今日からフェスだゾ!
志保出てきてくれよ〜なんでもしますから(天井するとは言ってない
天ヶ瀬さんは豆鉄砲を食らったようにポカンとして「はぁ?」と言い放った。長い前髪の奥に隠された無愛想な目は、少しだけ大きく見開かれていた。
無意識に目を瞑りそうになる。ここで目を瞑ったら私が今までしてきたことが間違っているのだと完全に受け入れてしまう気がして、無理矢理にでも視線を逸らさないようにと天ヶ瀬さんを見つめた。
「だから、天ヶ瀬さんみたいになりたいって言ったんです」
「……俺みたいにって、どういうことだよ」
意味が分からないといった表情の天ヶ瀬さん。全てを話さずに察してほしいといった私の身勝手なワガママは当然通じなかったようで、私は覚悟を決めるようにテーブルの下でギュッと両手を握りしめた。
「天ヶ瀬さんたちのインタビューを見させてもらいました。一ヶ月ほど前に動画投稿サイトにアップされていたのを」
怪訝そうな顔をしていた天ヶ瀬さんの目尻がピクリと動く。
「今はインディーズで活動されてるって聴きました。バイトもして、何から何まで自分たちでやってるって」
「ま、まぁ。そうだけど……」
それがどうしたんだよ。そう口にした天ヶ瀬さんに、私は話を続ける。
「その話を聴いて、凄いなって純粋に思ったんです。誰にも頼らないで、自分の実力だけでトップを目指すって、私も皆さんみたいにそれくらい強くなりたいなって」
「……お前、もしかして765プロを辞めたいって思ってんのか?」
「ち、違いますよ。そういうわけではないんです」
私の伝えたいことがなかなか伝わらなくて、もどかしかった。どのような言葉をかければ天ヶ瀬さんに私の想いが届くのか、必死に頭の中で言葉を探している間に、テーブルが静かに振動した。天ヶ瀬さんは一度だけテーブルの上に置いたスマートフォンに目を向けたが、すぐに視線を私に戻す。手だけをスマートフォンに添えて、バイブを停止させた。
前髪の奥の瞳は、ずっと私の言葉を待ち続けている。その真っ直ぐで真剣な眼差しの前に、私の胸の中に存在していた大きな隔たりのようなモノが音を立てて崩れ去っていった。大きな隔たりが跡形もなく消え去った胸の中は風通しがよくなったかように、話そうかどうかと躊躇っていたはずの言葉たちが次から次へと猛スピードで駆け抜けていく。
「私、ずっと思ってました。トップアイドルになれるのは極一握りだって。だから誰にも負けたくないし、馴れ合いなんて必要ないと思ってたんです。それで先日、765ALL STARSの皆さんのライブにバックダンサーとして参加させてもらえる機会がありました。そのレッスン中にバックダンサーのメンバーの一人が辞めたいって言い出したことがあって」
天ヶ瀬さんは何も言わず、ただ黙って話を聴いていた。口を挟むわけでもなく相槌を打つわけでもない、そんな彼の態度が今は有り難かった。
「それで春香さん……、天海春香さんはその子を必死に連れ戻そうとしてたんですけど、そうこうしている間に本番も近づいてきて。その時に一度、天海春香さんと揉めたんです」
––––もう時間がないんです! 今進める人間だけでも進まないと、みんなダメになりますよっ!
偉大な先輩に向かって自分が吐き捨てたセリフ。
自分の主張ばかりが正しいとばかり思っていたあの日の高慢な自分が、鮮明な情景となって脳裏に浮かんできた。ライブが大成功を収めた日から一日たりとも忘れることのないあの時の自分が、常に頭の片隅に居座り続けている。その情景が前に進もうとする私の身体に錘のように絡まって、前に進もうとする足を引き止めていた。皮肉にも、進めないでダメになりそうなのは私自身だった。
「私は心底理解できませんでした。辞めたいって本人が言ってるのに、どうして全体レッスンの時間を削ってまで連れ戻そうとするのかって。本気でライブを成功させる気があるのかなって思うくらいに、天海春香さんの言動が理解できなかったんです。だけど実際のライブは……」
スルスルと自分でも不思議なくらいに飛び出していた言葉たちが、初めて途切れた。言葉が見つからないわけではない、この先の言葉を口にしたくないだけだった。口に出してしまったら最後、今までの自分を全て否定してしまうかのような気がして、怖くなったのだ。
この期に及んでちっぽけなプライドが私の口を閉ざす。口籠もる姿を良い加減見兼ねたのか、それまで静かに私の話を聴いていた初めて天ヶ瀬さんが口を開いた。
「……良いライブだったよな」
「えっ?」
見に来てたんですか、と尋ねると、天ヶ瀬さんは途端に恥ずかしそうに視線を泳がせて頬をかきながら、「天海がチケットをくれたんだ」と弁解するように呟いた。二人が知り合いだったことにも驚いたが、私は二人の関係を深くは言及しなかった。私が一番言いたくなかったであろう言葉を、天ヶ瀬さんが代わりに口にしてくれたことで、変に気を遣わせてしまったような気がして申し訳ない気持ちに駆られていたのだ。
ここまで話したら天ヶ瀬さんも私の言いたいことに気付いているかもしれない。ふとそう思ったが、私は最後まで話をすることにした。口に出して言葉にすることで、私の中で渦巻き続けていたモヤモヤが順々に整理されていくような気がしていたからだ。
「……結果として春香さんの考え方は正しかったんだと思います。あの時、ステージで活躍する春香さんたちを見て、そのことにはすぐ気付きました」
アリーナのステージで大成功を収めた要因の一つに、春香さんが最後まで拘り続けた「全員でステージに立つ」というものがあったことは、誰の目にも明らかだった。もし一人消えたのなら、そのスペースを埋めるように立ち位置やダンスを変更すればいい。魅力的なステージを創り上げるのに人の数なんて関係なくて、大事なのはステージに立つ人間の実力なのだと。そんな私の独り善がりな考えは、765ALL STARSの12人と私たち7人のバックダンサーの計19人が立ったステージによって見事なまでに粉砕されてしまった。
だけど春香さんは私を最後まで否定しなかった。あれだけ無礼な態度と発言を繰り返してきた私を怒ることも軽蔑することもせず、優しい眼差しを崩さずに「次も皆で一緒にステージ立てるの楽しみにしてる」とまで言ってくれた。
春香さんは優しかった。だけど、その優しさが呪いにのように私に重くのしかかって、苦しめ続けている。優しくされるくらいなら軽蔑されて酷い言葉を投げかけられる方がマシだった。私の考えを否定もしなければ肯定もしない、結局私がしてきたことは誤りだったのかそうじゃなかったのか、答えのない葛藤があの日から私の胸の中で対立を続けていたのだ。
「もし春香さんが正しかったのなら、私の考え方は間違っていたのかなって思うようになって。今までしてきたことって何だったんだろうって思っていた頃に、天ヶ瀬さんと知り合ってあの動画を見ました」
何気なく視聴した動画で知った、ジュピターの現在。
事務所には所属せず、あくまで誰の力も借りずに自分たちの力だけでトップを目指そうとする彼らの生き方は、紛れもなく私が理想だと思い込んでいて、そしてアリーナライブで否定されたはずの生き方と重ねって見えた。
大変なはずなのに楽しそうに笑いながら、微塵も苦を感じさせないジュピターの3人の姿を見て、彼らの考え方が誤りだとは思えなかった。だとしたら、何故私はそんな生き方が間違いだったと思ってしまったのだろうか。
春香さんが教えてくれなかった答えを、私は知りたかった。その答えを知らない限り、私はアイドルとしてこれ以上先に進むことができないような気がしていたのだ
「天ヶ瀬さんたちのような生き方に、私も凄く憧れていました。誰の手も借りず、自分の力で夢を叶えられるような強い大人になりたいと、ずっと願っていたんです」
「そんな、お前が言うほど大そうなもんじゃねぇよ」
そう否定していたが、天ヶ瀬さんのほっぺは嬉しそうに笑っていた。目元がかすかにふくれて、親しみのこもったような笑みを浮かべて苦笑いしている。
この人も、自分の選んだ生き方が窮屈で独り善がりだと思ったり、誰かに否定されて迷ったりすることがあるのだろうか。脳裏によぎったインタビュー動画の姿からは、そんな風には思えなかった。いや、それはもしかしたらただの私の願望で、私の迷いを払拭する答えを持っていてほしい、そんな自分勝手な欲求が都合のいいジュピターの姿を求めているだけなのかもしれない。
「教えて欲しいです。独りで夢を叶えたいと思うのは傲慢なことなのでしょうか」
「……天海のやつは、なんて?」
意を決して単刀直入に尋ねた質問に返ってきたのは、まるで見当違いの質問だった。特には何も、と答えた私に天ヶ瀬さんは「あいつらしいな」とだけ言って、頬の上にえんぴつで描いたような笑みを浮かべる。
「天海が何も言わなかったのは、自分で答えを見つけろってことなんじぇねぇの」
「そ、それは……」
鋭い目は私の胸の中に切り込んでくるようだった。嫌な胸騒ぎが湧き起こる。天ヶ瀬さんはとっくに気付いていた。天海さんが私に何も言わなかった意図にも、その意図に気付いていながらも誰かの答えに縋ろうとしていた卑怯な私にも。
何も言い返せなかった。天ヶ瀬さんの言葉が紛れもない事実だったからだ。思わず唇を噛み締めて、天ヶ瀬さんの鋭い視線から逃げるように下を向く。
「顔、上げろよ」
溜息をつくようにフンと鼻をならしてから、天ヶ瀬さんはやわらかい口調でそう言った。天ヶ瀬さんの声は、あの日ほぼ90度頭を下げた私に声をかけてくれた春香さんと同じようにな優しい声だった。
「……答えは見つけてやれねぇけど、アドバイスくらいならできるから」
「アドバイス、ですか?」
「そう。そんな大したアドバイスはできねぇけど」
恥ずかしそうに視線を逸らしながらそう言った後に、天ヶ瀬さんはキッパリと断言した。
「残念だけど俺たちジュピターの考えとお前が憧れている生き方は、かけ離れたものだと思うぜ」
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「教えて欲しいです。独りで夢を叶えたいと思うのは傲慢なことなのでしょうか」
俺にその答えを求めた北沢の姿に既視感を覚えて、どこかひどく懐かしい感覚がした。その既視感の正体が過去の自分の姿だと気付くのに、時間はそう要さなかった。
夢を叶えたいと思う気持ちが強ければ強いほど目に見える結果ばかりに拘りすぎて、見えないモノの大切を見落としまう。目の前の北沢が、かつての傲慢で勘違いばかりしていた自分の姿と重なって映った。
––––俺たちは……、俺たちは利用されるために歌ってんじゃねぇんだよ!
961プロを辞めた日に捨て台詞のように吐いた言葉が胸の奥底からグツグツと音を立てながら、熱を持って湧き上がってきた。あの日、誰よりも許せなかったのは俺たちを駒扱いしていた黒井のおっさんではなく、勘違いをして思い上がっていた自分だったのではないかと思う。黒井のおっさんが引いたレールの上を走り続け、手のひらで踊らせていることに気付かずに自分たちの実力で全てを勝ち取ったとばかり思い込んでいた自分が、滑稽で仕方がなかった。
「天海のやつは、なんて?」
「え、春香さんですか? 特には何も」
少し戸惑ったように答える北沢を見て、だろうなと思った。
俺たちは自分の過ちを指摘してくれる人が周りに誰一人としていなかった。気付いた頃にはもう取り返しのつかないところまで来てしまっていて、再出発をするには全てを一からリセットする他なかった。
だからこそ、北沢は恵まれていると思う。天海のような先輩がいて、39 Projectには様々な経験と考え方を持った沢山の同期もいて、その環境下では自分の考えが正しいのかどうかを考える機会があるはずだ。何も知らずに自分の考えが全てだと思うのと、沢山の意見や友人を参考にして自分の考えを選び取るのとでは、結果が同じでも大きく異なると思う。
「天海が何も言わなかったのは、自分で答えを見つけろってことなんじぇねぇの」
「そ、それは……」
北沢は歯切れの悪い言葉を詰まらせて、下を向いた。思っていたとおり、北沢も天海の意図には気付いていたらしい。
図星を付かれたのか、北沢はそれから暫く口を開かなかった。店内に流れる音楽の合間を縫うように、窓の外からアスファルトの上を走るタイヤの音と鈍いエンジン音が聞こえてくる。北沢の言葉を待っていたが、彼女は何も喋らなかった。次第に俺たち二人の間に漂う沈黙が重くなってきて、喉のずっと奥がつかえるものを感じ始める。
「顔上げろよ。……答えは見つけてやれねぇけど、アドバイスくらいならできるから」
結局我慢できなかった俺が、沈黙を破ってしまった。
俺が不機嫌になってヤケクソにそう言ったのかと思ったのか、北沢の俺を見つめる表情は少しだけ罪悪感を含んでいるように見えた。そうじゃないと思わせようと笑って見せようとしたが、それもすぐに恥ずかしくなって、視線を虚空に向けてしまった。
「アドバイス、ですか?」
「そう。そんな大したアドバイスはできねぇけど」
アドバイスといっても何をどう伝えればいいことやら。
考えなしに口を滑らせてしまった言葉に少しだけ後悔を抱きつつも、俺は彼女が気付いていない決定的な間違いを指摘し、ジュピターの話をゆっくりと始めた。
「……珍しいな、冬馬が自分のことを話すなんて」
北沢が店から出て行った後、二人分のホットコーヒーを乗せてトレイを持ったマスターが少しだけ驚いたような顔色で北沢が座っていた席に深く腰を下ろした。自分自身でもらしくないなと思いつつ、マスターからコーヒーを受け取る。湯気が立ち込めるコーヒーカップに一口だけ唇が触れると、舌に熱を持った苦い味がじんわりと広がって行った。
ジュピターが961プロを辞めた経緯なんて今まで誰にも話してこなかった。誰かが秘密にしようと決めた訳ではなかったが、きっと俺だけじゃなくて北斗や翔太もそうだったはずだ。暗黙の了解ではあったが、あの話は安易に俺たち以外の人に共有してはいけないような、そんな共通認識のようなものがあったのだと思う。
だからこそ自分でも不思議だった。どうして俺たちと961プロとの確執の話なんてしたのだろうか、北沢にジュピターの経緯を話す姿はまるで自分が自分じゃないような錯覚させ感じさせるものだった。
「あの子に惚れ込んでるのか?」
「そういうわけじゃないっすよ。ただ……」
何かを追い求めることに必死になりすぎて、周りにある大切なモノたちに気付けない。例え気付けたとしても、それを“馴れ合い”だと勘違いして切り捨ててしまう。そんな北沢の姿が、過去の俺に重なって見えて放って置けなかったのだと思う。北沢は天海が何も言わなかった意図にも気付いていたようだった。それでも俺に答えを求めに来たのだから、それまでにも彼女なりに答えを探し続けていたのだろう。そんな北沢に俺が出来ることは、似たような考えを持つ人間が経験した実体験だけだった。北沢が求めているであろう答えは、俺たちもまだ分からないのだから。
期待していた答えじゃなかったはずだが、俺を見てマスターは楽しげに笑っていた。
「ちゃんと伝わってたらいいんだけど……」
「大丈夫だろ。帰る時、あの子すごくスッキリした顔してたから」
「だといいっすね」
帰り際に見た北沢の横顔は、迷いが完全に吹っ切れたわけではなさそうだったが答えへの兆しを見つけたような、そんな明るい表情にも見えた。そう感じていたのは俺だけではなかったらしい。
北沢の思考は間違っていなかった。誰よりも輝きたい、負けたくないと思って周囲をライバル視することだって決して悪いことじゃない。どちらかといえば俺もそういった負けず嫌いな人間側だから、北沢の気持ちも十分に理解しているつもりだった。
だからこそ、その負けず嫌いのエネルギーを正しいベクトルに向けて欲しかった。過去の俺のように天海たち765プロのアイドルを卑下するのではなく、刺激を貰える良きライバルとして捉えて切磋琢磨し合えるように。幸いにも北沢の所属する39 Projectにはそういった環境があるのだから。
インディーズ活動を始めて、沢山の苦労をして、961プロにいた頃には気付けなかった大切なことを沢山知ることができた。ファンの皆を喜ばすことができるのは本当に多くの人たちの協力の上で成立するものだと、そんな当たり前のことさえもステージに立って歌うだけだった昔の俺たちが気付ずににいたことも知ることができた。そして、今の環境だからこそ俺たちが抱いていた「自分の実力が証明できる環境でトップを取る」という目標も実現できるのだと確信している。
そんな俺たちの姿は、北沢が最初に求めていた姿とは少し違っていたのかもしれない。失望させてしまったかなと思う。だけど、少しでも俺たちの話が彼女の求める答えの参考材料になればいいと願う。
「今日は本当に有難うございました。あの、迷惑じゃなければまた何かあったら連絡してもいいですか?」
店を出る直前、申し訳さそうにそう口にした北沢の姿を思い出す。全然いいぜ、なんてドライに返したが、俺もまた会えたらいいなと心の底で思っていた。
「それじゃ、失礼します」
「気をつけて帰れよ。またな」
「はい、また」
さようならを言わなかった北沢は、微笑みを口角を浮かべながら礼儀正しく会釈をして、踵を返す。俺が彼女の背中を見送る間、北沢が振り返らなければまた会えるような気がしていた。
北沢はついに一度も振り返らなかった。薄暗い店を出て、目が眩むほどに眩しい日差しの外の世界へ出て行った北沢の背中に向かって、俺は小さな声で「頑張れ」と投げかけた。
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