【完結】ニタモノドウシ   作:ラジラルク

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冗談抜きの最後の初投稿です。




  

 

 ハリウッドから冬馬さんが帰国した翌日、私たちは揃って福岡空港から羽田空港行きの飛行機に乗って東京へと帰った。冬馬さんは当然ながら、実は私も東京に帰るのは一年ぶり。福岡での生活は慌ただしかったけれど、帰ろうと思えば帰れるタイミングはこの一年で何度もあったはずだった。だけどそれでも帰らなかったのは、福岡の地で何も成し遂げないままは帰りたくはないという想いがあったからだ。

 東京に戻って家族や劇場の仲間たちには会いたい。

 だけどそれには自分が皆に胸を張って会えるような『結果』が伴ってないといけなくて、何の手土産もなく東京に帰るのは少し違う気がしていたのだ。

 だからある意味、博多座出演という一つ大きな仕事を完遂することができた今、冬馬さんが帰ってきたのは私にとって丁度東京に帰るタイミングとしては良かったのかもしれない。皆に会うのが楽しみな気持ちと、ほんの少しだけの誇らしい気持ちを持って、私は冬馬さんと福岡空港を発って東京へと向かった。

 空の上を約二時間ほど飛び続けて羽田空港に到着すると、ただっ広い滑走路に吹き荒れる強い春風が手荒に私たちを出迎えてくれた。急ぎ足で駆け抜けていく春風が私の身体にぶつかって、胸の奥に隠していた懐旧の念を激しく揺らしている。懐かしい気持ちと妙な安心感が、一点を鋭く突くように強く深く胸に刺さっていく。遠くに見える摩天楼の景色はやっぱり懐かしくて、一年ぶりに仰いだ東京の空はほんの少しだけ、最後に見た時よりも近く感じられた。

 一年福岡に住んでそれなりに良い街で住みやすさも居心地のよさも感じていたけれど、私にとってこの生まれ育った東京はかけがえのない故郷であり、私が本来いるべき場所なのかもしれない。

 

 東京へ戻ってきた私たちがまず最初に向かったのは、母と弟が二人で暮らしている団地だ。

 冬馬さんは久しぶりに会うのなら私たち家族だけの方がいいのではと最後まで遠慮していたが、母が「せっかく一緒に東京に帰ってきてるんだから」と言って、四人で会おうと提案してくれたのだ。冬馬さんと一緒に久しぶりに我が家の敷居を跨ぐのは変な感じもしたけれど、それでもいざ帰ると胸を突く懐かしさが小さな我が家の中には一杯に広がっていた。母が毎朝飲んでいるコーヒーの豆の匂い、使い古された家電製品、幼い頃から何度も顔を合わせてきた壁のシミ、一年ぶりの我が家はそこまで大きく変わっていたわけではなかったけれど、その空間には心の底から気が休まるような優しい空気に満ち溢れている。

 その久しぶりの我が家で、私と冬馬さんが並んで座り、向かい側には母と弟が座って小さなテーブルを囲む。どことなく懐かしさと違和感が重なっていたけれど、窓から居間に差し込む生暖かい光がその雰囲気を緩和してくれて、春の手助けを借りた私たちはいつしか自然に話ができるようになっていった。

 

「こんなお土産まで頂いて、本当にすみません……」

 

 申し訳なさそうにそう口にする母の右手には真新しいマグカップが握られている。マグカップには、『Hollywood』の文字とポップな絵柄で表現されたハリウッドの街並みがプリントされていた。

 

「冬馬くん、ありがとう! これ着てサッカー頑張るねっ!」

「あぁ! いっぱい練習して早く日本代表になるんだぞ」

 

 その一方で母の隣に座る弟は対照的に、今にも躍り始めそうなほどに悦びに溢れた瞳で冬馬さんから貰った白色のサッカーユニフォームを抱きしめていた。

 冬馬さんは母と弟にハリウッドのお土産を用意していたようで、コーヒーが好きだと私から聴いていた母にはハリウッドでしか手に入らないスターバックスの限定マグカップを、弟にはロサンゼルスを本拠地とするプロサッカークラブのユニフォームをプレゼントしてくれたのだ。

 きっと冬馬さんなりの気遣いなのだと思う。母のお金で福岡へ旅行に行ったことをずっと気にしているようだったから、冬馬さんは何かしらの形でお返しをして、“おあいこ”にしたかったのだろう。母は嬉しさ半分、もう半分は申し訳なさと遠慮が入り混じってた何とも言えない顔をしていたが、それでも最後は折れて、「大事に使わせていただきます」とお礼を言いながら、マグカップを箱の中へと戻した。その時の母は普段はあまり見ない笑顔を浮かべていて、ふと父がまだ生きていた頃はこんな風によく笑っていたのかもしれないと思った。

 

「冬馬くん、アメリカでの生活はどんな感じなの? アメリカ語は話せるの?」

「ん、英語のことか? それならまぁ、程々だな……、ははは」

「でも本当に立派ですよね、十八歳で一人アメリカに行くなんて」

「いえ。一人だけど助けてくれた人たちも沢山いたんで。そんなに俺は立派じゃないすよ」

 

 春の陽気に包まれた昼下がり、冬馬さんを交えた私たち北沢家の時間は緩やかに進んでいく。

 小学生になった弟の話、冬馬さんのハリウッドでの暮らしのこと、私が博多座に立った時の話、私たちが繰り広げている会話の内容は俗にいうただの“近況報告”で、決して何か特別な話をしているわけではなかった。だけどそんな何処の家庭内にでも転がっているような平凡な話題のひとつだけでも、こうして顔を合わせて話をすることで四人が座る狭い居間が、温かくて優しい雰囲気に満たされていくのを私は肌でひしひしと感じていた。

 それは冬馬さんと出会う前の北沢家からは想像もできない、そして私が何度も何度も求め続け、焦がれていた和気藹々とした光景だった。

 あの頃は母も私も、そして弟も幼いなりに、きっと互いが互いを思いやろうとしすぎて、すれ違いが生じていたのだと思う。母は私たちに少しでも楽をさせようと毎日のように朝早くから夜遅くまで仕事に行って、私はそんな母の負担を少しでも減らそうと、そして父が帰ってくればまた皆が楽しく過ごせる時間を取り戻せるものだと信じてアイドルを志した。あの頃は皆が誰かを気遣うあまり、ろくに話もする機会もなく、家族揃って顔を合わせて話をする機会なんて殆どなかったはずだ。

 だけどそんなすれ違いも今は解消されて、父がいなくなったあの日から止まっていた北沢家の時計の針は間違いなく未来へと進み始めている。今までの遅れを取り戻すかのような速度で。

 冬馬さんに助けられたのは私だけではなく、きっと母も同じだったのかもしれない。

 あの時に冬馬さんがいてくれたからこそ、こうして北沢家は本当に向き合わなければならない問題が何なのかに気が付くことができて、その結果、本当の意味で全員が父の死を乗り越えることができたのだから。

 父とはもう会うことはできない。だけどその傷を癒し、埋めてくれたのは冬馬さんだった。

 絶対に父の存在でしか埋まらないと思っていた北沢家の欠けたパズルの穴を埋める最後の一ピースに、冬馬さんがなってくれたのだ。

 

「あの、天ヶ瀬さん」

 

 暫く他愛もない会話で盛り上がった後、次に向かうべき場所へと行くために冬馬さんと私が家を出ようとした時、玄関で母がそう呼び止めた。振り返った冬馬さんに対し、母は時間をかけて言葉を探すかのように視線を周囲に泳がせている。そして探していた言葉を見つけたのか、少しだけ照れ臭そうに頬の筋肉を緩ませて、ふっと笑った。

 

「私たちはずっと天ヶ瀬さんを応援しているので、くれぐれもお身体に気をつけて頑張ってください。あと、もし何か困ったことがあればいつでも連絡してくださいね」

 

 冬馬さんは深々と母に頭を下げると、「また遊びに来ます」とだけ返して踵を返した。

 久しぶりに帰ってきた我が家を出ると、蒼く透き通った空のやや傾いた場所から私たちを見下ろしていた太陽と目が合った。その日差しは、福岡で私が感じていたのよりも何倍も暑くて、そして何倍も温かく感じられた。

 

 

★☆★☆★☆★☆

 

 

 北沢の家を出て、幾つの駅を跨いで到着したのは俺が日本を出る前にまで住んでいた街の駅だった。

 俺が住んでいたマンションには今、四国での単身赴任を終えて東京に帰ってきた父親が住んでいて、今回の一時帰国の際は父と同じマンションに滞在することになっていたのだ。

 父に志保を紹介したいと思っていたのだが、父が仕事を終えてマンションに帰ってくるまでにまだ少し時間があり、鍵を預けていた俺は家に入ることができない。それまでの時間潰しという建前を使って、俺は北沢に高台の公園に行かないかと誘い、普通なら十分もあれば着く道のりをその何倍もの時間をかけながら俺たちは歩いていった。

 今年の東京は暖冬だったのか、まだ四月にもなっていないというのに駅前の通りの街路樹は既にピンク一色に染まっている。春の微風が吹けば枝木は擦れ合う音を立てながら揺れると、まるでスローモーションのようにゆったりと桜の花が舞い散った。俺たちを包み込む桜の花たちを仰いだ時、何か心の奥底をギュッと掴まれるような衝動が走った。乾いた心に一瞬で潤っていくようなこの感覚は、“感動”なんて有り触れた言葉では表現できないような複雑なモノで、だけど俺はその言葉以上に適切な表現を知らなくて、乾いた胸の底から温かさが潤っていくのをひたすらに感じ続けることしかできなかった。

 

「まだ一年目だけど、高校を卒業した後はどうするか決めたのか?」

「そうですね、やっぱり765に戻ろうと思っています。福岡での生活も充実してるし楽しいけど、私の居場所はこっちだと思ってるんで。冬馬さんは?」

「俺も二年間の期間を終えたら東京に戻るつもりだな。やっぱり俺はソロよりジュピターで活動する方が性に合ってる気がして」

 

 桜に包まれる道で俺たちは話の続きをした。

 春の日差しが温めるアスファルトの上を歩くたびに会話は他愛もない話題になっていって、俺はハリウッドで厳しくも優しく面倒を見てくれたボスの話や赤羽根さんが度々仕事関係でやってきては顔を見にきてくれたこと、志保は博多座の舞台の練習がとてもキツかったことや、ゴールドプロの金田社長やマネージャーの話などを喋った。

 それは互いに知らない日常の話ばかりだったけど、不思議と不安な気持ちにはならなかった。俺には俺の志保には志保の生活があって、だけどその離れ離れの世界にいても互いの存在を誇らしく見つめ合うことで、しっかりと想いの糸を繋ぎ止めることができたからだと思う。

 ようやく辿り着いた高台の公園に続くコンクリートの階段を登ると、そこには見慣れない光景が広がっていた。本来芝生の公園だったはずの場所にはブルーシートに覆われた建物がそびえていて、公園の入り口には『立ち入り禁止』と書かれたコーンが道を塞いでいたのだ。周囲のフェンスに『入居者募集』と書かれたパネルが貼られているのを見つけて、志保が福岡に、俺がハリウッドにいる間に、俺たちの思い出の場所に新たな高層マンションが建とうとしていたことを初めて知った。

 かつては休日などには大勢の家族連れで賑わっていたこの場所は公園としての役目を終えたのか、春休みだというのに人の影は一つも見当たらない。周囲を覆うフェンスの奥に残されたベンチが、ただただ寂しげに佇んでいるだけだ。

 

「……ここ、マンションになるんですね」

 

 一年前より短くなったウェーブのかかった髪が揺れて、志保の声が春風に拐われた。その声が心なしか寂しそうに聴こえたから、俺はただ相槌を打つように頷く。何か前向きになるような言葉をかけようと探していたけれど、その言葉を見つける前に志保が先に言葉を発した。

 

「でも、冬馬さんはこの街が変わり続けてもずっと側にいてくれるんですよね?」

「え?」

「忘れたんですか、自分が作詞したくせに」

 

 悪戯っぽく笑うその視線でようやく思い出した。志保が口にした言葉が、俺がかつて志保に向けて書いた歌詞の一部だったことに。

 恥ずかしさからか、俺の込めた想いが今でも志保の心の中に残っていることへの照れ臭さなのか、俺は頬が緩んでしまいそうな気がして慌てて空を仰いだ。

 俺らの上空に広がる空は二年前と同じだった。

 雲ひとつない空は清々しいまでに蒼一色に染まっていて、手を伸ばせば届きそうな気がするほどに空が近い。あの日のことだけじゃない、今までにこの場所で空を仰いで感じたこと全てが、肺の奥から逆流するかのように込み上げてくる。

 

 

 アリーナライブ後、初めて志保と出会った時に感じた衝撃。

 自分の無力さを誤魔化すように志保を抱きしめた冬の日。

 一緒に満開の星空を眺めに来て、ライブに誘った夜。

 そして過去と決別して初めて想いを伝えた、春風が吹き抜ける日。

 

 

「––––ちゃんと覚えてるぜ」

 

 何ひとつ忘れていない。ここで俺が感じたこと、そして志保から沢山の勇気をもらったことも。

 そしてこの煌めいた思い出を全て持って、俺はここから大空へと飛んでいくのだ。志保の手を引いて、迷わずに、ただただ、ひたすらに空の一番高いところを目指して。

 気が付けば俺は咄嗟に思い付いた言葉を、そのまんま志保に投げていた。

 

「志保、いつかここに住もうぜ」

「……ここにですか?」

「あぁ。この空に手が触れる場所で一緒に暮らしてさ、志保のお父さんが羨むくらい幸せな家庭を築くんだ」

 

 そう言って俺は西の方角にあるマンションを指差したけれど、果たしてちゃんとその指が志保がかつて家族全員で暮らしていたマンションを指せていたのかは分からない。

 自分でも口にした後に歯が浮くようなセリフだなと恥ずかしくなったけれど志保にはちゃんと伝わったのか、少しだけ照れ臭そうにはにかんだ後に「いいですよ?」と言ってくれた。その頬が赤くなっていることに恐らく気付きもせずに。

 暫く無言のまま見つめあっていると、春風が俺たちの間を駆け抜けて行った。その風を合図に覚悟を決める。

 この場所に来た意味を、次志保に会ったら伝えようと思っていた言葉を、もう一度だけ頭の中で整理して、鞄のチャックを開ける。そしてアメリカからずっと肌身離さずに持ち歩いていた正方形の箱を、志保の前に差し出した。

 

「志保この前の誕生日でもう16歳になったんだよな?」

「そうですけど……。なんですかこれ、誕生日プレゼント?」

「えっと、その……。誕プレでありお土産なんだけど、そうでもない……みたいな––––」

 

 恥ずかしさと緊張で逃げ出したくなるような目元をグッと抑えて、志保の綺麗な瞳を覗き込んだ。俺の胸の中での葛藤を当然知る由もない志保は、疑い深いような視線で俺を見上げている。

 高台を走り抜けていく風の音がやけに大きく聴こえてきた。鳥のさえずりさえも、木々の呼吸の音も、全てが大音量で俺の耳に届いてくる。その自然の声たちを全身の五感で感じながら、小さく深呼吸を挟んで、俺は静かに拳を握った。

 

「––––いつかさ、俺がアリーナに立つことができたらの話なんだけど」

 

 いつか、なんて曖昧なことを言ったけれど、志保と一緒ならばその“いつか”はそう遠くない未来に訪れる気がしていた。

 きっと志保となら俺はこの空を飛べる。

 ずっと昔から手のひらに存在し続けた感触がより一層確かなモノになっていることを再確認して、俺はもう一度空を見上げた。やはりこの場所から志保と見上げる空は、他の場所で見るのより遥かに近くて、手のひらの感触が錯覚ではないことを物語っていた。

 

「俺と結婚してくれ」

 

 開いた箱の真ん中に埋め込まれた指輪が、春の日差しに照らされて輝いている。

 その輝きに負けない煌めきを瞳に宿した志保は、無言のまま驚いたように目を見開いた。だけどすぐにくしゃっと表情を崩すと、その指輪を左手の薬指にそっと通して、初めて此処で出会った時からは想像もつかないように優しく笑いながら言った。

 

「その“いつか”が早く来るように、一緒に頑張りましょうね」

 

 




また近々後書きも載せますが、これにて1年以上続いたニタモノドウシはガチのマジの完結です。
最後まで読んでくださった皆さん、ありがサンキュー!

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