今後は最低でも二週に一度は更新したいと思うけど多分無理な気がするので初投稿です。
アタシが初めて劇場のステージに立った、二月の定例ライブの時のこと。
間奏の途中に空席が目立つ観客席の一角に学校の友達たちの姿を見つけて手を振った直後、その集団から少し離れた位置でポツンと独りで座っていた男の姿がふと目についた。少しふくよかな体型でメガネをかけたその男はアタシの視線に気が付いたのか、動揺したように慌てふためいて、すぐさま黒のキャップを目深に被り直している。
え、誰だろう。
男の風貌にも、その挙動不審な振る舞いにも、薄らぼんやりと見覚えがあったようで、アタシの記憶に何かが触れているような気がした。だけど間奏の短い時間内では男性の正体が誰なのかは思い出すことはできず、アタシが感じた既視感がハッキリと明確になったのはライブを終えて帰宅する電車の中でのことだった。
(あ、確か高校一年の時に同じクラスだった同級生の佐藤くんだ)
サトウくん。下の名前は……なんだったっけ。
彼のことは正直何も知らなかった。先生もクラスメイトたちも皆が“サトウくん”と呼んでいたからアタシもサトウくんと呼んでいるだけで、彼の下の名前だって知らないし、何の部活をしているのかとか、地元が何処なのかとか、そういった基本的な情報も何一つ把握していない。何か目立つような特技や強烈な個性があるわけでもなく、ぶっちゃけかなり存在感が薄い人間で、ともかく地味な男子……というのがアタシをも含む周囲のサトウくんに対する印象だと思う。
同じクラスだった一年生の頃も休み時間になるとサトウくんは誰とつるむこともなく、いつも教室の隅でイヤホンをして音楽を聴いていた。その印象が強いせいか、アタシもサトウくんとはあまり喋ったこともないし、それどころか同級生と話している姿も殆ど見かけた覚えがない。授業中も先生に名指しで怒られるようなこともなく、良くも悪くも普段誰かの目に留まるようなことはほぼ皆無で、失礼ながらもこの国にあり触れた「佐藤」という苗字がぴったりだなと思えるほどに、ごくごく普通の存在だったのだ。
だからこそ、定例ライブに来ていたのは少し意外だった。
アタシ自身もサトウくんと接点があるわけでもなく、話したのも両手で数えれる程度。友達というよりは赤の他人に近い関係だ。そんなサトウくんがアタシを観に来るとは考えられないし、仮にアイドルが好きだったとしても、無名アイドルばかりの39プロジェクトの定例ライブに足を運ぶのはかなり稀有なことだと思う。
––––どうしてサトウくんが劇場にわざわざ独りでやってきたのか。
その理由が気になって、アタシは翌日の放課後に校門で待ち伏せをし、サトウくんを捕まえて直接聞き出すことにした。
「ねぇ、サトウくん」
「と、ところさんっ!?」
軽く叩いたはずなのに、悲鳴に近い声を上げたサトウくんの肩は大きく跳ね上がった。
丸っこい身体を瞬時に捻って振り返ったサトウくんは相変わらずオドオドしたような表情で、焦点の定まらない視線があちらこちらにと忙しく動き回っている。その視線がアタシの方へと定まって落ち着くのを待ったが、その予兆が一向に訪れる気配がなかったため、結局アタシから本題を振ることにした。
「サトウくん、昨日劇場に来てなかった?」
「き、きききき気付いてたんですかっ!?」
「気付くも何も、普通に目合ったじゃん」
「え、あ、はい……。そうだったかもしれません……」
「ねぇ、昨日は独りだったよね? アイドルに興味あるの?」
「そ、それは……。ええっとですねぇ……」
追い詰められているように、後退りするサトウくんにつられて、アタシの足も距離を縮めようと無意識に前に動く。
決して劇場に来たことを責めているわけではないのに、言葉をかける度にサトウくんはバツの悪そうな表情を浮かべるものだから、まるでアタシが尋問しているような構図が出来上がってしまっていた。そんなつもりじゃないのになぁ、なんて思って逆に困惑していると、ふと忙しく動き回るサトウくんの視線が単に闇雲に動いていたのではなく、下校途中の同級生たちを捉えていたことに気がついた。
アタシたちに向けられた周囲の人たちの眼は物珍しそうな光景を見る眼差し。その視線を気にしてか、サトウくんが額に冷や汗を滲ませながら震える声で提案をした。
「……ちっ、ちょっと場所変えませんか?」
そう提案されたはずなのに、サトウくんの足はもうその場から別の場所へと向かい始めていた。
慌てて付いていくアタシの方を一度も振り返らずに、夕陽を受けながら佇む信号機にも足止めを食らうことなく、サトウくんはそそくさと夕暮れ時の街を縫うようにして歩いていく。無言のままその背中を追うこと数分、サトウくんは苔に覆われた鳥居を潜り、寂れた神社の境内でその足を止めた。
この時になって初めてアタシの方を確認したサトウくんは、教科書でパンパンになった学校指定のスクールバッグと共に木製のベンチに腰を下ろした。夕日に照らされて赤くなった横顔は先ほどより落ち着いているようだった。アタシも中身が殆ど入っていない鞄をサトウくんのスクールバッグの横に並べて、制服のスカートの裾にシワができないようにと注意しながらベンチに座った。
暖かい春風が神社を吹き抜けて行った。狭い敷地内の中央にそびえる木の枝が、温かくて優しい風に揺らされて触れ合う。その枝の先に小さな蕾がくっ付いていることに気が付き、もう春が近づいているんだなと、そんな月並みなことを考えていた。
「気持ち悪かったですよね、僕みたいなスクールカースト最下層のインキャが陽キャ代表の所さんのライブに独りで来てたなんて」
季節の変わり目の優しい風に心地よさを感じながら無言の沈黙の時間を過ごしていると、サトウくんが唐突に自身の黒いローファーを見下ろしながら、ぶつぶつと独り言のように意味不明な言葉を溢し始めた。
「え、何の話? 陽キャとかスクールカーストとか、意味分かんないんだけど」
「ほんと、下心があるとかじゃないんで! 所さんに不快な想いをさせてしまったのなら謝ります! 土下座でもなんでもしますので!!」
「いやいや、土下座なんてしなくていいから! って、ほんとに何してんの!?」
なにをどう早とちりしたのかは知らないが、いつの間にか砂利の上で膝をついて、今にも土下座をしそうな勢いのサトウくんをどうにか思い止まらせるのはなかなか骨が折れる作業だった。サトウくんは異様なまでに自己評価が低い人だったようで、何故だかは分からないがアタシに黙って劇場にやってきたことに対してとてつもない負い目を感じていたらしい。
何も不快に思っていないし、むしろ毎回ガラガラの定例ライブにわざわざ来てくれて嬉しかったと伝えて誤解を問いた後、もう一度アタシが気になっていた疑問を尋ねた。どうして独りでライブに来たのかと、再度そう問われたサトウくんは一瞬躊躇う仕草を見せながら、「今から言うこと、誰にも話さないって約束してくれますか?」と念を押すような前置きを挟み、二人分の鞄を挟んでベンチに腰を戻した。そして、また暫くの間を置いて、予想だにしなかった言葉を口にした。
「僕、実は歌手を目指してるんです。それで所さんがステージに立つって聞いて気になってしまってつい……」
「へ? かしゅ?」
思わず拍子抜けた声が出た。
もっとこう、765の誰々が好きとか、可愛いアイドルに興味があるとか、そういった理由が出てくるのだとばかり思っていたから、まさかサトウくんが歌手志望だったなんて予想は頭の片隅にもなかったのだ。
「や、やっぱり僕なんかが歌手なんておかしいですよね……」
「ち、違うの! そういうことじゃなくて……!」
虚を突かれたアタシの反応が歌手になりたいという夢を否定しているように見えたのか、再びネガティヴモードに突入しそうになるサトウくんを慌ててフォローしようと、動揺を隠しきれないままに言葉を探す。だけど、なかなか適切な言葉は思い浮かんでこなかった。
歌手ってことは、どこかのバンドに属しているのだろうか。
もしかしたら週末にストリートで弾き語りをしていたりとか。
歌い手として活動しているそれっぽい“サトウくん”の姿を想像しようと試みたけれど、どのサトウくんも“アタシが知っているサトウくん”の姿からは全くイメージが付かなかった。頭に思い浮かんでくるのは、教室の片隅で誰の目にも留まらずに独りでイヤホンをしているサトウくんの姿だけだ。
でも冗談を言っているようにも見えないし、だとしたらどうすれば––––、
「あ、そうだ!」
パッと名案を思いついて、掌を合わせた。静かな境内にアタシの掌がぶつかり合う音が響いて、サトウくんが驚いたように顔を上げる。
「今からカラオケ行こうよ!」
「か、カラオケですか!?」
「そそそ! 歌手目指してるんでしょ? ならサトウくんの歌、聞かせてよ」
隣に座っていたサトウくんが凄まじい速さで立ち上がって後退りした。信じられないと言わんばかりの表情で細い一重の目を精一杯見開いて、耳たぶの端まで熟したリンゴのように真っ赤に染めている。サトウくんには申し訳ないけど、その驚きようがあまりに面白くて、思わず吹き出しそうになってしまう口元をアタシは必死に堪えていた。
「い、いっ、嫌ですよ! どうして僕が所さんの前で歌わないといけないんですか!?」
「へぇー。サトウくんは黙ってアタシの歌を聴きに来たのに?」
「そ、それは……」
ズルイと分かっていながらも、絶対に反論できない言葉を突きつけると、サトウくん罰が悪そうな顔をしてブレザーのジャケットのポケットへと手を突っ込んだ。そしてもう何も言い返せないと悟ったのか、俯きながらローファーを地面に擦るように前後に動かし、「ほんと下手くそなので期待しないでくださいね」と自信なさげな小声でそう言った。
★☆★☆★☆★☆
「ほんとに歌わないといけないんですか?」
「絶対笑わないでくださいね!? 引いたりとかもしないでくださいね!? 絶対ですよ!?」
神社を出てから駅前のカラオケ店の個室に入るまでの道中、サトウくんは何度も何度もアタシに念を押すようにそう言い続けていた。その合間に少しだけ話を聴いたけど、サトウくんは何処かの事務所に入っているわけでもなく、なんなら今まで一度もオーディションを受けたこともない、音楽仲間とバンドを組むわけでもなく一人でストリートで歌っているわけでもなく、独学でカラオケに通って歌うくらいのことしかしていないそうだ。本人の実力がどれ程のものなのかは分からないが、サトウくんは「歌手になりたい」と思っているものの、何か行動を起こすわけでもない“趣味止まり”のアマチュアだった。
だから失礼ながらアタシはサトウくんの「歌手になりたい」という夢は、あくまで「なれたらいいな」という漠然とした程度のものだと思っていた。
「普段はどんな曲歌うの?」
狭いカラオケ店の個室へと案内され、薄暗い部屋でマイクを差し出してそう尋ねた。向かいに座っていたサトウくんは困ったように頬を掻きながら手を伸ばしてマイクを受け取る。
「ナツメロが多いですねぇ。WANDSとかロードオブメジャーとか」
「うわ、全然聴いたことないかも」
「さようですか……」
端末を触っていたサトウくんが、その手を止めてこっちを向いた。アタシは慌てて「一番自信のある曲でいいよ」と言葉を掛ける。アタシの知らない曲でも大丈夫だよという意思表示だ。
「それでは、一番自信のある曲で」
本当に期待しないでくださいね、と最後にもう一度だけ前置きを挟んで、サトウくんは丸っこい指を端末から離した。少し大きなボリュームで部屋に響いていたCMが途切れて、一瞬だけ部屋が沈黙に包まれる。隣の部屋からはどっと笑い声のような歓声が弾けて、だけどその中でマイクを握るサトウくんの唾を飲み込む音が微かに聞こえた気がした。
画面に表示された曲名は「明日君が壊れても」。
その隣に小さく出ていたアーティスト名はWANDSだ。さっきサトウくんが普段よく歌うと話していたアーティストの曲らしいが、アタシはその曲名にやっぱり見覚えはなかった。
ピアノの伴奏が流れて、テレビには歌い出しの歌詞が出てくる。その歌詞にサトウくんの声が重なった時、胸の奥あたりで鳥肌が立って、あっという間に足のつま先まで滑って行った。アタシの知っているサトウくんからは微塵も想像できない一直線に悠々と進んでいく歌声が、安っぽいカラオケ店のマイクの影響を一切受けずに物凄いスピードでアタシの心をかっさらっていったのだ。
サトウくんが一番自信がある曲としてチョイスした「明日君が壊れても」は、バラード調の恋愛ソングのようだった。愛する人が仮に壊れたとしても、それでも変わらぬ一途な愛を誓う曲の歌詞を、サトウくんが優しく力強く、そして丁寧に歌い上げていく。
いつの間にかアタシは息をするのも忘れるくらいにその歌声に入れ込んで、無意識に制服のスカートの裾をギュッと握り締めていた。
「す、すごいっ! サトウくんめちゃくちゃ歌上手いじゃん!」
曲が終わってまたテレビ画面にCMが流れ始めた時、何の捻りもない素直な感想が口から飛び出してきた。
サトウくんはぽかんとした様子でアタシを見ている。次第に照れ臭くなったのか困ったように苦笑いを浮かべて静かにマイクをテーブルの上に置いた。
「ほんと、めちゃくちゃ上手だった! 思わず感動しちゃったよ、アタシ」
「そ、それは大袈裟ですよ!」
「いやいや、ほんとだってば! サトウくん絶対素敵な歌手になれるよ!」
未だ興奮冷めないままにそう言ったけれど、本人は相変わらず自信がないのか、それとも謙遜しているのか、「僕なんかじゃ無理ですよ」と過剰なまでに否定している。だけどお世辞抜きで、これほど聴く者の心を拐うことの出来る歌声を出せるのなら、サトウくんの夢は決して絵空事なんかではないと思う。サトウくんのスポーツカーのように一直線に進む歌声なら、きっと多くの人の心を鷲掴みすることができるのだと、素人ながらもそんな確信をアタシはこの時確かに感じていたのだ。
あの日を境に、アタシはサトウくんと一緒の時間を過ごす機会が増えて、劇的に仲良くなった。
一緒の時間を過ごすと言っても、殆どアタシが放課後に何も予定がなかった日にサトウくんを一方的に誘うばかりで、いつも向かう先は決まって駅前のカラオケ店だ。カラオケ店に着いて二人きりになると、サトウくんはアタシを虜にした歌声で沢山の曲を歌ってくれた。サトウくんの好きな曲や得意な曲、そして時たまリクエストにも応じてくれてアタシの好きな曲を歌ってくれたり––––。そうやってカラオケ店の小さな個室の世界で二人きりの時間を重ねるうちに、彼の歌声にはもちろん、優しくて誠実な人柄にも惹かれていくようになった。
不思議な感覚だった。
いつもオドオドして、自分に自信がなくて、だけどマイクを握るとサトウくんの眼差しは純粋無垢な子供のように光り始めて、その瞳を眺めているだけで自然と優しい気持ちになれて、胸が心地よい気分で一杯に満たされていく。胸のグラスが優しさで一杯になる感覚が、アタシは堪らなく好きだった。
そして春休みに突入してすぐの頃。
アタシは偶然仕事で訪れたグラビアの撮影所に貼られていた大手レコード会社による新人発掘オーディションのチラシを見つけてサトウくんに勧めてみた。なんでも音楽界では幾多の有名アーティストを手掛けてきた凄腕のプロデューサー自らが審査員としてオーディションを開催するようで、その目に留まることができた合格者には、大手レコード会社の所属アーティストとしてメジャーデビューすることが確約されるらしい。まさにサトウくんのような歌手志望の歌い手にとっては絶好のチャンスだと思ったのだ。
案の定サトウくんは最初は乗り気ではなかったが、後にこのオーディションに挑戦すると言ってくれた。「自信はないけど、せっかく所さんが勧めてくれたので」と気弱に決意を語っていたが、それでも参加するからには何が何でも合格したいのだと意気込み、オーディションまでの間はほぼ毎日のようにカラオケ店に通っては、ひたすらにトレーニングに打ち込んだ。
その様子をアタシはずっと側で眺めていた。アイドルと言えども歌唱力に関しては歌い手からすれば毛が生えた程度のモノで、専門的なアドバイスは殆どすることができない。だからアタシはこうして毎日のようにサトウくんの歌を聴くことしかできなかったのだけれども、それでもアタシは日に日に胸を強く打つようになっていく歌声を聴いて、ごく当たり前のようにサトウくんがオーディションに合格することを信じた。この歌声なら絶対に審査員の人の魂を揺さぶることができると、それは何一つ根拠のない予感だったが、その予感がアタシを裏切ることは絶対にないのだと思い込んでいた。
オーディションの前日、カラオケ店で最後のトレーニングを終えたサトウくんをショッピングモールに連れて行き、服を選んでプレゼントしてあげた。明日のオーディションに向けて何か少しでも力になりたいと考えた結果、これがアタシなりにできる数少ないサポートだと思ったのだ。
「練習にまで付き合ってもらって、服まで買ってもらって……。本当に所さんにはご迷惑ばかりおかけして申し訳ないです」
「ううん、アタシが好きでやったんだから気にしないでよ」
「で、ですが……」
新調した服が入った大きめのビニール袋を持ったまま、最後までサトウくんは手を加えてない眉毛をハの字にして申し訳なさそうにしていたから、少し強めに肩を叩いて「明日はそれ着てサイコーの歌を聴かせてね」と伝えると、サトウくんの眉毛の角度がほんの少しだけ緩やかになった。
「では、また明日」
「うん、気をつけてね! 今日は早く寝るんだよ?」
「ははは、なんだかお母さんみたいですね。ありがとうございます、所さんも気を付けて帰ってください」
そう言葉を交えて、アタシたちは別々の方向へ向かう電車に乗り込んだ。
帰路へと向かう電車の中で、紅色へと染まりつつ空に一粒の煌めきを見た。その煌めきはサトウくんに対して抱いていた予感を具現化したような存在にも見える。
歌手になりたいと最初に聴いた時は失礼ながらも軽い気持ちで語った夢で、それは小さな子供がスポーツ選手やアイドルになりたいと思うのと同じような漠然とした夢だと思っていた。だけどそれはアタシの勘違いで、サトウくんは自信がないながらも(実力はあると思うけど)自分の夢に真摯に向き合って、そしてその夢を叶えるための一歩を踏み出そうとしている。そこに費やされた情熱や努力は、決して“軽い気持ちで語った夢”なんて言葉で片づけられるほどのモノではなかった。
どうか、明日のオーディションでサトウくんが夢への一歩を踏み出せますように。
アタシは祈るような想いで、電車が地元の駅に到着するまでの間、ずっと夕暮れ時の空に輝く一番星を眺めていた。
翌日。
春休み最終日、サトウくんは東京で開催されたオーディションに出場した。名の知れたプロデューサーが直々に主催したオーディションだけに、老若男女問わず大勢の夢見る者たちが集っては、ステージ上では各々の腕前をいかんなく披露していた。
「エントリーナンバー68番の方、どうぞ」
オーディションが始まって一時間半ほどが経過した頃、ついにサトウくんの出番が回ってきた。機械のような抑揚のないアナウンスの後、昨日アタシが選んだシャツとジャケット、そしてジーンズ姿のサトウくんが緊張した足取りで登場し、ステージの真ん中でマイクの高さを調整している。その表情はやはり自信なさげだったけど、アタシは何も不安や心配を感じなかった。サトウくんはいつも気弱な表情をしているけど、マイクを握ったら人が変わるように自信に満ち溢れた歌を、素敵な眼差しで歌えるのだと知っていたからだ。
「ロードオブメジャーさんの“心絵”を唄わせていただきます」
それだけ言って審査員の人たちに軽い会釈をすると、サトウくんはマイクを握って大きく深呼吸をした。ボリュームがミュートされたかのように会場が静まりかえり、一気に静寂が訪れる。そしてその静寂をぶち壊すように、サトウくんの歌声が会場内に響き渡った。
★☆★☆★☆★☆
サトウくんの一直線にぐいぐいと突き進んでいく歌声は今日の参加者の誰よりも際立って、そして多くの人たちに驚きと衝撃を与えた。あっという間に終わった演奏後、審査員の人たち全員が腰を上げて、拍手でサトウくんの歌を称えていたのが何よりの証拠だった。
だが、「厳正なる審査の結果」と前置きをしていたの関わらず、最終的に選ばれたのはサトウくんではない全然違う人だった。オーディションに合格して大手レコード会社に所属することになったのは、歌なんか全然上手くなくて、だけどビジュアルが少し整っている同世代くらいの男の子。得意げにステージの中央に立って、主催者のプロデューサーと握手を交わす姿を見てなんとなく察した。このオーディションは最初から合格者が決まっていた出来レースだったのだと。
「……あんなの絶対出来レースだよ! サトウくんが一番だったのに!」
オーディションを終えて埼玉へと帰る途中、どうしても審査結果に納得ができなかったアタシの口からは、何処にぶつければいいのか分からない苛立ちが溢れ出て止まらなかった。だけどアタシとは対照的にサトウくん自身はとても落ち着いていて、不平不満を言うわけでもなく「まぁまぁ落ち着いてください」とアタシを宥め続けていた。不合格だったのに関わらずいつものようにネガティヴな言葉は一切発さずに、むしろ淡々とこの理不尽な結果を受け入れているかのようだった。もともと自分に自信がない性格だから万が一落選でもしたらより一層ひどく落ち込むのではないかと思っていただけに、この反応は正直予想外だった。
所沢駅に電車が到着したのはもう夜の遅い時間だった。「もう遅いので送りますよ」と言ってくれたサトウくんの言葉に申し訳ないと思いながらも、今の気分で一人で夜道を歩く気にもなれず、アタシは彼の厚意に甘えて「ありがと」とだけ言って頷いた。
二人で静かな心細い街灯が照らす住宅街を歩く。普段は一人で歩くこの道を、サトウくんと歩いてるのが妙に不思議な気がして気持ちが落ち着かない。いつの間にか黙り込んでしまって沈黙が続いた後、サトウくんはおもむろにこう言った。
「所さん、今回は色々とありがとうございました」
「ど、どしたの急に改まって!」
思わず足を止めると、いつもは恥ずかしいのか目を合わせてくれないサトウくんの優しい瞳がアタシの眼を捉えていた。ジッとアタシの瞳の深い部分を覗くように見つめるサトウくんの後ろ、茶色に錆びた古い街灯の隣でそびえる桜の木が目に入った。チカチカと消えたり点いたりを繰り返す街灯に、綺麗なピンク色の桜の花が照らされて光っている。寒さを感じさせない風が吹いて、数枚の桜の花びらが枝を離れた。
「今回結果は残念でしたけど、所さんのおかげで臆病者だった僕でも大きな一歩を踏み出せた気がします」
「そ、そう? それなら良かったけど」
いつになくハキハキと話すサトウくんに違和感を感じているせいか、アタシの口から出てくる言葉には動揺が混じっていた。思わず顔を下げると、昨年の秋に買ったブーツが地面に落ちた桜の花びらたちを踏んでいたことに気が付いた。なんだか物凄く罪深いことをしているような気になって、アタシはなるべく地面の上の桜の花たちを踏まないようにと、黒いアスファルトの色が剥き出しになっている場所へとブーツを動かす。ブーツの新たな着地点を見つけて顔を上げると、先ほどよりぐっと距離が近くなったサトウくんが未だにアタシの眼を見つめ続けていた。
「所さん、変なことを言いますけど」
サトウくんが呟いた。再び風が吹いて、アタシの髪を揺らす。
「……所さんのことが好きです」
「え?」
乱れた髪を整えようと、耳にかけようとしたままその手を止めてしまった。呆気にとられたようにサトウくんを見つめ返すと、次第にサトウくんの頬が真っ赤に染まっていって、沸点を超えたのかすぐに顔を逸らして勢いよく腰を曲げた。
「すすすすすみません! 僕みたいな根暗インキャが陽キャ代表の所さんに告白なんて、事案ですよね!」
ほぼ腰を九十度に曲げたまま、桜の花びらたちが落ちた地面に向かって一気にまくしたてる。その様子はいつものマイナス思考のサトウくんの姿のまんまで、さっきまでの妙な落ち着きからのギャップが面白く感じて、思わず吹き出して笑ってしまった。アタシの顔色を伺うように「ど、どうしたんですか?」と腰を曲げたまま見上げるサトウくんの姿が更に面白くて、とうとうアタシは我慢できずに静かな住宅街に響くような声を上げて笑い出した。
しきりに笑ってようやく落ち着いた頃、アタシはようやくサトウくんと眼を合わせることができた。不思議とサトウくんの瞳を見ていると先ほどまでの苛立ちは姿形もなく消え去ってしまって、心の中では嵐が過ぎ去った後のような穏やかな波が打ち寄せていた。
「……アタシね、ずっと好きな人がいたんだ」
ぽっと意識せずに出てきた言葉に気付かされた。いつの間にか北斗の存在が過去形になっていたことを。
「ずっとずっと好きで、でも絶対に届かないような人で、この人以外の人を想うことなんて想像もできないくらい好きだったの」
「……そう、なんですか」
サトウくんが再び下を向いた。でもね、と付け足すとサトウくんの顔が自然と上がる。アタシは照れ臭くなって、両手をポケットの中に突っ込んだまま言った。
「サトウくんは、もっと特別だよ」
「えっ!?」
変な声を出して、腰を伸ばした。
真っ直ぐに立つとアタシより少しだけ身長が高いサトウくんがアタシを見下ろしている。その不安げな顔に、笑いかけた。
「アタシもサトウくんのことが好きだよ。だから付き合おっか!」
想いを伝えた瞬間、山の方から降ってくる強い風が駆け抜けた。
サトウくんの背後でアタシたちを見守ってた桜の木が大きく揺さぶられて、幾千幾多の桜の花たちがまるでアタシたち二人を包み込むように宙を舞う。桜の花びらが降り注ぐ中、サトウくんの眼鏡越しに見える綺麗な瞳には涙が浮かんでいた。
「あー! サトウくん泣いてる!」
「な、泣いてませんよっ!」
揶揄うようにそう言ったが、反論したサトウくんの声が鼻声そのもので、おかしくて地団駄を踏んだ。
止めようとすればするほどに溜まっていく涙を一滴も溢さないようにと、アタシは少し踵を浮かせてシャツの袖でサトウくんの目元を拭う。薄い生地にサトウくんの涙が染み込んで、地肌に濡れた感触が伝ってきた。
「いつまでもアタシの側で素敵な歌を聴かせてね」
サトウくんが力強く首を縦に振る。桜の花びらたちは、もう少しの間、アタシたちを優しく包んでいた。
今回は文字数バグりそうになってかなり端折ったので、ここで解説を挟みます。
今回はフローズンワードの歌詞と直接的な関係性は薄く、北斗を想いすぎるが故に氷のように捉われていた恵美の心を動かした告白、と言う意味合いでこの曲名を選びました(ホ◯特有のガバガバこじつけ設定)
琴葉のEXで最後に北斗が言った、
「好きになるのは恵美ちゃんがもう少し大人になってからかな」
「でも、今の仲間想いな恵美ちゃんも俺は好きだよ」
というセリフは、「自分とは釣り合わないし、釣り合うような大人(作中でいう挫折を経験し、斜に構えるような大人)になってほしくない」という意味です。なので結局恵美は北斗に好かれたいがために背伸びをすることではなく、今の自分(北斗の言う仲間想いな恵美)でいることを選んだことになります。
その結果として、等身大の自分を好きでいてくれて、恵美自身もありのままの姿でいられるサトウくんと付き合った……というお話でした。
好きな人の一番になれなかった琴葉、初恋の人と結ばれた志保、離れて初めて自分の気持ちに気付いた桃子、そして初恋は実らなかったけど自分らしくいられる人を見つけてその隣で収まった恵美、色んな形の恋愛を当作を通じて描きたかったのでもう満足です(自己満
次回から本編に戻ります。ちなみにEXはあと一本挟んで終わりです。