑揚のない澄んだ声で、我に返った。

 いつの間にかステージ上には既に青を基調とする衣装を身にまとった五人の姿があり、センターに立つ最上静香のから見て一番右端に志保の姿がある。俺の瞳に映るスポットライトに当てられたその顔は、心なしか不安げな様にも映った。

 だが周囲の人たちはそんな志保の表情に気が付くこともなく、小さなライブホールは期待を興奮が入り混じった歓声が重なり合い、地鳴りとなって大きく揺れ動いている。悲しい哉、この会場内で志保の姿を見ているのは俺と速水しかいなかったのだ。

 

 

★☆★☆★☆★☆ 

 

 

 『天才』。

 それは恐らくこの世に存在する幾千幾多の人種の中で、私が最も嫌う人種である。

 天才は非情だ。どれだけ凡人が最大限の努力を積み重ねて達成した最小限の結果を出したところで、天才は最小限の努力で最大限の結果を出すことができるのだから。効率的なんて話じゃない、もはや根本的な構造が違っていて、天才には凡人のセオリーが一切通用しないのだ。

 そして残念なことに、アイドル『北沢志保』は天才ではなかった。

 実力と才能に秀でた猛者で溢れるこの業界に身を置き始めて早一年、その事実に気が付くのにそう時間は要さなかった。

 天才が一日でできることを、私は一週間かけないとできるようにはなれない。だから私にはがむしゃらに努力をすることしかできなかったのだけれど、その努力をしてる間にも当然天才たちも努力を重ねているのだから、いつまで経っても追いつくことはできない。追いつくどころか、そもそもの速度が違うために次第に距離が離れていく一方なのだ。

 例えるなら自転車とスポーツカーでレースをするようなものだろうか。

 極端な例えだと思う人がいるかもしれないけど、私からすればそれくらい、天才と凡人の差はあるのだと感じていた。

 だけどその一方で、私は心のどこかで自転車でスポーツカーを追い抜かすことができるのではないかと淡い期待も抱いていたのだと思う。

 もしかしたら信号でスポーツカーが停車するかもしれないし、交通事故や渋滞などのアクシデントで足止めを食らう可能性だってあるかもしれない。給油でガソリンスタンドに寄る時間も必要なはずだ。そういったスポーツカーが立ち止まっている間にも休まずに自転車を漕ぎ続けて行けば、いつの日か追い抜くことだって不可能じゃないはず––––。

 その一心で、私はめげずにせこせこと今日まで自転車を漕ぎ続けた。そして現実を突きつけられた。

 

「モガミン、サイコーだったよ!」

「静香ちゃん、本当に凄かったわ。よくあれだけのダンスの後で声が出たわね」

「本当に成功して良かったです……。これも静香さんのおかげです」

 

 あり得ない。

 こんなこと、信じられるはずがなかった。

 ライブが終わり、舞台袖に帰ってきた私の頭に浮かんだのはそんな暗雲のような疑問だった。

 本番のステージはあくまでレッスンの延長線上である。レッスンで出来なかったことがいきなり本番で成功するはずがなかった。

 

「いいえ、これは皆のおかげよ。私の急な変更に対応してくれてありがとう。おかげで何とか成功させることができたわ」

 

 だけどライブは成功した。

 ライブ前日に突然大幅な変更を提案した静香の思惑通りに事が進み、今まで一度も揃わなかった私たちの足並みが本番のステージで初めて揃ったのだ。懸念されていた間奏後の星梨花のコーラスも、静香のソロも、全てが違和感なく繋がって、当初の目的通り楽曲のクオリティを一切下げる事なく完成させて見せた。

 あれほどまでに壊滅的だったユニットライブが奇跡的に成功した––––。

 嬉しいはずなのに、何故か納得がいかなくて、煙るようにモヤモヤが胸の中で沸き続けている。そのジレンマが、私を安易に喜ばしてはくれなかった。

 

「志保もありがとう。最高とは言えないかもしれないけど、悪くないステージだったと思うわ」

「え? あ……、うん。そうね、静香もお疲れ様」

 

 ほっとした様に安堵の笑みを浮かべる静香にそう返した後、暫くライブの余韻に浸るメンバーたちを少し離れたところから眺めて、私はその場を去った。何故か素直に喜べない自分がその場にいるとすごく違和感があるような気がしたのだ。

 他のユニットがステージに上がったのか、ライブホールの防音壁を突き破った歓声が廊下にまで聴こえてくる。着替えと得体の知れないモヤモヤを抱えたままシャワー室へ向かうその道中で、すれ違った一人の男性に声をかけられた。

 

「北沢くん。お疲れ様」

「あ……、善澤さん。お疲れ様です」

 

 善澤さんはよく765プロに出入りしている芸能記者の人だった。

 なんでも芸能界隈ではかなり有名な人のようで、この人が取材した新人アイドルは瞬く間に売れていくという根もないジンクスが生まれるほどの凄腕の記者の人らしい。だが善澤さんは頻繁に765プロにやってきてはたびたび私たちの前に顔を見せてはいるものの、今までに765ASの先輩たち以外の記事を書いたことは一度もなかった。それは、きっと私たちがまだ善澤さんの眼鏡にかなうアイドルになれていないからだと思う。

 

「今日のライブは実に良かったね。楽しませてもらったよ」

「そんな、勿体ないお言葉です」

「ははは、相変わらず北沢くんは言葉遣いが堅いな」

 

 親しみのこもった表情で笑う。

 そしていつも被っているハンチング帽のプリムの部分をクイっと人差し指で上げ、いつもと変わらない優しい声で私に尋ねた。

 

「ところで、最上くんは何処にいるか分かるかい?」

「え、静香ですか?」

「あぁ、いきなりで悪いけど、さっきのライブを見て彼女の記事を書かせて貰いたいって思ってね。もちろんプロデューサーには許可をもらったよ」

 

 善澤さんが静香の記事を書こうとしている––––。

 その事が何を意味しているのか、私はすぐに理解する事ができた。そして胸の中で渦巻いていた煙の正体が、静香に対する劣等感や敗北感だったことを、この時になって私は気付かされた。

 

「……まだ舞台袖にいると思います」

「そうか。ありがとう」

 

 ぐっと拳を握り締めたのを気付かれない様に、正直に静香の場所を教えて私は善澤さんと別れた。

 重い足取りでシャワー室へ向かい、蛇口を捻ってお湯を頭から被る。だけどそれでも一向に鉛の様に重くなった身体全体の疲労が取れなくて、ライブ後の疲れだけではなく心身共に疲れ果てていることを証明している様だった。

 

 静香は、天才だったんだ––––。

 

 確かに静香は私より知名度も人気もあるし、39プロジェクトの看板的立ち位置のアイドルだ。だけど私との差は誤差のようなもので、それは決して追い付かない差ではないと思っていた。

 だけど、それは私の願望だったのかもしれない。

 最上静香は天才で、北沢志保は凡人。今日のライブの成功が、その事実を私にまじまじと突きつけていた。

 前代未聞の大博打にも思えた大幅なフォーメーションの変更、結局それを成功に導いたのは静香の実力以外の何者でもなかった。逆に静香があの時にこの代打案を出さなければ、もし私の主張通りに本来のままライブに挑んでいたら––––、間違いなく全員が思っていた通りのバッドエンドが何のひねりもなく訪れていたはずだ。

 そしてその静香の才能の片鱗に目をつけた善澤さんが、既に動き出している。

 きっと今日のライブをキッカケに、静香は今よりも更にアクセスを踏んで猛スピードで駆け上がっていくのだろう。だけどこの世界に身を置き続ける以上、その背中を私は必死に自転車で追いかけ続ければならない。何年後、何十年後に追いついて追い越せると、根拠もないのに無理やりにでも言い聞かせながら。

 

「…………無理だ」

 

 とてもじゃないが静香に追いつける気がしなかった。

 そして、そんな不可能に近いレースをこの先ずっと続けていかなければならないと思うと、鬱になりそうだ。

 この時、私はこうやって大勢の人は夢を諦めていくのだろうと悟った。

 努力だけじゃどうにもならない壁を知って、そしてその無謀な挑戦を続けることに疲れ果てて、人は大事な夢を放ってしまうのだ。

 夢を諦める、そう言ってしまえば聴こえは悪いかも知れないけど、実際は自転車でスポーツカーに勝とうなんざどだい無理な話なのだから、そんな不利な舞台で無謀な戦いをするくらいなら、自分がスポーツカーになれる舞台を見つけてそこで戦った方が遥かに効率的な生き方な気がする。むしろ可能性がないと分かっていながらも自転車でスポーツカーを追い続ける方が、よっぽど効率の悪い生き方なはずだ。

 だとしたら私は––––……、

 

「……結局、私は間違っていたのかな」

 

 一日だって頭の片隅から消えない、あの暑い夏の日の記憶。

 苦い経験を味わい、そして自分が何者でもないことを突きつけられたあの日と同じ自問自答を、もう一度してみた。

 偉大な先輩にタテついて、納得がいかないままステージに立って、そして自分が間違っていたことを突きつけられたアリーナライブ。

 自分が正しいとばかり決めつけて、そして信じて対立して、結果実力でねじ伏せられる。この全てを否定されたような敗北感は、あの時と全く同じだ。

 

 私は、一年間何をしてきたのだろう。 

 

 この一年もの月日をかけてアイドルをやってきても、あの頃から変われていないことに気が付いた。正しいと思うことを見極める力も、そして自分の意見を貫き通せる実力も、一年前から何に一つ身についちゃいない。

 間違っていたか間違っていなかったでは言えば、その答えは誰に聞くまでもないほどに明白だった。あの時の春香さんも、そして今日の静香も、私の意見を押し除けた二人の思う通りに事は進み、ライブは成功したのだから。

 その事実を理解しているはずなのに、だけど受け入れられなくて、私はこうして異様までの敗北感と劣等感に押し潰される様に胸を痛めている。そんな自分が滑稽で仕方がない。あの日から一歩も前に進めていないことが悔しくて、歯痒くて、ただただ虚しかった。

 暫くの間、私はただただ降り頻る雨に打たれる様にして無心のままシャワーを浴び続けた。いつになく、シャワーの水圧が強く感じられた。

 

 

 

「あぁ、志保。こんなとこにいたのか」

 

 シャワー浴び終えて髪が半乾きのまま楽屋に戻ると、無人だと思っていた楽屋にはプロデューサーの姿があった。

 まだライブは続いているのはずなのに、現場そっちのけでプロデューサーはこんなところで何をしているのだろう。そんな疑問が浮かんだが、私を見つけたプロデューサーのその口ぶりから、どうやら私を探していたのだと気付くことができた。

 

「どうしたんですか?」

「志保にお客さんが来てるんだ。ちょっと付いてきてもらっていいか?」

 

 問いかけたはずなのに、プロデューサーは私の返答を聞かずに急ぎ足で楽屋を出た。慌ててその背中を追う途中で、「まだ髪を乾かしてないんですけど」と言葉をかけてみたけど、「大丈夫だから」とプロデューサーは返すだけでその足を止めなかった。

 プロデューサーが大丈夫とかじゃなくて、私が嫌なんだって。適当にも聞こえた返事に思わずムッとしたが、今の気分ではプロデューサーと張り合う気にもなれず、私は些細な抵抗として黙り込むことしか出来なかった。

 そんなことより、気になるのは私宛に来たお客さんのことだ。

 真っ先に思い浮かんだのは母の姿だったが、今日は確か仕事がだったはず。その仕事が実は嘘で、こっそりライブを観に来ていた……なんて可能性もなくはなかったが、仮にそうだとしても自分の母がプロデューサーを通してまで私に会いたがる理由が思い付かなかった。

 冬馬さんも同じだ。今日のライブは私が招待してるからこの会場に来ているはずだが、だからと言ってわざわざ劇場の中にまでやってくる目的はないだろう。

 だとしたら一体誰が来ているのだろう。

 全く見当が付かなかった。

 

「すみません、お待たせしました!」

 

 関係者控室の紙が貼られた部屋のドアを二度ノックして、すぐさまプロデューサーがドアを開ける。プロデューサーの背中から覗き込むようにして部屋の中を確認してみると、手前にはいつもと変わらないネクタイをキッチリと絞めた社長がいて、その隣では青葉さんが腰を下ろしてお菓子を頬張っている。駆け足気味だったプロデューサーの足取りとは裏腹に、部屋の中に広がっていたのは普段からよく見るような穏やかな風景だ。

 

「おっそい! 高木社長も美咲ちゃんも忙しい中ずっと待ってくれてんのよ?」

 

 聴いたことのない女性の声が響いて、この部屋に社長と青葉さん以外にも人がいたことに気が付いた。ふと部屋の隅に目を向けると、そこには綺麗な金髪の髪を巻いたスーツ姿の女性が、長い足を組んで私たちの方をジッと見つめている。

 パッと見た感じは三十代ほどだろうか。派手な髪色と強気な化粧の印象が邪魔をして具体的な年齢は予想がつかなかったが、その風貌からは決して若作り感は伺えない。

 仕事関係の人かもしれない。だけどその顔に私は見覚えはなかった。

 

「す、すみません……。急いではいたんですけど」

「一々言い訳するとこも変わってないのね。カッコ悪いからやめなさいって何回も注意したでしょ?」

「ははは、すみません……」

 

 ペコペコと頭を下げるプロデューサーの姿を見て、えらい言われようだなと思う。だけど女性とプロデューサーのやり取りを社長と青葉さんは微笑ましい眼で見守っていて、女性の言葉にもセリフほどの嫌味は感じられなかった。

 もしかしたらこれがこの人たちなりのコミュケーションの取り方なのかもしれない。そして、この女性と765プロの人間たちの関係がこういったコミュニケーションを撮れるほど深いということも私は何となく察することができた。

 

「志保、この人はゴールドプロダクションの金田社長。簡単に言うと俺の元上司だ」

「元上司、ですか?」

「そう。そこのポンコツが765に来る前はウチで働いてたの」

 

 あぁ、そういうことか。

 確か昔にプロデューサーはここに来る前に違う事務所でアイドルをプロデュースしていたと聴いたことがある。その事務所が、この金田社長のゴールドプロダクションだったらしい。

 どうりでやけに親しく話しているわけだなと思った。

 それに加えてプロデューサーは常々765プロとゴールドプロダクションは繋がりが深く、従業員の異動などはこれまでに何度もあったのだと教えてくれた。

 

「北沢志保ちゃんね、初めてまして。ゴールドプロダクションの金田よ」

「あっ、はい。よろしくお願いします」

 

 会釈をして差し出された名刺を受け取った時、金田社長の名刺の下に書かれた住所が目に付いた。 

 福岡県福岡市博多区……、てっきり東京の事務所かと思っていたが、偶然にも春に冬馬さんと一緒に訪れた博多に事務所を構えているらしい。

 だとしたら今日はわざわざ福岡から東京までやってきたのだろうか。そう思った矢先、金田社長はまるで私の胸の内を見透かしていたように口を開いた。

 

「今日は貴女に会うためだけにここまで来たの」

「……私のためだけ、ですか?」

「そうよ」

 

 相槌を挟んで、バッチリと整えられたメイクの奥に潜む鋭い眼光を、一瞬だけプロデューサーの方へと向けた。まるで何かの最終確認するかのような視線を受け、プロデューサーは小さく首を縦に振る。その様子を確認して、金田社長が視線を私へと戻した。

 

「志保は演劇のお仕事に興味があるって聴いたんだけど、それは本当?」

「え? ま、まぁ、そうですけど……」

 

 何を言われるかと思いきや、金田社長が私に訊いたのは脈絡のない質問だ。

 だけど金田社長は私の返事を聴いて納得した様で、「それなら良かったわ」と安心したように独り言を口にした。

 

「ゴールドプロダクションはここと同じアイドル事務所でもあるんだけど、舞台や演劇の仕事が中心で最近では自社で制作などもしてるの」

「制作ですか?」

「えぇ、簡単に言うと舞台の仕事を一から企画して行うってことね」

「なるほど……」

 

 端的で分かりやすい説明のおかげですぐに理解する事ができた。その一方だからなんだというのが私の率直な感想で、未だにどうして金田社長がわざわざ私に会うためだけに東京までやってきたかは理解できないままだった。

 仕事の紹介ならプロデューサーを通してオーディションに誘うのが普通だし、間違っても今までのオーディションで全敗を喫している私単体に対するオファーなんてことも考えにくい。そもそも私と会うためだけなら、社長や青葉さんもわざわざこの場に居合わせる必要もないはずだ。

 考えれば考えるほどこの状況が不自然に思えてくる。

 様々な思考を張り巡らせる間に、ふと金田社長と視線が交錯した。

 

「……志保、私がどうして貴女に会いにきたのか分からないって顔をしてるわね」

「––––なっ!?」

 

 またもや私の図星を突いた金田社長は「やっぱり」と言って不適に笑うと、腰に手を当てながら数歩、私の方へと歩み寄った。

 コツコツと、高価そうなピンヒールの床を歩く音が部屋中に響き渡る。そしてその足を止めると少しだけ腰を曲げて、金田社長は視線を私と合わせた。

 

「今日は志保をスカウトするために来たの。中学を卒業したらすぐ、福岡で私と一緒に夢を追う気はない?」

 

 カチッ。

 アイドルを初めてからのずっと止まっていた私の時間が一歩を踏み出したかのように、静寂に包まれた部屋には、掛け時計の分針が進む音が響いた。

 




ゴールドプロダクションは漫画『Jupiter』に登場する、冬馬たちが961プロを退社して移籍した事務所です。
ですが二次創作なので色々と設定は都合よく改変してます。
この漫画くっそ面白から、みんな見とけよ見とけよ〜(唐突なステマ
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