稀血をよこせ、人間ども   作:鬼の手下

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 人の心は、たやすく変えられると識った――( )





変わる心

 頭蓋骨の中に手を入れて、物理的に脳味噌をいじり、昨日のことを思い出す。

 あれは、昨夜のことだった。

 

 カナエちゃんと親睦を深め、私は彼女のことをとても気に入ってしまった。

 気に入ったからだ。私は私の秘密の蔵に、彼女を招待した。

 

 里の人でも、限られた者以外は立ち入りは許さない場所だから、私は相当、気分が良かったのだろう。

 その前の食事で、ちょっと酔ってたというのも原因の一つに違いない。

 

「見て……すごいでしょ……!? たくさんの血よ? 五百年、コツコツ貯めてきたんだよ……?」

 

 壺だったり、瓶だったりと、時代によって入れ物はまちまち、蓋もされているのだが、立ち込める芳潤な血の匂いが、その中に入っているものを証明する。

 並の鬼なら、蔵に入れば血の匂いで気分が良くなりすぎて動けなくなるだろう。

 

「う……確かに……すごい……。でも、血って、そんなに()つ物なの……?」

 

「ふふ、カナエちゃん。私の血鬼術の力で、腐らないんだよ? それに、固まらないようにしてる!」

 

「……っ!? そんなことができるの?」

 

「簡単。簡単。里の食糧庫の中身だって、私の力で私の生きている限り保存できるんだよ? 私ってすごいでしょ……?」

 

「…………」

 

 カナエちゃんは黙り込んだ。

 感情をうまく言葉にできないような表情で、私を見つめていた。

 

「うーん。これと、これかな……」

 

 血を選んで、持っていく。

 この蔵の中身に手をつけることは滅多にないが、来客があったし、別に良いかと気が緩んだ。

 

「……カナエちゃん。カナエちゃんはお酒飲む? 飲むなら、()()に持って来させるけど」

 

 里にあるお酒は、儀式用だ。人間は、お酒を飲むと血の味が悪くなるから、里の人には特別なとき以外は飲ませない。

 

 でも、私は飲み友達が欲しいと常々思っていた。私は特に、女の子の飲み友達が欲しかった。昔はいたけど、今は行方不明だし、上弦は、男どもか……壺だし。

 

「いえ、お酒は……」

 

「そう、なら甘酒は?」

 

「……じゃあ、いただくわ」

 

 そういえば、今、下弦に女の子がいた気がする。稀血百年分をプレゼントすれば、もしかしたら壺くらいは倒せるようになるかもしれない。

 でも、在庫減らすのは……私の努力の結晶だし……悩ましい。

 

 蔵からでて、()()を呼ぶ。

 たいてい、この時間なら、私の周りをウロウロしてるはずだ。

 

「さー、ゆー」

 

「はい、ただいま……!」

 

 どうやら、私たちのお話を聞いていたみたいだ。食糧庫に歩いて行ってくれる。

 

「あの子は……?」

 

「ふふ、あの子は、この里のとっておきなの! あの子一人で、普通の人の五百人分以上の栄養は確実にあるから、鬼にとってのお宝よ?」

 

「ご、五百っ!?」

 

 普通の稀血で五十から百人分。それと比べれば五倍以上、驚くのも止む無しだろう。

 あの子一人食べれば、鬼になりたてから、下弦くらいの強さにはなれる。まあ、食べさせないけど……。

 

 食べずとも、血の匂いを嗅ぐだけで、頭が冴えて全能感でおかしくなる。こんな子は他にいなかった。

 血を舐めての想定だから、もしかしたら、その身に秘めた栄養も、五百じゃ()かないかもしれない。

 

「ちょっと血をもらうだけでも、百人力ってこと。あの子の先祖も、あの子ほどではないけれど、そうだったの。何百年も繰り返して来たから、私が『上弦』の『弐』、なのもわかるでしょ?」

 

 普通の鬼は、地道に一人ずつ人を食べているから、その成長速度は遅々としたものだ。

 対して、稀血の里の人から血を分けてもらうことを、五百年以上繰り返してきた私は、他の鬼とは、鬼としての性能が圧倒的に違う。

 

「『上弦』の『壱』は……あなたと同じようなことをしてるの?」

 

 不意に来た質問だった。確かに私がそうやって強くなっているのなら、私より強い『上弦』の『壱』もそうしていると思うのも当然か。

 

「違うよ、カナエちゃん。『上弦』の『壱』は元々、鬼殺隊の剣士だったから、呼吸で身体能力を強化できる。生き物としての能力では、人は鬼より劣ってるけど、それでも鬼を倒せるのと一緒」

 

「……っ!?」

 

 カナエちゃんの顔が青ざめているのがわかった。

 鬼殺隊の剣士の唯一の利点だと思った技術を、敵も使える。それが、恐ろしいのかもしれない。

 

 まあ、でも、私が勝てない理由はそれだけじゃない。

 

「それに、似てるの……」

 

「似てる……?」

 

「私を昔、殺しかけた鬼殺の剣士に……そう思うと、とても怖くて動けなくなる……」

 

 話を聞けば、双子だったそうじゃないか……。酔った勢いで話してくれたけど、その話をしているときは、とても機嫌が悪そうだった。

 

「それは……。どんな……剣士だったの?」

 

「あれはもう、太陽の化身よ。()の呼吸っていう呼吸を使うのだけれど、絶対人間じゃない! おかしいもの! あの(あか)い刀に斬られたら再生しないの! あのお方も、反撃できずに逃げるしかなかったそうだし……。一瞬で、頸を斬られて、たくさんある脳も心臓も全部潰され万事休す、千八百の肉片に分裂して、八割やられたらしいのだけど、ようやく逃げたそうよ?」

 

「……え?」

 

 カナエちゃんは、目をぱちくりさせていた。

 これは無惨様が、縁壱を怖がる私に語ってくださったお話だ。そんなふうに逃げるだなんて、改めて、私は無惨様を敬服してしまった。さすがは無惨様だ。

 

「そうそう……。そこから、その剣士の寿命が尽きるまで、逃亡の日々。そして、あのお方はおっしゃったわ。あの剣士を倒すことは、天災に遭ったと思って諦めて、大人しく日銭を稼ぐのだと……」

 

「…………」

 

 これで、きっと、カナエちゃんには、無惨様がどれだけ素晴らしいお方か伝わったはずだ。

 

「ねぇ、ハツミちゃん」

 

「なに?」

 

「鬼舞辻無惨って、頸を斬られても死なないの?」

 

「そうだよ? それはいいけど、ちゃんと、様ってつけようね」

 

「え、ええ……」

 

 なんだか、カナエちゃんは遠い目をしていた。その理由は、私にはよくわからなかった。

 

「カナエちゃん?」

 

「ねぇ、無惨……様って、ハツミちゃんより強い……わよね?」

 

「え……? 血の呪いがあるから、あのお方には逆らえないけど……。でも、そういうの、考えたこともなかった……」

 

 少なくとも、真正面から向かったら勝てないだろう。無惨様と自分とをなんて、比べたこともなかった。

 

「そう……よね」

 

「あっ、でもでも、昔、さっき言った剣士に襲われたあと、あのお方の血の呪いが発動しなくなったの! 弱らせれば、私でも食べられるかも……」

 

 無惨様の血は、なかなかに美味なんだ。

 鬼から血を搾り取って、濾して、無惨様の血だけにして飲む。独特な味だけど、そうすると調子が上がって気分が良くなる。

 そういえば、元下弦のあの鼓の鬼から搾り取った分は、この蔵に置いてしまったっけ。

 

 少し飲みたくなったから、持っていこう。

 

「弱らせれば、良いのねぇっ!!」

 

 ギュッと、カナエちゃんは私の手を握った。そうした意味はわからなかったけど、なんか、友達ってかんじがして良かった。

 彼女は鬼の私にも、対等に接するのだ。それが新鮮で、心が暖かくなる。

 

 そうこうしているうちに、()()が戻って来たから、一緒にまた、ご飯を食べた部屋に戻る。

 ()()は少しだけ、カナエちゃんを睨んだあと、また私たちの目のつかないところに行ってしまった。睨んだ理由は、まだカナエちゃんを信用できていないからだろう。

 こんなにも良い子なのに。

 

 私はお猪口に血を入れて、カナエちゃんは、甘酒を入れて、二人で。

 

「乾杯!」

 

「か、乾杯」

 

 とても楽しい時間だった。

 上弦にどんな鬼がいるだとか、意味のある話は大してしなかったけれど、私はとても楽しかった。

 だからだろう。

 

「ねぇ、カナエちゃん。これからどうする?」

 

「これから……?」

 

「ふふ、そう。ここでずっと、暮らしてもいいんだよ?」

 

 カナエちゃんをここに押し留めておきたかった。

 

「……ありがとう。でも、帰らなくちゃならないの。妹もいるし、帰らないと、みんな心配してしまうわ」

 

「……っ!? カナエちゃん! この里のこと、鬼殺隊に言いふらしたりしない? 私のこと、たくさんの柱で囲んで虐めたりしない?」

 

「そんなこと、しないわ」

 

 微笑んで、彼女はそう言う。カナエちゃんがそう言うのなら、きっとそうなのだろう。

 カナエちゃんのことを、私はとても信頼している。

 

「ねぇ、カナエちゃん。この里は、私の血鬼術で作った結界で覆われているの。この結界はね、侵入する獣や鳥を自動的に殺す機能があるのよ。もう何百年も結界を貼ったままだから、野生の禽獣は学習をして、入ってこないの」

 

「…………」

 

「カラス、死んだわよ?」

 

「……!?」

 

 カナエちゃんの顔は青ざめてしまった。噂では、鬼殺隊は人語を解するカラスを一人一匹飼っているらしい。

 

「仕方ないわよね。私もワザとやったわけではないし……。でも、とても悪いことをしたと思うわ? ご愁傷様」

 

 鬼のために心を砕く彼女のことだ。人語を解するカラスとなると、種族の違いなど関係なく、人と同じように友達と思って接していたのかもしれない。

 

「……それなら、遺骸は? 遺骸の場所はわかる? 弔ってあげないと……」

 

「死んだ場所ならわかるけど、行ってみる? ごめんなさい……。そこにあるかは、もうわからないけど……。誰かが見つけて鳥鍋にでもしているかもしれないわ……。でも、それでも、この里では、()()()()()()()()だから、きっと、浮かばれるわ」

 

 そう話した。

 そうしたら、カナエちゃんはバッと立ち上がって、刀の鞘に手を置いて、私から距離を取った。

 

「ど、どうしたの? カナエちゃん……。そんな……急に……」

 

 まるでわからない。

 さっきまでは友達のように接していたのに、今はまるで異形を見るかのように、私のことを見つめるのだ。

 

「あなた……人を食べるの?」

 

「え……? 当たり前じゃない……そうしないと、いっ、生きていけない……っ」

 

 だって、だって、そうなんだ。そうしないと生きていけないのだから……。もう、飢えるのは嫌だ……。

 

「血を飲むだけで大丈夫って言っていたのは、なんなの?」

 

「別に……大丈夫だよ? でも遺体、里の中に埋めていたら、腐らずに墓場だらけになるし……。里の外に埋めたら埋めたで、腐って悪い瘴気が出てくるし……。燃やすと、臭いとか、煙で困るの……。やっぱり、死んだら私が骨の一欠片も、血の一滴も残さずに食べてあげるのが一番でしょ?」

 

 カナエちゃんは、苦しんだようにして、私を見た。

 ここで私を斬るべきかどうか、悩んでいるように思える。

 

「私は、あなたを――」

 

「そんなに、人を食べるのが悪いこと?」

 

 

 ――『花の呼吸』……。

 

 

 勝負は一瞬だった。

 彼女が刀を握った右腕を、私が引きちぎることで終わったのだ。

 

「……()っ……!」

 

 少し驚いて、私の手にある取れてしまった彼女の右腕を私は見つめる。

 

「ごめん……カナエちゃん……。久しぶりで、力加減ができなくて……。今、止血するね」

 

 私にとっては、呼吸を使う剣士が、これだけでここまでの損害を受けることが驚きだった。ちょっと、刀を手放してもらおうと思っただけなのに。

 やはり、あの月日の双子がおかしいのかと認識を改める。

 

「まだ……っ」

 

 カナエちゃんは左手で、落ちた刀を握って私の頸を斬りつける。けれど、『上弦』の『弐』の私の頸は、そんな苦し紛れの攻撃じゃ斬れないくらい硬い。

 

「ひ……」

 

 だが、私は頸に刃物が当たる恐怖を思い出した。あの剣士がチラついた。

 咄嗟に、無我夢中に払い除けるが、その動作で、カナエちゃんの左腕が飛んでいく。

 

「あァあ……っ」

 

 両腕がなくなったカナエちゃんは、倒れてしまう。痛みで意識を失ってもおかしくないのに、呻きながら、まだ、私を見据える。

 だが、その出血量から、もうすぐ死んでしまうことがわかった。

 

「か、カナエちゃん……!? そうだ……あのお方の血なら……! 待っててね、今すぐ助けるよ!」

 

「……っ!?」

 

 そう言ったら、初めてカナエちゃんの顔に、恐怖が灯った。

 立ち上がろうとしているが、両腕がなく、うまくいかないようだった。

 

 ちょうど蔵から持って来ていた無惨様の血に、私は幸運を感じる。それを持って、カナエちゃんのもとに駆け寄るが、カナエちゃんは、両腕がないながらも立ち上がって、私に背を向けたところだった。

 

「駄目っ!!」

 

 逃げられては困るのだから、脚を片方、奪う。そうして押し倒す。片方だけでは不揃いだから、もう一本も奪ってあげる。

 

 これで抵抗のできなくなったカナエちゃんの口に手を突っ込んで、指を喉の奥まで届かせる。

 

「うぅ――! うぅう――( )!!」

 

「我慢してね」

 

 無惨様の血を、私の腕を伝わせて流し込む。

 腕から指へと伝わることで、気道に入らず、彼女の喉から体内へと入っていく。

 それだけでは足りないと思ったから、彼女の胸に手を入れて、私の手と彼女の心臓の血管を繋ぐ。無理やりに私の血を送る。

 手が足りないが、頑張って、瓶は顎で押さえておく。

 

「あ……あ……」

 

 一通り、瓶の中身がなくなった頃だ。

 カナエちゃんの傷口が塞がっているのがわかった。

 

「ふう……。ごめんね……痛かったよね……」

 

 押さえていた瓶を落とす。胸に入れていた手を抜く。そうしてカナエちゃんの胸にできた傷口も、鬼の治癒力で徐々に塞がっていった。

 これでひとまずは安心だが、まだ完全に鬼化していないのか、傷口が塞がっただけで、腕も脚も生えてこない。

 

「う……うぅ……」

 

 カナエちゃんは、泣いているようだった。それほどまでに痛い目にあわせてしまったのだ。本当に申し訳ない。

 

「そうだ……!」

 

 カナエちゃんも鬼になったことだし、私と同じく稀血が好きに違いない。お詫びも兼ねて、美味しい血をたくさん飲ませてあげよう。

 思い立ったら行動していた。

 

 まずは、持ってきてた分からだった。

 もう一度、手を口の中に突っ込んで、飲ませる。

 

「あぅ……。あが……っ」

 

 慣れてる私だから、ちょっと酔うだけで済んでるけど、鬼になって初めてがこの美味しい血だ。きっと、痛みも忘れる素晴らしい体験ができているはず。

 

 カナエちゃんの顔を見ると、瞳孔が開いて、口もとが緩んでいるのがわかる。

 そんな幸せそうな顔を見ると、私まで幸せな気分になる。

 

「つぎっ、つぎ」

 

 空っぽになったから、瓶を替えてさらに中身を流し込む。これは、たしか、違う効能のものだった。

 

「は……っ。あ……っ」

 

 カナエちゃんは、頬を紅潮させ、眼球を左右に小刻みに震わせている。体がわずかに痙攣しているのがわかる。

 心地よく、神秘的な体験を味わっているのだろう。

 

 ゆっくりと飲ませたから時間がかかったが、なんとか空になる。瓶一つ分飲ませたのだから、当分はその幸せな世界から戻ってこれないはずだ。

 今のうちにと、私は蔵に急いだ。

 

 もう、百年分くらいあげちゃおう。

 そう思って、私は持てる限りの瓶やら甕やら壺やらを抱えて運ぶ。

 

()()の血も、持って行こうか……ぁ。喜ぶだろうな……ぁ」

 

 私の知る限りで最高の血だ。

 この味が、ただの血の味にしか感じられない人間は、本当に人生を損していると私は思う。

 カナエちゃんは、鬼にして正解だったかな。

 

「……あぅ……。あぁ……」

 

 戻ってくれば、カナエちゃんは、恍惚とした表情で、虚空に向かって喘いでいた。

 腕は肘あたり、脚は膝あたりまで生えてきたから、鬼の力もだいぶ馴染んできたようだった。

 

「ふふ、()()の血だよ……ぉ? いっぱい飲んでね!」

 

 そうして声をかけながら、喉まで注ぎ込む。

 

「は……ぁうっ。ひゃ……ぁあっ」

 

 カナエちゃんは眼を目一杯に見開いて、涙をこぼしながら、言葉にならない声で叫んだ。

 ()()の血の味に、匂いに、頭が限界まで澄み切って、感動が抑えられなくなっているのだろう。

 

 この距離だと、私まで、匂いで頭がスッとして、変になりそうだ。

 

「ふふ……。ふはっ……。ああ……楽しい……。あはっ」

 

 どんどんと血をカナエちゃんに流し込む。

 ここまで来ると、血の美味しさを理解したのか、カナエちゃんはゴクリゴクリと喉を鳴らして勢いよく血を飲み干していく。

 

 その姿に、私はとても嬉しくなって、蔵との間を何回も往復して、カナエちゃんに血を与え続けた。

 気分はもう、雛のために餌を取りに行く親鳥さながらだ。

 

 カナエちゃんに飲ませつつ、我慢できずに私も一緒に飲むものだから、フラフラとした足取りの往復になる。

 とうとう、酔い潰れて、今にいたると。

 

 周りを見渡しても、血を入れていた容器はないものだから、きっと()()や、他のこの屋敷の管理を任せている里の人が片付けて、持って行ったのだろう。

 

「は、ハツミちゃん!?」

 

 カナエちゃんは、急に頭の中に手を入れて弄り出した私に対して、心配の声をかける。

 もう、事情はわかったから、頭の中から手を抜く。私の再生力なら、一瞬で元通りだ。

 

「大丈夫だよ? それはそうと、カナエちゃん。昨日の記憶、ある?」

 

 問題はここだった。

 鬼になったばかりは、記憶が混濁していたり、幼児退行を起こしていたりすることが、よくあるらしい。

 見た限りでは、カナエちゃんは、あまり変わらないように感じる。

 

「ええ、あるわよ。この村に来て、ハツミちゃんに会って、お話をして、それから……」

 

 不意に、彼女は涙を流した。

 

 今更ながらに思ったが、鬼になってしまったことは、カナエちゃんにとって、途方に暮れてしまうような出来事なのかもしれない。

 鬼と人と仲良くと言って、区別をつけようとしない彼女だったから忘れていたが、カナエちゃんは鬼を殺す組織にいたんだった。

 

「大丈夫だよ、カナエちゃん……。私が……私が……」

 

 彼女に抱擁をする。

 私は、もう長いこと鬼だし、もう人間のことはわからないから、どうすればいいかはわからなかった。

 

 私の出来ることといえば、この里の人からもらった血を分け与えてあげることくらいだ。

 

「ハツミちゃんはあったかいね……ぇ」

 

 彼女のことを鬼にした私のことを、カナエちゃんがどう思っているかはわからない。鬼の心を読める無惨様が羨ましくなる。

 

「ねぇ、カナエちゃん……。血……飲むでしょ? 持ってくるよ!」

 

 居た堪れたくなって、私はこの場所から離れる。

 保存してある血を持ってくる短い間だけでも、少しは気分を落ち着かせられる。

 

 蔵に着くと、本当に血が百年かけて貯めた分くらい減っていて愕然とした。しかも新しい方から。

 それでも、気を取り直して血を運ぶ。

 

「あら?」

 

 血を持ってきて、部屋を覗くと、何やら()()とカナエちゃんが、話しているようだった。

 

 少し、様子をみようか――( )いや、今、カナエちゃんは鬼だった。

 

「――だから、(ハツ)()様に食べられることが救いなんです!」

 

()()! 今はまだ、カナエちゃんに近づいたら駄目!!」

 

(ハツ)()様!?」

 

「えっ、ハツミちゃん?」

 

 構わずに、私は二人の間に割って入る。

 

()()。カナエちゃんは、今は鬼。()()の血の味も知ってるから、襲われちゃう。だから、もっと離れなさい」

 

「は……はい!」

 

 返事をして、()()は退散していく。なんの話をしていたのか、まあ、とにかく、これで一安心か。

 

「ねえ、ハツミちゃん。私、襲わないわ」

 

 カナエちゃんはそう断言するが、彼女のことを訝しんで私は見つめる。

 

 試しに、持ってきた血をお猪口に注ぐ。カナエちゃんの前に置く。

 

 ジッと、カナエちゃんはお猪口を見つめる。手に取る。飲んだ。

 

「はぁ……。おいしい」

 

 満面の笑みで、カナエちゃんは口もとについた血をペロリとする。

 もうちょっと、鬼になったことを認めたくないから飲まないとか、そういう葛藤はないのだろうか。あると思ったんだけど。

 

「ねぇ、カナエちゃん。我慢できる?」

 

 目をしばたいて、カナエちゃんは、空になったお猪口と、私を交互に見つめた。

 

「無理かも……」

 

 素直なのはいいことなのだけれど、もっと、意地を張るとかないのだろうか。

 

「まあ、いいけど……。当分は、()()に近づかないこと。わかった?」

 

「うん」

 

 ()()を殺すことだけは本当にやめてほしい。まだ子供もできていないどころか、夫も決まっていないのに。

 こればっかりは、念を入れても、入れすぎることはないはずだ。

 

 気分を落ち着かせるために、血を注いで、飲む。

 ()()の血ほど強い作用ではないが頭がスッとして、目が覚める。これから活動を始める宵にはピッタリな血だろう。

 

「ハツミちゃん、ハツミちゃん」

 

「なぁに?」

 

「もう一杯、もらっていい?」

 

 物欲しげに、私の飲んでいる血を彼女は見ていた。

 鬼になると、人を食べたくなる衝動のほかに、タガが外れたように節制が利かなくなる。

 彼女がそう言うのも仕方がないことだろう。

 

「一杯だけだよ?」

 

「ありがとう!」

 

 花が咲いたような笑顔を見せるカナエちゃんだ。それを見ると、私まで嬉しくなってしまう。

 

 カナエちゃんが、血を飲んだ後だ。

 改めて、やはり、切り出さなければならない話題がある。

 

「それでさ……カナエちゃん……。鬼殺隊に……帰る?」

 

「もちろんよ。こんなことになってしまったけれど、私は柱で、鬼殺隊の一員だから、帰るわ。妹たちも心配だし。……ちゃんと誠意を込めて話せば、みんな私やハツミちゃんのことも、わかってくれるわ」

 

「あのお方、血の呪いで視界を盗み見ることもできるのだけれど……。鬼の居場所も、わかるそうよ?」

 

「え……っ?」

 

 もし、今の段階でカナエちゃんが帰ってしまえば、無惨様と、上弦みんなで乗り込んで、鬼殺隊が全滅するかもしれない。

 本来なら、鬼殺隊の肩を持つのはありえないが、これはカナエちゃんのための忠告だ。

 

「それと、あのお方は鬼の心を読むことができるのだから、忘れたというのは通用しない。訊かれたら正直に話すことね」

 

 そう言ったならば、カナエちゃんはポカンとした。

 

 なんだかこの子、最初、出会ったばかりはピリッとした感じだったのだけれど、打ち解けていくうちに、ホワホワした感じになって行っているような気がする。

 

「……鬼って、大変なのね」

 

 しみじみと感じいるようにカナエちゃんはそう言う。

 なにかと無惨様を尊敬している私ではあるが、その言葉には賛同せざるをえない部分があった。

 

 そして、彼女と話していた中で、少しだけ気になったところがあった。

 

「ねえ、カナエちゃん?」

 

「ん?」

 

「もしさ、鬼殺隊に戻れたとしてさ。食糧、どうするつもりだったの?」

 

 鬼殺隊の人たちから、少しずつもらって、というところだろうか。

 カナエちゃんはきょとんとした。

 

「ハツミちゃんのところから、分けてもらうって、駄目……?」

 

「うーぅん……。あんまり良くない」

 

「どうして? あんなにあったじゃない。ハツミちゃん一人なら、余らせる量だよね……ぇ。だから……もったいないし、それがいいと思ったんだけど」

 

 単純に疑問のように、彼女は尋ねてくる。

 確かに余らせてはいるけれど、私だって考えなしなわけじゃない。

 

「減らしたくない。もし、飢饉になったとき、お腹減るのは、いやっ……!」

 

 いつ何時、なにが起こるかわからない。食糧の備蓄はあったほうがいいはずだ。

 

「えっ……。あんなにあったのに? ハツミちゃん一人なら、何年も大丈夫だと思うけど……」

 

「むぅ……」

 

 確かに、そう言われてしまえば、私一人なら、あんなにいらないような気がしてきた。あんなに貯めて、いったい私はどうするつもりなのだろう。

 

「それで、そう。ねぇ、ハツミちゃん……。私、この村を大きくしたいの!」

 

「……へ?」

 

 今の人数でも、二人分くらいは賄えるから、別に私は大きくしたいとは思わない。余らせるって言われて、私はちょっと、へこんでるんだもの。だからこそ、カナエちゃんがなぜそう言うのかがわからなかった。

 

「そうすれば、そうやって血を鬼のみんなで分ければ、鬼も無闇に人を食べなくて済む……。鬼と人が仲良くなれるって、そう思わない?」

 

 カナエちゃんは、柔らかな笑顔でそう言う。

 まるでその言葉は、私にとって、天啓のように感じられた。

 

「カナエちゃん……! 私、応援する! 一緒に頑張ろ!」

 

 なぜ、こんな簡単なことに、今まで気がつかなかったのだろう! 鬼と人間が仲良く……本当に素晴らしい! こんなに幸せで穏やかな気持ちは初めて……!

 カナエちゃんのことが、キラキラ輝いて見える。

 

 何故だか、今のカナエちゃんを見ていると、質の良い血を飲んだときのように幸せになる。その言葉がとても素晴らしいものに思える。

 昨日まではそんなことなかったのに……。

 

「ありがとう、ハツミちゃん」

 

「ううん、こっちこそありがとう! ……私、遠回りをしていたの! カナエちゃんのおかげで、向かうべき道が見つかったわ!」

 

「……ハツミちゃんッ」

 

「カナエちゃん!」

 

 私たちは、熱い抱擁を交わす。涙を流して、お互いの絆は何者にも切れないと、私たちは悟るのだった。

 

 そこからは、一緒に血で杯を酌み交わしたり、カラスの遺骸を探して見つけて弔ったり、充実した時間が過ぎて行った。


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