今回与えられたテーマは『デートに着る男女の勝負服』といった、若者向けファッション雑誌ではTHE王道ともいえるテーマだった。
テーマが決められたファッション雑誌のコーデ企画といえども、ファッションにおいて最も重要なのは自分にコーデが似合っているかどうかだ。服に着られてもいけないし、自分を見せすぎてもいけない。この匙加減が難しいのだけれども、その一点だけ守って基本的なコーデのポイントを崩さなければ事故る可能性は極めて低くなる。
極論を言ってしまえば普段から自分が着ているような服の延長線上で考えればいいだけであって、そこまで頭を悩ますほどの難しい問題ではなかった。流行の最先端である東京を拠点に活動をしているのもあり、流行やトレンドは常に弁えている自負もあったし、アイドルとして自分の見せ方も把握しているつもりだった。あとは選んだコーデにそれっぽい理由をくっ付ける、ただそれだけである。
鏡の前でホトホト困ったと言わんばかりに眉をひそめる人影を見つけたのは、プライベートでも頻繁に利用している店の系列店でのことだった。長く伸びた赤毛の髪と頭上に付けられたカチューシャが特徴的な先客は、全身鏡の前で試行錯誤するかのように次か次へと何着もの服を自分の身体に当てては、納得がいかないのか首を傾げながら外してと、この作業を永遠と繰り返しおこなっている。
「……あっ」
視線に気が付いたのか、向こうが先に口を開いた。名前なんだったけ、慌てて記憶の中の引き出しを開いていく。さっき翔太や北斗と三人の名前を確認したはずなのに、眠気で霞んだの頭の引き出しからは目の前の少女の名前がなかなか出てこなかった。
「……天ヶ瀬さん、でしたよね」
「え? あ、あぁ。えっ……と」
「田中っていいます。田中琴葉です」
思わず口ごもる俺に、田中琴葉は何一つ嫌味な顔をせず丁寧に名乗ってくれた。俺は「すまねぇ」と謝りの言葉を挟み、二度と忘れないようにとしっかりと脳裏に顔と名前を釘をさすように刻んでおいた。確か田中琴葉がSTAR ELEMENTSの中で最年長の高校三年生だったはずだから、俺より一つ上の年代になるはずだ。そのことも忘れないようにと、付け加えておく。
「天ヶ瀬さんはもう決まったんですか?」
チラリと視線を俺の手元に向けながら、田中琴葉はそう訊いてきた。北沢の時もだったが『天ヶ瀬さん』と呼ばれる機会があまりないので、苗字で呼ばれると自分のことじゃないような妙な違和感を覚えてしまう。かと言って下の名前で呼び合うほど親しい仲でもないのだからと、俺も拭えない違和感を無視して慣れない敬語で呼ぶことにした。
「ま、まぁ大体は決まったな。田中さんは?」
「私は全然決まらなくて……。サッパリです」
そう答えて苦笑いをした田中さんは視線を逸らす。逸らした視線の先には大量の衣服が山積みになったカゴが二つ並んでいた。控えめな無地のシャツもあれば、そのすぐ下にはド派手な色と自己主張の強いプリントがされたシャツも見え隠れするカゴと、ジーパンやロングスカート、丈が極端に短いショートパンツなどが詰め込まれたカゴ。どちらのカゴの中にも、まるで統一性のない衣服が散乱していた。
その様子が田中さんが闇雲にコーデを探していたことを物語っていた。
「デートに着ていく勝負服なんて言われても、全然イメージ沸かなくて」
「普段着ているようなのでいいんじゃねぇの? 理由なんか幾らでも後付けできるだろ」
「そ、それはそうかもしれないけど! でも、それじゃ少し嫌だなって……」
嫌って、何がだよ。
そう咄嗟に浮かんだ疑問を口にする前に、田中さんが溜息を吐き出すように弱気な声で話を続ける。
「私、アイドルになったんだから何か大きく変わりたいなって思ってたの。今までの地味でつまらない自分じゃなくて、少しでも煌びやかになれたらいいなって思って」
「……変わりたい、か」
ふと変わりつつある自分を否定しようとしていた北沢の姿を思い出した。変わりたいと願う田中さんと、無意識に変わろうとする自分に困惑する北沢、同じ事務所の同じグループなのに、考えていることは正反対らしい。
––––北沢は結局あれからどうなったのだろう。俺のあやふやなアドバイスを聴いて、どのような結論を出したのだろうか。
あの日から一度も連絡を取っていないから、その後のことは何も分からなかった。「またね」と言い合って、いつかまた何処かで会える気はしていたものの、それが必ず叶う確信もあるわけではない。かと言ってわざわざ北沢を呼び出す口実も持ち合わせていない。大した関係性のない俺たちが偶然にでも再会する確率なんてどれほどのものなのだろうか。そう思うと、途端にあの日見た北沢の背中がセピアに染まっていくような気がして、妙な喪失感が胸の中を覆い尽くしていった。
「……天ヶ瀬さん? どうしたんですか?」
「え? あ、いや、なんでも」
心配そうに覗き込む田中さんの声で我に返った。
睡眠不足のせいか、今日はボンヤリして変な事ばかり考えている気がする。北斗が言うようにしっかりと睡眠時間を確保しなきゃなと胸の中で言い聞かせ、色褪せていく北沢の残像を無理矢理にでも振り払った。
「変わりたいんだったら、いつも着ないような服を着ればいいだけじゃねぇか」
「え? で、でも……」
変わりたいと口にしながらも、変わることに抵抗がある様子の田中さんを横目に、俺は床に置かれた二つのカゴの中を物色し始める。隣で呆気にとられたように立ち尽くす田中さんは、ベージュのロングスカートに白のインナー、そして暗めのジージャンと、いかにも清楚系で“優等生”と言わんばかりの組み合わせで、彼女の真面目そうな人柄を忠実に具現化したコーデをしていた。普段の自分から変わりたいのならそれこそ逆を攻めるような、少し派手めな格好をすればいい。俺は気を抜けば不意を突くように脳裏に浮かんでくる北沢の姿を強引に押さえ込むようにカゴの中を漁っては、田中さんに似合うような服を適当にピックアップしていく。
「ほれ、こんなんでいいだろ」
俺がカゴの中から選んだ白いのショートパンツと水色の首元が少し開けたシャツを半ば押し付けるように差し出した。田中さんは困惑しながらも、俺から受け取った衣服を身体に当て、鏡ごしに映る自分をマジマジと見つめる。
「……こんな系統の服、私が似合うのかなぁ」
「変わりたいんだろ? ならチャレンジしないと始まらねぇよ」
「で、でも」
「似合うと思うぜ。ま、これじゃなくてもいいからさ、思い切って挑戦してみろよ。ファッションは突き抜けるのも大事だから」
「……そう、だよね! ありがとう!」
コーデ企画で判定する俺がアドバイスしていいのか、なんて今更ながら思ったが、俺が選んだ服と一緒に田中さんは試着室の中へと姿を消していってしまった。その足取りは軽く、田中さんの顔からも迷いが吹っ切れたような気がして、悪い気もしない。まぁ、いいか。そう言い聞かせながら、俺も手にしていた服と共に試着室に入った。
その後、田中さんは俺のチョイスはそのままに、派手めなイヤリングと黒いリボンが付いた帽子を加えた、“真面目な清楚系優等生”とは異なる“今時でアクティブな女の子風”のコーデを完成させた。彼女らしくないコーデではあったが、彼女の真面目さも損なわずにどことなく特別感も醸し出していて、翔太と北斗からも「普段は着ないような服を彼のために着てくれた感が凄く良い」といったよく分からない賛辞のコメントを獲得し、最後に行われたコーデのランク付けでは堂々の一位に輝いていた。
ちなみに田中さんにファッションの極意を伝授した俺は堂々の最下位。「赤チェックシャツはちょっと……」という申し訳なさそうな春日未来の辛辣コメントに他二人も頷いただけで、それ以外は全く触れられることなく終わってしまった。
「冬馬くん、今日の記事が載ったらまたネットでバカにされるね」
「うるせーな、俺が自分で似合うって思うコーデが一番なんだよ」
「それも大事だけど、ジュピターのリーダーとしてもう少しセンスの良い服を来て欲しいとエンジェルちゃんたちも思っていると思うけどな」
インタビューも終わり、STAR ELEMENTSの三人より一足先に解散となった俺たちは、巷で囁かれている“天ヶ瀬冬馬の私服がダサい説”を危惧するクソどうでもいい生産性のない会話をしながらショッピングモールを後にした。二人から完膚なきまでに俺のファッションセンスをダメ出しされた後、最寄りの駅で解散し一人で帰路につく。翔太は明日から修学旅行で、北斗は地元の京都に暫く帰省すると話していたから、暫くはジュピターとしての活動の予定は入っていない。当然バイトや学校はあるけど、一人で過ごす暇な時間が増えるな、なんてボンヤリと考えていた時だった。
ドッと押し寄せるように壮大な倦怠感と疲労感が身体全体を襲ってきたかと思いきや、突然足元がぐらつき、頭の中にフラッシュのような光が走り視界が揺れ動いた。景色のピントが合わず、朦朧とする意識の中、なんとか身体を支えようと道路端のガードレールへと手を伸ばす。頭をトンカチで叩くような強烈な頭痛と立ちくらみが続いたが、暫く耐え忍ぶようにガードレールを掴んでいると、次第に身体中を襲った異変は過ぎ去っていった。
(最近の寝不足がだいぶ身体に堪えてるな……)
暫く仕事もないから、ゆっくりと休むか。
身体に明らかなに異変を感じ、労わろと思う気持ちがある一方、こんなことで立ち止まっていて夢が叶うのかと不安になる自分もいた。ただでさえ961プロを辞めてゼロからのスタートなのだから、体調不良なんかで立ち止まっている時間などないはずなのにと、北沢と会った日から迫ってくる何者かの足音が俺の不安を煽る。
ガードレールにもたれかかったまま、僅かに残った頭痛に顔をしかめながらも、ゆっくりと顔を上げて空を見上げてみた。競い合うように空に向かって伸びたビルたちの合間から見える青い広大な世界には、一粒だけ取り残されたように雲が浮かんでいた。小さな雲は今朝見た鳥のように、俺をじっと見下ろしている。
俺はあとどのくらいの努力と時間を費やせばあの世界に届くのだろう。不自然に一つだけ浮かんでいる雲を掴もうと手を伸ばしてみたが、俺の手は雲には届かなくて、果てしない空までの莫大な距離を痛感させられただけだった。
–––––あれ、こんなに遠かったっけ。
どれだけ手を伸ばしても、今はまるで届く気がしない。空に向かって伸ばしていた手を下ろし、一度ギュッと握りしめて胸の前で広げてみる。ゆっくりと開かれた俺の手のひらが握っていたのは虚空だけで、ずっと存在していたはずの“何か”は感触すら残さずに抜け落ちてしまっていた。
★☆★☆★☆★☆
「それでね、それでね、私も結構大人びたコーデをしてみたんだよー! ほら、これがその時の写真!」
「……確かに可奈らしくないわね。それで、結果はどうだったの?」
「最下位だった!!」
「ダメじゃない」
週末を跨いだ月曜日。放課後、制服姿で立ち寄った劇場で可奈が先日STAR ELEMENTSの三人が行ったファッション雑誌のインタビューの時の模様を事細かに話してくれた。前日までガチガチに緊張していた可奈自身も、結果はどうであれとても楽しかったと充実感に満ちた表情で話していたので、大きなトラブルもなく仕事を終えることができたらしい。まだアイドルとしての経験が少ないメンバーも多いせいか、私と同じように学校帰りに事務所にやってきた制服姿のメンバーたちも次第に可奈の周囲に集まりはじめ、貴重な現場の経験談を食い入るように聞き込んでいた。
賑やかな控え室にセーラー服姿の琴葉さんとプロデューサーがやってきたのは、かれこれ三十分以上話が盛り上がった頃だった。プロデューサーが琴葉さんと入れ替わりで百合子さんと杏奈を連れて控え室を出て行った後に、興味津々に目を光らせた恵美さんが口を開いた。
「ねぇねぇ、琴葉のコーデも見せてよ! 写真とかあるでしょ?」
「可奈から話は聴いたで、なんでも琴葉がダントツ優勝やったって」
便乗するかのように、琴葉さんの周りを沢山のメンバーが取り囲んでいく。中心にいる琴葉さんの顔には恥じらいがかすんでいながらも、カバンから取り出したスマートフォンを操作して自身が選んだコーデを見せてくれた。恵美さんの背中からチラッと見えた画面には、普段のイメージとはかけ離れた服を着た琴葉さんの姿が映っている。足の露出を強調するかのような白いショートパンツに涼しさを感じさせる水色のシャツ、大きめの帽子に星型のイヤリングと、『優等生』と言われるほど真面目な琴葉さんにしてはかなり攻めたチョイスのように思えた。
だけど凄く似合っている。琴葉さんが身にまとっている衣服は今まであまり見せてこなかった魅力も、もともと持ち合わせていた魅力も、存分に引き出しているような気がして、同性の私が見てもドキドキするような素敵な格好だった。
「全然琴葉らしくない格好だけど、いいと思う! すごく似合ってるよ!」
「ほんと、琴葉ちゃんらしくないけどセクシーで魅力的だわ」
私の胸の内を代弁するように、恵美さんと莉緒さんが絶賛の声を上げる。
そんな様子を見て、スマートフォンをカバンの中に戻しながら琴葉さんは申し訳なさそうにポツリと「実はこれ、私が選んだんじゃないんだよね」と漏らした。可奈もそのことは知らなかったのか、驚いたように目を点にしている。
「このコーデ、本当はジュピターの天ヶ瀬さんが選んでくれたの」
「え?」
思いもしていなかった名前が琴葉さんの口から飛び出して、胸が大きく脈を打った。頭の中を何かがすうっと登っていくような感覚が走って、冷たい汗が吹き出てくる。
「どんなコーデにしようか悩んでたんだけど、その時にたまたま会って、「似合うと思う」って選んでくれたの。それで結局一位なっちゃったから、なんかズルした気になって……」
そう事情を説明した琴葉さんは、罪悪感に包まれたような顔をしていた。その顔を見て、私の胸がキュッと締め付けられて、心が波立ち騒いで落ち着かなくなっていくのが分かった。
大きな音を立てて動く心臓の音を隠すように、私は無意識に琴葉さんを囲む群れから距離をとった。動揺を必死に押し殺そうとする私を気にもとめず、メンバーたちは他人のコーデを採用した琴葉さんを誰一人攻めず、むしろ天ヶ瀬さんとの何かを期待するかのように黄色い声を交えながら質問責めを始めている。琴葉さんは自身に向けられた質問のほとんどを否定しているようだったが、その表情は満更でもないようにも見え、真偽のほどは定かではなかった。だけど盛り上がる会話の節々から『天ヶ瀬冬馬』の名前が何度も私の耳に届いてきて、琴葉さんの口から飛び出した言葉が私の聞き間違いではなかったことだけは確かだった。
「えーでも、琴葉と天ヶ瀬冬馬ってお似合いだと思うよ! 優等生とチャラ男って感じで!」
にゃははと特徴的な笑い声を交えた恵美さんの言葉が聞こえた時、胸に強烈な拒絶反応が起こって私は周囲に気付かれないように控え室を出た。
どうしてここまで天ヶ瀬さんの話で気が乱れるのだろう。何度違うことに意識を逸らそうとしても、しつこいほどに頭の中に琴葉さんと天ヶ瀬さんが並んだ情景が浮かんでくる。その度に私の胸は刃物のような突起物で激しくかき乱されて、強烈な痛みを感じた。
琴葉さんと天ヶ瀬さんの関係性。
それが気になって仕方がなかった。だけど、その疑問の答えを知るのも怖かった。私が抱えるジレンマの根源にある理由は分からなかったけど、少なからず私が天ヶ瀬さんに抱いたあの“特別感”を他の人に共有されたくないという傲慢な想いがあることには気付いていた。喫茶店で待ち合わせをして初めてちゃんと話をした日、天ヶ瀬さんは神様が印をつけたような特別な存在のように私の瞳には映って、私が憧れた未来へと続く道のずっと先を歩く先駆者のようにも思えたほどだった。私が誰にも打ち解けることのできなかった悩みを天ヶ瀬さんに話せたのも、この特別な人なら私の気持ちを理解してくれると直感で感じていたのだと思う。そんな天ヶ瀬さんに私が一方的に抱いていた共通点や憧れは、日を増すことに宝石のような光り輝いて、その煌めきを私はとても大切にしながら胸の奥にしまい込んでいた。大切だから故に、誰の目にも晒したくなかったのだと思う。
––––私と天ヶ瀬さんの関係なんて大したモノでもないのに。
たった一度会って話をしたくらいで、自意識過剰なほどに彼への想いを美化している自分が滑稽に思えた。きっと天ヶ瀬さんには私は何でもないタダの同業者としか思われてなくて、それなのに彼との思い出を自分だけモノのように独占しようとして、私は何を自惚れていたのだろう、と。
途端に理由も分からない悩みに振り回されている自分が馬鹿らしくなって、胸の中のモヤモヤが消え去っていく気がした。天ヶ瀬さんと私はただの同業者、それ以上でもそれ以下でもないのだと、必死に言い聞かせながら。
今日は特に用事もなかったし、このまま帰ろうかな。そのことを母に伝えようと思ってスマートフォンの電話アプリを開いた時だった。スマートフォンがあの日の発信履歴の画面を表示にしていることに気づき、私は足を止めた。誰もいない静かな劇場の廊下で、私はスマートフォンの画面に表示された11桁の数字を見つめる。その数字たちは、今まで何かと理由をつけて見て見ぬ振りをしていた私に何かを訴えかけるようだった。
『それじゃ、失礼します』
『気をつけて帰れよ。またな』
『はい、また』
––––また、か。
あの日、最後に交わした言葉を思い出し、私は気が付いたら人差し指で彼の番号に優しく触れていた。