稀血をよこせ、人間ども   作:鬼の手下

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 真実というのは、時に知らない方が幸せな時がある。




再会

「血鬼術?」

 

 鬼になったからには、鬼の戦い方がある。カナエちゃんは呼吸を使えるから、無くても戦えるはずだけど、あったらもっと強いはずだ。

 

「そう。どんな血鬼術になるかはわからないけど、使えて損するってことはないでしょう?」

 

「でも、あれって、人間をたくさん食べないと使えないはずじゃない? ハツミちゃん」

 

 カナエちゃんは首を傾げる。

 昨日、あんなに血を飲ませたはずなのに……。カナエちゃんは忘れてしまったのだろうか。

 

「たぶん、カナエちゃんなら、強力なやつが使えると思うわ」

 

 百年かけて貯めた血を、しかも新しい方から、全部飲ませたんだから、使えないとおかしい。

 上弦のみんなみたいに、強力なやつが使えるはず。

 

「……じゃあ、やってみるけど……どうすればいいの?」

 

「えっと、こう、できそうな術を想像すれば良いの」

 

「できそうな……術?」

 

 カナエちゃんは首を傾げた。

 確かにこれじゃ、わかりづらいかもしれない。

 

「血鬼術っていうのは、自分が強く望めば、それが現れるものよ。だから、できそうな術」

 

「ええ……? そんなことでいいの?」

 

「そう、鬼は、血鬼術を使うとき、大そうなことを考えて使うわけじゃないわ。だから、そんなことでいいの」

 

「なら、うーん……。できそうな術、できそうな術……。ふう……!」

 

 カナエちゃんは目を閉じて、拳をギュッとして、プルプルと震える。

 頑張れ、頑張れ、カナエちゃん!

 

「……ああ、駄目みたい」

 

 力なくカナエちゃんは項垂れる。まあ、最初だし、そんなものだろう。

 

「ねぇ、なにしようとしたの?」

 

「蝶の翅が欲しかったの」

 

「蝶の翅?」

 

 翅を生やすなら、血鬼術というより、どちらかと言えば肉体変化だけど……。

 きっと、カナエちゃんの想像している翅は、普通じゃない特別なやつなのだろう。

 

「ほら、見て? 綺麗でしょ?」

 

 そう言って、カナエちゃんは両手を広げて羽織りを私に見せてくれる。

 

 白い布地に、まるで翅脈のような黒い線。裾に、袖には黒い縁取り、その縁取りの中には、ところどころに角ばった白い不定形の斑点が入り、その縁取りから内側に入るにつれて、白い布地に桃色、水色と薄く推移していく。

 

 まるで蝶の翅みたいだと。きれいだと思った。

 

「うん、そうだけど……。あとで、洗濯しなきゃね」

 

 ただ、ところどころ、血を吸って赤黒くなってしまっていた。

 せっかく綺麗な羽織も、これじゃあ台無しだろう。

 

「あ……そうよね……」

 

 付いている血は、おそらくカナエちゃんのものだ。あの、手足を奪ったときに、ついてしまったものだろう。

 

「ごめん……」

 

「ううん。気にしなくていいのよ」

 

 カナエちゃんは寛大な心で許してくれる。そんなに怒っていなくてよかった。

 

「そう……だね、カナエちゃん。うん、気にしない。私、気にしないよ! 洗濯は私に任せて!」

 

「じゃあ、洗濯は任せちゃおっか……」

 

「うん、任された」

 

 ちゃんと私の手で洗おう。私の血鬼術は、血の汚れを落とすことにも役に立つ。便利な血鬼術で良かった。

 

「ねぇ、ハツミちゃん。ハツミちゃんの血鬼術、見せてもらえる?」

 

 きっと、私の血鬼術を見れば何かのとっかかりになるのかもしれないと思ったのだろう。

 

「わかった。じゃあ、血鬼術を使うなら、実際に戦ってみた方が早いかもしれない」

 

「戦う……?」

 

「そ……私とね。それに、戦いの中で必死になれば、カナエちゃんもできるかもしれない」

 

 死の淵に追いやられた生き物は、一つ不必要だった感覚の扉を開けて、より強靭になる。

 この戦いでカナエちゃんのことを追い詰めれば、いけるかもしれない。

 

「なら、頑張ってみようかしら……」

 

「じゃあ、そうだね。まずは里の外に出よ?」

 

「え?」

 

「ほら、里を覆ってる結界内なら、私の血鬼術は、自由に使えちゃうわけなの。そしたら、私の血鬼術の特性上、勝負にならないから」

 

「へ? ……そう……なんだ」

 

 カナエちゃんは複雑そうな表情を浮かべる。もしかしたら、手加減をされていると思って、いい気分じゃないのかもしれない。

 

「私が結界を張るまでの約一時間、その間に、私を倒せなければ負けになるわ」

 

 だが、こっちも手加減をするわけじゃない。最初に結界の準備をして、完成するまでの時間を稼ぐ。それが私の基本の戦い方だ。

 いつも、里の中だけで戦うわけではないのだし。

 

「本当に、結界の中じゃ、勝てないの?」

 

「ええ、試してみる?」

 

 ――血鬼術『()(しょう)(けっ)(かい)(しょく)(がい)』。

 

「えっ」

 

 カナエちゃんは、力なくへたり込んで動けなくなる。

 これが私の血鬼術の力だ。

 

「どう?」

 

「……なに、したの……?」

 

「あのね、足と手の筋肉を壊して動かなくしたの。人間のままだったら、一生動かなくなる。鬼だと、すぐに治っちゃうけど、結界の中なら継続的に繰り返せば動かないままにもできるのよ?」

 

 それでも、この術には欠点がある。結界の生物感知に引っかかったものを認識して、術で攻撃する。

 感知から、術の発動までに若干の時間差があり、その間に高速で動かれたら、理論上は、この術は効かない。

 

 もっとも、そんなことできたのは、鬼も人間も含めて、私の知る限りでは、一人しかいない。

 

 あとは、そうだ。私の攻撃回数を超える速度で再生されたら手も足も出ない。だから、私よりも再生速度が速いような、極端に強い鬼には、この術は効かないことになる。

 さすが、無惨様。

 

 なんだか、こう考えると、この術、欠点が多いような気がしてきた。

 

「恐ろしい……血鬼術……。ハツミちゃん……これで何人、犠牲になったの?」

 

「カナエちゃん、私ね。殺した人数は数えないことにしているの」

 

 目を逸らす。カナエちゃんには悪いけど、誤魔化しておく。

 これは、私の沽券に関わる問題なのだ。絶対に、言いたくはない。

 

「…………」

 

 カナエちゃんは胡乱げな瞳で私を見つめる。その目には、真実が見透かされそうな気がした。

 

「も、もう、術は解いたよ……! ほら、行こ!」

 

 無理やりに話題を変える。

 これで、私の体面も保たれるというものだ。

 

「…………」

 

 なんだか、カナエちゃんは、ムスッとしていたが、私は強引に結界の外に引っ張っていった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ふふ、これでも『上弦』の『弐』。私、強いんだよ?」

 

 結界の外で私たちは向き合っている。

 

 カナエちゃんには、刀を持たせた。日輪刀は、危ないから置いてきて、私が肉体変化を駆使して頑張って作った刀を持たせている。

 切れ味は、日輪刀と同じ、だと思う。たぶん。自信はないけれど。一応、カナエちゃんに試し斬りをしてもらって、合格はもらった。

 

「私だって、鬼殺隊の柱だもの。負けないわ」

 

 私は首を落とされたら負け。カナエちゃんは、一時間経っても私の首を落とせなかったら勝ちだ。

 

「じゃあ、いくわ?」

 

 ――血鬼術『()()(きり)(まい)』。

 

 ――血鬼術『()()(ふう)(ろう)』。

 

 ――血鬼術『死瘴結界』。

 

 私の十八番(おはこ)、三重の血鬼術だ。

 これを真正面から破り、私の頸を刎ねられるのは、『上弦』の『壱』くらい。

 

 私の血鬼術を前に、あの縁壱も討伐を断念した。泣いて謝った。

 

 まず、肉体操作で、私の血を霧状に散布する。これで、私の周りに近づけば、血に接触することになる。

 

「これで、私には近付けない」

 

「なら……」

 

 ――『花の呼吸・肆ノ型 紅花衣』!

 

 カナエちゃんが前方に円を描くように刀を振るう。

 そのとき巻き起こった風により、私の血の霧が飛ばされる。

 

 ――『花の呼吸・陸ノ型 渦桃』!

 

 前方に跳び、しなやかに上半身を捻り、回転で勢いをつけて私の頸を狙ってくる。

 その美しい太刀筋には、舞う花びらが幻視できる。

 

 その速さに、力強さに、正確さ、並の鬼の頸ならば、反応できずに頸を斬られて終わるだろう。

 

「でも、少し、吸ったわ」

 

 ――血鬼術『死血霧舞・(ひょう)(そう)』。

 

 この術は、血で媒介し、細胞を傷つける血鬼術。皮膚に触れただけでは大した損傷にもならない。ただ、ちょっと体の表面が火傷のように傷つき痛むだけだ。目に入れば、ちょっと失明するくらいだ。

 

 だが、これを吸えば、身体を内部から傷つけることができる。肺が傷つく。

 

「っ……!?」

 

 肺に痛みが走ったからか、カナエちゃんの動きに乱れが生じる。

 

 ただ、『上弦』の『参』の肺胞を傷つける氷の技よりは、濃度が必要で、あからさまなため、気付かれやすい。

 

 最初の刀の一振りで飛ばされて、あまり吸っていないから、動きが止まるまでではないか。それでも、十分。

 

「捕まえた!」

 

 頸もとまで来たカナエちゃんの刀を手で掴んで押さえる。わずかに動きが鈍ったからこそできたことだ。

 

 ―― 血鬼術『死覗風浪・灰降ろし』。

 

「……!?」

 

 何かを感じたのか、一瞬遅れてカナエちゃんは刀から手を離した。

 そのすぐ後、カナエちゃんの両腕が崩れていく。

 

「接触時間が短かったから、肘までで済んだわね……」

 

 カナエちゃんは地面に着地。状況を理解するまでの数秒、カナエちゃんは足を止める。

 

「間接的な接触で……まさか――( )

 

 ――血鬼術『死覗風浪・土崩れ』。

 

 気がつくやいなや、カナエちゃんは地面から跳ねるが少し遅い。今度は、カナエちゃんの脚が膝までボロボロと崩れる。

 

 カナエちゃんは、跳んでいたわずかな間で再生した手を地面に付き、逆さに着地、地面との接触は最低限に、もう一度、跳ねる。手は崩れない。

 今度は再生した足で着地し、時間をおかずに走り出した。そうすれば、脚が崩れることもない。

 

 どうやら、私の血鬼術を理解したみたいだ。

 

「ええ、長時間の間接的な接触で、相手の身体を壊す血鬼術よ?」

 

 腕を崩したのは、刀を通しての接触。脚を崩したのは地面を通しての接触。そうして血鬼術を発動した。

 間接的な接触をしている部分が離れたらやり直し。だから、走っている今のカナエちゃんには、この術は発動させられない。

 

 ――血鬼術『死血霧舞』。

 

 今のうちにと、血の霧で周りを満たしておく。

 

「また……っ!?」

 

「ふふ、こうなれば、逃げても無駄なの! なにせ、私の結界の範囲は広いわ。全力で走っても、外には出られない。私を倒すしかないの!」

 

「……あなたの血鬼術……! 悪辣すぎるわ……!」

 

「遠距離で攻撃されれば、一溜りもないのだから、そんなこと、ないわよ?」

 

 そう、『上弦』の『壱』と戦えば、月の形をした刃がたくさん降ってきて、バラバラにされる。

 普通なら、常に走ることに体力が使われて、状況を打開する策を考えるのも難しくなるというのに、走りながら月の刃を飛ばしてくる。

 

 私、あの攻撃、キライ。

 

「……遠距離で……でも、そんな技は……。やっぱり、また……」

 

 鬼だって、体力が無限にあるわけじゃない。人と比べ物にならないくらいに多いだけだ。

 走って、削られていく体力に、カナエちゃんは焦りを感じていることだろう。

 

 カナエちゃんが落とした刀を手に持ってみる。

 一応、私が作った私の一部だから、なんとなく馴染む。

 

 鬼殺隊の真似をして、呼吸をしてみるけれど、身体能力が上がったりした感覚はない。私は才能がないのだろう。

 

 このまま時間切れまで待っているのは退屈なので、投げ付けようか。刀に私の血を纏わせて構えを取る。

 

「行くわよ?」

 

「あっ、ハツミちゃん!? ちょっと待って! こっちは!」

 

 ――血鬼術『死血霧舞・(みず)(がみなり)

 

 即席の技だが、上弦の弐たる私の身体能力に飽かせた投擲だ。爆音が響き渡り、一直線にカナエちゃんに突き刺さる。突き刺さった。

 

「な……何してるのカナエちゃん!」

 

 カナエちゃんは、避けるそぶりを見せなかった。それどころか、私の刀を前に立ち塞がったのだ。

 

「がっ……あ……。ハツミちゃん……。こっちは……村の方向だよ?」

 

「あっ……」

 

 私の投げた刀を受け止め、血を吐きながらもカナエちゃんはそう諭した。

 刀に纏わせた私の血が効いてきたのか、カナエちゃんの体は傷口から崩壊を始め、力尽きたように、地面に仰向けに倒れる。

 

「ハツミちゃん……ちゃんと、注意しようね……?」

 

「わ、私の血肉で作った刀だから、ちゃんと里に着く前に解体できるもん。うん、できる」

 

「そうなの?」

 

「たぶん……」

 

 私なら、あの速度でも、そっちは里の方向だと気づいて、そこから刀の解体を……ま、間に合ったはずだ。禍い避けの結界もあることだし、うん。

 

「そ、それはともかく、カナエちゃん……! 大丈夫!?」

 

 ちょっと私の血鬼術が効きすぎて、手、足、頭を残して、胴体が消失していた。

 今更になってしまったが、血鬼術の侵食を止める。

 

「うん。なんとか、大丈夫そう……」

 

 すぐさま回復して、カナエちゃんの身体は元どおりになった。鬼だし、灰からでも甦れるから、私が血鬼術を止めなくても、復活はできただろう。

 私の血鬼術では、無惨様みたいに鬼を殺すことはできない。

 

「えっと…‥続ける?」

 

 なんとなく、私がいけないことをしてしまったようで、これ以上、続けることも憚られた。

 

「ええ、続けるわ。なんとなく、掴めてきたみたい」

 

 私のあげた刀の刀身が、桃色に変わり、花弁のような筋が通る。

 これは、血鬼術だろうか。

 

「えっ……?」

 

 次の瞬間には、カナエちゃんは私の目の前にいた。

 

 ――『花の呼吸・伍ノ型 徒の芍薬』!

 

 美しい連撃だった。

 舞う花弁の幻想に、花の香りまでを錯覚する太刀筋。

 一撃一撃、それぞれが、私の急所たる首を狙い、余裕を与えない。

 

 地面を通じた間接的な接触を必要とする血鬼術も、私が足を常に動かし続ければ、容易には発動できないと見抜かれたか。

 ともあれ、このままでは少しまずい。

 

 ――血鬼術『死血霧舞・融雪』。

 

 肉体変化で、血を噴出し、直接、多量に吹きかける。

 これを受ければ、私の血鬼術により、生物の身体は溶ける。

 

「そっちにはいないわ」

 

「あれ?」

 

 私は、見当違いな方向に、血を放っていた。

 気分は悪くはない。むしろ良いくらいに感じられるのだけれど、なんだか調子がおかしい気がする。

 

 ――()()()『花の呼吸・捌の型 麻の飄忽』!

 

 私の頸を正確に狙った一撃だった。

 いつもなら、問題なく反応できる速度。そうだと思ったのに、次の瞬間には、私の頸は飛んでいた。

 

「えっ……?」

 

 頸が地面に落ち切る前に、手で掴んで、くっつける。

 

「私……勝ったわ! ハツミちゃん! 勝った!」

 

 カナエちゃんは、素直に勝利を喜んでいた。

 最後の方は、まるで何が起きたのか、私には理解できなかったけど、カナエちゃんが喜んでいるなら、それで良い気がしてくる。

 

 結局、刀が少し変わったくらいで、カナエちゃんは血鬼術を使っていないみたいだったし、目的は達成できなかったかな。

 それでも、それだと、なぜ私が負けたのかがわからない。

 なにかがおかしい気がする。

 

 ……まあ、いいか。

 

「おめでとう、カナエちゃん。今のカナエちゃんなら、『上弦』の『()』くらいなら、倒せると思うよ!」

 

「……私が……『上弦』を……? 今の私なら……『上弦』も……」

 

 少し、カナエちゃんは呆然としていた。

 

 柱は『下弦』の大半より強いのだから、その柱が鬼になれば、上弦に届くのは当たり前だろう。

 あんなに血を飲ませたのだから、案外、早く、『上弦』の『参』くらいには上がってくるかもしれない。

 

「カナエちゃん……戻ろ?」

 

「そうね。……ハツミちゃん……運動したら、お腹すいてきちゃった……」

 

「私も……結構、血鬼術を使ったから、そろそろまずいかも……」

 

 栄養が足りないと、なんでもいいから人間を食べたくなってしまう。それが鬼だ。

 だから、なるべく早く、帰ってお腹を満たさないといけない。

 

 そういえば、そうだった。

 

「カナエちゃん。着く前に、これ、飲んでおいても良いよ?」

 

 懐から、水筒を取り出して渡す。中には、質の良い血が入っている。

 本来なら、いつ、無惨様に呼ばれてもいいように、携帯をしておいているものだ。

 

「いいの?」

 

「いいよ。勝ったから、景品ねっ。今日は特別」

 

「わあ、ありがとう!」

 

 そう言えば、カナエちゃんは素直に受け取ってくれる。

 お腹が空いた状態のカナエちゃんが、里の人とばったり会って、その食人衝動に耐えられるかという問題もある。ここは、渡すのが正解だろう。

 

「……あっ……え……?」

 

「どうしたの、ハツミちゃん?」

 

「私の結界に、誰かが触った気がしたの」

 

 

 

 ***

 

 

 

「止まれ、胡蝶」

 

「どうしたんですか、冨岡さん。そんな、急に……」

 

 胡蝶カナエの失踪。

 柱がいなくなることは稀ではない。己よりも強い鬼、特に『上弦』と遭遇すれば、その命を散らすこともやむなしだろう。

 ここ、百年以上、鬼殺隊は『上弦』の鬼を倒せずにいた。

 

 今の任務は、失踪した胡蝶カナエを捜索している妹の胡蝶しのぶ、その付き添いだった。

 花柱である胡蝶カナエを倒すほどの鬼であるなら、『上弦』である可能性が高い。

 

 新たに水柱が現れるまでの代理である自分が、もし『上弦』と遭遇した際、どれほど役に立つかは疑問ではあるが、胡蝶しのぶよりは、経験で勝る部分も多々ある。

 

 胡蝶しのぶは、鬼殺隊の隊士でありながら、日輪刀で唯一鬼を滅する方法である、鬼の頸を切る、ということができない。その筋力が欠けている。

 

 そのかわり、自身の開発した毒を使って鬼を殺すのだが、この毒もまだ発展途上。ある程度の強さの鬼では分解されてしまうのが関の山だった。

 おそらく、『上弦』には効かない。

 だからこそ、自身が付き添いに選ばれたのだろう。

 

 果たして、その自身も、『上弦』を相手取り、どこまで戦えるのか。

 

 ――錆兎ならば……。

 

 時を巻いて戻す術はない。

 

「どうしたんですか! 冨岡さん!」

 

 森の中を進み、(ひら)けた場所に行き当たり、目の前には村が広がっている。

 だが、違和感があった。

 

 まるで境界でも引かれたように、手前から先は雑草の一本も生えていない。

 それどころか、鳥も見えず、虫の声も聞こえない。

 異質な空間が目の前には広がっている。

 

「胡蝶……虫を捕まえてきてはくれないか……?」

 

 力の足らなさを補うために、鬼を殺すための毒を開発した、自身とは比べものにならないほど頭の良い胡蝶しのぶのことだ。

 この違和感には、もう気がついているだろう。

 

「虫……? 急になに言ってるんですか?」

 

 この現象に対して、胡蝶しのぶは、もう結論を出しているのだろう。だが、頭の足りない自分では、実際に試してみるまで、予想が正しいのかの確信を得ることができなかった。

 

「俺には必要なことだ」

 

「はぁ、なら、自分でやればいいじゃないですか」

 

「お前は蟲の呼吸を使う……」

 

「…………」

 

「虫に関しては俺より詳しい」

 

「喧嘩売ってるんですか!?」

 

 胡蝶しのぶは、怒り心頭と言ったような様子だった。

 

 蛇の呼吸を使う者は、蛇を肩に乗せている。音の呼吸を使う者は、やはり音に理解があると言う。

 だからこそ、胡蝶も虫に理解があると思ったまでだった。だが、きっと、これは間違えていたのだろう。

 

「なら、鳥でも構わない」

 

 必要なのは、生き物だった。なにも虫である必要はない。

 

 言った瞬間、胡蝶はこちらを睨み付ける。表情に怒りを浮かべるが、その数刻後、呆れに変わった。

 

「これじゃ、話が進みませんね……。はぁ……仕方がないですね……」

 

 そして、胡蝶は虫を捕まえに行った。

 

 だからと言って、やはり、胡蝶しのぶにだけ任せるわけにはいかない。

 自身も懸命に虫を探す。

 

「冨岡さん……。捕まえて来ましたよ?」

 

「やはり、胡蝶の方が早かった……」

 

「やっぱり、喧嘩売ってるんですか?」

 

「もらう」

 

 そうして、胡蝶から、虫を受け取る。

 カマキリだった。

 

 懸念を確かめるために、カマキリを、草のない境界線の先に投げつける。

 

「あっ、冨岡さん!? せっかく捕まえたのに、なにしてるんですか!?」

 

「やはりか……」

 

 境界線の中に投げつけた途端、カマキリは死んだ。

 おそらくは、特定範囲内の生物を殺す血鬼術。この境界の内側は、間違いなく鬼の縄張りだ。

 覆っているのは、目の前に広がる村一帯か。この規模の血鬼術となると、『上弦』の鬼がいることは確定だろう。

 

「やはりって、冨岡さん?」

 

「胡蝶……帰るぞ……」

 

 『上弦』の鬼がどこにいるのかわかったのならば、軽率に挑むわけにはいかない。

 次こそは、本物の柱を連れて、討伐に向かうべきだ。

 

「ちょっと待ってください! 急に帰るって……!?」

 

 姉が生死不明の状態。

 おそらくは『上弦』の鬼に殺されている。殺した仇が目の前の村にはいるかもしれない。

 

 辛いだろう。叫び出したいだろう。

 ()()()()

 

 だが、今は一時(いっとき)の感情に流されるべき時ではない。確実に、『上弦』を――( )仇を討つためには、ここは堪えるべきところだろう。

 それがわからない胡蝶しのぶではないはずだ。

 

「胡蝶、花柱の仇は必ず取る」

 

「まってください! まだ、姉さんは死んだって決まったわけじゃ!」

 

 そして、胡蝶しのぶは境界を越え、死地に向かおうとする。

 

「行くな……胡蝶!」

 

 胡蝶の腕を引っ張り、胡蝶の首を腕で固める。

 

「まってください冨岡さん! 本当になんなんですか!」

 

 これ以上、行くというのなら、無理やりにでも連れ帰る必要があった。

 自身よりも、胡蝶しのぶの方が、鬼殺隊にとって必要な存在だろう。ここで失うわけにはいかない。

 

「…………」

 

「冨岡さん!? ちゃんと説明してくださいよ! 訳がわからないじゃないですか!」

 

 姉の死を、認めたくはないのかもしれない。

 頭の良い胡蝶のことだ。本当は状況を理解しているのだろう。胡蝶の心を落ち着かせるために、一から話さなければならないか。

 

「あれは、確か、胡蝶カナエが失踪したと聞かされた時のことだ……」

 

「ちょっと、待ってください。どこから話すつもりですか……?」

 

「…………」

 

 どう説得したものか。

 

 ――錆兎ならば……。

 

 時を巻いて戻す術はない。

 

「あら……逢引って感じでもなさそうね……」

 

 声がした。

 村の方、いや、来た道の方からだった。

 

「…………」

 

 振り返る。

 女だった。

 

 夜に映える白い髪で、巫女のような装束を身に纏った、まだ顔にあどけなさの残る年頃の女だ。

 亡霊のように白い肌に、『上弦』、『弐』と書かれた眼。

 その顔に貼り付けられた笑みは、作り物のように美しく、心地が悪い。

 

「『上弦』の『弐』……!?」

 

 鬼の始祖――鬼舞辻無惨、そして『上弦』の『壱』を数えて、三番目に強い鬼。

 

 回り込まれている。

 ここは自身が足止めをし、胡蝶だけでも逃すべきだろう。

 

「胡蝶……逃げろ」

 

「冨岡さん……!?」

 

「胡蝶……?」

 

 その名前に、鬼が反応した。

 ジッと、鬼は、胡蝶しのぶのことを見つめる。

 

「…………」

 

「あっ、わかった……あなた、カナエちゃんの妹ねっ!」

 

 その名前に、胡蝶しのぶは強く反応した。

 

「姉さんを……姉さんのことを……っ! 姉さんは……っ?」

 

 予想できたことだった。胡蝶カナエは、この『上弦』の『弐』によって――( )

 

 上弦の弐は、村の方を指差した。

 

「しのぶ……会いたかった……!」

 

 聞いたことのある声だった。胡蝶カナエのものだった。

 

「あ……。あぁ……。そんな……っ!?」

 

 現実を認めたくないかのように、胡蝶しのぶはうずくまる。

 現実とは、なぜ、こう、いつも残酷で、理不尽なものなのだろうか。

 

 胡蝶カナエは鬼化していた。


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