稀血をよこせ、人間ども   作:鬼の手下

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 食べ納め。葬式の時、里のみんなの前で私は死んだ人を食べる。もうこの味が楽しめないことが分かると、私は悲しくて、涙を流してしまう。


価値観

「し、死ぬかと思ったわ……」

 

 琵琶の子の血鬼術によって、逃げのびた私は、すぐに無惨様の元へと向かった。

 

 約束なしで会うには、しばらく待たないといけないが、そうも言ってはいられない。

 鬼の身体能力を駆使して、屋敷に侵入する。

 

(ハツ)()……何の用だ……?」

 

 私が来ることを無惨様は察していたようで、部屋は人払いがなされていた。さすがは無惨様だ。

 

 だが、感心している余裕はない。もう一息に伝えるしかない。

 

「無惨様! 逃げましょう! 海の向こうに行けば、きっと、追っては来れないはずです……!! 今、すぐ!」

 

「……何の話だ……?」

 

 無惨様は、その綺麗なお顔に苛立ちを見せた。

 ああ、どうすればいいのだろう。

 

 早く、早く逃げないと……。今の時代なら、簡単に海の向こうに行ける。海の向こうはとても広いという。海の向こうに行けば、きっと、見つからない。それなら、怯える心配もない。昔みたいに隠れてビクビクしている必要もない。

 

「あぁ……。あぁ……!! 早くしないと……。早く……。早く……」

 

(ハツ)()。何があった? 何だという……」

 

「あぅ……!?」

 

 無惨様が、私の頭をいじくると、ついさっきの記憶が思い起こされる。ついでに縁壱のことも思い出した。

 

「……!?」

 

 無惨様は尻もちをおつきになられた。

 

「無惨様。逃げましょう!! 今なら……まだ……まだ……間に合います!」

 

 グイと無惨様の両手を掴んで迫る。

 あんなのがのさばる国に、無惨様を置いておけるわけがなかった。

 

(ハツ)()。あんなものが、そうそう産まれるわけがない。冷静に考えればわかることだ。なぜ、お前にはそれがわからない? お前は自分の村で役割を果たせ」

 

「……!?」

 

 だが、私の言葉を否定して、無惨様はそうおっしゃられた。

 確かに、耳飾りが同じだっただけで、こうして逃げて報告したのは早計だった。ああ、まだ不確かな情報で、無惨様のお手を煩わせるだなんて、どうしてこんなにも愚かなことをしてしまったのだろう。

 

「まあ、いい……」

 

 無惨様が指を鳴らした。

 同時に、鬼が二体、やってきた。女と男の鬼だった。

 

「…………」

 

「耳に花札のような飾りを付けた鬼狩りの首を持ってこい」

 

「…………」

 

「いいな?」

 

「……御意」

 

 そして、琵琶の子の血鬼術で、二体の弱そうな鬼たちは目的地に転移させられそうになる。

 私は少し待ったをかけた。

 

「ねぇ、たぶん、その男の子と一緒にいる女の子は殺しちゃダメよ? 生け捕り! 生け捕りにするのっ! お願いねっ?」

 

「女……?」

 

 首を傾げられた。

 そうだ、これでは情報が少なすぎるかもしれない。違う女の子が合流してたら、そっちも捕らえないといけないだろうし、大変だ。

 

 なえの身体的特徴を言わないと。

 私は頭を捻った。

 

「そうね……ぇ。ええ……(とし)にしたら、胸が大きい女の子よ? ええ、たぶん……」

 

 私の里の女の子は、外の子よりも胸の膨らみが大きい傾向があった。ちゃんとしたものを食べているからだと思う。それと、そう。気のせいかもしれないが、幸せな子ほど、大きくなる気がする。

 

 なえは、数年前に拐われたけれど、もうその時には十分だった。そこから順当に歳を重ねて成長しているようだったから、普通の子よりも大きさがある。

 

 これで、この弱そうな鬼たちも、なえのことがわかるはずだ。

 

「……なぜ、お前の言うことを聞かねばならぬ?」

 

「……!?」

 

 口答えをしたのは、女の子の鬼だった。

 私は困惑した。

 

 力の差がわからないのだろうか?

 隣にいた男の鬼に視線をむけてみる。

 

「…………」

 

 なんというか、肯定も否定もせず、我関さずといった雰囲気を出している。その態度には少し腹が立った。

 

 まあ……まず、私に口答えをした方からだ。

 どうして私を軽くみるのか。

 

「どうやら……アナタは自分の立場がわかっていないようね……?」

 

「……!?」

 

 腕を一本奪った。こんな鬼、これで充分だろう。

 

(ハツ)()……部屋が汚れた」

 

 私の血鬼術でチクチクと攻撃しているせいで、女の鬼の傷口からは血が流れ落ちるばかりだった。

 

「あぁ……っ、申し訳ありませんっ! この鬼が無礼なばかりにっ!? ついっ!! すぐに綺麗にします!」

 

 結界用の分身を作って広げる。

 床に染みついた血を私の分身に吸い上げさせれば、部屋は途端に綺麗になる。

 

「止まらない……!? あぁ、血が……私の血が……ぁ」

 

 一向に治らない傷に、女の鬼はうろたえているようだった。良い気味だ。

 

 その力の源は血。いくら不死の鬼といえども、血を失えばどうしようもない。

 

「……少しは反省できたかしら?」

 

「……あ……ぁ」

 

 女の鬼は、床に倒れ伏した。根性のないやつだ。

 

「ふん……」

 

 無惨様が腕を異形化させ、女の鬼に振るう。

 女の鬼は、無惨様の腕に喰われて、居なくなってしまった。まあ、あの調子だったら役に立たなかっただろうし、殺されても当然ね。

 

 私はもう一人の鬼の方を向いた。

 

「次はアナタね……」

 

「私は貴女様の御命令に従う心算でございました……」

 

 恭順の姿勢をこの鬼は示した。私の力を恐れてだろう。

 

「調子が良いわねぇ。だったら、なぜ、あの女の鬼を諫めなかったのかしら? ねぇ、私、アナタに視線を送ったわよね? その意味を察することくらい簡単だったと思うのだけれど……つまり、心の中ではあの哀れな女と同じ意見だったということよね? ああ、私は悲しいわ……」

 

「滅相もございません」

 

「あぁ……アナタも口答えをするのね……。お仕置きはしないでおこうと思ったのだけれど……酷いわ……っ、私の心遣いを無駄にするのね……」

 

「…………」

 

 男の鬼は黙り込んだ。

 さっきの女の鬼と、私は同じようにしようとする。

 

 不意に、無惨様に肩を掴まれた。

 

(ハツ)()。そのあたりにしておけ」

 

「……あっ」

 

 無惨様のお手を煩わせてしまった。

 私が無用なことをしてしまったせいだ。後悔する。

 

「矢琶羽、私の血をわけてやる。お前は今日から十二鬼月だ。これからも、いっそう私のために励め」

 

「……うぅ……ぐぁ」

 

 無惨様にぞんざいに血をかけられて、男の鬼は苦しんでいた。

 そのまま、琵琶の子の血鬼術で、目的地に送られていく。

 

 そして、私と無惨様が部屋に残った。

 

「無惨様……十二鬼月というのは……?」

 

 十二鬼月と言っても、目玉に数字は刻まれはしなかった。最近は下弦でも十二鬼月の鬼が死んだという話もない。

 

「嘘に決まっているだろう? 適当に煽てておけば、従順になってくれる。その方が都合が良いだろう、(ハツ)()

 

「はい、流石です! 無惨様!」

 

 私には思いつかない素晴らしい策謀だった。さすがは無惨様だ。

 

 あの鬼が向かったであろう結界の中に意識を向かわせる。

 あの耳飾りの剣士もこの結界で仕留められればいいのだけれど……。

 

 最初に会った時は逃げること優先だった。攻撃に意識を削いだら一瞬で頸に刃が届いている可能性もあったわけだ。

 改めて、耳飾りの剣士を探す。

 

「あら……?」

 

 見つからない。それどころか、なえの反応もない。

 

 この短時間で、結界の外に……いや、無理だろう。結界はそんなに狭くない。そうなると、なんらかの手段で私の感知を躱している?

 

 ――まさか……っ! 耳飾りの男の子が……なえを抱えて……っ、縁壱みたいに……ものすごい速度で……。

 

「…………」

 

 無惨様のお顔を伺う。

 私の思考を読んだのか、険しい表情をしていらっしゃった。

 

「まあ、いい。矢琶羽を送った。奴の視界を見ればわかることだ」

 

「はい……」

 

 私も無惨様にご一緒させてもらって、ことの成り行きを見守っていく。

 

 

 

 ***

 

 

 

「逃げるわよ……!」

 

 手を引く。そして私は走り出そうとする。

 

「ま、待ってくれ……」

 

 私の力には引き摺られず、逆に引き止められてしまう。

 なぜ、あの鬼がこの子を見た瞬間に、血相を変えて逃げて行ったかはわからないけれど、これは好機だった。

 

 二度目はない。

 あの鬼と、自身との絶望的な力の差は、さっき、わかった。

 

「逃げるの! 山の麓まで!! アナタも見たでしょ、さっきの鬼を!」

 

「山の麓まで逃げたら、選別は失格だ。それに、さっきの鬼はなんだったんだ?」

 

 状況がわかっていないのか。いや、狙われているのは私で、この子は巻き込まれただけ。

 おかしいのは私で、この子の反応は間違いがなく普通。

 

「わかったわ。ええ、私がこの試験を降りれば済む話ね。もし、さっきの鬼に会ったらすぐに逃げる――( )

 

 ふと、男の子が付ける耳飾りが目に入った。

 燦然と輝く太陽が描かれた、花札のような耳飾りはまるで……まるで……。

 

「……?」

 

「……その耳飾り、あなた、どこで……!?」

 

 村の伝承にあったものとそっくりだった。

 ああ、一度あの女を殺す寸前まで行った鬼殺の隊士。その人が身につけていたものと同じ。

 

「これは、ずっと受け継いできた大切なものなんだ。それと、あの鬼はなんだったって、どうしてきいたことに答えないんだ?」

 

「ずっと……? もしかして……ええ……もしかして……あの女が追い詰められた時代から……? ずっと……。すごいわ! すごい! きっとあなたが、あの女を……そして鬼舞辻無惨を倒す……選ばれた人間なのねっ!」

 

「待ってくれ……俺は竈門炭治郎だ! さっきから、何を言っているのか、まるでわからない」

 

 ああ、きっと、これは運命だ。

 あの女の命もこれまで。きっと、この子が滅ぼしてくれる。

 

「ええ、私はなえよ? あの女は十二鬼月の上弦の弐。眼に刻まれていたでしょう?」

 

「十二鬼月……? 上弦……?」

 

「まあ、簡単に言えば、上から数えて三番目に強い鬼よ?」

 

「三番目……!? そんな鬼がいる中、生き残らないと、選別は合格できないのか」

 

 話が食い違った。

 この男の子は、育手にあまりよく選別のことを聞かされていないのかもしれない。

 

「そんなわけないでしょう? こんなところにいるのがおかしい! 上弦の弐は、何百年も人を食い物にして生き長らえてきた鬼よ!」

 

「何百年……!?」

 

「ええ、何百年……その時間の中で人の村を支配して、その村の人間を食べて力を付けてきた……」

 

 忌々しい鬼。

 鬼舞辻無惨に与する邪悪な鬼で、私の仇……。いつか、あの鬼を倒すために私は力を付けた。

 あの鬼にいくらか効果がある風の呼吸を習ったのも、そのため。

 

「どうしてそんな鬼が、選別にいるんだ?」

 

「私を狙ってよ……? 私はその村から逃げてきたの……鬼殺隊の人に助けてもらったわ」

 

 鬼の呪い……呪い。

 鬼殺隊の偉い人が言うには、あの鬼の力によって、村の人は村から出ると死ぬようになっているらしい。

 私が死ななかった理由は、よくわからないけれど、運が良かったからと言われた。

 

 村の人は、生きているだけであの鬼を助けている。人喰いの悪鬼に加担し、生きるだけで罪を重ねている。それ以外に、生きる道はない。あの鬼と一蓮托生の関係な以上、死ぬこと以外に救いはない。

 

 私は覚悟を決めている。

 

「鬼は藤の花が苦手なんじゃ……こんなところまで追ってくるのか……? しつこいなっ!」

 

「私が鬼殺隊になるために、選別に出るとあの鬼は予想して、ここで見張っていたのだと思うわ。この場所で選別が行われるって、バレていることになるけれど……」

 

「……!?」

 

 これは問題だ。

 十二鬼月にバレているのなら、鬼舞辻無惨にもバレていると思っていい。これからは邪魔をされ続けるに違いない。この場所ではもう選別はできなくなる。

 

 この場所が分かっていたなら、なぜ今までちょっかいを……いや、私が来るまで待っていた……?

 

「何にせよ、偉い人にこのことは報告しなくちゃならない。あの鬼の狙いは私だったから、今回は選別自体はどうってことないかもしれないけれど、アナタもあの鬼に、きっと狙われる!」

 

「俺が……どうして……」

 

「その耳飾りよ! その耳飾りは、あの女を追い詰めた伝説の鬼狩りと同じもの!! 是が非でも、あの臆病者の女はあなたを殺したいはず!!」

 

 あの女の反応を思い出す。

 最初はこの男の子を見た瞬間に逃げたと思ったけれど、違う。今ならわかる。この耳飾りを見た瞬間に逃げたのだ。

 

 あの女が、今でも鬼狩りに殺されかけた悪夢に魘されていることは、村の誰もが知っている。

 

「……!?」

 

「ねぇ、あなた。その耳飾りの他に、なにか御先祖様から受け継いでいるものってないかしら? 例えば……あの女を殺せる剣技だとか……!」

 

「神楽なら……いや……でも……」

 

 要領を得ない様子だった。

 かぐら……かぐら……聴き慣れない言葉だが、なんだろう。私の知識にはなかった。

 

「とにかく……この山から逃げるわよ! また、いつあの女が現れるかわからない。それとも、あなたは勝てるかしら……?」

 

「……!? ……気持ちなら、負けないぞ」

 

「……そう。行くわよ!」

 

 この男の子の実力はわからなかったが、逃げた方が良さそうだった。

 この男の子が、あの女を倒す力を受け継いでいるとしても、それが完成する前に、あの女と戦わせて殺されてしまえば元も子もない。

 

 手を引いて走り出す。

 今度こそ、竈門炭治郎はついて来てくれる。

 

 そうして、しばらく経った時だった。

 

「そういえば、少し気になることがあるんだ」

 

「何かしら?」

 

「この山に入った時から、あの鬼の匂いがしてた」

 

「匂い……?」

 

「俺は他人よりも鼻が良いから……」

 

「…………」

 

 鼻が良いと、遠くの匂いもわかるのだろうか。くさい匂いとかも……。

 ちょっと不便だと思った。

 

「それで、最初はあの鬼から匂ってきたのかと思ったんだ。だけど、違う……この匂い、地面からだ。この山全体の地面の下から、あの鬼の匂いがする!」

 

「山全体……!? まさか……」

 

 心当たりがあった。あの鬼の術で一定の範囲全体を覆うようなもの、一つしかない。

 結界……里を覆っていた結界が、この山を包み込んでいる。

 

 私は足を止めてしまう。

 

「どうしたんだ……!?」

 

「もう、ダメよ……。逃げられない……。ここで終わり……ああ、あの女は、私たちが慌てて逃げ回る姿を、嘲笑って見ているのよ……あぁ……」

 

 昔から、黙って村の外に出ようとしたことが何度もあった。昔から、外の世界に興味があった。

 だが、昼ならば、すぐに大人に気付かれて、帰らされ。夜ならば、あの女が直々にやって来て、家まで連れて行かれる。

 

 あの女がいない時を狙えばどうかと思ったが、そういう夜は、かえって大人たちの目が厳しかった。

 

 結界の中ならば、逃げられない。そういうふうに、私たちはあの女に知らしめられている。

 

 そして村から出ようとしても、大した罰はない。悪いことをしている私たちを、なんだかんだで許してくれる(ハツ)()様は、とても優しい人だと思っていた。

 

 わかる。私たちが悪かった。こうじろう()ぃと一緒に、村の外に出てしまった。(ハツ)()様がいないと村は慌てていたから、その隙をついた。

 

 いつもなら姉さんも一緒だけれど、姉さんが付いてきてたのは、(ハツ)()様に会いたいから。乗り気ではない姉さんを置いて行って、私たちは外に出た。

 

 ああ、不味かった。失敗だった。

 そこからは、わけもわからず大人たちに連れて行かれて、病気になって、鬼が悪だと聞かされた。

 

 (ハツ)()様の正体なんて知っていたし、私たちの血を飲んでいることも知っていた。

 葬式では、(ハツ)()様が亡骸を食べる姿を見ることになるし、それが村での普通だった。

 

 だからこそ、こうじろうにぃの病気も、きっと、村まで行けば(ハツ)()様が治してくださる。(ハツ)()様はとても優しい人だから、こんな私たちを許してくださる。

 

 そんなことは、()()()()()()。私たちなら、わかりきったことだった。

 

 

 なのに……()()()()()()()()()

 

 

 ああ、でも……全て()()()()

 こうじろうにぃが死んで、私が、こうしてのうのうと生き長らえているのも、全てあの女のせいだ。

 

 あの女の呪いせいで、こうじろうにぃは死んだ。あの鬼が悪い。あの鬼の力のせいだ。

 

 あの鬼を憎む以外に道はなかった。みんな、大切な人を殺した鬼を憎んでる。だから、私も……。

 

 ああ、憎い……。とても、憎い。

 

「なえ……!」

 

 名前が呼ばれた。手を繋いでいた。

 似ていた。

 少年が、被って見える。

 

「ごめんなさい……私が……私が……全部私が……」

 

「急に謝られても困る」

 

「私が……私がちゃんとお願いするわ……。(ハツ)()様に、あなたの命だけは助けてって……。あのお方は優しいから、たぶん、助けてくれる。命だけは……。どうなっても、きっと、命だけは助けてくれるわ!」

 

 ――今度はちゃんと! 私が……。

 

「自分一人で納得するのはやめるんだ。ちゃんと話を聞かせてくれ!」

 

 ごつりと、額に衝撃を受けた。

 

「……っ痛い」

 

「なえ、俺がいる! 諦める前に、ちゃんと二人で考えたら、一人で考えたよりも、きっと良い方法を思い付けるはずなんだ!」

 

「……無理よ。あなたには分からないの……あの鬼の恐ろしさは……」

 

 結界については、私の方が詳しい。

 こんな何も知らない男の子に話したって、何か変わるとは思えなかった。

 

「それなら教えてくれ、なえ。きっと、二人なら、なんとかなるから!」

 

 強い語気でそう詰め寄られる。

 諦めてはいけないと、その目が訴えていた。その心には冷めない熱があった。

 最後までしがみつく分からず屋だ。この男の子を見ていると、なんとかなる気がしてきてしまう。

 

「結界……あの女の血鬼術よ。たぶん、それに囲まれてる……。結界の中なら、好きな生き物を殺せる。そういう血鬼術」

 

「そんな……!?」

 

「どう、驚いた? それに、結界の中なら、好きな生き物を探せるみたいよ。私も、あなたも、その気になれば、すぐに見つけられてしまうはず」

 

 とても理不尽な血鬼術だと思う。

 だが何百年も生きて、人を食べ続けた鬼ならば、おかしくはない。この血鬼術の理不尽さは、村の歴史の重みに等しい。

 

「……何か……弱点はないのか?」

 

「一応、結界に気取られない速さで動けば、逃げられるらしいわ。けれど、鬼殺隊の上位の隊士でもその速さは無理。私たちには到底できない……」

 

「じゃあ……なんで匂いは地面の下からなんだ?」

 

 それは、わからないことだった。それでも、思い付くことならある。

 

「ええ、結界について、私はあんまり詳しくはないのだけど……地面の下に、あの女の仕掛けがあるのだと思うわ。そして、たぶんだけど、その仕掛けで感知しているのが、結界の正体ってわけ」

 

 単なる憶測に過ぎない。

 けれど、今までの情報を繋ぎ合わせて、これ以外の結論になるとは思えなかった。

 

「それなら、地面の上に遮るものがあったら……見つけられなくなったりはしないのか?」

 

「…………」

 

 村には草一つ生えていなかった。

 確かに人と地面の間を遮る物はほとんどない。

 

「……なえ!」

 

 手を差し伸べられる。

 その程度で破られる血鬼術とは思えないけれど、試してみる価値はあるかもしれない。

 

「完全に遮るのは無理だと思うわ。でも、感知までの時間が少し遅れるかもしれない! 出来るだけ植物の上を通って、速く走れば……! ダメかもしれないけれど、やってみましょう……っ! 何もしないよりはマシだわ! 走りましょう!!」

 

「わかった!」

 

 もう一度、走る。

 手を引かれて、結界の外へ。

 

 同じだ。同じだった。

 

 外の世界には辛いことしかなかった。

 ああ、それでも、外に出たかったのは私だ。

 これが私の選んだ道なんだ。

 

「なえ……濃い血の匂いが近づいてる!! 鬼の匂いだ!」

 

「……!? もう、あの女が……!?」

 

「違う……これは……違う鬼だ……!!」

 

「……!!」

 

 熱を感じる。

 

「あ……っ」

 

 とっさに炭治郎を突き飛ばすと、何かの力で身体が後ろに引っ張られる。抵抗ができない。

 

「うぐ……っ」

 

 そのまま吹き飛ばされ、後ろの木にしたたかに打ち付けられる。

 

「なえ……ぇええ!!」

 

「うぅ……。そんなに叫ばなくても、大丈夫よ……っ! それより足を止めないで!!」

 

「あ、ああ!」

 

 痛い。骨にヒビが入ったかもしれない。

 ああ、それでも、動けないことはない。

 

「ちぃ……女は殺すなという話だったが、面倒だ。意識は奪えなかったか……」

 

 そして、私たちの前に鬼が立ち塞がる。

 両の目の閉じて、その代わりか、掌に生やした目玉をこちらに向けていた。

 

「お前は……!?」

 

「花札のような耳飾りをした鬼狩り……お前だな……。お前の首を、あのお方のもとに持っていけばいい……」

 

「なんだって……」

 

「それに、そこの胸のでかい女……お前を生け捕りにしなければ……。あの頭のおかしな女に何をされるか……」

 

「……っ!? 誰が遊女よ……!!」

 

「…………」

 

「…………」

 

 胸の大きさで、とやかく言われるのは飽き飽きした。

 このくらい、村では普通だったのに。

 

 なぜか、鬼も、炭治郎も、物言いたげな表情でまじまじと私のことを見つめていた。

 

「まあ、いいわ。つまり、あなたは、あの女の使いっ走りというわけね……っ!」

 

「ふん、あんな女……あの気狂いの命令など、本来なら聞きとうない。それはそうと、この匂い……お前、稀血だな……?」

 

「…………」

 

 ああ、さっきぶつかったときの擦り傷でバレてしまったか。

 この鬼だけじゃなく、雑魚の鬼も寄ってくるかもしれない。面倒だ。

 

「なるほど、あの女が執着するわけだ。捕らえろという話だったが、儂が食らおうか……これほどの稀血ならば、あの女にも勝てるようになれるやも知れぬ……」

 

「……!? あなた、バカね」

 

 私、一人を食べたからって、それはないだろう。

 あの女は今まで村の人たちを食らってきた。村の人はみんな稀血だ。

 

 時代とともに、質がよくなっているらしいが、私一人食べたところでたかが知れているだろう。長い時間の積み重ねに勝てるはずがない。

 

「なえ、稀血ってなんだ……?」

 

 いちいち、鬼に対する知識が足りなすぎじゃないだろうか。育手はなにを……いや、私のところも剣のことばかりだったか。

 鬼については、村での話と、鬼殺隊に来てから最初にいた蝶屋敷で教えてもらった知識がほとんどだ。

 

「鬼にとって、栄養価が高い血のことよ。鬼の強さは人を食べた数で決まる。けれど稀血は一人食べれば、何十人、何百人を食べたと同じ。あの女の村では、そういう他よりも栄養価の高い人間ばかりを育てているの」

 

「な、なんだって……!?」

 

「そういう血は遺伝をするから、鬼にとっての良い血を持った人間が、未来永劫に渡って生み出されるようにって」

 

「まるで家畜じゃないか……!?」

 

 自由のない、食べられるだけの存在。そして、あの鬼が滅べば共に村も滅びる運命にある。

 

「そうね……。とても哀れなの」

 

 鬼殺隊のみんなは、私たちのことをそういう目で見た。私たちは、そういう存在だった。

 

「なるほど、面白い話を聞いた……。ならば、儂がその村に行って、そこの人間をみな食らってやろう。それはもう残酷に食らってやろう」

 

「できるものならね……」

 

 あの女の居座る村をこの鬼がどうこうできるとは思えない。

 それに――

 

 ――全集中『風の呼吸』!!

 

 呼吸による身体強化。

 この鬼は選別に本来いるはずの鬼とはわけが違う。それでもここを突破するしかない。私が倒すしかない。

 

 それに、あの女と比べれば、こんな鬼……。

 

「ふん、この儂をここで殺すというのか……? 十二鬼月であるこの儂を……」

 

「十二鬼月……!? お前もなのか……!?」

 

「恐れたか? そうだ……儂は十二鬼月だ」

 

 両目を閉じているから、目に刻まれた数字を確認することはできない。

 

「上弦……? 下弦……? 数字はいくつ? 目を開いたらどうかしら?」

 

「……何の話だ?」

 

「……え?」

 

 十二鬼月は上弦、下弦の文字に数字が目に刻まれているという話だった。もしかすると、この鬼は、それが刻まれていない。

 

「…………」

 

「あなた、十二鬼月じゃあないわねっ。そんな、すぐわかる嘘をついて、恥ずかしいとは思わないの?」

 

「……!?」

 

「鬼になると、人間と感性が変わるから? でも、やっぱり、それでも、そこまで厚かましくなれるものなのかしら?」

 

「お、おのれぇ……ぇえっ!?」

 

 鬼が掌の目玉をこちらに向けると、一つその目玉がまばたきをする。そのわずかな時間の後、体が宙に浮いていた。

 

「なえ……ぇ!!」

 

 瞬く間に空高く上がる。木の高さを超えて、麓一面に咲く藤の花が見渡せる。そして、落ちる。

 

 この高さから地面に叩き付けられれば、タダではすまない。

 

 ――『風の呼吸・伍ノ型 木枯し颪』!!

 

 技を出し、地面を叩き付ける。

 落下の衝撃を無理やり緩和する。

 

「……はぁ……!」

 

 余裕がない。あの女の結界を避けるようにだとか、言っている暇がない。

 

「次は、腕をねじ切ってやろう」

 

 そう言われた瞬間には、腕が捻れる。

 

「……うぐっ、あぁア……っ!!」

 

 念力のような血鬼術か……。

 なんにせよ、まずい。本当に腕が千切れる。

 

「……な……」

 

 腕が、落ちた。

 だが、落ちた腕は、私のものではなかった。

 落ちるとともに、その腕は崩れ、地面に吸い取られていく。

 

「……え……?」

 

 鬼の背後から奇襲を仕掛けようとしていた炭治郎も呆気に取られていた。

 落ちたのは鬼の腕だった。

 

「くそ……、これはあの気狂いの血鬼術か……っ」

 

 残った腕の掌の目玉を、後ろに忍び寄る炭治郎に向けると、炭治郎は体勢を崩して転ぶ。

 

 理由はわからないが、ねじ切れそうだった腕は楽になった。炭治郎に気を取られている隙にと接近を試みる。

 

「こっちよ……」

 

 ――『風の呼吸・弐ノ型 科戸風・爪々』!!

 

「……く……っ、再生が……」

 

 炭治郎に向けていた掌をこちらに向けると、すぐにその掌の目玉が瞬きをする。

 

「……!?」

 

 鬼に向かっていた風の刃が、目標を逸れ、あらぬ方へと飛んでいく。

 

 だが、間髪入れずに炭治郎が立ち上がり、鬼に迫る。

 

 ――『水の呼吸・壱ノ型 水面斬り』!!

 

「……ぐっ」

 

 おぼつかない足取りで、ふらつきながら鬼は攻撃を躱す。だが、遅い。相手をしているのは、炭治郎だけではない。

 

 一つ深く呼吸をする。

 

 ――『風の呼吸・捌ノ型 初烈風斬り』!!

 

 持てる力の全てをもって、最速で切りつける。

 

「しまっ……た……。ぐぅう!!」

 

 唸り声を上げながら、鬼は掌を自分の体に向ける。掌の目玉の瞬き、同時に鬼の体が飛んでいく。

 

「なによ、それ……!!」

 

 首の皮一枚分、足りない。

 

「ぐはっ……」

 

 闇雲に飛んだからか、鬼は木にぶつかって、その衝撃で頸が落ちた。

 やはり、日輪刀で頭と胴を完全に分てていないからだろう、その身体が崩れ落ちることはない。

 

「今のうちよ、炭治郎!! あの鬼の血鬼術は手の目玉が起点! 今は一つだけだから、二人で行けば、どっちかが辿り着ける!!」

 

「ああ……!!」

 

 畳みかける。

 頸が切れていても、次は顎の近くを削ぎ落とせばいい。体勢の整わないうちに、この鬼は倒す。

 

「まさか、『紅潔の矢』を自分に使うことになるとは……っ!! 儂の顔を汚い地面に付けおって……!! 許さぬ!! 許さんぞ……!!」

 

「……!?」

 

 飛ばされたのは私だった。勢いよく鬼から距離が離れていく。

 

 ――『水の呼吸・弐ノ型 水車』!!

 

 だが、鬼の頸が刻まれる。飛ばされて、遠くなっていく中、私の視界にそれを捉えた。

 

 危うかった。この鬼の腕が落ちたあの隙がなければ、私たちが二人ともやられていたかもしれない。

 

 ああ、だが、術が止まらない。

 

 ――『風の呼吸・壱ノ型 塵旋風』。

 

 ――『風の呼吸――』。

 

 ――『風の呼吸――』。

 

 型を出して、衝撃を緩和しようとするが、止まらない。

 死んでしまう……私はここで……。ああ……やっと……。

 

「なえ……!!」

 

 鬼の血鬼術に振り回されているうちに、もとの場所に戻っていた。

 見える。鬼の身体が崩れていく。それよりも早く、崩れかけの鬼の身体が地面の中に溶けていくのが。

 

 鬼の体が地面に溶け切り、同時に私は解放された。

 

「……はぁ……」

 

「大丈夫か、なえ!」

 

 鬼の体が地面に溶けていくのは……きっと……あの女の……。是が非でも、あの女は……私が死なないように……。

 

 炭治郎に手を貸され、起き上がる。

 

「ええ、行きましょう、炭治郎」

 

「わかった!」

 

 立ち止まっている暇はない。一秒でも早く、結界の外に出なければならない。

 

 型を連続して出したからか、身体が痛む。気を抜けば動かなくなりそうだった。

 外へ。結界の外へだ。

 二人で走っていく。

 

 

 

 ***

 

 

 

「矢琶羽……ぁああ!! なにをやってるぅうう!!」

 

 送り込んだ男の鬼が死んだ。

 私も見ていたからわかる。なぜか、なえばかりを攻撃して、耳飾りをつけた鬼狩りをなかなか殺そうとしないダメなヤツだった。

 

「なんで、死際まで、なえを殺そうとしてたのよ!! そっちじゃないでしょう!! 役立たず! 言ったことも守れないの!?」

 

 なえを血鬼術で殺そうとしていたものだから、私が結界で引導を渡す羽目になった。

 あの鬼は本当に頭がおかしすぎる鬼だった。

 

「まあ、いい。やはり、耳飾りの鬼狩りは、大した脅威ではなかった……」

 

 無惨様はそう仰った。

 偵察に向かわせた鬼の視界を覗いていた。

 あの鬼は掌の目玉で周りを見てたから、いちいち視界がぶれて見づらかった。役立たずは最初から最後まで役立たずだった。

 そこから得た結果こそがそれ。

 

 ああ、確かに、縁壱の剣技はあんなものではなかった。

 

「お、おそれながら……やつら異常者どもはなにをやってくるかわかりません。あの耳飾りの鬼狩りが、実力を隠して……殺しに来た私たちを、返り討ちに……。あの男も……見ただけでは実力がわからなかった……それと同じ可能性も……。やっぱり、逃げましょう!! 海の向こうへ!!」

 

 それでも、あの耳飾りの鬼狩りは死ななかった。やっぱり、万全を期して寿命で死ぬのを待ったほうがいい。絶対にいい。

 

(ハツ)()ィイ!! 私は何も間違えない。私に命令するつもりか?」

 

 無惨様は私を殺そうと、手を振り上げた。

 私は、頭を地面に擦り付ける。土下座をする。

 

「お願いします……! 貴方様だけでも、お逃げください!!」

 

 ここで私は死んでもいい。無惨様に拾ってもらった命だ。無惨様のためならば、この命いくらでも捧げられる。

 

 だから、どうか――

 

「…………」

 

 覚悟した死はやってこなかった。

 おそるおそる、顔をあげる。

 所在なげに腕を下ろして、呆然と私を見つめていらっしゃった。

 

「……どうか、なさいましたか?」

 

 明らかにいつもと違う。そんな様子に困惑する。

 

(ハツ)()、やはりお前は裏切らない。お前を選んで、やはり私は正しかった」

 

「……!? ……あッ」

 

 無惨様は私の頭に手を入れた。

 頭がぼうっとする。感情が麻痺していく。

 

(ハツ)()、なにも心配はいらない。あの鬼狩りならばなんの問題もない。お前は安心して、結界の中に籠もっていればいい」

 

「……はい」

 

 そうやって抱き締められると、なにをそんなに心配したのかわからなくなる。

 

 えっと、確か耳飾りをした鬼狩りがいて……なんの耳飾り……縁壱と同じ……縁壱……縁壱……。

 

「……!?」

 

「……はぁっ!? 縁壱……縁壱……。殺さなきゃ……!! あの鬼狩り……ッ!!」

 

 結界に意識を移す。

 まだいるかもしれない。無惨様のおっしゃる通り、縁壱ほどの強さじゃないのなら、私の結界からの攻撃は躱せない。

 

 なら、きっと私の感知を掻い潜った方法があるはず。

 

 さっきの鬼との戦いで、私の結界にチラチラとなえが反応してたのは感じた。あの鬼が役立たずだったから、なえを動かなくはしなかったけど、感知のときに邪魔だなと思ったものならある。

 地面に生えている植物だ。

 

 確かに生えている植物が障害になれば、私の結界の感知はわずかに遅れる。考えたこともなかったけれど、そう。盲点だった。

 

 ならばと、私は対策を考える。

 

「そうよ、私の里と同じように、植物を全部なくせばいいの!!」

 

 あの鬼狩りの選別をしている山を丸裸にすれば良い。

 あの二人がどこにいるかは感じ取れなかったから、山のてっぺんから、植物という植物を全てカケラも残さず殺し尽くしていく。

 

「これで……これで……あの鬼狩りも……!!」

 

 植物の抹殺に、すべての意識を注ぎ込む。

 これで、間違いなく、勝った。すべての植物がなくなれば、あの鬼狩りも、年貢の納め時かしら。

 

「…………」

 

「…………」

 

 私の広い結界内、そこには、あの鬼狩りも、なえの姿もありはしなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 なにかを感じたのか、炭治郎が振り返った。

 

「……!? なんなんだ……!? これは……」

 

 その声につられて、私も後ろを見た。

 

「……!?」

 

 枯れていく。いや、枯れていくなんて言葉が生易しい。私たちの後ろの植物が、跡形もなく地面に崩れ落ちていく。

 

 足を止めてはいけない。

 自生する植物を隠蓑にして、あの女の感知から逃れようとしていた。その絡繰に気付かれた……だが、これはこの方法が正しかった証拠でもある。

 

 だけれども、無茶苦茶だ。

 植物をこんなふうに消していくだなんて……。

 

「これも……あの鬼の仕業なのか……!?」

 

「ええ……違いないわ……! 走りましょう。全力で……!!」

 

「……くっ……」

 

 走る。まだ痛む体に鞭打って走る。

 

 植物の溶けた領域に捉えられては、全てが台無しになる。ここで捕まるわけにはいかない。

 

「もうすぐ……もうすぐよ!」

 

 藤の花が見える。

 安全地帯はすぐそこだった。

 

「なえ!」

 

「……!?」

 

 足がもつれる。

 あと少しだっていうのに、体が言うことをきかない。

 

 立ち上がろうと手を地面につく。けれど、腕に、足に、力が入らない。

 

「大丈夫だ! なえ! 俺が運んでいく!!」

 

 動けない私を、背負おうとする。

 

「やめなさい! あの女に勘付かれる!」

 

 私が倒れて、動けなかった瞬間にも、あの女の結界に捉えられた可能性があった。

 見捨てていくべきだった。

 

「大丈夫だ。刀を捨てて軽くなれば、そんなに速さも変わらない! それになえは、そんなに重くないぞ!」

 

 気がつけば、腰の刀がなくなっている。

 確かに刀はそれなりの重さがあるけれど、人ひとりと比べられるほど重くはない。

 炭治郎のそれは、明らかに強がりだとわかる。

 

「バカ……」

 

 なにを言っても私のことを見捨てない。この短い付き合いでも、そうわかるから、私は、そうとしか言えなかった。

 少し意識が朦朧とする。まだだというのに、私は安心してしまっている。

 

「なえ……! もうあの鬼の匂いがしない! ここなら、安全だ!」

 

 気がつけば、麓へと、藤の花の乱れ咲く中に辿り着いていた。

 

「ええ、着いた……のね……」

 

 本当に逃げ切れたのか。夢ではないのだろうか。

 また私は、外の世界に出られたんだ。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 私を横に置いて、炭治郎も大の字に倒れる。

 私の分まで、限界まで走ったのだろう。

 

 私なんかのことは、見捨てれば良かった。どうせ連れ帰らせられるだけで、死にはしないんだ。頑張らなくてもよかったんだ。

 

 ああ、でも――

 

 倒れた炭治郎の首もとに腕をまわして、胸もとに引き寄せる。

 

「……!?」

 

「ありがとう」

 

 感謝を伝える。こんな私のために、ここまでしてくれた。本当に、本当に、ありえないような――( )ありがたいことだった。

 

「あら、ずいぶんと仲のいいことね?」

 

 気がつかなかった。あの女だ。藤の花の領域の外に、あの女が立っている。

 

「……っ!! 上弦の弐!!」

 

「藤の花っ! 忌々しい……。感知ができた気がしたから、来てみたの……。いつもなら、このくらいなら我慢をすればそこまでいけるのだけれど、力を使いすぎたわ……。ここにいると具合が悪くなるから、少しだけお話をしたら、帰らせてもらうわ」

 

 安全な場所にいるというのに、その存在感だけで身がすくむ。戦う力も残っていない。

 

「話って、なに? 何の用!? あなたとする話なんてっ、ないわっ!!」

 

「なえ……。本当に帰るつもりはないの? 家族がみんな、アナタの帰りを待っているわよ?」

 

「言ったでしょ!! 私の家族は鬼殺隊のみんな……! 私は家畜じゃない!」

 

 そう言い切れば、女の鬼はあからさまに困惑を目に出す。

 

「ねぇ、なえ。どうしてそんなこと言うの? 別に殺して食べるわけではないのよ?」

 

 知っている。この鬼は、自分の村の人間を、殺して食べたりは決してしない。

 ああ、でも、でも……。

 

「殺さないのか……? 人間を」

 

 反応したのは、炭治郎だった。

 そう鬼に問いかける。

 

「ええ、そうよ? 毎日血を貰って、長く永く楽しむの。子どもも作って貰って、その子どもも……そうやって永遠に血を貰うの! それに、幸せな人間の血の方が美味しいから、私の村の子たちには、みんな幸せになってもらうのよ!」

 

「なえ……本当なのか?」

 

「本当よ……」

 

 悔しい。悔しくてたまらない……。

 この鬼の語る美辞麗句は、全て本当だった。村の人たちは、この鬼に感謝しているし、私も……昔は……。

 

「それなら……血を飲むくらいだったら禰豆子も……」

 

 なぜか、炭治郎が揺らいで、納得しかけていた。

 

「ふざけないでよ!! この鬼は、鬼舞辻無惨に通じている!! いくらこの鬼が人を救ったって、鬼舞辻無惨は多くの人を殺した!! 今も殺してる!! どんなに善いことをしたって……悪い奴の味方をしたら、そいつも悪い奴よ!!」

 

「……!?」

 

 ハッとした表情をする炭治郎だった。ああ、きっと、鬼に酷い目に遭わされて、鬼殺隊になった類いの人間なのだろう。

 その原因は、鬼の始祖たる鬼舞辻無惨。上弦の弐は、その片棒を担ぐ仲間の鬼。

 

「ねぇ、なえ。あのお方を悪い風に言ってはダメよ? あのお方は、とても素晴らしい方なの。惨めな私を救ってくださった……とても素晴らしいお方よ? そんな風に言ったら、バチが当たるわ」

 

「鬼舞辻……無惨……」

 

 その言葉に、炭治郎はそう呟いて、再び警戒心を強くした。

 

「それに炭治郎……この女は……村の人を結界の中でないと生きていけなくしている。目的のためならば、手段なんて関係ないの! 今も……っ、都合が良いからそうしてるだけ!」

 

「…………」

 

 ああ、ずっと、そうだったんだ。

 今日この女に会って、理解できた。自分にとって都合が良いから、今の形をとっているだけ。他にもっと都合の良い方法があれば、この女は迷わずにその手段を取るだろう。

 

「だからっ……私たちは……。ちゃんと……自分の足で……歩かなきゃ……いけない……」

 

 この女に頼り切っていたら、いつ破滅が訪れるかもわからない。全てが委ねられ、この女の気分次第で決まる生活だ。

 

 ああ、苦しい。

 他人任せは楽だった……。何も考える必要がなかった。ただただ与えられるだけの毎日が幸せだった。

 

 けれど、あの頃の私とは違う。

 外に出てしまったから。自分の力で歩いていかなくてはならなくなったから。

 

「ねえ、なえ。そんなに苦しそうに……私も悲しい。ええ、そうね。家族に会えば、きっと楽になるわ。家族の力ってすごいもの! みんな、幸せになれるわ! それに、みんな、なえのことを待ってる!! いつでも帰ってきていいのよ?」

 

 本気で私のことを慮っていることがわかった。私たちは、そんな(ハツ)()様が大好きだった。

 

 ああ、ああ、ああ……。

 それでも、こうじろうにぃを殺した鬼だ。倒すべき鬼だ。憎むべき鬼だ。倒した結果、村がどうなろうと、鬼を助けていた時点で自業自得。

 

 覚悟は決まっている。

 

「もう……なにも……言わないでよ!! あなたがなにを言ったって、変わらないわ!! 私は帰らない!」

 

「そう……なの……」

 

 その悲しそうな表情に私の心は痛んだ。

 ああ、憎いんだ。私はこの鬼が、とても憎い……。憎い。憎い。憎い。憎いんだ……。

 

「ああ……」

 

 ため息が漏れる。

 苦しくて、苦しくてたまらない。

 

「そろそろ、限界だから、帰るわ……。なえ、どうか死なないで……。生きていれば、きっと、説得するわ! みんな、待ってるから……!」

 

 そう言い残して鬼は背を向け踵を返した。頂上の方に歩いて行った。

 私たち二人は取り残された。

 

「ねぇ、炭治郎……」

 

「なえ?」

 

 話しかける。どうしても聞いて欲しかった。

 

「あのね…… (ハツ)()様は、葬式では、遺体を食べるの」

 

「…………」

 

「だけれどね……いつも、泣いているの。泣きながら、食べているの……」

 

「…………」

 

「ああ……それでね、(ハツ)()様は、みんなの名前を、みんなのことを覚えているの。今暮らしている人ももちろん……私たちのお爺さん、お婆さん……死んでしまった御先祖様まで……全部」

 

「…………」

 

「ああ……本当にすごいお方で……うぐっ……私は尊敬していたわ……。鬼に狙われやすいみんなを、他の鬼からその力で守って……。外では、病気の人をその力で助けて……そうやって村を維持するお金を貰っていた……」

 

「…………」

 

「それでも……それでもなのよ……っ!」

 

 気がつけば、私は泣いていた。泣いて、ぐちゃぐちゃになって、私は……。

 黙って、炭治郎は、そんな私に付き合ってくれていた。

 

 一通り泣き終わって、ふと、今まで私たちが走ってきた、山の斜面が目に入った。

 

 ああ、なんてことはない。あの鬼の力を考えれば当然だろう。

 

 ――藤襲山は、禿山になった。




次回、浅草!

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