【完結】ニタモノドウシ   作:ラジラルク

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実は今日で連載開始からちょうど一年になるので初投稿です。




 金田社長の話で決意が大きく揺らいではいたが、それでも私はその場で福岡行きを即決はしなかった。口籠る私に対して、金田社長自身もあの場での答えを欲していたわけではなかったようで、必要以上に判断を催促しなければ、更に口説き落とそうと畳みかけてくるようなこともしなかった。むしろ金田社長は言いたいことを全て話し切ったといった様子で、最後の判断を私に委ねているような気さえした。

 間違いなく福岡に行けば私は今以上に自分の夢や目標に近づくことができる。

 そのことは十分に理解することができた。それと同時に、このまま765プロに居続けたところで、私が静香のようになれる可能性は低く、燻り続けていくことになることも。

 だけどその現状を理解してもなお、私が首を縦に振れない理由があった。それが冬馬さんの存在だったということに私が気が付いたのは、金田社長から話を聴いた数日後のことだった。

 なにも冬馬さんと離れることが寂しいわけではない。仮に私が福岡に行くと伝えればきっと何も言わずに背中を押してくれるだろうし、冬馬さんなら遠距離になることが原因で別れるとかそういうことも言い出さないと思う。だけどそういうことではなくて、私はただ単に冬馬さんが側にいない日常が想像つかなかったのだ。

 アリーナライブで春香さんに全てを否定されたあの日から、まさに露頭に迷っていた私に歩くべき道を示してくれたのが冬馬さんだった。いつも私の少し先を歩いていて、そして私と似たような価値観を持つ冬馬さんは言うなれば私の生きる指針のような存在で、その背中を追いかけ続ければいつか自分も冬馬さんのようになれるのではないかという予感があったのだ。誰かの真似をして、誰かが通った道を歩こうとする––––、その気持ちは謙虚なんかじゃなくて、随分と身勝手なことだとも分かっている。私は冬馬さんのような煌めきを持たない、冴えない一般人だ。そんな人間が神様から印をつけられたような人間のようになりたい、彼がいつも眺めている大空をいつの日か一緒に舞いたいと願う気持ちも随分傲慢なものだとも。

 だけど、それでも私は願わずにはいられなかった。冬馬さんのようになりたい、と。

 私の中で冬馬さんが占める割合が大きかったからこそ、今更人生の指針が何一つない中での生活が想像つかなかった。冬馬さんがいない福岡で私はどうやって生きていけばいいのか、誰の背中を追い続ければいいのか、それはまるで真っ暗闇に一人で放り投げられるようなもので、とてもじゃないが光挿さない暗闇の中、私は一人でやっていける気がしなかったのだ。

 以前は一人でも生きていけていたはずだった。誰の力を借りることを弱さだとすら思い込んでいて、自分は己の力だけでトップアイドルの道を目指せるものだと、そんな根拠のない自信もあったはずだった。だけど誰かの力を借りることを覚えてしまってその居心地の良さに慣れてしまった以上、もうあの頃のように進むべき道が全く分からない暗闇の中をただ闇雲に走り回ることはできないのだと思う。

 

(こんなんじゃなかったのに……)

 

 運命を大きく左右する決断を迫られる中、問われるのは夢へと向かう情熱の強さのはずなのに、皮肉にも露わになったのはいつの間にか弱くなってしまっていた自分だった。

 

 

 

 

★☆★☆★☆★☆ 

 

 

 

 

 金田社長が劇場にやってきた週の日曜日。

 私は特別にユニットレッスンを休ませてもらって、速水さんが誘ってくれたドラマのオーディションに参加していた。このドラマは速水さんが属する346プロで企画・制作されたものであったが、役者としての有望な新人を発掘する狙いもあったようで、オーディションでは外部からも積極的に参加者を募っていたそうだ。製作陣には多くの有名作品を手掛けた実力者たちが揃っており、役を勝ち取ることができれば、役者を志す者として大きなステップアップになる。それが狭き門だとは分かっていたが、またとないチャンスに私は飛びつき、冬馬さんから受け取ったチラシの裏に書かれていたURLにアクセスしオーディションに応募したのだった。

 

 オーディションに参加することが決まってから、私はユニット公演のレッスンの合間を縫ってオーディションの準備に打ち込んだ。何度も何度も映像を巻き戻して再生し直すかのように、繰り返し思い返していたのは博多座で観た速水さんの演技だ。あの時の一つ一つの仕草や動作を私の脳は鮮明に覚えていて、その時の速水さんの演技に自分自身を重ね合わせる。その作業だけに、私は莫大な時間と労力を割いていた。

 当然ながらあの時速水さんが演じた役と、今回私がチャレンジする役はまるで違っていた。だけどあの時の息を飲むことさえも忘れるような速水さんの迫真の演技を私もすることができれば、間違いなくオーディションに勝ち残れると思っていたのだ。だからこそ、自分が見出した勝機を確実なモノにするために、立ち振る舞い息遣いも、何なら爪の先の神経までも、何もかもを博多座のステージに立った速水さんと同じになることだけを目的に私はひたすら演技のレッスンに打ち込んだ。

 その努力の甲斐あってか、私の演技力は記憶の中の速水さんの姿とかなり近付けたような気がしていた。私はあの時の速水さんのような演技ができる、そんな自信を持って臨んだオーディションで、私はあの日の速水さんにかなり近付けた演技を披露することができたと思う。

 だが、手応えはまるでなかった。

 私の演技を観た審査員たちは皆、困り果てたような表情をしていたのだ。そして最後に部屋を出る間際には背中から控えめな溜息が聴こえてきたのだから、私の手応えとは裏腹に審査員たちの評価はよくなかったのだろうなと察することができた。

 

––––どうして私はダメだったんだろう。

 

 結果を待たずとして落選の印を押され、納得がいかないモヤモヤした気持ちを抱えながら会場を出た時だった。出口の近くで見覚えのある姿が目に入って、無意識に重い足取りを止めた。

 

「志保、お疲れ様」

「……速水さん」

 

 夏の日差しを微塵も感じさせないような涼しい笑顔を浮かべて、速水さんが手を振っている。私が止めていた足を少し急ぎ足で動かして速水さんの隣に並ぶと、速水さんは何も言わずに歩き始めた。自然と動き始めた私たち二人の足が最寄りの駅の方角へと向かっていたから、もしかしたら速水さんは私が出てくるのを待っていたのかもしれないと思った。

 日も暮れ始めている時間帯だというのに、未だに外はうだるような暑さが続いている。時折吹く風は少しも涼しさを含んでなくて、少し歩いただけで額に汗が滲み始めているのが分かった。

 

「聞いたわ、ゴールドプロの金田社長からオファー受けたんだって?」

 

 額の汗を拭った時、速水さんからそんなことを訊かれた。速水さんは前を向いたまま、相変わらずこの暑さに動じないような涼しい表情で歩いている。その横顔に「はい」とだけ返すと、すぐさま「どうするの?」と鋭く切り込んできた。

 

「……分からないです。どうすればいいのか」

 

 何処からか聴こえてくるセミの高らかな鳴き声にかき消されてしまいそうなほどの声だった。速水さんの足が止まったのと同時に、私は慌てて視線をアスファルトに向ける。咄嗟に俯いたのはきっと速水さんに弱い自分を見せたくないといったチンケなプライドのせいだ。

 私たちの伸びた影は点字ブロックを超えていて、ちょうど頭の部分を沢山の車が走っている。次から次へと私たちの前を通り過ぎていく車のエンジンの音や、灼熱と化したアスファルトの上を走るタイヤの音がやけに耳に届いた。乾いた口の中の唾を飲み込むと、一滴の汗が頬を伝ってゆっくりとアスファルトの上へと落ちていくのが目に入った。

 

「金田社長はかなりやり手の人よ。あの人のとこでなら志保も演劇に打ち込めるんじゃない?」

 

 速水さんはそう言ったものの、その口ぶりは「何を迷うことがあるの」と言っているようだった。

 今までの人生で経験したことのない不自然な沈黙が続く。速水さんは痺れを切らしたのか、黙り込む私の顔を確認するかのように覗き込んできて、私はそれに慌てて反応し、二歩くらい横に引きながら咄嗟に背を向けてしまった。

 演劇をしたいと常々口にしておきながら、こうして演劇の仕事に打ち込める絶好のチャンスが来ると途端に躊躇するのだから、私の言動は酷いくらいに矛盾しているのだと思う。きっとその理由が速水さんには全く見当が付かなくて、だからこそこうして疑問を呈しているのだろう。

 言えるはずがなかった。冬馬さんが居ない福岡で、自分一人でやっていける自信がないだなんて。

 自分の肩が硬く突っ張っているのが分かる。つむじの辺りに速水さんの視線が注がれているのが伝わってきて、暑さではない別の原因によって湧き出てきた冷たい汗が、いつの間にか身体中の体温を下げていた。

 

「ねぇ、今日のオーディションで私の真似をしたって本当?」

 

 唐突に速水さんが脈絡のない言葉を口にして、私は執拗に上げようとしなかった顔を思わず上げてしまった。速水さんは私の顔を覗き込むわけでもなく、ほぼ無表情に近い顔つきで私を見つめている。そんな速水さんの背後では、いつの間にか信号の色が一周回っていたようで、真新しい歩行者用の信号機には再び赤色が点灯していて、速水さんと遠くで佇む信号機の間を次々と車たちが走り抜けていく。その車たちが道路の上に置いて行った排気ガスの匂いが気管を通って肺の中に入り込んできて、妙な息苦しさを覚えた。

 

「……誰がそんなことを言ってたんですか?」

「審査員の人よ。明らかに私を意識した演技をしてたって」

 

 質問を質問で返したが、あっさりと打ち返されてしまった。

 いよいよ返す言葉がなくなって口を閉ざした私を、速水さんは相変わらず何の感情の色を見せない顔で見つめていた。決して怒っているわけではなさそうだが、間違っても速水さんの演技を真似した私を好意的に捉えている風には見えなかった。

 

「志保は一体何をしてるの?」

 

 瞬きもせずに目を細めて、速水さんがそう問うた。

 胸がどくんと鳴る。その質問はあまりに漠然としたもので捉え所が分かりにくい質問だったが、私が胸の中で大事に大事に抱えていた何かが大きく揺さぶられたことだけは確かだった。

 

「志保は、何がしたいの?」

 

 少しの間を置いて、速水さんが質問を繰り返す。

 すっと頭が冷えた。何をしているのか、そして何がしたいのか、立て続けにそう訊かれて、何か私は根本から大きな間違いをしていたのではないかという気になったのだ。

 そして速水さんは私が犯し続けてきた過ちの正体を、はっきりと突きつけた。

 

「志保は志保なのよ。他の誰にはなれないし、誰かの真似をしたところで所詮コピーにしかなれないの」

 

 アリーナライブで春香さんに自分の過ちを突きつけられた時よりも、クレシェンドブルーで静香の実力に無理やり捻じ伏せられた時よりも、何倍も大きな衝撃が全身を駆け巡った。私を支えていた太い骨組みが、激しい地響きを立てながら木っ端微塵に壊れていったのだ。

 真似をしたところで所詮はコピーにしかなれず、オリジナルに勝てることはない。

 当たり前のことだった。人間誰しも唯一無二の存在であって、誰かの真似をして誰かに完全になりきることなど不可能なことなのだから。きっとそれは殆どの人が理解している常識で、速水さんもそれを分かっていたからこそ、常識を疑うような口ぶりで言ったのだろう。

 だけどアリーナライブが終わってから今日まで、独りで先の見えない未来を生きていくことに不安を感じ、天ヶ瀬冬馬という名の都合の良い存在に頼りきって生きてきた私は、いつの間にかそんな当たり前の常識さえも忘れ去ってしまっていた。

 自分にはない煌めきを持つ二人が羨ましくて、冬馬さんや速水さんのような人間になりたいと強く願うあまり、いつからか私は二人が生きてきた道を必死になぞることだけに夢中になってしまっていた。

 だけどそれは自分が自分である事から逃げ、直視しなければならない現実から目を背け続けていただけなのかもしれない。私は北沢志保として生きていかなければならないはずのに、自分の人生について考えることを放棄して、全く関係のない他人の人生のレールの上を走ることで楽をしようとしていたのだ。

 

「……それじゃあ、私はどうすればいいんですか」

 

 自分が大切に抱えていた価値観、生き方を全て否定されて、速水さんに見せたくなかった弱い自分があっさりと姿を現した。その声は、情けないほどに弱り切っていた。

 だけどそんな醜態を晒した私に対して、速水さんは口角を上げて笑っている。数歩だけ私の方へと歩み寄ると、春香さんも、冬馬さんも決して言わなかった答えを、優しい声で教えてくれた。

 

「志保は志保なんだから、自分だけの人生を歩めば良いのよ」

「……自分だけの、人生?」

「そうよ。誰かの真似をするのではなく、良いところも悪いところも自分らしさだって認めて、受け入れて生きていくの。そうすればきっと他の人じゃできないような、自分らしい演技ができるようになるんじゃない?」

 

 アリーナライブが終わったあの夜から私がずっと探し求めてきた答えがきっちりと形になって、初めて私の前に姿を現した。

 

 良いところも悪いところも自分らしさだって認めて、受け入れて生きていく。

 誰かの真似をするのではなく、自分の人生を歩む。

 

 そんな強い生き方が、私にもできるのだろうか。

 いや、この世界で生きて行きたいと願うのならば、速水さんの言うような人間にならないといけないのだろう。だとすればそんな強い生き方ができる人間になる為に、私はどうすればいいのだろうか。

 そう考えたとき、真っ先に頭に思い浮かんできたのは金田社長が持ちかけた福岡行きの話だった。




速水奏の人生周回プレイ感は異常。
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