赤羽根さんの誘いに、俺はその場では迷わず即決した。今まで自分が海外に行くことなんて考えたこともなかったけれど、ハリウッドの話を聞いた時、直感ではあったが俺がずっと探し求めていた“何か”がある気がしたのだ。
俺は唖然とする赤羽根さんの向こう側で、まるで即決することを分かっていたかのように笑みを浮かべる齋藤社長に頷きかけた。
「そ、そんなすぐに決めてもいいのか? もっと時間をかけて考えたりとか……」
「いくら時間をかけたって変わらねぇよ。俺はハリウッドに行く。だから今すぐにでも話を通して欲しい」
ハリウッドに誘ったくせに、行くと伝えたら途端に引き留めようとしたり、何がしたいのかイマイチ分からない赤羽根さんを強引に説得して、俺はハリウッド行きの話をその場で確約した。赤羽根さんだけではなく、石川さんからも「よく熟考して結論を出すべきでは」と言われたが、それでも俺は最後まで自分の意思を貫き通して、そんな俺を齋藤社長だけは終始楽しそうな表情で眺めていた。
キッカケであればなんでもよかったのではないかと言われれば、確かにそうなのかもしれない。現に俺は北斗や翔太のようにしっかりと考えて自分の道を選んだわけでも、志保のように明確な目的や夢があって決めたわけでもなく、ただただぽっと出て来た話に飛びついただけなのだから。
だけど、俺はこのまま“空を飛べる感覚”をぼんやりと握りしめたまま、何も挑戦することなく燻り続けるような大人になりたくなかった。
例えハリウッドで俺が探し求めている“何か”がなかったとしても、315プロで出会った格好良い大人たちのように、可能性を信じてチャレンジする道を自らの意思で選択したんだと胸を張って言える大人になりたい。この感触を覚えたまま何もせず、なんとなく流されるがまま歳を重ねたくはなかったのだ。
だが、そんな想いに比例して浮かび上がってくる不安もあった。それは志保のことだ。
志保が福岡に行くと話したあの日、俺は例え志保が福岡に行ってしまっても暇を見つけて会いに行くと約束をした。例え遠距離になってしまっても俺たちの関係は決して変わらないのだと、そういった意思表示を込めて口にした言葉だった。
だけどそれが東京と福岡ではなく、ハリウッドと福岡になると当然話は大きく変わってくる。日本を出てしまったら最後、ハリウッドに滞在する二年間で一度も日本に帰ることができない可能性だって十分に考えられるのだから。かといって福岡で高校に通いながら演劇に打ち込む志保に、金銭的にも時間的にもハリウッドまで来る余裕があるようにも思えなかった。
そうなると俺たちの関係はどうなってしまうのか。
ハリウッドと福岡という、とてつもなく現実味のない遠距離を前に、俺たちは想いの糸を切らさずに繋ぎとめておくことができるのだろうか。国を跨ぐ遠距離恋愛なんてはあまりにも非現実的で、完全に未知の世界の話だった。
反射的に「行く」と言ってしまったものの、日を追うごとに志保の存在が俺の頭を悩ませ、一度決めたはずの決意が揺らいでいく。赤羽根さんからの誘いを受けてから暫くの間は、志保どころか北斗や翔太、315プロの誰にもこのことは話さずに一人であれこれと考えてみたものの、結局己を納得させる答えは導き出すことはできなかった。
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「珍しいな、冬馬から誘うなんて」
俺が待ち合わせ場所に選んだ315プロの近くにあるラーメン屋は、ネクタイを締めたサラリーマンでいっぱいだった。その中で俺たちだけがラフな私服姿だったため妙に浮いてしまっている気もしたが、店内のお客さんたちはそんな俺たちなんか気にも留めず、自分たちの世界にだけ入り込んでいる。店長と思われる大柄で声が野太い店員がメニューと水を持ってやって来たのと同時に隣で「いつものを頼む」と店員に伝える様子をみて、とりあえず俺も便乗して「いつもの」ラーメンを注文することにした。
「ここさ、たまに翼と食べ来るんだよ」
「そうだったんすね」
「初めは桜庭も来てたんだけど毎回翼が信じられねぇくらいの量を一人で食うからさ。もう付き合いきれねぇって言って来なくなったんだ」
楽しそうに語る天道さんの話に、俺は程よく相槌を打つ。
天道さんは俺と十一も歳が離れているものの、何処か感性が似たものがあるのか、不思議なほど波長が合う人だった。きっと俺と天道さんは似た者同士なのだと思う。趣味や特技などの共通点も多く、まるで自分の生写しのような天道さんを、いつしか俺は実の兄のように慕うようになっていた。
だからこそ、俺は今回の相談相手に天道さんを選んだ。
北斗や翔太などの第三者の視点からの意見ではなく、俺と似た価値観や考え方を持つ天道さんの意見が今の自分にとって一番参考になる気がしたのだ。
「あのさ、ちょっと天道さんに相談したいことがあって」
「相談? 俺に?」
店員が注文を取り終えて離れた瞬間を見計らって、天道さんを呼び出した目的を話そうと切り出す。
俺は小さく息を吸って天道さんの目を見て言おうとしたものの、今から言おうとする言葉に引け目を感じてしまい、結局ほんの一瞬だけしか見ることができなかった。猛スピードで落下していく視線は木製のカウンターへと向かって行き、その途中に視界の端っこの方で呆気にとられるような天道さんの視線が目に入る。天道さんは俺の方を見つめたまま、ずっと言葉を待っていた。
「……俺、実は彼女がいるんすよね。付き合って半年くらいになるんすけど」
「彼女って、765の北沢志保ちゃんのことだろ?」
「え?」
勇気を振り絞って出した告白を、あっさりと受け止められてしまった。咄嗟に顔を上げると、何も驚いた様子もなく天道さんが俺を見下ろしている。
「––––なっ、なんで知ってるんすか」
「いやいや、むしろ逆に知らないと思ったのか?」
「……だって俺、北斗や翔太以外に言ってないし」
「冬馬は気付かれてないと思ってるかもしれないけど、多分みんな知ってると思うぞ。なんならプロデューサーとか社長も知ってんじゃないかな」
「はぁ!? なんで皆知ってるんだよ!?」
「そりゃあ、あんなに堂々とキーホルダー付けてたら嫌でもなんかあるのかって勘繰るだろ。おまけに事務所の近くでも平気でデートしてたし」
「うっ……」
動揺する俺とは対照的に、天道さんは何にも動ないようなドライな反応だ。もっと彼女がいることに驚いたりとか、そもそも一人のアイドルとして異性と交際することに対し難色を示される可能性ばかりを想定していただけに、事務所の仲間たちに全て筒抜けだったのは想定外だった。
天道さんに会って話そうと思っていた計画が初っ端から破綻したタイミングで、店員が二人分のラーメンを持ってやってきた。底が見えないほど濃いスープが入ったラーメン鉢が俺たちの前に置かれると、天道さんが「それで、志保ちゃんがどうしたんだよ」と当たり前のように志保の名前を口にしながら割り箸を俺に向けて差し出す。その箸を受け取って二つに割ると、俺はもう一度頭の中で整理してから本題を切り出した。
志保が夢を追って福岡に行ってしまうこと、そのことが決まる前から俺自身も今後アイドルとして高みを目指すために何かをしなければならないと思っていたこと。そして赤羽根さんが誘ってくれたハリウッドの話に食らいついたが、その結果志保との関係性の未来が見えなくなり、これからどうすればいいのか分からなくなってしまったこと––––。
天道さんは時折俺の意思を確認するような質問を挟みながらも、終始聞き手に徹してくれた。だが全てを打ち明けた後、天道さんが口にした言葉は俺の相談とは何の脈絡もないものだった。
「俺、実は小さい頃から正義のヒーローになりたかったんだ」
「正義のヒーロー……、すか?」
あまりに唐突な話だったので、思わず訊き返してしまった。天道さんはスープまで完飲して底に書かれていた店のロゴが明るみになったラーメン鉢の上に割り箸を揃えて置くと一口だけ水を口に含む。コップを空にしてカウンターの上に置くと、「そう」とだけ呟き、肘をつきながらメニューに目を落とした。
「カッコいい正義のヒーローになりたくて、それで弁護士になったんだ。まぁ、結局辞めちゃったんだけどな」
天道さんが315プロに来る前に弁護士をしていた話は何度か聞いたことがある。
なんでも猛勉強の末に念願だった弁護士事務所に入社したものの、実際は思うような仕事ができずに行き詰まりを感じていて、そんな時に石川さんに声をかけられてアイドルに転身した––––、というのが315プロに流れ着いた経緯だったはずだ。その経歴の中でも、天道さんが「人助けをしたい」という想いから弁護士を志したエピソードは特に印象に残っていた。その「人助け」ができないと気付いたから、弁護士を辞めたという話も同じくらいに。
だけど、そんな天道さんの幼い頃からの憧れと俺の相談とで何の関係があるのだろうか。
今の時点では何一つ共通点が見つからず、話の意図が汲み取れなかった。
「だけど大人になって……、ていうか正確には315プロに入ってからなんだけど、ようやく本質に気付けたんだよな。どうして小さい時に見た正義のヒーローがカッコよく見えたのかって」
「……どうしてなんすか?」
天道さんは一度だけ俺の方を見て、少しの間を開けた後に再びメニューに視線を向けながら、まるで自分に言い聞かせる独り言のように淡々とした口調でその答えを教えてくれた。
「悪を懲らしめるとか、誰かを助けるとか、そういうのがカッコ良いんじゃなくて、正義のヒーローは自分の信じる正義や生き様を貫いているからカッコ良いんだよ」
「自分の信じる正義や生き様……?」
「まぁ簡潔に言えば『自分の中で絶対譲れないモノ』ってやつなんだろうな。そういう強い思いがあって、それに忠実に生きてるから輝いて見えるしカッコよくも見えるんだと思う」
––––自分の中で絶対に譲れないモノ。
頭の中が一瞬だけ空っぽになって、天道さんが伝えたいことがすっと正体を現したような気がした。
もしかしたら天道さんが憧れた正義のヒーローと、俺が315プロで憧れた大人たちの姿は全く同じモノだったのかもしれない。誰々より強いとか、何をしているからとか、俺たちを強く惹きつけたのは必ずしもそういう薄っぺらい上部だけのものじゃなくて、自分が信じる正義や道を貫き通す強い人間の生き様だったのだ。
俺が今ここで志保に気遣ってハリウッド行きの話を断れば、例え志保が福岡に行ってしまった来年の春以降も恐らくは月に一度、最低でも数ヶ月に一度は会う機会があるだろう。今までに比べたら決して多くはない機会だけれども、ハリウッドと福岡の遠距離恋愛に比べたら互いに寂しさを埋めるには十分すぎる頻度のはずだ。
だけど果たして俺が感じた可能性を捨てて選んだその道の先で、俺は志保がなりたいと言ってくれた天ヶ瀬冬馬に、そして315プロで出会った格好良い大人たちのような人間に、なることはできるのだろうか。この先歳を重ねて俺も天道さんくらいの年齢になった時、あの時の判断は間違ってなかったと本当に胸を張って言うことはできるのだろうか。
自問自答するまでもなかった。答えはとっくに分かっていたのだから。
「志保ちゃんがいつまでもカッコいいって思う天ヶ瀬冬馬で居続ければ、アメリカでも福岡でも距離は関係ないさ」
最後に天道さんはそう言って、席を立った。
店を出ると、街中では珍しく星が見えた。
雲の隙間から点々と散らばった光の粒が、今日はやけに煌めいて見える。夏の終わりを感じさせる少し切ない風がラーメンを食べた直後で火照っている素肌を叩いた。俺たちはポケットに両手を突っ込んだまま、立ち尽くすように星々を見上げていた。
「……ハリウッドから帰ってきたらもう冬馬は二十歳なのか」
東京の上空に広がる星々に向かって、天道さんが言葉を投げる。俺よりも十一年長く生きてきて、その中で俺の知らないような多くの葛藤や挫折、決断を経験してきた天道さんの横顔がいつになく大人の顔つきに見えた。
そんな横顔を暫く見つめていると、天道さんが振り向いて視線が交錯した。大人の顔をしているのに、俺を見る表情は邪気のない子供のような笑顔だ。
「帰ってきたら一緒に飲みに行くか!」
「……良いっすね! 絶対行きましょ!」
俺たちは二年後に大人になる約束をして、軽く拳をぶつけあった。
315プロに来て良かったなと、この時改めて俺はそう感じたのだった。
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