稀血をよこせ、人間ども   作:鬼の手下

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 失われてしまったから、決して取り戻すことはできない。わかりきったことだった。


蜘蛛山の鬼

「あわ」

 

 縁側に腰をかけて、私は耳飾りを付けた方のお侍様の隣に座っていた。

 

「…………」

 

「兄上は憂いている……。自らの技を継承する者がいないことを……自らの技が途絶えてしまうことを……」

 

 月の光のようにきらきらと輝く美しい剣技を見た。

 その後に、この耳飾りをつけた方のお侍様が現れると、(はつ)()さまも、あの面倒を見てくれた方のお侍様も、どこかに行ってしまった。

 

「…………」

 

「私たちは、ほんの歴史の一欠片にすぎない。私たちの才覚をしのぐ者が今にも産声を上げている。……兄上は立派なお方ゆえに、それでも未来のことを憂いていた」

 

 そこから、ついでのように、耳飾りのお侍様は、兄上と慕うその人の生い立ちを語った。

 

「…………」

 

 難しい話だった。けれども、大切な話のような気がしたから、意味がわからなくとも、必死で私はその話を聞いていた。

 

「すまない。こんな話をしてしまって……」

 

「あわ、できるよ!!」

 

 斬られた薪の残骸を持って、さっきの剣術の真似をする。

 無我夢中に木の破片を振って、耳飾りのお侍様に見せてみた。

 

 それを見て、お侍様は顔を綻ばせる。

 

「ありがとう」

 

 そう言って、耳飾りのお侍様は、私のことを撫でてくれる。それでも、なんだか、煙に巻かれているようで嫌だった。私のやったあの剣術の真似を、まるで評価してくれはしなかった。

 

「むー、あわにもできるもん!!」

 

 意固地になって、繰り返す。何回も何回も……。繰り返して、繰り返して、私にもできていると、認められようとした。

 

「…………」

 

 それを、耳飾りのお侍様は、ほうけたように見つめていた。

 

「……あっ!?」

 

 つまづいてしまう。

 すぐさま、耳飾りのお侍様は私のことを抱きとめて、転ぶ前に助けてくれた。

 

「怪我はないようだ……」

 

「むぅ」

 

 思い通りにいかなくて、腹が立つ。

 

 ふと、お侍様が私の胸元に指を当てた。

 

「呼吸の仕方がある。それぞれの身体の造りに合った呼吸の仕方だ」

 

「呼吸……?」

 

「兄上と同じ呼吸ができなければ、技は継げぬ。あわには、おそらく……」

 

 そこから先、耳飾りのお侍様は言わなかったが、私にはそれが想像できた。それがとても悔しかった。

 

「あわにも、できるもん!!」

 

 だから、跳ね除ける。もう一度、薪のかけらを持つ。知ったことではない。できると言ったら、できる。

 

「…………」

 

 私が木の棒を振る姿を、耳飾りのお侍様は、黙って見つめていた。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 疲れるまで、何回も何回も繰り返していた。

 

「あわ」

 

「…………」

 

 そうしてようやく、耳飾りのお侍様は口を開く。

 

「呼吸に合った身体の造りだ。技を繰り返す。道を極めた者が辿り着く場所は()()()()()()

 

「……!? わかった!!」

 

 そして私は何回も、何回も、何回も、真似をして、真似をして、真似をした。

 

「どうか、今日の日のことを忘れないでいてほしい……」

 

「うん……!!」

 

 その流麗な剣術は、記憶にずっと焼き付いていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 藤の花の家紋の家。

 かつて、鬼狩りに助けられ、そこから鬼殺隊に協力するようになった人たちの家のことだ。

 

 私たちは、その家で、休息をとることになった。

 着替えに、ご飯に、お医者様。旅館以上の待遇で迎えられた。

 

 怪我が一番酷かったのは、炭治郎。肋が数本折れていたらしい。今回の任務の前にケガをして、そのままだったようだった。言ってくれればよかったのに、ずっと我慢していたみたいだった。

 

 次に酷かったのは、猪の被り物をした男の子だった。頭蓋骨にヒビが入って、屋敷の二階から落ちた衝撃か、さらにいくつか骨にヒビが入っていたらしい。意識がなかったから、炭治郎が背負ってここまで運んできた。

 

 私も、軽症ではない。最終選別で血鬼術を使う鬼にやられて負ったケガがまだ治りかけで、そのまま動いたから、悪化していると言われた。そんなに辛くはないから大丈夫だと思ったのだけれど、まだ安静が必要のようだ。

 

 善逸くんは無傷だった。

 

 ご飯を食べて、そうして用意された部屋で眠ることになった。

 

 男の子三人は同じ部屋で、女の私は違う部屋が用意されていた。

 

「それで、なえ……。やっぱり考え直してくれないの?」

 

「……なんでいるのよ!? どうやって!?」

 

 私が部屋にくると、当然のようにそこには小さな(ハツ)()様がちょこんと布団の上に座っていた。

 

 ここに来たのはまだ外が明るいうち。それなのに、この鬼の分身がここにいるのはおかしい。つけてきたわけでもないだろうに。

 

「私は結界でもあるわけだから、地面の下でズズズっとね! この程度、お茶の子さいさいよ!」

 

「そんな……!?」

 

 なんにせよ、まずい。このまま私が、たとえば蝶屋敷のようなところに行けば、この分身もついてくる。

 分身がやってくれば、本体にも居場所が、そうすれば鬼舞辻無惨にも情報が行き渡るはずだ。十二鬼月に、全国の鬼たちがまとめてやってくるかもしれない。

 

 各個撃破ではなく総力戦。ここ百年近く上弦の鬼は倒せていない。鬼には寿命がない。上弦という強力な鬼側の戦力は、ここ百年削れてはいなかった。果たして、それで勝てるのだろうか。

 鬼殺隊の存亡に関わる事態だった。

 

「なえ……なえが戻って来ないと言うなら、私がなえを守るわ! うん、なえが生きていることが一番大切だもの!」

 

「あ、あなたに守られる筋合いはないわ!! どうしてよ! どうして今さら現れて! そんなことができるのっ!」

 

 こうじろう()ぃが死んだのは、この鬼の呪いのせい。殺しておいて、生き残った私にはこんなにも執着している。

 あぁ……なぜ、どうして私だけ……私だけ生き残ってしまったんだ……。

 

「ごめんなさい……。私がちゃんと、なえのこと、守ってあげられなかったのがいけないのよね? 私が守ってあげられたら、鬼狩りなんかになる必要もなかった……」

 

「……守る? 鬼狩りなんか? ふざけないでよ? ねぇ!?」

 

 そんなことを言ってほしいわけではなかった。

 日輪刀を取り出して、構える。

 

「な、なえ……? な、なんのつもり? 分身だから、頸を斬られても私、死なないわよ?」

 

「わかってるわ? それでも、刀で括り付けて、動かなくするくらいならできるでしょう?」

 

 このまま、好き勝手されるわけにはいかない。

 

「や、やめて、なえ! そんな酷いことしないで!!」

 

 小さな(ハツ)()様は、プルプルと震えて、部屋の隅で縮こまってしまう。

 

「…………」

 

 見た目に騙されてはいけない。

 何百年と生きてきた鬼、その分身だ。躊躇する必要なんてない。

 

「なえ……っ」

 

「…………」

 

 私の大切な人を殺したこの女が憎い。みんなは鬼に大切な人を殺された。それは私もだった。

 

 だから、鬼狩りになって、私も……。何も知らずに鬼に育てられて、幸せだった分だけ、その分だけ、みんなと同じように、苦しくても戦わなきゃならない。

 

 目を閉じれば、今でも、あの、命が失われる感覚が思い出せる。大切な人が死んでいく無力さを思い出せる。

 

「……なえ?」

 

「…………」

 

 身体が動かない。

 刀を取り落としてしまう。

 

 もう、なにもかもが遅いというのに、まだ、未練がましく……。

 

「なえ……悲しいことがあったの?」

 

「ち、違うわ……っ!」

 

 首を横に振る。

 

 だってだ。

 私は蝶屋敷で、あのとき、毎日のように祈っていた。

 どうか、(ハツ)()様が助けに来てくれますように、悪い夢でありますようにと……。

 けれど、現実は違った。こうじろうにぃは死んだ。そして、私だけ生き残った。

 

 鬼殺隊には、家族を、仲間を鬼に殺された人ばかりだ。そして、鬼はみな人を喰う悪い者。

 

 こうじろうにぃが死んだのは、鬼の呪いのせい。鬼殺隊は、私たちを救ってくれた。

 

 本当なら、結界の外に出て、ちょっと遊んだら帰るつもりだった。私が大切な人を失ったのは……鬼殺隊に保護されたから……。そう思って、鬼殺隊のみんなを恨んだ時もあった。

 

 でも、鬼殺隊のみんなは、鬼を崇める村で育てられたこんな私に、とても優しくしてくれた。

 だから私は、鬼を、大切な人を呪い殺した(ハツ)()様を、恨むことに決めた。そうでないといけなかった。

 

 それでようやく、私はみんなと一緒だった。

 それが正しいことだった。

 

 あぁ、それに、結界の外に出たのは、私自身の意思でだ。

 

 覚悟を決めたはずだった……。だから、再会したときも、迷わずに攻撃ができた……それなのに……だ。

 それなのに変わらない優しさを目の当たりにして、今さら私は躊躇している。

 

 ああ、もしかしたら、(ハツ)()さまが、みんなの目の付かないところで他の鬼のように悪いことをしていれば違うのだろう。

 

「……な、なえ?」

 

「ねぇ……どうして私を説得しようとするの? 連れ帰るなら、あの選別で会った時、すぐに無理やり連れ帰ればよかった。あなたの力なら、それができたでしょう?」

 

「なぜって……? なえが納得しないで帰ってきて、暴れられても困るでしょう? 牢に繋ぐなんて悲しいことはしたくないし……。人間の血は幸せな方が美味しいのよ!」

 

「……っ」

 

 幸せな方が美味しい。それはあの最終選別の時も言っていた話だ。

 

 あぁ……私が最初の任務で狩った鬼は、最悪な鬼だった。人の泣き叫ぶような顔が好きで、絶望した人間の肉が美味いと言うような鬼だった。

 

 鬼でない私は、人間の肉を食べないし、鬼の味覚もわからない。だから(ハツ)()さまが言っていることも、正しい意味で理解できない。

 

 最初、最終選別のとき、血の味が良くなるという意味で、(ハツ)()さまが美味しくなるとそう言ったのだと私は思った。

 

 けれど、美味しいというのはそれだけではない。

 

 (ハツ)()さまは、血の味で人間の気持ちがわかる。みんなで食べればご飯も美味しい。明るい気持ちなら、ご飯も美味しくなる。だから(ハツ)()さまは、味わった血の感情に共感して、幸せな人間の血の方が美味しいと言っているのかもしれない。

 

 なんにせよ、自分が苦しめた人間を美味いと言うような鬼とは違う。もっと、ずっと……。

 

「な、なえ……!? 大丈夫なの!?」

 

「はぁ……はぁ……」

 

 ()()()

 一度落とした刀を握り直す。

 

 この鬼とは、関わらない方がいい。

 これ以上、話していると、頭がおかしくなりそうだった。

 

 気持ちが悪い。尋常じゃない量の汗が流れていることがわかる。

 

「わ、私のことは後回しに……や、休んだ方がいいと思うわ」

 

「う、うるさい!! あなたは鬼舞辻無惨の仲間!! 人間の敵! 死ぬべき存在なの!!」

 

「私はなえの味方よ! 敵じゃないわ!!」

 

「少し黙って……っ!!」

 

 油断をすると、この鬼のことを許してしまいそうで仕方がない。

 

 そ、そうだ、こうじろうにぃが死んだのはこの鬼のせいだ。そうでないといけないんだ……。

 

「なえ……本意ではないけれど……少し隠れるわ……。この姿は……少し消耗があるから……。見えなくたって私は居るわ!! できるだけ、なえのことを守るから……」

 

 そう言って、小さな(ハツ)()さまは溶けていく。床に染みるようにして、消えて行った。

 

 こんなふうに、地面の下に潜って、私たちのことを追いかけたのだろう。

 

 あぁ、私はどうすればいいんだ。

 考える時間がほしい。刀を投げ捨てて、布団の上に寝そべった。

 

「――っ!? ――――!!」

 

「……?」

 

 ふと、声が聞こえる。

 男の子たちが眠っているはずの部屋の方だった。相当に騒がしい。

 

 一人の部屋のはずなのに、私はかなり叫んでいた。それでも様子を見に来ないくらいに騒いでいるみたいだった。もう夜なのに……。

 

 あの小さな(ハツ)()さまのことはどうすればいいか、まだ決めきれていない。

 陰鬱とした心持ちで、能天気に騒いでいる彼らには、うるさいとでも文句を言おうと、男の子たちの部屋に足を運んだ。

 

「炭治郎……ぉおお! お前!! 女の子を連れて! 一緒に! キャッキャウフフと!! いいご身分だなっ!」

 

「待ってくれ……! 善逸、待ってくれ!! 禰豆子は俺の……!!」

 

「うるっさいわねぇ……! こっちまで聞こえて――( )

 

「……ム?」

 

 目が合った。

 

「鬼!? 炭治郎! 鬼がいるわよ!? とにかく……日輪刀を……っ」

 

 慌てて刀を取りに戻る。

 鬼には、日輪刀でないと対抗できない。なんでこっちにも鬼が……。

 

「待ってくれ、なえ!!」

 

「……!?」

 

 炭治郎に手を掴まれる。その行動に、何の意味があるのかよくわからない。

 

「なえ、それに善逸も……。禰豆子は俺の妹なんだ……」

 

「……!?」

 

「……妹……!? 本当なのか、炭治郎!」

 

 あの、禰豆子と呼ばれた少女は鬼だ。どこからどう見ても鬼だ。信じられない。

 

 その台詞は、鬼を庇っているものだった。

 

「なえ、禰豆子は人を食べない鬼なんだ」

 

「…………」

 

 真剣な顔で、炭治郎は私に訴えかけている。その目に私の心が軋む。

 

「ねーずこちゃーん……! アハハ……アハハ……」

 

「むー、むー」

 

 何故だか善逸くんは、気持ちの悪い動きで、その炭治郎の妹の鬼を追いかけ始めた。

 炭治郎の妹の鬼は、部屋の中をトテトテと走って、善逸から逃げ回っている。

 

「許されないわ……。鬼を庇うのは隊律違反よ? わかってる?」

 

「わかってる。でも、禰豆子は人を食べない。襲わない……。禰豆子は普通の鬼とは違うんだ。頼むから、なえ! このことは、今は! 今だけでいい! ちゃんと行動で示していくからっ! なえ! だから、今だけは見逃してくれ!」

 

 私の腕を掴んだまま、炭治郎は頭を下げた。

 

 なんとなく理解できた。

 炭治郎が、身内とはいえ、鬼を庇って……。炭治郎が鬼をやけに好意的に言っていた理由も……。いや、もしかしたらそうでなくても炭治郎は……これは考えてもキリがないか……。

 

 最終選別から、私はこの男の子に救われてきた。

 だからこそだろう。

 なんだか、疲れがドッと押し寄せて来たような気がした。

 

「そうね……わかったわ……」

 

「なえ……。ありがとう、なえ。本当にありがとう」

 

 両手で私の手を握って、炭治郎は、安堵した表情で、微笑む。

 そんな笑顔を見届けて、私は部屋に戻った。

 

 あぁ、もう何もかもがどうでもよくなる。

 

 布団に潜って、寝ようとする。向こうの部屋からは、善逸くんの声が良く響いてきた。

 

 悔しい……悔しくてたまらない……。

 炭治郎が、何の臆面もなく、家族の鬼を庇っていることだ。

 ずるいと私は思った。

 

 もう何も考えたくない。涙が流れてしまうが、関係ない。とにかく、眠ることにだけ意識を集中させる。

 

 どうしようもなかった……。

 

 

 

 ***

 

 

 

「なえ、入るぞ」

 

「…………」

 

 炭治郎の声がした。

 無遠慮に戸を開けて、私の寝ている部屋に入ってきた。

 

「なえ、駄目じゃないか……。もう日が暮れてるぞ? ご飯は食べないのか?」

 

 ずっと、布団の中に潜っていた私に、炭治郎は声をかける。

 

「気分じゃないの……」

 

 できるだけそっけなく答える。炭治郎とは、できるだけ話したくなかった。私のことなんて放っておいてくれればよかった。

 

「なえの具合が悪そうだったから、夕ご飯はお粥にしてもらったんだ。どうだ? 美味しそうだろう?」

 

「ご飯、持って来たの?」

 

「なえは、朝から何も食べてないんだ。いくら具合が悪いからって、ちゃんと食べた方がいい」

 

「そういうのじゃないわ……」

 

 炭治郎に背を向ける。顔を見たくなかった。

 

「そうだ。善逸が任務に行ったんだ」

 

「ええ、わかってるわ。騒がしいのが、こっちにも聞こえてきた。……一人だけ無傷だったものね。当然よ」

 

「絶対に嫌だって、柱にしがみつくものだから、引き剥がすのが大変だったんだぞ?」

 

「それは……本当に気の毒だったわね……」

 

 そんなふうにいじけている善逸くんは、簡単に想像できた。その面倒を見る炭治郎もだ。

 

「なえ……もしかして、怒ってるのか?」

 

「…………」

 

「俺が禰豆子を……鬼を連れていることを怒ってるのか?」

 

「……どうして?」

 

 的確に、嫌なところを突いてくる。わざわざ私が考えないようにしているところだった。

 

「なんとなくだけど……なえから、怒っているような、そんな匂いがしたんだ」

 

 匂い? 炭治郎は鼻が利く。だけれども、それで感情がわかるものなのだろうか?

 

 なんだか、本人に言われると、意地を張って、こうして不貞腐れている私が馬鹿らしくなってくる。

 

「ねぇ、炭治郎……少し、聞いてくれる?」

 

「……あぁ、わかった」

 

 何の話をするかもまだ言っていないのに、炭治郎は二つ返事で了承した。

 

 本当にいいのかとも思ったけれど、私は喋りたかった。語りたかった。

 

「私は鬼を崇める村で育った。そして、その村を治める鬼の名前は(ハツ)()。旱魃の魃に、果実の実で(ハツ)()と書く。鬼の始祖たる鬼舞辻の次に長生きで、何百年と人の血肉を喰らい生きながらえてきた上弦の弐」

 

「…………」

 

「私の姉の名前は、いなほで、私の名前はなえ。よく遊んだ男の子の名前はこうじろう……ね。稲穂に、苗に、麹。村では、そんなふうに作物にちなんで名前をつけられることがよくあったわ」

 

「なえ……じゃあ、なえの名前は漢字で『苗』って書くのか? 『苗』って……」

 

 炭治郎はそんなことを気にしたようだった。空に指で『苗』と文字を書く。いま気にするようなことでもないだろうに、少し私は笑ってしまう。

 

「いいえ、私は平仮名で『なえ』よ? 漢字で苗は、私のご先祖様の名前。(ハツ)()様がそう言っていたから、間違いがないわ」

 

「そうなのか……」

 

 別に同じ名前を付けてはいけないわけでもない。ただ、区別がつき易いようにと、二世代くらい前までの人とは、全く同じ名前は付けない習わしがあった。

 

「私たちは(ハツ)()様が好きだった。面倒見が良くて、困っていたら気にかけてくれる。村にいれば、飢える心配もない。お金を稼ぐ必要もない。村は、(ハツ)()様が病気の人を治して、そうやって貰ったお金で成り立っていたわ」

 

「…………」

 

「でも、村で生まれたら、村で一生暮らさないといけない。外に出てはいけない。そういう決まりで、私たちは結界の外に出ようとすれば、決まって連れ戻された」

 

「どうやっても、外には出られなかったのか?」

 

「ええ、そうよ。出たとしても(ハツ)()様が、ずっとついて来ていたわ」

 

 連れ戻しに来た(ハツ)()様に、わがままを言えば、(ハツ)()様と一緒に少し外を見て回ることもできた。それは内緒のことだった。

 

「そうなんだな……」

 

 炭治郎が、少しだけ悲しげな目をした。こういう話をすると、鬼殺隊のみんなは大体こういう顔を見せる。

 

 いつもと違って、今はその反応に言いようのない苛立たしさを感じてしまう。

 

「ち、違うわ! それでも私たちは幸せだった!! 私は今でもあの頃に戻りたいって思って……っ! 思って……? わ、私は……私は……」

 

 そんなこと、鬼殺隊のみんなの前では、口が裂けても言えなかった。そう思うことはおかしなことだった。だって、鬼に支配された家畜のような暮らしが良いだなんて、狂ってるんだ。

 

「な、なえ……」

 

「た、炭治郎! う、嘘なの。私はあの女が憎いわ。私の大切な人を殺したあの女が憎い。そうよ! あんな女の村で暮らすなんて、まっぴらごめんなのよ……! そう……!」

 

 とっさに私は取り繕う。

 あの鬼は許されない。許してはいけない。憎くて憎くてたまらない。

 

「……なえ、その……なえの大切な人を殺したっていうのは」

 

「あの女は殺したの!! あの女の結界の中で生まれ育った人間は、あの女の結界の外に出たら、数ヶ月も持たないうちに死ぬ! あの女の呪いによってね! 鬼殺隊が、どれだけ手を尽くしても、こうじろうにぃは助からなかった……」

 

 生まれたときから、あの女に人生を縛られている。村の人間は、そんな哀れな存在だった。

 

「……じゃあ……なんで、なえは生きているんだ?」

 

 炭治郎はそう問いかける。

 あぁ……それは至極真っ当な疑問だった。

 

「私もそれなりに長い時間、熱が出て、魘されたわ。でも……死ななかった。鬼殺隊の偉い人には、どうして死ななかったのか、その絡繰はわからないけど、そういう体質だったのだろうと言われたの……。私だけが……生き残った……」

 

「そうか……そうなのか……」

 

 悔しい……悔しくてたまらない。なぜ、私だけ……なぜ、私なんだ……。

 

「そう、そうよ……!! 私とこうじろうにぃは、結界の外に出て、鬼殺隊の人たちに()()()()()()()()のよ! 生き残った私は、罪を償わなくちゃいけない。悪い鬼に手を貸していたのだから……!!」

 

「…………」

 

「ねぇ、炭治郎! ()()()()、大切な人を殺した鬼が憎いでしょう!? 同じ、()()()()なのっ!! ()()()()()()よっ? 私は大切な人をあの女に殺されたから、あの女がとても憎い……っ!!」

 

 あぁ、これで……これで私のことは、誤解されない。私は今までと同じように、憎き鬼を殺すことだけを考えて生きていけばいい。

 

 それが正しいことだった。

 

 

「――なえは優しいから……みんなに合わせてくれているんだな」

 

 

 炭治郎は、そう言っていた。

 

 

「……え……っ? な、なに……? 何を言っているの……?」

 

 気がついたときには、私はそう答えている。

 

 意味がわからなかった。

 会話になっていないとすら思う。

 

「だって、なえからは……誰かを憎むような、そんな匂いはしないんだ。でも……なえ、俺は禰豆子のことを信じてる。だから、なえも……自分の信じたいものを信じればいいんだ」

 

「人間は、自分の足で歩くことができる! 自由にっ!! だから、あんな女はいらない。頼る必要もない。それに鬼舞辻無惨は討たれるべき悪……その味方なら、悪……死すべき鬼なのぉ……っ!!」

 

「それでも……なえが信じたいなら信じればいい。大丈夫だ。きっとみんなが納得できるような方法があるから……っ」

 

「みんな……? 死んだ人は帰ってこない……。だから納得もしない! あぁ……こうじろうにぃの無念は私が……はっ、はぁ……私が晴らすの……っ!」

 

「違うぞ! なえ! そんなことは、望んでない!! なえが苦しむようなことは、望んでない!!」

 

 ――俺のせいで……。なえ……。巻き込んで……辛い思いをさせて……ごめん。

 

 幻聴が聞こえた。

 こうじろうにぃは、謝っていた。確かに村の外に行こうと言い出したのはこうじろうにぃだった。けれど、そう誘われるように、村で話を吹き込んだのは私だ。唆したのは私なんだ。

 

 でも、村の外に出たのは()()()()()だった。

 こうじろうにぃが死んだのは、あの鬼のせい。あの鬼が殺したのだから、こうじろうにぃが死んだのは、()()()()()()()だった。だから、せめて仇を討って私は……。

 

「私は苦しむべき人間なの! 私が……私だけが……」

 

 私だけが生きて幸せになる。そんな都合の良いことなど、あってはならない。

 

 あぁ、確かに私は村に戻れば家族がいる。村に戻って、少し不和が起こるかもしれないけれど、(ハツ)()様が言えば私は受け入れられる。また、元の生活に戻って、私は生きて幸せに……。

 

 けれど、もう失われた人がいる。その一人がいないだけで、その生活にはもうなんの意味もない。

 

「なえ……? もしかして……死ぬつもりなのか……」

 

「…………」

 

 本当に炭治郎は痛いところを突いてくる。

 

 あの女を殺した後、仇を取った後は、村のみんなも死ぬだろうから……私も……。

 

「なえ……」

 

「そうよ? あの女が死んだら……私も死ぬわ……?」

 

 そもそも、あの女は強い。私が生きている間に、倒せるかもわからない。私の寿命が尽きる前に、叶うことではないのかもしれない。だからこそ、生半可な覚悟だと笑われるだろう。それでも、私はそう心に決めていた。そうでなくてはいけなかった。

 

「そんなのは……駄目だ……。一緒に、そんなことにならない方法を考えよう。なえっ!!」

 

 私は首を横に振る。

 目の前で大切な人を失ったあの日から、そのための私の人生になった。

 

 炭治郎の耳飾りに触れる。

 

「ねぇ、炭治郎。神楽……見せてくれないかしら? その耳飾りと一緒に受け継いだっていう……」

 

「なえ。話は終わってない」

 

「……見せてほしいわ……? ダメかしら……?」

 

 炭治郎は、不服そうな顔をしていた。

 

 私が都合の悪い話を誤魔化そうとしているのがいけないのだけれど、少しくらいは大目に見てほしかった。

 ジッと炭治郎の目を見つめる。

 

「わかった……」

 

 渋々と言ったように、炭治郎がうなずく。

 これでどうにかなったとは思っていない。炭治郎のことだ。これからもきっと掘り返してくるだろう。

 

「ありがとう……」

 

 私はお礼を言う。これから神楽を見せてくれることにだけではない。そこには、いろいろなことに対しても含めて。

 

「ここじゃ、少し狭いから……外に出たいんだ……」

 

「わかったわ……」

 

「その格好じゃ、寒くないか? 羽織り、貸してあげるぞ?」

 

「え、……あ……うん……」

 

 寝巻のままだったから、炭治郎が気遣って、羽織りをかけてくれる。

 

 ……暖かい。

 

 そして、私は炭治郎から、その神楽を、舞を見せて貰った。

 

 

 

 ***

 

 

 

「なんであのババアは俺たちの無事を祈るんだよ。何の関係のないババアなのに」

 

 怪我が完治して、新しい任務に行くところだった。あの藤の花の屋敷を出るとき、切り火でお清めをしてもらったのだけれど、この猪頭の伊之助くんには、わけがわからなかったようで、攻撃されたと勘違いして怒っていた。

 

 そのあとに、誇り高く、ご武運をと祈られて、どうにもこの伊之助くんには、そう祈られる意味がよくわからないようだった。

 

「何も関係ないって、世話をしてもらったじゃない。少しでも、関わった人が不幸になったり、死んでしまったら、悲しいと思わない?」

 

「思わない。……フン!」

 

「そう……」

 

 少し悲しい気持ちになった。

 

 伊之助くんのことはあまり知らない。伊之助くんとは、藤の花の家で少しだけ会話をしたくらいだ。

 炭治郎がよく話しかけていたようだったけど、山育ちで人とあまり関わっていないようだから、少し気にかけてやってくれと、炭治郎は伊之助くんのことを言っていた。

 

「なえ……。やっぱり、なえは優しいんだな……」

 

 しみじみとして、炭治郎はそんなことを言った。

 

 案の定というか、藤の花の家では、私にまとわりついていた炭治郎だ。私の決意は変わらないけど、私のためを想っていたのはよくわかった。私なんかのために、心の中では、ありがたいことだと思っていた。

 

「炭治郎。あなたの方がとても優しいわ。私なんかより、よほど」

 

「ありがとう、なえ。でも、なえ……自分のことをそんなふうに言うのはよくないぞ。それに、優しさは比べるものじゃないと思うんだ」

 

「そう……そうね……。でも、炭治郎はとても優しいわ……!」

 

「なえ……! なえもすごく優しいんだぞ?」

 

 そして、私たちはお互いのことを褒め合うことになる。そんなことになってしまったから、伊之助くんは居ずらそうな雰囲気で、私たちから顔を背けてしまう。

 

 そこから、休憩を挟みつつ、鬼がいるという目的の山まで私たちは走った。

 那田蜘蛛山。それが私たちの次の目的地だった。

 

「近いわね……」

 

 山の麓。日が暮れ、雰囲気が物々しい。

 

「なえ、あれ……」

 

 炭治郎が見ている先には、黄色い塊がいた。地面に蹲っているのだから、遠目には黄色い塊にしかみえない。

 

「はぁ……またなのね……」

 

 私は呆れてしまう。鼓の鬼の屋敷のときでもそうだった。そう簡単に、人は変わらないか……。

 

 その黄色い塊は、私たちを見つけると、全力で走り寄って来た。

 

「善逸……!!」

 

「炭治郎……ぉ! なえちゃん……! 聞いてくれよ……ぉ! あの山から、怖い感じがするから……! 俺は行きたくないって言ったんだ! そしたら、みんな、俺のことを置いて行ったんだ……!」

 

「みんな? 善逸くん。落ち着いて……。ここに来たのはあなただけじゃないの!?」

 

 何人もの隊士がこの山に任務に来ている。それならば、自ずとこの山に居る鬼は、かなり強い鬼ということになる。

 

「なえちゃん……。そうなんだ……十人くらいでこの山に、昨日の夜、来たんだ……。みんな……まだ帰ってきてなくて……」

 

「そんな……」

 

 十人。もしかしたらそれ以上、この山に隊士が集まっている。そこまでして倒せない鬼。そうなると、ここには、十二鬼月がいるかもしれない。

 

「昨日から……? 昨日からずっと、ここに蹲っていたのか……?」

 

「……うん」

 

 な、情けない。帰らなかっただけ、まだマシかもしれないけれど、それでも、ずっとあんな道の真ん中にいるのは、どうかと思う。

 

「善逸……腹、空いてないか……? ご飯はどうしたんだ……?」

 

「おにぎりがあったんだ……。それでも、もうなくなったから……」

 

 善逸くんがお腹をおさえる。

 こんなところにずっと居たわけだから、自業自得だろう。

 

「はぁ……。私の、分けてあげるわ……」

 

 藤の花の家紋の家でもらったおにぎりだった。一つだけ、とっておいてあったわけだけど、こうなるとは思わなかった。

 

「ほら……善逸……。俺のも食べていいぞ……? それに、水だ。ゆっくり食べるんだぞ?」

 

「うん……。なえちゃん……。炭治郎……。ありがと……ぉおお」

 

 涙を流しながら、善逸くんはおにぎりを食べていた。

 全くだ。

 

「フン……! 俺のは、ねぇぞッ! ……もう全部食べたッ!」

 

 なぜか自慢げにそう言う伊之助くんだった。

 

 善逸くんが食べ終わるのを待つ。その間に、山を見つめる。

 

 怪我も完治したし、不足はない。唯一不足があるとすれば、私の隊服だ。

 藤の花の家に泊まっている間に、寸法が合っていないという趣旨の手紙を添えて、正確に寸法を書き、送ったのだけれど、やってきた隊服は寸法が前と変わらないものだった。これが正しい寸法だという手紙も添えられていた。

 

 相変わらず、胸元が空いてしまう隊服だ。少し不安が残るのだけれど、今言っても、どうにもならない。

 

 鬼が居るというのなら、どんなに鬼が強くとも、この山に進むしかない。

 そして、一人でも犠牲が出る前にその鬼を倒す。それしかない。

 

 呼吸を整え、前に進むだけだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ビチャビチャと、生の肉を掻き回すような音。グチャグチャと、生の肉を()む音がする。

 

「僕に何の用?」

 

 私の本体と比べたら、それほどでもないけれど、それなりに強いだろうと思える鬼だった。

 

「これから、ここに鬼殺隊の隊士が来るのよ。いいえ、もう来ているようだけれど、新しい隊士がくるの! そこでお願いなんだけど……そこにいる、なえって、女の子は、殺さないでほしいのよ! それで、もし捕まえたら、私に譲ってほしい……!」

 

「どうして僕が、そんなお願いを聞かなきゃならないんだい?」

 

 顔をあげて、血だらけの口まわりのまま、鬼はこちらを向いていた。

 

「どうしてって、私は上弦の弐! 十二鬼月! 十二鬼月でないあなたより、よほど偉いわ!」

 

「…………」

 

 ミシリと、音がする。

 鬼は隣にあった木を拳で叩いて、幹を砕いていた。顔を見れば、どうやら怒っているようだった。

 

「……ひっ……!」

 

「僕は一刻も早く十二鬼月に戻らなくちゃならない……。あぁ……全部、母さんたちのせいだ……。母さんたちが弱いから、あの壺の鬼に負けた……。いや、あんなふうに負けるだなんて……僕の母さんじゃない……! 家族じゃない! だから、殺したんだ……!!」

 

 頭のおかしな鬼だった。早く会話を切り上げたかった。

 

「いい? なえは殺さないの! 胸が普通の子より大きな女の子だから、よろしくね!」

 

 さっさと私はこの鬼から離れようとする。

 

「あぁ、あのお方に言われたんだ……。今まで甘やかしていたが、十二鬼月でさえなくなるとは、失望した……機会を与える、人間を喰らいより強くなれって……。前の母さんは駄目だったけど……ねぇ、僕の新しい母さんにならない?」

 

「……あっ……」

 

 糸……!? 気がつけば、吊るされている。対応している暇がなかった。

 

「上弦の弐っていうのは、やっぱり嘘だったんだ……。あの上弦の弐が、こんなに弱いはずがない。姿だけは似ているから……鬼の力で真似たんだろう? それでも、こんなに小さくはなかった……」

 

「ち、違うわ! 今の私は、こんなにちんちくりんだけども……! 本体はちゃんと大きいわ! 私は分身なの! 本体なら、あなたなんてこてんこてんよ!!」

 

 もちろん、本体の私なら、こんな糸の攻撃はどうってこともない。血鬼術で、こんな鬼、すぐにカラッカラにできる。

 

 ただ、分身の私には、その血鬼術を使う体力がない。

 なえから、もう少し血をもらっておけばよかった……。

 

「うるさいなぁ……。少し黙っててくれないか?」

 

「……い……痛い……! やめて……っ、痛い!」

 

 糸が食い込んで、身体から血が流れる。

 このままではまずい。一度体勢を整えようと、身体をドロドロに崩して地面に逃げ込もうとする。

 

「へぇ……そういう血鬼術なのか……」

 

「……!?」

 

 大量の糸が飛んでくる。

 宙吊りの体勢から、崩した身体が地面に達する前に、糸で作られた繭で囲まれる。なにも身動きが取れなくなる。

 

「少し、そこで大人しくしているんだ……。抵抗をするようなら、日光で炙るから……。僕は嫌いなんだ……自分の役割をちゃんと弁えないやつは……」

 

 繭の外から声が聞こえてくる。

 悔しい……。この程度の鬼に、この私がやられるだなんて……。

 

 なえ……ごめんなさい……。また、守れない……。

 

 

 

 ***

 

 

 

「よく頑張って戻ってきたね……」

 

 そう鴉を労っていた。

 強い鬼ともなれば、鬼殺隊のこともある程度は知られている。鬼殺隊が鎹鴉を使い、情報を共有していることも。

 だからこそ、鬼との戦いでは、鎹鴉も命がけだった。

 

「…………」

 

「私の剣士(こども)たちは、ほとんどやられてしまったのか……十二鬼月がいるかもしれない……柱を行かせなくては……」

 

「………」

 

 御館様はそう仰った。十二鬼月が相手となれば、一般の階級の隊士では、ほとんど相手にならない。

 

 人は鬼に敵わない。力の強さ、再生力、持久力……そのどれもを鬼は人を凌駕する。長く生きた鬼であればあるほどに……。

 

 だが、単独で十二鬼月の下弦を倒すほどの力が柱にはある。それほどの力を持った隊士が柱になる。

 

「真菰……。しのぶ……」

 

「御意」

 

「はい!」

 

 水柱として……私は十二鬼月を倒す実力は、あるのだろうか……。

 

 倒した鬼は五十を超える。

 前任である冨岡さんの推薦によって、私は水柱になった。

 

 けれども、十二鬼月を倒したわけではない。十二鬼月を倒し、柱に就任した人たちと比べると、私は見劣りしてしまう。

 それに、冨岡さんの方が強い。一度も冨岡さんには勝てていなかった。

 

 冨岡さんが引退した理由は、昔負ったという怪我だった。

 全力を出せばどうなるかわからない、そんな状態で柱を名乗るよりはと私が柱になった。

 冨岡さんの方が強いんだけど……。

 

「鬼も、人も、みんな仲良くすれば良いのに……。真菰さんもそう思いません?」

 

「……そうだね……。そうだったら良いね……」

 

 胡蝶しのぶ。

 柱だった姉が鬼になって、その鬼に精神を歪められた。そのせいで、時折こんなことを言ってしまうようになったらしい。

 

 ただ、鬼殺隊として、何体も鬼を殺して……鬼に決して情けはなかった。

 

 なんにせよ、犠牲を一人でも減らすためにも、一刻も早く向かわなければならなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「応援に来ました。階級・癸、竈門炭治郎です」

 

「……!?」

 

 隊員を見つけ、炭治郎が話しかける。まず、情報の共有が必要だった。

 善逸くんは、おにぎりを食べた後も、ごねて、けっきょく来なかった。

 

 今居るのは、炭治郎に、伊之助くんだ。

 

「同じく階級・癸、なえです。状況の説明をお願いします」

 

「だ、だめだ……。癸じゃ……何人いたって同じだ……意味がない……」

 

「意味がない……? そんなに強い鬼がこの山に……? どんな血鬼術を……?」

 

 確かに、癸は一番下の階級だ。一番下ということは、鬼殺隊でも実績が積まれていない隊士だということでもある。信用ができないというのも無理はない。

 けれど、人数は武器だ。普通なら、全く意味がないということはない。人数の有利をものともしないほどに強い鬼がいる、そういうことだろう。

 

「わ、わからない……。この山に、俺の隊は十人で入ったんだ。けど、少し経って……気付いたら……一人ずつバラバラに肉片にされてて……殺されていたんだ……」

 

「……バラバラに!?」

 

「俺は……俺は……」

 

 逃げて来たのだろう。先輩の隊士は、自責の念に駆られたような表情で俯いていた。

 

「炭治郎。私たちの手には負えない鬼が居るかもしれないわ。どうする?」

 

「いいや、なえ……。今も被害が出続けている。俺たちが向かわなければ、もっと多くの人が犠牲になるかもしれない。一刻も早く、その鬼を倒そう」

 

「そうね……」

 

 勝てるかどうか、それはその鬼と戦ってみてわかることだ。こんなところでグダグダと考えていたって仕方ない。

 

「フン……だ! 俺さえ居れば、どんな奴だろうと関係ねェ……! 俺が先に行ってやるぜ!」

 

 伊之助くんも、戦意はまるで衰えていない。

 これでは、少しでも立ち止まろうとした私が馬鹿みたいだ。

 

「ま、待ってくれよ! 癸じゃ、死にに行くようなものだ。やめた方がいい!」

 

「うるせェ! だったらお前は、そこで這いつくばってのたれ死んでろ!」

 

「ひっ……!」

 

「やめろ伊之助……」

 

 伊之助くんは、私たちを制止してくれた先輩の隊士に掴みかかって、炭治郎の抑えられていた。

 

 この賑やかさに、少しだけ気分が紛れる。

 鬼がどんな手段で攻撃をしてくるかわからない以上、気を引き締めて、警戒をして進まなければならない。だが、決して警戒が怠られるという意味ではなく、緊張がいい意味で解れる。

 

「……!?」

 

 気配がする。

 

 全員が無言になり、あたりを見渡す。

 

「へぇ……あの鬼が言っていた、なえっていう隊士は君のことか……」

 

 上だ。

 鬼が、宙に浮いて、私たちのことを見下ろしている。

 白い髪に白い肌、白い服。子どもの背丈で男の鬼。

 

「お前が……!?」

 

「あの鬼が欲しがっていたからには、何かあるんだろう? ……いいよ? あの鬼には僕の母さんになってもらうつもりだから、話してごらん? どうして、あの鬼が君のことを欲しがっていたのか」

 

 宙に浮いていた鬼が、地面に降りる。

 その動きから、何か空に足場があったように感じ取れる。

 

 目を凝らす。月の明かりを反射したような、一筋の光が空に見える。

 糸……その鬼は空に、蜘蛛の巣のように張り巡らされた糸の上に立っていたんだ。

 

「意味がわからないわ……」

 

 あの鬼、というのは上弦の弐のことだろうか。

 だとしても、母になってもらうだなんて、本当とは思えなかった。それほどまでに親しいのなら、私のことを知っていてもおかしくはないはずなのに……。

 

「お、丁度いいくらいの鬼がいるじゃねぇか」

 

「…………」

 

 茂みから、隊服を着た男が現れる。余裕な表情で、日輪刀を構えていた。

 

「こんなガキの鬼なら、俺でも殺れるぜ」

 

「…………」

 

 この鬼が放つ威圧感は、凄まじいものだった。それなのに、ものともせずに、その隊士は語っていく。

 

「俺は安全に出世したいんだよ。出世すりゃ、上から支給される金も多くなる。隊は殆ど全滅状態だが、とりあえず俺は、そこそこの鬼一匹倒して下山するぜ」

 

 そのままに、その男は子どもの鬼めがけて剣を振りかぶる。

 

「やめろ! よせ! 君では!」

 

 先輩の隊士はそう叫んだ。

 

「……が!?」

 

 けれど、遅い。目の前の鬼が腕を振り、一瞬で挑みかかった隊士がバラバラの肉片になる。

 

 死んだのだ。

 

「…………」

 

 その一瞬の出来事に、皆が言葉を失っていた。

 

「僕はあの鬼が君のことを狙う理由を聞いているんだ。ねぇ? 早く答えなよ?」

 

 何事もなかったかのように、鬼は私にそう問いかけ直す。

 

「……それは、私が稀血だからよ?」

 

 こう答えれば、鬼は躍起になって私のことを狙ってくる。後戻りはもうできない。

 

「そうか……。今日は、僕は、運がいいみたいだ……。新しい母さんも見つかるし、これまで殺した隊士に、きっと君のことを食べれば、また十二鬼月にも戻れるだろう」

 

「……!?」

 

 この鬼は……元十二鬼月……。鼓の鬼も確かそうだった。

 十二鬼月でないのに、鬼はこんなにも簡単に隊士たちを殺せるのか……。

 

「テメェ、ごちゃごちゃうるせぇんだよ!! うおおお!」

 

「よせ、伊之助!! 一人で向かうな!!」

 

 ――『獣の呼吸・弐ノ牙 切り裂き』!!

 

 連携なんて考えずに、伊之助くんが一人で鬼に突貫していく。まずい。

 

「君とは話してないんだ。邪魔しないでよ?」

 

 伊之助くんの剣戟を迎え討ったのは、糸……糸での攻撃だった。

 

 鬼が手を振るとともに、その手から放たれる糸が鞭のようにしなり、伊之助くんの刀を防ぐ。

 

 いや、防いだだけではない。

 

「……んが!?」

 

 刀が、伊之助くんの刀が折れる。

 伊之助くんは両手に二本の刀を持っていたが、そのどちらともが、糸に触れて、中程から切り裂かれた。

 

「伊之助!!」

 

 刀が折られた。だが、勢いを衰えさせず、しなる糸は伊之助くんをなおも襲う。

 

「クソが……!」

 

 身を翻して、糸の攻撃を伊之助くんは躱す。

 

「……なら、これはどうかな……?」

 

「……ッ!」

 

 二本三本と襲う次の攻撃に、伊之助くんは、かろうじてと言ったように、避ける。連続する攻撃を避ける姿勢に無理が増え、伊之助くんは、おおよそ人間には行えるとは思えない凄まじい体勢になる。避け切る。

 

 だが、そこからの攻撃に、伊之助くんは身体の平衡を崩し、倒れる。

 

「まずい……!!」

 

 私も、炭治郎も、同時に走り出す。

 遅れてしまったが、今、援護をしなければ、伊之助くんは死んでしまう。

 

「……あ……」

 

 腕の一振り。

 横に一筋、一本のしなる糸。刀での防御は通用しない。刀の方が斬られてしまう。伏せて糸の攻撃をかわす。同時にその糸は、私の隣で走る炭治郎も襲い、回避を強要する。

 

 たった一本の糸で、私と炭治郎の二人の動きが一手遅れる。

 

「……グハ……ッ」

 

 伊之助くんが、鬼によって蹴り上げられた。

 同時に、鬼が手を翳すことにより、大量の糸が、伊之助くんのことを囲う。

 

「…………」

 

 地面には、蹴られた衝撃で外れてしまった猪の顔の被り物だけが残る。繭のようなものに、伊之助くんは閉じ込められてしまった。

 

「なによ、それ……」

 

「流石に僕も、一度に大量の人間は食べられない。こうやって、糸で包んで、中を溶解液で満たして、どろどろにして後で食べるんだ。安心しなよ? 稀血の君は、すぐに食べてあげるから」

 

「な……」

 

 とりあえず、伊之助くんがすぐに殺されないことは、不幸中の幸いか。すぐにこの鬼を倒して、助け出せばいい。

 

「前は姉さんがやっていたけど……あんな姉さんはもういらない……だから、殺した。姉さんにできることは僕にもできるんだ。ああ、早く新しい姉さんも見つけないと……」

 

「何を言っているんだ? 殺したって、家族なんだろう?」

 

 鬼は意味のわからないことを言って、すぐに炭治郎は反発をする。炭治郎は、家族をとても大切にしているからだろう。

 

「いいや、あんなのは家族じゃない。母さんも、姉さんも、父さんも、兄さんも……。あの鬼を前に僕を見捨てた。……裏切った……!! 守らなかった!! 父さんも、母さんも、家族なら子どもを守るはずだ……。兄さんも、姉さんも、下の兄弟である僕を守らなかった……」

 

「…………」

 

「だから、あんな家族もういらない……。みんな、日光で炙って殺してあげたんだ。あれだけ絆を繋いだのに……。恐怖の絆だよ? 僕に逆らえないはずだったのに……ッ!」

 

「恐怖? そんなものは絆じゃない!! 紛い物……偽物だ! 互いの強い信頼こそが絆なんだ!!」

 

 反論をする炭治郎だ。

 やっぱり、炭治郎は炭治郎だった。

 

 その炭治郎の言葉に、鬼は怒りを浮かべる。

 

「ねぇ、もう一度言ってみなよ? お前、今、なんて言ったの?」

 

 凄まじい威圧感だった。

 肩にかかる重圧は、あの鼓の鬼の比ではない。単純に抑えられていたからだろうけれど、あの上弦の弐でも、これほどの威圧感を受けたことはなかった。

 

「ああ、何度でも言ってやる! お前の絆は偽物だ!」

 

 それでも、炭治郎は啖呵を切る。

 すごい。

 その姿に、私の心は揺さぶられる。

 

「お前、刻むから……。その言葉を取り消すまで、殺さない程度に刻んで、いたぶってあげる……」

 

 鞭のようにしなる糸が、狙いを完全に炭治郎に絞ってそこに襲いかかる。

 

「……くっ」

 

 必死に避ける炭治郎だが、これでは時間の問題だった。伊之助の二の舞になってしまう。

 

 だが、炭治郎が一手に鬼の攻撃を引きつけてくれているおかげで、私は自由になる。

 炭治郎が、私に目で合図をした。

 

 ここで決めるしかない。

 一刻でも早く倒して、伊之助くんを救い出す。私が今ここでやるしかない。

 

 呼吸を深める。

 全神経を集中させて、この一撃に全てを注ぐ。

 

 

 ――()()()

 

 

 駆け出す。速く……風のように。私の人生での最高の一撃を、今ここで。

 

 

 ――『風の呼吸・捌ノ型 初烈風斬り』!!

 

 

 間違いなく最高の瞬間に、最高の刀の入り方。

 風の刃と共に、確実に私の一撃、鬼の頸を捉える。

 

「う……うぅ……っ」

 

 間違いなく、渾身の一撃だった。今までで、振ってきた中で、一番に威力があったはずの斬撃だった。

 

「君たちなんかの攻撃で、僕の頸が斬れるわけがないじゃないか。愚かだねぇ……だから、腹が立つ方を先に殺そうと思ったのに……」

 

 刃が、通らない。

 私の最高の一撃は、この鬼の頸の皮一枚も削れずに、止まっていた。

 

「まだ……!!」

 

 もう一度、剣を振るう。何度でも、何度でも、諦めるわけにはいかない。ここしかない、そんな状況だったのに、決め切れないだなんて、そんなことがあっていいはずがない。

 

「しつこいなぁ……」

 

「……うぐ……っ」

 

 刀を躱され、殴り飛ばされる。

 ミシリと音がする。感じた衝撃に痛みを感じる暇がない。血の味で口の中が満たされる。

 勢いのままに木にぶつかり、そのまま私は地面に伏す。

 

「なえ……!!」

 

 私は力になれなかった……。役に立たなかった。

 そんな私を心配する声がする。

 

「お前も、もういいよ……」

 

 炭治郎に、たくさんの蜘蛛の糸が襲う。あれでは、炭治郎は避け切れない。

 

 また、だ。また私の無力で、大切な人を失ってしまう。

 悔しくて、悔しくてたまらない。なのに、身体が動かない。

 

「……ッ!」

 

 血が飛び散る。

 また、だ。また私は失ってしまった。私ももうすぐ……。

 

「禰豆子……ぉおお!!」

 

 声がする。炭治郎の声だった。

 幻聴かとも思ったが、違う。見れば、飛び散った血は、炭治郎のものではない。その妹の鬼、禰豆子ちゃんが、炭治郎の背中の箱から飛び出して、炭治郎のことを庇ったようだった。

 

「……!!」

 

 鬼は、何故か動揺して、動きを止めている。

 

「禰豆子、禰豆子……!」

 

 炭治郎は茂みに、素早い動作で妹の鬼を隠す。すぐに茂みから出て、鬼を睨んだ。

 

「……妹は鬼になってる……それでも一緒にいる……妹は兄を庇った……身を挺して……?」

 

 ぶつぶつと喋る鬼は、気味が悪かった。

 

「……くっ……」

 

 炭治郎は、後ろが気になる素振りだが、決して鬼から目を離さない。私にも気を遣っていることがわかった。

 本当は、傷つけられた妹につきっきりでいたいだろうに、やられそうな私を慮り、こうして鬼を睨んでいる。

 

「本物の絆だ……っ! 欲しいっ!!」

 

「…………」

 

 意味がわからないことを鬼が言う。それには、炭治郎も困惑しているようだった。

 

「坊や。このまま戦えば、君たちは死ぬことになる。あの繭に包まれた子も、そこの稀血の子も、茂みに隠れている隊士も、君もだ。悲しいよね、そんなことになったら……。けど、それを回避する方法が、一つだけ……一つだけある」

 

「……なにを言ってるんだ……」

 

 今までと打って変わって、優しい口調で、諭すように、鬼が語る。それが、どうしようもなく気持ち悪い。

 

「僕は君たちの絆を見て、身体が震えた。感動した。どんな言葉も、この感動を表現できない……だから、君の妹……その妹を、僕にくれない?」

 

「……!?」

 

「大人しく渡せば、君たちの命だけは助けてあげる」

 

 狂っているとしか思えないような提案だった。今の出来事で、どうしてそうなるのかが理解できなかった。

 

「意味がわからない……」

 

 炭治郎も、私と同じだ。鬼の提案に、困惑と怒りを隠せずにいる。

 

「君の妹は、僕の妹になってもらうんだ……今から」

 

「禰豆子は物じゃない! 自分の思いに意思もある!」

 

「そうか……でも、死ぬよ? このままじゃ、全員……君も、君だけじゃなく、みんな……」

 

「……っ!?」

 

 鬼は、この場にいる隊士たちを全員人質に取った。そのせいで、炭治郎の顔に一瞬の迷いが生まれる。

 

「炭治郎! 応じる必要はないわ! 鬼殺隊の隊士はみんな、鬼との戦いで、死ぬことを覚悟している! 侮辱するな! 馬鹿なことは考えるな! 私たちの顔に! 泥を塗らないで!!」

 

「……っ!!」

 

 振り絞って、声を出す。炭治郎が、もし、妹を差し出して、助かったとして、明日から私たちは、どんな顔をして生きて行けばいいって言うんだ。

 

「うるさいなぁ……」

 

 糸が私を襲う。

 痛みでまだ立ち上がれない。身を捩って避ける。だが、完全には避け切れず、左腕に痛みが走る。少し掠ったようだった。

 

「ありがとう。なえ! そうだ……っ! どんなに脅したって、禰豆子はお前の物になんか、なりはしない!! それにお前の頸は、俺が斬る!! そして、みんなを助ける! 必ず!!」

 

「そうか……。僕に勝つつもりなのか……でも、もう()ったよ?」

 

 糸に引っ張られ、茂みから禰豆子ちゃんが引き摺り出される。そのまま、鬼の腕の中に、禰豆子ちゃんはおさめられる。

 

「んぅ……! んん……!!」

 

 禰豆子ちゃんも、無抵抗なわけでもない。鬼の腕に押さえつけられながらも、脱しようともがいていた。

 

「禰豆子を……返せ……っぇええ!」

 

 怒りのままに、炭治郎は鬼に向かっていく。斬りかかる。だが、迎え討つ糸の攻撃に、炭治郎は躱すしかない。

 その炭治郎に攻撃している隙を突いて、禰豆子ちゃんは鬼の顔を引っ掻く。

 

「……まだわからないのか……?」

 

 一瞬だった。炭治郎が回避行動を取り、目を離した一瞬で、鬼の糸に縛られ、禰豆子ちゃんは宙に釣り上げられる。

 

 炭治郎は、視界から消えた最愛の妹を探し、左右を見渡す。どろりと、空から血が流れ落ちる。それに気が付き、炭治郎は見上げる。宙に釣り上げ縛る糸が禰豆子ちゃんの体に食い込み出血していた。

 

 その姿に、炭治郎の怒りが増す。

 

「禰豆子……!!」

 

「鬼でしょ? この程度で死ぬわけじゃない。でも、もう僕の妹だから、従順になってもらおう。このまま出血させる。それでも駄目なら、日光で、少し炙る」

 

「ふざけるな……!! 禰豆子を……! お前の好きには……っ、させるものか……ぁあ!!」

 

 そのまま炭治郎、鬼に向かう。何度も、諦めずに……。

 呆れたように、鬼は糸をもう一度振るう。

 

「……な!?」

 

 外した。炭治郎への攻撃を、鬼は外す。なぜか、鬼は一瞬だがふらついていた。

 その隙に、炭治郎は鬼の懐へと入り込む。

 

 ――『水の呼吸・壱ノ型 水面斬り』!!

 

「くぅ……っ!!」

 

 頸への一閃。だが、やはり硬い。

 私の時と同じように、その頸には刃が通らない。

 

「やっぱり、君じゃ、僕には勝てない」

 

「ぐ……。が……っ」

 

 殴られ、蹴られ、炭治郎は、相当な距離を吹き飛ばされる。いくつもの木々の間をくぐり抜け、ものの数秒では、戻って来れない距離だった。

 

 そして、鬼は、私の方に顔を向ける。

 

「…………」

 

「これは、君の血だろう?」

 

「…………」

 

「君の血が気になって、気が散る。さっきは攻撃を外してしまった……。どうやら、君は早く食べないといけないみたいだ」

 

 そう言って、鬼は私に糸を振るった。

 逃がさないつもりなのだろう。蜘蛛の巣のような形の糸の壁が、前から迫ってくる。これは避けられない。

 

 私は死を悟った。

 

 

 ――()()()

 

 

 いや、そうじゃない。

 

 

 ――『水の呼吸・拾ノ型 生生流転』!!

 

 

 私の前に踊り出た炭治郎が、回転をしながら、目の前に迫る糸を切り裂く。

 糸が切れる。

 

 伊之助くんの刀を折ったこの鬼の糸は硬い。私たちの攻撃では、刀の方が折れてしまう。けれど、炭治郎は斬った。鬼の糸を斬った。

 

 そのまま、炭治郎は鬼に向かう。

 その炭治郎の技は、回転と共に、威力が上がっているようにみえる。一度離された距離を助走に使い、私を助けるために一瞬で詰め、炭治郎は諦めずに戻ってきたんだ。

 

「うぉおおお!!」

 

 いける。

 この攻撃ならば、あの鬼の頸を斬れる。このまま距離を詰めていければ、勝てる。炭治郎なら、きっと勝てる。

 

「ねぇ、糸の強度は、これが限界だと思ってる?」

 

 ――血鬼術『刻糸牢』……。

 

 鬼の操る糸が血で赤く染まる。

 血で染まった糸の牢獄が、炭治郎を八方から包み、狭まり、刻もうとする。

 

 今の回転では、この糸は……。

 あぁ、炭治郎が死んでしまう。

 

「なえ……なえって、あの耳飾りの子のことが好きなの?」

 

 炭治郎に、神楽を見せてもらったあと、小さな(ハツ)()様は、私に近寄って、そんなことを言った。

 

「…………」

 

 私は答えない。答えられないことだった。

 

 小さな(ハツ)()様は、慣れたように、私のことを軽く引っ掻くと、滲んだ血を舌で舐める。

 

「やっぱり……。なえは、あの耳飾りの子のことが、好きなのねっ!」

 

「…………」

 

 (ハツ)()様は、血の味で、人の感情がわかる。だから、こんなふうに、私の心もお見通しだ。

 

 それでも、結婚相手は(ハツ)()様が決めることだ。この小さな(ハツ)()様は、私に苦言を呈してくる。そう思った。

 

「なえ……ふふふ、いいわよっ! とてもいいわ! あの耳飾りの子と結婚しなさい? ええ、そして私の里で一生暮らすの! 子どもたちも、その子どもたちも、私が絶対に守る……二度と剣には触れさせないわ! ねっ、とてもいいでしょう?」

 

「……!?」

 

 この小さな(ハツ)()様が、そう勧めるとは思わなかった。やっぱり、(ハツ)()様はとても優しくて……私は涙を流してしまう。

 

 でも、私は村には戻らない。

 普通の女の子ならば、結婚して、子どもを産んで……そんな未来を思い描けただろう。

 

 私は、稀血だから……鬼に常に狙われる。私の子どももそうなって、不自由を味わわせてしまう。それは、駄目だ。

 藤の花の御守りも、万が一がない保証がない。身につけるのを忘れてしまったり、もしかしたら、それをものともしないような鬼が現れるかもしれない。

 

 だから、私は……私は……。

 

「大丈夫、なえ?」

 

 ただ、泣いている私は、小さな(ハツ)()様に、優しく抱き締められていた。

 

 あぁ、本当に、悔しかった。

 

「なえ、この舞は、一年、火の仕事で怪我や災いが起きないよう、一晩中、繰り返して舞って、ヒノカミ様に捧げる舞なんだ」

 

 炭治郎は、そう言って、舞を私に見せてくれる。とても綺麗な舞だった。

 

「そうなの……それを、ずっと、耳飾りと一緒に受け継いできたのね……」

 

「あぁ……俺はまだまだで、一晩中この舞を続けることができない。父さんは……身体が弱かったのに……寒い雪のなか、一晩中舞い続けることができたんだ」

 

 そう喋って、舞いながら、炭治郎は息を切らし始める。まだ舞い始めてそれほどの時間は経っていない。それでも、炭治郎の消耗具合は凄まじかった。

 

 舞には、体力を奪う激しい動きがいくつもある。それなのに、これをずっと繰り返し続けるなんて、にわかには信じられない。

 

「本当に……それを一晩中……?」

 

「息の仕方があるんだ。どれだけ動いても疲れない、呼吸の仕方が……父さんはそう言ってた」

 

 舞い続けて、確かに炭治郎は独特の呼吸で息を整えようとしていた。けれど、上手くいっていないのか、どうしても息を切らす瞬間がある。

 

「なんだか、全集中の呼吸みたいね……」

 

 私は呟く。炭治郎には、聞こえていないようだった。

 

 特別な呼吸という意味では、似たものがある。

 だけれども、全集中の呼吸は、疲れないというよりも、強い力を発揮するための呼吸だ。少し違う。

 

 炭治郎の耳飾りは、始まりの剣士のもの。その剣士が使っていた呼吸が、今、もしかしたら炭治郎に伝わっているそれなのかもしれない。そうだったらいいなと思った。

 

 炭治郎の舞いを眺める。

 見ていて飽きない。一晩中、ずっと眺めていられそうな、そんな綺麗な舞だった。

 

 あぁ、だから――

 

 

 ――『()()()()()() 円舞』!!

 

 

 赤く染まった糸を斬り裂き、炭治郎が前に進む。

 一度、見たからわかる。あの時の舞だ。呼吸も変わって、あの時の呼吸。

 

 その刀の一振りに、水ではなく、暖かい()を幻視する。

 

 血に染まった糸はけしかけられる。けれど、炭治郎はものともしない。

 糸が身体に掠り、血が流れる。そんなことは気にも留めず、目の前に立ち塞がる糸だけを斬り、炭治郎は、前へ、前へと進んでいく。目の前の絶望も、炭治郎は断ち切って……。

 

「……くっ……!」

 

 たまらずに鬼は後退する。糸を操り、炭治郎を止めようとする。だが、炭治郎は止まらない。止まらなかった。

 

 鬼への攻撃を、刀だけでもと通そうとしている。自らの身体がどうなろうとも、この鬼の頸だけは絶対に、斬る。そういう覚悟だとわかった。

 

 相討ちになる。

 

「あぁ……あぁ……」

 

 まただ。また、私は()()()()を失ってしまう。私の刃が、あの鬼の頸に届いたときもあった。だが、斬れなかった。私がもっと、強ければ……私がもっと……。悔しい。悔しくてたまらない。

 

 それでも、動け……。立て、立つんだ……。

 まだ、まだきっと、できることがある。刀を握って、もう一度、炭治郎のために、そのためだけに私は振るう。

 

 ――『風の呼吸・肆ノ型――』。

 

 違う。

 直感する。

 

 風の刃で、炭治郎のことを守ろうとした。

 けれど、私の風の刃は弱い。刀自体の斬撃よりもだ。刀を切り裂く糸には決して通じない。ましてや、あの鬼の血に染まった赤い糸は……。

 

 だから、変える。

 

 炭治郎の呼吸に、感じた。

 私の刀の色は紫、風の呼吸の緑ではない。風の呼吸は、私の身体には、きっと合っていないのだ。

 

 真似をする。炭治郎の呼吸の真似。ただ、それでは意味がない。炭治郎の呼吸も私には合っていない。

 

 もっと、自然に。()()()()()()()()()()()だ。

 

 剣の巻き起こした、風の刃が形を変える。弧の形で、()(がね)色に輝いて。

 

 ――『破鏡の舞 払暁・散残月』。

 

 糸を斬り、私の作った黄金色の刃は、炭治郎のもとへと届く。

 相討ちにはさせない。炭治郎を刻もうとする糸は、全て私の刃が断ち切っていく。

 

「斬れろ……ぉおおお!!」

 

 私たちを苦しめた、鬼の頸へと、炭治郎のその刃が届いていた。炭治郎が刀を振り抜く。目一杯に、その刀は振り抜かれていた。

 

「は……はぁ……っ、はぁ……」

 

 身体に、限界がくる。

 途中で呼吸を変えた……使ったこともない呼吸を無理に使った代償だった。

 倒れる。刀を握る手に、力が入らない。

 

 炭治郎も同じだった。水の呼吸から、ヒノカミ神楽へ、そう切り替えたせいか、力なく、地面に倒れ伏す。

 

「本当に、お前たちは目障りだ。いいよ、もう殺してあげる」

 

 だが、鬼は立っていた。

 

「は……はぁ……、はぁ……」

 

 炭治郎は、確かに刀を振り抜いた。だが、炭治郎の刀は、根本から折れている。折れた先の刃は、鬼の頸を中程まで斬り、突き刺さったままだった。

 

 鬼は、頸に刺さった刃を手で掴み、引き抜く。その折れた刃を見つめ、忌々しげに顔を歪める。

 

「お前たちは、僕に勝てない。最初から分かりきったことだったんだ……。なんの脅威も感じなかった……。あぁ、君たちは、ここで僕に殺される役割なんだ……少しは自覚したかい?」

 

 鬼は、頸に手を触れる。この鬼の再生力は、かなりのものだった。だが、炭治郎が斬った傷は、気のせいか、まるで再生が始まっていないように思える。

 

「……く……、ぐ……ぅ」

 

 炭治郎が、呻く。

 そんな炭治郎に、鬼は手に握る折れた刃を突き刺そうと、腕を振りかぶった。

 

 まだ、諦めずに炭治郎は刀を握り、呼吸の反動で動かない腕を使い、抵抗をしようとしていることがわかった。

 だけれども、それも……。

 

 

 ――()()()

 

 

 雷が轟いたかのような、そんな錯覚を受ける爆音があたりに響く。

 

 

 ――『雷の呼吸・壱ノ型 霹靂一閃』!!

 

 

「善逸……くん?」

 

「善逸……!」

 

 目にも止まらない速さだった。

 今まで見た、どんな斬撃よりも速い。そして、狙いも正確だった。

 

 炭治郎が斬り、まだ治り切っていない頸にできた鬼の傷に、吸い付くかごとくその刃が食い込んでいる。

 

 だが、相手は私たちを圧倒した鬼だ。炭治郎の渾身の一撃も耐えた鬼だ。

 骨は絶たれ、だが、まだ皮は繋がっている。

 

「驚いた……まだこんな奴が……」

 

 善逸くんでも、もうこれ以上は……。

 止まった刀の勢いに、鬼は冷静さを取り戻し始め――( )

 

 

 ――血鬼術『爆血』!!

 

 

 燃える。

 それは、禰豆子ちゃんの血だった。糸を操る鬼により、出血させられた血は、糸を伝い、善逸くんへと届いていた。

 善逸くんの刀が燃える。その勢いのままに、刀が押され、鬼の頸が宙に刎ね飛ぶ。

 

 わけが、わからなかった。

 けれど、鬼の頸は刎ねた。間違いなく、私たちの勝ちだった。

 

 血が燃えて、一緒に糸も燃えたからか、空からは禰豆子ちゃんが落ちてくる。

 

「禰豆子……!」

 

 そんな禰豆子ちゃんを、善逸くんは空中で拾い上げ、地面に下ろす。そうしたら、すぐに善逸くんも倒れてしまった。

 

 あの善逸くんの一撃は、凄まじいの一言だった。あの一撃に全てを賭したのであれば、倒れてしまうのも無理はないだろう。

 

 なんにせよ、()()()()。あとは、繭に閉じ込められた伊之助くんを助ければいい。私たちは欠けることがなく、あの鬼に勝った。死闘だった。諦めずに、戦った意味があった。

 

 犠牲はあったが、それでも……。私たちが諦めていれば、きっと、もっと多くのものが失われた。だから、少しはこれから私も胸を張れる。そんな気がした。

 

 まずは、息を整えて、動けるように――

 

 ――血鬼術『殺目籠』!!

 

 赤い糸で覆われる。その光景に、自分の目を疑ってしまう。

 

「倒したはずなのに……どうして……」

 

「僕は僕の糸で自分の頸を斬ったんだよ。お前たちに斬られる前に!!」

 

 生きて、いる。

 まだ、倒せていなかった。あれだけ死力を尽くしたのに……。動ける人間が、誰もいない。

 

 鬼は、頸と胴体を改めて繋ぐ。再生が始まる。

 

「……く……」

 

 刀を握る手に力が入らない。立ち上がることも、腕を振ることもままならない。

 

「ああ、こんなにも苛立ったのは初めてだよ……。君たちは、殺す。もう、なにも躊躇う必要もなさそうだ……」

 

 な、何か、何か手は……。

 ここまで、ここまで追い詰めたのに、こんな結末なのか……。

 

 あぁ……。

 

「私が来るまで、よくこらえたね……っ」

 

 赤い糸が断たれる。声がした。女の人の声だった。

 青い刀に、悪鬼滅殺と刻まれた文字。鬼殺隊最高戦力、その柱がそこにいた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 危うく、頸を斬られかけたが、自らの糸で頸を斬ることにより、ことなきを得た。

 あとは、体力を使い果たした、この弱い人間どもを刻めば終わるはずだった。

 

「次から次へと……」

 

「…………」

 

 目の前には女だ。背丈は、あの稀血の女よりも小さい。戦いには、おおよそ向いていないと思える女だった。

 

 これならば簡単に終わる。

 今までの戦いで、苛立ちは振り切れている。手加減をして、戦いを長引かせるような真似は決してしない。

 自身の持つ、血鬼術で跡形もなく刻むだけだ。

 

 ――血鬼術『刻糸輪転』。

 

 そして、血鬼術を放とうとする。

 だが、いない。さっきまで居たあの女は、どこにも居なかった。

 

 ――『水の呼吸・玖ノ型 水流飛沫』。

 

 血鬼術の糸を掻い潜り、気がつけば、目の前にいる。異様なほどに、速い。移動速度に長けているのか……。

 

 刀が振られる。あまりの速さに避けきれない。

 その斬撃を頸にうける。

 

「…………」

 

 だが、浅い。

 斬撃の体勢に角度、刀の振り方、どれを取ろうと今まで見た隊士とは比べものにならないほどの流麗さ。けれど、その一撃を受けもなお、生き残った。

 

「そうか……君のその小柄な体格じゃ、僕の頸は斬れない。残念だったね……いくら速くても、頸が斬れなきゃ鬼は――( )

 

 いくら呼吸で自身の身体を強化する鬼殺隊といえども、体格の影響は受ける。小柄ならば、強化されたところでたかが知れている。意味がない。勝利を確信した。

 

「…………」

 

 ――『水の呼吸・拾弐ノ型 雨垂れ』!

 

「――死なない。君じゃ僕には……。……っ!?」

 

 気がついた時にはすでに遅かった。

 視界に映る景色がぶれる。頸が地面に落ちている。

 

 わけがわからない。

 この体格で、どうやって、頸を……いや、そもそもあの浅い一撃の後、いつ刀を振った。

 

 見えるのは、刀に付いた血を払い、もう決着はついたとばかりに刀を鞘に納める小柄の隊士の姿だった。

 

 どうしてだ。意味がわからない。

 これから、あの稀血の隊士を食べて、十二鬼月に戻るはずだった。あのお方にも、もう一度認められてもらうはずだった。それなのに、それなのに……こんなところで……。

 

 認められるはずがない。

 必死に再生をさせようと試みるが、手応えがない。死ぬ。

 避けられない現実が目の前にある。

 

「かわいそうに……病気なのね……大丈夫。私が治してあげるわ!」

 

 ふと、過去を思い出した。

 患った病により、死の淵に居た自身が救われた時の言葉だ。

 

 その女は、異様なほどに濃い血の匂いを纏っていた。たった少し、会っただけなのに、薬もなく、自身の患う病気を治していった。

 

「そう……病弱な体質なのね……。これでは、私が治しても、すぐに別の病気に罹ってしまう……。さすがに、私でも体質は治せないわ……?」

 

 だが、そんな奇跡を起こすような女にも、匙を投げられる。いや、違う。病に罹る度に治してもらうことなら可能だった。だが、治療のたびに膨らむ支払い。それが一番の問題だった。

 

 積み上がった借金は、とうてい俺たち家族では人生を懸けようと払い切れる額ではなくなる。俺の子どもにも支払わせるならば、治療が続けられるという話にもなったが、まだ幼く、病弱で、子どもができると保証できるわけでもない。だから、治療は打ち切られた。

 

「かわいそうに……私が救ってあげよう」

 

 あのお方が現れて、俺はすぐに鬼になった。

 

 治療をしていたあの女は、鬼だったから、あのお方の一言で借金も全てなかったことになる。

 

 全てが上手くいくと思った。けれど、両親は喜ばなかった。

 

 人の血肉を欲する鬼になったことを、俺の両親は良しとしなかった。挙句には、父親は俺を殺そうとし、母親はそれを止めなかった。俺は返り討ちにして両親とも殺した。

 

 昔、親が子を助け、子の代わりに死んだという話を聞いた。俺はその絆に、親の愛に、感動した。

 

 だが、母親は俺のことを庇わず、父親は命を奪おうとする。きっと、俺たちの家族は偽物だったのだろう。父親に殺そうとされてから、両親のどちらともを手にかけるまではそう思っていた。

 

 違う。俺の親は、俺を殺して、罪を共に背負おうとしてくれていた。一緒に死のうとしてくれていた。

 理解したのは、両親が完全に息を引き取ってからだった。もうなにもかもが遅かった。

 

 本当に欲しいものは、もう手に入らない。

 偽物の家族を作っても、けっきょくは俺が一番強いから、守られることも庇われることもない。

 

 恐怖の絆は……あの鬼狩りの言う通り、本物の絆ではないのだろう。より強い恐怖――( )より強い鬼が現れて、脆く崩れさった。

 だけど、俺には他に方法がなかったから、失敗してもそれに縋るしかなかった。

 

 強くなればなるほどに、人間だったときの記憶は薄れる。なにがしたいのかわからなくなる。

 

「累。今日からお前は十二鬼月だ。より強くなり、私のために励むことだ」

 

 血戦を挑み、十二鬼月になったときだった。それを目にしたのは。

 

 無惨様の隣には、女の鬼がいる。それは、上弦の弐。お金で病気を治していた鬼だ。どうやら、二人で夫婦の真似事をしているようだった。羨ましかった。

 

 鬼同士で偽りだが、本当の夫婦のように見えてしまう。どうしてか、強い本物の絆を感じてしまう。俺もあそこに混ざりたかった。

 

 もっと十二鬼月として、位が上がれば、上弦になれればきっと。そう思って、俺は強くなろうとした。

 

「累。お前には、特別に群れることを、家族の真似事を許していた。目をかけていた。甘やかしていた。だが、どうだ? お前は十二鬼月でさえなくなった。失望した。……機会を与える。より多くの人間を喰らい、強くなれ……累。もう私を失望させるな」

 

 あの壺の鬼にやられ、あっけなく十二鬼月から外された。

 あのお方の不興も買ってしまった。本当に、なにをしてもうまくはいかなかった。どうしようもなかった。

 

 本物の絆に触れれば、心が癒されると思った。記憶にはなくとも、自分は両親を求めていた。

 太陽へと、決して届かない手を伸ばし、焦がれる。

 

 ふと、声が聞こえる。

 

「妹が鬼なの……? えっ! じゃあ、干天の慈雨で殺してあげるねっ」

 

「ま、待ってください! 禰豆子は……っ! 禰豆子は……っ!!」

 

 あの兄妹の絆は本物だった。もう自分が求めても手に入らないものだった。

 

 ――『水の呼吸・伍ノ型 干天の慈雨』!

 

 ――血鬼術『刻糸牢』……。

 

「……!?」

 

 最後の力で糸を動かす。

 もう二度とは手に入らないものを持った二人だ。その二人の絆が少しでも続くよう……糸を……糸を……。

 

 せめてもの、償いだった。願いだった。

 

 沢山の人を殺した俺は地獄に……ああ、俺は母さんと父さんに……。

 

 

 

 ***

 

 

 

「あの鬼……まだ、攻撃をして……。危なかったね……。鬼相手に最後まで気を抜くなって、また冨岡さんに怒られちゃうかな」

 

 違う。強い悲しみの匂いと、償いの匂いが、その糸から感じ取れた。その糸は、俺たちのことを守ろうとしてくれていたのだ。

 鬼の消滅とともに、糸の血鬼術も消えていく。

 

 人を殺したことは許さないけれど、ありがとうと、心の中では感謝を告げる。涙が溢れる。

 

 それでも、禰豆子のために、そちらに気をつかう余裕がない。

 

「冨岡さん! 冨岡さんならっ、きっと禰豆子のことをわかるはずです……! 禰豆子を斬るなら、冨岡さんに話してからにしてください!!」

 

 冨岡さんは、禰豆子のことを見逃し、鱗滝先生を紹介してくれた大恩人だ。

 申し訳ないけれど、禰豆子のためにも、共通の知り合いとして、ここは冨岡さんを使わせてもらうしかない。申し訳ないけど。

 

「え……? 冨岡さんなら、鬼を庇わないと思うけど……。それなりに長い付き合いだから、私にはわかるよっ!」

 

「……な……っ!?」

 

 冨岡さんは役に立たなかった。

 少しだけ、休まったから、このまま禰豆子を抱えて走ることはできる。いいや、意地でも走る。

 

 だけれども、この隊士は異次元の速度で動く。あの糸の鬼を攻撃した際もそうだった。

 この人の筋力では、あの鬼の頸を斬るには足りなかった。けれども、その速度でもって、一瞬のうちに何度も頸を斬りつけることにより、あの鬼の頸を刎ねてみせた。

 

 速度で勝負しても、勝てない。

 

「とにかくっ! その鬼の頸は、斬らせてもらうよ?」

 

 そして、刃が振われる。

 禰豆子を庇うため、強く抱きしめる。禰豆子が斬られるならば、俺も斬られる覚悟だった。

 

 金属音がする。

 覚悟した瞬間はやってこない。

 

「うふふ、ひどいじゃないですか? いたいけな鬼を一方的に斬るだなんて……」

 

「ねぇ、鬼を庇うのは隊律違反だよ?」

 

 女の人が、一人増える。

 蝶の髪飾りを付けた綺麗な女の人だった。

 

「別に庇ってはいませんよ? 少しお話がしたいだけです」

 

 そして、その人は、独特な形状の刀の先を禰豆子に向けた。

 

「…………」

 

「正直に答えてください。その鬼は人を何人殺しましたか?」

 

「禰豆子は人を殺さない! 食べない鬼なんだ! 本当だ! 信じてください!!」

 

 蝶の髪飾りの女の人は、こちらに笑顔を向けた。

 なるほどと、手のひらを叩く。

 

「わかりました。きっとその鬼は、幻覚系の血鬼術で誤魔化しているんです。あぁ、騙されてかわいそうに……。すぐに助けてあげますよ?」

 

「ち、違う……禰豆子はそんなことをしない!!」

 

 理不尽な言いがかりだった。話がしたいと言っていたけれど、これでは強引に、この人が望むような結論に持っていかれてしまう。

 

「大丈夫ですよ? 私は鬼と仲良くしたいんです。でも、人を殺した鬼は罪を償わないといけない。償ってこそ、ようやく仲良くできるはずです。その鬼も、人を殺しましたから、罪を償わせなくちゃならないでしょう? 人を殺した数だけ苦しんで、死んでもらおうということです」

 

「むちゃくちゃだ! 禰豆子は人を殺してない!!」

 

「そうですか……では、本人に聞いてみましょうか」

 

「んんー! ムー」

 

「禰豆子……! 禰豆子!」

 

 まただ。また禰豆子が奪われてしまう。まだ戻らない力では、取り返すことはできず、目の前の女の人に、縋り付くだけになってしまう。

 兄ちゃんが情けないばっかりに……ごめんよ、禰豆子……。

 

「ふふ、何人殺しましたか……? おっと、嘘はいけませんよ? これでも私は、鬼を殺せる毒を開発した、ちょっとすごい隊士なんです。人を食べただけ、毒への耐性もついていく。どのくらいの強さの毒に耐えられるか、試せばいいだけなんですから!」

 

「ムー! ムー!」

 

「しゃべらないのなら、いいですよ? まずは、ひと突き」

 

 独特の形状の刀が、禰豆子に突き刺される。この人の言う毒か、突き刺された部分から禰豆子の身体が変色していく。

 

「んぐ……っ! アガ……ッ!」

 

 痛ましい声を禰豆子が発する。こんなの、あんまりだ。

 

「ふざけるな……放せ! 禰豆子を放せ……ぇええ!」

 

「あら……? 耐えたみたいですよ? どうやら、数人の人間は食べてしまったようですね……。やっぱり、騙されていたんです」

 

 笑顔で振り返り、女の人はそう伝えてくる。その姿はどこか狂気染みていた。

 ともかく、禰豆子は人を殺していない。食べていない。このままでは勘違いが進んでしまう。

 

「違う! 禰豆子は、禰豆子は寝ることで体力を回復する特別な鬼なんだ! その毒に耐えられたのも、きっと眠ったからなんだ……!」

 

「じゃあ、もう一突きですね……っ!」

 

「お願いだから、お願いだから……やめてください!! お願いします……」

 

 これ以上は、禰豆子が死んでしまう。

 

 ――生殺与奪の権を他人に握らせるな!!

 

 冨岡さんの言葉を思い出した。意地でも動いて、禰豆子を取り返すしない。

 

「駄目だよ?」

 

「……!?」

 

 行動を読まれたのか、あの糸の鬼を倒した隊士に取り押さえられる。なにもできなくなる。

 

「ふふ、どうやらこの鬼を助けるために動いたみたいですね! これもこの鬼の血鬼術ですかねぇ」

 

「侮辱するな……ぁああ! 俺と、禰豆子の絆を!!」

 

 笑顔だった。禰豆子をいたぶりつつ、その人はこちらに笑顔を向け続けている。

 だが、ほんの一瞬、重く、苦しいほどの悲しみの匂いがした。

 

 ふと、目の前の女の人を見て、何か思い出しそうだった。どこかで似た人を見たような気がするが、誰だったかが思い出せない。

 

「伝令! 本部ヨリ! 炭治郎、禰豆子、両名ヲ拘束! 本部ニ連レ帰レ! カァー」

 

 鎹鴉の伝令だった。

 

「あっ……仕方ありませんね……」

 

 そして、禰豆子を奪った女の人は、刀をしまう。まだ、まだ禰豆子は大丈夫そうだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「累が死んだ。元下弦だ」

 

「…………」

 

 無限城、琵琶の子の血鬼術で連れてこられたが、無惨様がそうおっしゃる。

 元下弦が死んだ、それだけで呼ばれるのは珍しい。

 

 周りをみる。どうやら、他の上弦はいない。隣に巌勝くんがいるけれど、それ以外に、上弦は呼ばれてはいなかった。

 

「黒死牟、お前と同じ呼吸を扱う者が居た」

 

「申し訳……ございません……。そのような……者……存じては……」

 

「そうか……。まあ、いい。(ハツ)()、お前が奴らの試験で救った者が柱となっていた。累を殺した……」

 

「……!? 申し訳ございません、無惨様。私が至らぬばかりに……!」

 

 なえのためにと、あの山で鬼を間引いた時のあの隊士だろう。まさか、柱になるだなんて、思いもよらなかった。本当に私は愚かでどうしようもない。

 

「ふん……(ハツ)()……。お前が愚かなのは、いつものことだ……。普段の働きに免じ、今回のことは許してやろう」

 

「あ……ありがとうございます……」

 

 私は無惨様の寛大な御心に感動して、泣いてしまう。

 

「柱が一人増えようと、私にはなにも関係はない。黒死牟、お前たちは早急に鬼狩りどもを潰せ。いつも言っている。なぜ、その役割が果たせない?」

 

「申し訳……ございません……。奴らは……巧妙に……姿を隠して……」

 

「早急にだ。鬼狩りを、柱どもを殲滅せよ」

 

「はい……」

 

 琵琶の音がする。巌勝くんは無限城からいなくなった。私と無惨様だけが、この無限城に残っていた。

 

(ハツ)()

 

「はい……」

 

「珠世に、沙華だが……お前の鬼だと思っていい。もちろん……私の呪いが外れたわけではないが、お前が自由に使っていい」

 

「……!? 本当ですか!」

 

「お前は裏切らない。特別に許可しよう……」

 

「……ありがとうございます!!」

 

 そうだ。自由に命令を聞かせられるなら、二人には里の子達を食べないようになってもらおう。二人もいるから、正直、不安だったんだ。

 

 おそろいの髪飾りも買って、仲良くなったから、これからも長い付き合いでいきたい。

 

「これからも、私のために尽くせ、(ハツ)()

 

「はい、無惨様」

 

 私は永久にこのお方についていく。それが私にとって、一番大切なことだった。




 次回、柱合裁判。

 二万字とか、三万字とかで投稿するのは流石に良くないと思ったので、次回から六千字くらいで投稿の頻度を上げて頑張っていきます。

 感想返しはいつも次の話の投稿の一時間前から始めるので、感想は更新通知がわりとでも思って使ってもらっても構いません。ただ、ちゃんとこの作品の感想を書かないと運営様に怒られてしまうので気をつけてくださいね。

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