稀血をよこせ、人間ども   作:鬼の手下

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 禰豆子のおかげで術が解けた。心を操る血鬼術だ。一刻も早く、ここから……あの上弦の参から逃げなければ……。みんなにこのことを伝えなければ……。




上弦の鬼

「なえ、鬼殺隊に帰ろう」

 

 炭治郎に手を握られ、そう言われた。

 突然のことでわけがわからなかった。

 

「ええ、わかったわ」

 

 わからなかったけど、頷いておく。妻は夫の言うことによく従うべきだと、最近は(ハツ)()様に言って聞かされていたからだった。

 (ハツ)()様は妻としての心得を、私に語ってくれている。

 

「そうだ。禰豆子……なえにも……!」

 

「うー、うぅ」

 

 禰豆子ちゃんは炭治郎の呼びかけに首を横に振る。障子の貼られた窓から差し込む朝日に、身を守るためか、布団の中へと潜り込んでいた。

 

「そんな……。でも、そうか……そうだったな……」

 

 炭治郎は、何か納得したような表情で頷いていた。

 

「むん」

 

「あぁ、禰豆子の箱は……あそこだったか。今、持ってくるから、ちょっと待っていてくれ」

 

 そう言って、炭治郎は禰豆子ちゃんが、日に当たらないように移動するための箱を取ってくる。

 禰豆子ちゃんを布団の中から箱の中へと移動させ、炭治郎は箱を担いだ。

 

「なえ、行こう」

 

「ま、待って……? 寝巻きのままでしょう? せめて着替えて行きましょうよ?」

 

 この格好のまま、外に出るのは流石に恥ずかしい。中には、寝巻きのまま外に出ても、何も感じないような、だらしない人もいるけど、私はそこまでふてぶてしくはない。

 

「それはダメだ。一刻も早く、ここから出たほうがいい」

 

「え……ぇ?」

 

「玄関まで……いや、窓から出よう。服は……持って行って、人目のつかないところで着替えるしかないか……草履を取りに行くのも危ない……新しいものを買わないと……。とにかく、ここから早く出ないとダメなんだ」

 

「え? ……え?」

 

 とにかく一秒も惜しいと言った様子の炭治郎だった。

 その危機迫るような様子に、私は今ひとつ付いていけずにあたふたとする。

 

「行こう……!!」

 

 手を引かれる。

 そのままに、部屋の外に出ようとしたところだった。

 

「ねぇ、禰豆子ちゃん知らないかしら?」

 

 後ろから声をかけられる。

 沙華さんだった。

 

 部屋の戸を開けたけれども、障子窓から障子越しに差し込んだ弱い朝日に軽く炙られて、手で顔を庇いながら壁に隠れている。

 

「ね、ね……禰豆子は……」

 

「うん、連れてくるなり走って行ってしまったのだけれど、そういうことなのね……ぇ! そんなに、お兄ちゃんが恋しかったのかしら。久しぶりに会わせてあげようと思っていたのだけど」

 

 炭治郎が誤魔化そうとして、変な顔になりそうになっていたが、言い切る前に沙華さんは禰豆子ちゃんの居場所を察していた。

 

「そういえば沙華さん。禰豆子ちゃんを人間に戻す話は……」

 

「あぁ、それなら珠世ちゃんが研究を進めていてくれているわ。でも、他にも珠世ちゃんは、頑張っていることがあるから、少しだけ後回しになってしまっているところもあるわね……ぇ。私も手伝えたら良かったのだけれど、こっちはこっちで忙しくて……」

 

「そんな……」

 

 鬼に寿命は存在しない。話に出てきた珠世さんは、(ハツ)()様によれば、もう四百年以上、生きているらしい。鬼の中では(ハツ)()様の次に長生きだとか。

 

 なんとなく、そんなふうに後回しにされていったら、ずっと、禰豆子ちゃんが人間に戻る方法が、見つけ出されない気がしてくる。

 

「で、でも……きっと炭治郎くんが生きているうちには、なんとかなると思うわ……! いいえ、してみせる!」

 

 私の顔から考えを読んだのか、沙華さんは、そう強く言い切った。

 沙華さんに、そう言われると、根拠はないが、大丈夫そうな気分になって、安心できてしまう。

 

「そうだって、炭治郎」

 

「あ、あぁ……」

 

 振り返って、炭治郎をみるが、なぜか怖い顔をしていた。

 私には今の炭治郎の気持ちがよくわからなかった。

 

「そう、(ハツ)()ちゃんが言っていたけれど、禰豆子ちゃん、血を全然飲まないの。珠世ちゃんは、睡眠をとって回復しているから大丈夫だって、言っていたけれど、私は心配で……」

 

「心配……?」

 

「だってそうでしょう? 鬼は空腹だと、人間がとても美味しく見えるの。あの空腹は理性じゃとても耐えられない。私もそうだけれど、そうならないように、血を飲んで、いつもお腹を満たしている。それなのに、禰豆子ちゃん、美味しい血を飲ませようとしても、すごく拒むって」

 

「当たり前だ……! 禰豆子は人を喰わなくたって生きていける! 好き好んで、人間の血なんか飲むはずがない!!」

 

 すごい剣幕で、炭治郎が沙華さんに反論していた。

 私と沙華さんは驚いて、炭治郎の方を見つめてしまう。

 

「炭治郎……今日、何か変よ?」

 

 炭治郎が、私たちにこうして声をあららげることは今までなかった。まるで、悪い鬼を相手にしているときのようだ。

 寝巻きで、靴も履かずに外に出ようとしたり、今日の炭治郎は絶対におかしかった。

 

「いや、なえ、これは……」

 

 炭治郎は、自分でも驚いたように動揺していた。

 数歩、後ずさっている。

 

「そう! 血で思い出したのだけれど……なえちゃんの血、美味しかったわよ……。すごくね。ハツミちゃんの村の中でも特別に美味しかった」

 

「え……? そんなに?」

 

 意外だった。

 たしかに私のおうちは、(ハツ)()様の村でそれなりの歴史がある。厳選に厳選を重ねられて、今に繋がっているとは聞いた話だ。

 

 けれども、私の姉と私は同じくらいのはずだったし、味の良さであれば、十分に替えが利くはずだ。村で一番の稀血といえば()()さんだし、私たちはそれほどではなかった。

 

「とても良かった。ききめも、一際強くって……なんでもできる気分になって、もう少しで太陽の下にでて、焼かれるところだった……昼間から飲んではダメね……」

 

「え……っ?」

 

 たしかに、鬼を狩る際に、私の血の匂いで、鬼の頭がおかしくなるのは、何度か体験していた。けれど、実際飲むとそこまで強力な効果が働くというのは、私も知らないことだった。

 

「とにかく、すごい血よ……? たぶんそういう意識の解離を及ぼす作用だったら、一番強かった……」

 

「え……あ、ありがとう……。ありがとうございます……えへへ」

 

 そんなふうに血を褒められるのは嬉しいことだった。

 村では、血のいい人間が(ハツ)()さまによって贔屓されていた。だからこそ、誇らしいことだ。

 一番という響きも、なんとなくいい。

 

「な、なえ……!!」

 

「炭治郎……?」

 

 炭治郎が私のことを抱きしめていた。

 そして、キツい目で沙華さんのことを見つめている。

 

「え……炭治郎くん……? えっと、これは……信用されていないのね……。私は食べないわ! ハツミちゃんが吹き込んだのかしら?」

 

 困った顔を沙華さんはする。

 (ハツ)()さまが、早く私たちを村に引き取りたい理由に、沙華さんが、私のことをこっそりと食べてしまわないか、心配だというものがあった。

 私は、特に心配をしていないのだけれど、炭治郎はそうではないのかもしれない。

 

「炭治郎……確かに(ハツ)()さまはああ言っていたけど……そんなふうに警戒するのは失礼じゃ……」

 

「いいえ、いいわ。私はお邪魔みたいだから……ふふ、二人とも、禰豆子ちゃんとは仲良くねっ」

 

 沙華さんは、そう言うと、一瞬で去っていった。

 私は詳しくはわからないけれど、昼間はこの館で書類仕事をしていて忙しいみたいだった。

 

「あ……危なかった……」

 

 沙華さんが居なくなって、炭治郎からは、緊張が解けたように力が抜けていた。

 

「ねぇ、炭治郎……沙華さんにはよくしてもらってるし、今のは流石に失礼だったんじゃない?」

 

 住まわせてもらっている恩もあるし、仕事だってさせてもらっている。(ハツ)()さまは、ああは言っていたけれど、そもそも人の意見に左右されるなんて、私の好きな炭治郎らしくない。

 

「いや、とにかく急がないと……! なえ! 掴まってるんだ!」

 

「え……!?」

 

 私は炭治郎に抱きかかえられる。

 どうしてこんなことをされるのかわからなかった。

 

「いくぞ……!」

 

 動揺しているうちにも、窓を炭治郎は蹴破って、外へと出てしまう。

 

 

 

 ***

 

 

 

「善逸……! そんなところに!!」

 

「炭治郎!?」

 

 なえと一緒に、屋敷を出たけれど、ふと風に流れてきた匂いを感じた。

 覚えのある匂いに振り返ってみると、屋敷の屋根の上に善逸がしゃがみ込んでいた。

 

「善逸……! どうしてここが……!」

 

 なえを抱きかかえたまま、善逸のいる天井の上へと飛び移る。

 太陽の下だから、鬼はもう追っては来れない。

 

「炭治郎に、なえちゃんも……! 急にいなくなるから……っ、心配して探したんだぞっ!」

 

「すまない、善逸。迷惑をかけてしまって……俺たちは上弦の参に捕まっていたんだ」

 

「捕まってた……!? じょ、じょ、じょ……上弦の参に……!! そんなに強い鬼から逃げて……よく無事に……」

 

「え……? 沙華さんは良い鬼よ?」

 

「良い鬼……!? 良い鬼って、禰豆子ちゃんみたいな……? でも……上弦じゃ」

 

「……善逸……! ちょっとこっちに……!」

 

 なえを置いて、善逸の手を引っ張って離れる。

 なえには聞かれたくない話だった。

 

「痛っ……何するんだよ炭治郎!」

 

「すまない、善逸。なえは今、上弦の参の血鬼術で心を操られているんだ。禰豆子の燃える血のおかげで、俺は正気に戻れたけど、なえはまだ操られたままだから……」

 

「心を……! じゃあ、俺たちが追っていた鬼って……その上弦の参……!! い、い、い、嫌だ、嫌だ、嫌だ……俺は死にたくない……ぃいい!」

 

 善逸は蹲って、錯乱してしまっている。

 なえは、首を傾げながら、俺たちを見つめていた。

 

「それでだ、善逸。落ち着け。落ち着いて、聞いてくれ。なえは今、精神の状態が不安定だから、すぐに血鬼術を解くわけにはいかない。どこかで落ち着かないとなんだ」

 

 俺にかかった血鬼術が解けてから、なえに同じことをと禰豆子に頼んで、断られてしまった理由はおそらくそれだった。

 一刻を争う状況の中では、あの、自ら死を選んだ精神状態に戻ってしまうのは、まずい。

 

「じゃ、じゃあ炭治郎たちは、どこかで一旦休まないとなんだな……。でも、煉獄さん……あぁ、炎の柱の人は行っちゃったよ?」

 

「行っちゃった……!?」

 

 善逸は、表の玄関を指差す。

 

「うん、正面から……伊之助と一緒に……」

 

「え……っ!? 正面から……?」

 

「正面から」

 

「まずい!! 善逸! 手短に言うが、上弦の参は元々鬼殺隊の柱だった人なんだ。柱が鬼になった! 身体能力も強化されてる! 血鬼術も使える! だから柱でも、一人じゃ、勝てない。多分、勝てない! 伊之助がいても難しい! 増援に行かなきゃ!」

 

 持ってきた刀を握る。

 隊服を着てはいなかったが、一秒でも惜しい状況だった。

 

 今にも、伊之助や、炎柱の煉獄さんは、さっきまでの俺たちのように、心を操られているかもしれない。

 それだけは何としても防がなければいけない。

 

「増援って……でも俺は、この館に鬼が潜伏しているかもしれないって言われて、鬼の居場所を見つけるため、こうして裏手から回って、こっそりと侵入するところだったんだ」

 

「そうなのか?」

 

「炭治郎、それに今は昼間だろう? 鬼は昼間に戦うことは避けるだろうし、さすがに門前払いなんじゃないか? 煉獄さんもそう言っていたし……。この屋敷の人たちは、鬼に操られているみたいだったし」

 

 善逸の言うことは尤もだった。

 玄関にいる人間に煉獄さんが追い払われ、戻ってくる可能性の方が高い。なら、その時に情報を伝えればいい。

 そこから、十分に人数を揃えて、なえにかかった血鬼術を解いた後、上弦の参と戦う。

 

 それが一番のはずだ。

 

「でも、善逸、一応、見に行った方が……」

 

「……待ってくれ、炭治郎。真菰さんが違う任務でいなくなるから、もうすぐ代わりに柱が一人くるって、だから、それまで待った方が……確か名前は……――っ!?」

 

「あ――っ!?」

 

 轟音が響いた。

 屋敷の玄関が崩れていた。血の匂いが流れてくる。

 

 

 

 ***

 

 

 

「その練り上げられた闘気! 柱だな!」

 

「この屋敷に十二鬼月のいる可能性が高いと思って、来てみれば……正面で上弦の鬼が警備をしているとは、よもやよもやだ……」

 

 支給された制服の上着に帽子を脱ぎ捨て、人間への擬態を解く。

 この沙華の管理する館で、人に紛れ、日銭を稼ぎ、その銭でもって、あのいけ好かない上弦の弐から血を買い過ごしていた。

 

「こいつが上弦の鬼だって……! どうして人間に紛れて働いてやがるんだ!」

 

「猪頭少年。待機命令だ。ここは俺一人で戦う」

 

 あれは猪の被り物か。

 鬼殺隊の隊士であるようだが、柱よりもずいぶんと弱い。これから始まる戦いには、足手纏いにしかならないだろう。

 

「俺は猗窩座だ。お前、名は何という?」

 

「煉獄杏寿郎だ!」

 

「そうか、杏寿郎……すばらしい提案がある。とてもすばらしい提案だ。お前も鬼にならないか?」

 

「ならない」

 

 即答をされる。

 今まで、鬼殺隊の柱で、この提案に頷いた者はいなかった。

 

「人間は弱く儚い。強くなければ、ただ奪われるだけ。強くなければ、なにも守ることができない。鬼になれ、杏寿郎」

 

「俺はどんな理由であろうとも、鬼にはならない」

 

「そうか、ではここから居なくなれ。俺は人を殺すのはやめた。どうしても去らぬというのなら、俺は警備の仕事を果たし、お前の相手をする……が、できれば殺したくはない」

 

 俺の拳は本来であれば、人を守るための拳だった。

 それを思い出したのは、沙華とのあの『血戦』の際にだった。

 

 今更思い出して、何になるとも思いはしたが、沙華により、道が示される。

 人を守るためにこの力が使えると。

 

「人を殺すのをやめた? お前は多くの罪なき人の命を奪い、上弦になったのだろう? 鬼の言うことなど信用ならない。失われた命は戻らない。犠牲となる人間を一人でも減らすためにも、退くことなどできない。俺がお前の頚を斬る」

 

 刀を抜き、杏寿郎は構える。

 すさまじい闘気だ。至高の領域に近い。

 

「やむを得ぬ。相手をしようか。杏寿郎……お前ほどの強者と相見えたこと、俺は幸運に思うぞ!」

 

 ――血鬼術『術式展開 破壊殺・羅針』!!

 

 血鬼術を用い、杏寿郎からくる攻撃に備える。

 できれば、殺したくはないが、相手は柱だ。そうもいかないだろう。

 

「はぁああ……!」

 

 ――『炎の呼吸・壱ノ型 不知火』!

 

「速いな。さすがは柱だ」

 

 頚を狙った斬撃を腕で弾き飛ばす。

 刀と拳の撃ち合いとなり、血が飛び散るが問題はない。この程度の傷、すぐに治る。

 頚を切られない限りは全て擦り傷だ。

 

「……くっ……」

 

 殴る拳を杏寿郎は刀で防いだ。

 さすがの反応速度だが、繰り返していけば疲労が溜まり、集中が途切れる。体が言うことを利かなくなっていく。

 やはり人間は脆い。鬼には勝てない。

 

「炎の柱は今まで殺したことがなかった。退け、杏寿郎。退くのなら命までは取りはしない」

 

 大きく飛び退く。

 

 ――『破壊殺・空式』。

 

 宙空を殴り、衝撃を届かせる。

 血鬼術ではあるものの、強化した鬼の筋力で、ただ(くう)を殴っているのみ。それだけで、攻撃が、遠く離れた杏寿郎へと届いている。

 鬼となれば、それだけで戦いの幅が広がるということだ。

 

「うぐっ……!」

 

 やはりこれも、杏寿郎は刀で受ける。

 衝撃が届くまでの速度は一瞬にも満たないというのに。良い反応だ。

 

「ヒャハ……!!」

 

 そのまま空式を乱打する。

 近づかなければ、頚を斬ることもできないだろう。このままじわじわと体力を奪い、無力化する。戦意を挫いたら、表に放り投げればいい。

 

 その後に、死のうが死ぬまいが、そこまで構う必要はない。今まで女の隊士にやってきたことと同じだ。

 このままならば、そうなるだろう。

 

 ――『炎の呼吸・肆ノ型 盛炎のうねり』。

 

 大きく刀を振り、杏寿郎は『空式』の衝撃をまとめて弾いてみせる。

 

「答えろ! ここには心を操れる鬼がいるはずだ。鬼殺隊の隊員が、もう十数名も行方不明となっている。その異能の鬼はお前なのか?」

 

 次の瞬間には、肉薄している。

 今まで戦ってきた柱よりも、その判断力は研ぎ澄まされているか。

 

 ――『炎の呼吸・参ノ型 気炎万象』。

 

 続く斬撃を拳で抑える。

 

「杏寿郎! 俺が人の心を操る……そんな術を使うように見えるか?」

 

「うむ、見えん。であれば、鬼は群れないはずだが、ここにはお前以外の鬼がいるのか……? 鬼舞辻の計略か?」

 

「そんなことは、今はいいだろう。俺に集中しろ。でなければ死んでしまう。死んでしまうぞ杏寿郎」

 

 鬼が基本的な習性から逸脱した行動をとっている時、あのお方の意思が絡むことが多い。

 杏寿郎は、それを指摘していた。

 

 鬼殺隊として、あの方の動向は気をつかうべきことであるというのはわかる。

 しかし、今、この戦いにおいては、それは雑念でしか――( )

 

 ――猗窩座くん、聞こえてる?

 

「うぉおぉおお!」

 

「ぐ……っ!」

 

 一瞬だが、集中が乱れる。

 杏寿郎の素晴らしい一撃に左手の肘から先が切断されてしまっていた。

 

 すぐさま腕を再生させ、続く斬撃を殴り、逸らす。

 

 ――猗窩座くん? 聞こえてるよね? 無視してるの?

 

 ――『炎の呼吸・弐ノ型 昇り炎天』。

 

 完璧な体勢から打ち出される杏寿郎の型に、感嘆の声が漏れる。

 右腕が刀によって、縦に引き裂かれた。

 

 すさまじい威力の一撃だ。

 鬼の硬い骨でさえ、こうも簡単に切り裂かれるとは……今までに戦ってきた柱の中でも、杏寿郎は一二を争う強さだろう。

 

「…………」

 

「その強さ、技の冴え……死んでしまうには惜しい。やはり、鬼になれ杏寿郎……鬼になれば、永遠にその技を高めていくことさえできる」

 

「はぁあぁああ!」

 

 返答は剣だった。

 やはり、どうしても杏寿郎は頷かない。俺と同じく武を道を究ているというのに、理解のできない考え方――( )

 

 ――猗窩座殿。カナエちゃんから猗窩座殿が無視をして困っていると今、連絡があった。無惨様から猗窩座殿との脳内の対話は必要がない限りは控えるようにと確か昔お達しがあったが、カナエちゃんの窮状に、ここは俺が一肩脱いでやろうと思い、今、猗窩座殿に脳内の対話を試みているゆえ、許されることだろう。俺は優しいから、困っているカナエちゃんを放っておけないのだ。

 

 杏寿郎の刀を袈裟懸けに受ける。とっさに掴み反らせなければ、頚に刃が届いていた。

 やはり迷いがあっては、容易にその刀を無傷で防ぎ切ることはかなわないか。

 

「しかし、悲しいな。杏寿郎。その素晴らしい斬撃も、もうすでに癒えてしまった。鬼であれば、いくら骨が断たれようと、内臓が切り裂かれようとも全て擦り傷。瞬きの内に治る」

 

「…………」

 

「人は簡単に死ぬ。老いる……。杏寿郎。弱い人間のままでは、守りたいものも守れない。弱者のままでは、守られる者のままだ。鬼となり、強くなれ杏寿郎」

 

「それは違う……! 強さとは肉体だけを指す言葉ではない!! 人は老いるからこそ……死ぬからこそ……その心に灯る強さがある! 人間は決して弱くない!!」

 

 竈門炭治郎も、人は弱くないと、同じことを言っていたか。鬼にならぬ者は、みな、口を揃えてそう言う。

 

 ――『炎の呼吸・伍ノ型 炎虎』!

 

 その言葉を証明するように、杏寿郎の攻撃は苛烈さを増――( )

 

 ――全く猗窩座殿。猗窩座殿は女性の扱いがなっていないのだ。おおかた柱とでも戦闘をしているのであろうが、男たるもの合間を作り返答をするのが礼儀だろう。このまま無視を続けてしまえば、後々拗れて面倒なことになるのは目に見えているというのに……いや、俺よりも弱い猗窩座殿には返答をする合間を作る技量がなかったか。いやはや、すまないことを言ってしまった。できないのならば仕方ないだろう。俺は優しいから、猗窩座殿の代わりにそうカナエちゃんに伝えておくぜ。

 

「くぅ……っ!!」

 

 いい加減鬱陶しい。これでは杏寿郎に集中できない。

 

 ――『破壊殺・乱式』!!

 

 広範囲に渡る拳撃で、杏寿郎の斬撃を受ける。

 余波により、空間が震え、伝わった衝撃により建物が崩れ始める。

 

 後退し、瓦礫から逃れる。

 降る瓦礫の下にいた杏寿郎は、刀を振るい、瓦礫を切り裂くことにより、その身を守った。

 

 わずかばかり余裕が生まれる。

 

 ――猗窩座くん! 戦闘中だって……! 今、すごい音がしたけど大丈夫?

 

 沙華! わざわざ話しかけずとも、視界を共有すれば良い。

 

 ――えっ? だって、もし猗窩座くんが人に見られたくないようなことをしていたら気まずいし。常識的に、まず、事前に断りを入れないとでしょ?

 

 気遣いなど不要だ! ともかく今、杏寿郎と戦っている。炎柱だ。

 

 ――煉獄くん? 槇寿郎さんの後を継いで炎柱になったのね……!

 

 殺すには惜しい……。

 沙華、来れるか? お前ならば説得も容易いはずだ。

 

 ――ごめんなさい。今、ちょっと、いい気分で……もしかしたら、他にも柱の増援が来るかもしれないけど……来たとしても、まだこっちには来させないで。

 

 …………。

 

「なっ……」

 

 ジリと目玉が焼ける。この痛みは太陽の光――( )太陽の光!?

 なにが起きている……っ!?

 

 屋敷は崩れ、玄関のあった場所には陽光が差し込んでいるが、天井が落ちたのは、屋敷全体から見れば一部だけだ。廊下のここは、影の中のはずだ。

 まさか、ここにも――

 

「はぁあああ!!」

 

 ――『炎の呼吸・壱ノ型 不知火』!!

 

 理解不能な現象に、一瞬だが、体がこわばった。

 頚へと、杏寿郎の刃がかかる。既にかかっている。

 

 目玉を焼いた日の光はもうない。

 そうか、刀か。日のもとにいた杏寿郎は、刀に陽光を反射させ、俺の右目を焦がしたのだ。

 

「ぐ……ぬ……っ!」

 

 刃が食い込み、中程まで頚を斬り裂かれる。

 手で掴み、刃を止めるが、杏寿郎の勢いは、それでは止まらない。

 

「はぁああぁああぁああ!!」

 

「うぉおオオおォおおオ!!」

 

 ならば殺して止める以外に方法はない。

 左の手で刃を抑えながら、右の拳で杏寿郎の顔へと殴りかかる。

 

「く……っ!」

 

 それを杏寿郎は左の手で掴み止める。

 だが、これで杏寿郎が刀に力を込める手は片手になる。

 

「杏寿郎!! やはり人間は弱い。純粋な腕力の勝負ならば、鬼が負けることはない!!」

 

 なんとか、杏寿郎の刀を頚から逸らすことに成功する。

 とっさに離れる杏寿郎に、追撃を放つ。

 

 ――『破壊殺・脚式 流閃群光』!!

 

「ぐぅ……!!」

 

 刀で防がれるが、蹴りの勢いのままに杏寿郎は吹き飛び、距離が開く。このまま『空式』を叩き込み、沙華の体調が戻るまでの時間を稼ぐ。

 沙華さえ来ればどうとでもなる。

 

 この時間から酔い潰れているのは、あの女の悪癖だった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 鎹鴉からの伝達があった。

 煉獄が上弦の伍と戦闘をしている。もとより、煉獄との共同任務に入れ替わりで向かうはずであったが、より、急がなければならない。

 

 時に建物の屋根の上を通りながらも、直線で向かってきたが、たどり着いたのは建物の裏手だ。

 正面側では煉獄が戦っているのだろう。衝撃がここまで響いてくる。

 

 迂回して、表に回るか、あるいは、屋根の上を通って……いや、煉獄のことを考えるならば、屋敷に侵入し、中の人間を避難させた後に向かう方がいいか。

 煉獄ほどの男が、すぐに鬼に殺されるということはないだろう。今は日が出ているゆえ、退避も難しくはない。

 

 鬼殺隊は、鬼を狩るだけでなく、人命の救出も優先するべき使命だった。

 中の人間は鬼の術中にあり、心を操られているという話であったから、気を失わせて無理やりに運ぶことになる。

 

 人間の気配が付近にないことを確認し、壁に穴を開ける。

 さらに深くまで、人の気配がないか探るが、誰一人としているようには感じられない。まるでもぬけの殻だ。

 既に避難は済ませているのかもしれぬ。

 

 であれば、煉獄の援護へと、急ぎ、向かうだけだった。

 

「……っ!?」

 

 気配がする。

 人ではない。されども、懐かしい気配に足音だった。

 

「え……!?」

 

「カナエ……変わり果てたな……」

 

 鎹鴉により、上弦の鬼が二体以上いる可能性については聞いていた。

 胡蝶カナエは、鬼となった際、その心を狂わす血鬼術で、しのぶを苦しめたことも知っている。悲惨としか言い表せないような、しのぶの叫びも幾度となく聞いてきた。

 

 あぁ、心を惑わす血鬼術の鬼と聞いた際には、まずカナエのことが頭に浮かんだ。

 こうなることは覚悟をしてきた。

 

「悲鳴嶼さん……?」

 

「あぁ……南無阿弥陀仏」

 

 仏へと祈る。

 胡蝶姉妹の残酷な運命を思い、涙が溢れ出る。

 

「猗窩座くん……いえ……方向が違うわ。悲鳴嶼さん! お久しぶりです」

 

 声を弾ませながら、鬼はこちらへと話しかけてくる。

 しのぶが術にかけられた状況からは、血鬼術の発動の条件は類推できなかった。

 

 その声にも注意を払う。

 相手は上弦。警戒をしてしすぎるということはない。

 

「…………」

 

「どうですか? ゆっくりお茶でもしながら、お話をしませんか?」

 

 まるで敵意を感じさせない立ち振る舞いは、鬼となる前と同じだった。

 その記憶と変わらない仕草により、頷きかけるが、相手は鬼だ。席を共にし、茶などできるはずがない。

 

「カナエよ、なぜ鬼となった……?」

 

 かねてより疑問であった。

 カナエほどの立派な柱が、なぜ鬼に堕ちたのか……。

 

 人を殺すしかない鬼の道を憐れみ、自らの両親を殺した鬼さえも憐れむ。鬼から解き放つために鬼たちの首を刎ねてきた。

 胡蝶カナエはそんな人間だった。

 

「えっと……あのときは……。ちょっとした掛け違いで……四肢を全てもがれてあのお方の血をそそがれたわね……」

 

「……っ!?」

 

 きっと、カナエは鬼となることを拒んだに違いない。惨い仕打ちだ。

 そうして、鬼にされてしまったのならば、納得がいくというものだった。

 

「でも、鬼と人が仲良く暮らす方法がわかったからこそ、意味のあることだったわ。鬼になってみないとわからないことがあったもの。お腹が減ったらいけないわ。人間に血を分けてくれる子をたくさん増やすの!」

 

「人間は家畜ではない!」

 

 鬼となり、胡蝶カナエの考え方が、捻り曲がっていると感じられた。

 人を食わぬ鬼――竈門禰豆子がいるならばと、頭によぎったが、あれは奇跡でしかない。

 

 十二鬼月とまでなった胡蝶カナエは、やはり討つ他ないのであろう。

 

「悲鳴嶼さん、どうかわかってください……!」

 

「……お前たちには育手を紹介するべきではなかった……」

 

 しのぶと、カナエに育手を紹介したのは私だ。こんな悲劇を齎した責任は、全て私にあると言ってもいい。

 私が、この鬼の頚を落とす。それが責務か。

 

「悲鳴嶼さん! ふざけないでください! それは……それだけは言ってほしくなかった……!!」

 

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」

 

 上弦との一対一での遭遇は、普通ならば最悪の類いに入る出来事であるが、今は昼だ。状況が良い。

 胡蝶カナエを鬼から解放する絶好の機会でもある。

 

 正しい呼吸に、筋力の増強を合わせ、瞬発的な力を発揮させる。

 

 ――『岩の呼吸・参ノ型 岩軀の膚』!

 

 鎖で繋がれた、棘のついた鉄球と斧を振り回しながら、鬼へと迫る。

 

「悲鳴嶼さん……!? くぅ……っ」

 

 連続攻撃を鬼は剣のみで捌いている。

 攻撃を受ける際に、ふらつきがあった。一撃ごとに、わずかずつながら、鬼は体勢を崩している。

 

 このままならば、勝てる。

 なんの苦戦もなく、上弦の鬼に勝ててしまう。いや、花柱だった頃に比べれば、明らかに動きに冴えがない。

 理由はわからないが、この鬼は本調子ではないようにさえ思えてしまう。

 

「あぁ……」

 

 連続した攻撃から、鎖を引き、次の型へと繋いでいく。

 

 ――『岩の呼吸・壱ノ型 蛇紋岩・双極』。

 

 上弦の鬼が、こんなもののはずがない。

 だが、本調子でないならば、そのままに仕留めてしまえればいい。煉獄も戦っている。早く援護に行かなければ。

 

「く……っ」

 

 斧と鉄球との同時攻撃に、鉄球を刀で弾きつつ、斧を屈みかわしていた。

 持ち替え、次の手を打つ。

 

「…………」

 

「……あっ」

 

 鎖を鬼の頚へと巻き付ける。

 このまま捻じ切る。

 

 この武器は、鎖でさえ純度の高い猩々緋砂鉄。このように鎖に絡まれ頚を千切り落とされれば、宿った太陽の力により、鬼は生きてはいられない。

 決着が付く。

 

「な……っ」

 

 しかし、相手は上弦であった。

 自らの体格を目にも止まらぬ速度で小さくすることにより、隙間を作り、抜けた。

 次の瞬間には、元の体に戻っているゆえ、並のものには何事が起こったのか、理解できないであろう。

 

「ふぅ……危なかった」

 

 普通の鬼ならば、おそらくは出来ない。

 その上弦の自らの肉体を操作する技量に、舌を巻く他ない。

 

「……くっ」

 

「悲鳴嶼さん……わかってください! 私、悲鳴嶼さんにはとても恩を感じていて……だから……!」

 

 胡蝶姉妹を鬼から救ったのは私であった。

 両親は既に食い殺された後で、救えたのは幼い二人だけであった。

 

 ――『花の呼吸・弐ノ型 御影梅』!

 

 斧、鉄球、鎖と、襲いくる攻撃を鬼は次々と弾く。

 動きの鋭さが、一段上がったように感じられる。明らかにまずいとわかる。

 

「…………」

 

 煉獄の援護に行けるなどという、甘い考えは捨てる他ない。

 ここは煉獄を信じ、目の前の鬼に集中する。

 

 先の攻撃で、仕留めきれなかったのは大きな痛手になるかもしれない。次に同じ機会が巡ってくるとは、まず思わない方がいいだろう。

 

「あぁ、やっと酔いが覚めてきたわ……」

 

 気がつけば眼前にいる。

 尋常ならざる身のこなしだ。鎖を手繰り寄せ、繋がる斧を手元に、迫る刀を防ぎ競り合う。腕を切り落とすための鬼の太刀筋であった。

 

「酩酊する稀血とは、不死川のものか……?」

 

「……? 不死川くんのは、もっとすごいけど……だから、みんなほしくて、あまり勝手に持ってきたら良くないの」

 

「不死川は……生きているのか……!?」

 

「うん。生きているわ。子どもが二人……いえ、三人目が出来たって話を最近聞いたし、とても幸せに過ごしているわ……!」

 

「鬼とは……ここまで……」

 

 不死川が自ら鬼に従うはずがない。

 胡蝶カナエは、四肢を切断され、無理やりに鬼とされたという。そんな残酷な仕打ちをした鬼に囚われたのだ。ならば不死川も……。

 

 しかし、生きてさえいれば……。生きてさえいれば、まだ……希望は……。

 

「えっと……誤解があると思うわ……。武器を捨てて話し合いましょうよ?」

 

 上弦の鬼の、並外れた膂力で振られる剣との衝撃に、大きく斧が上へと弾かれる。その鬼の言葉を聞いた瞬間に、右手に籠る力がわずかに緩んでいた。

 斧が手元から、弾き飛ばされている。

 

「それが、血鬼術か……」

 

 左手で鉄球を手繰り、鬼の攻撃を凌ぎながらも、その術の悪辣さを理解する。

 

 会話など、するつもりはなかった。細心の注意を向けているはずだった。

 そのはずであるが、話をしようと言われて話をしてしまった。武器を捨ててと言われて、手に籠る力が緩んだ。

 

 既に術中に嵌っている。

 このままでは、時間が経つほどに、鬼の言うことにしか、体が利かなくなる。決着は急ぐ他ない。

 

「血鬼術……? 私、血鬼術を使えないわ?」

 

 その声色に、嘘の気配は感じられない。

 けれども、これは術で間違いがない。鬼となり、繕うすべを覚え、小狡くなってしまったのであろう。

 

「あぁ……」

 

 この鬼は必ず、滅する。

 

 鎖を引き、弾かれた斧を再び自らのもとへ。弾かれた先では、館の壁に刺さっていた。引き抜いたことで、壁に穴ができ、陽光がわずかながらに差し込む。そのような空気の流れを肌が感じた。

 太陽が差し込むのは後ろからか。

 

 ついで、鬼の背後へと逸らされた鉄球を引き戻す。

 

 ――『花の呼吸・伍ノ型 徒の芍薬』。

 

 ――『岩の呼吸・肆ノ型 流紋岩・遠征』。

 

 両手で掴んだ鎖で鬼の斬撃の数々を凌ぎながらも、右手を振り、自身の背後から、引き戻した斧を、鬼の頚へと向かわせている。

 鬼は、それを蹴り上げ逸らした。

 同時に鬼の背後から来る鉄球もある。鬼は振り向かず、剣の柄を鉄球へと当て、軌道をずらす。その動作に澱みがない。

 

 最初とは別人のような動きだ。隙がまるで見当たらない。

 柱であった頃と比べ、鬼として身体能力が上がっただけでない。この動きならば、剣士としての力量さえ上がっている。

 

 鬼にさえならなければ、鬼殺隊の柱として、しのぶと共に頼もしい存在となったであろう。

 そう思えるだけに、虚しさが込み上げる。

 

 ただ戦うだけでは、間違いなく、この鬼には勝てない。

 今よりも、大きく空間を使い、鉄球に、斧を振るうことを意識する。

 壁や、柱にぶつかるが、構いはしない。

 

「……? 攻撃が大雑把になっているけれど……疲れたのなら休憩しましょう? お話を聞いて欲しいんです」

 

「南無阿弥陀仏……話すことなど、ありはしない」

 

 念仏を唱え、心を強く保つ。

 鬼の言葉に釣られそうな自身の体を叱咤し、戦闘にのみ集中する。

 斧と鉄球を、休まず振るう。

 

「あ……すみません、悲鳴嶼さん。私、あっちに援護に行かないとなので、とりあえず……」

 

 再び、接近を許す。

 大味となったこちらの攻撃を、身のこなしだけで躱しながら、鬼は刃を振るっていた。急所を狙う攻撃に鎖を構えるが、次の瞬間に鬼は剣を手放している。

 

「……!?」

 

 鬼の両手が、私の頭の両脇に伸ばされている。

 このままでは、頭が砕かれるか。斧を操り、鬼の腕の一本を切断する。

 

「……聴力を、片方」

 

 残った腕の一本の、人差し指の爪が伸び、私の耳に突き刺さる。

 鼓膜まで、突き刺さったが、飛び退き、それ以上は届かせない。右耳から、生暖かい血の感触が流れていく。

 

「……くっ」

 

「悲鳴嶼さん。もうやめましょう。耳が片方聞こえなくなれば、距離感がわからなくなる。いくら悲鳴嶼さんでも、これ以上は、戦えない。だから、もうやめましょう」

 

 私は目が見えない。

 だからこそ、鎖から鳴る音の反響を聞き分け、空間を把握していた。片耳では、それがどれほどの距離から来た音なのか、把握することができない。

 

 いや、音は振動でもある。そうどこかで聞いたことがあった。話していたのはしのぶだったか。

 身体の感覚を研ぎ澄まし、空気の揺れを肌で感じる。距離感を把握を試みる。今、やらなければ。できなければ死ぬ。それだけの話だ。

 

 ――『花の呼吸・陸ノ型 渦桃』!

 

 鬼は、全身の力を込めた一撃を、こちらの武器へとぶつけて来た。

 聴力の不調に、対応が遅れてしまう。のけぞってしまう。衝撃に手が痺れ、両手から、鎖が抜ける。

 

 落ち着け。まず、落ち着け。

 

「ふっ……」

 

 体勢を立て直す。息を整えると共に、鎖を踏みつけ、鉄球を落とす。

 

 ――『岩の呼吸・弐ノ型 天面砕き』。

 

 飛び退き、鬼がかわしたとわかる。そのまま、鎖を蹴り上げ、もう一度、手に持つ。

 

「片方聞こえないはずなのに、ここまでの動き……」

 

「はぁああぁあ!!」

 

 ――『岩の呼吸・伍ノ型 瓦輪刑部』。

 

 飛び上がり、後退をしながら、斧を投擲し、鬼の頚を狙う。

 さらには、また、鉄球を大きく振り回す。

 

「でも、やっぱり、さっきよりも精彩さに……。――えっ!?」

 

 大きく屋敷の壁が崩れる。

 こちらの背後から、太陽が顔を出す。

 鬼は、とっさにか、逃げ場を探し後ろへと振り向くが、その先には私の斧が回っている。

 

 ここで倒さなければ。カナエに、これ以上罪を重ねさせてはならない。

 

「うぉおおお」

 

 鎖を操る。

 鬼に斧は弾かれてしまったが、その行く道を鎖が塞ぐ。

 

「ま、まずいわ……!? 攻撃が大振り過ぎると思っていたけど、このためだった……。一気に壁を崩すために……っ、逃げ場が……」

 

 後ろへと逃げようとした鬼は、無理だと悟り、身を翻し、こちらを鋭く見つめている。

 逃げ道など、もはやありはしない。このまま日の光に焦がれ、死ぬのみ。

 

 ――『花の呼吸・漆ノ型 雲衝き菖蒲・穿ち』。

 

「な……っ!?」

 

 突き技だった。

 今までの中で最速の一撃。反応ができなかった。腹にその刀が突き刺さる。

 急所は突かれていない。貫かれているが、これならば、まだ戦える範囲の傷。

 

「ごめんなさい。悲鳴嶼さん。これしか思い浮かばなくて……」

 

 太陽は私の背にある。

 鬼は、それなりに上背があるとはいえ、女。私の体格は、他の者とも比べても、一際大きいものだった。

 

 結果として、私の体を日差しの盾にし、あさましくも鬼は生き残った。

 

「はぁああぁあ!!」

 

 だが、同時に好機でもある。

 私の影の範囲でのみしか鬼は動けない。斧を手元に、鬼の頚へと振り下ろす。

 

「うぅ……っ!?」

 

 硬い。一筋縄では頸は斬れない。

 

 鬼は頚に斧を受けながらも、私に突き刺した剣の柄を両手で握り、私を日の光からの盾にしたまま、私ごと影の中へと動こうとしている。

 鉄球を、床に、その下の地面に沈ませ、(いかり)のようにし、鎖を腕に巻き付け握り、この場に自身の体を固定する。死のうとも、ここを離れるつもりはない。

 

「――ッ――ァア――!!」

 

 もはや叫びは声にならない。

 この鬼を殺すために、そのために力を斧へと、今の一瞬に込める。

 

「あぁ……っ」

 

 ――血鬼術『宿血・桜乱』。

 

 ふわりと、花の香りがする。

 力が、抜ける。鬼の刀に刺された場所から、何かが広がっていく。まずい。『呼吸』を使い、抑える。

 

 完全にまわりきる前に、この鬼の頚を斬る。

 斧に力を――

 

 

「――がはっ!?」

 

 一瞬だが、気を失っていた。

 倒れている。手には斧を握ったまま。

 

 音だ。鎖の音を鳴らし、周囲の把握を試みる。鬼が、前に倒れている。近い。頚は繋がっている……頚……。

 

 鬼の頚に、斧を振るう。

 刃がかち合う音。刀により防がれている。

 

「はぁ……っ、悲鳴嶼さん。はぁ……っ、危なかった……。あのままだったら……悲鳴嶼さんに、痣が……」

 

 意識を失った理由は、この刀か……。毒……それにしては、苦しみがない。

 ……なんにせよ『呼吸』を意識する。その何かの巡りを遅らせる。

 

「……くっ……」

 

 千載一遇の好機を二度逃した。

 消耗が激しい。鬼は、顔に疲れを見せてはいるものの、持ち直すまで数秒もいらない。人間は、体力の回復にも時間がかかる。傷もすぐには塞がらない。

 

 であろうとも、まだ、諦めない。ここで諦めてはならない。

 鬼殺隊のため、人々のため、そして、胡蝶カナエのためにも、気力を振り絞る。これ以上、この鬼により、悲しむ人間を決して増やしなどはしない。

 

 

 

 ***

 

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

「いくら攻撃しようと無駄だ、杏寿郎。太陽のもとに、離脱を繰り返し、休息を挟んでいるようだが、そんなふうにちまちまと攻撃をするようでは、鬼には勝てない。鬼の傷はすぐに治る。諦めろ杏寿郎」

 

「俺は諦めない!」

 

 いつまで繰り返せば気が済む。

 無駄だというのが、なぜわからない。

 

 もう一人、援護にやって来ていた柱と沙華が戦っていると煩わしい声で伝達があった。

 

「全て無駄だ。鬼は人には勝てはしない。応援にやって来た柱は、沙華が相手をしている。あの女は俺よりも強い。すぐに倒し、こちらへとやってくるだろう。時間を稼ごうとも意味はない。全て終わりだ」

 

 あの女は強い。剣士としての技量に、厄介な血鬼術。酔いが醒め次第、柱を倒し、すぐにこちらへの援護にくる。

 

 杏寿郎には、致命傷こそない。だが、肋の何本かは折れ、受けた拳に、ひどくあちこちが内出血をしている。

 明らかに満身創痍。

 

「俺は俺の責務を全うする」

 

 杏寿郎の刀を握る腕に力がこもったことがわかる。

 左の腕は、蹴りを防いだことにより、骨にヒビが……いや、折れている可能性すらあった。しかし、その動作に澱みがない。

 

「その身体で、追い詰められてなお、そこまでの闘気……。精神力。やはり、鬼となれ杏寿郎」

 

「はぁああああ!!」

 

 ――『炎の呼吸・奥義・玖ノ型 煉獄』!

 

 壁や柱を破壊しながら杏寿郎は迫る。

 

 おそらくは、渾身の一撃だろう。このままだらだらと戦っていても、援軍はない。勝てはしない。

 だからこそ、残りの力の全てを、この一撃にかけて来た。

 

「ハハッ……!」

 

 ――『破壊殺・滅式』!!

 

 ならば、相応の技で相手をするのが礼儀であろう。

 迫り来る煉獄の最高の一撃を両手で受ける。

 

「うぉおおお!!」

 

 勢いを防がれてか、煉獄は刀を振り直す。同時に殴りかかり、拳と刀がぶつかる。簡単に骨ごと拳は刀に裂かれる。

 

 次の狙いは頚だ。

 鬼は頚を斬られなければ死なない。その攻撃は読めていた。

 

 無事な腕で刀を掴み、頚を斬る一撃から、逸らす。

 しかし右肩からの袈裟がけ、胸に刀が届いて、さらに杏寿郎は、切り返す。への逆字に、胸から上を削ぎ落とす狙いか。頚が胴体から離れれば、鬼は死ぬ。

 いい判断だ。

 

 だが、杏寿郎がその斬撃を振り抜く前に、右の肩口から胸までの傷が癒えてしまう。

 頚が胴から離れる前に、癒着すれば、鬼は死なない。

 

「あぁ……」

 

 杏寿郎の隙だらけな胴体に、拳を叩き込む。

 もはや手加減などしてはいられない。杏寿郎に対し、敬意に欠く行為だろう。これほどの洗練された技を見せられたの――( )

 

 腕が切断されている。

 威力が落とされた。これは煉獄の攻撃ではない。

 斧……? 飛んできたのか……?

 

 それは背後からの声だった。

 

「煉獄!」

 

「悲鳴嶼さん!」

 

 悲鳴嶼……? それは沙華の戦っていた柱だろう。

 なぜ、ここにいる。意味がわからない。あの沙華が、やられたのか?

 

 うるさく脳内に話しかけてきた酔いどれ女だ。何も言わずに死ぬなど考えられない。

 

 振り向く。

 

「え、猗窩座くん!?」

 

「沙華! どうなっている!?」

 

 背中合わせの形だった。互いに、柱相手で、ここまで後退してきたということか。

 だが、二対二の構図だ。同士討ちを考えないでいい鬼の方が、多対多では有利のはずだ。

 

 こうなったのは、偶然か。ただでさえ、人間は弱い。それなのに、こちらに運までも味方をしたのか。

 

 煉獄の背後で崩落していく天井が見える。青い空が顔を出す。煉獄は攻撃に建物の壁や柱を何度か巻き込んでいたことを思い出す。

 

 いや、まさか――沙華の方へと振り向く。

 

 同じく、建物が壊され、曇りのない空が見える。

 

 ――そうか!? しまった……っ!?

 

「沙華……!! 柱を守れ!!」

 

「えっ、柱……? 悲鳴嶼さんと、煉獄くん……?」

 

 沙華がとぼけた返答をしているうちにも、杏寿郎が跳んでいた。

 

 狙いはこちらではない。

 わずかばかりに残っている、屋根を支える建物の柱だ。

 天井が落ちる。

 

 ならば落ちる瓦礫を掴み、傘にしながら違う影へと入ればいい。

 それならば、かろうじて生きながらえることができる。

 

「な……っ!?」

 

 あの武器は……なんだ……?

 鎖に繋がれた鉄球が、落ちる瓦礫を吹き飛ばそうとしていた。

 そうなれば、もはや完全に野晒し。太陽から身を隠す術がない。

 

 まずい。まずい。まずい。まずい。

 

 なぜ、追い詰められている?

 上弦の鬼は柱よりも遥かに強い。柱が二人に対し、上弦が二人。普通ならば、負ける可能性などありはしない。

 

 今が昼だからか? いや、そんなことは理由にはならない。制約があろうとも、鬼は人間などより遥かに強い。

 

 人間は弱いと油断していた。万が一にも、殺されるはずがないとたかを括り、慢心してしまっていた。

 

 太陽の光が差す。

 

 

 死ぬ――!?

 

 

 次の瞬間には、視界が完全に黒で埋め尽くされていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 熾烈な戦いが終わり、煉獄さんは息を整えていた。

 

「逃げられた……」

 

「…………」

 

 まるで、手の出せない戦いだった。援護にきたつもりだったのに、遠目に、建物の中で戦う二人を見つめることしかできなかった。

 

 鬼は、逃げた。

 地面からは、肉の塊のようなものが生えて来て、二人を守った。地面の下へと、鬼は逃げて行った。

 

 匂いでわかる。

 あれは、上弦の弐……(ハツ)()さんの力だった。

 そのあとの、上弦の弐の大規模な血鬼術の発動には、二人は鬼の消えた場所から大きく離れてそれをかわしていた。

 

「あと一歩。あと一歩で……上弦の鬼を二体殺せた……。何百年とない好機を……私は……私は……、ものにできなかったのか……!?」

 

 岩柱の悲鳴嶼さんは、悔いるように、感情をあらわにしている。

 

「と、とにかく二人とも……傷の手当てを……」

 

「君は……」

 

 ハッと気がついたように、二人はこちらへと振り向く。

 

「えっと、竈門炭治郎です」

 

 名前を言う。

 そうすると、二人は思い出したように頷く。

 

「竈門……あの鬼を連れた……そういえば、行方不明と聞いていたが……」

 

 善逸や伊之助は、煉獄さんと一緒に任務にあたっていたんだ。本来ならば、そこに俺たちも行くはずだった。だから、煉獄さんは俺たちがいなくなったことを知っていた。

 

「いえ、それは……上弦の参の血鬼術に、今朝まで心を操られていて……。でも、禰豆子の……禰豆子の燃える血のおかげで、血鬼術は解けて……それで、逃げ出したんです」

 

「燃える血……? あの鬼の心を操る血鬼術に対抗するすべが……? それは実にめでたいことだな」

 

「煉獄……まだ、この哀れな子どもが嘘をついている可能性もある。御館様に判断を仰ぐべきだ」

 

「……っ……」

 

 信用をされていない。

 それでも、よかった。あの戦いの中、二人が生き残ってくれて、本当によかった。

 

「竈門少年。行方知れずになったのは、もう一人いたと聞いているが……」

 

「なえなら、屋敷にいたみんなの避難に」

 

 なえは、屋敷の崩壊に気がついて、中から避難して出てきた人を誘導するために、今はいない。

 今の状態では、鬼を庇ってしまいそうだったから、いったん遠ざける必要があった。

 

 時間を置いて、隠の人たちがやってくる。

 怪我人の傷の手当てに、片付け。

 

 一応のためか、俺となえは拘束されて、鬼殺隊へと連れて行かれることになった。

 

 

 ***

 

 

 無限城。

 

 いるのは、私に、猗窩座、カナエちゃん、琵琶の子に、無惨様。

 

「猗窩座……沙華……。お前たちは何をしている?」

 

「申し訳ございません、無惨様。申し開きもございません」

 

 低頭平身で、猗窩座くんに、カナエちゃんは謝っていた。

 

(ハツ)()が助けたから、よかったものの、そうでなければ、確実に殺されていた。上弦が二人いてだ……なぜ、柱二人程度に殺されかける? 理解できない」

 

「ぐふっ……」

 

 無惨様のお怒りに触れたせいで、二人とも、細胞が内側から破壊されている。

 とても痛そうだ。

 

「沙華……お前の使命はなんだ……?」

 

「……鬼と人とが仲良くなれる世界を作ることです。悲鳴嶼さん……全然、私の話を聞いてくれなくて……。悲しくて悲しくて……」

 

 カナエちゃんは、涙を流して、しくしくとすごく悲しんでいた。とても可哀想だった。

 

「ふん、例の呼吸に阻害されたか。鬼狩りというのは、忌々しい。であれば、お前の素晴らしい行いを無理にでも語り聞かせればよかった。動けなくした後でも構わない。お前ならば、奴らの考えを変えることも、それほど難しくはなかったはずだ」

 

「うぅ……」

 

「お前の人死にを避ける考えが、邪魔となったか。万一にでも、柱の男の死を恐れて、攻撃が緩み、手足を奪うことさえできなかったか? まぁ、こちらはいい」

 

「…………」

 

 無惨様は、あからさまに面倒そうな顔をしながら、カナエちゃんから顔を背ける。童磨への対応と、やや似ているような気がする。

 

「猗窩座……鬼が人間に勝って当然だというのに、お前はなにをしていた? 日の光を恐れ、無様にも後退し、危機を作った。柱をその場に押しとどめることもできないと言うのか? あとわずかで、沙華の相手をしていた柱は、手に落ちたというのに……時間を稼ぐことさえできない。上弦も落ちたものだ。お前が上弦の参ではなく、よかった」

 

「……っ!?」

 

「お前には失望した」

 

 猗窩座は怒りに震えている。

 なんに対して怒っているのかはよくわからないけど、無惨様に対してじゃないことはわかる。そうだったら殺されているし。

 

(ハツ)()。沙華はお前に任せている。よく言って聞かせろ」

 

「はい、無惨様」

 

 そう言い残して、無惨様は去られてしまった。

 

「…………」

 

 猗窩座は呆然と虚空を見つめている。

 そんな猗窩座は放っておいて、私は泣いてばかりのカナエちゃんの隣に座る。

 

「カナエちゃん、泣かないで……っ!」

 

「だって悲鳴嶼さん。私としのぶを助けてくれた恩人なのよ? それなのに、戦うことしかできなかった……」

 

 カナエちゃんはもともと鬼狩りの柱だった。だから、そういう、関係の深い人と戦うことになってしまうのは、当然だろう。

 

「カナエちゃんには私がいるわ? 大丈夫よ? よしよし」

 

「ハツミちゃん!」

 

 カナエちゃんは抱きついてくる。

 そういえば、聞かなきゃいけないことがあった。

 

「ねぇ、カナエちゃん。それはいいのだけれど、なえと炭治郎くんはどうなったの? あの屋敷、壊れちゃったんでしょ?」

 

「あ……たぶん、鬼殺隊に連れて行かれるわ!」

 

「これって、逆戻り……?」

 

 せっかく、憎き鬼狩りから、なえを取り返したというのに、また連れて行かれてしまう。

 すさまじい疲労感を心に感じる。なえの両親にも、最近はカナエちゃんのところでなえが、どんな様子か言って聞かせてあげてたわけだし、面目が立たない。

 

(ハツ)()ちゃん。大丈夫。鬼殺隊は、そんなに悪いところではないから」

 

「で、でも、なえは……鬼殺隊で、聞き分けの悪い子になってしまったわ。せっかくもとに戻ったのに……また鬼狩りに……」

 

(ハツ)()ちゃん。大丈夫」

 

 カナエちゃんがこんなにも強く大丈夫と言うのだから、きっと大丈夫なのだろう。

 次こそは、ちゃんと説得して連れて帰ろうと、心に決めた。

 

 なえのことは、あの耳飾りの子がきっと守ってくれると信じておこう。

 

「それはそれとして、カナエちゃん……酔って十分な力を発揮できなかったでしょ?」

 

「……えっ? そんなことないわ……ぁ?」

 

 私がこれから言うことをカナエちゃんは察したのか、目が泳いで、顔には汗が滲んでいた。

 

「酔い潰れているから、まだこちらには来させるなと言っていた」

 

 こちらを向かずに、猗窩座が独り言のようにそう呟いた声が聞こえる。

 

「え……っ、猗窩座くん……! あれは……!」

 

「こういうのが続くとよくないから、少し我慢を覚えよっか。カナエちゃん」

 

「……うぅ。ひどいわハツミちゃん……。悲しいから、気分を紛らわせるために、少し飲もうと思っていたのに……。鬼よ……っ、鬼……」

 

「カナエちゃんも鬼でしょ……? なにを言っているの?」

 

 カナエちゃんは、悲しすぎて、頭がおかしくなったのかもしれない。

 

 お腹を満たすだけなら、珠世ちゃんの作った味気ない錠剤がある。お腹が減りすぎて、里の子どもたちを襲うってことはないだろう。

 とりあえず、今回の上弦の鬼として、不甲斐ない結果について、お仕置きをしておかないといけなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 カナエちゃんと、猗窩座が柱に負けそうになって、時間はあまり経たない。

 忙しそうにいろんなところへと行っていたカナエちゃんは、今は無気力にぐでっとしている。

 稀血がないと何もやる気が出ないらしい。

 

 珠世ちゃんは、耳飾りの子の妹の禰豆子ちゃんの血を、閉じ籠って研究している。

 

「あら? お客様かしら? そんな予定はなかったわよね……?」

 

 私の里の結界が見知らぬ人間を感知した。

 迷い込んだのか。

 

 今はお昼だ。

 だからといって、私は屋敷から動けないわけではない。屋根だけの通路があって、昼間でも里の中なら大抵の場所に行けるようになっている。

 

 どんな人が迷い込んだのか、近くへ行って見てみよう。そう思って、足を運んだ。

 

 あれは()()……?

 

「えっと、見ない顔ですよね。(ハツ)()様への用事ですか? なら、案内をしますけど」

 

「え……っ?」

 

 遠目に見るが、男の子だ。

 左右の髪を刈り上げてる……顔つき……歳の割には体格のいい男の子だった。

 

 ジッと二人を見つめる。見知らぬ男の子は、誰かに似ているような気がした。

 

(ハツ)()様のお屋敷なら……」

 

「いや、そこには用事がねぇ……。人を探していて……」

 

「人を……?」

 

 人探し……私が攫って来た稀血の子の親族かなにかだろうか。

 私のこの里は、人間には滅多に見つからないけれど、そうやって人探しで尋ねてくる人がいなかったわけじゃない。あれは百年くらい前だったか、長くやっていれば、まぁ、そういうこともある。

 

「こんなところ……早く兄ちゃんを連れ戻さないと……」

 

「……? ご兄弟が……? でも、ここはいいところですよ?」

 

「あぁ? テメエなに言ってやがる。こんなところで鬼に飼われて、家畜みてぇな生活……っ!!」

 

 男の子は、強引に()()に怒鳴り散らした。

 ()()の顔が真っ赤になる。

 

「ちゃんと(ハツ)()様は()()たちのことを考えてくださってるんです。それをなにもわからないあなたが悪く言うなんて……!!」

 

「知らねぇよ、鬼のことなんか……! とにかく、兄ちゃんを探さないと。……っ!?」

 

 ()()が男の子の腕を掴んだ。

 

「行かせません! (ハツ)()様の素晴らしさをわかるまでは!!」

 

 ()()は、どうしてか、ときおりそういう苛烈なところがあった。

 

 里で一番で、私がとても甘やかして育ててきた。それは間違いない。そして、誰に似たのか、一つのことに気を取られるとあまり周りに目が行かなくなる。

 

「邪魔だ。どけよ……っ!」

 

「あ……っ」

 

 男の子によって、()()は強く押されてしまう。このままだと転ぶ。見た目ではまだわかりにくいけれど、()()は今、お腹の中に子どもがいる。

 

 まずい。

 日光が邪魔で、手助けができない。いま、あんなふうに転んでしまうと、お腹の子がとても危険だ。

 

 どうにかできないか……。

 結界で緩衝材を……影のでき方がまずい。なにか、何か方法が……。

 

 ――風が吹く。

 

「人の女房に手ェ出して……ただで帰れると思ってねェよなァ!!」

 

「さねみさん!」

 

 実弥くんが、ふんわりと()()のことを抱きとめていた。

 

「え……っ、兄ちゃん……?」

 

 え……っ?

 

 

 

 

 




 小ネタ
 猗窩座の警備の制服はカナエさんお手製です。
 カナエさんは猗窩座に無視をされて、最初はハツミちゃんに助けを求めましたが、「童磨を差し向ければ一発よ!」というアドバイスを聞いて、実行しました。
 死にかけた際のカナエさんの血鬼術の発動は、悲鳴嶼の痣の発現を妨害するためのものでした。たぶん、恩人に死んで欲しくないという強い想いにより発動しました。感動的です。
 無惨様は、沙華が死ぬと血鬼術が解け、鬼のことが広く周知されてしまう可能性に思い至り、少しだけ焦りました。もう叱責するのも面倒になって最後は猗窩座に八つ当たりしました。



 次回、玄弥の決断。さらには御館様と炭治郎、なえがお話しします。

 アニメは終わってしまいましたが、遊郭編にたどりつくまで、まだちょっとかかりそうです。



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